hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

木村多江『かかと』を読む

2010年12月30日 | 読書2

木村多江著『かかと』2010年4月、講談社発行を読んだ。

宣伝文句はこうだ。
日本一不幸が似合う女の『幸福になれる本』心のダイエットがあなたを魅力的にする。不幸が似合うといわれた女の心の贅肉の落とし方。


演技派女優の率直な初めてのエッセイだ。若く下積み時代の、目が小さいなど顔のコンプレックスを持ち、自分では女優と思わないのにそう呼ばれ、映像の世界に出るようになってからは好きな舞台出演を禁止された、など悩みを率直に語る。

楽天ブックス著者インタビュー」にこの本についての木村さんへのインタビュー記事がある。



木村多江
1971年東京都江東区生れ。舞台女優として活動後、ドラマ「リングー最終章」の貞子役、「大奥」などで人気となる。2005年結婚、2007年妊娠し、ドラマなどに穴をあける。初主演映画「ぐるりのこと。」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞。
木村さんは言う。「“不幸が似合う女優”と呼ばれるのはいいが“不幸な女優”と呼ばないで。そこは略さないで欲しい」
映画「ぐるりのこと。」では、毎度自分だけなんども“ダメ出し”され、まわりは芝居上手ばかり。どんな仕事だって必ず終わるんだと自分に言い聞かせて現場に向かう。その結果が栄誉の受賞。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

気取らない人柄がわかり、自然な生き方にも好感が持てる。若い時の下積み、アルバイト生活が気持ちの良い性格をつくっているようだ。
文章も読みやすく、1ページ13行で約140ページと分量も少なく、特に濃い内容ではないので簡単に読める。通勤の行きと帰りで面白く読んでしまった。

ファンには必見だろうが、是非読みたいという本ではない。



例によって、本筋に関係ない部分を一つだけ。

4日のオフを利用して、断食ツアーに参加。無事戻って、おかゆを食べる。「硬いものと、油ものは急に食べないでください」との注意を忘れ、ピーナッツを7粒食べた。みるみるお腹がふくらんで、救急車を呼ぶはめになり、事務所にも知れ大騒ぎに。断食恐るべし。



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朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』を読む

2010年12月28日 | 読書2
朝井リョウ著『桐島、部活やめるってよ』2010年2月、集英社発行、を読んだ。
2009年、小説すばる新人賞受賞作品。

集英社のこの本の宣伝にはこうある。
バレー部の「頼れるキャプテン」桐島が突然部活をやめた。それがきっかけで、田舎の県立高校に通う5人の生活に、小さな、しかし確実な波紋が広がっていく。物語をなぞるうち、いつしか「あの頃」の自分が踏み出した「一歩」に思い当たる・・・。世代を超えて胸に迫る、青春オムニバス小説。


5名の高校生が語る6章からなる連作短編。一話だけ、家族が事故で死ぬという話が入っているが、他はバレー部、野球部、ブラスバンド部、女子ソフトボール部、映画部という高校の部活という狭い世界の話。
題名にある「桐島」は部長を止めたという話が何回か出てきて、ある種の象徴になっているだけで、本人は最後まで一度も姿を表さない。このあたりは、私は読んでいないのだが、『田村はまだか』に似ているのでは?



朝井 リョウ(あさい リョウ)
1989年生れ。岐阜県不破郡出身。 早稲田大学文化構想学部在学中。2009年、本作品で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。大学ではストリートダンスのサークルに所属している。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

特にキャラの立つ人が登場するわけでなく、普通の男女の高校生のどうということない話だ。ただ、半世紀前の高校生としては、服装、会話、生徒間の2階層化など物珍しく読んだ。

外観、スポーツの出来不出来などで、目立つ人と、そうでない人により、「上」か「下」かはっきり2階層化されているらしい。「上の者に話しかけられると下の者は緊張してしまう」などの記述があり、「何じゃこれは!」と思う。

趣味の固有名詞がいろいろ出てくるが、当然ながら、私にはまったく馴染みがない。例えば、音楽はラッド、チャットモンチー、映画は岩井俊二、本は豊島ミホ、ポマード???は「ナカノの4」。「何じゃこれは!」

古代まれという古希が近い身には、嫉妬と劣等感でイジイジした狭い世界はあまりに遠かった。


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ポール・オースター『オラクル・ナイト』を読む

2010年12月24日 | 読書2

Paul Auster著、柴田元幸訳『オラクル・ナイト Oracle Night 』2010年9月、新潮社発行、を読んだ。

34歳の主人公作家シドニーは高校教師をやめて専業作家になったが、大病から生還したばかりだ。はっきりしない頭でフラフラとブルックリンを歩き始め、中国人が経営する文房具店で青いノートを見つける。
彼は青いノートに編集者がある夜とつぜん見知らぬ土地へ行くという小説を書き始める。
見知らぬ人のから託された「オラクル・ナイト(神託の夜)」という小説や、シドニーが金を稼ぐために書いたタイムトラベルものの映画脚本などいくつも話がからみあう。

本筋は、シドニーと妻の話だが、いくつもの小説内の話とからみあって多層に話は進んでいく。シドニーは妻グレースとは相愛の中で、申し分ない妻なのだが、いまひとつ彼女の心をつかめていないと感じている。妻にはジョン・トラウズという作家の恩人がいて、シドニーも作家として彼を尊敬している。

さらに複雑なことに、何ページにもなる注が本文に割り込む。例えば、文中にジョンという人物が登場すると、ジョンの説明が脚注として本文に割り込む。本文とは線で区切られ、小文字で区別できるのだが、15行程度から長い場合は3ページにもなり、とても脚注とはいえない。



ポール・オースター Paul Auster
1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
1970年 コロンビア大学大学院修了後、メキシコで石油タンカーの乗組員、フランスで農業等様々な仕事につく。
1974年にアメリカに帰国後、詩、戯曲、評論の執筆、フランス文学の翻訳などに携わる。1985年から1986年にかけて、『ガラスの街(シティ・オヴ・グラス)』、『幽霊たち』、『鍵のかかった部屋』の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表し、一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。以来、無類のストーリーテラーとして現代アメリカを代表する作家でありつづけている。他の作品に『ムーン・パレス』、『偶然の音楽』、『リヴァイアサン』、『ティンブクトゥ』、2002年『幻影の書』で、超一流のストーリー・テラーになったと評価された。

柴田元幸(しばた もとゆき)
1954年東京生まれ。東京大学教授、専攻現代アメリカ文学。翻訳者。訳書は、ポール・オースターの主要作品、レベッカ・ブラウン『体の贈り物』など多数。著書に『アメリカン・ナルシス』『それは私です』など。『生半可な学者』は講談社エッセイ賞を受賞。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)

ポール・オースターの小説は3冊目で、前回の『幻影の書』が分かりにくく、面白くもなかったので、もう結構と思ったのだが、気づいてみればまた読んでいた。今回の本もより複雑な構成なのだが、本筋のシドニーと妻グレースの話がしっかりと1本通っているし、からみあう小説の話もそれぞれ興味をそそられる話だ。

シドニーが書き始める小説はこうだ。
編集者がある夜ふらりと出た街で、落下してきた石(ガーゴイルという建物から突き出た石の怪物の彫刻)に危ういところで打たれそうになる。ここで死んだとしても不思議でなかったと思った彼はそのまま妻に行き先も告げずカンザスシティへ行き、“歴史記念館”事業の手助けをすることになる。
なんとなく、ありそうな、起こってもふしぎでなさそうな話の出だした。

純愛の話でもある。妻グレースは言う。
「とにかくずっと私を愛してちょうだい。そうすればすべてなんとかなるわ」
彼は思う。
どこかの時点で彼女がちょっと道からそれたり、自分で誇りに思えないことをやらかしたとしても、長い目で見てそれがどうしたというのか。私の務めは彼女を裁くことではない。私は彼女の夫であって、倫理警察の警部補なんかじゃない。何があろうと彼女の味方でありつづける。


ポール・オースターはユダヤ系アメリカ人で、ユダヤ系作家の本によく出てくるアウシュビッツの話がこの本にも数ページ出てくる。
もちろん悲惨で人間というものが信じられなくなる事実だ。しかし、さらに酷いのは、そんな被害者のユダヤ人が今は生存のため、自分たちの国のためということで、パレスチナの人々を悲惨な目にあわせているということだ。私にはアウシュビッツにまして絶望的な話に思える。





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角田光代『ひそやかな花園』を読む

2010年12月21日 | 読書2
角田光代著『ひそやかな花園』2010年7月毎日新聞社発行、を読んだ。

初出:毎日新聞日曜くらぶ、2009年4月~2010年4月。
「毎日JP-エンタメ-毎日の本棚-ひそやかな花園特設サイト」にはこうある。
幼い頃、毎年サマーキャンプで一緒に過ごしていた7人の子どもたち。輝く夏の思い出は誰にとって大切な思い出だった。しかし、いつしか彼らは疑問を抱くようになる。「あの集まりはいったい何だったのか?」大人になり別々の人生を歩んでいた彼らに、突如突きつけられた衝撃の事実。7人に共通する秘密を知った彼らは、<自分>という森を彷徨い始める。


また、角田光代さんがこの小説の創作背景をラジオ番組「学問ノススメ」(インターネット配信)で語っている。「私の小説はハッピーエンドはほとんどないが、この小説はいままでで最大のハッピーエンドだ」



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

「家族とはなにか、親子とは」を問い直す話だが、彼らは、過去に拘り、新たな世界に踏み出せない。もちろん答えが提示されるわけではないのだが、エピローグで、
「そこに居つづけたら、明日も、世界も、ずっとこわいまんまだよ。こわくなくしてくれるすばらしいものに、会う機会すらないんだよ」

と、角田さんはなんとか考えていることを語る。
しかし、自信をなくし否定的になっている人を目覚めさせる魔法の言葉なんてないのだろう。個別に丁寧に向き合い、心配していることを伝えるしかないと思う。それにしても、自分自身を見つめることなく、親、他人、組織、国のせいにばかりしている人につける薬はない。

自分のルーツになんでそんなにこだわるのか、単細胞の私には分からない。親子、兄弟であっても性格は、生き方はまったく違う場合も多い。自分は自分でしかない。



いつものように本筋には無関係なところから一つだけ。

今では一週間に一度ほど、思い出したように「元気? ちゃんと食べてる?」というメールが届くだけだ。「げ」や「ち」と押せば、文章候補がずらずらでてくるのだろうと紗有美は想像する。

たしかにメールの学習機能は便利だが、相手からすると、「げ+ち」と、心こもらず、記号を届けられているだけということなのだろう。



角田光代
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。
1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞
1996年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞
1998年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞
1999年「キッド・ナップ・ツアー」で産経児童出版文化賞フジテレビ賞
2000年路傍の石賞
2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞
2005年「対岸の彼女」で直木賞
2006年「ロック母」で川端康成文学賞
2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞
をいずれも受賞。
2005年春作家の伊藤たかみさんと結婚後、離婚。2009年ミュージシャン河野丈洋と再婚。
その他、「水曜日の神さま」「森に眠る魚」「何も持たず存在するということ」「マザコン」「予定日はジミーペイジ」「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」、『私たちには物語がある』20100608、『愛がなんだ』20100105を執筆。


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有川浩『植物図鑑』を読む

2010年12月18日 | 読書2

有川浩著『植物図鑑』2010年6月角川書店発行、を読んだ。

角川書店の宣伝はこうだ。

男の子に美少女が落ちてくるなら女の子にもイケメンが落ちてきて何が悪い!ある日道端に落ちていた好みの男子。「樹木の樹って書いてイツキと読むんだ」。野に育つ草花に託して語られる、最新にして最強の恋愛小説!



こんな調子で話は始まる。

「お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか」・・・
「ひ・・・拾って、って。捨て犬みたいにそんな、あんた」・・・
「咬みません。躾のできたよい子です」
「やだ、やめてー」



拾われた男子は野草に詳しく、女子と一緒に野草狩りに出かけ、とった草を調理して食べる。ヘクソガズラに始まる9つの章と、最後の章からなる。さらにカーテンコールの短編と、後日談の書きおろし短編が付け加わっている。登場する野草、雑草のカラー写真、巻末特別付録の野草料理レシピ4つがあり、まさに『植物図鑑』だ。

初出は、植物図鑑:ケイタイ小説サイト「小説屋sari-sari」2008年6月~2009年4月、午後三時:「野生時代」2009年6月、ゴゴサンジ:書下ろし


webKADOKAWAの「『植物図鑑』特集」



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

二人の恋愛模様は良く書けているとはいえ、当初から想像がつく流れだし、どうみても雑草の説明、料理には少なくとも私は興味がわかない。身近な野草を紹介するという他に例を見ない小説ではある。



本筋に無関係だが、気になったところを一つだけ引用する。

川端康成が言ったという。

別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。


いやらしい事をいう奴だ。おっと、ノーベル賞受賞作家だった。それでなくとも、女はからりと気持ちを入れ替え、男はいつまでも引きずるのに。


有川浩(ありかわ・ひろ)の略歴と既読本リスト

 

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高田郁『今朝の春』を読む

2010年12月16日 | 読書2
高田郁(かおる)著『今朝の春 みをつくし料理帖』ハルキ文庫、2010年9月、角川春樹事務所発行を読んだ。
みをつくし料理帳」シリーズの「八朔の雪」(2009年5月)「花散らしの雨」(2009年9月)「想い雲」(2010年3月)につづく第4弾で、全4話からなる。
この作品は時代小説文庫(ハルキ文庫)の書き下ろし。

話の流れは、お世話になった名料理屋の若旦那を見つけ再建するという義、幼馴染の吉原の太夫を助け出すという友情、そして身分の異なる侍への秘めた恋、そしてこれらいずれにもからむのが江戸の人をあっと驚かす創作料理だ。これらが、主人公澪(みお)を囲む個性的だが、こころ優しい人たちとともに、バランス良く、控えめの文でしっとりと語られる。

第一話「花嫁御寮」―ははきぎ飯
月に三度の「三方よしの日」、つる家では澪と助っ人の又次が作る料理が評判を呼び、繁盛する。ある日、伊勢屋の美緒(みお)に大奥奉公の話が持ち上がり、澪は包丁使いの指南役を任される。ふらりと現れる浪人風の小松原、澪憧れの人の正体がついに明らかになる。
(―の後は、澪の創作料理名)

第二話「友待つ雪」―里の白雪
戯作者清右衛門が吉原のあさひ太夫を題材に戯作を書くことになる。澪は決死の覚悟で阻止しようとする。皮肉屋で無礼な清右衛門の戯作者としての矜持、情け。少しずつ明らかになってゆくあさひ太夫こと野江の過去。
友待つ雪とは、「白雪の色わきがたき梅が枝に友待つ雪ぞ消え残りたる」から。

第三話「寒紅」―ひょっとこ温寿司
おりょうの旦那、真面目で無口な伊左三に浮気の疑惑が起こる。

今朝の春―寒鰆の昆布締め
登龍楼との料理の競い合いを行うこととなったつる家。迷いに迷った澪が直前で渾身の料理を生み出す。その結果は・・・。

巻末付録 澪の料理帖
4レシピ



高田郁(たかだ・かおる)は兵庫県宝塚市生れ。中央大学法学部卒。
1993年、川富士立夏の名前で漫画原作者としてデビュー。
2006年、短編「志乃の桜」で北区 内田康夫ミステリー文学賞区長賞受賞。
2007年、短編「出世花」で小説NON短編時代小説賞奨励賞受賞。
2009年、『みをつくし料理帖』シリーズ第1弾の「八朔の雪」は、「歴史・時代小説ベスト10」、「最高に面白い本大賞!文庫・時代部門」、「R-40本屋さん大賞第一位」を獲得。
その他、2010年『銀二貫



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)

五つ星に近い四つ星だ。読み終わったまだ一日しか経っておらず、興奮が残っているので、あえて五つ星は避けた。

不幸な過去を持ちながらも健気に生きる女料理人澪。切ない恋にひたむきながら身分の違いに自分を抑え、料理に専念する澪。彼女を支え、彼女に励まされる周辺の暖かい人々。ありきたりな話の流れながら、それが安心感となり、落着いた筆致で切ない澪を応援する気持ちに引き込まれていく。

このシリーズは全部読んでいるが、この4作目が一番良いと思う。第3作までにつくられた話の流れ、登場人物に馴染んだこともあるだろう。TVの「水戸黄門」を見るような安心感と共に、あさひ太夫の秘密や、小松原 の正体が明かされることもこの巻の興味を深くする。第5巻が待ちどうしい。

現在、とても美味しいが、なんでこんな組合せ、料理法を考えたのかと思う料理がいくつかある。名前は伝わっていないが、どこかの誰かが、いつか創作したものに違いない。
澪が従来のシリーズでは天才料理人だったが、この本では、大人になってひたむきな努力の人になっている。



必死に戦う澪に小松原が呟く。
「勝つことのみに拘っていた者が敗れたなら、それまでの精進は当人にとっての無駄。ただ無心に精進を重ねて敗れたならば、その精進は己の糧となる。」


願掛けは神仏と己との約束事であって、ほかの誰にも知られてはならない。人知れず満願の日を迎えなければ、願いが叶えられることはない。

願掛けで思い出すことがある。おふくろが私の受験のときに大好きなお茶を絶っていたと最近になって女房から聞いた。女房も息子の受験のときに、寒がりなのに長袖の下着を着なかったという。当人の私や、息子はそんなこと思いもかけずのんびりしていた。まったく、母親というやつは!




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東京スカイツリーの周りをぐるり

2010年12月13日 | 日記
昨日、亀戸の近くに行ったとき、運転してくれた人が気を利かせて東京スカイツリーの周りを車でぐるりと回ってくれた。近くで見ると、やはり大きい。



今年12月1日、高さが500mを超えた。2011年春に634mに達し、2012年春に開業する。



今後、アンテナを含むゲイン塔を塔内からリフトアップして、先端に頂部制振装置をドッキングさせてから、さらに634mまでリフトアップする。
TOKYO SKYTREEによる)www.rising-east.jp/

橋のところには、カメラを構える人が一杯だ。お決まりの撮影ポイントになっているのだろう。



一番近い押上駅からは人がぞろぞろと集まっていて、橋の上では多くの人があごを突き出して見上げていた。



思い出すのは青山にある高校から毎日ながめていた出来かけの東京タワーだ。高校1年生のとき、2年生の教室がある校舎の2階に上がり、徐々に高くなっていく東京タワーを眺めていた。完成して営業を開始したのは1958年のことだ。なぜ年号まで覚えているかと言うと、高校の卒業アルバムの表紙に大きく1961年と書いてあり、逆さに見ても同じだということを覚えているからだ。



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玉川上水を歩く

2010年12月12日 | 日記
江戸時代、約350年前に玉川兄弟によって作られた玉川上水は、多摩川の羽村から四谷まで43キロメートル、わずか標高差100mを露天掘りで流すという難工事だったという。太宰治が愛人山崎富栄と入水自殺したのが玉川上水だ。

ここからは暗渠になる久我山の地点から三鷹の方向へわずかな距離をぶらぶら歩いてみた。

川の両岸が崖になっていて、木が生い茂っている。



川の両岸は細い遊歩道、場所によっては民家の裏道になっている。



川はUの字に深く、落ちたらとても上がれないだろう。ましてや昔は水量が多く、太宰も人喰い川と呼ばれていたと言っている。



付近の小学校では「絶対に玉川上水に入ってはいけない。二度と上がれなくなる」ときつく脅されるという。
1919年三鷹の万助橋付近で児童が玉川上水に落ち、児童は助かったが、飛び込んだ松本先生が殉職した。「松本訓導殉難の碑」(訓導は小学校の先生)が井の頭公園西園の林の中にある。

途中何箇所か赤い紐が垂れ下がっていた。川面までは届かない長さなので、何のためのものか不明だ。



吉祥寺に近づくと、法政大学中学高等学校がある。以前は東京女子大の短大があったのだが。



門柱の由来が書いてあった。1954年にカナダ人宣教師ストーン先生が寄付した門柱だという。ストーン先生は、1954年9月26日青函連絡船「洞爺丸」が沈んだとき、自分の救命胴衣を泣き叫ぶ婦女子に差し出して、自ら犠牲になったという。洞爺丸事件といえば、私は当時小学6年生。悲惨な新聞の写真が今でも目に浮かぶ。奥様によれば、ストーン先生のことはキリスト教の学校では何回となく聞かされる話だそうだ。

学校のはずれからは雑木林になっていて、「玉川上水緑道(牟礼地区)」の石碑がある。



「この林は、イヌシデ・エゴノキ・コナラといった落葉広葉樹を主体とした雑木林で・・・。もともと雑木林の多くは、薪炭林として下草刈りや枝抜きなどを毎年繰り返し、人の手を加えることによって維持してきた林です。」と説明がある。



自然といっても、とくに日本の場合は人の手で作られ、維持されてきた共生の自然がほとんどのようだ。



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宮部みゆき『おそろし』を読む

2010年12月09日 | 読書2

宮部みゆき著『おそろし 三島屋変調百物語事始』2010年6月新人物往来社発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。

ある事件を境に心を閉ざしてしまった17歳のおちかは、江戸の神田三島町で袋物を商う叔父夫婦のもとに預けられる。裏庭の片隅にひっそりと曼珠沙華のひと群れが咲く秋のある日、叔父・伊兵衛は、おちかに来客の対応をまかせて出かけてしまう。 来客の相手をすることになったおちかは、曼珠沙華の花を怖れる客の話に次第に引き込まれていく。そして、伊兵衛の計らいで次々に訪れる人々のふしぎ話は、おちかの心を溶かし、やがて彼女をめぐって起こった事件も明らかに......。



他人に心を閉ざしたおちかは、訪ねてくる人たちから「変わり百物語」を聞くうちに心を少しずつ、溶かし始めていく、という連作長編時代小説のシリーズ第一弾。
この作品は2008年7月角川書店から四六判ハードカバーで刊行された。シリーズ第二弾は、読売新聞に連載され、中央公論新社から「あんじゅう 三島屋変調百物語 事続」として単行本化されている。

第一話「曼珠沙華」
訪ねてきた藤吉は、曼珠沙華(まんじゅしゃげ=ヒガンバナ)を見て気を失いそうになる。腕の良いいなせな職人だった長兄のことを語り始める。ただ、彼の兄はかっとなると、抑えがきかなくなるたちだった。曼珠沙華の間から見えるのは誰の顔か?

第二話「凶宅」
美しい謎の女、おたかは、子供の頃に住んだ家について語る。年に一度倉をあけて着物などを虫干しするという屋敷に1年間住んだら100両くれるといわれ、家族全員で移り住んだ。

第三話「邪恋」
主人公のおちかは、女中頭のおしまに、実家にいたときに起こったことを語る。それは、自分の許嫁と幼いころ父に助けられ、育てられた男をめぐる悲劇だった。

第四話「魔鏡」
お福には、姉と兄がいた。咳のため幼い頃から他家に預けてあった姉が17歳になり絶世の美女となって帰ってきた。美男子の兄は? 魔鏡にとらわれた女性は?

第五話「家鳴り」
おちかを兄が訪ねてきて、変なこと起きているので、おちかは大丈夫かと心配する。謎の屋敷に乗り込むと、そこには・・・。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

これらの話では、人を愛する気持ちがいつの間にか、ねじれ、行き違い、あるいはひたむき過ぎて心の暗闇を作り出す。そして、この心の暗闇が怨霊というものを作り出す。

哀しみを抱える人たちが、罪の意識に悩むおちかに物語ることによって、幾分か気持ちが楽になっていく。そして、いつのまにかおちか自身も救われていく。

単純な理工系の私は、怨霊に違和感があり(なじんでいる人もいないだろうが)、拒否反応が強く、十分に楽しめなかった。


宮部みゆき 概歴と既読本リスト



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鈴木亘『財政危機と社会保障』を読む

2010年12月07日 | 読書2
鈴木亘著『財政危機と社会保障』講談社現代新書、2010年9月、講談社発行、を読んだ。

日本の財政危機は太平洋戦争中以上に深刻で、今後の少子高齢化により回復はますます困難になる。さらに年金の「百年保障」だとか、医療・介護を成長産業とし「強い社会保障」だとか菅首相の主張が幻に過ぎないことをデータで明らかにしている。
かっての日本や、現在の中国、インドで明らかなように、人口増加が経済発展の主要因であることは、他の経済学者も言っている。これから人口が減少する日本で、しかも各種規制が強く、年寄りなど既得権排除が出来ない政治のもとでは若者の希望はない。
著者の論拠は分かりやすく、明快で、絶望的だ。

著者の主張は、悪く言えば競争原理主義であり、保育所や老人ホームなど社会保障分野についても、公費投入を抑制し市場原理を導入しない限り、いくら税金を上げても将来の破綻から免れ得ない。どんなに税金を上げたとしても、各種社会保障費は、中高所得者に薄く、低所得者には厚くせざるを得ないという。また、医療・介護は規制に守られた業界で、技術革新の余地が少なく、成長産業にはなりえないと主張する。

例えば、都区内のゼロ歳児保育のコストは、公立で50万円、私立で38万円。自己負担は2万円で、残りは税金だ。自治体や社会福祉法人以外も参入させ、調理施設を持たねばならないなどの規制を無くしてコスト削減(例えば保育士の平均年収800万円)に努力させなければ、公費負担は増え続け、自己負担の低さにより待機児童を生み続ける。

目次
第1章 「日本の借金」はどのくらい危機的なのか?
第2章 「強い社会保障」は実現可能か?
第3章 世界最速で進む少子高齢化、人口減少のインパクト
第4章 年金改革は、第二の普天間基地問題になるか
第5章 医療保険財政の危機と医師不足問題
第6章 介護保険財政の危機と待機老人問題
第7章 待機児童問題が解決しない本当の理由
第8章 「強い社会保障」ではなく「身の丈に合った社会保障」へ



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)

日本の財政危機が、仕分けほどの削減ではどうにもならず、消費税10%でも今後の高齢化ですぐに破綻するほどの厳しいものだということがいやになるほど分かる。強い社会保障どころではない。年寄りも、社会保障も痛み分けしなければならない状況なのだ。

最終章で、厳しい痛みをけして受け入れない国民にも比較的受け入れやすい改善提案をしている。著者は、市場原理主義ではあるが、本当の低所得者へのセイフティネットはしっかり張るべきで、そのためにも、社会保障業界を競争市場にするしかないといっている。
残念ながら、私もそのとおりだと思う。

また、役人や政治家が、例えば利回りをありえない高率に設定するなど、当面の危機を先送りしてごまかしていることに我々は早く気がつかなければいけない。どん詰まりはすぐそこまで来ている。このままでは、あなたの子供の時代や、すくなくとも孫の時代には地獄が来る。



鈴木亘(すずきわたる)
学習院大学 経済学部 経済学科 教授。専門は社会保障論、医療経済学、福祉経済学
1970年9月生まれ。
1994年上智大学経済学部経済学科卒業。
1994年日本銀行入行(考査局経営分析G、京都支店、調査統計局調整統括G,計量分析Gを経る)
1998年日本銀行を退職。大阪大学大学院博士前期課程へ。
2002年 大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授。
2009年 学習院大学経済学部経済学科教授
平成21年度・第9回日経BP・BizTech図書賞(「だまされないための年金・医療・介護入門」東洋経済新報社にて)
平成20年度・第51回日経・経済図書文化賞(『生活保護の経済分析』東京大学出版会にて)



以下、私のメモ。

第1章 「日本の借金」はどのくらい危機的なのか?
●2010年、国の新たな借金は44.3兆円で、税収は37.4兆円。(民主党よ、バラマキは止めろ)
●2010年一般会計予算92.3兆円の約1/3の27.3兆円が社会保障関係費。(あくまで関係費)
●日本の債務比率(総政府債務/GDP)は199と、イタリア132、ギリシャ129、アイスランド128を引き離して先進国で世界一。
●プライマリー・バランスとは、財政赤字額から国債の元利払いである国債費を除いたもので、一般歳出から税収等を差引いた額。2020年度までのプライマリー・バランスの赤字を解消するとなると、消費税を18%以上にしなければならないだろう。
●日本国債の国内保有率は95.4%で安定しているが、海外投資家には魅力がないとも言える。高齢化で国内購入が減少したときに危機が訪れる。借金で借金が返せなくなったら破滅だ。

第2章 「強い社会保障」は実現可能か?
●菅さんの「強い社会保障」とは、社会保障への安心感が強まれば、過剰貯蓄を取り崩して消費が拡大するだろうというものだが、通常の経済学からは間違いといえる。
日本の潜在成長率程度に景気が回復している平常時では、潜在成長率(0.5~0.8%)以上に成長させようと、財政支出などを行っても、一時的で、結局財政赤字が膨らむだけに終わる。
多額の公費支出に支えられている医療・介護・保育産業に増税によりさらに支出しても、経済効果は少なく、他の業界が影響を受けるだけで、GDPは変わらない(詳細略)。
社会保障拡大で安心する高齢者はたいした貯蓄を持っていない人だ。上位1割の資産家が日本全体の家計金融資産の約5割を持っている。

第3章 世界最速で進む少子高齢化、人口減少のインパクト
●戦後、日本経済の高度成長を支えてきた主因が、労働力となる人口の著しい増加率にあったことは間違いない。これと逆のことがこれから起こる。

第4章 年金改革は、第二の普天間基地問題になるか
●国民の隅々に行渡る既得権益構造が問題だ。1940年生まれの人は支払った保険料より平均3090万円多い年金を受け取る。1950年代後半生まれで損得半々で、2010年生まれになると2370万円~2840万円の損になる。
●今までの大盤振る舞いの結果、厚生年金、国民年金の積立金の不足は、計800兆円に達する。

第5章 医療保険財政の危機と医師不足問題
第6章 介護保険財政の危機と待機老人問題
●介護保険の問題は、公費投入率が6割近いことだ。
●料金が安く需要が旺盛すぎる。2005年までは利用者は1割で、有料老人ホームなどに対し著しく不公平だった。

第7章 待機児童問題が解決しない本当の理由
●公表される待機児童数4.6万人には無認可保育所利用数23万人が含まれない。潜在的待機者は80万人いる。
●認可保育所の料金月2万円は、無認可の6万円に比べ安すぎる。本来、応能負担で所得に応じ8万円まで設定できる料金が、低所得者の料金に引っ張られて安くなっている。
●参入障壁に守られた認可保育所は、公費投入8割にすがりぬるま湯経営になっている。調理施設を持たねばならないなどの規制の一方で、例えば保育士の平均年収800万円などコスト削減なし。

第8章 「強い社会保障」ではなく「身の丈に合った社会保障」へ
●消費税を10%以上上げるのは困難で、現役の人だけに10%以上の保険料増額は無理だろう。現実的には社会保障関係費の抑制以外にない。
●基礎年金の5割、医療保険の4割、介護保険の6割と社会保障給付費に定率を掛けて自動的に支払っている公費を、低所得者だけ対象にするなど自然増を認めない方法しかない。
低所得者への公費投入はむしろ厚めにし、所得が高い層ほど公費投入は少なくする。中所得・高所得者は自己負担額や保険料・保育料が増加する。
●参入を自由化し、十分時間をかけて、公立である意義が薄い公立保育所、特別養護老人ホーム、老人保健施設は民営化する。
●混合医療、混合介護を解禁し、料金の高いサービスも選択できるようにする。



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米澤穂信『インシテミル』を読む

2010年12月05日 | 読書2
米澤穂信著『インシテミル』文春文庫、2010年6月文藝春秋発行、を読んだ。
単行本は2007年8月文藝春秋刊行。

時給1120百円という高額の求人広告に釣られ12人の男女が集まる。仕事は、結局のところ、より多くの報酬をめぐって参加者同士が殺し合う犯人当てゲームだった。
彼らは、外部からの出入り不可能な地下の「暗鬼館」で7日間24時間監視され、そこには、鍵のかからない12の客室、娯楽室、監獄、霊安室などがあり、各客室には1つずつ凶器が置かれている。「夜の10時以降は自分の個室に入っていること」、「人を殺した場合や、人を殺した者を指摘して多数決で正しいと判定された場合などにボーナスが出る」などのルールが告げられる。
何も起きなければ全員が1,800万円以上の大金を手に入れられるはずだったが、早くも2日目に死者が出て、全員、誰が犯人か、疑心暗鬼になる。
隔離場所で一人、また一人と殺されてゆく「クローズド・サークル」ものの本格推理小説だ。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

人工的で仮想的な空間での謎解きが好きな人にはお勧め。そうでない私にも、状況が把握でき、参加者の素性が分かるまでは興味津々だったのだが、殺し合いが始まると、ややこしくて真面目についていく気になれない。
この「暗鬼館」は個室の鍵は掛からないのに、他の部屋を夜間、危険なしに訪れることができない。他人の凶器が何なのかも分からない。次々と殺されていき、ますます互いにだれも信用できなくなる。最後の謎解きの部分にはミステリーの名作の仕掛けの引用も出てきて、推理好きには楽しい話なのだろうが、私には生活感のない話に興味がわかない。



米澤 穂信(よねざわ ほのぶ)
1978年岐阜県生まれ。金沢大学文学部卒業。
大学卒業後、2年間だけという約束で書店員をしながら執筆を続ける。
2001年『氷菓』で第5回角川学園小説大賞奨励賞受賞しデビュー。
その他、『遠まわりする雛』『さよなら妖精』『春期限定いちごタルト事件』『愚者のエンドロール』『犬はどこだ』『ボトルネック』『儚い羊たちの祝宴』など。
「このミステリーがすごい!2010年度版」で作家別投票第1位。


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三浦しをん『風が強く吹いている』を読む

2010年12月02日 | 読書2

三浦しをん著『風が強く吹いている』2010年7月、新潮文庫、新潮社発行、を読んだ。

私からの宣伝文句はこうだ。
高校陸上部ですばらしい結果を残しながら、陸上界から見放されていた清瀬灰二(ハイジ)と蔵原走(かける)。2人は長距離陸上部もない大学に進学し、ボロアパート竹青荘(通称アオタケ)に住む。たまたま住人だった者たちと、ぎりぎり10人で無謀にも箱根駅伝に挑む。あっちこっちを向いていて、義理で参加した者たち一人ひとりに対応し、厳しい練習、合宿と皆をまとめていくハイジ。ストイックに走ること一筋で幼いとも言える走。果たして走るエリートたちの憧れの箱根駅伝に出場できるのか。
走ることが好きな人も、箱根駅伝を見るのは好きな人も、走るなんでとんでもないと思う人も、ただ走るだけの青春小説にひきつけられていくだろう。
直木賞受賞第一作で、文庫本629ページの力作。

2007年には漫画化、ラジオドラマ化、2009年舞台化、映画化された。
本書は2006年9月、新潮社より刊行された単行本の文庫版。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)

無謀すぎてありえない話、そしてすべてが調子良すぎる結果なのだが、だんだん引きずり込まれていき、起こりそうな話に思えてきて、起こってほしいと思えてくる。

何十年も前にハーフマラソンをキロ5分のペースで数回走っただけの私でも、「そうそう走ってると、こうなんだよな」「まれだけどランナーズハイになることがあって、あんときは確かにこうなったな」とか思ってしまう。おそらく走ることとは正反対な著者が、しっかりした取材力と、筆力で走る世界を見事に構築している。

単純で苦しいだけの練習、予選会に出場するための全員の公認記録獲得、予選会と、ハイジがあの手この手で全員をまとめていく管理能力にも感心したが、バラバラだったチーム各員が信頼の絆で結ばれていく過程も「クサク」はあるが、「青春ですね」とほほえましくなる。

記録にとらわれすぎる走にハイジがいう。「きみの価値基準はスピードだけか。だったら走る意味はない。新幹線に乗れ!飛行機に乗れ!そのほうが速いぞ!」
走ること自体は孤独で、自己責任が完結する運動だ。しかし、走る前の練習、走る者へのサポートはチームプレーで、走っている瞬間は個人プレーである駅伝、走る自分がブレーキになれば、チームのみんなに決定的打撃を与えてしまう駅伝。駅伝とは、確かに走るとは何かを考えさせるものなのかもしれない。

三浦しをんの略歴と既読本リスト


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