hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

阿川佐和子「婚約のあとで」を読む

2008年04月27日 | 読書2

阿川佐和子「婚約のあとで」2008年2月 新潮社発行 を読んだ。

婚約したが、彼がニューヨークに転勤になったために結婚が伸びて不安定になる29歳の村松波。許されぬ恋に走る妹の碧。愛しているのに結婚しない盲目の宙。他人との距離をけして縮めず冷静だが、波乱ある人生の凩(こがらし)。満たされた条件のなかで選択にためらう7人の女性たち。それぞれ互いにに関連する女性たちの揺れる恋愛を巧みに描いている。

しかし、女性は生活苦が感じられないお嬢様で、男性陣は気のよい男ばかりなのが、佐和子さんらしい。どろっとした話もちっともイヤラシクなく、さっぱりしているのも佐和子さんらしい。

一つだけ、挙げる。デザイナーとして活躍する真理が受けるインタビュー内容がそのまま書かれているのが面白かった。また、古風な大和撫子とは多少異なる29歳の真理の考え方が私には新鮮だった。
―――――
男と女の関係なんて、自我を張るから破綻するのである。たかだか三十年ほどの人生に、他人に譲れないような自我なんて確立しているわけがない。いつも白無垢の精神で臨む。毎日会いたいと言われれば、そうするように努力し、・・・。無理に自分を矯正するのではなく、好きな男のそばにいたいならその人に合わせて生きていく。
――――

多くの男性は奥さんに対し、こんな考え方で対処しているつもりなのではないだろか。奥さんからの見方は別として。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)
佐和子さんファンは、いつもの決まりきったエッセイより面白いので、三ツ星以上になるだろう。







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「命と向き合う-老いと日本人とがんの壁-」を読む

2008年04月25日 | 読書
中川恵一、養老孟司、和田秀樹著「命と向き合う - 老いと日本人とがんの壁 - 」2007年1月小学館発行を読んだ。

中川氏は放射線によるがんの緩和医療の専門家、和田氏は精神科医、養老氏は解剖学者。
内容は、3者各々の文(中川氏:日本人とがんの壁、養老氏:日本人の死生観、和田氏:日本人と老い)と、中川氏*養老氏の対談(現代ニッポン人論)と、中川氏*和田氏の対談(がんでもボケても)の5部構成。


中川氏「日本人とがんの壁」 
簡潔で、説得力ある話だ。

・日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人が死ぬ。10年後には2人に1人ががんで死ぬ。
・ がんの原因は老化なので、高齢化により急増している。
・ 日本人は死を生活からも意識からも排除して、永遠の生きるつもりでいる。身体に対する潔癖性が過剰で悪いところはきれいさっぱり切り取って永遠に生きたいと思っている。高齢になれば、身体はほうぼうボロボロになっている。がんだけ、なくしたいというのは矛盾だ。
・ 永遠に生きるつもりではがんとの賢い付き合い方はできない。症状緩和を拒否し完治をめざし激しい痛みの中に亡くなる人が多い。
・ 日本のモルヒネ使用量は米国の1/20.痛みを我慢するより、適切に使ったほうが長生きできる。
・ 緩和ケアでは人生の豊かさは、時間の長さとは別であると考える。豊かな人生は豊かな瞬間の積み重ねで、一瞬、一瞬を大事に生きるしか、人生を豊かにする方法はない。がんの痛みに耐えている時間などない。命には限りがある。超高齢化社会では治癒をめざす治療と緩和ケアの境はあいまいとなる。

養老氏「日本人の死生観」
言わんとすることはわかるが、散漫なので無視して、主題とは外れた話題をひとつだけ。
・ 犬も猫もサルも絶対音感の持ち主。サルに曲を聴かせて訓練してから、一音をずらして聴かせると反応しない。人間の耳自体は絶対音感だが、多くの人にその能力はなく、音が変化していく状況をパターンとして把握して同じ曲と判断する。人間は「同じ」と判断する能力が高い。色々形の違うリンゴをリンゴとして認識できる。


和田、中川対談
・ 認知症とがんは、告知が難しい点と、急激に進行する人と穏やかな人がいる点が似ている。前立腺がんは5年生存率が80%くらいで、すい臓がんは5%くらい。
・ がんも認知症も老化現象なので、根治できなくても即、死を迎えるわけではない。あくまで老化の1プロセスだ。
・ 長く元気でいて、ある日突然ぽっくり逝きたい(PPK)と思う人が多い。ただ、実際は、塩分を控えたり、飲みたいもの食べたいものをがまんしたりして、脳卒中や心筋梗塞を予防し、老化によるがんや認知症の確率を増やすという逆のことをしている。
・ 現在日本では、いつまでも元気で若々しくいることが素晴らしいというアメリカ的な過剰なアンチエイジングへ傾倒してしまっている。老いを受け入れることができず、70歳、80歳になっても自分が死なない感覚がある。どんな犠牲を払っても一生がんと戦うという考えが強い。

和田「日本人と老い」 
・ 今の老年医学は「老人でない状態」にしてあげることを目指す医学。寝たきり、介護状態の人へのアプローチがない。
・ がまんしていると何か良いことをしているような錯覚がある。高齢者こそがまんしないほうが良いのかもしれない。老いと闘うことだけでなく、「老いてから後」を考える必要がある。
・ マンガのサザエさんの磯野波平さんは52歳だ。今の高齢者は昔に比べ確かに若く見える。しかし、生きている以上、老化は防げない。



私の評価 ★★★★★(五つ星:是非読みたい)
年寄りだけでなく、いずれ年をとる人、つまり若い人にも読んでおいてもらいたい本だ。

老人は「がんと闘うな」と言われても、私なぞ簡単に「そうですね」とはまだ言えない。しかし、80歳、90歳になれば、「痛みがないようにして、もうそのままで良い」と言うと今は思う。
昔昔のように、老人の知恵が生きる世の中であれば、老人も若くありたいとは思わないのだろうが。時間だけはたっぷりある老人にしかできないことは何だろうか。
良く勉強し、東大に入り、優秀な医師になり、必死に老化に伴う病を闘ったこの3人の著者だからこそ、医術の限界を知って、老いは受け入れるものとの考えになったのだろう。もともといいかげんで70%の力で生きてきた私は、真っ先にあきらめることはせず、もう少し老いと闘うべきなのだろう。










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瀬戸内寂聴の「秘花」を読んだ

2008年04月19日 | 読書
瀬戸内寂聴「秘花」(ひか)2007年5月 新潮社発行を読んだ。


題名の由来であるが、世阿弥が残した「風姿花伝」に「秘すれば花」の言葉があるらしい。本書の中では、父、観阿弥が「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」と言ったとしている。

室町時代の能楽師 観阿弥(かんあみ)の子である世阿弥(ぜあみ)の生涯を描いている。世阿弥は、12歳のとき17歳の三代将軍足利義満に美貌を見初められ寵愛を受ける。以後、観阿弥・世阿弥親子の観世座は人気絶頂となる。
世阿弥の次男(実子)元雅は才能があったが若くして死に、三男元能は出家する。そして長男(養子)元重によって世阿弥は地位を脅かされる。やがて、観世座の人気が落ち、気まぐれで横暴な六代将軍義教(よしのり)から世阿弥は佐渡に流される。72歳となっていた世阿弥は、自然に恵まれ、人情の濃い佐渡で、島の女性・沙江をそばに置き、つましい生活を送るうち、彼ははじめて心の平安を得てゆく。しかしながら、芸一筋の情熱は常に失わず、耳目が不自由になってからも謡と仕舞の稽古を続け、新しい能の創作に取り組む



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。能楽をはじめ芸事が好きな人、秘めやかなエロチシズムただよう寂聴世界のファンにはこたえられない一冊だろう。能の一節も何度となく出てくる。

ほとんど資料がない世阿弥最後の十年間を、85歳になった寂聴さんが4年の歳月をかけ大胆に創造する。70過ぎて始めて心静かな生活を得て、しかも芸への情熱を失わずにいる世阿弥の姿からは、近年の寂聴さん自身を浮かび上がらせる。

表紙のカバーは、おどろおどろしくはないが、とても本とは思えない絵でいかにも横尾忠則。

――――――――――――――
「これを書いてもう力尽きたと思った。でも、創作の泉は空っぽになったのに、また水が湧(わ)いてくるのを待っている自分がいます。生きている間は書くんでしょうね。あまりの忙しさにもう一度出家したいと思ったり、島流しにあこがれたりするけれど、私はあの世へいっても、きっとものを書いているでしょう」
(2007年5月15日 読売新聞)
―――――――――――――――――

寂聴さんに乾杯!








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永井明「ぼくに「老後」がくる前に」を読む

2008年04月16日 | 読書
永井明「ぼくに「老後」がくる前に-老人体験レポート-」1999年3月飛鳥新社発行を読んだ。

51歳の著者が、映画のメイクアップの人によりしわだらけの80歳のおばあさんに変身。両耳にスポンジ、前に2kgの重り、手足にも各2kgの重りを付け、ひじとひざをサポーターで固定して、街を歩き、買物をして、人に会う。実体験して初めてわかった高齢化のレポート。

階段の下りが怖い。駅の券売機では小銭を取り出すのにもたついて後ろのビジネスマンから舌打ちされる。
普段は何でもない動作が老人にとっては大変な苦労であることを実感する。相手にされず、ひがみ易く、逆にちょっとの親切が嬉しくなる。
アキばあさんの扮装で、銀座、巣鴨、お台場に行き、熊本まで飛行機に乗ったりする。ノリノリの写真付き。



著者は「ぼくが医者をやめた理由」を書いた医療ジャーナリスト。
この本の最後は、「チャオ、アキばあさん、また30年後に会いましょう」で終わるのだが、痛ましいことに、著者は、2004年56歳で肝臓がんにより死去した。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)。お年寄りがモタモタしていてもイラつかないために、もうすぐ(?)来る老後のあなたを世間がどのように扱うか知るために一読を進めたい。




永井さんは医者だったから、老化の医学的説明がとことどころ入る。2つだけ要旨をご紹介。

――――――――――――――――
動物種には成長期、生殖期、後生殖期がある。成長期、生殖期には身体のメカニズムはフル回転するが、後生殖期は短くてすぐ死ぬ。
性成熟年齢と、もっとも条件に恵まれた場合の寿命である最大寿命は比例し、ゴリラは8歳と40歳で、チンパンジーは9歳と45歳。人間は13歳で性成熟するから、この計算での最大寿命は65歳ということになる。実際の人間の寿命はこれよりかなり長くなっていて、後生殖期が遺伝の原則を越えて不自然に異常に長くなっている。この結果、ガン、認知症など身体のあちこちにガタが来るのは当然だ。

老化は、昔は生理的衰えとして治療対象にならず、「歳のせいだ」で済んでいた。1961年に始まった国民皆保険制度以来、老化現象に対しても濃厚な治療が行われるようになり、保険財政は破綻した。
――――――――――

私は、無理な延命処置は不要と思うが、老化を素直に受け入れる気持ちにはまだなれない。しかし、医術の進歩により、老化にどこまで対抗すべきかは、確かに個々人の倫理上、経済上の問題となってきているのだろう。






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佐藤愛子「老い力」を読む

2008年04月13日 | 読書
佐藤愛子「老い力(おいぢから)」2007年10月海竜社発行を読んだ。

50代から老いや死について考えてきた佐藤愛子さんが、50代、60代、70代、80代と書いてきたエッセイを集めたものだ。

近年は、年取ってもいつまでも元気で若々しく生きることが望ましいと考えられている。しかし、実際に老いは確実にやってきて、やがて、病苦、老衰、死がやってくる。著者は現実を静に受け入れ、ジタバタせずに老いと死を迎えるほうが良いと考えている。

50代では中年女性について、60代では老人について、80代では死についてと、エッセイの主たるテーマは変わり、かつ各年代には時代の移り変わりも反映している。しかし、勇ましく、強気で、口が悪く、かつ現実的な著者の考え方は各年代で一定している。

佐藤愛子ファン、とくに女性には、痛快な物言いが気持ちよく、とんでもない失敗談など笑える話も多いのだろう。しかし、私には、何冊か読んだ佐藤さんのエッセイのパターンと同じ話が多く、いずれも新鮮味はない。昔書いたエッセイも多いので当然だが、今読むと、話題も考え方も時代からずれてしまったように見える。

私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)









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姜尚中「在日」を読む

2008年04月12日 | 読書
姜 尚中(カン・サンジュン)「在日」集英社文庫 2008年1月発行を読んだ。この本は2004年3月に講談社から出た単行本に大幅加筆して文庫化したものだ。

著者は朝鮮戦争のさなかの1950年、韓国・朝鮮人二世として熊本市に生まれ、早稲田大学政治学研究科博士課程修了。現在、東京大学情報学環教授。

姜尚中の在日としての半生を語った自伝である。

前半は韓国・朝鮮人集落で暮らす父親、母親、同居人のおじさんなど悲惨ともいうべき身近な在日一世の境遇と、その中で愛情を注がれた子供時代が淡々と語られる。

青年期には、激しく変わる韓国、北朝鮮の状況に翻弄されながら、日本名「永野鉄男」を捨て、「姜尚中」を名乗り、在日としておずおずと政治活動に携っていく。その結果、政治の季節の終焉とともに挫折し、やがて学究の徒として留学し、結婚もする。

後半では、大学で教えるようになり、そしてTVなどに出だしてからは少数派の在日として意見を、ためらいながらもしっかり主張する。例えば、北朝鮮バッシングの中で、六カ国協議でしか北朝鮮問題を解決できないことを主張する。




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。TVの討論番組などでお馴染みにように、冷静で穏やかに、淡々と極めて困難な状況を語っているので読みやすい。


私の理解として、在日の問題は、排他的な日本の中の外国人としての立場だけではなく、韓国、北朝鮮の人からも疎外され、反日と反朝鮮のハザマにはまり込んでしまう点にあると思う。
韓国の政治情勢は激しく動き、暴力的であり、北朝鮮にいたっては狂信的で、日本人の共感を得るには程遠い。同時に、日本人の嫌朝鮮の感情を、日本により悲惨な被害を被った韓国、北朝鮮の人に伝えることもより難しい。

ただ、姜尚中はまちがいなく頭が良く、勉強もし、在日で東大教授になるという超エリートだ。したがって、この本は、多くの在日の人の苦しみを知るための本としては十分なものではないだろう。


ひとつだけご紹介。

埼玉県で指紋押捺拒否第一号になって運動の象徴になるが、苦しんだ末、生活上から降りることにした。ことのとき、上尾合同教会の土門一雄牧師は言う。

――――以下引用――――

「わたしは姜さんがどんな決定をしても、それを支持したいですね。もともと私たちの運動は市民の運動です。市民の運動はね、国家権力と対峙するとき、敗北するに決まっているんです。でもそれをただ敗北とだけ受け止める必要はないと思いますよ。負けて、負けて、負け続けて、しかしいつの日か勝てないけれど、負けてもいない、そんなときがくるはずですよ。だから姜さん、今あなたが犠牲を被る必要はないんです。だれもそれを姜さんに求めることはできないし、求めてはダメなんです。姜さんがこんなふうに悩まなければならない状況を作っている私たち日本人にこそ、問題があるのですから」

――――以上引用終わり――――

姜尚中は土門牧師への尊敬の思いで、洗礼を受ける。







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青山七恵「ひとり日和」を読む

2008年04月09日 | 読書
芥川賞受賞作の青山七恵「ひとり日和」2007年2月河出書房新社発行を読んだ。

20歳のフリーターの知寿は、母の知り合い71歳の吟子さんの家で居候する。知寿はキオスクで働き、恋をし、破れ、一年を過ごす。

著者は、1983年、埼玉県出身。2005年「窓の灯」で第42回文藝賞を受賞し、2007年「ひとり日和」で第131回芥川賞を受賞する。



変化の少ない日常を気だるく生き、中途半端に恋愛する大人になれない主人公。同居する年寄りとの微妙な関係、バランスや、ときどき現れる母との関係は良くかけているが、全体に平板で倦怠感だけがただよう。

著者には感性と表現力はあるのだろうが、閉塞感のある社会で気だるく生きるという最近の小説にありがちな設定はどうにかならないだろうか。

芥川賞受賞作に厳しいが、私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)







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藤原智美「暴走老人!」を読む

2008年04月07日 | 読書
藤原智美「暴走老人!」2007年8月文藝春秋発行を読んだ。

ここ数年高齢者が突然キレて問題を起こすことが多くなった。常識のタガがはずれ、たいした理由もなく窓口で突然キレル、店で怒鳴り続ける。キレやすい最近の老人を著者は、「新」老人と呼ぶ。

この本には、他人から見ると、なんでそんなことでと言うことで、老人が突然キレて、感情を爆発させた多くの事例が新聞記事などから紹介され、著者の分析が示される。

インターネットや携帯が急速に普及するなど激減する時代環境では過去の経験則は無駄であるばかりが、有害に成りうる。老人は置いてきぼりをくらったような焦りを感じ、イラついて感情爆発を起す。

また、独居の増加などで孤立した空間に置かれることも多く、さらにファミレスやコンビニのようにマニュアル化された笑顔ばかりで感情の交流のない客扱いに心が疲労し、イラツキが蓄積する。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め) 。

とくに老人に近づいた人には第三者的に自分を見つめるためにお勧めだ。社会学的全体分析はないが、個々の事例について著者なりの個別の分析をしており、なるほどと思わせる場合も多い。
私自身、いまだ見栄があり、あきらめやすい性格であるため爆発することはないが、イラつくことは多い。TVを見てブツブツ文句を言うこともあり、奥様にたしなめられることもある。単に反省するだけでなく、なぜイラついたのか追及するのも面白いと思った。

それにしても、もはや老人は知恵の固まりでも人生の先輩でもなく、単なる邪魔者なのか。私自身もじっとパソコンの前に座り、たまに旅行する生活を改める必要があるのかもしれない。多くの退職者と同じようなボランティア、趣味サークルなどでしか社会とつながりはもてないのだろうか。


著者の藤原智美氏は1992年に芥川賞を受賞した作家だが、「「家をつくる」ということ」など家族問題をテーマにしたノンフィクション作家でもある。




まったく、本筋ではないが、面白いと思った点を2つ。

体内時計は代謝の速さ、おおざっぱに言って酸素消費量、つまり脈拍数に対応している。高齢者の脈拍は毎分50程度で、子供は70くらいだ。つまり、高齢者は子供より体内時計の進み方が遅く、現実の時間が早く感じられる。そして、歳をとるごとに時間が早くたつと感じる。これが焦燥感につながる。

高速道路の料金所ではトラックの後ろに並んだほうが良い。彼らはプロで料金処理に手間取ることはないし、一台通れば乗用車3台分くらい進む。
















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石井桃子さんに感謝

2008年04月05日 | 読書

101歳で児童文学者の石井桃子さんが4月2日亡くなった。
児童文学者と言うより、「クマのプーさん」「ピーターラビット」などの翻訳者、そして「ノンちゃん雲に乗る」の作者と言った方が良いだろう。200を超える作品でどれだけ多くの子供達の心を豊かにしただろうか。私もその一人だ。

子供のころ貧しい我家には童話など子供向けの本は一冊もなかった。昔々の古ぼけた大人向けの本が数冊あるだけだった。本好きだった私はルビの振ってある漱石全集などをわけも分からないままに読んでいた。
あるとき、叔母が石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」を買ってきてくれた。かじりつくように読んで、また読んで、繰り返し何回も読んだ。空想にふけり、そして、いろいろ疑問を持った。

まず、出だしが良い。氷川神社をノンちゃんがワンワン泣いているところから始まる。なぜ、泣いているのか?思わず引き込まれてしまう。
そして、なぜ、雲の上のおじいさんは、乱暴者の長吉の話を聞くと喜んでいて、優等生のノンちゃんのことをほめてくれないのだろう。私もノンちゃんと一緒に、良い子がなぜいけないのかと不思議でならなかった。

私は優等生ではなかったが、大人から見ればおとなしく、けしてはみ出さない良い子だった。自分らしさをだそうと無理するのは高校に入ってからだ。当時は、両親はじめ周囲の大人からなんとなくそう強いられていたのだろう。そんな私が良い子にも問題があると言われては、混乱するはずだ。

ノンちゃんが、雪の日に新聞に同じ雪の字がたくさんあることに気づき、お母さんの名前が「雪子」だったので、お母さんがノンちゃんのお母さんであり同時に、「田代雪子」という人だったと気づき、不思議に思う場面がある。
私自身は母を一人の女性でもあるとはじめて意識した瞬間はまったく覚えていない。昔、5階建ての社宅に住んでいたとき、1階上に住む子どもが、下から「お母さん」と何回も叫んでいた。途中で、はたとお母さんが一杯いることに気がついたのだろう、「○○子お母さん」と名前をつけて呼びなおしていたのを思い出した。


どちらかと言うと、良い子が主人公のこの本は批評家には受けは良くないようだ。しかし、多くの子供に支持され、少なくとも私はこの本によって読書の楽しみを倍加させ、本はやさしく書かれていても、「アハハ」と笑うだけでなく、自分で空想し考えるきっかけになるものだと教えてくれた。


戦争中の昭和19年、石井桃子さんは、「宮城県の山おくの掘っ建て小屋のなかで、ひるま、開墾をして、夜は、ランプの石油のへるのに気もへらしながら、夜明まで、きたない原稿の清書をしました」と言っている。

96歳でミルンの自伝を翻訳した石井さんは、「ノンちゃん雲に乗る」の続きを書きたかったそうだ。実現すればどんな話になったのだろうか?
続き後を私なりに想像すると、その後、ノンちゃんは・・・・、と夢は広がる。


年を経てまた読み直してみると、いつも違った見方ができる、そんな本はきっと良い本に違いない。子どものときに、ただ一冊持っていた本が、こんなにすばらしい本であったことに感謝。そして、石井桃子さんに感謝。

よし、もう一度、「ノンちゃん雲に乗る」を読んでみよう。



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鎌倉八幡宮と大仏へ

2008年04月04日 | 観光

バンクバーから知人が来日し、サンフランシスコから合流した娘さん家族など総勢7名で鎌倉へ行った。鎌倉ははじめての人もいることから、代表的な鶴岡八幡宮と大仏を見ることにした。

鎌倉駅から若宮大路に入る。石を積んで高くした段葛(だんかずら)が500m続く鶴岡八幡宮の参道だ。両側のソメイヨシノが桜のトンネルを作る。一行にサクラが異常に好きな外人さんがいて、私たちもなんだか彼並に鼻が高くなったような気がする。



八幡宮の境内に入り、最近は渡れない太鼓橋、Curved Bridge と言っていた、を左に見て、東側の源氏池に近づく。そそりだす桜が水に映え、にわかカメラマンが群がる。お仲間になり一枚。



桜の季節とあって結構人が多く、屋台もいくつか出ていた。ウルトラマン好きの女の子はさっそく買ってもらって、シュワッチなどご機嫌。米国でも人気なのだろう。



手前の舞殿は踊りを踊るところとなんとか説明した。さらに、静御前がこの舞殿で義経を慕って歌い舞い、怒った頼朝を妻の正子がとりなして事なきを得る話を説明しようと文を組み立て始めたが、あきらめた。



階段横の大イチョウを指差してあれは何だと聞かれたが、英語が分からない。バイリンガルの娘さんがGinkgoと教えてくれた。中国語の銀杏に由来するのだろうか。ここでも公暁が実朝を殺した話は日本語でしか説明できず。



昼飯は鎌倉山の檑亭(らいてい)に行った。電話で予約したが満席で、一般席でお願いしますと言われた。門を入ったところに小屋があって、500円取られた。庭を見るだけの人は500円で、食事をすればこの500円を引いてくれるという。中に入ると、人が一杯で30分以上待たされた。昔は、ガラカラだったのだが。それでも庭が広いのでブラブラしていると結構時間がつぶれる。

鎌倉山は昭和の初めに日本最初の分譲別荘地として開発された。山門は古刹高松寺から、本館は江戸の豪農猪熊家の旧宅を移築した。庭園は廻遊式で、崖に沿った道をたどって茶室や甘味処を巡ることができる。

桜弁当?3650円は高いが、上品な味で、蕎麦と、あっさりとした甘みの和菓子付きで、まあまあ。



最後に高徳院の鎌倉大仏に行った。看板の説明には、「・・7百余年前の・・阿弥陀仏で・・零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。・・」とある。本当ならたいしたものだ。



与謝野晶子の歌碑には、「鎌倉や みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」とある。案内書には、大仏は釈迦牟尼仏(釈迦如来)でなく、阿弥陀如来なので間違いとあったが、そんなことはどうでも良い。

長谷駅までブラブラ歩いて江ノ電で鎌倉駅に出て、湘南新宿ラインで帰った。






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横浜みなとみらいへ

2008年04月03日 | 観光
バンクバーから知人が来日し、サンフランシスコから合流した娘さん家族などと横浜のみなとみらいに行った。

まずは、3歳の子供の待ち焦がれる大観覧車「コスモクロック21」だ。完成当時は全高112.5mで世界一だったらしいが、ロンドンの135mの観覧車に世界一の座を奪われ、さらに「マリノアシティ福岡」の120mに日本一の座も奪われた。

スピーカーからの説明は「世界最大の時計を持つ大観覧車」だった。世界最大は「時計を持つ大観覧車」に係り、大観覧車だけには係らない。

富士山がランドマークの陰に隠れて見えないと思ったら、頂上あたりで、ビルの谷間に見えた。



上から見る万葉倶楽部の脇のサクラもあざやかだ。



近くのインターコンチネンタルホテルのなだ万で昼食。手前の岩の向こうの柵がよけいだが、ベイブリッジが良く見える。



今月のおすすめの「さくら膳」。さっぱりとした味でいて美味。高いだけのことはある。



再び、コスモワールドに戻り、いろいろな乗り物に乗って楽しんだあと、そびえるランドマークタワーへ向かう。ランドマークタワーは高さ296mで日本一の高さだが、世界では44位だそうだ。



ランドマークタワー69Fの展望台スカイガーデンに登る。エレベータはすぐに分速750mに達し、展望台まで40秒だ。昔のエレベータは10階程度のデパートでも急激な加速度でお尻のあたりがツーンとしたものだが、まったく不快な感じはない。しかし、さすがに耳だけは気圧が小さくなって少し痛くなる。

なだ万が入っている半月形のインターコンチネンタルホテルを上から見る。影が横浜港に伸びている。



東京の高層ビル群が遠くに霞む。



それにしても、こまかな家々のランダムな連なりはすごい。碁盤の目のように道がくっきりと伸び、家々が同じ方向に並んでいる海外の多くの都市とは大違いだ。都市計画もなしにこの大都市が機能しているのは、互いに他を思いやる自立分散的、有機的つながりによるものだろうか、などコジツケ魔は考えてしまう。



真下を見たら、動く歩道、日本丸と馬車道が見えた。



タクシーで最寄駅まで行って、お蕎麦を食べて帰った、二人だけ我家に泊まってもらったのだが、狭い我が家を見てびっくりしないように、娘さんに近所の1軒壊して3戸化した家を見せて、「日本の家はほとんどが、こんなに小さいんだ」と言ったら、「おお、キュート」と言われてしまった。








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林望「ついこの間あった昔」を読む

2008年04月02日 | 読書

林望著「ついこの間あった昔」2007年12月 弘文堂発行 を読んだ。

リンボウ先生が、愛読本『写真で見る日本生活図引』(弘文堂刊)からの30枚の写真を眺め、もう忘れかけていた過ぎし日々をなつかしみ、味わった本だ。

どの写真も、「そうそう、あったあった」と懐かしい。リンボウ先生は細かい点まで観察し、鋭く分析する。これらの写真を“日がら眺めている”と言うだけのことはある。

写真の中には「これ本当に昭和?明治じゃないの?」と思うような写真もあり、それらは地方のものだ。今日では、日本各地、どこでも生活ぶりや町並みは大差なくなってしまったが、昔は地方は都会にくらべ数十年遅れていたのだ。

写真を眺めると、確かに昔は人々の暮らしと自然との距離が近く、子供は子供らしく、母親はいかにもお母さんという感じだったと思う。

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)。ただし、昔を懐かしみたい人だけにお勧めだ。

二つだけ紹介する。

東京オリンピックの翌年1965年の「五畳半のすまい」という写真が衝撃的写真として紹介されている。下の子は既に布団を敷いて寝ていて、二人の子に父親がちゃぶ台で勉強を教えていて、傍らでは母親は食事を作っている。これらが全部五畳半の部屋の中で行われている。当時でも東京都の人口の2割ほどは四畳か五畳で一家が暮していたらしい。
そういえば、私も廊下の突き当りに机を置いて、カーテンで仕切って個室にしていた。

「テレビ様降臨の日」という写真がある。新しく入ったテレビがお座敷に鎮座し、その前に14人もの人がきちんと座っている。これが1959年で、日本でのTV放送開始は1953年だ。これに対し、アメリカでは、すでに1939年に商業放送が開始していて、真珠湾攻撃の模様も全米に放映されていたというからびっくりだ。









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携帯ウォシュレット

2008年04月01日 | 海外

外国へ行って困ることの一つに温水洗浄便座がないことがある。そう、あの「お尻だって洗って欲しい」のCMのウォシュレットだ。

丁寧にトイレットペーパーを使い「なにくそ(失礼!)、昔々、硬いちり紙や、新聞紙で鍛えた尻だ」と思うのだが、すぐにお尻がヒリヒリしてくる。
しかし、これまた人間不思議なもので、1週間もすると鍛えられて、いつの間にか、気にならなくなっている。


2,3年前に携帯できるトラベルウォシュレットを購入した。大枚8千円位だったと思う。
携帯時は13cmほどの長さ、250gの重さでそれほど大きいものではない。



単3電池、180mlの水を入れて、引き出して使う。



海外でのホテルやアパートメントのトイレに置いておいて、使うときに先端の位置を定めてボタンを押すだけ。硬軟のスイッチがあるが、いたって使い方は簡単。
パースのアパートメントに一ヶ月滞在したとき最初の1週間位使ったが、だんだん面倒になり、そのうち紙でも平気になって使わなくなってしまった。
今では、旅行用品を入れたタンスに入ったままになっている。

取扱説明書を見ると、赤ちゃんのオムツの取替え時に使っても良いとあった。孫でもできたら出番があるのだろうか。

TVでどなたかが、日本は良いものを持っているので、どんどん世界へ進出すべきだという例に、温水洗浄便座ウォシュレットを挙げていた。それほどの物かどうかは別にして、外人だってしばらく使えばもう使わずにはいられないようになるはずで、早くグローバル・スタンダードになって欲しいものだ。


外国には暖房便座もないので、寒い季節の、とくに夜中にトイレに座ると、ヒヤっとして飛び上がり、はっきり目が覚めてしまうことがある。
この対策として、便利な便座シートがあり、最近はスーパーにも置いてある。洗濯してもすぐ乾くし、またピタリと便座に付いてずれない。こちらは現在も愛用している。









コメント (1)
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