都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「没後50年 小杉放菴」 出光美術館
出光美術館
「没後50年 小杉放菴ー東洋への愛」
2/21-3/29

出光美術館で開催中の「没後50年 小杉放菴 東洋への愛」を見てきました。
同美術館での放菴展というと、2009年に行われた「小杉放菴と大観」展以来のことかもしれません。
初めは洋画家を志し、文展の最高賞を受賞。しかしヨーロッパ留学で大雅画に出会ったことから、いわゆる「東洋回帰」として後に日本画家として活動した小杉放菴。
没後50年を期しての回顧展です。作品はほぼ放菴のみ80点。出光美術館のコレクションを中心に、東京国立近代美術館、また小杉放菴記念日光美術館などからも作品がやって来ています。
日光生まれの放菴、最初期、10代の頃は同地の洋画家、五百城文哉に弟子入りしたそうです。
18歳で上京。その画才を買われてか、日露戦争では国木田独歩とともに従軍記者として戦地へ出向き、数多くのスケッチを残します。
展示の出発点も日光です。放菴と五百城の描いた「日光東照宮」。雪の積もった東照宮の威容、静まりかえっています。俯瞰した構図が目を引きました。
時代は下りますが、昭和5年、放菴50歳の頃の自画像も面白いのではないでしょうか。酒好きで奔放な性格だったともされる放菴、ともかく厳つい面持ちです。決して取っつきやすいとは言えません。眉間に皺を寄せては、鋭い視線を向けています。何やら見る者を威嚇せんとばかりに構えていました。
二年連続で文展の最高賞を受賞したのは30歳の頃です。一つは出品作の「水郷」です。おそらくは彼の愛した茨城の景色でしょう。一人の漁撈が仕事を終えて漁具を片付ける姿を描いたのかもしれません。ほぼ直立で作業をしています。日焼けした肌に深い皺。年季が入っています。
放菴はこの後、洋画家としての将来を嘱望され、ヨーロッパへと留学。憧れていたシャヴァンヌの影響を受けた作品を描きますが、本作においても、例えば西洋美術館にある「貧しき漁夫」を思わせなくもありません。放菴にとってシャヴァンヌがどれ程の存在だったのか。その影響関係の一端を伺い知れる作品と言えそうです。
なお留学先での「スペイングラナダ娘」はマティスの影響も指摘されています。さらに真横から馬が水を飲む様子を描いた「飲馬」も、確かにシャヴァンヌ的と言えなくもありません。
シャヴァンヌ同様、放菴が洋画家として頂点を極めたのも壁画の仕事でした。
東大の安田講堂を飾る大壁画です。うち壁画のための習作、「源泉」などが展示されています。ちなみに源泉とは入学を意味するとか。興味深いのは画肌、表面の質感表現です。まさに壁画を志向するかのごとく、フレスコ画のような色調が生み出されています。
放菴が日本画に転向したのは、パリで偶然に池大雅の画帖を見たことが切っ掛けだそうです。
帰国後は大雅を研究しつつ、中国にも旅行。宋元画を学び、文人画の世界へと入ります。当初は「文人の精神性がない。」という批判も受けたそうです。
2点の「瀟湘八景図」、これがともに大雅と放菴の作品が並んで展示されていました。うち「瀟湘夜雨」では雨に濡れる柳の木を描きます。夜の闇に柳が溶け、湿潤な大気が染み渡る。何とも情緒的な世界が広がっています。
「竹裏館」と「竹裡館」も同一モチーフです。ここでも主題は竹、放菴の方がやや緻密とも言えるでしょうか。2点を比較することにより、両者の絵の個性なども浮かび上がってきます。
さらに放菴は青木木米や浦上玉堂も参照していたそうです。江戸の絵師と放菴の関係。彼の東洋回帰を考える上で重要なポイントと言えそうです。
放菴はこの頃、大正末期に復元に成功した、平安時代の麻紙に虜となります。
「帰院」はどうでしょうか。古くからの山水表現を示す丸い点で描いた一枚、3人の人物が白い壁を背にして歩きます。構図はシンプルです。しかしながら質感のニュアンスにも富んでいる。物静かながらも、美しい作品です。
「黄初平」には驚きました。羊に鞭を振るう男。中国の仙人の話だそうです。手を大きく振り上げては力強い。指を指す姿はキリスト教絵画の影響も指摘されてます。背景の上部はまるで金箔を貼ったようですが、実際は油絵具で表現しています。それにしても人物のポーズ、まるでホドラーの描いた作品のようでもありました。
チラシ表紙を飾る「天のうづめの命」は出光興産のタンカーの船長室に飾られていたそうです。軽やかなステップ、モデルはブギの女王とも称された女優の笠置シヅ子です。色彩の感触はフレスコのようで、やはり独特です。朱色の衣と金色の陽。色に明るく、主題も華やかである。船に乗り込む多くの人たちの目を引いたに違いありません。

小杉放菴「金太郎遊行」 昭和17年 泉屋博古館
なお出光美術館の初代館長である出光佐三と放菴との関係を示す展示もありました。それによれば佐三は放菴の描いた画帖を見て、あの仙がいと共通する魅力があると感じたそうです。以来の出光の放菴コレクション、日本有数です。現在までに300点余を数えるに至りました。
「さんたくろうす」も面白い作品ではないでしょうか。言うまでもなくサンタクロースを描いた一枚ですが、雪山をえらく難儀に歩く老人の姿は、もはや山にこもる仙人のようでもあります。橇もありません。山の下には煙突のある家が建ち並んでいました。おそらくはこれから山を降り、プレゼント入れに行くことでしょう。
ラストの花鳥画、これが何とも趣深い味わいではないでしょうか。
「春昼」は猫が昼寝をしている姿です。毛の質感が思いの外に写実的、筆致は緻密です。しかしながら画面はのんびりした雰囲気が漂っています。
「春禽・秋渓」は双幅の軸画です。春は桜でしょうか。枝には番いの小鳥、江戸琳派を思わせるように瀟洒です。可愛らしい姿を見せています。

小杉放菴「梅花小禽」 昭和時代 出光美術館
「梅花小禽」も独特な構図感が際立つ作品です。大きく屈曲する老いた梅の木。花は可憐であまり目立ちません。麻紙の質感もまた趣深いもの。なお屏風の「梅花小禽」も同じ主題の作品ですが、ここでは石の手水鉢を描くため、乾いた筆を麻紙に擦り付けてゴツゴツとした感触を引き出しているとか。放菴の筆の技が冴えます。
私自身、このスケールで放菴を見たのは初めてです。彼の画業を知るまたとない機会となりました。
館内には余裕がありました。間もなく会期末を迎えますが、ゆっくり観覧出来ると思います。
3月29日まで開催されています。
「没後50年 小杉放菴ー東洋への愛」 出光美術館
会期:2月21日(土)~3月29日(日)
休館:月曜日。但し月曜日が祝日および振替休日の場合は開館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜日は19時まで開館。入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1000(800)円、高・大生700(500)円、中学生以下無料(但し保護者の同伴が必要。)
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
交通:東京メトロ有楽町線有楽町駅、都営三田線日比谷駅B3出口より徒歩3分。東京メトロ日比谷線・千代田線日比谷駅から地下連絡通路を経由しB3出口より徒歩3分。JR線有楽町駅国際フォーラム口より徒歩5分。
「没後50年 小杉放菴ー東洋への愛」
2/21-3/29

出光美術館で開催中の「没後50年 小杉放菴 東洋への愛」を見てきました。
同美術館での放菴展というと、2009年に行われた「小杉放菴と大観」展以来のことかもしれません。
初めは洋画家を志し、文展の最高賞を受賞。しかしヨーロッパ留学で大雅画に出会ったことから、いわゆる「東洋回帰」として後に日本画家として活動した小杉放菴。
没後50年を期しての回顧展です。作品はほぼ放菴のみ80点。出光美術館のコレクションを中心に、東京国立近代美術館、また小杉放菴記念日光美術館などからも作品がやって来ています。
日光生まれの放菴、最初期、10代の頃は同地の洋画家、五百城文哉に弟子入りしたそうです。
18歳で上京。その画才を買われてか、日露戦争では国木田独歩とともに従軍記者として戦地へ出向き、数多くのスケッチを残します。
展示の出発点も日光です。放菴と五百城の描いた「日光東照宮」。雪の積もった東照宮の威容、静まりかえっています。俯瞰した構図が目を引きました。
時代は下りますが、昭和5年、放菴50歳の頃の自画像も面白いのではないでしょうか。酒好きで奔放な性格だったともされる放菴、ともかく厳つい面持ちです。決して取っつきやすいとは言えません。眉間に皺を寄せては、鋭い視線を向けています。何やら見る者を威嚇せんとばかりに構えていました。
二年連続で文展の最高賞を受賞したのは30歳の頃です。一つは出品作の「水郷」です。おそらくは彼の愛した茨城の景色でしょう。一人の漁撈が仕事を終えて漁具を片付ける姿を描いたのかもしれません。ほぼ直立で作業をしています。日焼けした肌に深い皺。年季が入っています。
放菴はこの後、洋画家としての将来を嘱望され、ヨーロッパへと留学。憧れていたシャヴァンヌの影響を受けた作品を描きますが、本作においても、例えば西洋美術館にある「貧しき漁夫」を思わせなくもありません。放菴にとってシャヴァンヌがどれ程の存在だったのか。その影響関係の一端を伺い知れる作品と言えそうです。
なお留学先での「スペイングラナダ娘」はマティスの影響も指摘されています。さらに真横から馬が水を飲む様子を描いた「飲馬」も、確かにシャヴァンヌ的と言えなくもありません。
シャヴァンヌ同様、放菴が洋画家として頂点を極めたのも壁画の仕事でした。
東大の安田講堂を飾る大壁画です。うち壁画のための習作、「源泉」などが展示されています。ちなみに源泉とは入学を意味するとか。興味深いのは画肌、表面の質感表現です。まさに壁画を志向するかのごとく、フレスコ画のような色調が生み出されています。
放菴が日本画に転向したのは、パリで偶然に池大雅の画帖を見たことが切っ掛けだそうです。
帰国後は大雅を研究しつつ、中国にも旅行。宋元画を学び、文人画の世界へと入ります。当初は「文人の精神性がない。」という批判も受けたそうです。
2点の「瀟湘八景図」、これがともに大雅と放菴の作品が並んで展示されていました。うち「瀟湘夜雨」では雨に濡れる柳の木を描きます。夜の闇に柳が溶け、湿潤な大気が染み渡る。何とも情緒的な世界が広がっています。
「竹裏館」と「竹裡館」も同一モチーフです。ここでも主題は竹、放菴の方がやや緻密とも言えるでしょうか。2点を比較することにより、両者の絵の個性なども浮かび上がってきます。
さらに放菴は青木木米や浦上玉堂も参照していたそうです。江戸の絵師と放菴の関係。彼の東洋回帰を考える上で重要なポイントと言えそうです。
放菴はこの頃、大正末期に復元に成功した、平安時代の麻紙に虜となります。
「帰院」はどうでしょうか。古くからの山水表現を示す丸い点で描いた一枚、3人の人物が白い壁を背にして歩きます。構図はシンプルです。しかしながら質感のニュアンスにも富んでいる。物静かながらも、美しい作品です。
「黄初平」には驚きました。羊に鞭を振るう男。中国の仙人の話だそうです。手を大きく振り上げては力強い。指を指す姿はキリスト教絵画の影響も指摘されてます。背景の上部はまるで金箔を貼ったようですが、実際は油絵具で表現しています。それにしても人物のポーズ、まるでホドラーの描いた作品のようでもありました。
チラシ表紙を飾る「天のうづめの命」は出光興産のタンカーの船長室に飾られていたそうです。軽やかなステップ、モデルはブギの女王とも称された女優の笠置シヅ子です。色彩の感触はフレスコのようで、やはり独特です。朱色の衣と金色の陽。色に明るく、主題も華やかである。船に乗り込む多くの人たちの目を引いたに違いありません。

小杉放菴「金太郎遊行」 昭和17年 泉屋博古館
なお出光美術館の初代館長である出光佐三と放菴との関係を示す展示もありました。それによれば佐三は放菴の描いた画帖を見て、あの仙がいと共通する魅力があると感じたそうです。以来の出光の放菴コレクション、日本有数です。現在までに300点余を数えるに至りました。
「さんたくろうす」も面白い作品ではないでしょうか。言うまでもなくサンタクロースを描いた一枚ですが、雪山をえらく難儀に歩く老人の姿は、もはや山にこもる仙人のようでもあります。橇もありません。山の下には煙突のある家が建ち並んでいました。おそらくはこれから山を降り、プレゼント入れに行くことでしょう。
ラストの花鳥画、これが何とも趣深い味わいではないでしょうか。
「春昼」は猫が昼寝をしている姿です。毛の質感が思いの外に写実的、筆致は緻密です。しかしながら画面はのんびりした雰囲気が漂っています。
「春禽・秋渓」は双幅の軸画です。春は桜でしょうか。枝には番いの小鳥、江戸琳派を思わせるように瀟洒です。可愛らしい姿を見せています。

小杉放菴「梅花小禽」 昭和時代 出光美術館
「梅花小禽」も独特な構図感が際立つ作品です。大きく屈曲する老いた梅の木。花は可憐であまり目立ちません。麻紙の質感もまた趣深いもの。なお屏風の「梅花小禽」も同じ主題の作品ですが、ここでは石の手水鉢を描くため、乾いた筆を麻紙に擦り付けてゴツゴツとした感触を引き出しているとか。放菴の筆の技が冴えます。
私自身、このスケールで放菴を見たのは初めてです。彼の画業を知るまたとない機会となりました。
館内には余裕がありました。間もなく会期末を迎えますが、ゆっくり観覧出来ると思います。
3月29日まで開催されています。
「没後50年 小杉放菴ー東洋への愛」 出光美術館
会期:2月21日(土)~3月29日(日)
休館:月曜日。但し月曜日が祝日および振替休日の場合は開館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜日は19時まで開館。入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1000(800)円、高・大生700(500)円、中学生以下無料(但し保護者の同伴が必要。)
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
交通:東京メトロ有楽町線有楽町駅、都営三田線日比谷駅B3出口より徒歩3分。東京メトロ日比谷線・千代田線日比谷駅から地下連絡通路を経由しB3出口より徒歩3分。JR線有楽町駅国際フォーラム口より徒歩5分。
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