久坂部羊著『老父よ、帰れ』(2019年8月30日朝日新聞出版発行)を読む
宣伝文句は以下。
高齢者医療の現場を知る医師でもある著者の「認知症介護」小説。
テレビ、新聞・雑誌で話題になった『老乱』につぐ第二作。
45歳の矢部好太郎は有料老人ホームから認知症の父・茂一を、一念発起して、自宅マンションに引き取ることにした。
認知症専門クリニックの宗田医師の講演で、認知症介護の極意に心打たれたからだ。勤めるコンサルタント会社には介護休業を申請した。妻と娘を説得し、大阪にいる弟一家とも折にふれて相談する。好太郎は介護の基本方針をたててはりきって取り組むのだが・・・・・・。
隣人からの認知症に対する過剰な心配、トイレ立て籠もり事件、女性用トイレ侵入騒動、食事、何より過酷な排泄介助・・・・・・。ついにマンションでは「認知症対策」の臨時総会が開かれることになった。
いったい家族と隣人はどのように認知症の人に向き合ったらいいのか。
懸命に介護すればするほど空回りする、泣き笑い「認知症介護」小説。
認知症には4タイプある。(1)アルツハイマー型、(2)レビー小体型、(3)脳血管性、(4)前頭側頭型。
父・矢部茂一は(4)で、反社会的行動が増えて、意思疎通が困難になり、やかて人格崩壊に至る危険性がある。
好太郎の妻は泉。祐次郎は、好太郎の弟で、妻は看護師の朋子。関西に住む。
有吉佐和子の『恍惚の人』を読んで、泉は朋子に言う。
「…(認知症が)遺伝するんだったら、夫も同じようになるかもしれないでしょう。舅の介護で苦労した上に、年老いてから夫まで認知症になったらたまらないって思うの」
宗田医師の話
幼稚園の子どもに聞くようなことを問われたら、それだけで高齢者はプライドが傷つきます。自分は認知症を疑われている、厄介者扱いされていると感じて、惨めな気持ちになるのです。
認知症を治したいと思うことが、なぜいけないのか。それは患者本人の気持ちを傷つけるからです。ご家族は病気だけを否定しているつもりでも、当人は自分のすべてを拒絶されているように感じます。
姑の世話を嫁さんが一生懸命続けていた。認知症になった義母は嫁に「あんた、だれ」と言った。そして義母が最後に入院する前に「あんたには世話になったなぁ、あんたはほんまにええ人や、けど、わたしはもっとええ人を知ってるで」と。「それはだれですか」と聞いたら、「うちの嫁や」
「認知症になっても、心は残っているんです。ただ、すべてが残っているわけではない。それを喜んでほしいとか、名前を忘れないでいてほしいとかいる自分の都合に合わせようとするから、気持ちが乱れるんです」
食べ物も飲み物もほしがらないのは身体が必要としていないからです。消化や吸収にも体力がいるのです。点滴も心臓や腎臓に負担がかかります。
在宅医療をやっている医師の間では、高齢者は点滴や栄養補給などせずに、乾いて亡くなるのが一番楽そうというのが共通認識です。
認知症の損害保険がある。月々1700円の掛け金で、最大1千万円の補償が行われる。
久坂部羊(くさかべ・よう)の略歴と既読本リスト
初出:「小説トリッパ―」2017年冬季号~2018年秋季号に「父よ、帰れ」として掲載。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
認知症介護の実際の問題と、対処への基本的考え方が良く書けていて、参考になる。
しかし、課題を浮かび上がらせるためとはいえ、主人公の好太郎のあまりにも子供っぽさにはいやになってしまう。介護の理想論を聞いて、考えなしに父親を家に引取り、自分の名前を何としても呼ばせようとしたり、被害をおそれる人にむきになって反論したりする。大人なら、そういった本音はもう少し隠すだろう。
それにしても、延命治療すると、こうなってしまい、死ぬに死ねなくなるという、酷い、エゲツナイ表現があったのにはびっくり。そこまで言うか?