都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
日本最古の学校、「史跡足利学校」を訪ねる
史跡足利学校を見学してきました。
江戸時代に「坂東の大学」と称された足利学校は、創建年代に諸説あるものの、少なくとも室町時代に再興されたことから、日本最古の学校と言われています。
敷地面積は約5000坪です。明治時代に廃校となり、多くの建物は撤去されましたが、大正時代に国の史跡に指定。そして戦後、保存整備事業がスタートしました。平成2年になって建物と庭園の復元が完了し、江戸時代の姿が甦るに至りました。
場所は足利市の中心部です。両毛線の足利駅から歩いておおよそ10分弱でした。「入徳」と記された門が見えてきます。学校の入口でした。
受付を済ませ、孔子像を過ぎると、もう一つの門が待ち構えていました。その名も「学校門」です。寛文8年の創建で、日本で唯一「学校」の扁額が掛けられています。足利学校のシンボル的な存在でもあります。
学校門の正面に位置するのが孔子廟でした。「大成殿」と呼ばれています。学校門と同様の寛文8年の造営でした。中国の明の聖廟を模していて、中には孔子が祀られています。坐した像は珍しいそうです。
敷地内で最も目立つのが、方丈と庫裏、そして書院でした。いずれも平成2年の復元です。講義や学習、そして台所、さらに書斎や接客のためのスペースとして用いられました。まさに校舎です。足利学校の中核的な施設と言って良いかもしれません。
方丈の高さは約13メートルです。茅葺きの大きな屋根が特徴的でした。広い座敷があり、ちょうど中では漢字試験が行われていました。さらに内部には仏殿の間や尊牌の間があります。歴代徳川将軍の位牌が安置されていました。
室町時代に足利学校を再興したのが、関東管領の上杉憲実でした。儒学の四経の書籍を寄進した上、学則を整備します。さらに鎌倉から禅僧を招き、庠主(しょうしゅ)と呼ばれる学長を定めました。以降、代々の庠主は禅僧が務めました。
儒学、特に易について学んだ僧が多く、16世紀半ば頃には3000名の学徒を数えるに至ったそうです。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、足利学校をして、「最も大にして最も有名なる坂東の大学」と海外に紹介しました。
室町期最後の庠主が家康の信任を得ていたことから、幕府より朱印地を寄進されます。それに伴い庠主も1年間の吉凶を占って幕府へ提出しました。第13代庠主の時代、寛文8年には、幕府や大名の寄付を受けて大修築を敢行し、現在も残る孔子廟や学校門などを整備しました。ただしのちの宝暦4年の落雷により方丈や書院などが焼失してしまいました。
江戸時代も半ばになり朱子学が隆盛すると、易学中心の足利学校の活動自体は衰微していきます。一方で古い歴史を有することから、古典籍を所蔵する図書館として注目されたそうです。多くの文人らも訪ねました。
庭園は方丈を挟んで南北に2つ。北庭園と南庭園に分かれています。方丈から裏門に面するのが南庭園です。築山泉水式の庭園です。老松に巨石が置かれています。
北庭園は規模が小さいものの、南庭園より格が高いそうです。同じく築山泉水式で、池の中には中之島があり、弁天を祀る小さな祠があります。書院から眺める景色が殊更に美しく見えました。
「字降松」も興味深いのではないでしょうか。読みで「かなふりまつ」です。第7代庠主の時代、この松に読めない字や意味のわからない言葉を紙に書くと、翌日にはふりがなや注釈がついていたというエピソードに由来します。
さらに学生寮こと衆寮や農具置き場の木小屋なども立ち並びます。学びの場は自給自足の生活の場でもありました。裏手の菜園では野菜などの食材も栽培されていました。
足利市立美術館からも歩いて数分でした。隣には足利一門の氏寺である鑁阿寺もあります。あわせて見学するのも良いかもしれません。
「史跡足利学校」(@Ashikaga_Gakko)
参観時間:9:00~16:30(4月~9月)、9:00~16:30(10月~3月)
休日:第3月曜日(祝日、振替休日の時は翌日)。年末(12月29日~12月31日)。
参観料:一般420(340)円、高校生210(170)円。中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:栃木県足利市昌平町2338
交通:JR線足利駅より徒歩10分。東武伊勢崎線足利市駅より徒歩15分。北関東自動車道足利インターチェンジより車で15分。観光無料駐車場あり。
江戸時代に「坂東の大学」と称された足利学校は、創建年代に諸説あるものの、少なくとも室町時代に再興されたことから、日本最古の学校と言われています。
敷地面積は約5000坪です。明治時代に廃校となり、多くの建物は撤去されましたが、大正時代に国の史跡に指定。そして戦後、保存整備事業がスタートしました。平成2年になって建物と庭園の復元が完了し、江戸時代の姿が甦るに至りました。
場所は足利市の中心部です。両毛線の足利駅から歩いておおよそ10分弱でした。「入徳」と記された門が見えてきます。学校の入口でした。
受付を済ませ、孔子像を過ぎると、もう一つの門が待ち構えていました。その名も「学校門」です。寛文8年の創建で、日本で唯一「学校」の扁額が掛けられています。足利学校のシンボル的な存在でもあります。
学校門の正面に位置するのが孔子廟でした。「大成殿」と呼ばれています。学校門と同様の寛文8年の造営でした。中国の明の聖廟を模していて、中には孔子が祀られています。坐した像は珍しいそうです。
敷地内で最も目立つのが、方丈と庫裏、そして書院でした。いずれも平成2年の復元です。講義や学習、そして台所、さらに書斎や接客のためのスペースとして用いられました。まさに校舎です。足利学校の中核的な施設と言って良いかもしれません。
方丈の高さは約13メートルです。茅葺きの大きな屋根が特徴的でした。広い座敷があり、ちょうど中では漢字試験が行われていました。さらに内部には仏殿の間や尊牌の間があります。歴代徳川将軍の位牌が安置されていました。
室町時代に足利学校を再興したのが、関東管領の上杉憲実でした。儒学の四経の書籍を寄進した上、学則を整備します。さらに鎌倉から禅僧を招き、庠主(しょうしゅ)と呼ばれる学長を定めました。以降、代々の庠主は禅僧が務めました。
儒学、特に易について学んだ僧が多く、16世紀半ば頃には3000名の学徒を数えるに至ったそうです。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、足利学校をして、「最も大にして最も有名なる坂東の大学」と海外に紹介しました。
室町期最後の庠主が家康の信任を得ていたことから、幕府より朱印地を寄進されます。それに伴い庠主も1年間の吉凶を占って幕府へ提出しました。第13代庠主の時代、寛文8年には、幕府や大名の寄付を受けて大修築を敢行し、現在も残る孔子廟や学校門などを整備しました。ただしのちの宝暦4年の落雷により方丈や書院などが焼失してしまいました。
江戸時代も半ばになり朱子学が隆盛すると、易学中心の足利学校の活動自体は衰微していきます。一方で古い歴史を有することから、古典籍を所蔵する図書館として注目されたそうです。多くの文人らも訪ねました。
庭園は方丈を挟んで南北に2つ。北庭園と南庭園に分かれています。方丈から裏門に面するのが南庭園です。築山泉水式の庭園です。老松に巨石が置かれています。
北庭園は規模が小さいものの、南庭園より格が高いそうです。同じく築山泉水式で、池の中には中之島があり、弁天を祀る小さな祠があります。書院から眺める景色が殊更に美しく見えました。
「字降松」も興味深いのではないでしょうか。読みで「かなふりまつ」です。第7代庠主の時代、この松に読めない字や意味のわからない言葉を紙に書くと、翌日にはふりがなや注釈がついていたというエピソードに由来します。
さらに学生寮こと衆寮や農具置き場の木小屋なども立ち並びます。学びの場は自給自足の生活の場でもありました。裏手の菜園では野菜などの食材も栽培されていました。
史跡足利学校の魅力②中国から伝わった「学校」の形が忠実に残っていることに加えて、江戸時代前期・寛文8年(1668)に創建された儒学の祖である孔子とその高弟を祀る「孔子廟(大成殿)」、その中にある子坐像も室町時代の天文4年(1535)につくられ、ともに日本国内最古です。 pic.twitter.com/KOGUen0AsQ
— 史跡足利学校 (@Ashikaga_Gakko) 2017年5月4日
足利市立美術館からも歩いて数分でした。隣には足利一門の氏寺である鑁阿寺もあります。あわせて見学するのも良いかもしれません。
「史跡足利学校」(@Ashikaga_Gakko)
参観時間:9:00~16:30(4月~9月)、9:00~16:30(10月~3月)
休日:第3月曜日(祝日、振替休日の時は翌日)。年末(12月29日~12月31日)。
参観料:一般420(340)円、高校生210(170)円。中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:栃木県足利市昌平町2338
交通:JR線足利駅より徒歩10分。東武伊勢崎線足利市駅より徒歩15分。北関東自動車道足利インターチェンジより車で15分。観光無料駐車場あり。
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