都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」 21_21 DESIGN SIGHT
21_21 DESIGN SIGHT
「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」
2/23~6/10
21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」を見てきました。
1928年にニューヨークで生まれたウィリアム・クラインは、写真や映画、それにファッションなどの分野で活動しつつ、ニューヨーク、ローマ、モスクワ、さらに東京など、世界の大都市を写した作品で評価されてきました。
そのクラインによる都市ヴィジョンを体感的に味わえるのが、「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」展で、「22世紀を生きる写真家たち」とあるように、現代から次世紀の未来都市も見据えた、日本やアジアの写真家の活動も紹介していました。
冒頭はクラインでした。「アナーキーな視覚の撹乱者」との異名をとった彼は、1956年に「ニューヨーク」を刊行し、都市をテーマとした写真を送り出しました。それらはいずれも街のスナップでしたが、ブレは大きく、時にボケていて、構図にも統一感がなく、従来の価値観からすれば、異端、ないし失敗とも取れ得る写真ばかりでした。
しかしそうした荒々しいまでの表現は、むしろ都市の雑然とした喧騒や、カオスに満ちたエネルギーを捉えることに成功していました。いつしか革新的なまでの都市のイメージは大いに共感を呼び、のちの写真家らもクラインの手法を取り入れるようになりました。日本でも森山大道らに大きな影響を与えました。
そして今日、クラインの写した都市風景が、マルチ・プロジェクションによって再び蘇りました。手がけたのは、映像やアートのディレクションで活動するTAKCOMで、クラインの無数の都市写真を映像に落とし込み、多面的で流動感のある万華鏡のような世界を作り上げました。
このプロジェクションが驚くほどに充実していました。暗室の壁面には大小、様々なスクリーンがあり、そこへクラインの写した、ニューヨークからローマ、モスクワ、東京、パリなどの都市風景の写真が、次々と入れ替わっては、ひっきりなしに映し出されていました。
都市の「同時性」や「共振性」も表現したプロジェクションは、ともかくテンポが良く、スピード感があり、まさに都市の成長やダイナミズムを見るかのようでした。もちろん、クラインの写真の力があってからこそかもしれませんが、流れるように展開する都市風景、ないし人々の姿を前にしていると、さも時間や地域を超え、各々の都市へ旅しているような気分にさせられるかもしれません。
クラインのプロジェクションを抜けると、一転して現れたのが、計10組の現代の写真家による作品でした。
物質としての写真の固有性に光を当てているという多和田有希は、「ホワイトアウト」のシリーズにおいて、都市でうごめく人々の群集心理や集合的無意識を表現しました。
ビルの合間の道路や建物からネオンのようにオーラが立ち上がっていて、それらはまるで都市に潜めくエネルギーが吹き出しているかのようでした。これこそが近未来的な都市のイメージなのかもしれません。
安田佐智種は東日本大震災を踏まえた作品を制作しました。それが「みち(未知の道)」で、津波と放射能被害を受けた被災地の家々を歩いては、残された基礎を撮影しました。作家は震災以降、ニューヨークから日本の状況を見据え、喪失感と望郷の念に駆られていたそうです。大きく破壊された基礎からは、否応なしに津波の甚大な被害を思い起こさせるものがありました。
数百枚から数千枚にも及ぶ写真を組み合わせ、新たな都市の姿を作り上げたのが、西野壮平でした。モノクロームの画面には、無数にひしめきあう建物などが写されていますが、驚くほどに俯瞰的な構図のため、そもそもどの地点を捉えているのかさえ判然としません。まるで天地も反転し、時空や地平の歪んだ、異次元の都市を目の当たりにしたかのようでした。
勝又公仁彦は「Panning of Days -Syncretism/Palimpseste」において、同一の場所から、異なる日時に、長時間の露光で撮影した写真を組み合わせました。そこにはネオンサインの輝く銀座の街角などが写されていましたが、時間が蓄積しているゆえに、無数行き交う人影や車のライトの光跡も同時に捉えられていました。都会に特有の雑踏も伝わるのではないでしょうか。
一方で同じ勝又の「Skyline」は、都市の遠望を俯瞰して捉えた作品で、広く大きな空の下、ビルや鉄塔などの構造物の稜線のみが朧げに浮き上がっていました。まるで水墨画のような趣きをたたえているかもしれません。
須藤絢乃の「面影」が異彩を放っていました。一面に写されたのは主に若い女性のポートレートで、ややブレがあるものの、一見、有り体にモデルを捉えているようにも思えました。ただどこか皆、似ているようにも見えなくありません。
その答えは作家自身の存在でした。実のところ須藤は、ニューヨークやパリ、それに東京などで撮影した人間の顔を、自らの顔のフレームにデジタルで合成していました。よって自分と他者との区別は曖昧となり、アイデンティティーも不明瞭なゆえか、独特な浮遊感も感じられました。
台湾で冠婚葬祭や夜市に欠かせない、大型ステージトラックを使った演劇団を捉えたのが、沈昭良でした。沈は、日没前後で一瞬の無人と化したトラックを写した一方、演劇を見入る人々や、ダンサーにもカメラを向けました。ステージトラックは実にデコラティブで、いずれも過剰なまでの明かりを放ち、熱気を帯びているようにも見えました。
石川直樹と森永泰弘による、極地の都市を写したシリーズも興味深いのではないでしょうか。言うまでもなく、人の集まる都市は、生き物であり、常に変容する上、当然ながら時代や地域によって様相は異なります。
ウィリアム・クラインを起点にした、現代の写真家による都市への様々なアプローチに見入るものがありました。
6月10日まで開催されています。
「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」 21_21 DESIGN SIGHT(@2121DESIGNSIGHT)
会期:2月23日(金)~6月10日(日)
休館:火曜日。但し5月1日は開館。
時間:11:00~19:00
*入場は閉場の30分前まで。
*六本木アートナイト特別開館時間:5月26日(土)は10:00~23:30
料金:一般1100円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料。
*15名以上は各200円引。
住所:港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内
交通:都営地下鉄大江戸線・東京メトロ日比谷線六本木駅、及び東京メトロ千代田線乃木坂駅より徒歩5分。
「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」
2/23~6/10
21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」を見てきました。
1928年にニューヨークで生まれたウィリアム・クラインは、写真や映画、それにファッションなどの分野で活動しつつ、ニューヨーク、ローマ、モスクワ、さらに東京など、世界の大都市を写した作品で評価されてきました。
そのクラインによる都市ヴィジョンを体感的に味わえるのが、「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」展で、「22世紀を生きる写真家たち」とあるように、現代から次世紀の未来都市も見据えた、日本やアジアの写真家の活動も紹介していました。
冒頭はクラインでした。「アナーキーな視覚の撹乱者」との異名をとった彼は、1956年に「ニューヨーク」を刊行し、都市をテーマとした写真を送り出しました。それらはいずれも街のスナップでしたが、ブレは大きく、時にボケていて、構図にも統一感がなく、従来の価値観からすれば、異端、ないし失敗とも取れ得る写真ばかりでした。
しかしそうした荒々しいまでの表現は、むしろ都市の雑然とした喧騒や、カオスに満ちたエネルギーを捉えることに成功していました。いつしか革新的なまでの都市のイメージは大いに共感を呼び、のちの写真家らもクラインの手法を取り入れるようになりました。日本でも森山大道らに大きな影響を与えました。
そして今日、クラインの写した都市風景が、マルチ・プロジェクションによって再び蘇りました。手がけたのは、映像やアートのディレクションで活動するTAKCOMで、クラインの無数の都市写真を映像に落とし込み、多面的で流動感のある万華鏡のような世界を作り上げました。
このプロジェクションが驚くほどに充実していました。暗室の壁面には大小、様々なスクリーンがあり、そこへクラインの写した、ニューヨークからローマ、モスクワ、東京、パリなどの都市風景の写真が、次々と入れ替わっては、ひっきりなしに映し出されていました。
都市の「同時性」や「共振性」も表現したプロジェクションは、ともかくテンポが良く、スピード感があり、まさに都市の成長やダイナミズムを見るかのようでした。もちろん、クラインの写真の力があってからこそかもしれませんが、流れるように展開する都市風景、ないし人々の姿を前にしていると、さも時間や地域を超え、各々の都市へ旅しているような気分にさせられるかもしれません。
クラインのプロジェクションを抜けると、一転して現れたのが、計10組の現代の写真家による作品でした。
物質としての写真の固有性に光を当てているという多和田有希は、「ホワイトアウト」のシリーズにおいて、都市でうごめく人々の群集心理や集合的無意識を表現しました。
ビルの合間の道路や建物からネオンのようにオーラが立ち上がっていて、それらはまるで都市に潜めくエネルギーが吹き出しているかのようでした。これこそが近未来的な都市のイメージなのかもしれません。
安田佐智種は東日本大震災を踏まえた作品を制作しました。それが「みち(未知の道)」で、津波と放射能被害を受けた被災地の家々を歩いては、残された基礎を撮影しました。作家は震災以降、ニューヨークから日本の状況を見据え、喪失感と望郷の念に駆られていたそうです。大きく破壊された基礎からは、否応なしに津波の甚大な被害を思い起こさせるものがありました。
数百枚から数千枚にも及ぶ写真を組み合わせ、新たな都市の姿を作り上げたのが、西野壮平でした。モノクロームの画面には、無数にひしめきあう建物などが写されていますが、驚くほどに俯瞰的な構図のため、そもそもどの地点を捉えているのかさえ判然としません。まるで天地も反転し、時空や地平の歪んだ、異次元の都市を目の当たりにしたかのようでした。
勝又公仁彦は「Panning of Days -Syncretism/Palimpseste」において、同一の場所から、異なる日時に、長時間の露光で撮影した写真を組み合わせました。そこにはネオンサインの輝く銀座の街角などが写されていましたが、時間が蓄積しているゆえに、無数行き交う人影や車のライトの光跡も同時に捉えられていました。都会に特有の雑踏も伝わるのではないでしょうか。
一方で同じ勝又の「Skyline」は、都市の遠望を俯瞰して捉えた作品で、広く大きな空の下、ビルや鉄塔などの構造物の稜線のみが朧げに浮き上がっていました。まるで水墨画のような趣きをたたえているかもしれません。
須藤絢乃の「面影」が異彩を放っていました。一面に写されたのは主に若い女性のポートレートで、ややブレがあるものの、一見、有り体にモデルを捉えているようにも思えました。ただどこか皆、似ているようにも見えなくありません。
その答えは作家自身の存在でした。実のところ須藤は、ニューヨークやパリ、それに東京などで撮影した人間の顔を、自らの顔のフレームにデジタルで合成していました。よって自分と他者との区別は曖昧となり、アイデンティティーも不明瞭なゆえか、独特な浮遊感も感じられました。
台湾で冠婚葬祭や夜市に欠かせない、大型ステージトラックを使った演劇団を捉えたのが、沈昭良でした。沈は、日没前後で一瞬の無人と化したトラックを写した一方、演劇を見入る人々や、ダンサーにもカメラを向けました。ステージトラックは実にデコラティブで、いずれも過剰なまでの明かりを放ち、熱気を帯びているようにも見えました。
石川直樹と森永泰弘による、極地の都市を写したシリーズも興味深いのではないでしょうか。言うまでもなく、人の集まる都市は、生き物であり、常に変容する上、当然ながら時代や地域によって様相は異なります。
ウィリアム・クラインを起点にした、現代の写真家による都市への様々なアプローチに見入るものがありました。
2018年2月23日、企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」に関連して、「ウィリアム・クラインスタジオによるトーク」を開催しました。#NEW_PLANET_PHOTO_CITY pic.twitter.com/Luat68Uobu
— 21_21 DESIGN SIGHT (@2121DESIGNSIGHT) 2018年2月23日
6月10日まで開催されています。
「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」 21_21 DESIGN SIGHT(@2121DESIGNSIGHT)
会期:2月23日(金)~6月10日(日)
休館:火曜日。但し5月1日は開館。
時間:11:00~19:00
*入場は閉場の30分前まで。
*六本木アートナイト特別開館時間:5月26日(土)は10:00~23:30
料金:一般1100円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料。
*15名以上は各200円引。
住所:港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内
交通:都営地下鉄大江戸線・東京メトロ日比谷線六本木駅、及び東京メトロ千代田線乃木坂駅より徒歩5分。
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