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窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

BAR OSCAR

2009年01月02日 | BAR&WHISKY etc.


  ベリー、パルムドールを訪れた翌日の12月29日はバー・オスカーへ。オーナーバーテンダーの長友修一さんは数々のカクテル大会で受賞されている知る人ぞ知る有名人。この日は年末29日という日もあってか超満員でした。

  僕の好きなバーボンの一つであるブラントンをロックで飲んだ後、バーテンダーの遠藤真彦さんオリジナルのカクテル、「ミラノルネッサンス」(写真)をいただきました。その後もカクテルを頼んだのですが、たまたまカウンターで隣に居合わせた方と話が弾み、ほとんど記憶にありません。今度はもっと空いているときにゆっくりと長友さんのミクソロジーのお話でも伺いたいと思います。



  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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BAR PALMEDOR

2009年01月02日 | BAR&WHISKY etc.


 VELLYを出てすぐ近くのバー、パルムドールに直行。11年前も何度か訪れたことのあるバーですが、当時は自分でバーに行く習慣もなくウィスキーを飲むとすぐ寝てしまうほどだったので、パルムドールも友人についていって寝た記憶しかありません。ここに来るとウィスキーもカクテルも良く分からない、バーに入ったものの何をどうしたら分からなかった当時を思い出します。ウィスキーのラベルも何だか分からなければ意味不明な言語の羅列。バーに敷居の高さを感じるという方のお気持ちは良く分かります。

  店内は重厚な一枚板のカウンターが大人な雰囲気を演出しています。後述しますが、僕が福岡で最もよく訪れるバー・オスカーの姉妹店でもあります(パルムドールという名前からもお分かりかと思います)。

  ただこの日は既に体調が限界、梅酒をベースにした上の写真の「梅錦」というカクテルだけで失礼しました。また改めてゆっくり来たいと思います。



  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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名護屋城

2009年01月02日 | 史跡めぐり


  今回呼子に行ったもう一つの目的は、名護屋城址を訪れることでした。名護屋城は豊臣秀吉が文禄・慶長の役(1592~1598)の拠点として加藤清正らに設計させた平山城で、関が原の合戦後廃城となり現在では石垣しか残っていませんが、当時は5層7重の大天守をはじめ大坂城に次ぐ壮大な規模を誇っていました。実際、城跡を訪れてみると予想をはるかに超えた規模であったことが分かります。全国の諸大名を動員して作った(割普請)とはいえ、わずか3ヶ月でこれだけの規模の城郭を築き上げたとは墨俣と小田原で二度の一夜城伝説をもつ秀吉の面目躍如といったところです。



  標高89mにある天守台。天守台の大きさは思ったよりも小さく、一昨年訪れた安土城天主台よりもかなり小さいと思います。



  しかしながら石垣の高さは上の写真の様にかなりの高さがあり、この上に5層7重の大天守があったとすると相当細長い、ノッポな天守であったであろうと想像できます。



  上の写真は狩野光信による『名護屋城図屏風』を参考に復元した名護屋城の模型ですが、やはり天守を見ると細長く作られています。



  天守台からの眺めは壮観そのもので、真下に遊撃丸と二の丸、その先に島津義弘や上杉景勝ら諸大名の陣屋が置かれた波戸岬を望み、さらにその視線の延長線上に写真では見えませんが対馬を望むことができます。仮に名護屋城天守閣の規模が安土城と同じくらいで地上45m、石垣が24m程度であったとすると、120m近い高さから当時眺めることができたはずです。ひょっとすると朝鮮半島を望むこともできたかもしれません。したがってここに大規模な城郭と天守を築くことは大陸を威嚇する意図も恐らくあったであろうと思われます。

  そもそも秀吉が博多ではなくここ名護屋を拠点にした理由はここの地形が天然の良好であり大型の船団を係留するのに好都合であったであろうということ、西にスペインやポルトガルの来航する長崎に近く、東は商業地博多に近い交通の要衝であること、朝鮮半島に最も近いことなど天守台に上って景色を眺めているだけで様々な戦略的意味を想像することができます。勿論これは個人的な推測に過ぎませんが。城跡を巡ることの面白さの一つは、地形からその城の置かれた意味に思いをめぐらすことにあります。



  遊撃丸。1593年、講和交渉のため来日した明の沈維敬が滞在するための居館が置かれ、彼が遊撃将軍と呼ばれていたことから遊撃丸と呼ばれるようになったと言われています。因みに沈維敬はこの時の欺瞞外交がばれ、秀吉による再度の侵攻(慶長の役)を招いた罪に問われ、4年後北京で処刑されています。



  二の丸。武器や兵糧などを蓄えた建物や番所があったと言われています。



  太閤井戸と呼ばれる、秀吉が茶の湯にも使ったと言われる井戸で現在も水が湧き出ています。しかし、この井戸は鯱鉾池と呼ばれる海岸線からそう離れていない堀の際にあり、名護屋城は規模こそ壮大であるものの、水の確保に城としては決定的な欠点を抱えていたことが分かります。『名護屋城図屏風』を見ても太閤井戸は城と城下町の境に描かれています。

  実際、三の丸にも井戸の跡は発見されていますが十分なものではなかったようで、名護屋城には「水手曲郭」というわざわざ雨水を貯めるための曲郭が設けられていました。当時は城の周囲3kmに諸大名の陣屋が120ほども築かれていたので、それらがある程度防衛線の役割を果たしたでしょうが、城自体は篭城戦に不向きであったと思われます。



  この他、場外の法光寺には秀吉自らが植えたと伝えられる桜や、



秀吉に御伽衆として仕え、落語家の始祖とも言われる曽呂利新左衛門が設計したと伝えられる庭が残っています。しかし残念ながらこの辺まで日没となり、名護屋城見物は終了となりました。 

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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BAR VELLY

2009年01月02日 | BAR&WHISKY etc.
 僕はかつて福岡の大名に住んでいたことがあるので、福岡訪問の際は必ず顔を出したいバーが何件かあります。今回の福岡旅行では3件のバーを行脚したのですが、まず最初の1件目はBAR VELLYです。オーナーバーテンダーの諸岡銀兵さん、僕より6歳くらい年上のはずですが、見た目も雰囲気も実にお若い。店内が暗いのでバーをあまり訪れた事のない方は一瞬躊躇されてしまうかもしれませんが、いざ入ってみれば本当に気楽に楽しめますので是非お勧めしたいです。



  さて今回はまずラッケという珍しいドイツのブレンディッド・ウィスキー。本当にモルトで作ったのかと思うほど甘い香り、他のいわゆる五大ウィスキーのどれとも似ておらずブランデーの方がむしろ近いと思いました。これだけの個性がありながら普及していないのが残念です。



  次にブレアソール12年(BLAIR ATHOL)。43度なのに少々アルコールがきつく感じたのは久しぶりにウィスキーを飲んだからか?しばらく置いて空気を含ませるとシェリー樽由来の甘いレーズンのような香りが強くでて当初の荒々しさが落ち着いてきます。喉ごしはややオイリーでスムース。

  12月14日から続いた出張疲れもあってか体調が万全でなく、今回はこの2杯で終わりにしました。短い滞在期間で挨拶したいバーを廻る必要があったために早めに切り上げた、という方が本当かもしれませんが。

BAR VELLY

福岡市中央区大名1-15-26
大名マンション1F
TEL:092-724-7988


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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呼子のイカ

2009年01月02日 | 食べ歩きデータベース


  12月28日、佐賀県は呼子に行ってきました。かつては捕鯨で栄えた呼子ですが、現在では言わずと知れたイカが名物の港町です。



  関東から九州を訪れた人に聞くと、イカが強烈な印象として残っている方が多いようです。というのも、東京や横浜の人間が知っているイカというのは白く濁った色をしていて、口の中でぐちゃぐちゃになるのが普通ですが、九州で見るイカは透きとおっていて、歯でコリコリと噛み切れる、そのあまりの食感の違いに「これが同じイカか?」と驚かれるからのようです。



  早速適当な店に入ってイカをお造りにしてもらいました。「お造り」というくらいですからまだ動いていますし、つつけばイカらしく色も変わります。しかし改めて上の生簀の写真と並べてみると、何だかイカが気の毒というか申し訳ない気がしてきますね。



  こちら佐賀や福岡の外食で一般的であって関東で馴染みのない習慣をあげるとすれば、一つはラーメンの替え玉、もう一つは定食でご飯と味噌汁がお替わり自由であること、そして「お造り」のあとに「後造り」があることでしょう。お造りはイカに限らず海老でも平目でも天麩羅、味噌汁、塩焼きなどの後造りにしてもらえます。今回はビールのつまみに合う天麩羅にしてもらいました。この「後造り」を知らずにわざわざ別メニューでイカの天麩羅を頼んでしまっては損です。ついでに言うと、ラーメンもわざわざ大盛りを頼むよりは替え玉を頼んだ方が大抵の場合お得のようです。



  この他イカづくしと言う事で、呼子名物のイカシュウマイ。



  イカ餃子。



  イカのひれ酒、などを注文しました。



  中でもこのお店で秀逸だったのはイカの白子で作った「イカ蒲鉾」です。サクサクの天麩羅の中にんぺんよりもふわふわの白子がたっぷり。



  これをポン酢と紅葉おろしでいただきます。

  今回お邪魔したのは「いか本家」というお店ですが、福岡にいた頃時々お世話になっていた「河太郎」や「萬坊」なども有名です。



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