今月の市広報にはろくろ細工であるけん玉の特集記事が掲載されていた。
廿日市では江戸初期頃から木地屋が稼業しているが、江戸後期頃には吉和村で挽造活動していた木地屋の一部が廿日市に移住して町木地屋となって廿日市の木工細工隆盛の源流となったものとみられる。洞雲寺西墓地にみられる木地屋の墓碑(下画像4基)は刻銘や洞雲寺の古記録、資料などから吉和村から移住した木地屋のようである。これら木地屋のろくろ挽造活動が連綿と続いて明治期のけん玉製造となったのである。(廿日市の文化第24集所収-西中国山地の木地屋参照)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます