先崎学著『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』(2018年7月15日文藝春秋発行)を読んだ。
表紙裏にはこうある。
うつ病の頭には死のイメージが駆け巡るのだ。
うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。
あなたが考えている最高にどんよりした気分の十倍と思っていいだろう。
まず、ベットから起きあがるのに最短でも十分はかかる。
ひどい時には三十分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。
仕方がないのでソファに横になるが、もう眠ることはできない。
ただじっと横になっているだけである。
頭の中には、人間が考える最も暗いこと、そう、死のイメージが駆け巡る。
私の場合、高い所から飛び降りるとか、
電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。
つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であるという。
まさにその通りであった」(本文より)
2014年に九段に昇段し一流棋士となった先崎は、パチスロなどギャンブル好き、酒好きで、週刊誌に連載コラムを持ち著書も多く、うつとは無縁だった。
2017年6月24日、突然、頭が重く気分が暗くなった。日がたつにつれますます症状が重くなり、とくに寝起きが苦しくなる一方だった。7月から順位戦が始まったが、まったく集中できなかった。以後一気に転げ落ち、朝が辛く、不安が襲い、決断力が鈍くなった。奥さんからの連絡で、精神科医の兄が駆け付け、病院へ行かされ、「おそらくうつ病だと思います」と言われた。
電車に乗ることができない。飛び込むというより、自然に吸い込まれるのだ。結局、2017年7月26日、慶応病院精神神経科へ入院した。
退院後、入院前や直後に感じた頭の中に詰まったコールタールは、深い霧に変わり、頭はボーっとしていたが、胸のつかえは消えて、体のだるさも軽くなっていた。
兄は「医者や薬は助けてくれるだけなんだ。自分自身がうつを治すんだ。」と散歩を強く勧めた。図書館へ行ったが本が全く読めなかった。9月中頃、奨励会の人の将棋を見たが、まったく理解できず、異国のゲームを見ているようだった。
うつ病のうつは体の中からだるさや疲れがきて、人としてのパワーががくんと落ちる。それに比べてうつっぽいというのは、表面的に暗いだけなのである。本物のうつ病の症状を当事者としてひと言でいうと無反応だ。
兄は吐き出すように続けた。
「うつ病は必ず治る病気なんだ。必ず治る。人間は不思議なことに誰でもうつ病になるけど、不思議なことにそれを治す自然治癒力を誰でも持っている。だから自殺だけはいけない。死んでしまったらすべて終わりなんだ。だいたい残された家族がどんなに辛い思いをするか」……
「うつ病は辛い病気だが死ななければ必ず治るんだ」
私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき)(最大は五つ星)
うつっぽい人ではなく、うつ病の当事者の本は極めて少ないという。将棋指しでコラムニストでもある著者が重いうつにかかった様子、徐々に回復する過程を描いた詳細な記述は貴重なものだ。
暗く苦しいうつ病の話だが、最後は回復することはわかっているので、読み続けられる。著者の兄が優秀な精神科医であったため、初期の段階から適切な治療を行うことができて、幸運だった。冷静に自己を分析することができる著者による記述は具体的でわかりやすい。
ただ怖ろしいものとして遠ざけるがちな「うつ」の実情を知るには最適な本だ。医者の書く本より現実感があって実感しやすい。うつになりそうな気がしたり、身近にうつ病の人がいたら読んでおきたい本だ。将棋のことは知らなくても特に支障はない。
先崎学(せんざき・まなぶ)
1970年青森県生まれ。
1981年(小学5年)米長邦雄永世棋聖門下で奨励会入会。
1987年四段、プロデビュー
1990年、1991年棋戦優勝
2014年九段
2017年うつ病発症。日本将棋連盟を通して休場を発表
2018年6月順位戦で復帰
以下、メモ。
うつ病になりかけはどんな様子なのか、知っておきたいので少し詳しく書く。
2017年6月23日、47歳の誕生日、通いつけた輪島功一ボクシングジムへ行き、家族で楽しくインド料理を食べた。翌日から頭が重く気分が暗くなった。そのうち良くなるだろうと思ったが、一週間ほどますます症状が重くなり、とくに寝起きが苦しくなる一方だった。日本将棋連盟は不正ソフト問題で大揺れし、2月、3月は休みが一日しかなく、4月も続いていた。連盟の広報の仕事も日に数件の取材やイベントがあった。
7月から順位戦が始まり、対局中にまったく集中できないことに気づいた。以後10日間一気に転げ落ちた。朝が辛く、不安が襲い、決断力が鈍くなった。家を出る決断もできなくなっていた。奥さんからの連絡で、精神科医の兄が駆け付け、慶応病院へ行かされ、「おそらくうつ病だと思います」と言われた。
なかなか電車に乗ることができなかった。なにしろ毎日何十回も電車に飛び込むイメージが頭の中を駆け巡っているのだ。飛び込むというより、自然に吸い込まれるのだ。死に向かって一歩を踏み出すハードルが極端に低いのだ。家の中を1、2時間ぐるぐると歩きまわった。入院に抵抗したが、結局、2017年7月26日、慶応病院精神神経科へ入院した。
以下、残り3/4位は病院生活での回復過程と、退院後のリハビリの話が続く。
回復に向かっていたある日、病院でTVを見ていると、派手な原色(の感覚)が身体に飛び込んできた。うつがひどい時はすべてがモノクロの世界だったのだ。
ほぼ決まっているようだが、1か月で退院することになった。その前に一時外出を薦められた。久しぶりの外出は楽しいはずなのに前日の夜、かなりの不安に襲われた。当日も物を買うのには途方もなく気力を必要とすること、何を食べるか決断できなかった。退院し、うつ病の極悪期から回復期へ移ろうとしていた。入院前や直後に感じた頭の中に詰まったコールタールは、深い霧に変わり、頭はボーっとしていた。胸のつかえは消えて、体のだるさも軽くなっていた。
兄は「医者や薬は助けてくれるだけなんだ。自分自身がうつを治すんだ。」と散歩を強く勧めた。図書館へ行ったが本が全く読めなかった。うつの本だけが読めた。
9月中頃、奨励会の人の将棋を見たが、まったく理解できず、異国のゲームを見ているようだった。小学3.4年のころには瞬時にとけた五手詰、七手詰に悪戦苦闘した。
ほぼ完全に回復した後のこと、ちょっと邪魔者扱いされて帰宅して怒り狂った。
2,3日はこのことでむしゃくしゃして、ちょっとうつっぽくなった。だが、あまり不安にはならなかった、うつっぽいのとうつ病の症状はまったく違うものだと分かってきたからである。うつ病のうつは体の中からだるさや疲れがきて、人としてのパワーががくんと落ちる。それに比べてうつっぽいというのは、表面的に暗いだけなのである。
本物のうつ病の症状を当事者としてひと言でいうと無反応だ。
兄は吐き出すように続けた。
「うつ病は必ず治る病気なんだ。必ず治る。人間は不思議なことに誰でもうつ病になるけど、不思議なことにそれを治す自然治癒力を誰でも持っている。だから自殺だけはいけない。死んでしまったらすべて終わりなんだ。だいたい残された家族がどんなに辛い思いをするか」……「究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというだけのためにいるんだ」……
「うつ病は辛い病気だが死ななければ必ず治るんだ」