高円寺はごみごみしていて、雑多な人々が集まるところだ。学生時代、鷺ノ宮に住んでいて、時々阿佐ヶ谷経由で高円寺に行っていた。
高円寺のような街はどこにもあった。しかし都市の再開発が行われると、大きな道路ができ、その周りには高いビルが建って、飲食店もできる。でも、その飲食店は再開発以前と比べると、値段は高くなる。
どこの街も、道路が広くなり・・・再開発が行われている。
浜松市も同じだ。浜松駅前は再開発され、広い道路ができた。その周辺に高層のマンションができたが、でも人々が生活している様子はない。たくさんの人が住んでいるはずだが、ゴーストタウンのようだ。
周辺でも、道路が拡張され、車がスピードをあげて走るようになり、人々の姿は消えていく。子どもたちも、である。
これらの再開発は、要するに一部の人たちの金もうけの手段になっている。道路をつくる、そのためにカネが投入される。高層のマンションができる、そのためにカネが投入され、それを購入するためにカネがつかわれる。カネ、カネ、カネの世界が次々とつくられ、人々はマンションの一室での生活となり、人々の交流の場としての街は消えていく。
街並みが変わらないでいるというのは、精神安定の基礎である。しかし、街並みはどんどん変わる。何かに追い立てられているような人生となる。それは要するに、カネに追い立てられているということだ。
こんなのイヤだね。