「大ニセモノ博覧会」 国立歴史民俗博物館

国立歴史民俗博物館
「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史」
3/10-5/6



国立歴史民俗博物館で開催中の「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史」を見てきました。

いきなりですが、ベトナムでつくられ、日本では室町から江戸時代にかけて茶道具として重宝された安南陶器、つまり安南焼という焼き物をご存知でしょうか。


「安南陶器ニセモノ事件」

ご覧の通り、見るも色に眩しい陶器群。大皿から壺まで絵付けも鮮やかです。露出展示に効果的な照明も冴えます。誰もが目を引く器、思わず「美しい。」と口に出した方も多いかもしれません。

私もそう思いました。そして騙されました。ようは全てニセモノ。1980年から1990年にかけて、主に京都の縁日などで出回った模造品なのです。

ホンモノは300万円ほどですが、ニセモノは20~30分の1、おおよそ3万から10万ほどで売られていたとか。比較すればホンモノより模様に繊細さがなく、焼きもあまい。今となってはニセモノであることは明らかですが、当時はかなり出回り、騙された人も少なくなかったそうです。

ちなみに業者は焼物が発掘される経緯までをでっち上げます。何と発掘のニセ映像までを作成しました。いわゆる尾ひれはひれ、ありそうな逸話を付けては、いかに本物であるかと訴えていたそうです。当然ながら後に警察沙汰となりましたが、結局犯人はドロン。現在もその行方は分かっていません。


「暮らしの中のフェイク」

ずばり本展では、人々が作り続け、また必要に応じては使い、さらには時に騙されてもきた、考古品や美術品などのニセモノを紹介しています。

館内の撮影の許可を特別にいただきました。

かつて石器発掘において「ゴッドハンド」と呼ばれた人物がいたことを覚えておられるでしょうか。

いわゆる「前・中期旧石器時代遺跡捏造問題」です。とある考古研究家が次々と発見した前・中期旧石器時代の遺物が、実は全て捏造だったと分かった事件。手口はあまりにも大胆です。自らが一度埋めた石器を、改めて掘り出していた。しかし当時は見抜けず、「発見」として讃えられたこともありました。当然ながら捏造発覚後は大変なスキャンダルとなり、教科書も書き換えに追い込みました。

そして歴博も出土品のレプリカを前・中期旧石器時代の遺物として紹介していたそうです。事件発覚後はすぐに出品を停止、お詫びをしたそうですが、今回改めて展示に至った経緯を紹介しています。もちろん詳細に検討しなかった歴博への批判もあるでしょう。しかしながらどういう形であれニセモノが歴博を巻き込んでいたことがあったのです。

結果的に安南陶器や捏造石器は人を騙したもの。悪意があったとしてもやむを得ません。こうした例も少なくないせいか、当然ながらニセモノには否定的なイメージが付きまとっているのも事実です。

しかしながらニセモノの存在にも意義があった。さらに一歩踏み込んでニセモノがホンモノよりも価値を持ちうることすらある。それが本展のスタンスです。単にニセモノを悪者に仕立てあげて糾弾するわけではありません。


「なぜ偽文書は作られたのか」(武田信玄・徳川家康の偽文書)

古文書です。ニセモノに歴史的な価値を見出します。一例が戦国の武将、武田信玄の偽文書です。何でも甲斐の国では武田家由来の書状、証文を所持していると、年貢の税率が軽減されることがあったとか。よって市井の人々はこぞって証文のニセモノを作成、中には木版刷りでニセ証文を大量に生産します。そしてそれを役人が来る度に見せては、いかに武田家の恩恵を受けていたかとアピールしていました。

また武田の浪人たちも戦功をたたえる書を偽造していたことがあったそうです。権威付けに見せびらかす必要があったのでしょう。ゆえにニセ書状は使い古してぼろぼろのものが少なくありません。


「元亀三年武田家恩借証文」(偽文書) 江戸時代 個人蔵

ニセモノを見分ける方法の一つとして署名の筆跡に注目することがあるそうです。本文が何やら達筆で判読不能であっても、署名は妙に平明ではっきりと読めることが多い。それがニセモノです。これはともかく内容よりも署名が重要、つまりは誰の文書のニセモノを作るのかということが一番大切だからなのです。


伝酒井抱一「柳に鶯図」 個人蔵 ほか

江戸絵画のニセモノもたくさん出ていました。うち抱一は4点、中でも「柳に鶯図」は何と印章のサイン、抱の旁の部分が、包ではなく宮になっています。明らかな偽印です。

ほかにも雪舟や池大雅などのニセモノもザクザク。ちなみに雪舟の真筆は20数点確認されていますが、いわゆる雪舟の作と称されるものは300点ほどあるそうです。いかにニセモノが出回っていたのか。それを伺い知れるエピソードでもあります。

それにしてもこうしたニセモノ絵画、何故に必要とされたのでしょうか。そこでポイントとなるの威信財、そして見栄というキーワードです。


伝狩野元信「寿老人鶴亀図」 富里市

威信財とはまさに格式ある書画を所有することで、家や個人の格を高めること。例えば雪舟、江戸時代には画聖として重要視されますが、人々の雪舟への憧憬への念がむしろニセモノの需要を高めます。特に手本として雪舟作を習得していた狩野派の絵師が、「伝雪舟」を描くことはそう難しくなかったとも考えられています。


「ニセモノの地域性」(山口県 M家)

そして威信財としてのニセモノを披露しては宴を催すこともありました。まさに見栄の世界です。ニセ書画をずらり並べては人々を招きます。酒を飲んでしまえばホンモノ云々も分からないかもしれません。

ただしニセモノのセレクトは重要です。格式付けのために家の歴史や地域と関係のある絵師の作品が必要となります。例えば兵庫県の旧家には抱一、山口にはゆかりの雪舟の偽作が多い。実際にこの展示でもニセモノ絵画を「千葉県・牧士家」や「山口M家」といった地域の名家の括りで紹介しています。

これがすこぶる面白い。ニセモノ展に秘蔵の作品を出すことには躊躇もあったでしょう。実際に貸出交渉は相当に難儀したそうです。しかし歴博はさらに一歩踏み込みました。何と会場でニセモノによる宴の様子を再現して見せているのです。


「見栄と宴会の世界」宴会再現セット

ずばり兵庫県N家の昭和10年代の宴会風景をそのまま再現したセット。畳敷きの広間には膳が並び、さもこれより宴会が始まるかのような臨場感です。そして奥には大雅や狩野永岳の屏風などが飾られる。器は安南焼でしょうか。ここまで来ればもう説明は入りません。もちろん全てニセモノです。実に圧巻でした。

さてニセモノ展、領域を少し広げたニセモノ、広義のニセモノを提示しているのも大きな特徴と言えるかもしれません。


「縄文時代のイミテーション」

例えば縄文時代の装飾品です。一般的には貝による腕飾りなどが知られていますが、よく考えれば全ての人が貝を簡単に採れたわけではありません。つまり内陸の人々は土で作ったものを貝飾りの代用として身につけていました。


「瓦当模様の模倣と創造」(瓦の模様の地方的展開)

また古代の瓦も興味深いもの。7世紀後半頃、地方では中央、ようは畿内で用いられる紋を模した瓦が次々と作られます。瓦の模様のコピーとも言えるでしょう。その意味ではニセモノなのかもしれません。もちろん地方で独自の意匠が加えられることもありましたが、中央と地方の瓦を比較することで、その意匠が全国へどのように伝播していったのかを知ることが出来ます。


「葬儀のなかの欧米文化」展示コーナー

極めつけが葬儀のための花輪です。起源は明治時代に入ってきた欧米のリースです。当初は生花を利用していたものの、そのうち造花、さらにはタオル地や果物や缶詰で作った花輪などが登場します。つまり生花ではないニセモノとしての花輪が、半ば発展しては一つの花輪文化を作り上げていくわけです。ここではニセモノ自体にも価値を見出せるのではないでしょうか。

それにしてもニセモノ展にかける歴博の力の入れようと言ったら並大抵ではありません。何せ今回の展示のために「ニセモノ」のホンモノをつくってしまったのです。


「人魚のミイラ」展示室風景

ずばり「人魚のミイラ」です。上半身は猿で下半身は鮭。ただしこのニセミイラには古い歴史があります。と言うのも江戸時代において人魚は無病息災の守り神として摺物に出回ったこともありました。また「人魚の骨」には、血を止める働きがあると医学書に書かれていたこともあったそうです。

さらに幕末になると人魚の存在が人々の好奇心をあおります。すると登場したのが見せ物、ようは人魚のミイラを見せる興行です。来日したペリーも「日本遠征記」に日本人が人魚を制作していると記しています。実際に興行で見せたであろう人魚のミイラの写真まで残っています。

しかもミイラは輸出されました。今でもイギリスの大英博物館には日本製の「人魚」の標本が保管されているそうです。


「人魚のミイラ 制作工程」パネル

それを今になって改めて歴博が制作したわけです。21世紀の現代に改めて人魚のミイラを甦らせます。何でもミイラの制作法を知る人物の協力を得て造ったそうです。しかも展示は見せ物小屋を意識したもの。覗き窓があったりするなどして臨場感を高めます。また制作工程のパネルもありました。これが実に興味深い。何せミイラの製造法を知る機会などまずありません。


「ホンモノはどれだ!」小判比較コーナー

また眩い小判が積もるチラシ表紙、実は殆どニセモノで、本物の小判が僅か二枚混じるのみですが、会場でも小判の真贋比べの展示があります。


伝雪舟「山水図」。右は「教授のつぶやき」キャプション。

これが簡単なようでいて難しいもの。答えはその場にはなく、順路最後にあるアンケート用紙の裏に記載されています。さらに随所にある「教授のつぶやき」のキャプションも楽しい。またさり気なくホンモノがあったりするなど、展示にもどこかトリッキーな部分もあります。ともかく親しみやすくなるような切り口が目白押しです。


「織田信長黒印状」 天正元年(1573) 個人蔵 *ホンモノです。

なお今回、展示代表である歴博の西谷大先生のお話を聞く機会を得ましたが、ともかく笑いあり、苦労話あり、もちろん専門的なお話ありと、お話上手で全く飽きさせません。

本展WEBの担当者インタビューにて「ニセモノにも愛を!!」と笑顔で主張される西谷先生ですが、幸いなことにお話を伺うチャンスはかなりあります。つまりギャラリートークです。会期中、何と毎週末の土曜のギャラリートークの全てを担当されています。

「担当者インタビュー:大ニセモノ博覧会ー贋造と模倣の文化史編」(第1回)@国立歴史民俗博物館 

土曜日のギャラリートークにあわせて観覧されることをおすすめします。

ところで佐倉の歴博ですが、私自身もおおよそ10年ぶりに出かけました。

旧佐倉城址を用いた敷地が広大であれば建物も巨大。日本の歴史を旧石器時代に遡って、現代、1970年までを辿る総合展示(常設展示)のスケールも並大抵ではありません。


「国立歴史民俗博物館」総合展示室風景

常設を廻るとなるとゆうに半日はかかるのではないでしょうか。時間に余裕をもってお出かけください。


「大ニセモノ博覧会」会場入口

週末の14時頃に観覧しましたが、大ニセモノ博の展示室は思いの外に賑わっていました。ともかく目を引く広告、さらには意欲的な展示内容です。ひょっとすると会期末に向けて混み合うかもしれません。

なお歴博のある佐倉城址公園は桜の名所でもあります。3月27日(金)より4月5日(日)までは連日18時まで延長開館。さらには20時まで「歴博夜桜鑑賞の夕べ」と題した桜のライトアップの企画も行われます。桜見物とあわせて出かけられるのも良いかもしれません。

「歴博夜桜観賞の夕べ」@国立歴史民俗博物館

5月6日まで開催されています。ずばりおすすめします。

「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史」 国立歴史民俗博物館
会期:3月10日(火)~5月6日(水・振休)
休館:月曜日。但し休日の場合は翌日が休館日。
時間:9:30~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般830(560)円、高校生・大学生450(250)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *毎週土曜日は高校生が無料。
 *総合展示も観覧可。
住所:千葉県佐倉市城内町117
交通:京成線京成佐倉駅下車徒歩約15分。JR線佐倉駅北口1番乗場よりちばグリーンバス田町車庫行きにて「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館」下車。東京駅八重洲北口より高速バス「マイタウン・ダイレクトバス佐倉ICルート」にて約1時間。(一日一往復)

注)写真は博物館の特別な許可を得て撮影したものです。
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