hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

桜満開の井の頭公園

2016年03月31日 | 散歩

3月31日(木)13時頃、散歩の足を延ばして井の頭公園へ。

南町の茅葺の門と桜の大木

公園に入ると、近頃珍しい山吹が。

お定まりの七井橋からの眺め

いつもガラガラなボート乗り場は長蛇の列だった。

池に張り出す桜の枝

良く見ると、蕾もあるのだが、もう満開といえるだろう。

午後一番なのでまだお酒の匂いはしない。家族連れが多い。

トイレも増設されていた。

ボートから桜の枝に手を伸ばす人も。

葉が一枚もなく、枝に一杯の花というソメイヨシノが、愛されるわけだ。

しかし、子どもたちは、神田川水源で、花より水遊び。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピエール・ルメートル『その女アレックス』を読む

2016年03月28日 | 読書2

 

 

ピエール・ルメートル著、橘明美訳『その女アレックス』(文春文庫ル6-1、2014年9月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

おまえが死ぬのを見たい―男はそう言ってアレックスを監禁した。檻に幽閉され、衰弱した彼女は、死を目前に脱出を図るが…しかし、ここまでは序章にすぎない。孤独な女アレックスの壮絶なる秘密が明かされるや、物語は大逆転を繰り返し、最後に待ち受ける慟哭と驚愕へと突進するのだ。イギリス推理作家協会賞受賞作。

 

本屋大賞翻訳小説部門第1位、「このミステリーがすごい!」第1位など各賞を総なめしたらしい。

 

3部構成、449ページのミステリー。

 

第一部は185ページで、各章約7ページの25章に分かれている。最初のうちは、偶数章が捜査側で、奇数章が誘拐された若い美女の主人公アレックスの話で進む。しかし、第一部では、誘拐された者と捜査する者が交互に現れるが双方の出会いはない。

 

捜査側は、パリ警察犯罪捜査部の四人組で、班長が主人公の身長が145cmしかないカミーユ・ヴェルーヴェン。部下が金持ち・イケメンで完璧な知識を持つルイ・マリア―ニ、地味で確実な捜査をするケチなアルマン、大柄で口は悪いが部下思いの上司のジャン・ル・グエン、そしてことあるごとにぶつかる嫌味なヴィダール予審判事。

 

誘拐された若い美女の主人公アレックスは謎の男に拉致、監禁され、ネズミに喰われそうになる。偶数章几帳面に章を変えて、

結局、第一部では、誘拐犯の正体、動機が明らかになるが、アレックスは保護されず、誰かもわからない。同時に残忍な殺人事件が行われる。

 

 

 第二部は145ページで25章に分かれている。偶数章のアレックスが状況を打開して進展するのに対し、奇数章の捜査側の進展は少ない。39章からは交互の原則が崩れる。

後半でアレックスの実像が姿を現し、捜査側のカミーユはアレックスにたどり着くが、まだまだ影の真相は闇の中だ。

 第三部は115ページで、取調室を中心に、真相解明が進む。カミーユは、死者が残した日記と罠を武器に、真実より正義を優先し、証拠も証人もなしに悪事を行った人物を追い詰めていく。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

各章が短く、章ごとに誘拐されたアレックスの視点と、捜査側の視点が切り替わり、解りやすく、快適なテンポだ。さすが脚本家としても知られる著者の技だ。場面のイメージも描きやすい。

一言で言えば“面白い”。

 

アレックスが第一部では哀れを誘う弱き女性の印象で、第2部ではしぶとくたくましく、そして第3部では・・・。同情が、はてなとなり、なんでそれほどまで・・・と変わっていく。

 

ストーリー展開と最後の意外性は確かにすごい。

 

しかし、かなり暴力的でグロテスクな場面があり、語り口も公正な第三者とは言えないところがあり、ミステリーとしては不満がある

 

 

ピエール・ルメートル Pierre Lemaitre

1951年、パリに生まれる。教職を経て、2006年、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ第1作Travail soignéでデビュー、同作でコニャック・ミステリ大賞ほか4つのミステリ賞を受賞した。

本作『その女アレックス』はヴェルーヴェン・シリーズ第2作で、イギリス推理作家協会インターナショナル・ダガー賞を受賞。日本では「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」ほか4つのミステリ・ランキングで1位となった。

2013年、はじめて発表した文学作品Au revoir là-hautで、フランスを代表する文学賞ゴンクール賞を受賞する。

 

橘明美(たちばな・あけみ)

1958年東京生まれ。お茶の水女子大文教育学部卒。英語・フランス語翻訳家。

訳書、J・ディケール『ハリー・クバート事件』、H・ボンド『ラカンの殺人現場案内』、K・E・ウッディウィス『川面に揺れる花』など。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

香山リカ『リベラルですが、何か?』を読む

2016年03月24日 | 読書2

 

 

香山リカ著『リベラルですが、何か?』(イースト新書064、2016年2月15日イースト・プレス発行)を読んだ。

 

表紙裏にはこうある。

安保法制をめぐって日本中に論議が巻き起こった、二〇一五年夏。それはまさにリベラルの存在意義が問われた季節でもあった。いまリベラルは何を考えればよいのか。右傾化する社会状況の源流を、八〇年代“ニューアカ"“ポストモダン"まで辿り、リベラル派知識人にも責任があると、著者は喝破する。近年、アイヌ民族差別や在日韓国人へのヘイトスピーチ、そして安保法制に対する社会運動において、自らもデモなどに積極的に参加し関わってきた著者が、リベラルのゆくえを考察する一冊。

 

 

「第一章 私の「闘い方」が変わった理由」

おそらくミドルクラスよりさらに富裕層に近い、外資系ネトウヨ、開業医ネトウヨなども基本的にはこの「ナショナリズムー新自由主義」スペクトラムに位置づけられるのだろう。・・・しかし、彼らがより“新しい”のは、彼らは愛国心の持ち主というレベルを超えた先鋭的な人種差別主義者や国粋主義者であり、それと同時に「お金儲けってそんなに悪いことですか?」的な徹底的な拝金主義者であるということだ。

(香山さん! 言い過ぎで、決めつけ過ぎです。ネトウヨがうつってしまってます。)

 

「第二章 リベラル派としての私の<自戒>」

「リベラル派知識人は何をしてきかた。私は自分の歩んできた30年あまりを振り返らざるをえなかった」として第二章は始まるが、やたら思想家、精神病理学などの難しい話がずらずら出てきて、そこは読み飛ばした。そのあと、香山さんがかかわった「アイヌヘイト」との戦いに触れる。

章の最後の方で、リベラル派がすっかり油断し、沈黙している間に、新しい保守派が着々と勢力を拡げ、社会のリベラル色が薄まってしまった、と分析する。

 

香山さんは今後について、奥田愛基(あき)等のSEALDsに期待する。(しかし、彼らは自分たちを「リベラル」とは思ってないのではないだろうか)

 

第三章 リベラルのゆくえ 特別対談1 野間易通×香山リカ

第四章 リベラルのゆくえ 特別対談2 湯浅誠×香山リカ

香山:私なんか自分自身が左傾化しているとは全然思っていなくて、「まあ平和大事だよね」「人権大事だよね」とか普通に言ってきて、みんな共有していると思っていたら、いつの間にか後ろに誰もいないみたいになっていたという実感しかない。

湯浅:やっぱり民主党の政権交代の失望が大きいんじゃないですかね。もっと大きな流れで言えば、もちろんグローバリゼーションが広がってきているから、それに自分たちの生活が脅かされるんじゃないかという文脈でナショナリズムがたかまっている。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

確かに時代は右傾化しつつあると、戦後民主主義の洗礼を受けた私には思える。なんとかすべきだとも思う。

 

しかし、この本を読むと、香山さんの意向とは逆に、良く使われるいわゆる「リベラル」が時代に置いて行かれようとしていると感じられる。文化人が、時に冷笑し、時に大衆を導こうとする昔のやり方は時代とずれてきていると感じられる。

 

でも、香山さんって、面白い。あまりにおっちょこちょい。なんにでもすぐカァーとして反応するので、ネトウヨを楽しませている。デモに参加して興奮して叫ぶ映像を何かで見たが、本人も「おわりに」に書いている。

「あーカヤマリカだ、バーカ、バカ女!」などとののしられることもしばしばだ。


そう言いたくなる映像だが、50代半ばで、一生懸命で、むきになっちゃって、カワユイ!

 

 

香山リカ(かやま・りか)

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学科教授。専門は精神病理学。
学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。

おとなの男の心理学』『<雅子さま>はあなたと一緒に泣いている』『雅子さまと新型うつ』『女はみんな『うつ』になる』『精神科医ですがわりと人間が苦手です』『親子という病』『弱い自分を好きになる本』『いまどきの常識』『しがみつかない生き方』『だましだまし生きるのも悪くない』『人生の法則』『できることを少しずつ』『若者のホンネ』『新型出生前診断と「命の選択」』『がちナショナリズム半知性主義でいこう 戦争ができる国の新しい生き方

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桐野夏生『抱く女』を読む

2016年03月22日 | 読書2

 

 

桐野夏生著『抱く女』(2015年6月30日新潮社発行)を読んだ。

 

宣伝文句

この主人公は、私自身だ──。1972年、吉祥寺、ジャズ喫茶、学生運動、恋愛。

「抱かれる女から抱く女へ」と叫ばれ、あさま山荘事件が起き、不穏な風が吹く七〇年代。二十歳の女子大生・直子は、社会に傷つき反発しながらも、ウーマンリブや学生運動には違和感を覚えていた。必死に自分の居場所を求める彼女は、やがて初めての恋愛に狂おしくのめり込んでいく──。揺れ動く時代に切実に生きる女性の姿を描く、永遠の青春小説。

 

単行本のオビ

恋愛も闘いだよ 毎日が戦争 1972年、吉祥寺、ジャズ喫茶、学生運動 女性が生きづらかった時代に、切実に自分の居場所を探し求め続ける20歳の直子。

 

 

1972年、学生運動が目的を見失い、悲惨な内ゲバの嵐が始まり、荒れた希望のない季節に入るが、やがて思考停止の高度成長へ向かう時代。折に触れ女性差別を感じながら、あちらこちらにさまよう女子学生・直子の9月から12月までの3カ月。

 

 

「どうせ、この先、世の中で出て一生働き続けなければならないならば、今はこうして怠惰に過ごしてやれ、という自棄な気分がある。」

 

「男と比べて、女は何かひとつ余計に叱られるようにできているのはどうしてだろう」

 

「新堀、吾郎、中本。今に、丈次やタカシとも寝るかもしれない自分。いったい男に何を求めているのだろう。自分が不思議で怖かった。」

「男が自分を欲していることで、自分という女が成り立っているような錯覚を起こすんだよね」。

 

 

初出:「小説新潮」2013年1月号~2014年6月号

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

桐野さんが成蹊大生だったあの時代の風俗小説を書こうと思って始めたとどこかで読んだ。しかし結局、女性の生きづらさ、時代の変化の中での若者のもがきを描くことになってしまったのだろう。

いかにも気楽に書いていて、桐野さんの他の作品のような凄みは全くない。

 

 

主人公のあまりの考えなさの振れ幅に、「勝手にすれば」と思ってしまう。しかし、私も20歳のときには全くあきれたものだった。思い出すのも嫌だ。

 

吉祥寺のいろいろな店、京王井の頭線の三鷹台、そして東急東横線の学芸大学まで馴染みな所が出てきて、楽しめた。

ひとつだけ引用すると、「吉祥寺駅と五日市街道を貫くバス通りから東側に広がる一帯は、キャバレーやトルコ・・・などが広がる大歓楽街だ」(行政はここに図書館を建て、風営法上、現状以上に、それらの店が増えないようにしたので、今は小歓楽街になっている。)

 

 

三浦直子:主人公。成蹊大学生。実家は荻窪の酒屋。長兄良樹は大阪の電機メーカ勤務。次兄は早大生で革マルの活動家の和樹。

中本祐司:雀荘「スカラ」での麻雀仲間。成蹊大生。男っぽい。

川原旬子:美容師。中本の彼女。

タカシ:麻雀仲間。成蹊大生。御殿山(吉祥寺)の邸宅に住む。

丈次:麻雀仲間。吾郎の中学の同級生。

吾郎:麻雀仲間。成蹊大生。税理士の息子。

新堀:麻雀仲間。バンドをやっている。直子が何回かアパートに泊まったことがある。

宮脇泉:直子の友人。一浪で成蹊大同級生。ジャズバー「CHET」でバイト。四角い顔で肉感的な身体。

曽根:泉に執心。ジャズバー「CHET」でバイト。

桑原清明:ジャズバー「CHET」のオーナー。直子もバイトすることになる。

高橋隆雄:泉の元カレ。赤軍派活動家。

青野:隆雄の彼女。Y女子大4年。

アキ:ジャズシンガー

深田健一郎:ドラマー。バンドの手伝い。

 

目次

第一章 1972年9月

第二章 1972年10月

第三章 1972年11月

第四章 1972年12月

 

 

桐野夏生(きりの・なつお)

1951年金沢市生れ。成蹊大学卒。

1993年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞

1998年『OUT』で日本推理作家協会賞

1999年『柔らかな頬』で直木賞

2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞

2004年『残虐記』で柴田錬三郎賞

2005年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞

2008年『東京島』で谷崎潤一郎賞

2009年『女神記』で紫式部文学賞

2010年『ナニカアル』で島清恋愛文学賞、2011年同作で読売文学賞

を受賞。

その他『ハピネス』『だから荒野』『夜また夜の深い夜』『奴隷小説』。

中学の時から吉祥寺に住んでいたという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花のある生活 (3)

2016年03月20日 | 老後

2014年6月30日のこのブログ「花のある生活」、2016年3月5日の「花のある生活 (2)

に続き、今回はその続きで、2015年前半の分。

2015年1月11日

 


1月23日

2月17日

3月2日

これって、サヤエンドウ?

4月11日

4月25日

5月9日

5月23日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中室牧子『「学力」の経済学』を読む

2016年03月11日 | 読書2

 

 

中室牧子著『「学力」の経済学』(2015年6月18日ディスカヴァー・トゥエンティワン発行)を読んだ。

 

教育については、「教育評論家」や「子育てに成功した親」の個人的経験、主観的な意見が幅をきかせている。この本は、経済学的な手法の分析(統計的手法)を用いて得られた科学的根拠ある知見を教えてくれる。

 

例えば、

「勉強させるためにご褒美で釣ってもよい」
「子どもはほめて育てしてはいけない」
「ゲームをしても暴力的にはならない」

 

子どもの学力にもっとも大きな影響を与える要因は親の年収や学歴。

 

 

米国での3万人以上の実験結果

ご褒美は、「テストの点数」などのアウトプットではなく、「本を読む」「宿題をする」などのインプットに対して与えるべき

アウトプットにご褒美が与えられてもどうすれば学力が上がるか、子どもたちにはわからない。どうすれば成績を上げられるかという方法を教え、導いてくれる人が必要。

 

 

「自尊心が高まると学力が高まる」という定説に基づいて、自尊心を高めるための大規模なプロジェクトが行われたが、失敗に終わった。それは自尊心と学力は相関関係に過ぎず、因果関係は逆。つまり、学力が高いという「原因」が、自尊心が高いという「結果」をもたらしている。

むやみやたらに子どもをほめると、実力の伴わないナルシストを育てることになりかねません。

 

 

「頭がいいのね」はだめで、「よく頑張ったね」が効果的

もともとの能力を褒められた子どもは、良い成績が取れた時は「自分は才能があるからだ」と考え、悪い成績の時は「自分が才能がないからだ」と考える。

 

 

1時間テレビやゲームをやめさせたとしても、男子は最大2分、女子は3分学習時間が増加するに過ぎない。1日2時間を超えなければ、子どもの発達に大きな影響はない。

 

 

「勉強するように言う」というお手軽は効果がない。「勉強を見ている」「勉強する時間を決めて守らせる」という親が自分の時間を犠牲にする手間のかかる関わりの

効果が高い。

 

 

もっとも人的資本投資の収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育。ただし、人的投資には勉強のほか、しつけなど人格形成、体力や健康への支出も含む。

 

 

学校で平等を重視した教育―「手をつないでゴールしましょう」という方針の運動会などーの影響を受けた人は、他人を思いやり、親切にし合おうという気持ちに「欠ける」大人になってしまうことが明らかになっています。・・・

平等主義的教育は、「人間が生まれながらに持つ能力には差がない」という考え方が基礎となっている。・・・成功しないのは努力せずに怠けているからだと考えるようになってしまい、・・・

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

実験結果に基づく教育効果について、解りやすく述べられている。その結果は、従来の個人的経験に基づく教育論とは違っていることが多く、驚かされる。

その多くは、米国での実験結果であり、日本にそのまま当てはまならいこともあるだろう。しかし、日本でも偉い人のお説教でなく、教育に関する科学的知見が求められていると思う。

 

もう一つ、著者に主張しているのは、学校教育以上に、家庭内教育など家庭や社会の環境が教育結果により大きな影響を及ぼすという点である。親は、良い学校を選び、教師などに神経をとがらせる以上に、口だけでなく、自ら時間を割いてしつけや教育に力を入れるべきである。

 

 

 

中室牧子(なかむろ・まきこ)

1998年慶應義塾大学卒。コロンビア大学で博士号取得。

日銀や世界銀行勤務を経て、2013年から慶應義塾大学総合政策学部准教授として「教育経済学」を研究。

 

本文中にこうあるが、

いい先生とはいったいどんな先生か。「美人の先生ほど授業評価が高かった」という研究結果がある。

私もときどき大学で「美人ですね」といわれることがありますが、それはたいてい成績の芳しくない学生と成績について話しているときに限られますので、自分の実力については正確に把握しているすもりです。

ネットで検索すると、中室先生はなかなか美人だ。まあ、そうでなければ、こうは書けないだろうが。

 

 

目次
第1章 他人の〝成功体験〞はわが子にも活かせるのか?
    - データは個人の経験に勝る
第2章 子どもを〝ご褒美〞で釣ってはいけないのか?
    - 科学的根拠に基づく子育て
第3章 〝勉強〞は本当にそんなに大切なのか?
    - 人生の成功に重要な非認知能力
第4章 〝少人数学級〞には効果があるのか?
    - エビデンスなき日本の教育政策
第5章 〝いい先生〞とはどんな先生なのか?
    - 日本の教育に欠けている教員の「質」という概念

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花のある生活 (2)

2016年03月05日 | 老後

2014年6月30日のこのブログ「花のある生活」でこう書いた。

年金暮らしで、年一度程度の海外旅行以外の外は、ごく慎ましい生活を送っている。
・・・
日常の贅沢といえば、たまに外食することぐらいで、マンション住まいになってからは、花壇もないし、プランターも面倒で、潤いがない。

そこで、月2回、隔週で花が届くサービスに申し込んだ。家まで届けてくれるので面倒がない。月1640円で、花のある生活になる。

 

今回はその続きで、2014年の分。

2014年7月

2014年7月下旬

9月中旬

9月下旬

11月中旬

11月下旬

12月中旬

12月下旬



 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上春樹『職業としての小説家』を読む

2016年03月04日 | 読書2

 

 

村上春樹著『職業としての小説家』(2015年9月17日スイッチ・パブリッシング発行)を読んだ。

 

村上さんの友人で著名な翻訳家の柴田元幸さんが帯に書いている。

これは村上さんが、どうやって小説を書いてきたかを語った本であり、それはほとんど、どうやって生きてきたかを語っているに等しい。だから、小説を書こうとしている人に具体的なヒントと励ましを与えてくれることは言うに及ばず、生き方を模索している人に(つまり、ほとんどすべての人に)総合的なヒントと励ましを与えてくれるだろう――何よりもまず、べつにこのとおりにやらなくていいんだよ、君は君のやりたいようにやるのが一番いいんだよ、と暗に示してくれることによって。   

 

表紙のかっこよい村上さんの写真は荒木経惟による。さすが!

 

 

最初の作品『風の歌を聴け』は、1978年4月神宮球場のヤクルト・スワローズ開幕戦で先頭打者のヒルトンが二塁打を打ったときに「そうだ、僕にも小説がかけるかみしれない」との思いが空から落ちてきた。

店の仕事を終えてから台所のテーブルで書いた。書き上げた物は読んでいて面白くない。「文学的」な姿勢から離れるために英文タイプライターを使い、英語で書いてみた。約一章分の文章を日本語に「翻訳」していき、新しい自分独自の文体を見つけた。

小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がありました。僕はその感覚を今でも大事に保っています。

・・・

最初の小説を書いたときに感じた、文章を書くことの「気持ちの良さ」「楽しさ」は、今でも基本的に変化していません。

 

 

僕が最初の小説『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないということを書くしかないんじゃないか」と痛感しました。・・・とにかくありあわせのもので、物語を作っていこうじゃないかということです。

・・・

ここで僕が心がけたのは、まず「説明しない」ということでした。それよりはいろんな断片的なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを立体的に組み合わせていく。

 

 

長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。

・・・

第一稿を終えると、少し間を置いて一服してから(・・・だいたい一週間くらい休みます)、第一回目の書き直しに入ります。僕の場合、頭からとにかく全部ごりごりと書き直します。・・・その書き直しに、たぶん一か月か二か月はかかります。・・・二回目の書き直しに入ります。これも頭からどんどん書き直していく。ただし今度はもっと細かいところに目をやって、丁寧に書き直していきます。

・・・

そしてだいたいこのあたりで、一度長い休みを取ることにしています、できれば半月から一か月くれいは作品を抽斗にしまいこんで、・・・。

しっかり養生を済ませたし、・・・まず奥さんに原稿を読ませます。・・・

・・・

出版社に渡してゲラになってからも、・・・真っ黒にして送り返し、・・・また真っ黒にするという繰り返しです。

 

  

初出:第一回から第六回までは「MONKEY」vol.1~vol.6、第十二回は「考える人」2013年夏号に掲載。他は書き下ろし。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

 

 

村上さんは、これまでも自分の小説の書き方をかなり具体的に語ってきたし、自分の歩んで来た道を部分的に語ってきた。しかし、この本では、極めてオープンに、正直に小説の書き方、自分の生活ぶりを語っている。村上ファンはもちろん、そうでない人にも、村上さんの依怙地なまでに自分を貫く生き方には興味をもつだろう。

なにしろ、高校生で英語のペーパーブックを一山いくらで買って読み漁り、ジャズに入れ込み、やがて勤めることなくジャズ・バーを開店する。小説家になっても文壇から距離を置き、外国へは自ら積極的に売り込み活動をする。

 

 

それにしても、村上さんの批評家アレルギーは強烈だ。まあ確かに、村上さんの小説は「軽い」だの、「内容がない」だの、「翻訳調」だと言われていた。とくに、初期の、世界的評価を受ける前は。実は私もそう思っていたし、『ノルウェイの森』以外は夢想的(ファンタジー?)な要素が強くて好きになれない。しかし、村上さんのエッセイなどの語り口は極めて正直で、解りやすく、その生き方の徹底ぶりには好感が持てる。

 

 

 

村上春樹(むらかみ・はるき)

1949年京都市生まれ、まもなく西宮市へ。
1968年早稲田大学第一文学部入学
1971年高橋陽子と学生結婚
1974年喫茶で夜はバーの「ピーター・キャット」を国分寺駅南口のビルの地下に開店。
1977年(?)千駄ヶ谷に店を移す。

1979年 「風の歌を聴け」で群像新人文学賞
1982年「羊をめぐる冒険」で野間文芸新人賞
1985年「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞
1986年約3年間ヨーロッパ滞在
1991年米国のプリンストン大学客員研究員、客員講師
1993年タフツ大学
1996年「ねじまき鳥クロニクル」で読売文学賞
1999年「約束された場所で―underground 2」で桑原武夫学芸賞
2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞
2007年朝日賞、早稲田大学坪内逍遥大賞受賞
2008年プリンストン大学より名誉博士号(文学)、カリフォルニア大学バークレー校よりバークレー日本賞
2009年エルサレム賞、毎日出版文化賞を受賞。スペインゲイジュツ文学勲章受勲。

2011年カタルーニャ国際賞受賞

 

その他、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』、『若い読者のための短編小説案内』、『めくらやなぎと眠る女』、『走ることについて語るときに僕の語ること』『村上春樹全作品集1979~1989 5 短編集Ⅱ

 

翻訳、『さよなら愛しい人』、『必要になったら電話をかけて』、『リトル・シスター』、『恋しくて

     

エッセイ他、『走ることについて語るときに僕の語ること』、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』、『日出る国の工場』、『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2

雑文集』 

村上さんのところ」 (読者からの質問メール(2週間で3万通以上)を村上さんが全部読んで、一部に答えるという企画)

 

 

目次

第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出
あとがき

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする