休耕している田んぼをイノシシが掘り返すので鹿威しを作ってみた。しかし竹が小さくてイノシシを威嚇するほどの音が出なかった。心地よいリズムでイノシシはやりたい放題掘り返していた。
早朝ウォーキングをしていると日の出前の朝焼けがきれいであった。道中の田んぼではハデ杭とナルを使用した伝統的なハデ架けがみられた。
当ブログ主はアルミ三脚に鉄管を使用したハデ架けでありあまり絵にならないのである。
一昨日は速谷神社の例祭(阿岐祭)で本年は創建1800年奉祝奉幣祭が斎行された。昨日神社では神輿の巡行が行われ、境内には一区から三区の子供会による俵神輿が集った。当地区の子供会の人数が少ないので子供会OB達の協力を得て行われた。
昨日は速谷神社の例祭(阿岐祭)で本年は創建1800年奉祝奉幣祭が斎行された。夜には有福神楽保持者会による奉祝神楽が「四剣・尊神・茣蓙・天蓋・柿本・人倫・恵比寿・神武・大蛇」など演じられた。
上画像はウォーキング途中の平良・原地区境付近に設置されていた貯水槽の現状で、途中の道路では順次配管埋設工事が行われているようである。下画像は原低区配水池の現状で看板表示によるとこれから両ケ所で電気機械設備工事が行われるようである。
12日は速谷神社の例祭(阿岐祭)で本年は創建1800年奉祝奉幣祭が斎行される。境内入口脇には新調された幟が立てられ、道路沿いの各所に小さな幟が立てられている。以前は講中で幟を各所に立てていたが、講中組織が無くなり幟が朽ちて幟が立てられなくなった。そこで各自が立てられるようにと小さな幟を発案され、各家の前に立てられているのである。関連行事として奉祝神楽・餅まきなどが行われる。
原地区を早朝ウォーキングしていたら伊勢神社の奉納神楽案内のポスターが掲示されていた。
「よごろ」に伊勢神社神楽団によって奉納される演目は安芸十二神祗神楽の形を忠実に伝承されていることなどから広島県無形民俗文化財に指定されている。下画像は過去に演じられていた時の画像である。
来る12日の創建1800年奉祝奉幣大祭の前に神門の大しめ縄が新しく作られたしめ縄に架け替えられた。
出雲大社神楽殿の大しめを制作されている島根県飯南町の大しめなわ創作館で作られたものである。(下画像)
秋祭りも近づいて昨日幟立てを紹介したが、天神山の天満宮では干しダコに似たような独特の吹き流しが吊り下げられている。
天神山は街中にある高台であり天満宮の吹き流しは街の各所から見ることができ、秋の訪れを知らせてくれる風物詩である。下画像は以前の画像で風になびく吹き流し。
12日は速谷神社の例祭(阿岐祭)であり、当ブログ主の組内の人達により昨日幟立てが行われた。
今年は速谷神社においては創建1800年奉祝奉幣祭が斎行され、関連行事として桃祓祭、奉祝神楽、餠まき、奉祝神輿、子供神輿などが行われる。
地御前神社近くの民家の外壁下部に木造船の底板部分とみられる舟板が使用されていた。潮に漬かっていたので耐久性があるのだろう。下画像は琵琶湖畔の長浜市街並みで見た蔵造りの外腰壁に大量の舟板が使用されていた。
江津市の旧市庁舎で著名な建築家吉阪隆正氏が設計したピロティ式のユニークなデザインの建物で、構造設計者は苦労したであろう。歴史的に貴重な建築物として注目されているが、市の財政状況などから耐震補強などをして市が保有することは困難なようであり、民間譲渡をする方針のようである。
温泉津温泉は5年ぶりであり以前は向かい側の薬師湯に入湯したので今回は元湯温泉湯治の湯に入湯した。昔からの湯治温泉であり、現在の温泉場のように洗い場も完備されてなく熱い湯舟とぬるい湯舟、適温の湯舟があり、長年の温泉成分がこびり付いた味わいのある温泉である。元湯温泉裏側には温光寺の薬師堂と地蔵堂がある。
鞆ケ浦は石見銀山開発当初に銀鉱石が積み出された港のようで、海上交通の安全を祈った厳島神社が鞆ケ浦入口の鵜の島に祀られている。厳島神社に参詣しようと思ったが鵜の島への橋脚が老朽化のため通行止めとなっていた。(厳島神社画像―鞆館HP画像より)
鳴き砂の琴ケ浜には遥か昔に訪れたことがあるが、琴ケ浜のはずれ付近を久しぶりに訪れた。
アナゴといえば瀬戸内産・・・ ところが島根県はアナゴ漁獲量が全国有数の産地で、その半数は大田市で水揚げされているようである。久しぶりに大田の大アナゴの穴子寿司と穴子丼をそれぞれ食した。我が市内で穴子弁当を買ってみたら瀬戸内産でなく外国産の穴子が使用されていたのにはびっくり!