『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

津和野街道の道しるべ碑

2018年07月18日 | 「廿日市地区」ぶらり



鎗出の道しるべ碑



砂原土橋の道しるべ碑



芸州吉田行程記(福尾氏所蔵)


 江戸期地誌の絵図


先日紹介した畑口橋手前の畑口橋交差点袂に道しるべ碑があり、表側「南無阿弥陀仏、右ハ石列道、左ハ九州道」、右側「寛政五癸丑、願主自覚」、裏側「コレヨリ、右ハ石刕、左ハ九刕」と刻されている。
西国街道と津和野街道の分岐点については時代により位置が替わっており、明暦3年(1657)には「そうり田土橋」、正徳4年(1714)から明和8年(1771)にかけては「鑓出口土橋」(芸州吉田行程記参照)、文政2年(1819)から安政6年(1859)にかけては「佐原田土橋」が(江戸期地誌の絵図参照)分岐点になっている。
御手洗川は畑口、鎗出付近では流れが急で、カーブを描いている場所なので自然護岸に架けられた土橋は大洪水の度に流出していたものとみられ、御手洗川の氾濫でこのように分岐位置が替わっていたようである。寛政5年(1793)の銘文があるこの道しるべ碑は前述などから鑓出口土橋のたもとに建立されていたものとみられるのである。公式的な津和野街道の分岐は前述のようにされていたが、このような度重なる災害により砂原土橋から御手洗川を渡らない津和野街道のバイパス的な道が造られて、砂原土橋のたもとに道しるべ碑が建立されていたのである。この道しるべ碑には「右 石州道、左 九州道」とある。

 
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