川末地区に残されている広電バスの川末車庫跡で棟続きに宿舎跡があるが現在朽ち始めている。昭和24年(1949)10月頃は原止まりであり川末までの運行が何時ごろ開始されたのかは定かでない。広電ニュースによると昭和35年(1960)11月に広島~川末3往復増便、廿日市~川末3往復増便とあり、昭和37年(1962)1月には原~川末1往復増便とされている。同年5月頃、広島バスセンター20時35分発の終便が川末に21時33分着、乗務員はここで宿泊して翌朝6時35分に廿日市行きの始発便が出ていた。
川末地区に残されている広電バスの川末車庫跡で棟続きに宿舎跡があるが現在朽ち始めている。昭和24年(1949)10月頃は原止まりであり川末までの運行が何時ごろ開始されたのかは定かでない。広電ニュースによると昭和35年(1960)11月に広島~川末3往復増便、廿日市~川末3往復増便とあり、昭和37年(1962)1月には原~川末1往復増便とされている。同年5月頃、広島バスセンター20時35分発の終便が川末に21時33分着、乗務員はここで宿泊して翌朝6時35分に廿日市行きの始発便が出ていた。
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