佐伯区三宅にある円明寺の境内に任助法親王の墓といわれる宝篋印塔がある。この宝篋印塔は元文2年(1737)に広島の西福院第八世弁雅和尚の発願で建立されたようである。宝篋印塔には仁助法親王之塔とあり任の字がなぜか仁となっているのである。この地が任助法親王の御葬地であるとの説もあるが、薨去から約150年後の建立であり供養塔のように思われるのであるが・・・
佐伯区三宅にある円明寺の境内に任助法親王の墓といわれる宝篋印塔がある。この宝篋印塔は元文2年(1737)に広島の西福院第八世弁雅和尚の発願で建立されたようである。宝篋印塔には仁助法親王之塔とあり任の字がなぜか仁となっているのである。この地が任助法親王の御葬地であるとの説もあるが、薨去から約150年後の建立であり供養塔のように思われるのであるが・・・
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