日本の宗教史をひもとくと、近代の初発で大きく変わる。それぞれバラバラにあった神社は統合され、近代天皇制国家を支える、まさに国家神道としての地位を確立し、国民に強制された。それは植民地でも行われ、そこに住む住人たちにも神社参拝が強制された。
そして、敗戦となり近代天皇制国家は瓦解した。天皇制は残ったが、大日本帝国憲法や教育勅語などにより支えられた近代天皇制国家の宗教原理が国民に強制されることはなくなった。
しかし神社神道の担い手たちは、近代天皇制国家では優遇されていた(つまり利権にありついていたのだ)のに、日本国憲法などの戦後改革で利権を失ったことから、その利権を何とか回復しようとしてきた。近代天皇制国家で同じく利益を得ていた政治家らと結託して、近代天皇制国家の復活をたくらみ、その時代の価値観を墨守しようと生きてきたのだ。
だが彼らの価値観は、カネのためならそれを捨てることもある。明治神宮の外苑の再開発事業で神宮の木々、それも明治神宮建立時に全国から寄付された樹木であるにもかかわらず、それを平気で伐採しようとしている。
要するに、神社本庁に巣くう者たちの究極の目的は、利権の復活であり、またカネなのだ。明治神宮にはカネにまつわる醜聞がある。神社政治連盟の本部は神社本庁内にあり、それは明治神宮に隣接する。
醜い!実に醜い!
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