都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「拝啓 ルノワール先生ー梅原龍三郎に息づく師の教え」 三菱一号館美術館
三菱一号館美術館
「拝啓 ルノワール先生ー梅原龍三郎に息づく師の教え」
2016/10/19~2017/1/9
1909年、梅原とルノワールが初めて出会ったのは、南フランスのカーニュにあったルノワールのアトリエでのことでした。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラ」 制作年不詳 三菱一号館美術館寄託
梅原はまだ20代前半。画学生です。渡欧して絵を学んでいました。一方のルノワールは60代の後半です。既に印象派の大家でした。しかも梅原は突然の訪問。アポイントメントも取らなかったそうです。面識もありません。しかしながらルノワールは梅原と昼食を共にしては歓待したそうです。
その梅原とルノワールの関係を俯瞰する展覧会です。主役はあくまでも梅原ですが、ルノワール作はもとより、梅原の収集した印象派絵画なども幅広く紹介しています。
はじまりはルノワールに会う前の梅原です。と言っても1年前。すでに渡欧後です。「伊太利亜人」に目がとまりました。赤い顔でヒゲを蓄えた男の姿を捉えています。筆触は荒々しい。一見では梅原とわからないかもしれません。
下宿先の娘を描いたのが「少女アニーン」です。カーテンの青が殊更に目にしみます。青の時代などと呼ばれてもいるそうです。
1909年の作は「はふ女」と「パリー女」の2点。その後の「モレー風景」はいかにも印象派風でした。夏の景色が広がっています。ただ梅原は単純にルノワール画を摂取したわけではありません。例えば1911年の「自画像」ではグレコを思わせるような線が交差しています。しかも身体は頭部から三角形におさめられています。セザンヌの影響云々も指摘されているそうです。
さらに2年後の「ナルシス」では、梅原を特徴づけるようなオレンジ色が画面を支配しています。筆触はうねりを伴い、まるでフォービスム絵画を見るようでもあります。梅原は終生、ルノワールを敬っていましたが、表現のスタイルは次第に離れていったのかもしれません。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「勝利のヴィーナス」 1914年頃 国立西洋美術館(梅原龍三郎氏より寄贈)
さて今回の展覧会で思いの外に充実していたのは梅原の収集した美術品でした。一部は梅原コレクション展と呼んでも差し支えありません。
梅原はルノワールだけでなく、画家として関心を持っていたルオー、はたまた実際に交流したピカソの作品などを収集します。それらを後に国立西洋美術館へ寄贈しました。
エドガー・ドガ「背中を拭く女」 1888-92年 国立西洋美術館(梅原龍三郎氏より寄贈)
例えばピカソです。「オンドリと、スイカを食う人」はどこか遊び心すら感じられる一枚です。もちろん晩年の制作です。ドガでは「背中を拭く女」が魅惑的でした。たらいを前に置いては、背中を露わにして、何やら一生懸命に拭いています。パステルの質感にも温かみがあります。
ほかマティス、ブラック、モネ、シスレー、セザンヌも僅かながら展示されています。まさか梅原の名を冠した展覧会で見られるとは思いませんでした。
西洋の古い美術にも興味があったようです。古代ギリシャの「キュクラデス像」などもありました。一方での日本です。何と大津絵も購入しています。後に画家として成功を収めた梅原は、自らの審美眼にも自信があったのかもしれません。西洋から日本の様々な美術品をコレクションしました。
1919年、ルノワールは世を去ります。梅原はなんと自宅を売却。渡航費用を捻出してはルノワールのアトリエに向かいました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「パリスの審判」 1913-14年 公益財団法人ひろしま美術館
ここでポイントとなるのが「パリスの審判」です。弔問時に3点あったそうです。後に2点が日本に持ち込まれますが、うち1点を梅原は借り受け、模写ならぬリスペクトをします。
梅原龍三郎「パリスの審判」 1978年 個人蔵
一つのハイライトと化していたのが「パリスの審判」の3点揃い踏みでした。2点はルノワールです。そしてもう1点が梅原です。構図はルノワールの1作とほぼ同等。しかし既に梅原の様式は確立しています。太い朱色の線が裸婦を象ります。ルノワール画の繊細はなく、むしろ生命賛歌ならぬ、力強さが際立っています。まさしく奔放です。ルノワールの絵が描かれてから60年も経ってからのことでした。
梅原龍三郎「バラ、ミモザ」 制作年不詳 個人蔵
ラストは梅原とルノワールの優品セレクションでした。梅原では有名な「紫禁城」や「バラ、ミモザ」などが興味深い。ルノワールではいささか古典的な「マッソーニ夫人」に惹かれました。澄んだ青いドレスに身をまとった夫人がソファに座っています。ブロンドの髪も美しい。やや恥じらいの表情をしているようにも見えました。
梅原の画業を縦の時間軸で辿りながら、ルノワールを筆頭にした印象派画家らとの影響関係を横軸で紐解いています。また会場内の随所で梅原の言葉を引用していました。梅原の制作のインスピレーション、ないし思考の一端についても触れられるのではないでしょうか。
場内空いていました。混雑とは無縁です。2017年1月9日まで開催されています。
「拝啓 ルノワール先生ー梅原龍三郎に息づく師の教え」 三菱一号館美術館(@ichigokan_PR)
会期:2016年10月19日(水)~2017年1月9日(月・祝)
休館:月曜日。但し祝日の場合は開館。年末年始(12月29日~1月1日)。
時間:10:00~18:00。
*祝日を除く金曜、第2水曜、 10月27日(木)、1月4日(水)から6日(金)までは20時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:大人1600円、高校・大学生1000円、小・中学生500円。
*ペアチケットあり:チケットぴあのみで販売。一般ペア2800円。
*アフター5女子割:第2水曜日の17時以降は一般(女性のみ)1000円。
住所:千代田区丸の内2-6-2
交通:東京メトロ千代田線二重橋前駅1番出口から徒歩3分。JR東京駅丸の内南口・JR有楽町駅国際フォーラム口から徒歩5分。
「拝啓 ルノワール先生ー梅原龍三郎に息づく師の教え」
2016/10/19~2017/1/9
1909年、梅原とルノワールが初めて出会ったのは、南フランスのカーニュにあったルノワールのアトリエでのことでした。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「バラ」 制作年不詳 三菱一号館美術館寄託
梅原はまだ20代前半。画学生です。渡欧して絵を学んでいました。一方のルノワールは60代の後半です。既に印象派の大家でした。しかも梅原は突然の訪問。アポイントメントも取らなかったそうです。面識もありません。しかしながらルノワールは梅原と昼食を共にしては歓待したそうです。
その梅原とルノワールの関係を俯瞰する展覧会です。主役はあくまでも梅原ですが、ルノワール作はもとより、梅原の収集した印象派絵画なども幅広く紹介しています。
はじまりはルノワールに会う前の梅原です。と言っても1年前。すでに渡欧後です。「伊太利亜人」に目がとまりました。赤い顔でヒゲを蓄えた男の姿を捉えています。筆触は荒々しい。一見では梅原とわからないかもしれません。
下宿先の娘を描いたのが「少女アニーン」です。カーテンの青が殊更に目にしみます。青の時代などと呼ばれてもいるそうです。
1909年の作は「はふ女」と「パリー女」の2点。その後の「モレー風景」はいかにも印象派風でした。夏の景色が広がっています。ただ梅原は単純にルノワール画を摂取したわけではありません。例えば1911年の「自画像」ではグレコを思わせるような線が交差しています。しかも身体は頭部から三角形におさめられています。セザンヌの影響云々も指摘されているそうです。
さらに2年後の「ナルシス」では、梅原を特徴づけるようなオレンジ色が画面を支配しています。筆触はうねりを伴い、まるでフォービスム絵画を見るようでもあります。梅原は終生、ルノワールを敬っていましたが、表現のスタイルは次第に離れていったのかもしれません。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「勝利のヴィーナス」 1914年頃 国立西洋美術館(梅原龍三郎氏より寄贈)
さて今回の展覧会で思いの外に充実していたのは梅原の収集した美術品でした。一部は梅原コレクション展と呼んでも差し支えありません。
梅原はルノワールだけでなく、画家として関心を持っていたルオー、はたまた実際に交流したピカソの作品などを収集します。それらを後に国立西洋美術館へ寄贈しました。
エドガー・ドガ「背中を拭く女」 1888-92年 国立西洋美術館(梅原龍三郎氏より寄贈)
例えばピカソです。「オンドリと、スイカを食う人」はどこか遊び心すら感じられる一枚です。もちろん晩年の制作です。ドガでは「背中を拭く女」が魅惑的でした。たらいを前に置いては、背中を露わにして、何やら一生懸命に拭いています。パステルの質感にも温かみがあります。
ほかマティス、ブラック、モネ、シスレー、セザンヌも僅かながら展示されています。まさか梅原の名を冠した展覧会で見られるとは思いませんでした。
西洋の古い美術にも興味があったようです。古代ギリシャの「キュクラデス像」などもありました。一方での日本です。何と大津絵も購入しています。後に画家として成功を収めた梅原は、自らの審美眼にも自信があったのかもしれません。西洋から日本の様々な美術品をコレクションしました。
1919年、ルノワールは世を去ります。梅原はなんと自宅を売却。渡航費用を捻出してはルノワールのアトリエに向かいました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「パリスの審判」 1913-14年 公益財団法人ひろしま美術館
ここでポイントとなるのが「パリスの審判」です。弔問時に3点あったそうです。後に2点が日本に持ち込まれますが、うち1点を梅原は借り受け、模写ならぬリスペクトをします。
梅原龍三郎「パリスの審判」 1978年 個人蔵
一つのハイライトと化していたのが「パリスの審判」の3点揃い踏みでした。2点はルノワールです。そしてもう1点が梅原です。構図はルノワールの1作とほぼ同等。しかし既に梅原の様式は確立しています。太い朱色の線が裸婦を象ります。ルノワール画の繊細はなく、むしろ生命賛歌ならぬ、力強さが際立っています。まさしく奔放です。ルノワールの絵が描かれてから60年も経ってからのことでした。
梅原龍三郎「バラ、ミモザ」 制作年不詳 個人蔵
ラストは梅原とルノワールの優品セレクションでした。梅原では有名な「紫禁城」や「バラ、ミモザ」などが興味深い。ルノワールではいささか古典的な「マッソーニ夫人」に惹かれました。澄んだ青いドレスに身をまとった夫人がソファに座っています。ブロンドの髪も美しい。やや恥じらいの表情をしているようにも見えました。
【年末年始の開館情報】2016年は12月28日までの開館です。2017年は1月2日から開館します。1月4~6日は20時まで夜間開館しています!詳しくは当館HPの営業カレンダーをご確認ください。https://t.co/gJSrhEtszY pic.twitter.com/fN8nwUAVN8
— 三菱一号館美術館 (@ichigokan_PR) 2016年12月28日
梅原の画業を縦の時間軸で辿りながら、ルノワールを筆頭にした印象派画家らとの影響関係を横軸で紐解いています。また会場内の随所で梅原の言葉を引用していました。梅原の制作のインスピレーション、ないし思考の一端についても触れられるのではないでしょうか。
場内空いていました。混雑とは無縁です。2017年1月9日まで開催されています。
「拝啓 ルノワール先生ー梅原龍三郎に息づく師の教え」 三菱一号館美術館(@ichigokan_PR)
会期:2016年10月19日(水)~2017年1月9日(月・祝)
休館:月曜日。但し祝日の場合は開館。年末年始(12月29日~1月1日)。
時間:10:00~18:00。
*祝日を除く金曜、第2水曜、 10月27日(木)、1月4日(水)から6日(金)までは20時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:大人1600円、高校・大学生1000円、小・中学生500円。
*ペアチケットあり:チケットぴあのみで販売。一般ペア2800円。
*アフター5女子割:第2水曜日の17時以降は一般(女性のみ)1000円。
住所:千代田区丸の内2-6-2
交通:東京メトロ千代田線二重橋前駅1番出口から徒歩3分。JR東京駅丸の内南口・JR有楽町駅国際フォーラム口から徒歩5分。
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