東京の感染者が2800人をこえた。しかしそれでもスカはオリンピックは中止しない、という。
もし日本国民の生命と健康を守るためには、〇〇な人間の政治権力を倒すしかない。それができないなら、日本は終わりだ。何度も書いているように、彼らは日本を畳もうとしているとしか思えない。
これが招致委員会が出した報告書の一部。
With many days of mild and sunny weather, this period provides an ideal climate for athletes to perform at their best.
だが実際に競技に参加した人、それを海外でみつめる人々は、それが真っ赤なウソであったことを知ってしまった。
日本人は嘘つきだ!!
「この時期の天候は晴れる日が多く、温暖。アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」(招致文書)のはずなのに、実際は酷暑、酷暑、酷暑。スポーツ活動はやめましょう、といわれるのに、オリンピック競技は行われている。
私は、招致活動をし、それを支持した人々は信用しない。ウソであると分かっていて、招致活動をしていたからだ。招致活動をしていたなかにアスリートもたくさんいた。まともなアスリートはいないということだ。
外国人選手は、苦しんでいる。これではメダルどころではない。ここには、苦しむ外国人選手の写真がある。その一つ。
2021年7月24日、東京・有明テニス公園でにおける東京2020オリンピック競技大会の初日、ボールボーイが保持する機械から冷風を受けるイタリアのファビオ・フォグニーニ選手。
NHKが狂気のようにオリンピック報道ばかりしているという。自民党・公明党政権の広報機関と化しているNHKに期待するのはやめ、テレビを捨てよう。
受信設備をもたないわが家のテレビは、家人が韓流ドラマをみるためのみにある。
テレビをみて怒るより、テレビをみないほうが精神衛生上よいのではないかと思う。
『東京新聞』を読み、ネット番組(デモクラシータイムズなど)をみている私は、自分が少数派であることを自覚しつつ、落ち着いた日々を送っている。
Japan's Olympic organizers lied about its weather, and now athletes are paying the price
JOCは天候についてウソをついた。今、選手達がその代価を支払っている。
月曜日の朝、男子トライアスロンのゴール地点は、まるで戦場のような光景になっていた。地面に散らばった体、熱を帯びた選手を助けに来たトレーナー、肩に腕をかけて助け出される選手もいた。
東京大会では暑さに負けないように開始時間を午前6時30分に変更した。スタート時の気温は85度(摂氏29度)、相対湿度は67.1%に達していた。
日本人は、灼熱の太陽、空が気温を上げ、pea-soup humidityの気候について謝罪する必要はない。母なる自然に対しては、誰も何とかすることはできない。
しかし、このような状況下で選手たちが衰弱し続けている以上、彼らは皆にこれだけは謝罪する必要がある。これだけは謝らなければならない。
「穏やかな晴天の日が多く、アスリートが最高のパフォーマンスを発揮するための理想的な気候となっています。」これは、2020年の夏季オリンピック開催に向けた日本の公式提案からの引用である。穏やかな?理想的?ここ東京の7月に?
ロシアのテニスプレーヤー、アナスタシア・パブリウチェンコワは、土曜日に競技を終えた後、アーチャー、ボランティア、関係者の誰もが気を失ってしまうような状況の中で、「全然楽しくなかった」と語った。
日中の気温は90度を超え、露点は70度台半ばで、暑さ指数が3桁になるのは確実だ。ここは熱帯だ。テニス、ビーチバレー、サイクリングなどの会場は開放的で露出度が高い。
セルビアのスター選手であるノバク・ジョコビッチは、「高温多湿の中でプレーするのは、とてもチャレンジングなことです」と語った。「東京に来る前からわかっていたことで、非常に厳しい条件になることは聞いていたし、予想もしていましたが、ここに来てそれを経験する前には、どれほど難しいことなのかわかりません」。
彼らは文字通り、世界で最も優れたアスリートたちである。彼らが「難しい」と言えば、それは「難しい」のだ。では、なぜ日本側はそうではないと主張したのか。そして、国際オリンピック委員会は、今後の状況についてコメントすることなく招致を認め、なぜ彼らの言葉をそのままにしたのか?
『太平洋戦争の肉声』Ⅱ(文春文庫)を読んでいる。そのなかの「月白の道」。筆者は丸山豊、軍医であった。
舞台は1944年半ばのビルマ北部ミートキーナである。圧倒的な兵力の米軍、中国軍と戦う第18師団第114聯隊に第33軍は、水上源蔵少将と一個小隊が救援に派遣されたが、焼け石に水であった。
開戦それ自体無謀であった。初期においては「勝利」の女神が微笑んでくれたが、半年後のミッドウェー海戦以降拙劣な作戦と科学技術の力よりも「大和魂」という架空の観念を信奉して戦いは続けられた。以後は敗退に次ぐ敗退となる。
7月司令官より電報が。「水上少将はミイトキーナを死守すべし」。水上少将は殺されるべく派遣されたようだ。部隊に対してではなく、そのリーダーのみに送られた電報。その後も「貴官を以後軍神と称せしむ」という電報が。司令官はよほど水上少将が邪魔だったようだ。
日本兵は、一日6発だけ銃弾を発した。そうでないと戦いは続けられない。そして一発撃てば、無数の砲弾が返されてくる戦場。
8月3日。水上少将は命令を発した。「ミートキーナ守備隊の残存しある将兵は南方へ転身を命ず」。その命令書を前に、少将は自決した。自らを始末することにより、残存する兵を救おうとしたのだ。
無謀な戦いのなかで、こういう良心的な指揮官がいた。しかしそれは極めて少なかった。国家中枢の指揮官には、まったくいなかった。
今の日本も同じだ。滅亡へと向かう船に乗せられている私たち。船の乗客はサーカスをみて喜んでいる。しかし船のなかでは、ウィルスが次々と人々に襲いかかる。国家中枢の指揮官は、それを見つめることもなく、サーカスを見せていれば批判はなくなるだろうと、滅亡の方向に帆を揚げている。
水上少将のような人もその船にはいるはずだ。国家中枢の無能無策の指揮官は追い出されなければならない。出よ、少将のような人々よ、自決ではなく、手を結び、そして倒せ。
浜松演劇鑑賞会の例会、こんにゃく座「オペラアルレッキーノ」をみた。
演劇をみる度に、コロナ禍、演劇に関係している人々は、苦しい日々を送っているだろう、と思う。だから、今日も舞台の人々は必死に演じていたし、また楽しんでいたように思う。演劇人は、舞台に立つというそのことに喜びをもっているはずだから。
さて感心したことは、まず舞台装置。旅回りの公演だから、できるだけ舞台装置は簡素な方がよい。その点でなかなか工夫していた。カーテンを円形にしてそれを効果的につかっていた。
内容は軽妙で面白かった。とはいっても、大声で笑うことはなかった。イタリア原産の内容だから、軽妙で面白い、というしかない。深刻に考えるというものではなく、気軽にみていればよい、というもの。ただし、小間使いのズメラルディーナの台詞に、男たちが法律や制度をつくっているから男たちにとって有利な社会になっている、というような内容のものがあった。原作は18世紀前半のイタリア人だ。もし原作にそういう内容のものがあったら、先駆的!といえるのではないか。
ミュージカルは必ず楽しくハッピーエンドになる。オペラと言っても、ミュージカルみたいなものだった。したがって最後はもちろんハッピーエンド。三組のカップルができた。「結婚」ということを理想としていた時代の話のように思えた。今は非婚の時代、「結婚」は当たり前で良いことだという価値観はなくなっている。
たまにはこういう劇も良い。