hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

南仏へ(1)

2014年03月31日 | 海外
パリのシャルル・ド・ゴール空港で管制塔職員のストライキがあり(さすがフランス)、乗り継ぎできず、パリで一泊し翌朝早く、コートダジュールのニースへ飛んだ。

窓から見えるアルプスにマッターホルンかと思う山影が?



ニースから、イタリア国境近くのマントンへ。レモンと漁の港町も、お金持ちのリゾート地。



高台には豪邸が並び、



港には、クルーザーがずらり。



市庁舎の中には、



ジャン・コクトーが描いた結婚の間がある。結婚は、宗教によらず市庁舎で市長か代理人の立ち合いが必要だという。このための部屋に、4面と天井にコクトーによる瀟洒な壁画が描かれている。(絵葉書販売のため写真禁止)



西に戻り、世界でバチカンに次いで2番目に小さな国、モナコ公国へ。

高台にある大公宮殿のテラスからモナコを一望。



何十億円もの家がびっしり。



豪華なクルーザーもずらり。



大公宮殿には大公が御在宅で旗が揚がっていた。



おなじみの衛兵も。



気候が良く、カジノなど遊ぶところもあり、所得税も相続税もないので、世界中からお金持ちが集まるモナコ。建築中のこのビル。平米3千万円(坪ではありません)でも、即完売だという。 残念!間に合わなかった。



しかたなく、私が買ったのは、大公御用達の店でチョコレート。



熱帯公園、といっても実際はサボテン公園、からの眺めも見事。





遠くに見えるのが、海洋博物館と水族館。



ズームすると、



ニースに戻って泊まり、明日はニース観光のご報告。


















































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2週間ほど、このブログお休みします

2014年03月16日 | その他
17日から2週間ほど旅に出ます。
今回は、のんびりするためパソコンを持参しないので、ブログはアップしません。
3月末?から南仏の写真をアップするつもりです。
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遠藤周作『眠れぬ夜に読む本』を読む

2014年03月16日 | 読書2

遠藤周作著『眠れぬ夜に読む本』(1987年8月光文社発行)を読んだ。

旅や、歴史や、人生などに関する2,3ページの短いエッセイ約50編。週刊誌連載物で、遠藤周作というより、悪ふざけこそないが、狐狸庵先生もの。「眠れぬ夜に・・・」というより、内容は真面目なのだが、重くなく、気楽に読める。

Ⅰ 生と死について考える
Ⅱ 東京について考える
Ⅲ 自分と他人と動物について考える
Ⅳ 趣味と興味について考える

冒頭、キューブラー・ロスという女医が、2500人の蘇生者へのインタビュー結果をレポートし、書いた『死ぬ瞬間』『続死ぬ瞬間』という本が紹介されている。
蘇生者とは、医師から「お亡くなりになりました」と宣告されて3分後、5分後に息を吹き返した人だ。
その結果、多くの人が共通した3つの回答をした。
(1)意識と肉体との分離を経験し「自分の遺体を囲んで家族が泣き、医師が死を宣告している光景をはっきり見た。
(2)自分より先に死んだ肉親などが来て助けてくれようとした。
(3)愛と慈愛にみちた光に包まれ、その方向へ行きたいと思ったが、その時、息をふきかえした。
?私の記憶では、立花隆も"幽体離脱の調査をしていた。『臨死体験〈上・下〉』 (文春文庫)?

一人のお婆さんが顔を直してくれと言った。その年齢で今更と医師が事情を聞くと、お婆さんは笑いながら、死んだご主人は浮気するたびに彼女に向かって「これもお前が不器量なせいだ」と言ったという。「もうすぐあの世に行って亭主と会うでしょうが、その時、驚かしてやりたいんです」

子供の頃は正月が楽しかった。書初め、百人一首、凧揚げ、羽根つき、お年玉、獅子舞など行事が多かった。今は、年始をすませると、テレビでどれも同じような番組を見るだけ。町にでれば、人ごみでクタクタになるばかり。

遠藤さんの息子の披露宴で、仲人の三浦朱門は、「新婦は〇〇(聖心女子)学院の卒業生で、この学校はうちの女房も出た学校ですから、よく知っていますが、うちの女房でよくわかるように、この学校の卒業生にはバカが多いのです・・・」(花嫁の母親も妹も卒業生)。主賓の阿川弘之は、遠藤周作の内輪の話をばらし・・・。

初出:「週刊宝石」1986年1月~12月「人間百花苑」改題
1996年9月光文社文庫へ



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

狐狸庵先生のものより内容は真面目なものが多く、しかも気楽に読める。しかし、さすがに28年前となると、世相を反映したエッセイは、ずれが目立つ。物の見方などにはなるほどと思う点もあるのだが、ネタを世間に求めたエッセイには賞味期限があると思わざるを得ない。



遠藤周作(えんどう・しゅうさく)
1923年(大正12年)東京生まれ。1996年死去。慶應義塾大学仏文科卒。フランス留学
芥川賞(1955年)、新潮社文学賞(1958年)、毎日出版文化賞(1958年)、谷崎潤一郎賞(1966年)、読売文学賞(1979年)、日本芸術院賞(1979年)、野間文芸賞(1980年)、毎日芸術賞(1994年)、文化勲章(1995
代表作『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』
40代からは、いわゆるぐーたら物を中心とした身辺雑記等を書き連ねる随筆作家「狐狸庵」の顔も持った。


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角田光代・三好銀『西荻窪キネマ銀光座』を読む

2014年03月13日 | 読書2

角田光代(文)、三好銀(漫画)『西荻窪キネマ銀光座』(角川文庫2014年1月25日発行)を読んだ。

小さな町の古い映画館、そこで見た23本の映画で喚起された文を角田さんが書き、映画や文とは関連があるとは思えない漫画を三好さんが書いている。ちなみに、西荻窪には映画館はありません。多分。


角田さんのプロローグ、三好さんのプロローグ(漫画)に続き、最初の映画「ローマの休日」のストーリーと監督名などのクレジット・タイトルが紹介され、この映画に関する角田さんの文と三好さんの漫画の順で続く。

角田さんの文は、その映画のことは若干触れる程度で、映画を見た当時の若き日の彼女や友人などに思いをはせる。その映画で喚起された角田さんの若き日を懐かしむエッセイと言った方がよい。
三好さんの漫画は、映画にはまったく関係ないと私には思えてしまう。なかなか雰囲気ある漫画ではあるのだが

紹介される映画は、以下。
ローマの休日/キャリー/ポンヌフの恋人/バーディ/キッズ・リターン/ダンサー・イン・ザ・ダーク/バベットの晩餐会/バッファロー’66/明日に向って撃て!/オール・アバウト・マイ・マザー/ションベン・ライダー/ドランク・モンキー酔拳/太陽がいっぱい/エレキの若大将/アメリカン・ビューティー/風の谷のナウシカ/ブルーベルベット/エンジェル・アット・マイ・テーブル/仁義なき戦い・広島死闘編/17歳のカルテ/三月のライオン/ロング・グッドバイ

一つだけ引用する。
友達つきあいを決定的に避け、家族にしか心を許さず、恋愛にあこがれながらだれをも愛さず、現実に順応できず、息苦しさを克服できず、苦手なことに背を向け続け、そうしながら、でもみんなみたいになりたくてたまらない。・・・
 ジーンも私も物書きという仕事を選ぶ。これは偶然ではなくて、物書きという仕事は、このようなうざったい人間に選ばれるべき仕事だと私は思っている。


実業之日本社ホームページ「Webギンザ一丁目」(現在閲覧不可)に1年間連載したものに追加して、2003年6月単行本化



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

角田ファンには、角田さんの若き日への懐かしさを語る部分は、事実関係に下世話な興味があり、かっての自由な日々を甘酸っぱく振り返る角田さんの様子にもフムフムと思う。
漫画は思わせぶりな雰囲気だけで、意味わか~んない。



角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。
96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、
98年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、
「キッドナップ・ツアー」で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、
2000年路傍の石文学賞を受賞。
2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞を受賞。
2005年「対岸の彼女」で第132回直木賞。
2006年「ロック母」で川端康成文学賞を受賞。
2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞をいずれも受賞
2009年ミュージシャン河野丈洋と再婚。習い事は英会話とボクシング。趣味は旅行で30ヶ国以上に行った。
その他、「水曜日の神さま」「森に眠る魚」「何も持たず存在するということ」「マザコン」「予定日はジミーペイジ」「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」「私たちには物語がある 」「 愛がなんだ 」「 ひそやかな花園 」「 よなかの散歩園 」「 さがしもの 」「 彼女のこんだて帖 」「 かなたの子 」「 幾千の夜、昨日の月 」「 口紅のとき 」「 曽根崎心中 」「 紙の月 」「 それもまたちいさな光 」「私のなかの彼女
その他、穂村弘との共著「 異性


三好銀(みよし・ぎん)
1955年静岡県生まれ。漫画家。
1989年ビッグコミックスピリッツ(小学館)でデビュー
『いるのにいない日曜日』、「海辺へ行く道」シリーズ(KADOKAWAエンターブレイン)他




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藤原正彦『始末に困る人』を読む

2014年03月09日 | 読書2


藤原正彦著『管見妄語(かんけんもうご) 始末に困る人』(2011年10月新潮社発行)を読んだ。
2013年11月に新潮文庫になっている。

安倍さんに次ぐネット右翼の人気者、『国家の品格』で売った藤原正彦氏のエッセイ。週刊新潮のコラムの1年分。
内容は、「保守的価値観に基づく憂国の主張」がほとんどで、「家族、特に奥さんにやられる話」が挟まる。


保守的価値観に基づく憂国の主張
少子化を食い止めるには、

家族や親戚、仲間の絆を取り戻すことだ。戦後、占領軍に吹き込まれた、「家族より個人」とか「長子相続否定」などが家族制度を根こそぎした。

西郷南洲はこう言った。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」。出でよ、「始末に困る人」。


タイトルはここからとった。

アメリカの市場原理主義を取り入れ、規制緩和や撤廃を強行した結果、「人類の夢と言ってよい一億総中流社会は壊滅し、世界の羨んだ雇用や医療までがズタズタになった」、「相手の謬見や悪行を諌めるより、自らを相手に合わす・・・日本人の類い稀な謙虚さであり優しさこそが、・・・日本を追いこみ苦境に陥らせてきた、民族の宿痾である」


公共投資をバンバンやれとの主張もある。

外国人一千万人移民計画・・・世にも恐ろしい考えだ。移民の大多数は中国人だろう。・・・武力を用いずして中国は日本占領を完了してしまう。



家族、特に奥さんにやられる話
奥さん、次男、ガイドと4人で八ヶ岳の登ったとき、15mほど前を熊が横ぎった。

熊と同程度に驚いた私は、思わず慌てて冷静に後ずさりした。
これを愚妻が「妻子をおいて慌てふためいて逃げ出した、男の風上にも置けぬ腰抜け」と、会う人ごと、電話先の人ごと、・・・面白おかしく誇張吹聴喧伝したのである。周章狼狽顔面蒼白へっぴり腰とかの尾鰭までつけた。真相は、沈着冷静理路整然定石通りに私が後ずさりしただけ、というか激しく後ずさりしただけなのだ。そして反射神経かつ運動神経の鈍い愚妻と次男が私に抜かれただけなのだ。



初出:「週刊新潮」2010年6月~2011年6月



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

保守的価値観に基づく憂国の主張には、私はまったく同意できないが、正反対の意見もたまに聞かないと、と思い読んだ。少なくとも経済の面では世界が一体にならざるを得ない現状で、昔の日本は良かったといっても老人の繰言に過ぎない。
米国嫌いの英国好きもなんだかピンとこない。

家庭での奥様とのやりとりは、ユーモアたっぷりで愉快だ。しかし、これも、奥様の立場から見た著書の方が面白い。(藤原美子著『夫の悪夢』)

父、新田次郎への尊敬の念がにじみ出る記述がところどころに出てくる。微笑ましい。



藤原正彦(ふじわら・まさひこ)
1943(昭和18)年、旧満州新京生れ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。お茶の水女子大学名誉教授。1978年、『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞
その他、『遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス―』『父の威厳 数学者の意地』『心は孤独な数学者』『国家の品格』『この国のけじめ』『名著講義』『ヒコベエ』『日本人の誇り』新田次郎との共著『孤愁 サウダーデ』()。新田次郎と藤原ていの次男。


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皇居一般参観(2)

2014年03月06日 | 行楽
昨日に続き、正月の一般参賀で人びとが集まる宮殿東庭(とうてい)への坂を上ると、
夜間の照明塔、松の塔がある。



100メートル以上あるだろう廊下が続く。一人見えるおじさんは説明員だが、正月の参賀のときは敷石が白くなっているあたりまで、参賀の人々は近づける。意外に近い。



正月の一般参賀で皇族が手を振るのは、中央のこのあたり。TVなどの画面ではもっと高いところのような気がしていたが。
当日はこの廊下に台を設営するらしいが、それにしても低い。TVカメラは近いところから上を見上げて撮りるので高く見えるのだろうか。





宮殿の端には大使などが馬車で乗り付ける玄関がある。



新しい米国大使が馬車を乗りつけ、「ハイ! アイム キャロライン・ケネディ」と軽やかに挨拶した(?)玄関だ。

長い宮殿に続くのは日本庭園、宮殿南庭で、大きな山になった二つの刈込が見える。これは、ツバキなど何十種類の木々よりなり、すべて植木屋さんが手で刈るという。



中門をぞろぞろ列をなして通り、(当日はちょっと少なめの150名ほど)



二重橋濠にかかる鉄橋を渡る。



左の東京駅側を見ると、石橋(通称眼鏡橋)が見える。石橋を渡ったところが、写真には写っていないが正門だ。



手前の鉄橋は、江戸時代には木材でこの高さに作れなかったので、橋を2段重ねにした。これを二重橋と呼んだと説明された。
大手町のビル群の手前に石橋と鉄橋。



伏見城から移築された伏見櫓



欄干も、街灯も、なかなかのもの。





本来は、宮殿と宮内庁庁舎の間を通り、山下通りを行くのだが、工事中で通れず、行きと同じ道で帰った。山下通りは木々に囲まれたいかにも皇居らしいと説明されたのに残念。



近代的建物の手前に富士見櫓。こんな光景は東京ではもう皇居ぐらいか。



蓮池濠の向こうにかすかに武道館の屋根が見えた。



お勧めの皇居参観でした。




















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皇居一般参観(1)

2014年03月05日 | 行楽
宮内庁のホームページから申し込んで、皇居一般参観に参加した。



皇居全体は4つの部分からなる。図の左上(南)の皇居外苑と、右下(北)の北の丸公園は常に一般公開されていて立ち入り自由だ。参観は、皇居東苑の上側(南)と、皇居の左(東)の一部だ。

二重橋前で降りて6番出口。行幸(ぎょうこう)通りを進み、



右に和田倉橋を見て、



左に馬場先濠



内堀通りの向こうに辰巳櫓(巽櫓、二重櫓)が見え、その向こうに集合場所の桔梗門が小さく見える。



内堀通りを渡ると、桔梗濠の向こうに辰巳櫓が身近に見える。



江戸の向こうは平成のビル群。



桔梗門で集合だ。



城門はどこもほぼ同じだが、入口の門は敵が入りにくいように狭く



入った所は高い塀で囲まれたちょっとした広場になっていて、直角に曲がったところにまた門がある。この門は広くなっていて、大勢の味方が一度に出てきて、狭い門を入って来た少ない敵を簡単に攻撃できるようになっている。



窓明館(そうめいかん)に参加者が集められ、簡単な説明を受ける。お土産やとトイレはここだけで、帰りまで1時間少しの間、もうトイレはないと説明を繰り返す。
ここを出て列を作って見学開始。見渡すと、お年寄りは意外と少ない。若い人、中年が多く、外国人と我々を含む年寄りが少々。

元枢密院庁舎現皇宮警察を右手に見て(写真なし)、
丸に十のマークが刻まれた薩摩藩が築いた石垣





江戸城の旧本丸の東南隅に位置し、品川の海や富士山が見えたという「富士見櫓」。1659(万治2)年の再建で、天守閣が1657(明暦3)年の大火で焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたという。



石垣上にせり出している石落しが見える。



左に蛤濠、右に蓮池濠の間を抜け、宮内庁庁舎前へ。



1968年(昭和43)年の新宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていた。
なんと、昭和の初期に、1度だけだが、一般参賀が行われ、その時は、正面玄関の上の平らな屋根に天皇皇后両陛下が立って手を振られたという。

正月の一般参賀で人びとが集まる宮殿東庭(とうてい)へは、この坂を上る。



長くなったので、続きは明日。































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高田郁『美雪晴れ』を読む

2014年03月04日 | 読書2

高田郁著『美雪晴れ みをつくし料理帖』(ハルキ(時代小説)文庫 た19-11、2014年2月角川春樹事務所発行)を読んだ。

名料理屋「一柳」の主・柳吾から求婚された芳。悲しい出来事が続いた「つる家」にとってそれは、漸く訪れた幸せの兆しだった。しかし芳は、なかなか承諾の返事を出来ずにいた。どうやら一人息子の佐兵衛の許しを得てからと、気持ちを固めているらしい―。一方で澪も、幼馴染みのあさひ太夫こと野江の身請けについて、また料理人としての自らの行く末について、懊悩する日々を送っていた…。いよいよ佳境を迎える「みをつくし料理帖」シリーズ。幸せの種を蒔く、第九弾。


助っ人料理人の又次が死ぬなど悲しみで終わった第7弾から、芳の息子の佐兵衛が姿を見せ、その芳にも幸いが姿をみせ希望の芽が大きく育つ第8弾、そして大きな動きがありそうな、今回の「みをつくし料理帖」シリーズの第9弾だ。

今回特に、料理法の話が多く出てくる。最初だけでも、こんなぐわいだ。
「秋刀魚よりも早く秋を告げ、霜が降りるころに最も味わいが増す魚、それがカマスだ」、「鼈甲珠作るのに用いて、残った白身をどうするか」、「にうめんとは入麺、即ち熱くした素麺(そうめん)・・・具は刻んだ油揚げと蒲鉾、吸い口に柚子を使おう・・・彩りに野蒜(のびる)を使う」、「(蒲鉾は)「大阪では板に塗り付けたものを炙って仕上げる『焼き通し』と呼ばれるものが主流だったが」

澪の目指す料理人の道は? 悩みは尽きない。?「どうみても決まってるじゃん」と私は思うのだが?
一柳や天満一兆庵の料理は、「吟味され尽くした食材を用い、その最も美味しい部分のみを使う。手間を惜しまず、工夫を重ねて仕上げたものを、それに相応しい器に盛り付けて供する。」
一方で、つる家で澪のやってきたことは、「お客の懐具合を考えて、少しでも美味しいものを無駄なく充分に、との心構えで料理してきた澪にとって、その辿ってきた道の違いに言葉もない。」

「女といえども、あなたなら料理人として後世に名を残せるに違いない。・・・どうあってもこの天賦の才の料理人を傍に置き、我が手で育て上げたい。」(一柳の主の柳吾)
「料理に身を尽くす、という生き方を貫かれている。その姿に、私は時折り、無性に励まされるのです」「『食は、人の天なり』という言葉を体現できる稀有な料理人なのです。」(医者の源斎)
?この巻では源斎の株が上がりっぱなし?

料理のレシピ集である巻末付録「澪の料理帖」は、「味わい焼き蒲鉾」、「立春大吉もち」、「宝尽くし」、「昔ながら」と各章のタイトルとなる4品だ。

特別収録「みをつくし瓦版」では、次巻が最終巻となることが、あっさりと宣言される。
そして、瓦版へ寄せられた便りの大半が「小松原さまの登場はもうないのでしょうか」だったという。「最終話までのお話はすでに決まっていますが、・・・」と、(小松原の再登場は否定したうえで、)これに応えるのが、特別収録の『富士日和』で、久しぶりに御膳奉行小松原数馬が登場し、人を介して“澪の料理を味わい、澪の成長を知る。



私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

シリーズ最終巻の前で「五つ星:是非読みたい」と言われても今まで読んでいなかった人は困るだろうが、とくに、今まで読んできた人は、最終巻の最後の展開の布石となるこの第9弾を読まざるを得ないだろう。

料理の作り方がいろいろ出てくるが、読者もなんだか食べた気になって、美味しそうで、読むだけで幸せな雰囲気を味わってしまう。

完結巻は、2014年8月に『みをつくし料理帖 天の梯』のタイトルで刊行予定とのこと。どんな決着に落ち着くのか、最初から最後の決着点は決めてありますという高田さん、そして「ハッピーエンドはお約束します」と言ってるので、あれこれ考えながら、ただただ待ちましょう。



高田郁(たかだ・かおる)は兵庫県宝塚市生れ。中央大学法学部卒。
1993年、川富士立夏の名前で漫画原作者としてデビュー。
2006年、短編「志乃の桜」
2007年、短編「出世花」
『みをつくし料理帖』シリーズ
2009年~2010年、『第1弾「八朔の雪」第2弾「花散らしの雨」第3弾「想い雲」
2010年『 第4弾「今朝の春」
2011年『 第5弾「小夜しぐれ」
第6弾「心星ひとつ」
2012年『 第7弾「夏天の虹」
みをつくし献立帖
2013年『 第8弾「残月」
その他、『銀二貫』『あい



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前野隆司『幸せのメカニズム』を読む

2014年03月01日 | 読書2

前野隆司著『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社現代新書2238、2013年12月発行)を読んだ。

ロボット学者が理系のアプローチで、幸せとは何か、どうすれば得られるかという難問に挑む。
著者は実践的に応用できる幸福学を目指しており、良く工学で用いられるように、単純化したモデルで幸せの仕組みを考えた。さらに、1500人へアンケートを行い、結果を多変量解析の因子分析で解析し、幸せに最も深く関係する四つの要素を見つけ出した。

幸せの四つの因子
「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)

自分がこうなれば幸福だろうと思っていたことは、意外と違っている(フォーカシング・イリュージョン)。
人生に満足している人は(長期スパンの主観的幸福)、年収に比例するが、楽しいという人は(短期スパンの主観的幸福)、年収1千万を超えると年収には無関係。年収1千万円を超えてもなお、感情的幸福を求めてさらにお金が欲しいと思ってしまう。

目の前に確実に100万円儲かる方法と、50%の確率で200万円儲かる方法がある場合、前者を選ぶ人が多い。逆に、今売ると100万円損するが、少し待つと50%の確率で損失が200万円になる(残り50%は損失ゼロに)場合は、後者を選ぶ人が多い。利益は、待てずに早めに売って確定してしまうし、損はついつい売れなくて結局大きな損になりがち。
幸せについても同じで、いいことが二つあっても人はひとつで満足しがちだ。逆に、悪いことが起きたとき、その後解消されるか、あるいは2倍になるとき、人はギャンブルの方を選んでしまいがちだ。
この結果、期待値はおなじで平均の差はでないが、分布パターンは異なる。不幸の側は散らばりが大きくなり、運の悪い人はとても不幸に陥る。幸福の側は小さくまとまり、大きな幸福を得る人は少なくなる。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

前半はさすが理工系、合理的で私には解りやすかった。どうみてもモデルを簡単化しすぎているが、基本的には納得できる。しかし、幸せにロマンや、より複雑なわかりにくさを求める人は、すれ違いに終わるだろう。

後半は、幸せになるためのノウハウが並び、多くは納得できるが、どこにでもあるノウハウ本と変わらない内容だ。

著者は、これからの日本はGDP増加を求めずに、小さくても良いから創造の幸せを求めるべきと語る。海外旅行より道端の花に幸せを感じるようにという趣旨だ。
しかし、その著者が、憂鬱となりがちな月曜日を迎えないためには、土日も働くべきというのはどうだろうか。著者は働くことに趣味も含めているのだが、一生懸命の時代は終わりにして、のんびりする幸せを味わいたいと年寄りの私は思う。



前野 隆司(まえの・たかし)
1962年山口県生まれ、広島県育ち。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。ロボットと人間の心に関する著作が多く、心の哲学への関心が強い。
1984年 東京工業大学工学部機械工学科卒業、1986年 同修士課程修了、1986年 キヤノン(株)入社
1990年 7月 カリフォルニア大学バークレー校機械工学科訪問研究員
2006年 慶應義塾大学理工学部機械工学科教授
著書は、『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』、『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』、『脳は記憶を消したがる』



以下、私のメモ

「自分を変える」ためには「メタ認知」が必要。自分が笑ったり怒ったりしている。これが「認知」。笑ったり怒ったりしている自分を客観的に見ている心の働きが「メタ認知」。

アメリカのある小学校では、「好きでない人とは仲良くしなくてもいい。ただし、好きでない人の意見も、好きな人と同様に尊重し、たとえ嫌いな人とグループになっても、その人と協力して質の高い成果をあげる知性を身につけるべき」と教える。(野口桂子『あなたの子どもを救えますか』)

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