都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト」 埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館
「日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト」
2016/11/23~2017/1/29
20世紀初頭、ピカソとブラックにより始まったキュビスムは、日本の芸術家にも大きく影響を与えました。
そうした日本におけるキュビスムの受容、ないし変容を俯瞰する展覧会です。出品数は全160点。(一部に展示替えあり。)かなりのボリュームがありました。
出発点は1907年。ピカソが「アビニヨンの娘たち」を描いたことに由来します。1911年にはパリのアンデパンダン展でキュビスムが大きく注目を浴びます。その芸術革命は程なくして日本の画家に伝えられました。
萬鐵五郎「もたれて立つ人」 1917年 東京国立近代美術館
冒頭は1910年から1920年代の展開です。中心となるのは渡欧していた画家でした。パリへ留学していた東郷青児を筆頭に、田中保、久米民十郎のほか、いち早く潮流を受け取った萬鉄五郎などの作品が展示されています。
東郷青児「帽子をかむった男(歩く女)」 1922年 名古屋市美術館
日本で初めてキュビスムとして紹介されたのが東郷青児の「コントラバスを弾く」でした。キュビスム画に頻出する楽器がモチーフです。対象を一度、解体し、無数の線を組み上げては、コントラバス奏者を描いています。さいたまに生まれた田中保も一時、キュビスムを受容しました。「キュビストA」では色面を分割して人の姿を捉えています。
尾形亀之助「化粧」 1922年 個人蔵
キュビスムの内実は多様です。いわゆる総合的と分析的、そして日本の画家に特に影響を与えた古典的と呼ばれるキュビスムもあります。さらに同時代の未来派や構成主義なども入り混じりました。一筋縄ではいきません。
森田恒友の「城址」はブラックとの関係を指摘される一枚です。しかしながら画家がセザンヌに関心があったから、どこかセザンヌの風景画を思わせる面も否めなくありません。一方で岡本唐貴はレジェに関心を寄せます。分析的キュビスムの手法で作品を制作しました。
河辺昌久の「メカニズム」が特異です。何やら金属の配管が交差する空間を背に、人体の頭部が一つ、太い血管の切断面を露わにして横たわっています。手首も皮膚がはがれ、内部が露出。切断面には歯車が付いていました。キュビスムというよりもシュルレアリスム的とも捉えられるかもしれません。
飯田操朗は「作品」で人物を大きく変形させています。まるでダリのようです。また横井礼以は「庭」において絵具に砂を混ぜました。これはブラックに倣ったそうです。とはいえ、垣根や庭の土の色がせめぎ合う姿に緊張感はあまり見られません。どちらかといえば日本画の空間を連想しました。
結果的に1910年から1920年代のキュビスムは、「実験期を終えると、日本の画家によって深められることはなかった」(解説より引用)そうです。その後、再びキュビスムが隆盛するには、かの大戦の後、1950年代の到来を待つことになります。
池田龍雄「十字街」 1952年 練馬区立美術館
切っ掛けは1951年のピカソ展でした。東京と大阪で開催。これが大変な反響を呼びます。またピカソの「ゲルニカ」が、当時の反戦機運に連動します。そのイメージが多いに流行しました。ゲルニカ風の作品が数多く生み出されたそうです。
その一例と言えるのではないでしょうか。鶴岡政男の「夜の群像」です。頭部のない人体が群れています。背景は闇です。体はいずれも屈曲しています。痛々しい。抑圧された状況下にあるのでしょうか。ゲルニカのモチーフを思い起こさせます。
さらにゲルニカ的なのが山本敬輔の「ヒロシマ」でした。右上にはキノコ雲、かの原爆の惨状でしょう。デフォルメした身体はもはやゲルニカから飛び出してきたかのようです。実際に発表当時、あまりにもゲルニカ的に過ぎると評されました。
村上善男の「区分(内灘にて)」も興味深い作品です。たくさんの手が有刺鉄線の前に突き出ています。いずれも赤い。手の部分がデフォルメされ、いわばキュビスム的な表現が取られています。モチーフは米軍基地の反対闘争です。手は抗議の意思を示しています。
島多訥郎「森と兎」 1957年 栃木県立美術館
1950年代のキュビスムは広範囲に影響を与えます。何も洋画だけではありません。日本画や彫刻においてもキュビスムの手法が取り入れられます。例えば高山辰雄の「道」です。抽象度が高く、キュビスム的とも見えなくはありません。
ほかにはまるでホラー映画の一場面のような河原温の「肉屋の内儀」などもキュビスムの文脈で捉えています。1910年と1950年代の動向。そもそも2つの時代で影響を見るのも1つの仮説との断りがありました。何をもってキュビスム的とするかについては議論あるやもしれません。ただそれでも広義にキュビスムを見定めては、丹念に影響関係を検証しています。大変に見応えがありました。
これほど網羅的に日本のキュビスムを追う展示は滅多にないのではないでしょうか。なお出展の大半は日本人画家の作品です。一部にブラックとピカソの作品もありました。
2017年1月29日まで開催されています。これはおすすめします。
「日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト」 埼玉県立近代美術館(@momas_kouhou)
会期:2016年11月23日 (水・祝) ~ 2017年1月29日 (日)
休館:月曜日。但し1月9日は開館。年末年始(12月26日~1月3日)。
時間:10:00~17:30 入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1100(880)円 、大高生880(710)円、中学生以下は無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*MOMASコレクションも観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
「日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト」
2016/11/23~2017/1/29
20世紀初頭、ピカソとブラックにより始まったキュビスムは、日本の芸術家にも大きく影響を与えました。
そうした日本におけるキュビスムの受容、ないし変容を俯瞰する展覧会です。出品数は全160点。(一部に展示替えあり。)かなりのボリュームがありました。
出発点は1907年。ピカソが「アビニヨンの娘たち」を描いたことに由来します。1911年にはパリのアンデパンダン展でキュビスムが大きく注目を浴びます。その芸術革命は程なくして日本の画家に伝えられました。
萬鐵五郎「もたれて立つ人」 1917年 東京国立近代美術館
冒頭は1910年から1920年代の展開です。中心となるのは渡欧していた画家でした。パリへ留学していた東郷青児を筆頭に、田中保、久米民十郎のほか、いち早く潮流を受け取った萬鉄五郎などの作品が展示されています。
東郷青児「帽子をかむった男(歩く女)」 1922年 名古屋市美術館
日本で初めてキュビスムとして紹介されたのが東郷青児の「コントラバスを弾く」でした。キュビスム画に頻出する楽器がモチーフです。対象を一度、解体し、無数の線を組み上げては、コントラバス奏者を描いています。さいたまに生まれた田中保も一時、キュビスムを受容しました。「キュビストA」では色面を分割して人の姿を捉えています。
尾形亀之助「化粧」 1922年 個人蔵
キュビスムの内実は多様です。いわゆる総合的と分析的、そして日本の画家に特に影響を与えた古典的と呼ばれるキュビスムもあります。さらに同時代の未来派や構成主義なども入り混じりました。一筋縄ではいきません。
森田恒友の「城址」はブラックとの関係を指摘される一枚です。しかしながら画家がセザンヌに関心があったから、どこかセザンヌの風景画を思わせる面も否めなくありません。一方で岡本唐貴はレジェに関心を寄せます。分析的キュビスムの手法で作品を制作しました。
河辺昌久の「メカニズム」が特異です。何やら金属の配管が交差する空間を背に、人体の頭部が一つ、太い血管の切断面を露わにして横たわっています。手首も皮膚がはがれ、内部が露出。切断面には歯車が付いていました。キュビスムというよりもシュルレアリスム的とも捉えられるかもしれません。
飯田操朗は「作品」で人物を大きく変形させています。まるでダリのようです。また横井礼以は「庭」において絵具に砂を混ぜました。これはブラックに倣ったそうです。とはいえ、垣根や庭の土の色がせめぎ合う姿に緊張感はあまり見られません。どちらかといえば日本画の空間を連想しました。
結果的に1910年から1920年代のキュビスムは、「実験期を終えると、日本の画家によって深められることはなかった」(解説より引用)そうです。その後、再びキュビスムが隆盛するには、かの大戦の後、1950年代の到来を待つことになります。
池田龍雄「十字街」 1952年 練馬区立美術館
切っ掛けは1951年のピカソ展でした。東京と大阪で開催。これが大変な反響を呼びます。またピカソの「ゲルニカ」が、当時の反戦機運に連動します。そのイメージが多いに流行しました。ゲルニカ風の作品が数多く生み出されたそうです。
その一例と言えるのではないでしょうか。鶴岡政男の「夜の群像」です。頭部のない人体が群れています。背景は闇です。体はいずれも屈曲しています。痛々しい。抑圧された状況下にあるのでしょうか。ゲルニカのモチーフを思い起こさせます。
さらにゲルニカ的なのが山本敬輔の「ヒロシマ」でした。右上にはキノコ雲、かの原爆の惨状でしょう。デフォルメした身体はもはやゲルニカから飛び出してきたかのようです。実際に発表当時、あまりにもゲルニカ的に過ぎると評されました。
村上善男の「区分(内灘にて)」も興味深い作品です。たくさんの手が有刺鉄線の前に突き出ています。いずれも赤い。手の部分がデフォルメされ、いわばキュビスム的な表現が取られています。モチーフは米軍基地の反対闘争です。手は抗議の意思を示しています。
島多訥郎「森と兎」 1957年 栃木県立美術館
1950年代のキュビスムは広範囲に影響を与えます。何も洋画だけではありません。日本画や彫刻においてもキュビスムの手法が取り入れられます。例えば高山辰雄の「道」です。抽象度が高く、キュビスム的とも見えなくはありません。
ほかにはまるでホラー映画の一場面のような河原温の「肉屋の内儀」などもキュビスムの文脈で捉えています。1910年と1950年代の動向。そもそも2つの時代で影響を見るのも1つの仮説との断りがありました。何をもってキュビスム的とするかについては議論あるやもしれません。ただそれでも広義にキュビスムを見定めては、丹念に影響関係を検証しています。大変に見応えがありました。
これほど網羅的に日本のキュビスムを追う展示は滅多にないのではないでしょうか。なお出展の大半は日本人画家の作品です。一部にブラックとピカソの作品もありました。
2017年1月29日まで開催されています。これはおすすめします。
「日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト」 埼玉県立近代美術館(@momas_kouhou)
会期:2016年11月23日 (水・祝) ~ 2017年1月29日 (日)
休館:月曜日。但し1月9日は開館。年末年始(12月26日~1月3日)。
時間:10:00~17:30 入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1100(880)円 、大高生880(710)円、中学生以下は無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*MOMASコレクションも観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
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