都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「レオノール・フィニ展」 Bunkamuraザ・ミュージアム 7/17
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷区道玄坂)
「レオノール・フィニ展」
6/18~7/31(会期終了)
しばらく前のことになりますが、「Bunkamura ザ・ミュージアム」で開催されていた「レオノール・フィニ展」を見てきました。フィニは1907年にブエノスアイレスで生まれ、その後トリエステやパリと移り、シュルレアリスム運動の影響下で、絵画や舞台など、多彩なジャンルへの才能を示した芸術家です。今回の本格的な回顧展は、東京では約20年ぶりの開催とのことでした。
展示には、彼女が手がけた舞台の衣装や、芝居で使用された仮面なども並んでいましたが、メインは制作の拠点となった一連の絵画作品でした。一応、これらの作品は「シュルレアリスム絵画」とされるのかと思いますが、制作の年代によってかなり作風の変化があり、簡単に一言で片付けてしまうのは少々問題がありそうです。初期の「トリエステ時代」(1925~30年代)の油彩画は、習作的な域を出ないような印象も受けましたが、その後のいわゆる「シュルレアリスム期」(1930~50年代)では、キリコの構図を思わせるような「移り行く日々」(1938年)や、ポスターにも掲載されている、半身が人間で半身がスフィンクスの「守護者スフィンクス」(1946年)など、いくつか見応えのあるものがありました。
展覧会のハイライトは、彼女の創作の中でもとりわけ個性的な「鉱物の時代」(1950~60年代)と言われる時期の作品群です。ここでは「シュルレアリスム期」に見せたような明晰な線や形が姿を消して、何やらザラザラとした感触のカンヴァス中に、人間なのかそれとも骸骨なのか分からないような奇妙な形の生き物(もちろん生死も判別出来ません。)が、深い森の中や海の奥底、或はどこか彼岸や空想の中を思わせるような場所で、静かに横たわって眠っていたり、時には踊るように跳ねたりしています。しばらく見入っていると、何やら不安感に襲われますが、それとは全く逆に、不思議と安寧とも言えるような落ち着き感をイメージさせることもあります。見る側の様々な心象風景を跳ね返す作品かもしれません。
その後は、再び「シュルレアリスム期」へ舞い戻ったかのような「エロティズム」(1960~70年代)と、晩年の「円熟期」(1980年代以降)へ進みますが、どれも総じて「鉱物の時代」ほどのインパクトは感じませんでした。むしろそれよりも、初期の「自画像」で見せたような、まるで遠くまで見通すかのように大きく見開かれた瞳と、クッキリとした輪郭で伸びる鼻筋が強い意志を感じさせる、彼女の顔立ちの方が心に残ります。また、その彼女の表情は、後の作品へ映しだされているのではないかとも思いました。自分の内面の様々な姿を、作品へ反映させながら変化させ、またそれが彼女へ舞い戻って、別の局面へ向かわせる原動力となる。作品を見ながら会場を歩くと、フィニの視線をたくさん浴びているような気持ちにさせられます。不思議な気分です。
Bunkamura ザ・ミュージアムでは、「ベルギー象徴派」と「フィニ展」に引き続いて、8月9日からギュスターブ・モローの展覧会が開催されています。大変に意欲的なラインナップです。こちらも是非拝見したいと思います。
「レオノール・フィニ展」
6/18~7/31(会期終了)
しばらく前のことになりますが、「Bunkamura ザ・ミュージアム」で開催されていた「レオノール・フィニ展」を見てきました。フィニは1907年にブエノスアイレスで生まれ、その後トリエステやパリと移り、シュルレアリスム運動の影響下で、絵画や舞台など、多彩なジャンルへの才能を示した芸術家です。今回の本格的な回顧展は、東京では約20年ぶりの開催とのことでした。
展示には、彼女が手がけた舞台の衣装や、芝居で使用された仮面なども並んでいましたが、メインは制作の拠点となった一連の絵画作品でした。一応、これらの作品は「シュルレアリスム絵画」とされるのかと思いますが、制作の年代によってかなり作風の変化があり、簡単に一言で片付けてしまうのは少々問題がありそうです。初期の「トリエステ時代」(1925~30年代)の油彩画は、習作的な域を出ないような印象も受けましたが、その後のいわゆる「シュルレアリスム期」(1930~50年代)では、キリコの構図を思わせるような「移り行く日々」(1938年)や、ポスターにも掲載されている、半身が人間で半身がスフィンクスの「守護者スフィンクス」(1946年)など、いくつか見応えのあるものがありました。
展覧会のハイライトは、彼女の創作の中でもとりわけ個性的な「鉱物の時代」(1950~60年代)と言われる時期の作品群です。ここでは「シュルレアリスム期」に見せたような明晰な線や形が姿を消して、何やらザラザラとした感触のカンヴァス中に、人間なのかそれとも骸骨なのか分からないような奇妙な形の生き物(もちろん生死も判別出来ません。)が、深い森の中や海の奥底、或はどこか彼岸や空想の中を思わせるような場所で、静かに横たわって眠っていたり、時には踊るように跳ねたりしています。しばらく見入っていると、何やら不安感に襲われますが、それとは全く逆に、不思議と安寧とも言えるような落ち着き感をイメージさせることもあります。見る側の様々な心象風景を跳ね返す作品かもしれません。
その後は、再び「シュルレアリスム期」へ舞い戻ったかのような「エロティズム」(1960~70年代)と、晩年の「円熟期」(1980年代以降)へ進みますが、どれも総じて「鉱物の時代」ほどのインパクトは感じませんでした。むしろそれよりも、初期の「自画像」で見せたような、まるで遠くまで見通すかのように大きく見開かれた瞳と、クッキリとした輪郭で伸びる鼻筋が強い意志を感じさせる、彼女の顔立ちの方が心に残ります。また、その彼女の表情は、後の作品へ映しだされているのではないかとも思いました。自分の内面の様々な姿を、作品へ反映させながら変化させ、またそれが彼女へ舞い戻って、別の局面へ向かわせる原動力となる。作品を見ながら会場を歩くと、フィニの視線をたくさん浴びているような気持ちにさせられます。不思議な気分です。
Bunkamura ザ・ミュージアムでは、「ベルギー象徴派」と「フィニ展」に引き続いて、8月9日からギュスターブ・モローの展覧会が開催されています。大変に意欲的なラインナップです。こちらも是非拝見したいと思います。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )