五重塔下にある荒胡子神社で江戸期の芸藩通志に「永正十二年に鋳たる鰐口、昔は社に懸けしや、今は本願金剛院にあり」とあり、通史の刊行された文政8年(1825)頃には鰐口が金剛院に架けられていたようであるが金剛院も鰐口も無くなっている。
ところが芸藩通志に古器図として年号は異なっているがこの鰐口を模したと思われる鰐口釜が掲載されており銘文に「奉寄進 鰐口 嚴嶋荒夷御寳前 永正十七年庚辰正月吉日 施主 廿日市」とある。銘文には施主廿日市とあるので廿日市の有力町人が廿日市鋳物師に依頼して鰐口を永正17年(1520)に鋳造・寄進したようである。茶道が盛んになった頃に廿日市鋳物師によりこの鰐口を模して鰐口釜が作られたものと思われる。