窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

「不足の美」とリサイクル

2009年01月12日 | リサイクル軍手の世界
  上の写真は古着をリサイクルして軍手にしたものです。写真中央の塊は古着を綿に返したもの(反毛といいます)、その上が反毛から縒った糸、そして手前がその糸で編んだ軍手です。ご存知の通り軍手は白が主流ですが、写真の軍手には色が付いています。この色は染色したのではなく原料であった古着そのものの色です。

  お気づきかと思いますが右側の軍手と左側の軍手とでは色が違いますね。何故かと言いますと、多種多様な色彩をもつ古着が原料となっているため、その時々のロットで色合いが変わってくるためです。次にどんな色の軍手ができてくるか、それも偶然の色の調合によるので分かりません。

  当社はリサイクル軍手の製造メーカーでもあり、製造している軍手すべてがこういう色をしているわけではないのですがが、この軍手を見ていてふと思いました。そういうリサイクルだからこそ色合いが変化するというのも一つの美、趣なのではないかなと。

  規格化された工業製品に取り囲まれた現代社会に慣れ親しんだ私たちとって、同じ製品なのに都度色合いが変わるというのは少々受け入れ難いことであるかもしれません。極端なことを言えば、商品パッケージの写真と中身の色がちょっとでも違っていればクレームになりかねない世の中です。しかし対称、完璧、華美という西洋文化の美意識とは対照的に、日本人は古くから非対称、不完全、簡素の中に美しさを見出すという美意識を持っており、それによる独特の文化を作り上げてきました。またそうした美意識は現代の私たちにも(部分的ではあるかもしれませんが)根強く受け継がれていると思います。

  侘び茶の祖といわれる村田珠光は「不足の美」を唱えました。それはすなわち、対象物が不完全であるからこそ不完全さを見る者の想像力によって補う、その想像力は無限大であり見る者の情感を一層かき立てる、そういう美意識ではないかと思うのですが、似たような感覚は古くは『枕草子』に見られるように、「当意即妙」を貴んだ平安時代の貴族にもあったと思われますし、現代で言えば以前書いた「経験価値」や「物語マーケティング」が成り立ちうるのも見る主体に想像の余地を敢えて残すことで昇華される情感を「美」と感じるからこそであろうと思われます(したがって「不足の美」は日本人だけが持っている感覚では必ずしもありません)。

  この軍手は機能は同じでありながらその都度色合いが微妙に異なり、しかも色は様々な色が交じり合ってできた、何色ともつかない「いろ」です。さらにそれらの大元は様々な人たちの生活シーンを支えてきた衣料であり、リサイクルであるからこその想像は尽きることがありません。それらを包括的に捉え、「面白い」、「味がある」、「かわいい」、「おしゃれ」、「趣がある」、表現方法は何でも良いと思いますが、「不足の美」を感じるのもリサイクルの楽しみ方の一つではないでしょうか。    

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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