hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

ヒヤリハット

2021年04月26日 | 会社生活

 

台風一過、ベランダから久しぶりの富士のシルエットを眺めながら思い出した。

 

息子が小学生の頃、箱根にドライブ旅行をした。
曲がりくねった山道を快調に車で登っていくと、突然正面に大きく富士山が顔を出した。あまりに見事な富士なのに、後部座席の我が相方と息子は何事か話していて気が付かない。見えなくなってしまう前にと、「ほら、富士だぞ!」と振り向いて大声で注意した。瞬間、車は大きく傾いて凄まじい音がした。急なカーブを曲がり切れず、左側の車輪が道を外れた。

運よくちょうど見晴台の手前だったので側溝があって、車輪が溝に落ちた状態で止まった。わずかでもずれていたら車ごと崖下に転落していただろう。
しかし、我々だけではどうにもならず、途方にくれていると、山を下りてきたトラックの運転手さんが手伝ってくれて、側溝から脱出できた。

 

新聞などで見かける大きな事故や死亡事故の陰には、こんな肝を冷やした多くの軽い事故や、より多くの結果オウライがあるのだろうと思った。

研究所勤務が長かった私は、コストダウン、品質向上など小集団活動にはまったく縁がなかった。会社を変わり、工場勤務になったとき、「ヒヤリハット防止活動」を知った。
ヒヤリハットとは、重大な事故ではないが、大きな事故につながりかねなかった一歩手前の事故のことだ。なんでも重大事故の陰には29倍の軽度の事故と、300倍のニアミスが存在するらしい。工場での「ヒヤリハット防止活動」は、比較的よく起こる小さなヒヤリハットの事例を集め、分析し、予防法を共有することでその先の重大な事故を予防する活動だった。

 

原因はさまざまだが、人間はどんなに注意しても何万回に一回は必ず間違いを犯す。間違いを起こさないような仕組みにする、あるいは一人が間違っても別に人が間違いを確認できる手順にするなど、数十年に一度の大きな事故を引き起こさないために、ヒヤリハットの事例からの防止対策活動が有効だと思う。

 

皆さんも車の運転中は、どんなに衝撃的な美しい景色があっても、流し目でちらっと眺めるだけにとどめ、振り向いたりしないことをお勧めします。

 

余計な話

工場の壁に大きな字で、「俺がやらなきゃ、誰がやる」とスローガンが書いてあった。

しばらくして、また見ると、「誰が」の「が」の点が消され、「か」になっていた。

 

 

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講演会冒頭のジョーク

2020年04月14日 | 会社生活

講演会で講師が話し始めるとき、話慣れた人でも多少硬くなるし、聴衆も「さて、どんな?」と改めて構えてしまい、こちらも多少緊張があることが多い。

そこで、冗談好きのアメリカ人などは冒頭でとっておきのジョークを飛ばして笑いをとり、双方の緊張を取って、話しやすく、また聞きやすくして一体感を作ろうとすることが多い。落語のまくらのようなものだ。

 

私が今まで聞いた中で一番強烈だったジョークをここでご紹介したい。

講師は某有名クレジットカード会社の女性幹部。午後最初の講演に登場した彼女は、典型的?アメリカ女性で、体にぴったりな服装に濃い化粧が似合っている派手な美人だった。彼女は大股で登壇し、ほとんど日本人男性が並ぶ会場を自信満々でゆっくり見渡してから話し出した。

 

英語だったので、おおよそのことしか理解できなかったが、こんなジョークだった。

「午後一番の講演で、皆さん眠くなること間違いありません。もし、うとうとしたら、どうぞ私の裸の姿を想像して、目を覚ましてください」

 

目が覚めた!!

 

15年ほど前のことで、講演内容は全く覚えていないが、冒頭のジョークの時、会場が一瞬あっけにとられ、静かになってから、遠慮がちの、ためらいがちの笑いがざわめいた。あの光景は未だに鮮明に目に浮かぶ。

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管理職のつぶやき、部下のささやき

2008年01月14日 | 会社生活
ネタ探しでパソコンの中をあさっていたら、2007年5月4日朝日新聞(朝)の アスパラクラブ2万人アンケートで、「管理職のつぶやき、部下のささやき」がありました。
会社勤めの頃を思い出しながら、(  )で、一言づつコメントを追加します。

管理職のつぶやき

? 上からはオレに従え、下からは上の方針を変えさせろ、取引先からは君なら社内を説得できるだろうと言われる。そのうち取引先の中間管理職と仲良くなり、2人でしょぼしょぼ安酒を飲む(60代男性)
(上の言うことをアンプ(増大)して下に伝える中間管理職にだけにはなって欲しくありません。大きなことは上の指示を下にも従わせるが、小さな身近なことは下に従い、上をごまかしたいものです)

? 高評価で引っ張りあげた後輩が上司で戻ってきた(50代男性)
(同じような経験があります。私はもちろん先輩の立場ですが()。自分が高評価をつけなくても、いずれ抜かれる運命にあったとあきらめましょう。
必死に仕事しないでも能力は十分あるので一定の成果を上げる部下と、能力には問題あるが、いろいろ相談に来て頑張ってなんとか成果を上げる部下がいるとします。後者に良い評価を付けたくなりませんか?幹部には前者が適しているのでしょう。負け惜しみで言うと、会社の幹部なんてそんな人が最適なんです)

? 外資系。男性管理職と部下の若手女性が人事異動で入れ替わったときはさすがに怖くなった。(40代女性)
(大昔ですが、勤めていた会社ではこんなことはときどきですが、ありました。今ではびっくりすることでもないのでは?当時でも管理職なんてなりたくないと拒否する人もチラホラいました。管理職なんて、専門職の一種に過ぎません)

? 課長なのに100円のボールペンを買う買わないで上司ともめた時、オレってなんなんだと思った(40代男性)
(課長が決裁できる金額などの社内規定が決まっているところが多いと思いますが、実際は金額にかかわらず、自分の好みで細かいことにあれこれイチャモンつける上司はどこにでもいるものです。例えば、「俺はO型で奴はA型だからまあしかたないか」と思い込むしかありませんね)

? 部下の勤務評定で美辞麗句を並べる自分に腹が立つ(50代男性)
(個人個人に鮮明な旗を立ててやろうと思うのですが、平凡な人が多いので、どうしても決まり文句がならんでしまいますね。会社なんて平凡な多くの人に支えられていると思うのですが)

? 役員へのグッドニュースは部長が持っていき、バッドニュースは課長の私が持っていかされる(40代男性)
(悪い話は急いで上にあげろと私は教育されました。確かに悪い話にはすぐアクションをとらなければならない場合が多いですから。良い話があったら、先手をうって部長に「役員に早く報告してください」と言ったらいかがですか。まず、直接の上司の部長に可愛がられる部下になりましょう)

? 中間管理職のうちどれだけ人間関係で苦労したかが、先の人生を豊かにしてくれる鍵だったと、今になって思っている(50代男性)
(トラブル処理の連続で人並み以上に苦労した会社人生でしたが、そのことで人間ができたり、人生が豊かになったりした感じはありません。まあ、もともとが、もともとのせいもありますが。
ただ、いろいろな思い出は増えましたし、危機のときに周りの人の地が見えたことはありました)

部下のささやき

? あこがれの有能社員だったのに。昔のあなたになってと願うばかり(40代女性)
(今は平凡にみえる大体の課長さんも昔は有能社員だったのでは?サラリーマン人生の中で、どの職位で輝くかはひとそれぞれですが、上に上るほど輝きを増す人はあまりいません。当然ですが平社員で輝かない人が一番多く、ヒラのときが一番だったという人が次に多いでしょう。人に仕事を押し付けるのがうまくて課長になってから成果を挙げる人もたまにはいます)

? 研修に参加した上司が、やたらほめるようになった。やる気にさせるにはほめろ、みたいな型通りのことを言われたと簡単に予想できる(30代女性)
(まあ、分かりやすい人は対処しやすいので話の種にでもすれば良いのでは)

? トップより中間管理職の人格次第でヒラ社員の会社人生が変わる。トップが嫌なやつでも、中間管理職が良ければ、一緒にがんばろうと思える(30代女性)
(中間管理職の唯一といってよい楽しみは一体化したチームで燃えて仕事することでしょう。一生のうちでそう何回もあることではありませんが。また、たとえ、運よく上に登っても仕事自体は自分の思うようにはいかないことが多いので、そんな面白いものでもないという話はよく聞きます)


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新しいことを思いつくには

2007年01月08日 | 会社生活

思いがけないときに新しいアイデアを思いつくことがある。フランスの数学者ポアンカレが旅先で乗合馬車に乗ろうとしてステップに足をかけた瞬間に重要なヒントがひらめいた。その後、兵役などで解法を進めることができなかったが、大通りを横切るときにさらに進展させるアイデアが生まれ、難問を解決したという。

ポアンカレとは比べるべくもないが、かくゆう私も、大昔に工学の研究をしていて、現象を解明するために作り上げた方程式の解き方が、考えても、考えてもわからず、何ヶ月もかけた仕事が一歩も進まなくなった。あれもこれもと試みてもどれも行き詰まってしまう。一週間ほどそんな状態のままで苦しんでいたある日、机の上の数式と天井を眺めるのにあきて、トイレに行った。小さいほうを終えなんだか身体の力がぬけた瞬間、アイデアがひらめいた。なんのことはない、もう一度微分すればよいのだ。急いで席に戻り、一気に解が求められる形に変形できた。私の場合は、新規性といってもたいしたものでなく、優秀な人ならあっという間に解ける課題であっただろう。こういった例は多くの人が経験しているのではないだろうか。

このように、大なり小なり難問にぶつかった時の長い停滞のあとのふとした瞬間にアイデアが浮かぶことがある。ポアンカレは「突如として啓示を受けることがある。しかしそれは無意識下で思索的研究がずっと継続していたことを示していることだ」といっている。
どうしてこんなことが起こるかと言うと、苦しんで、突き詰めて考えて、脳に大きな負荷をかけ続けていると、考えるのを中断して何かリラックスした瞬間に、負荷を受けていた脳の二つの神経回路がつながり、今までにない新しい考えが生まれるのではないだろうか。
偶然ではない。考えて、考えて、考え抜いているから、何かの拍子にアイデアが出てくるのだろう。
また、どこでアイデアが浮かんでくるかわからないので、ベッド、トイレ、居間などどこにでもメモを置いておき、すぐ書けるようにしておく必要がある。

平凡な結論であるが、いろいろな角度から難問にアプローチして、徹底的にそれぞれの道を追及し、突き詰めていくと、突然ブレークスルーが起こり、道が開け、問題解決に至ることがある。もちろんそれでも解決しないこともあるが、少なくとも難問であればあるほど、そうしない限り、解決策は得られないのだろう。


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新人をどの組織に配属するか

2007年01月05日 | 会社生活

たいていの組織(事業分野)では人が足りない。人はいくらでも欲しい。給料が高くない新人は欲しがる組織が多い。新人が一人でも多く配属されると、その組織は何か重要視されているようで勢いがつく。
しからば、どんな基準で新人を配属するか。たいていは、現在、利益に貢献していて、忙しい組織の主張が強力で、より多くの新人が配属されるのではないだろうか?しかし、それは一般的には間違いである。

なぜなら、新人は即戦力ではなく、とくに研究、開発や熟練の技が必要とされる職場では1,2年は直接役に立たず、むしろ足手まといになるだけである。しかも、忙しい職場では十分な育成もできず、単純労働に使ってしまう。
その上、現在儲かっていて忙しい組織は、よくある話では、数年後にはその勢いがなくなり、下手すれば人が余る場合さえある。そしてそのころ、かっての新人がようやくその組織で、衰退した分野のスキルを身につけ一人前になるのである。

数年後に隆盛となる組織を予測するのは至難の技である。一般的には組織(技術グループ)は隆盛から数年で衰退へ向かい、新しい事業分野を開拓しようとする。転換できなかったり、失敗すれば解散するが、生き返れば再び隆盛へ向かう。事業分野、技術分野によりその周期は異なるが、現在ではおおざっぱに言って数年ではないだろうか。
だとすれば、乱暴な話、新人は今衰退している組織に配属すべきである。育成の人手も十分あり、新しい事業分野を0から立ち上げるという貴重な経験を新人に味合わせることができる。何をやるべきかを探すという仕事の一部を新人にやらせ、現在企業にもっとも必要とされるスキルを磨かせることができるはずである。

以上は逆説的でリスクのある話であり、100%の実現は難しいであろうが、少なくとも一意的な考え方での配属は避けるべきである。長期的展望が必要とされる新人配属のような話はポートフォリオ的に多様な考え方をとってリスク分散する対応をすべきであろう。


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一つ上の立場に立って考えてみよう

2007年01月04日 | 会社生活
あなたはプロジェクトリーダのもとで一つのプロジェクトを数人で進めていたとします。リーダから新しいタスクをやってくれと言われました。あなたはそのタスクは他の人がやるべきだと思いました。そんな時、あなたはどうしますか?

あなたが課長で、人が絶対的に足りないのでせめて新人でもと期待していたのに、部長から「今年の新人は他の課に回すから」と言われたらどうしますか?

私だったらまず自分の意見を感情的にならないように主張します。しかし、たいていの場合、その意見がそのまま通ることはまずありません。上司だって当然そんなことは想定していたでしょうから。多分上司からは、十分な理由の説明もなく、「君の話は分かったけど、まあ、それでもいいからともかくやってくれよ」と言われるでしょう。そんな時、私は、一度上司の立場に立って考えて見ます。

仮に私がプロジェクトリーダだったとして、新しいタスクは技術的に誰が適任と思うか、誰が手をわずかでも空けることができると思うかを考えます。
仮に私が部長になったとして、どの課を強化したいと考えるか、新人の育成はどの課でやらせたいかなどを考えてみます。

その結果、上司の言うとおりだったら、不本意ながら、上司に「わかりました」と言うでしょう。
逆に、一度上司の立場に立って考えてみても、上司の言うことに納得できなければ、上の立場からもおかしいと、もう一度、少なくとももう一度だけは、反対意見を主張します。徹底的に自分の意見を主張するかどうかは、そのときの私の立場、状況、上司の雰囲気、正しいと思う確信度などによります。

一義的には、自分自身、あるいは自分の管理する組織の利益を優先し、他人、他組織や上司に意見をぶつけるのは当然です。しかし、それだけでは、組織全体がスムーズに動きません。仮に一つ上の立場に立ってみて、ことの是非を判断してみる。そして、自分の組織の利害とのバランスをとって再考してみる。このことは、組織全体のためでもあり、組織人としてあなたが成長していくためにも必要なことだと思います。

もちろん平社員や課長のあなたが、いきなり本部長や社長の立場で考えることは適当でありません。社是や社長の言うお題目は抽象的であり、小さな問題を判断する具体的基準にはなりません。一つ上の立場で十分だと思います。

また、機動的な対応が必須な時代に、数ヶ月前に決めた管理目標を基準にすべての事柄を判断するのも、私はどうかと思います。目標管理は、実情をしっかり把握し評価できる優れた管理者が少ない現状では、強弁できる人の言い訳の道具にしかなっていないと私は思っています。



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仕事の優先順位どう決めてますか?

2006年12月05日 | 会社生活
私が会社で働いていた頃は、朝出社すると、処理すべき案件の山にうんざりしたものである。メールのフォルダは処理種別に分離するよう工夫してあった。フォルダごとに眺めたり、ざっと読み飛ばしたり、ポイントだけ読んだりして、メールの山の中からアクションをとらないといけないものを分離する。サーバーのフォルダにアクセスしファイルを取り寄せたり、電話をかけたりするともう1時間は経っている。あとは電子手帳と連動しているパソコンのTo Doリストへ追加、整理し、未処理案件の重要度1のものを摘出する。それでも、期限の切れているものも含め、ずらずら並んでいる。

飛び込みの仕事をかわしながら、処理していくと、すぐ昼休みになり、会議や、外出が入れば、もう夜になっている。
そして、あれもこれもと手を出して、ちっとも案件の待ち行列は短くならず、かえってより大きくなってしまった案件などもあり、結局欲求不満のまま、満足感のないまま、夜遅くなって退社することになっていた。

何かの本で、マイクロソフトの副社長が次のように言っていたと書いてあった。
「朝会社に出るとやるべき仕事が山ほどある。まるで、消防ホースから水を飲むようで、とても全部はできない。そこで、今日やることを3つだけピックアップする。そしてそれだけはどうしてもやる。あとはやれればやる」

この副社長の話を読んでからは、朝決めた3つの案件を、緊急のどうしてもやらざるを得ない案件をのぞいて、何よりも優先して片付けるようにしてきた。そして、たいていの日は、多くの未処理案件の山を残しながらも一応満足して退社することができた。

問題は数多くの案件の中から何を選ぶかだ。一番精神衛生上良いのは、努力すれば簡単に処理でき、成果がきれいに見える案件を優先することだ。しかし、それでは難しい案件がたまり、全体の仕事が進まなくなる。
コミュニケーション能力に問題のある私の場合は、何が難しい案件かと言うと、自分だけではできないで、いやがる他の人と交渉して妥協させなければいけない案件が一番いやで気の進まない案件だった。これは最優先すべき案件である場合が多いのだが、どうしても後回しになってしまう。
次に難しいのは、従来になく新しいと他人に感じさせるアイデアをひねり出すことだった。これは基本的には楽しい仕事だが、どうしても何も浮かばず、時間がどんどん迫ってくるときの苦しさ、あせり。研究開発の宿命ではあるが、掃除で回ってくるおばさんを見て、身体を動かせば確実に処理できるあんな仕事がうらやましいと思ったこともある。

そこで、その日のTo Doリストの中から自分の最もやりたい案件を2つ選び、もう一つは全体の仕事を進めるのにもっともキーとなる案件を選ぶ。そして、これら3つの案件を何が何でも今日中にやろうと、他の案件を振り払い、朝からスパートする。会議も何のかのと言ってなるべくサボる。

私の場合は、研究開発で、どちらかといえば、少人数での仕事が多かったので以上のようなわがままな進め方が許された。しかし、組織で仕事を進める場合も、やる気をひきだすためには、処理すべき案件の優先順位を個々人が決めるある程度の融通性があることが望ましいだろう。

Part図を基にしたスケジュール管理プログラムに基づき最も今全体の進行に必要な案件を片付けるのが、全体の仕事を進めるのにもっとも効率的であることは明らかである。大きなソフト開発のように多くの人の分担が明確で実行組織、計画がきっちりしている仕事は、多くの場合、線表もぎりぎりで余裕などないであろうから、その方法しかないだろう。その場合、個々人には、決められた案件の進め方の中の小さな選択の自由度しかないことになる。
しかし、関係者がもう少しルーズな関係で結ばれている仕事は、実行する人のやる気を考慮し、少しでもやる気を出させて、いや、やる気を損なわないように、進め方を工夫すべきである。人間の能力はやる気しだいで全く変わるのだから。

以下、蛇足。
有名だが、真偽不明な「80/20の法則」、「パレートの法則」と言うのがある。
100人のセールスマンがいると、たいていの場合、売上全体の80%は20%の人間、つまり20人、が売ったものだ。しかし、残りの80人を配置転換か、首にして、この20人だけにすると、その20%、4人だけが80%を売り上げて、残りの80%の人の売上はがた落ちになる。
人間は認められ、やる気になれば、どんどん潜在能力が発揮される。逆に言えば、やる気がなければ、能力は損なわれる。
しかし、だめ人間がいるから、優秀な人間が生まれると考えることもできる。その意味で、私のような人間も会社にとっては必要な人間だったのである。


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職場での呼び方

2006年11月05日 | 会社生活
職場で人を呼ぶとき、皆さんは名前に何てつけますか?「山田部長」と職位をつけて呼びますか?では「ひら」の人に対しては?「山田」と呼び捨てにしますか?山田氏が女性なら「山田さん」と呼びますか?
私はあるときから、新人だろうと、本部長だろうと、「山田さん」と誰にでも「さん付け」で呼ぶことにしていました。なぜ「さん付け」にしたか、その経緯をお話しましょう。

人の呼び方は会社の文化により異なるし、また部門によっても違うと思います。上下の命令系統をはっきりさせ、きちんと組織で仕事する部門と、おもに個人プレーで仕事する部門とでは異なると思います。

「山田課長」と職位をつける呼び方は、特に昇格直後にそう呼ばれとうれしいものです。もともとそう呼ばれることを好む人もいるでしょう。しかし、「課長代理」、「課長補佐」だの、「グループリーダー」だのいろいろの職位名や、カタカナの長い名前が登場してきたし、「課長」が「担当課長」に実質降格になることも普通にある時代に、厳密な職位を名前に付けて呼ぶのは難しくなりました。
私はもともと偉そうなふりをするのも、されるのも好きではないし、上昇志向もないので、職位で呼ぶ呼び方は好みませんでした。したがって、以下は、「くんづけ」か、「さんづけ」かという問題に絞ります。

私は若いころ、研究所に属していました。当時まだ、親方、弟子の関係は多少残っていましたし、一方では、組織としての研究方針、目標もありました。しかし、根本的には個々人が独立しているという気風がありました。
当時の所長さんはごくたまに電話などかけてくるときに、私のことを、「冷水くん」と呼んでいました。ゴルフのコンペがあり、たまたま所長さんと一緒の組になりました。ところが、所長さんはいの一番で、「冷水さん」と呼びかけてきたのです。一瞬、びっくりしましたが、多分、ゴルフはプライベートな付き合いになるので、「さん付け」になったと思います。
しかし、昨日は「くん」で、明日は「さん」では何かわざとらしく、当時はピントきませんでした。

研究所で小さな組織の長になったとき、新人が入ってきました。当初は「山田くん」と呼んでいましたが、彼に事業部門に異動してもらい3年ほど経験をつんで戻ってきてもらうことにしました。
研究所にとって、同じ会社内であっても事業部門は技術を使っていただくお客様にあたります。したがって、私は、事業部門の人は、たとえ新人でも「さん付け」で呼んでしました。
その後、事業部門との会議の席に山田氏が出席してきました。話の流れで山田氏に呼びかける必要が生じたとき、一瞬ちゅうちょしました。そんなときに、ちょっと押さえつけ気味に「山田くん」と呼びかけ、会議の進行を多少でも有利にしようとする人もいますが、そのために彼を異動させたのではありませんし、そんなやり方は意固地な私の好むところではありません。そこで、「山田さん」と呼びかけました。おそらくその前に彼の職場を訪れて、後ろから肩をたたきながら、「どう、元気?」と聞いたとしたら、「山田くん」と呼びかけたと思いますが。
そして、予定通り3年後に山田氏はわが職場に戻ってきました。その前の会議では「山田さん」と呼んでいた同じ人を、今日からは「山田くん」と呼ぶのかと迷いました。そのころ、逆に事業部門から招いた人が、いずれ事業へ戻る人で、しかも女性だったので、「鈴木さん」と「さん付け」で呼んでいました。
そこで、仕事の中だってそれぞれの人格は尊重しているのだし、もう面倒だ、これからはみんな「さんづけ」にしようと決めました。昨日からと違って、「くん」が「さん」に変わる人もいますので、全員に「私は、これからは全員を「さん付け」で呼ぶから、びっくりしないで」と宣言しました。

以来、私は「さん付け」を通しています。会社を変わって、工場と近接した部門に移ってとき、他の人とは異なる呼び方で、奇妙に思われ、浮いていたこともありましたが、異なる文化があることを知らせるためにもと無理に考えて、「さん付け」で通しました。

といったことで、どうでもよいことを長々と書いてきて、最後まで読んでくださった方にお礼の意味で、ジョークを一つ。たしか、サトウサンペイの漫画にあった話だと思いましたが。

「ソクラテスや、ヘラクレイトスっていう昔のギリシャの哲学者、知ってる?」
「ヘラクレイトスは知らないな」
「じゃあ、ヒラクラスは?」
「ヒラクラス?」
「そう、平クラス」

おそまつ。
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お歳暮の三原則

2006年11月03日 | 会社生活
退職者にはあまり縁がないが、そろそろお歳暮の季節が近づいた。
昔、お歳暮の三原則というのを本で読んでなるほどと思った記憶がある。いかに印象に残るように贈るかに工夫を凝らすということなのだが、出典がわからなくなってしまった。以下のような趣旨だったと思う。

(1)お歳暮の時期の早い段階で贈る
散々いろいろなものを受取ったあとでなく、最初なら、「おお、またお歳暮の季節が来たか」と印象に残る。
(2)いつも決まったものを贈る
リンゴならリンゴを送り続けると、リンゴが送られてくると「ああ、あの人か」と思い出す。
(3)一度贈ったら続ける
異動で上司でなくなった人にも続けて贈ると、上司だからという理由だけでなく贈っていると分かってもらえる。逆に言うと、単に上司だからという理由だけでは贈らないということかもしれない。

かくゆう私は、お仲人をしてもらった尊敬できる上司以外にはお歳暮を贈ったことはない。お歳暮というもの、ひいては会社組織になじめなかった人間ですので。
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