hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

今野敏『夕暴雨』を読む

2024年03月19日 | 読書

 

今野敏著『夕暴雨(ゆうばくう) 東京湾臨海署安積班』(ハルキ文庫こ3-35、2012年4月18日角川春樹事務所発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

東京湾臨海署管内で大規模イベントへの爆破予告がネット上に流れた。安積警部補率いる班と相楽班は警戒警備にあたるが、爆破は狂言に終わる。だが再び、翌週のコミックイベントへの爆破予告がネット上に書き込まれた。前回と違う書き込みに、予告の信憑性を訴える須田刑事。須田の直感を信じた安積は、警備の拡大を主張するが、相楽たちの反発をうけてしまう。迫り来るイベント日。安積班は人々を守ることができるのか? 異色のコラボが秘められた大好評シリーズ、待望の文庫化。(解説・細谷正充)

 

本作品は、安積班シリーズ12作のうちの一つ。

 

再度の爆破予告は、須田の感からも本物臭く、安積は思い切って警備課・下沢課長に体制強化をお願いするが、逆に刑事課も体制強化を求められた。安積班も全員で警備応援にあたるが、東京ビッグサイトは広かった。

イベントが終了する17時前、ずんという震動を感じた。男子トイレの個室でごく小規模の爆発が起こり、会場の人は出口に殺到した。このとき、地面をゆらして巨大なものが近づいてきて、人々は立ち止まり、混乱は収まった。

 

犯人捜査が始まり、容疑者(個室男)が、爆発があった「個室が故障している」と4名に言って出ていった。安積たちはこの証言の矛盾を追及し始める。

 

 

台湾では、ゲリラ豪雨のような夕立のことを夕暴雨(ゆうばくう)という。

 

 

安積警部補:主役。東京湾臨海署強硬犯第一係長。45歳。部下には絶対の信頼があり、上司には言うべきことははっきりと言う。決して信念を曲げない。娘との関係は良好で、元の妻とは微妙。

村雨部長刑事:安積に忠実に仕事し、部下を厳しく指導する。堅苦しいほど基本に忠実。嫌われ役。
桜井:村雨に厳しく指導されている。安積班で一番若い。
須田部長刑事:村様と対照的で、ぽっちゃり体型で機敏でなく、簡単に他人に同情してしまう。しかし、勘は人一倍鋭い。本人は勘の根拠が乏しく自信がないが、捜査が行き詰った時には頼りになる。
黒木:須田と組む。常にキビキビと動き、整理整頓している。
速水警部補:安積と同期。交通課で飄々働く白バイ野郎。事件を斜め上から眺めるなどして、視界が狭まりがちな安積に有効なアドバイス

を送る。
相楽:本庁捜査一課から強硬犯第二係長へ異動。40歳前。安積をライバル視し、意地を張るタイプ。

 

本作品は2010年1月に角川春樹事務所から単行本として刊行。

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

読みどころは、イベントでの爆破予告が本物かどうか、イベントの警備、爆破予告犯人の逮捕だが、いずれも、地味過ぎて熱中して読むほどではない。

警察内部の主導権あらそい、成果を上げ続ける安積への対抗心も、雰囲気は盛り上げるが、メインテーマではない。

本庁警備部の別部隊が開発中の巨大な特車が秘密めいて登場するが、詳細は語られずにそのまま終わるので消化不良だ。

 

今野敏の略歴と既読本リスト

 

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中村文則『去年の冬、君と別れ』を読む。

2013年11月11日 | 読書
中村文則『去年の冬、君と別れ』(2013年9月幻冬舎発行)を読んだ。

ライターの「僕」は、2人の女性を無残に殺害して一審で死刑判決を受けた木原坂雄大、元カメラマン35歳、に会いに拘置所へ行く。出版社から依頼され彼の本を書くためにやってきたライターに、彼はまっすぐ顔を見ながら「覚悟は、・・・ある?」と問う。

・・・まるできみの中に、僕を入れていくみたいに

「でも、木原坂雄大は、あれほど写真に執着し、女性を二人殺すほど彼女達を」
「ええ、確かに彼は激しい。でもその激しさと、欲望とは別なのです。彼の内面には何も存在しないのですよ。あなたは彼を勘違いしている」

君は誰だ?


被告は海外からも高く評価されカメラマン。しかし、被写体への異常なまでの執着が乗り移ったかのような彼の写真は、見る物の心をざわつかせる。彼は2度にわたってモデルの女性を殺害、さらに現場に火を放った。彼はなぜそんな事件を起こしてしまったのか?それは本当に殺人だったのか?
何かを隠し続ける被告、近づく男の人生を破滅に導いてしまう被告の姉、大切な誰かを失くした人たちが群がる人形師。
だが、何かがおかしい。調べを進めるほど、事件への違和感は強まる。事件の真相に分け入った時に見えてきたもの、それは――?

幻冬舎創立20周年記念特別書下ろし。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

はじまりは素晴らしい。深い闇を思わせるカメラマンの態度。何かありそうなライターのつぶやき。さすが芥川賞作家。

ただ謎を深めるための複雑な構成や、謎めいた登場人物の心の中に入り込むことなく、人物の心理描写がほとんどない。ただ、淡々とストーリーが進められる。
ミステリーはあまり読まない私は、人物のトリックにはすっかり騙されたが、すっきり納得したわけではない。思わせぶりも多い。冒頭からのK2のメンバーとは、結局・・・。



中村文則(なかむら・ふみのり)
1977年愛知県東海市生れ。福島大学行政社会学部卒。作家になるまでフリーター。
2002年『銃』で新潮新人賞、(芥川賞候補)
2004年『光』で野間文芸新人賞、
2005年『土の中の子供』で芥川賞、
2010年『掏摸』で大江健三郎賞を受賞。
その他、『最後の命』、『悪意の手記』、『何もかも憂鬱な夜に』、『世界の果て』、本書『去年の冬、君と別れ』

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香山リカ『若者のホンネ』を読む

2013年05月29日 | 読書

香山リカ著『若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか』(朝日新書378、2012年12月朝日新聞出版発行)を読んだ。

宣伝文句はこうだ。
平成生まれの大卒社員が社会人になった。中高年の多くが「最近の若者は何を考えているのかわからない」という悩みを抱えている。若者に特有のプライドとは何か、コンプレックスとは、恋愛や人間関係とは……「学歴」「お金」「睡眠」「勉強」「責任」「自分みがき」「いじめ」「遊び」「涙」「友達」「環境」「仕事」「クルマ」「平和」「ブランド」「結婚」など40のキーワードを元に精神科医で立教大学教授の著者が、中高年と若者の心理の違いを綴った10年ぶりの若者論。


「昔は『とりあえず生ビールを人数分ね』などと言ったものだが、いまはひとりひとりがメニューをじっくり見ながらそれぞれ飲みたいものを決め、ひとりひとり注文する。」

「深いかかわりはしたくないし、ただ群れているのはムダだとわかっていても、とりあえずひとりでいなくてすむくらいの友だちはほしい」
「四六時中、友だちや知人のブログやツイッターなどをチェックし、・・・いつも『メールしたのに返事がない。嫌われているのかな?』『ツイッターでつぶやいても誰もレスしてくれない。ついに“ぼっち”になったか』などとまわりの仲間の顔色を気にしながら暮らす・・・」

新型うつの人は、「『遊び』なら緊張もせずに不安にも駆られずに取り組むことができるが、いざ『仕事』となるといきなりハードルがあがって、手も足も出せなくなる。」

今どきの若者は、生きづらい世の中を、無難に、なんとか生き抜くことを第一とし、合理的に考えているようだ。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

この本読んで「最近の若者は元気ない年寄りみたいだ」と、昔々の怒れる若者、今はキレる爺さんの私は思う。でもこんなおとなしすぎる若者を作ったのは、我々の作った世の中であり、大切にと育てた親たちなのだ。
特に、母親が家庭内で父親をのけ者にして、女系家族で子供を育てた罪は重い。と、とばっちりを飛ばして、こんなところで憂さ晴らし。

香山さんも精神科医なら、学生がああいった、こういっただけでなく、そのよって立つところをもう少し分析して欲しい。

若手社会人へのアンケート調査で、4割が「出世したくない」と答えたそうだ。まだ4割かよ、と私は思う。私など50年前から、たいして給料も違わないのにいやな仕事が増える偉いさんなどになりたくないと思っていた。こんなこと言うと、負け惜しみバレバレだが。



香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。
それにしても、香山さん、書き過ぎです。
おとなの男の心理学
<雅子さま>はあなたと一緒に泣いている
雅子さまと新型うつ
女はみんな『うつ』になる
精神科医ですがわりと人間が苦手です
親子という病
弱い自分を好きになる本
いまどきの常識
しがみつかない生き方
だましだまし生きるのも悪くない
人生の法則




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アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』を読む

2012年07月06日 | 読書
アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳『インド夜想曲』白水Uブックス99、1993年10月白水社発行、を読んだ。

主人公はインドで失踪した友人シャビエル(ザビエル)を追って、ボンベイ、マドラス、ゴアを巡る。実際にあるスラム街の宿、厚顔無恥なほど豪華なホテル、悲惨で不潔な夜の病院、謎の神智学協会など幻想と瞑想に充ちた世界を描くインドに実在の場所を巡る12の物語。
そして最終到達地、ゴアの高級ホテルで彼が見たものとは?

友人を探していると言ったら、医者はいう。
「インドで失踪する人は、たくさんいます。インドは そのためにあるような国です」・・・床にはまっくろになるほどのゴキブリがいて、・・・僕達の靴の下で、小さな破裂音をたてた。・・・「壁にびっしり卵がついていて、病院そのものをとりこわさない限り、どうにもなりません」


夜中のバス停の待合室で会った美しい目の少年の肩には恐ろしい形をした生き物、兄が乗っていた。兄は預言者で「あなたはマーヤー(この世の仮の姿)にすぎない」など禅問答を繰り広げる。

アントニオ・タブッキ Antonio Tabucchi
1943年イタリア・ピサ生まれ。今年3月68才で死亡。
作家で大学教授(ポルトガル文学研究、詩人フェルナンド・ペソアの紹介者)。
本書は、フランスのメディシス賞外国小説部門賞を受賞
「供述によるとペレイラは・・・・」はイタリアのカンピエッロ賞とスーパー・ヴィアレッジョ賞を同時受賞。

須賀敦子
1929年(昭和4年)兵庫県に生まれ。
1951年に聖心女子大学文学部を卒業。慶応の大学院を中退し、フランス留学。
1958年にイタリア留学し、1961年、コルシア書店の中心者の一人であるペッピーノ・リッカと結婚。
1967年に夫は急逝し、1971年日本に帰国。
大学の非常勤講師をしながらイタリア語の翻訳者。上智大学の助教授、教授となる。
1990年『ミラノ 霧の風景 』を刊行、翌年女流文学賞、講談社エッセイ賞受賞。
コルシア書店の仲間たち』単行本5冊、翻訳6冊を出版。
1998年69歳で死去。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

インドの深い謎の風土の中で、底抜けの貧困、贅を極めたホテルといった環境、そして出会う人々は不可思議。非現実的な出来事が起こるわけではないのに幻影の中で浮遊している感じになり、読んでいる自分の立ち位置が不明になりそうになる。
そのうち、友人探しは謎が深まるばかりで進展せず、『僕』の行く先々での体験、不思議な人々との出会いに比重は傾いていく。

私には原文は読めないのだが、タブッキという稀有な作者と須賀敦子という名代の理解者、文章家の才能の乗算なのだろう。


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伊藤計劃『虐殺器官』を読む

2011年05月06日 | 読書
伊藤計劃著『虐殺器官』ハヤカワ文庫JA、2010年2月早川書房発行、を読んだ。

“テロとの戦い”は激化し、サラエボが手製の核爆弾によって消滅する。先進資本主義諸国はこれを機に、個人情報認証による厳格な管理体制を構築、社会からテロを一掃する。
一方、後進諸国では内戦や民族虐殺が激増する。その背後には謎の米国人ジョン・ポールがいる。アメリカ情報軍・特殊検索群i分遣隊のクラヴィス・シェパード大尉は、チェコ、インド、アフリカに、その影を追う。ジョン・ポールの目的は何か? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは何か?

本書は2007年6月に早川書房より単行本として刊行された作品の文庫化だ。



伊藤計劃(いとう けいかく)1974年10月 - 2009年3月
1974年、東京都生まれ。武蔵野美術大学美術学部映像科卒。
Webディレクターのかたわら、執筆活動を続ける。
2007年本書『虐殺器官』
2008年『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』(新作ゲームの小説化)
2008年『ハーモニー』で、2010年星雲賞日本長編部門、日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞受賞
2007年に、34歳、作家デビューしてからわずか2年ほどでガンのため早逝。
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/

本書の著者インタビューで、ペンネームの由来について語っている。
ペンネームのローマ字表記は Project Itohで、伊藤計画(本名は伊藤聡)なのだが、
はてなダイアリーのblogを書き始める前からWEBサイトをやっていたのですが、そのときにつけたハンドルです。自分自身を計画する、というか、若かったので、なんかやってやろう、という野望の反映だったのでしょう。「劃」の字が古いのは、香港映画とかでそう書かれているのが印象的だったからです。ジャッキー・チェンの『A計劃(プロジェクトA)』とか。




私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

欠点は多いが、骨太ですさまじいエネルギーだ。
2005年ガンで入院、抗癌剤の副作用から解放されると、会社勤めのかたわら、『虐殺器官』をわずか10日で書き上げた。転移がみつかり、病院でゲラ刷りを読み、入退院を繰り返す。次作『ハーモニー』は病院で一日30枚書いたというから、生き急いだのだろう。

ただし、大量虐殺死体の描写や子供の兵士を撃ち殺す場面など残酷シーンが続出するので万人向きではない。ただし、記述は、さらりとして漫画的でおどろおどろしいものではない。

平易な言葉で深い内容を書いた小説もあるのだから、雑学ともいえる知識は小説の本質ではないのだろう。しかし、管理社会、言語学、心理学、脳科学、ゲーム理論、グローバリズム等々知識がそこかしこで示される。深みのある知識ではないのだが、小説に深みを増していることは事実だ。漫画によくある手法だ。

戦いに参加する前に兵士はカウンセリングを受け、戦闘に適した感情状態に調整される。個人の選択の余地は残されているので洗脳とは違うと言うのだが、最後にカウンセラーは穏やかに言う。「どうですか、今なら子供を殺せそうですか」
そして、戦場では麻薬で恐怖や痛みを麻痺させられた敵の少年兵と対峙する。双方、ある意味同じ状態での戦いになっている。



欠点を以下、羅列する。
母親の死のセンチメンタルな回顧シーンがやたら出てくるのが、他の場面のクールさとバランスが悪い。

「虐殺器官」が何を指すのかという謎は一応理解できた。言語というのはコミュニケーションのツール、というより「器官」だと彼女は言い、そして最後の方で、謎の男ジョン・ポールにより、「虐殺」の方法、意義が語られる。しかし、これでは、なるほどとは思っても、誰もを完全に納得されることは難しいだろう。

特殊作戦コマンド(SOCOM)、濡れ仕事屋(ウェットワークス)などアルファベットやカタカナのルビがやたら出てきて読みにくくしている。

彼女との哲学的?論争が数ページでてくるが、深みはないし、小説の流れの中で必要とは思えない。
「良心それ自体はな。良心のディテールは社会的産物よ。ミームとして世代から世代に伝えられ、あるディテールは淘汰され、あるディテールは生き残る、それが文化ということよ」「じゃあ、ぼくらはミームに支配されている、っていうこと・・・」


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「彼女があのテレビを買ったワケ」を読む

2008年05月06日 | 読書
木田理恵「彼女があのテレビを買ったワケ-男がわからなかった女が商品を選ぶ本当の理由-」2008年3月 エクスナレッジ発行 を読んだ。

奥様から「あなたもこの本を読んで、少しは女性心理を勉強したら?」とお勧め、実質ご下命により、読む機会を与えていただいた本だ。

定量分析や競合分析など通常のマーケティング手法では得られない買物における女性の本音、女ゴコロをつかむ法則について述べた本である。著者は、女性市場マーケティング会社に勤務し、女性マーケッター養成講座で講師を勤めている。




著者の言うポイントは以下にまとめられる。(こういった簡単に要約するまとめかたが、男性の単純さと言われそうだが)

「男性は一般的に商品を買った結果、得られる成果にこだわる。女性はというと、その買い方、プロセスにこだわる人が多い。」

「女性は、欲しい商品を手に入れるという行為に快感を覚えているのではなく、この買物のプロセス、好きなものが揃っているお気に入りの空間で自分が主役になり、人と共感しあえる時間を楽しんでいるからではないかと思う。」




以下、いくつか買物における女性心理らしきものを抜粋する。

「女性の幸せは、人との関係であることが多い。」

「女性はちょこっとした幸せな感じを与えてくれるものに弱い。」

「頑張っている私にご褒美を」




私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば) 

女性の買物に何度か付き合ったことのある男性なら、この本に書いてある一般的女性の買物心理はほぼ分かっていることだ。現象としては分かっているが、何でそうなのかが、たいていの男性は理解できず、イラついたり、逆にあきらめたりしているのではないだろうか。

まさに、
「男と女の間には  深くて暗い川がある  誰も渡れぬ川なれど
エンヤコラ 今夜も 舟を出す ・・・」(「黒の舟唄」能吉利人作詞・桜井順作曲)
である。

かけがえなく、いとしい人なら、理解する努力を続けなくてはならないのだろう。相方に我慢をさせるだけでなく、その笑顔が見たいなら、その喜びが当方の喜びなら、ともかく、「エンヤコラ 今夜も 舟を」出さねばならない。






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「命と向き合う-老いと日本人とがんの壁-」を読む

2008年04月25日 | 読書
中川恵一、養老孟司、和田秀樹著「命と向き合う - 老いと日本人とがんの壁 - 」2007年1月小学館発行を読んだ。

中川氏は放射線によるがんの緩和医療の専門家、和田氏は精神科医、養老氏は解剖学者。
内容は、3者各々の文(中川氏:日本人とがんの壁、養老氏:日本人の死生観、和田氏:日本人と老い)と、中川氏*養老氏の対談(現代ニッポン人論)と、中川氏*和田氏の対談(がんでもボケても)の5部構成。


中川氏「日本人とがんの壁」 
簡潔で、説得力ある話だ。

・日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人が死ぬ。10年後には2人に1人ががんで死ぬ。
・ がんの原因は老化なので、高齢化により急増している。
・ 日本人は死を生活からも意識からも排除して、永遠の生きるつもりでいる。身体に対する潔癖性が過剰で悪いところはきれいさっぱり切り取って永遠に生きたいと思っている。高齢になれば、身体はほうぼうボロボロになっている。がんだけ、なくしたいというのは矛盾だ。
・ 永遠に生きるつもりではがんとの賢い付き合い方はできない。症状緩和を拒否し完治をめざし激しい痛みの中に亡くなる人が多い。
・ 日本のモルヒネ使用量は米国の1/20.痛みを我慢するより、適切に使ったほうが長生きできる。
・ 緩和ケアでは人生の豊かさは、時間の長さとは別であると考える。豊かな人生は豊かな瞬間の積み重ねで、一瞬、一瞬を大事に生きるしか、人生を豊かにする方法はない。がんの痛みに耐えている時間などない。命には限りがある。超高齢化社会では治癒をめざす治療と緩和ケアの境はあいまいとなる。

養老氏「日本人の死生観」
言わんとすることはわかるが、散漫なので無視して、主題とは外れた話題をひとつだけ。
・ 犬も猫もサルも絶対音感の持ち主。サルに曲を聴かせて訓練してから、一音をずらして聴かせると反応しない。人間の耳自体は絶対音感だが、多くの人にその能力はなく、音が変化していく状況をパターンとして把握して同じ曲と判断する。人間は「同じ」と判断する能力が高い。色々形の違うリンゴをリンゴとして認識できる。


和田、中川対談
・ 認知症とがんは、告知が難しい点と、急激に進行する人と穏やかな人がいる点が似ている。前立腺がんは5年生存率が80%くらいで、すい臓がんは5%くらい。
・ がんも認知症も老化現象なので、根治できなくても即、死を迎えるわけではない。あくまで老化の1プロセスだ。
・ 長く元気でいて、ある日突然ぽっくり逝きたい(PPK)と思う人が多い。ただ、実際は、塩分を控えたり、飲みたいもの食べたいものをがまんしたりして、脳卒中や心筋梗塞を予防し、老化によるがんや認知症の確率を増やすという逆のことをしている。
・ 現在日本では、いつまでも元気で若々しくいることが素晴らしいというアメリカ的な過剰なアンチエイジングへ傾倒してしまっている。老いを受け入れることができず、70歳、80歳になっても自分が死なない感覚がある。どんな犠牲を払っても一生がんと戦うという考えが強い。

和田「日本人と老い」 
・ 今の老年医学は「老人でない状態」にしてあげることを目指す医学。寝たきり、介護状態の人へのアプローチがない。
・ がまんしていると何か良いことをしているような錯覚がある。高齢者こそがまんしないほうが良いのかもしれない。老いと闘うことだけでなく、「老いてから後」を考える必要がある。
・ マンガのサザエさんの磯野波平さんは52歳だ。今の高齢者は昔に比べ確かに若く見える。しかし、生きている以上、老化は防げない。



私の評価 ★★★★★(五つ星:是非読みたい)
年寄りだけでなく、いずれ年をとる人、つまり若い人にも読んでおいてもらいたい本だ。

老人は「がんと闘うな」と言われても、私なぞ簡単に「そうですね」とはまだ言えない。しかし、80歳、90歳になれば、「痛みがないようにして、もうそのままで良い」と言うと今は思う。
昔昔のように、老人の知恵が生きる世の中であれば、老人も若くありたいとは思わないのだろうが。時間だけはたっぷりある老人にしかできないことは何だろうか。
良く勉強し、東大に入り、優秀な医師になり、必死に老化に伴う病を闘ったこの3人の著者だからこそ、医術の限界を知って、老いは受け入れるものとの考えになったのだろう。もともといいかげんで70%の力で生きてきた私は、真っ先にあきらめることはせず、もう少し老いと闘うべきなのだろう。










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瀬戸内寂聴の「秘花」を読んだ

2008年04月19日 | 読書
瀬戸内寂聴「秘花」(ひか)2007年5月 新潮社発行を読んだ。


題名の由来であるが、世阿弥が残した「風姿花伝」に「秘すれば花」の言葉があるらしい。本書の中では、父、観阿弥が「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」と言ったとしている。

室町時代の能楽師 観阿弥(かんあみ)の子である世阿弥(ぜあみ)の生涯を描いている。世阿弥は、12歳のとき17歳の三代将軍足利義満に美貌を見初められ寵愛を受ける。以後、観阿弥・世阿弥親子の観世座は人気絶頂となる。
世阿弥の次男(実子)元雅は才能があったが若くして死に、三男元能は出家する。そして長男(養子)元重によって世阿弥は地位を脅かされる。やがて、観世座の人気が落ち、気まぐれで横暴な六代将軍義教(よしのり)から世阿弥は佐渡に流される。72歳となっていた世阿弥は、自然に恵まれ、人情の濃い佐渡で、島の女性・沙江をそばに置き、つましい生活を送るうち、彼ははじめて心の平安を得てゆく。しかしながら、芸一筋の情熱は常に失わず、耳目が不自由になってからも謡と仕舞の稽古を続け、新しい能の創作に取り組む



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。能楽をはじめ芸事が好きな人、秘めやかなエロチシズムただよう寂聴世界のファンにはこたえられない一冊だろう。能の一節も何度となく出てくる。

ほとんど資料がない世阿弥最後の十年間を、85歳になった寂聴さんが4年の歳月をかけ大胆に創造する。70過ぎて始めて心静かな生活を得て、しかも芸への情熱を失わずにいる世阿弥の姿からは、近年の寂聴さん自身を浮かび上がらせる。

表紙のカバーは、おどろおどろしくはないが、とても本とは思えない絵でいかにも横尾忠則。

――――――――――――――
「これを書いてもう力尽きたと思った。でも、創作の泉は空っぽになったのに、また水が湧(わ)いてくるのを待っている自分がいます。生きている間は書くんでしょうね。あまりの忙しさにもう一度出家したいと思ったり、島流しにあこがれたりするけれど、私はあの世へいっても、きっとものを書いているでしょう」
(2007年5月15日 読売新聞)
―――――――――――――――――

寂聴さんに乾杯!








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永井明「ぼくに「老後」がくる前に」を読む

2008年04月16日 | 読書
永井明「ぼくに「老後」がくる前に-老人体験レポート-」1999年3月飛鳥新社発行を読んだ。

51歳の著者が、映画のメイクアップの人によりしわだらけの80歳のおばあさんに変身。両耳にスポンジ、前に2kgの重り、手足にも各2kgの重りを付け、ひじとひざをサポーターで固定して、街を歩き、買物をして、人に会う。実体験して初めてわかった高齢化のレポート。

階段の下りが怖い。駅の券売機では小銭を取り出すのにもたついて後ろのビジネスマンから舌打ちされる。
普段は何でもない動作が老人にとっては大変な苦労であることを実感する。相手にされず、ひがみ易く、逆にちょっとの親切が嬉しくなる。
アキばあさんの扮装で、銀座、巣鴨、お台場に行き、熊本まで飛行機に乗ったりする。ノリノリの写真付き。



著者は「ぼくが医者をやめた理由」を書いた医療ジャーナリスト。
この本の最後は、「チャオ、アキばあさん、また30年後に会いましょう」で終わるのだが、痛ましいことに、著者は、2004年56歳で肝臓がんにより死去した。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)。お年寄りがモタモタしていてもイラつかないために、もうすぐ(?)来る老後のあなたを世間がどのように扱うか知るために一読を進めたい。




永井さんは医者だったから、老化の医学的説明がとことどころ入る。2つだけ要旨をご紹介。

――――――――――――――――
動物種には成長期、生殖期、後生殖期がある。成長期、生殖期には身体のメカニズムはフル回転するが、後生殖期は短くてすぐ死ぬ。
性成熟年齢と、もっとも条件に恵まれた場合の寿命である最大寿命は比例し、ゴリラは8歳と40歳で、チンパンジーは9歳と45歳。人間は13歳で性成熟するから、この計算での最大寿命は65歳ということになる。実際の人間の寿命はこれよりかなり長くなっていて、後生殖期が遺伝の原則を越えて不自然に異常に長くなっている。この結果、ガン、認知症など身体のあちこちにガタが来るのは当然だ。

老化は、昔は生理的衰えとして治療対象にならず、「歳のせいだ」で済んでいた。1961年に始まった国民皆保険制度以来、老化現象に対しても濃厚な治療が行われるようになり、保険財政は破綻した。
――――――――――

私は、無理な延命処置は不要と思うが、老化を素直に受け入れる気持ちにはまだなれない。しかし、医術の進歩により、老化にどこまで対抗すべきかは、確かに個々人の倫理上、経済上の問題となってきているのだろう。






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佐藤愛子「老い力」を読む

2008年04月13日 | 読書
佐藤愛子「老い力(おいぢから)」2007年10月海竜社発行を読んだ。

50代から老いや死について考えてきた佐藤愛子さんが、50代、60代、70代、80代と書いてきたエッセイを集めたものだ。

近年は、年取ってもいつまでも元気で若々しく生きることが望ましいと考えられている。しかし、実際に老いは確実にやってきて、やがて、病苦、老衰、死がやってくる。著者は現実を静に受け入れ、ジタバタせずに老いと死を迎えるほうが良いと考えている。

50代では中年女性について、60代では老人について、80代では死についてと、エッセイの主たるテーマは変わり、かつ各年代には時代の移り変わりも反映している。しかし、勇ましく、強気で、口が悪く、かつ現実的な著者の考え方は各年代で一定している。

佐藤愛子ファン、とくに女性には、痛快な物言いが気持ちよく、とんでもない失敗談など笑える話も多いのだろう。しかし、私には、何冊か読んだ佐藤さんのエッセイのパターンと同じ話が多く、いずれも新鮮味はない。昔書いたエッセイも多いので当然だが、今読むと、話題も考え方も時代からずれてしまったように見える。

私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)









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姜尚中「在日」を読む

2008年04月12日 | 読書
姜 尚中(カン・サンジュン)「在日」集英社文庫 2008年1月発行を読んだ。この本は2004年3月に講談社から出た単行本に大幅加筆して文庫化したものだ。

著者は朝鮮戦争のさなかの1950年、韓国・朝鮮人二世として熊本市に生まれ、早稲田大学政治学研究科博士課程修了。現在、東京大学情報学環教授。

姜尚中の在日としての半生を語った自伝である。

前半は韓国・朝鮮人集落で暮らす父親、母親、同居人のおじさんなど悲惨ともいうべき身近な在日一世の境遇と、その中で愛情を注がれた子供時代が淡々と語られる。

青年期には、激しく変わる韓国、北朝鮮の状況に翻弄されながら、日本名「永野鉄男」を捨て、「姜尚中」を名乗り、在日としておずおずと政治活動に携っていく。その結果、政治の季節の終焉とともに挫折し、やがて学究の徒として留学し、結婚もする。

後半では、大学で教えるようになり、そしてTVなどに出だしてからは少数派の在日として意見を、ためらいながらもしっかり主張する。例えば、北朝鮮バッシングの中で、六カ国協議でしか北朝鮮問題を解決できないことを主張する。




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。TVの討論番組などでお馴染みにように、冷静で穏やかに、淡々と極めて困難な状況を語っているので読みやすい。


私の理解として、在日の問題は、排他的な日本の中の外国人としての立場だけではなく、韓国、北朝鮮の人からも疎外され、反日と反朝鮮のハザマにはまり込んでしまう点にあると思う。
韓国の政治情勢は激しく動き、暴力的であり、北朝鮮にいたっては狂信的で、日本人の共感を得るには程遠い。同時に、日本人の嫌朝鮮の感情を、日本により悲惨な被害を被った韓国、北朝鮮の人に伝えることもより難しい。

ただ、姜尚中はまちがいなく頭が良く、勉強もし、在日で東大教授になるという超エリートだ。したがって、この本は、多くの在日の人の苦しみを知るための本としては十分なものではないだろう。


ひとつだけご紹介。

埼玉県で指紋押捺拒否第一号になって運動の象徴になるが、苦しんだ末、生活上から降りることにした。ことのとき、上尾合同教会の土門一雄牧師は言う。

――――以下引用――――

「わたしは姜さんがどんな決定をしても、それを支持したいですね。もともと私たちの運動は市民の運動です。市民の運動はね、国家権力と対峙するとき、敗北するに決まっているんです。でもそれをただ敗北とだけ受け止める必要はないと思いますよ。負けて、負けて、負け続けて、しかしいつの日か勝てないけれど、負けてもいない、そんなときがくるはずですよ。だから姜さん、今あなたが犠牲を被る必要はないんです。だれもそれを姜さんに求めることはできないし、求めてはダメなんです。姜さんがこんなふうに悩まなければならない状況を作っている私たち日本人にこそ、問題があるのですから」

――――以上引用終わり――――

姜尚中は土門牧師への尊敬の思いで、洗礼を受ける。







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青山七恵「ひとり日和」を読む

2008年04月09日 | 読書
芥川賞受賞作の青山七恵「ひとり日和」2007年2月河出書房新社発行を読んだ。

20歳のフリーターの知寿は、母の知り合い71歳の吟子さんの家で居候する。知寿はキオスクで働き、恋をし、破れ、一年を過ごす。

著者は、1983年、埼玉県出身。2005年「窓の灯」で第42回文藝賞を受賞し、2007年「ひとり日和」で第131回芥川賞を受賞する。



変化の少ない日常を気だるく生き、中途半端に恋愛する大人になれない主人公。同居する年寄りとの微妙な関係、バランスや、ときどき現れる母との関係は良くかけているが、全体に平板で倦怠感だけがただよう。

著者には感性と表現力はあるのだろうが、閉塞感のある社会で気だるく生きるという最近の小説にありがちな設定はどうにかならないだろうか。

芥川賞受賞作に厳しいが、私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)







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藤原智美「暴走老人!」を読む

2008年04月07日 | 読書
藤原智美「暴走老人!」2007年8月文藝春秋発行を読んだ。

ここ数年高齢者が突然キレて問題を起こすことが多くなった。常識のタガがはずれ、たいした理由もなく窓口で突然キレル、店で怒鳴り続ける。キレやすい最近の老人を著者は、「新」老人と呼ぶ。

この本には、他人から見ると、なんでそんなことでと言うことで、老人が突然キレて、感情を爆発させた多くの事例が新聞記事などから紹介され、著者の分析が示される。

インターネットや携帯が急速に普及するなど激減する時代環境では過去の経験則は無駄であるばかりが、有害に成りうる。老人は置いてきぼりをくらったような焦りを感じ、イラついて感情爆発を起す。

また、独居の増加などで孤立した空間に置かれることも多く、さらにファミレスやコンビニのようにマニュアル化された笑顔ばかりで感情の交流のない客扱いに心が疲労し、イラツキが蓄積する。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め) 。

とくに老人に近づいた人には第三者的に自分を見つめるためにお勧めだ。社会学的全体分析はないが、個々の事例について著者なりの個別の分析をしており、なるほどと思わせる場合も多い。
私自身、いまだ見栄があり、あきらめやすい性格であるため爆発することはないが、イラつくことは多い。TVを見てブツブツ文句を言うこともあり、奥様にたしなめられることもある。単に反省するだけでなく、なぜイラついたのか追及するのも面白いと思った。

それにしても、もはや老人は知恵の固まりでも人生の先輩でもなく、単なる邪魔者なのか。私自身もじっとパソコンの前に座り、たまに旅行する生活を改める必要があるのかもしれない。多くの退職者と同じようなボランティア、趣味サークルなどでしか社会とつながりはもてないのだろうか。


著者の藤原智美氏は1992年に芥川賞を受賞した作家だが、「「家をつくる」ということ」など家族問題をテーマにしたノンフィクション作家でもある。




まったく、本筋ではないが、面白いと思った点を2つ。

体内時計は代謝の速さ、おおざっぱに言って酸素消費量、つまり脈拍数に対応している。高齢者の脈拍は毎分50程度で、子供は70くらいだ。つまり、高齢者は子供より体内時計の進み方が遅く、現実の時間が早く感じられる。そして、歳をとるごとに時間が早くたつと感じる。これが焦燥感につながる。

高速道路の料金所ではトラックの後ろに並んだほうが良い。彼らはプロで料金処理に手間取ることはないし、一台通れば乗用車3台分くらい進む。
















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石井桃子さんに感謝

2008年04月05日 | 読書

101歳で児童文学者の石井桃子さんが4月2日亡くなった。
児童文学者と言うより、「クマのプーさん」「ピーターラビット」などの翻訳者、そして「ノンちゃん雲に乗る」の作者と言った方が良いだろう。200を超える作品でどれだけ多くの子供達の心を豊かにしただろうか。私もその一人だ。

子供のころ貧しい我家には童話など子供向けの本は一冊もなかった。昔々の古ぼけた大人向けの本が数冊あるだけだった。本好きだった私はルビの振ってある漱石全集などをわけも分からないままに読んでいた。
あるとき、叔母が石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」を買ってきてくれた。かじりつくように読んで、また読んで、繰り返し何回も読んだ。空想にふけり、そして、いろいろ疑問を持った。

まず、出だしが良い。氷川神社をノンちゃんがワンワン泣いているところから始まる。なぜ、泣いているのか?思わず引き込まれてしまう。
そして、なぜ、雲の上のおじいさんは、乱暴者の長吉の話を聞くと喜んでいて、優等生のノンちゃんのことをほめてくれないのだろう。私もノンちゃんと一緒に、良い子がなぜいけないのかと不思議でならなかった。

私は優等生ではなかったが、大人から見ればおとなしく、けしてはみ出さない良い子だった。自分らしさをだそうと無理するのは高校に入ってからだ。当時は、両親はじめ周囲の大人からなんとなくそう強いられていたのだろう。そんな私が良い子にも問題があると言われては、混乱するはずだ。

ノンちゃんが、雪の日に新聞に同じ雪の字がたくさんあることに気づき、お母さんの名前が「雪子」だったので、お母さんがノンちゃんのお母さんであり同時に、「田代雪子」という人だったと気づき、不思議に思う場面がある。
私自身は母を一人の女性でもあるとはじめて意識した瞬間はまったく覚えていない。昔、5階建ての社宅に住んでいたとき、1階上に住む子どもが、下から「お母さん」と何回も叫んでいた。途中で、はたとお母さんが一杯いることに気がついたのだろう、「○○子お母さん」と名前をつけて呼びなおしていたのを思い出した。


どちらかと言うと、良い子が主人公のこの本は批評家には受けは良くないようだ。しかし、多くの子供に支持され、少なくとも私はこの本によって読書の楽しみを倍加させ、本はやさしく書かれていても、「アハハ」と笑うだけでなく、自分で空想し考えるきっかけになるものだと教えてくれた。


戦争中の昭和19年、石井桃子さんは、「宮城県の山おくの掘っ建て小屋のなかで、ひるま、開墾をして、夜は、ランプの石油のへるのに気もへらしながら、夜明まで、きたない原稿の清書をしました」と言っている。

96歳でミルンの自伝を翻訳した石井さんは、「ノンちゃん雲に乗る」の続きを書きたかったそうだ。実現すればどんな話になったのだろうか?
続き後を私なりに想像すると、その後、ノンちゃんは・・・・、と夢は広がる。


年を経てまた読み直してみると、いつも違った見方ができる、そんな本はきっと良い本に違いない。子どものときに、ただ一冊持っていた本が、こんなにすばらしい本であったことに感謝。そして、石井桃子さんに感謝。

よし、もう一度、「ノンちゃん雲に乗る」を読んでみよう。



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林望「ついこの間あった昔」を読む

2008年04月02日 | 読書

林望著「ついこの間あった昔」2007年12月 弘文堂発行 を読んだ。

リンボウ先生が、愛読本『写真で見る日本生活図引』(弘文堂刊)からの30枚の写真を眺め、もう忘れかけていた過ぎし日々をなつかしみ、味わった本だ。

どの写真も、「そうそう、あったあった」と懐かしい。リンボウ先生は細かい点まで観察し、鋭く分析する。これらの写真を“日がら眺めている”と言うだけのことはある。

写真の中には「これ本当に昭和?明治じゃないの?」と思うような写真もあり、それらは地方のものだ。今日では、日本各地、どこでも生活ぶりや町並みは大差なくなってしまったが、昔は地方は都会にくらべ数十年遅れていたのだ。

写真を眺めると、確かに昔は人々の暮らしと自然との距離が近く、子供は子供らしく、母親はいかにもお母さんという感じだったと思う。

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)。ただし、昔を懐かしみたい人だけにお勧めだ。

二つだけ紹介する。

東京オリンピックの翌年1965年の「五畳半のすまい」という写真が衝撃的写真として紹介されている。下の子は既に布団を敷いて寝ていて、二人の子に父親がちゃぶ台で勉強を教えていて、傍らでは母親は食事を作っている。これらが全部五畳半の部屋の中で行われている。当時でも東京都の人口の2割ほどは四畳か五畳で一家が暮していたらしい。
そういえば、私も廊下の突き当りに机を置いて、カーテンで仕切って個室にしていた。

「テレビ様降臨の日」という写真がある。新しく入ったテレビがお座敷に鎮座し、その前に14人もの人がきちんと座っている。これが1959年で、日本でのTV放送開始は1953年だ。これに対し、アメリカでは、すでに1939年に商業放送が開始していて、真珠湾攻撃の模様も全米に放映されていたというからびっくりだ。









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