窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

「正念場」の再生資源回収業

2009年01月21日 | リサイクル(しごと)の話
  2009年1月16日付の業界紙「資源新報」に『「正念場」の再生資源回収業』と題してリサイクル経済研究所代表、千里金蘭大学名誉教授、吉村哲彦先生が特別寄稿文を寄せておられました。資源物により若干の事情は異なりますが、例えば鉄スクラップが昨年7月に最高値をつけた後、わずか2ヵ月後の11月には価格が10分の1に急落したように、現在再生資源業界は概ね、吉村先生の言葉を借りれば「正念場」を迎えています。

  扱う資源物の種類は何であれ、この業界に共通しているのは「市中の発生品」をリサイクルしているという点です。したがって発生数量・品質共に不確定であること、経済主体のほとんどは動脈産業(通常私たちが目にする流通過程を動脈、これとは反対に廃棄されたものを再生資源として活用する産業を静脈と呼んでいます)であり、静脈産業のみで確立した市場というものは現状ほとんどないため、不確定な供給に対して需要は動脈産業の景気動向に依存していることなどが特徴として挙げられます。その結果、再生資源業界には常に、①価格の乱高下、②輸出の不安定、③不透明な業界構造(注:旧い業界慣行や複雑な流通構造を指しているものと思われます)というリスクが付きまとい、これを吉村先生は再生資源回収業の「三重苦」と呼んでおられます。

 「三重苦」という言葉はご存知の通り2歳のときに熱病にかかり視力、聴力、そして会話力の三重の障害を負ったヘレン・ケラーに由来しています。しかしながらヘレン・ケラーは大変なハンディを負いながらも努力を重ね、ついには「三重苦」を克服し国際的な教育家・福祉事業家となりました。記事の中で吉村先生は正念場にある再生資源回収業にとり示唆に富むケラーの言葉として、つぎの2つを引用しています。

・「私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです」

・「この世で一番哀れな人は、目は見えていても未来への夢が見えていない人です」

  要するに「三重苦」は宿命としてあるものであり、これに呆然し絶望することに意味はない。むしろ目の前の困難に果敢に挑むことによってケラーの言うように自分を見出し、生涯の仕事(使命)を見出し、そして神を見つけること(ここまでいったら大袈裟かもしれませんが)ができるかどうかという局面と捉えるべきだということだと思います。現状分析も大事ですが、将来へのビジョンを持ち、そこに到達するまでのギャップを埋めるために何をすべきかを考える。表題にある「正念場」の「正念」とは仏教における涅槃に達するための基本となる修行のひとつで、「雑念を払い、深く真理を思念すること」を意味するのだそうですが、まさに「正念場」にあるからこそあえて「雑念を払い、深く真理を思念」する、むしろ好機と捉えたいと思います。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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