浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

島崎こま子のこと(続)

2023-04-20 11:56:27 | 

 『逍遥通信』第八号を読み、島崎藤村と愛人関係になり、その後社会運動(救援活動など)に参加した島崎こま子に関心を抱き、梅本浩志『島崎こま子の「夜明け前」』(社会評論社、2003年)を、図書館から借りて読んでみた。

 『逍遥通信』第八号掲載の北村巌(「島崎藤村とその周辺」)も、本書の著者も、共通するところは、お二人とも歴史家ではないということだ。

 私が何らかの人物を描くときには、まず先にその人の生まれてから亡くなるまでの年表を作成する。そして基本的には、時系列で描く。ところが、お二人の記述は、行ったり来たり、またあまり関係のないことをも書き込む。こま子と関係のないことでも、読んでみればなかなか面白い興味深い記述なのだが、本筋からはずれる。梅本は、京都大学の戦前の学生運動を詳しく描いているが、それはそれで面白く大いに関心を持ったのだが、最終章の「「狂」の世界」はいらないように思えた。

 北村の文は、島崎藤村についてが主題であり、こま子は「その周辺」になるだろうから仕方がないが、歴史家の目からすると、わかりにくいことが多かった。

 ノートにメモを取りながら読み、さらにわからないところを梅本の本で埋めていくのだが、それでもよくわからないところがあった。こま子が伯父島崎秀雄の住む台湾にいく、帰還は1919年で台湾に行って一年後だというから、1918年に行ったのだろうと予測できるが、しかし台湾行きの正確な年は書かれていない。これは梅本の本も同様である。

 京都に行き、こま子は京都大学の学生活動家・長谷川博と同棲するようになるが、北村は、こま子が34歳、長谷川が24歳と書く、しかし梅本はこま子35歳、長谷川25歳と書いている。

 長谷川は3・15事件で逮捕され、4年間獄中に入れられた。そして1932年釈放される。その後、二人は上京、1933年9月紅子が生まれる。そして同年▢月4日正式に入籍する、とあるが、その▢が12か、3かわからない。さらに博が若い女と駆け落ちするのだが、流れからいえば東京にいるときにそうなった、ということだろう。梅本も長谷川とこま子は1932年に上京した、と書く。しかし、その若い女性というのが、梅本では「京都・丸太町で報復のプレッシングの仕事をしている」ときに雇った21歳の女、と書いている。本筋とは関係ないが、「このような裏切りにもかかわらず、こま子は出獄ししてきた夫の求めに応じて身体を任せる。そして妊娠。翌1933年に出産する。」とあり、では「駆け落ち」はいつのことだろうか。

 歴史を勉強していると、「いつ」というのが気になってしようがない。おそらく北村も、梅本も、文学研究者なのだろう。

 しかし、このこま子について少し書いてみようと思っているので、事実を確定するために、ほかの本も読まなければならない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の選挙制度

2023-04-20 06:29:30 | 政治

 『日刊ゲンダイ』の記事を読んで、思い当たった。日本の選挙制度は、いわゆる「名望家」しか立候補できないような、つまり戦前のことばでいえば「無産政党」候補者が当選できないような仕組みになっていた。それが今も続いている。たとえば、選挙中は、空疎な宣伝カーからの立候補者の名前の連呼しかない。戸別訪問は禁止である。そういう選挙制度を、革新政党がなにも改善しようと思ってこなかったことも問題だと思う。自民党はカネがある政党だから、選挙制度がどうであろうと関係ないが、カネのないものは立候補できないシステム、そしてカネのないものは当選できないシステム、それが日本の選挙制度である。

 

岸田首相襲撃犯が日本の選挙制度に一石 立候補年齢と世界一高い供託金は戦後見直しナシ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする