都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
N響定期 「シューベルト:交響曲第8番(ザ・グレート)」他 ジンマン
NHK交響楽団 第1637回定期公演 Aプログラム1日目
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」
ヴァイオリン リサ・バティアシュヴィリ
管弦楽 NHK交響楽団
指揮 デーヴィッド・ジンマン
2009/1/10 18:00 NHKホール
目当てのジンマンよりも、失礼ながらも存じ上げなかったバティアシュヴィリの方により感銘しました。トーンハレ管とのコンビでも名高いジンマンがN響に初共演します。Aプロ初日へ行ってきました。
ステレオタイプにもショスタコーヴィチと言うと、とかく暗鬱に構えるか、逆に諧謔性を強調する演奏を思い浮かべてしまいますが、ジンマンとバティアシュヴィリには、そのような言わば情緒的でかつ斜めに構えた部分は殆どありません。音楽の不純物を排するかの如く、オーケストラより軽やかでまた繊細な響きを引き出したジンマンは、安定した技巧にも裏打ちされた、即物的なバティアシュヴィリのソロをサポートすることに見事なほど成功しています。そしてもちろんバティアシュヴィリの最大の聴かせどころは、第三楽章「パッサカリア」のカデンツァではなかったでしょうか。彼女の独奏は中音域において豊かな音量があるのはもちろん、低音部のピアニッシモにも鋼のような太い芯が通っています。また最終楽章の「バーレスク」も聴き逃せません。文字通り同楽章は「道化的」(解説冊子より引用)な要素の強い部分ではありますが、バティアシュヴィリはどちらかと言うと曲の主観には立ち入らずに、それ自体の持つ運動の流れにのって駆け抜けるような疾走感に長けた演奏を披露していました。当然ながらショスタコーヴィチならではの『語り』は望めませんが、ジンマンとともに、変奏に主題の交錯するこの曲の構造を透かしとっています。訛りのない、半ば洗練されたショスタコーヴィチでした。
近年の研究によれば「第8番」が定着しつつあるという一方のシューベルトは、ジンマンならもっと突っ込めた面があったとは感じてしまうものの、あえてスケール感を放棄した、室内楽的な小気味良い演奏が繰り広げられていたのではないでしょうか。「グレート」が作曲家に独特な歌謡性を連ねたものでもなく、また小型のブルックナーのように仰々しいものでもなく、モーツァルトの交響曲の延長上として聴こえて来ただけでも収穫があります。基本的には正攻法でしたが、余分な贅肉を削ぎ落としたスタイリッシュな音楽が展開されていました。当然ながらクライマックスの高揚感も比較的控えめです。大時代的な演奏に有りがちの勿体ぶった様相は皆無でした。
SCHUBERT, Symphony 9, 4th movement
*こちらはブリュッヘンのベト7のような躍動感に満ちた「ザ・グレート」。暗部を抉られた曲が、ステージ上にて踊り狂います。
この日のN響はすこぶる好調です。指揮者が袖に下がる前に団員が立ち上るのは感心出来ませんが、(N響以外でまず見たことがありません。)ジンマンの手法に敬意を払いながら、なおかつ持てる力を全て出し切っていました。まずは初回とのことで若干の手探り感は否めませんでしたが、是非とも再度の共演を願いたいものです。
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」
ヴァイオリン リサ・バティアシュヴィリ
管弦楽 NHK交響楽団
指揮 デーヴィッド・ジンマン
2009/1/10 18:00 NHKホール
目当てのジンマンよりも、失礼ながらも存じ上げなかったバティアシュヴィリの方により感銘しました。トーンハレ管とのコンビでも名高いジンマンがN響に初共演します。Aプロ初日へ行ってきました。
ステレオタイプにもショスタコーヴィチと言うと、とかく暗鬱に構えるか、逆に諧謔性を強調する演奏を思い浮かべてしまいますが、ジンマンとバティアシュヴィリには、そのような言わば情緒的でかつ斜めに構えた部分は殆どありません。音楽の不純物を排するかの如く、オーケストラより軽やかでまた繊細な響きを引き出したジンマンは、安定した技巧にも裏打ちされた、即物的なバティアシュヴィリのソロをサポートすることに見事なほど成功しています。そしてもちろんバティアシュヴィリの最大の聴かせどころは、第三楽章「パッサカリア」のカデンツァではなかったでしょうか。彼女の独奏は中音域において豊かな音量があるのはもちろん、低音部のピアニッシモにも鋼のような太い芯が通っています。また最終楽章の「バーレスク」も聴き逃せません。文字通り同楽章は「道化的」(解説冊子より引用)な要素の強い部分ではありますが、バティアシュヴィリはどちらかと言うと曲の主観には立ち入らずに、それ自体の持つ運動の流れにのって駆け抜けるような疾走感に長けた演奏を披露していました。当然ながらショスタコーヴィチならではの『語り』は望めませんが、ジンマンとともに、変奏に主題の交錯するこの曲の構造を透かしとっています。訛りのない、半ば洗練されたショスタコーヴィチでした。
近年の研究によれば「第8番」が定着しつつあるという一方のシューベルトは、ジンマンならもっと突っ込めた面があったとは感じてしまうものの、あえてスケール感を放棄した、室内楽的な小気味良い演奏が繰り広げられていたのではないでしょうか。「グレート」が作曲家に独特な歌謡性を連ねたものでもなく、また小型のブルックナーのように仰々しいものでもなく、モーツァルトの交響曲の延長上として聴こえて来ただけでも収穫があります。基本的には正攻法でしたが、余分な贅肉を削ぎ落としたスタイリッシュな音楽が展開されていました。当然ながらクライマックスの高揚感も比較的控えめです。大時代的な演奏に有りがちの勿体ぶった様相は皆無でした。
SCHUBERT, Symphony 9, 4th movement
*こちらはブリュッヘンのベト7のような躍動感に満ちた「ザ・グレート」。暗部を抉られた曲が、ステージ上にて踊り狂います。
この日のN響はすこぶる好調です。指揮者が袖に下がる前に団員が立ち上るのは感心出来ませんが、(N響以外でまず見たことがありません。)ジンマンの手法に敬意を払いながら、なおかつ持てる力を全て出し切っていました。まずは初回とのことで若干の手探り感は否めませんでしたが、是非とも再度の共演を願いたいものです。
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