「ヴォルスー路上から宇宙へ」 DIC川村記念美術館

DIC川村記念美術館
「ヴォルスー路上から宇宙へ」 
4/1~7/2



DIC川村記念美術館で開催中の「ヴォルスー路上から宇宙へ」を見てきました。

20世紀前半に活動し、アンフォルメルの先駆者としても知られるヴォルス(1913~1951。本名:アルフレート=オットー=ヴォルフガング・シュルツ。)。私がヴォルスの作品に出会ったのも、ここDIC川村記念美術館のコレクション展でのことでした。

最近では横浜美術館の「複製技術と美術家たち」のほか、同じく同館の「全館写真展示」などにも出展。見る機会がなかったわけではありません。とはいえ、体型的に接したことは一度もありませんでした。それもそのはずです。国内で初めて「メディアを横断したヴォルスの作品世界全体」(解説より)を紹介する展覧会です。全120点。DIC川村記念美術館の所蔵品を中心に、ヴォルスの多様な制作を俯瞰しています。

震えるような描線でも知られるヴォルスですが、キャリア初期は意外にも写真家として生計を立てていました。少年時代をドレスデンで過ごしたヴォルスは、高校の退学処分を受けると、工場で働いたり、写真家の助手を務めるようになります。その後、一時的にバウハウスへと入るものの、ナチスの支配に嫌気をさしたこともあってか、モホイ=ナジの推薦により、フランスへと渡りました。そこで写真家としてデビュー。1937年にはパリで初の写真展を開催します。パリ万国博覧会では「エレガンスと装飾館」の公式カメラマンにも選ばれました。


「万国博覧会のマネキン人形」 1937年 横浜美術館

その万博の際に撮影された作品かもしれません。並び立つマネキンを後ろから捉えたのが「万国博覧会のマネキン人形」です。ヴォルスは当初、肖像写真で成功を収めました。芸術家との交流もあったことでしょう。かの芸術家、マックス・エルンストなどもポートレートとして写しています。


「枝」 1938-1939年 J・ポール・ゲティ美術館

ただむしろ興味深いのは静物の写真でした。「無題(バケツ)」では、水に布や雑巾の浸ったバケツをほぼ真上から写しています。また「枝」は枝のみを捉えた一枚ですが、影が重なり合うことで、奇怪な生き物を写したようにも見えます。ヴォルスは野菜や肉などの食品をオブジェ的に写した作品でも評価を得ました。


「舗装石」 1932-42年 J・ポール・ゲティ美術館

パリの何気ない街角を写した風景の作品も魅惑的でした。雨に濡れた路面の縁石を写した「舗装石」は、トリミングしたような構図も面白いのではないでしょうか。ほか「セーヌ河岸の3人の眠る人」など、ヴォルスは市井の人々の姿もカメラに収めました。


「セーヌ河岸の3人の眠る人」 1933年 横浜美術館

しかし戦争が運命を変えます。1939年に第二次世界大戦が始まると、ドイツ人だったヴォルスは敵国人として収容所に収監されました。やむなく写真家としての活動を中断、かわって水彩画を描くようになります。翌年、ルーマニア人で、フランス国籍を持つグレティと結婚しました。すると釈放され、主に南仏を転々としながら、制作を続けました。グレティは戦争中の引越しの際にも作品を大切に保管していたそうです。彼女の存在なくしてはヴォルスの名は後世に残らなかったかもしれません。


「人物と空想の動物たち」 1936-40年 ギャラリーセラー

私が最も惹かれるのも一連の水彩画でした。なにやら楽しげなのが「人物と空想の動物たち」です。人物とも動物ともつかぬ生き物たちが、まるで楽器を賑やかに演奏するような光景が表されています。ヴォルスは制作に際し、自然の虫や小さな生き物などの細部を観察したそうです。そこから「不思議な生命体」(解説より)を生み出しました。

少年時代に見たクレーの影響も指摘されています。しかしヴォルスの作品は、より幻影的、ないし幻視的とも言えるのではないでしょうか。さも俄かに現れては、また消えていくモチーフは、次第に抽象度を増し、特定の形を有しない、より「自由な描画世界」(解説より)を築きあげるようになります。


「トリニダード」 1947年 DIC川村記念美術館

「船」もヴォルスが頻繁に描いたモチーフの1つでした。糸のようにもつれる線は極めて繊細です。マストや帆は絡み合い、まるで息を吹きかければ崩れてしまうかのような脆さを見せています。


「コンポジション」 1950年 DIC 川村記念美術館

「眼を閉じて わたしはしばしば見つめる、わたしが見なければならないものは みなそこにある、美しいもの、疲れさせるもの。」とはヴォルスの言葉です。まさしく眼を閉じて、脳裏に浮かび上がるイメージを、絵画平面へ巧みに落とし込んだのかもしれません。しみじみと心に染み入りました。琴線に触れるとはこのことを指すのかもしれません。


「作品、または絵画」 1946年頃 大原美術館

無数に走る線の向こうに都市の姿が垣間見えました。「作品、または絵画」です。建物やネオンサインの合間に、人らしき有機的な何かが浮遊し、またひしめきあっています。細部を追えば追うほど、その中に吸い込まれそうになりました。


「街の中心」 1955年 個人蔵

ヴォルスは1945年から約5年間、版画を集中して制作しました。技法はドライポイントです。引っかき傷のような線のみで、街や船、そしてハート型の心臓などを象っています。中にはしみと題した形を伴わない作品もありました。意識自体を表現に顕在化させようとしたのかもしれません。線の一つ一つがヴォルスの魂の運動のようにも見えました。


「心臓」 1962年 DIC川村記念美術館

これらの版画は生前に作品集として公開されることはなかったそうです。しかしグレティ夫人は価値を見出したのでしょう。彼の死後、夫人の手により、原版を用いた版画集が3度、刊行されました。


「赤いザクロ」 1940/41-48年 DIC川村記念美術館

ラストは油彩画です。ヴォルスは戦前も油彩を手がけていましたが、本格的に描いたのは戦後、1946年からのことでした。翌年には画廊の個展で発表し、アンフォルメルで知られるマチューらの絶賛の評価を受けます。結果、亡くなるまでに約90点の油彩画を描きました。


「ニーレンドルフ」 1947年 DIC川村記念美術館

時に厚く絵具を盛り上げた油彩画にはほかには見られない強度があります。とはいえ、やはり引っ掻き線や即興的なドリッピングの技法は、水彩や版画世界に通じなくもありません。おどろおどろしくもあり、一転して躍動するような有機的なモチーフは、絵画平面の中で確かに胎動、ないし棲息していました。

「静かな意識に閉ざされて じぶんの選んだ もっとも深いものに わたしは忠実であった 今も忠実であり、これからもあるだろう。」 ヴォルス


「暗闇の街」 1962年 DIC川村記念美術館

カタログが良く出来ていました。ともかく美しい装幀です。永久保存版になりそうです。


「ヴォルスー路上から宇宙へ」会場風景

全ての作品の撮影が出来ます。(ヴォルス展会場内のみ。ほかの展示室は不可。)


7月2日まで開催されています。遅くなりましたが、おすすめします。

「ヴォルスー路上から宇宙へ」 DIC川村記念美術館@kawamura_dic
会期:4月1日(土)~7月2日(日)
休館:月曜日。
時間:9:30~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般1300(1100)円、学生・65歳以上1100(900)円、小・中・高生600(500)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *コレクション展も観覧可。
 *5月5日(木)はこどもの日につき高校生以下入館無料。
住所:千葉県佐倉市坂戸631
交通:京成線京成佐倉駅、JR線佐倉駅下車。それぞれ南口より無料送迎バスにて30分と20分。東京駅八重洲北口より高速バス「マイタウン・ダイレクトバス佐倉ICルート」にて約1時間。(一日一往復)
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