都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「生誕150年 横山大観展」 東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
「生誕150年 横山大観展」
4/13~5/27

東京国立近代美術館で開催中の「生誕150年 横山大観展」を見てきました。
日本画家、横山大観(1868-1958)は、今年、生誕150年を迎えました。
それを期しての一大回顧展で、出展作は全92件(展示替えあり)あり、全て大観の作品で占められていました。これまでにも大観に関する展覧会は少なくなく、例えば首都圏でも今年初めに山種美術館で「横山大観ー東京画壇の精鋭」が、さらに近年でも横浜美術館にて「横山大観展ー良き師、良き友」などが行われました。しかし国立美術館での大規模な大観展としては、2008年に国立新美術館で開催された「没後50年 横山大観 - 新たなる伝説へ」以来となります。
はじまりは明治時代の大観でした。まず目を引いたのが「無我」で、あどけない表情で水辺の近くに幼子が立つ様子を描いていました。29歳の作品で、無心や我執のないことを意味する、宗教的な思想を表しています。背後には早春の景色が広がっていて、水の青はかなり深く、金泥を刷いたのか、僅かに輝いていました。

横山大観「屈原」 明治31(1898)年10月 厳島神社 *展示期間:4/13〜5/6
一際、堂々たる姿に見えたのが「屈原」で、強い風の舞う荒野の上を、一人ひげを蓄えた男が、険しい表情で立っていました。あまりにもの大風からか、男の後ろでは鳥があおられていて、草木の葉も散っているものもありました。中国の楚の伝説的詩人に着想を得た作品で、大観は、東京美術学校を辞職した岡倉天心の心情を重ねたと回想しています。のちの大観作と比べても力強く、早くも初期に生み出された傑作と呼んで差し支えないかもしれません。
技法に対して苦心した作品もありました。その1つが「迷児」で、孔子や釈迦、老子にキリストが、幼児を囲む姿を描いていました。全体的に色が淡く、実際にもモノクロームの木炭画でしたが、なかなか木炭が定着せず、金泥と膠を刷いては、木炭をとめたりしていたそうです。また人の顔の表情なども精緻で、まるで西洋画のような顔面表現にも見えなくはありません。大観を特徴付ける朦朧体ではないものの、当時、「朦朧たる描法」として批評されました。
初期の大観の発想は意外なほどに型破りでした。それを示すのが「瀑布」で、金屏風の左右に、ともに大観が見学したナイアガラの滝と万里の長城を表していました。何ら関係のない東西の景勝地ながら、不思議と収まり良くまとまっていて、大自然の生み出した雄大な景色には、臨場感もありました。
大正時代に入ると、大観は、彩色画と水墨画を「併行して」(*)描き、デフォルメなどの造形上の「冒険」(*)などを試みました。琳派ややまと絵、それに古画にも学んでは、作品を制作しました。(*は解説より)
うち瀟洒な味わいを見せていたのが、「山茶花と栗鼠」で、二曲一双の金屏風へ、山茶花の木を描き、そこへ栗鼠が実をかじる様子を表しました。栗鼠は目を光らせながら、一心不乱に実へ向き合っていて、どこか人懐っこいようにも見えました。また、山茶花の木は、たらしこみを用いたのか、透明感があり、琳派的とも言えなくはありません。
その琳派に接近したのが「放鶴」で、六曲一双の金地の大画面へ、中国の宋の林和靖の逸話に基づいた、鶴を放す光景を描きました。左隻は白い雲と小さな鶴のみが描かれ、広い空を示すためか、そのほかには何もありませんでした。大胆な空間構成ではないでしょうか。

横山大観「秋色」(部分) 大正6(1917)年9月
また「秋色」も琳派的で、槙が葉をつけ、蔦が左右へ広がる空間の中を、二頭の親子と思しき鹿が首を伸ばしては、実をついばんでいました。朱色の蔦の色彩は鮮やかで、槙の幹に至っては、尾形光琳の「槙楓図屏風」に似ているとの指摘もあるそうです。華やいだ作品でもありました。
重要文化財に指定された「生々流転」も、大正時代に作られた作品でした。全長40メートルにも及ぶ長大な画巻で、一本の川を中心に、山深い里から平地、さらに大海原を経て、龍が現れるという光景を、細かな水墨の筆触にて表現しました。
今回、興味深いのは、作品には四季があるとする指摘で、確かに胡粉をつけた花や、葉をつけた柳、そして葉を落とした木々など、春から秋への景色を見ることも出来ました。さらに終盤の街は夜景であることから、時間の推移も描写されているそうです。水の巡る旅は、季節と時間を伴い、壮大なスケールにて表現されていました。
なお会場では「生々流転」は全て開いていて、小下絵の画帳と見比べることも出来ました。さらに作品の鑑賞の参考となる、映像の解説も付いていました。展覧会のハイライトであるかもしれません。
ラストは「昭和の大観」と題し、59歳から最晩年へ至る作品が展示されていました。ここで目立っていたのは、皇室に関した大作の2点、「朝陽霊峯」と「龍蛟躍四溟」でした。
「朝陽霊峯」は、明治宮殿の豊明殿の調度品として、当時の宮内省から注文を受けた作品で、大観は昭和2年に献上しました。六曲一双の金地の大屏風で、金色に染まった富士山と、同じく金の日輪の下で連なる山々を表していました。富士と日輪の金泥は微妙に異なるものの、眩いばかりの金色が世界を支配していて、富士の峰は神々しくも見えました。大観は、富士を国の象徴としての意味を込めて制作し、まさに「大観の富士」のイメージを決定づける作品と呼べるかもしれません。
一方の「龍蛟躍四溟」は、同じく六曲一双の大屏風で、龍や蛟、すなわち水に住む伝説上の蛇が海に躍る光景を描きました。龍の表情こそ飄々としていながらも、大気や海の波は激しくうねっていて、「生々流転」の描写を連想させました。これは国の要請により、日本美術院の画家が官展に合流した、第1回改組帝展に出品されたもので、大観は「彩管報告」(解説より)、つまり絵筆をもって国に尽くすという理念から制作したそうです。画題自体も国の前途を祝福するもので、出展後は宮中に献上されました。現在は、「朝陽霊峯」と同様、宮内庁三の丸尚蔵館に収められています。

横山大観「南溟の夜」 昭和19(1944)年2月 東京国立近代美術館
昭和期の作品では「南溟の夜」に魅せられました。星屑の瞬く空の下の海を、俯瞰した構図で捉えた一枚で、眼下には陸の森が広がるも、まるで海と一体になっているかのように描かれていました。ともかく白波とエメラルドグリーンの海が美しく、幻想的な光景ではないでしょうか。
今回は動線が特殊です。まず入口は、ロビー最奥部の正面に位置します。そこが第一会場で、明治から大正、昭和へと至る作品が展示されていました。そののち、一度、会場を出る必要があり、ロビーへ戻ると、常設展の入口横が、第二会場の入口でした。
第二会場は「生々流転」のみの展示です。一通り、作品を見たあとは、2階へ上がり、ギャラリー4へと向かいます。そこが第3会場で、晩年の作品の展示と特設ショップがありました。

下村観山「木の間の秋」 明治40(1907)年 東京国立近代美術館 *常設展で撮影
さらに常設展では、大観の盟友として知られる観山や春草の作品も公開されています。企画展とともにあわせて見ておくのが良さそうです。

右:菱田春草「賢首菩薩」 明治40(1907)年 東京国立近代美術館 *常設展で撮影
最後に会場内の状況です。前期展示の早い段階に出かけたのにも関わらず、館内は思っていたよりも賑わっていました。既に会期も1ヶ月近く経過し、GW後には大幅な展示替えも行われ、終盤へと入りました。

平櫛田中「鶴氅」 昭和17(1942)年 東京国立博物館管理換 *常設展で撮影
今のところ入場のための待ち時間はありませんが、会期末に向けて混み合うことも予想されます。時間に余裕を持ってお出かけ下さい。
5月27日まで開催されています。なお東京展終了後、京都国立近代美術館(6/8〜7/22)へと巡回します。
「生誕150年 横山大観展」(@TAIKAN_2018) 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
会期:4月13日(金)~5月27日(日)
休館:月曜日。
*但し4/30は開館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜・土曜日は20時まで開館。
*入館は閉館30分前まで
料金:一般1500(1300)円、大学生1100(900)円、高校生600(400)円。中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*本展の観覧料で当日に限り、「MOMATコレクション」も観覧可。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
「生誕150年 横山大観展」
4/13~5/27

東京国立近代美術館で開催中の「生誕150年 横山大観展」を見てきました。
日本画家、横山大観(1868-1958)は、今年、生誕150年を迎えました。
それを期しての一大回顧展で、出展作は全92件(展示替えあり)あり、全て大観の作品で占められていました。これまでにも大観に関する展覧会は少なくなく、例えば首都圏でも今年初めに山種美術館で「横山大観ー東京画壇の精鋭」が、さらに近年でも横浜美術館にて「横山大観展ー良き師、良き友」などが行われました。しかし国立美術館での大規模な大観展としては、2008年に国立新美術館で開催された「没後50年 横山大観 - 新たなる伝説へ」以来となります。
はじまりは明治時代の大観でした。まず目を引いたのが「無我」で、あどけない表情で水辺の近くに幼子が立つ様子を描いていました。29歳の作品で、無心や我執のないことを意味する、宗教的な思想を表しています。背後には早春の景色が広がっていて、水の青はかなり深く、金泥を刷いたのか、僅かに輝いていました。

横山大観「屈原」 明治31(1898)年10月 厳島神社 *展示期間:4/13〜5/6
一際、堂々たる姿に見えたのが「屈原」で、強い風の舞う荒野の上を、一人ひげを蓄えた男が、険しい表情で立っていました。あまりにもの大風からか、男の後ろでは鳥があおられていて、草木の葉も散っているものもありました。中国の楚の伝説的詩人に着想を得た作品で、大観は、東京美術学校を辞職した岡倉天心の心情を重ねたと回想しています。のちの大観作と比べても力強く、早くも初期に生み出された傑作と呼んで差し支えないかもしれません。
技法に対して苦心した作品もありました。その1つが「迷児」で、孔子や釈迦、老子にキリストが、幼児を囲む姿を描いていました。全体的に色が淡く、実際にもモノクロームの木炭画でしたが、なかなか木炭が定着せず、金泥と膠を刷いては、木炭をとめたりしていたそうです。また人の顔の表情なども精緻で、まるで西洋画のような顔面表現にも見えなくはありません。大観を特徴付ける朦朧体ではないものの、当時、「朦朧たる描法」として批評されました。
初期の大観の発想は意外なほどに型破りでした。それを示すのが「瀑布」で、金屏風の左右に、ともに大観が見学したナイアガラの滝と万里の長城を表していました。何ら関係のない東西の景勝地ながら、不思議と収まり良くまとまっていて、大自然の生み出した雄大な景色には、臨場感もありました。
大正時代に入ると、大観は、彩色画と水墨画を「併行して」(*)描き、デフォルメなどの造形上の「冒険」(*)などを試みました。琳派ややまと絵、それに古画にも学んでは、作品を制作しました。(*は解説より)
うち瀟洒な味わいを見せていたのが、「山茶花と栗鼠」で、二曲一双の金屏風へ、山茶花の木を描き、そこへ栗鼠が実をかじる様子を表しました。栗鼠は目を光らせながら、一心不乱に実へ向き合っていて、どこか人懐っこいようにも見えました。また、山茶花の木は、たらしこみを用いたのか、透明感があり、琳派的とも言えなくはありません。
その琳派に接近したのが「放鶴」で、六曲一双の金地の大画面へ、中国の宋の林和靖の逸話に基づいた、鶴を放す光景を描きました。左隻は白い雲と小さな鶴のみが描かれ、広い空を示すためか、そのほかには何もありませんでした。大胆な空間構成ではないでしょうか。

横山大観「秋色」(部分) 大正6(1917)年9月
また「秋色」も琳派的で、槙が葉をつけ、蔦が左右へ広がる空間の中を、二頭の親子と思しき鹿が首を伸ばしては、実をついばんでいました。朱色の蔦の色彩は鮮やかで、槙の幹に至っては、尾形光琳の「槙楓図屏風」に似ているとの指摘もあるそうです。華やいだ作品でもありました。
重要文化財に指定された「生々流転」も、大正時代に作られた作品でした。全長40メートルにも及ぶ長大な画巻で、一本の川を中心に、山深い里から平地、さらに大海原を経て、龍が現れるという光景を、細かな水墨の筆触にて表現しました。
今回、興味深いのは、作品には四季があるとする指摘で、確かに胡粉をつけた花や、葉をつけた柳、そして葉を落とした木々など、春から秋への景色を見ることも出来ました。さらに終盤の街は夜景であることから、時間の推移も描写されているそうです。水の巡る旅は、季節と時間を伴い、壮大なスケールにて表現されていました。
なお会場では「生々流転」は全て開いていて、小下絵の画帳と見比べることも出来ました。さらに作品の鑑賞の参考となる、映像の解説も付いていました。展覧会のハイライトであるかもしれません。
ラストは「昭和の大観」と題し、59歳から最晩年へ至る作品が展示されていました。ここで目立っていたのは、皇室に関した大作の2点、「朝陽霊峯」と「龍蛟躍四溟」でした。
「朝陽霊峯」は、明治宮殿の豊明殿の調度品として、当時の宮内省から注文を受けた作品で、大観は昭和2年に献上しました。六曲一双の金地の大屏風で、金色に染まった富士山と、同じく金の日輪の下で連なる山々を表していました。富士と日輪の金泥は微妙に異なるものの、眩いばかりの金色が世界を支配していて、富士の峰は神々しくも見えました。大観は、富士を国の象徴としての意味を込めて制作し、まさに「大観の富士」のイメージを決定づける作品と呼べるかもしれません。
一方の「龍蛟躍四溟」は、同じく六曲一双の大屏風で、龍や蛟、すなわち水に住む伝説上の蛇が海に躍る光景を描きました。龍の表情こそ飄々としていながらも、大気や海の波は激しくうねっていて、「生々流転」の描写を連想させました。これは国の要請により、日本美術院の画家が官展に合流した、第1回改組帝展に出品されたもので、大観は「彩管報告」(解説より)、つまり絵筆をもって国に尽くすという理念から制作したそうです。画題自体も国の前途を祝福するもので、出展後は宮中に献上されました。現在は、「朝陽霊峯」と同様、宮内庁三の丸尚蔵館に収められています。

横山大観「南溟の夜」 昭和19(1944)年2月 東京国立近代美術館
昭和期の作品では「南溟の夜」に魅せられました。星屑の瞬く空の下の海を、俯瞰した構図で捉えた一枚で、眼下には陸の森が広がるも、まるで海と一体になっているかのように描かれていました。ともかく白波とエメラルドグリーンの海が美しく、幻想的な光景ではないでしょうか。
今回は動線が特殊です。まず入口は、ロビー最奥部の正面に位置します。そこが第一会場で、明治から大正、昭和へと至る作品が展示されていました。そののち、一度、会場を出る必要があり、ロビーへ戻ると、常設展の入口横が、第二会場の入口でした。
第二会場は「生々流転」のみの展示です。一通り、作品を見たあとは、2階へ上がり、ギャラリー4へと向かいます。そこが第3会場で、晩年の作品の展示と特設ショップがありました。

下村観山「木の間の秋」 明治40(1907)年 東京国立近代美術館 *常設展で撮影
さらに常設展では、大観の盟友として知られる観山や春草の作品も公開されています。企画展とともにあわせて見ておくのが良さそうです。

右:菱田春草「賢首菩薩」 明治40(1907)年 東京国立近代美術館 *常設展で撮影
最後に会場内の状況です。前期展示の早い段階に出かけたのにも関わらず、館内は思っていたよりも賑わっていました。既に会期も1ヶ月近く経過し、GW後には大幅な展示替えも行われ、終盤へと入りました。

平櫛田中「鶴氅」 昭和17(1942)年 東京国立博物館管理換 *常設展で撮影
今のところ入場のための待ち時間はありませんが、会期末に向けて混み合うことも予想されます。時間に余裕を持ってお出かけ下さい。
挑み続けた70年の画業 横山大観展を見る : NIKKEI STYLE https://t.co/s37SkBaW3w
— 日経文化事業部 (@artnikkei) 2018年4月17日
5月27日まで開催されています。なお東京展終了後、京都国立近代美術館(6/8〜7/22)へと巡回します。
「生誕150年 横山大観展」(@TAIKAN_2018) 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
会期:4月13日(金)~5月27日(日)
休館:月曜日。
*但し4/30は開館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜・土曜日は20時まで開館。
*入館は閉館30分前まで
料金:一般1500(1300)円、大学生1100(900)円、高校生600(400)円。中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*本展の観覧料で当日に限り、「MOMATコレクション」も観覧可。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
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