すでに亡くなられた田村貞雄氏は、いろいろ研究しながら、その研究するなかで考えたこと、新たに発見したことなどを電話で話すことをされていた。おそらく話しながら自らの頭の中を整理されていたのだろう。
自分自身が何かを考えようとしているとき、その構想を、初期段階から誰かに語りながら確かなものにしていくという作業は必要だ。語るなかで考えをまとめ、その妥当性を確かなものにしていく。しかしながら歳をとると、そういうことがなくなっていく。私のように、今までそういう話をしていた研究者が亡くなり、そのためか研究意欲はがた減りとなってしまっている。それでもなんらかの発表の機会を保持した方が脳にもよいと思い、講座を引き受けてはいるのだが、その準備が進まない。
いま考えているのは、近代日本(1853~1945)と現代日本(1945~2023)に、なんらかの共通性があるのではないかということである。この二つの時代を貫いているのは、アメリカ合州国の存在である。ペリー来航により近代日本が始まり米軍に降伏することによって近代日本が崩壊した。現代日本は米軍に占領されることにより始まり、その後は安保体制下の対米従属国家となり、そして今アメリカの世界戦略下、中国を敵視することにより、現代日本を崩壊に導こうとしている。
近代日本が「大国」として勃興する契機となったのは日清戦争(1894~5)である。近代日本国家は、「眠れる獅子」とみなされていた中国に勝利し、世界を驚かせた。日本が中国(清)に勝利したことで、中国は「弱い」と認識した欧米諸国が清に殺到し、そこから多くの利権をせしめようとした。
そして今。中国は世界の中の経済大国として成長している。かつてはソ連がアメリカの対抗馬としての地位を保っていたが、今やその面影はなく、最後のあがきをおこなっている最中である。中国は世界の経済大国から軍事大国へと成長し、アメリカの覇権と競い合う地位にまで台頭した。
覇権を維持したいアメリカは、そうした中国の台頭を何とか抑えたいと思っている。だが、単独でそれを行うほどの力を持っていない。
そこで、アメリカは、隷属化する現代日本国家に、あの日清戦争のような戦争をやらせようとしているのではないか。日清戦争後の「北清事変」(1900年)では、日本軍は西欧列強の一員として、義和団を鎮圧する役割を負った。
その後日本がさらに中国大陸への侵出を図ったことは、周知のことである。近代日本にとっても、日清戦争や「北清事変」は、大陸雄飛への足がかりとして、日本の支配層のDNAに刻まれているだろう。
現代日本へのアメリカの期待と日本の支配層のなかのDNAが混じり合って、現在の岸田政権の軍事政策、外交政策となっているのではないか。
だが彼らが視野に入れていないのは、近代日本が中国侵出を強めるなかで近代日本が崩壊していったことである。それをみれば、岸田政権の政策は、現代日本崩壊への道であることがわかる。
マルクスの言葉に、「歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」がある。1945年はたしかに悲劇であった。二度目は、おそらく世界史に、歴史に学ばなかった日本の無惨として、無能な国家の事例として刻まれるだろう。