hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

柚月裕子『パレートの誤算』を読む

2018年08月30日 | 読書2

 

柚月裕子著『パレートの誤算』(2014年10月20日祥伝社発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。

念願の市役所に就職がかなった牧野聡美は、生活保護受給者のケアを担当する事になった。 敬遠されがちなケースワーカーのという職務に不安を抱く聡美。先輩の山川は「やりがいのある仕事だ」と励ましてくれた。その山川が受給者たちが住むアパートで撲殺された。受給者からの信頼も篤く、仕事熱心な先輩を誰が、なぜ? 聡美は山川の後を引き継いだが、次々に疑惑が浮上する。山川の知られざる一面が見えてきたとき、新たな惨劇が……。

 

不満を漏らす聡美に、山川は理想を語る。しかし、その山川が訪問先のアパートの火災で死体となって発見された。そのアパートには暴力団員が出入していて、詳細なケースワーク記録を残していた山川がそのことには触れていなかった。超高価な腕時計を集めていたことなどから、聡美に「山川は果たして?」と迷いが生じる。

生活保護不正受給の可能性を調べるべきだという小野寺にこ同調し、聡美たちは問題のアパートの受給者を調査し、ケースワークし始める。

 

 

初出:月刊誌「小説NON」2012年4月号~2014年2月号に隔月連載したものを加筆・訂正。

 

 

私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読むの?)(最大は五つ星)

 

生活保護費の不正受給は話題になりがちだが、率としては非常に少なく(1%以下だという)、より取り上げるべきは、保護を受けるべき多くの人が保護されていないという問題の方だと思う。それなのに、話題の種が多いからといって、生活保護費に蟻のように群がる人間たちの方を面白おかしくとりあげる姿勢には反感が湧く。

本書は、結論から言っても安直な生活保護批判ではないのだが。



聡美のお馬鹿さにはうんざりする。生保受給者に同情してお金を立て替えるとは、受給者の自立を促す目的に反し、けっして褒められる行為ではない。小野寺のことをまったく理解していないし、オッチョコチョイ過ぎる。

 

パレートの法則はたしかに、どんな社会、組織でも上部20%の人々で支えられていて、80%はお荷物という意味なのだが、その上部20%の人々だけを集めて組織を作ると、その組織の80%の人々は働くなるという。もともと絶対的に出来る人はいなくて、「俺は出来る、エリートだ」との思い、評価があると、必死に働くということに過ぎないのではないだろうか。要するに、下部の80%の人々が上部を作っているとも言えるのだ。

「下にいるからと言って私を馬鹿にするな!」と言いたい。

 

 

 

主な登場人物

牧野聡美:主人公。津川市役所福祉保健部社会福祉課(生活保護担当)の臨時職員。

高村:同・臨時職員

小野寺淳一:同・課員

西田美央:同・課員。仕事よりも結婚相手探し。

山川亨:同・主任。社会福祉課8年目の古株。37歳。仕事、とくにケースワークに熱心。

倉田友則:同・課長補佐。

猪又孝雄:同課長

 

牧野昌子:聡美の母。心臓に持病あり。

牧野亮輔:聡美の兄

 

若林永一郎:津川署刑事課の警部補。

谷:若林の部下の刑事。

 

金田良太:聡美の兄・享輔の同級生。地元で有名な不良だった。

生活保護受給者(徳田真、安西佳子、加藤明、安田憲一、白川正志

立木智則:安西佳子の内縁の夫。道和会高坂組系の暴力団員。

 

 

柚月裕子 経歴&既読本リスト

 

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プティット・メルヴィーユPetite Merveilleでランチ

2018年08月27日 | 食べ物

 

プティット・メルヴィーユ Petite Merveille(小さな感動)には何回か来ていて、このブログには、

2013年3月11月のランチ、2015年7月のデイナーを書いている。

 

今回、パソコンに残っていた写真の2016年1月と、2018年8月のランチをまとめてご報告。

 

まずは、2016年1月のランチ。

正月らしくいつもと違うお皿。

日の光も差し込んで、穏やかな冬の昼時。

頼んだ飲み物はぶどうのジュースと紅茶。

毎回ご紹介もなんだが、紅茶には溶けても薄くならないように紅茶入り氷が。

更に、いつものオードブル。

スープ。昨日の夕食献立も覚えていないのに何しろ2年前のこと、なんのスープだったか忘れた。

メイン。何かは聞くな!

デザート。今年とほぼ同様。

コーヒー

 

ほぼ同じなのだが、約2年後の2018年8月

外観も

内部も変わりなし。

頼んだジュースも、

デザートもほぼ同じ。

スープはフワフワで美味。

真鯛も美味だが、とり囲む野菜も美味。

ホークで崩れる牛ほほ肉。

デザートも2年前と雰囲気は同じ。

当然、コーヒーも。

 

二人で約8千円なら結構毛だらけ猫灰だらけ。

 

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三浦しをん『ののはな通信』を読む

2018年08月24日 | 読書2

 

三浦しをん著『ののはな通信』(2018年5月26日KADOKAWA発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。

最高に甘美で残酷な女子大河小説の最高峰。三浦しをん、小説最新作。

横浜で、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな。
庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、
外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。
二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。
しかし、ののには秘密があった。いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。
それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。
不器用にはじまった、密やかな恋。
けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。

運命の恋を経て、少女たちは大人になる。
女子の生き方を描いた傑作小説。

 

 

前半は女子高生二人の文通が延々、時々授業中のメモも。成績優秀な“のの”に“はな”がこんなに悪い成績だったと嘆いて見せるとか、与田先生と上野さんが付き合っているらしいとの噂を聞いて、跡をつけて確かめた話が続く。いろいろな事件??を通して気持ちが通じ合った二人は、ついに……。そして、高3で二人は別れる。

 

女子大に入った“はな”は慶応大学の安田と付き合う。東大文学部に入った“のの”は東北沢の叔母の悦子さんの家から通う。

 

217ページからは20年後、40代の二人のメール通信が続く。アフリカのゾンダの大使館に住む“はな”は、書く。

私はね、のの。あなたを愛したようには、ほかのだれのことも愛せないみたい。いまのあなたのことも。

 

フリーのライターとなって為五郎と暮らす“のの”に、ゾンダが内戦状態になったとの報せが届く。

 

 

 

初出:「小説屋sari-sari」2012年1月号~2015年1月号、3月号~5月号で配信したものを加筆・修正し、書籍化。

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

冒頭から延々約200ページ、キリスト教系女子高の二人の手紙が続く。さすがに、ひよひよ白髪頭のおじいさんにはキツク、パラパラと飛ばし読み。決して面白くないわけではないのだが、長すぎだ。

 

それにしても、ほとんど高校2年間だけの付き合いがこれほど長く、深く続くのだろうか。私にも高校からの親友はいるが、いたが、手紙などやり取りしたことはなかったし、心の中をストレートに打ち明けることもなかった。女性でもこれはやはり特別緊密な関係なのだろう。

 

三浦しをんの略歴と既読本リスト

 

 

 

 

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水の不思議  

2018年08月22日 | その他

 

水ほど生活に密着している物体はない。しかし、あらためて考えてみると、水ほど多様で偉大なものはない。連日の熱中症対策で“水”という言葉を聞かされない日はない。

 

まず、物理的に捉えてみると、水の分子は、酸素原子の二つの手のそれぞれに水素原子が共有結合で結びついた形だ。このHOという簡単な形なのに、零度以下になると結晶して氷になり、常温で液状となり、さらに百度を超えると蒸発して水蒸気になる。日常的な温度範囲で固体、液体、気体と姿を変える。

 

少量だと透明だが、海のように大量の水や氷河のような巨大な氷はわずか青色をおびる。

                                                 

自然の中でも水は雲、霧、雨、川、海となり、凍ると雪、氷などと多彩に形、名前を変える。液体の水も温度が高いものはお湯と呼ばれる。

 

水の効用は偉大である。生物が生きるためには必須な物で、人体も70~80%が水で出来ているという。また、利用範囲も広く、溶かし込む安価な溶媒として身体、服、製品などの洗浄に使われる。電子レンジで食品を温めることができるのは、食品に含まれる水がマイクロ波を吸収するおかげだ。

 

水は生活のどの場面でも登場するので、「水が合わない」「水に流す」「水のしたたるような」「年寄の冷水」など「水」を使った表現も多い。

 

目の前に広がる海をじっと見ていると、人類を生み出した偉大な母とも思う。また、2011年東日本大震災での巨大な津波、今年の豪雨被害などによって我々はあらためて水の力の凄まじさを思い知らされた。そもそも、川の氾濫をほぼ抑え込めることができるようになったのは、限られた地域だけで、しかも人類の歴史のなかでつい最近のことである。

 

水はさまざまな形に変化して多様な効用を身近に感じさせ、一方ではときとして人にその力を見せつけ自然の偉大さを痛感させる。

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私のなまり 

2018年08月20日 | 個人的記録

  

 

母は子供の頃、官僚であった父について全国数箇所を回っているが、基本的には東京住まいで、標準語だった。

 

女房はずっと東京で、なまりはまったくない。

彼女は言う。「お母さんはカレーライスのカレーを魚のカレーのように発音したり、「ただいま」(「だ」にアクセント)と言うので、『お母さんは関西にいらしたのですか?』と聞いたら、『私は標準語です』と怒って言われちゃったわよ。それで可笑しいのは、あなたはとくになまりはないのに、カレーの発音がお母さんと一緒なのよ」

 

私は自分では完全に標準語、あるいは東京弁だと思っていたので、これには驚いた。特定の言葉だけアクセントが違うことには気がつかなかった。

東京弁は「ひ」が「し」になると言うが、私は、百円を「しゃくえん」とは言わない。混乱するのは、「しく」と「ひく」だ。例えば、「ふとんをしく」というのが、自然に「ふとんをひく」になってしまう。パソコン入力のときまで、「ひかれたレールのうえを」などと打って、変換すると、「引かれたレールの上を」などと出て、「敷く」の字が出てこない。マイクロソフトの悪口を言いながら、何回も変換キーを叩くことになる。

また、言いにくい部分を丸める癖もある。「体育」を「たいく」「新宿」を「しんじく」と言う。しゃべるときは、省略形でもとくに問題はないが、パソコン入力では、つまずくことになる。

 

2009年6月のフランス旅行には北海道から九州まで全国からの参加者がいた。しかし、若い人が多いせいもあり、話していてもまったくなまりは感じられず、全国が均一化して面白みがなくなったと思った。ただ一組の夫婦だけが、茨城弁丸出しで、冗談ばかり言って、良い味を出していた。ちょっとヤンキー風の彼らから見ると、標準語で丁寧にしゃべる我々夫婦は気取って、堅苦しいと思っただろう。

私も、とくにくだけた雰囲気を出したいときには、「いいじゃん、行こうよ」など半分意識的に「じゃん」を使うこともある。上手く使えるならば、関西弁を使いたいくらいだ。

方言は個性を演出する。せめて、私らしい個性的なしゃべり方をしたいと思うてまんねん。

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ソーメンに想う 

2018年08月18日 | 昔の話2

 

 

昼にソーメンを食べながらの夫婦の会話。

「ソーメンもたまに食べるとうまいね。子供の頃は味もボリュームもないので嫌いだったな」

「そうね。夏の昼というといつもソーメンが出てきていやだったわね」

「なにしろデンプンそのもののソーメンがドーンとあって、あとはつゆとキュウリを細く切ったのがあるだけ。若い者の食べ物じゃないよな」

「うちは卵の薄切りが付いていたわね。ミョウガが付くこともあったわ」

「ミョウガは禁止だ」

「え! 何で?」

「我が家のトイレの汲み取り口の傍にミョウガが生えていたんだよ。いまだに思い出して食欲がなくなるんだ」

「買ったものはちゃんと畑で作ってるんでしょうに変な人ね。だけど、ソーメンも今はけっこうおいしいわ。歳のせいかしらね」

「好みも変わったし、ソーメン自体も美味しくなったんじゃないかな」

 

学生時代、家で過ごした夏休みは、ただただだるくいつまでも続くようでした。ゴロゴロと過ごし、起き上がっては食べるソーメンは、あのまったりした夏休みの象徴だったような気がします。

しかし思えば、夏休みになるとおふくろは近所のバイト先を抜けだして私の昼飯を作りに家に帰って来て、食べ終わり、片付けをするとまたバタバタと働きに戻るのでした。ソーメンくらいなら自分でも作れるはずなのに、「またソーメンか」と露骨にいやな顔をした自分を許せないと思い、半世紀を経た今頃、切なくなってしまうのでした。

 

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河合雅司『未来の年表』を読む

2018年08月16日 | 読書2

 

河合雅司著『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社現代新書2431、2017年6月20日講談社発行)を読んだ。

 

第一部では日本の人口減少が多くの人が想像しているよりはるかに激しく減少して、日本という国家が成り立たなくなることを示す。著者によれば、それを機械化、移民、女性の活躍などでも防ぐことはできず、人口減少により起こる衝撃の状態、全国に住居の3戸に1戸が空き家になる、外国人が無人の国土を占拠するなど、具体的に明らかにする。

 

第二部では、小さくても輝く国になるための著者の処方箋を示す。

 

 

私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読むの?)(最大は五つ星)

 

第一部の今後起る日本の人口減少の数値や、起こりうる状況の説明には、特に新しさは感じないが、納得する。しかし、20年も30年も先のことを、現在をそのまま外挿しても、意味ないのではとも思う。国内の政治状況、経済状況は激変するだろうし、世界も変わっているだろうし、変わらざるを得ないだろうから。

第二部で著者が提案する解決策は、平凡で、抽象的だ。例えば、高齢者を75歳以上と定義しなおすという施策は、わざわざとりあげるほどのものだろうか。

 

私には、産経新聞論説委員でもある著者の保守的体質も気にくわない。そんなことにこだわっていて未曽有の危機に対処できるはずがない。

要するに、国家が滅びるには、銃弾一発すら不要なのである。「結婚するもしないも、子供を持つも持たないも、個人の自由だ」と語る人々が増え、子供が生まれなくなった社会の行き着く果てに待ちうけるには、国家の消滅である。(p9)

 

日本人が激減する状況においていたずらに外国人を受け入れたならば、日本人のほうが少数派となる市町村や地域も誕生するだろう。「反日」の国が悪意を持って、自国民を大規模に日本に送り出す事態も想定しておかなければならない。(p142)

 

……だが、男性に適した仕事、女性が得意とする仕事というのは残る。男性労働力の減少分すべてを女性が穴埋めしていくというのは、少々考えづらい。女性には妊娠・出産、子育てに充てる時期もある。(p158)

 

 

河合雅司(かわい・まさし)
1963年、名古屋市生まれ。産経新聞社論説委員、大正大学客員教授(専門は人口政策、社会保障政策)。

中央大学卒業。内閣官房有識者会議委員、厚労省検討会委員、拓殖大学客員教授など歴任。

2014年、「ファイザー医学記事賞」大賞を受賞。

主な著作に『日本の少子化 百年の迷走』(新潮社)、『地方消滅と東京老化』(共著、ビジネス社)、『中国人国家ニッポンの誕生』(共著、ビジネス社)、『医療百論』(共著、東京法規出版)など

 

 

目次

はじめに

第1部      人口減少カレンダー
2017年 「おばあちゃん大国」に変化
2018年 国立大学が倒産の危機へ
2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
2020年 女性の2人に1人が50歳以上に
2021年 介護離職が大量発生する
2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する
2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
2025年 ついに東京都も人口減少へ
2026年 認知症患者が700万人規模に
2027年 輸血用血液が不足する
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
2035年「未婚大国」が誕生する
2039年 深刻な火葬場不足に陥る
2040年 自治体の半数が消滅の危機に
2042年 高齢者人口が約4000万人とピークに
2045年 東京都民の3人に1人が高齢者に
2050年 世界的な食料争奪戦に巻き込まれる
2065年~外国人が無人の国土を占拠する

第2部       日本を救う10の処方箋 ――次世代のために、いま取り組むこと
「高齢者」を削減/24時間社会からの脱却/非居住エリアを明確化/都道府県を飛び地合併/国際分業の徹底/「匠」の技を活用/国費学生制度で人材育成/中高年の地方移住推進/セカンド市民制度を創設/第3子以降に1000万円給付 

おわりに 未来を担う君たちへ

結びにかえて

 

 

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若葉の頃に想う 

2018年08月14日 | 個人的記録

 

 

数年前のメモ書きが出てきた。5月の連休開けの月曜日、もう人も少ないだろうと立川の昭和記念公園を夫婦で散策したときの話だ。


立川駅から15分ほど歩き「立川口」から入園する。午前11時前とはいえ、予想通り人影まばらだ。人込みはいやだが、ここまで人が少ないと、勝手なもので、寂しく元気がでない。


200mほど真っ直ぐ伸びる「カナール(運河)」の脇道を進む。イチョウ並木の萌える若葉が目の前を覆い尽くす。光を受けて透明感のある黄緑色の葉がまぶしい。

公園内のお花畑はまばらに咲く菜の花や、近所の道路脇でよく見かけるポピーがちらほらとあるだけだった。期待したチューリップも連休が終われば、球根保護のためだろう、首を切られた無残な姿を並べ痛々しい。北の端にある「花の丘」も今は数少ない赤いポピーが風に揺れているだけだ。ここは「コスモスの丘」の別名のとおりに、秋には一面のコスモスで覆われるのだろう。

萎れて枯れた花は摘み取られて次の花に植え替えられる。よく管理され、旬の花だけがいつも美しい公園も、終末期が近くなった身にはなにか虚しく感じられる。


帰り道、またイチョウの若葉のトンネルを通った。黄緑色の輝く葉から、若く疲れをしらない上り坂の勢いがたっぷり放射される。私達もいつかこんな時があったなあと思う。


妻と私で子供の両手をつないで歩いていて、水たまりにぶつかった。二人で子供を持ち上げ、ひょいと水たまりの向う側へ降ろす。息子は自分で飛んだ気分になって二人の顔をみて嬉しくてたまらないと身体をよじってケラケラと笑う。あの時が、私たちの若葉の時だったのだろう。息子の笑顔と笑い声がよみがえり、おもわず微笑んでしまう。

今は静かで穏やかな日和の晩秋の時なのだろう。歩みをゆるめ、振り返って妻を見た。

                                                 

 

 

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パリ旅行(8)飛行機内など

2018年08月12日 | 海外

 

飛行機はANAのB787

食事 

行き

アミューズ

 

 

行きの洋食

アペタイザー

 

 

メインディッシュ(仔牛タンドロンのブレゼ)

 

 

デザート

 

コーヒー&チョコレート

 

 

行きの和食

 

+メインディッシュ(カレイの西京焼)、ご飯、味噌汁(写真なし)

 

行きの朝食

食欲がなく、洋食も和食も断って、ラーメン。映画の見過ぎという話も。

 

 

相方の朝食はしっかり和食

 

 

 

帰り

夕食 アミューズ

 

 

和食

 

 

 

 

 

 

 

 

昼飯 

 

食欲ない私はうどんを所望

 

 

相方はしっかり和食

 

 

 

 

機内映画(続けざまに見たので、内容は混乱ぎみ)

〇レッド・スパロー(ロシアの女スパイが裏切られ、裏切り)

〇トレイン・ミッション(通勤電車に乗ったマイケルは、見知らぬ女性から車内で謎の人物を探す依頼を受ける)

〇デス・ウィッシュ(チャールズ・ブロンソン主演の「狼よさらば」のリメイク)

 

△DEN OF THIEVES(LAを舞台に、銀行襲撃を企む強盗団と捜査官の攻防)

 

×007スペクター(第24作。いくらなんでも飽きた)

×火天の城(信長から安土城築城を任された岡部又吉衛門が難題に挑戦。ちょっと安直。)

×BANK CHOR(3人の間抜けな若者が銀行強盗を企てる。間抜けすぎ。)

×GRINGO(大麻利用の新薬製造のためメキシコを訪れた男が巻き込まれる騒ぎ。ばかばかしい犯罪コメディ。)

 

 

お土産はいろいろなところでパラパラと買ったが、フランスといえばなんといってもマカロン、マカロンといえばラデュレ La Duree 。シャルルドゴール空港のパスポート審査場を入ってすぐ左側の店で購入した。

 

 

 

 

8個入りで18.4€。

製造日から3~4日が賞味期限なので、空港で買うのがベター。

 

いかにもおいしそうだが、食べてみると、やはり日本のモノとはまったく違うと思ったのだが。

 

 

以上で今回のパリ旅行の報告は終り。

 行き帰りを除いて実質4日間のパリ、一日平均15千歩、平均8.9㎞、歩き続けた旅行だった。

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パリ旅行(7)シテ島

2018年08月11日 | 海外

 

 

いよいよパリ最後の5日目。夕方までぶらぶらして、20時のフライトで羽田に戻る。

今日は、シテ島のまだ中に入ったことのないノートルダム大聖堂へ行くつもりだ。

 

まずは、ホテルから数分、Madeleine駅すぐの古代ギリシア風のマドレーヌ教会Eglise de la Madeleine を外から眺める。

 

 

すぐ前のFouchonで瓶詰めなどのお土産を買って、荷物を置きにホテルに戻る。スーツケースをパッキングしてホテルをチェックアウトし、荷物を預けて、シテ島へ。

 

 

Madeleine駅からM14でシャトレChatelet駅へ行き、一駅乗り換えるのも面倒で、歩いてシテ島へ。

サン・ジャック塔と間違えて小さな公園の名もなき、あるだろうけど、塔をパチリ。

 

 

対岸のコンシェルジュリー La Conciergerie を見ながら、シャンジュ橋でセーヌ河を渡る。

 

角の時計の塔。

 

 

コンシェルジュリー La Conciergerieは、カペー朝以来、王宮が置かれていたが、14世紀以降は主に牢獄に使われていた。マリー・アントワネットの独房も再現されていて、ロベスピエールなど多くの人がここから処刑台に送られた。

 

ここが入口で9€。写真の後ろに先端が見えるサント・シャペルと共通券は15€。

 

  

半地下の衛兵の間は代表的ゴシック建築。

 

 

ここからが監獄。

 

 

狭い独房に気が詰まり、中庭に出ると、監獄らしく脱出除けが。

 

 

すぐ隣の建物が裁判所 Palais de Justice で、サント・シャペル Eglise Ste. Chapelleへはここから入る。

 

 

共通券がある人は右側をスイスイ。買ってないとこの列を並ぶ。8€。

 

極めて小さな礼拝堂だが、ステンドグラスはち密で色鮮やかでかわいらしい。一見の価値あるが、撮影は不可。

 

ついでに、裁判所にも入ってみた。

 

 

ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre Dame de Paris に真っ直ぐくればよかったのに、ようやく着いたときは13時過ぎ。長蛇の列に並ぶのが嫌いな私は、とりあえず、近くのCaféで簡単なランチ。

 

  

よく見ると確かに表面の彫刻は手が込んでいる。

 

 

 

 

14時になっても行列は長いので、あっさり中に入るのは諦め、外をぐるりと回ることにする。セーヌ河側の金柵の扉を開けて庭に入る。

 


以前にセーヌ河の舟から見て、側面を支えるバットレスを近くで見てみたかったのだ。

 

 一見してこの銅像、教皇フアン・パブロ2世だと思った。最近できたようで、よく似ている。

 

 

花壇には、突き立てた棒に植木鉢をかぶせ、案山子?まである。

 

 

Metroでホテルに戻り、荷物を受取って空港へ行き、翌日昼過ぎに羽田に無事着いた。

 

次回、お土産や、飛行機内の映画、食事の様子を報告して、このシリーズを終わる。 

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パリ旅行(6)オランジュリー美術館

2018年08月10日 | 海外

 

エッフェル塔からタクシーで、高級住宅街16区のパッシーを抜けて、ブルゴーニュの森の脇にあるマルモッタン・モネ美術館 Musee Marmottan Monetについた。美術史家のマルモッタンが侯爵の邸宅を購入して、美術館にしたという。モネの息子の遺贈した作品が多くあるというが、おそらくこじんまりして趣ある美術館だろうと訪れたのだ。

ところが、扉が閉まっている。

ドアにはプレートがあって、

 

「6月23日から8月27日まで閉館し、より快適にし、安全向上するために改修します。」

あらかじめホームページをチェックしなかったことを後悔した。しかし、帰宅してHPをチェックしたが、この閉館の話はでていなかった。なぜ? 

その後も、次々と人々が訪れ、とぼとぼと退散する。

 

MetroのM9のLa Muette まで十分ほど歩き、乗車券を買おうとしたが、紙幣も、硬貨4€入れてもおつりがないとして券が出てこない。ならばと3.8€のためにクレジットカードを使ったがなぜか拒否。しかたなく、スタンドを探してタクシーでチュイルリー公園にあるオランジュリー美術館へ向かう。

 

ところが、セーヌ河にかかるコンコルド橋が通行禁止で渡れない。

 

 

そういえば、今日7月29日日曜日は、ツールドフランスが、シャンゼリゼ大通りを通り、コンコルド広場がゴールなので通行規制があると聞いていたのだった。タクシーを降りて、対岸のオランジュリー美術館をむなしく眺め、

 

 

渡れる橋を求めてセーヌ左岸縁を上流へ歩く。

 

こんな場所でヨガしてる人たちが。

 

南京錠でいっぱいの橋を渡り、右岸へ渡り、

 

 

チュイルリー公園のセーヌ側の高くなった通路を歩く。

 

 

ようやくたどり着いたオランジュリー美術館はおなじみのモネの睡蓮で知られている。

この美術館のために8枚の絵を制作したモネは、「作品が一般公開されること、装飾のない白い空間を通って展示室に入れること、作品は自然光のもので鑑賞されること」という条件を付けたという。

第一の間には朝の光で鑑賞すべき4作品が円状に4枚並び、

 

 天井からは薄布を通したやわらかな光が注ぐ。

 

第二間では夕方の光で鑑賞すべき4作品が並ぶ。

 

戻って地下へ進むと、印象派などの作品がぞくぞく。

まずは私の好きなシスレーの風景画。本作品はちょっとあっさりしすぎているが。

 

セザンヌの作品も多い。

 

マチスも数点並ぶ。

 

 

モディリアーニも数点。

 

あのアンリ・ルソーも。

 

 

モネの睡蓮の絵だけと思っていたが、印象派前後の主要な作家の作品が、代表作ではないがそろっている。9€は安い。

 

オランジュリー美術館のカフェで昼飯を済ませ、美術館を出た。Metro一駅だけ乗ってホテルへ帰ろうとしたのだが、コンコルド広場がツールドフランスのゴールになっていて通行禁止。そういえば、行のMetroM8がコンコルド駅を通過し、日曜日だから?、でもこんな大きな駅をなぜ?と疑問だったのを思い出した。

 

 

ジュド・ポーム国立ギャラリ―前の展示物

 

チュイルリー庭園北側の通りRue de Rivoliが通行禁止で渡れない。どこまで東に歩いても渡れない。

 

 

結局、またセーヌ右岸縁まで戻り、対岸のオルセー美術館を見ながら東に進み、

 

 

ルーブル宮を過ぎて、最古の橋ポン・ヌフの東でようやくMetro駅Pont Neufとなり、M7に乗り、Opera駅で降りてホテルにたどり着いた。

 

この日の歩いた距離は17.700歩。疲れた。

明日はシテ島でノートルダム大聖堂を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

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パリ旅行(5)エッフェル塔

2018年08月09日 | 海外

 

エッフェル塔へMetroで行くには、エコール・ミリテール(士官学校)か、ビル・アケムか、イエナ橋を渡るトロカデルの3駅がありいずれも約800mほど歩く。Ecole Militaireで降りてシャン・ド・マルス公園から塔を眺めながら歩くことにした。駅から地上に出ると、塔が見えない。お店の人に、詳しいこと聞いても返事が分からないので、方向だけ聞いて、とこかく写真の真正面に歩き出す。

 

 

やがて写真の右側に塔を発見して、市街地を歩いて行くとシャン・ド・マルス公園となり、ぶらぶら歩いていく。

 

下の写真のあたりで、塔の先端を指でつまんだり、手のひらに塔を乗せたりする写真を撮ろうかと思い、この公園から歩くことにしたのだが、平凡なわりに面倒なのでやめた。

 

 

塔への入口は工事中で、ぐるりと回った反対側、セーヌ河側だった。日曜日なので9時前に来たのにチケット売場には結構な人が並んでいる。列はエレベーターが違う離れたところに2つあり、そのほか、歩く人の列があった。凱旋門でひどい目にあった我々は当然エレベーターで、第3展望台までで一人17€。

8月1日には、エレベーターの一つを予約客専用にするとの方針に、混雑に反対する従業員のストがあり、誰も登れなくなったと知った。ギリギリセーフだった。

 

よくこんなものを1889年に作ったものだ。しかも20年後に解体しようとしたとは。

 

 

 エレベーターで直接第3展望台まであがる。

 

 

以下、第3展望台、276mからの眺め。

 

 

左端に見えるセーヌ河にかかるアンヴァリッド橋、その向こうが1900年のパリ万博時に架設された絢爛豪華なアレクサンドル3世橋と、かすかにコンコルド橋が見える。中央、右側に金色の屋根のアンヴァリッドが見える。

 

 

セーヌ河にかかる、左手前がアルマ橋で、その右上がアンヴァリッド橋、その向こうがアレクサンドル3世橋で、右端に金色の屋根のアンヴァリッドが見える。

 

 

歩いて来たシャン・ド・マルス公園とその向こうに士官学校Ecole Militaire、さらに遠くにモンパルナス・タワー。

 

 

セーヌ川には、手前にビル・アケム橋Pon de Bir Hakeim、川中に「白鳥の小径」が伸び、斜めに鉄道橋が横切り、小径の終わりに、写真では見えないが、小型の自由の女神像が立つ。昔々泊まったホテルで寝ぼけ眼で窓の外を見て、自由の女神像があるので、一瞬「ニューヨーク?」と思ったのを思い出す。フランスが独立100周年祝いにアメリカに自由の女神像を送ったことの返礼として、パリに住むアメリカ人たちがフランス革命100周年を記念して贈ったものらしい。もっともフランス各地に、日本にもレプリカなどがある。

 

これが上の写真の拡大で、かすかに自由の女神像が識別できる。スマホのカメラも大したものですね。

 

 

左がセーヌ川のかかるビル・アケム橋Pon de Bir Hakeimで、遠くにブローニュの森、右端にシャイヨー宮。

 

 

シャイヨー宮、その向こうにブローニュの森が広がる。森の手前にこれから行くマルモッタン美術館があるのだが……。

 

 

 

10時過ぎにはエッフェル塔を後にした。

周辺が工事中で、タクシースタンドを探してウロウロし、たまたま客を下したタクシーを捕まえて、マルモッタン美術館へ。

その話は次回。

 

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パリ旅行(4)シャンゼリゼをぶらぶら

2018年08月08日 | 海外

 

凱旋門からコンコルド広場までの約2㎞ 続くシャンゼリゼAve. des Champs Elyseesを歩いた。

 

道幅は約70mあり、車道は片側4車線とっても、歩道はたっぷり広い。

下の写真は、凱旋門すぐそばのモダンなドラッグストア

 

 

危険地帯のルイ・ヴィトンをそのまま通りすぎて、すぐに有名カフェのフーケッツがある。窓側席とテラスがカフェで、店内はレストラン。今回はここも通過。

前回のパリ旅行、といっても2009年だが、ここに入ったときの私のブログを読むと、昔、昔のフーケッツの思い出が書いてあった。

 

思い出すのは20年ほど前、出張できたパリで、おじさん仲間(当時はおじいさんではない)が映画に出てきて有名なのだといって、このカフェに連れてきてくれた。テーブルに座ると、隣に日本人の若い女性が二人。あこがれのパリのカフェに来たのに、隣が日本人のおじさん二人で、露骨にいやな顔をしたお二人、その節は申し訳ありませんでした。

 

 

 

スーパーのモノプリMonoprixでお土産を探すというので、横断歩道を渡りしばらく行くと、なんと工事中。

看板に代わりの店がすぐそこあると書いてある。覗き込むと、奥のビルにあった。

 

 

ごく普通のスーパーだが、自然食品関連が多いような気がした。

大好きなブルーベリーが大量! “11€90”て何? 11㎏で90ユーロ??

 

 

はかり買いのための機械もあった。

 

 

ムール貝の専門店レオン・ドゥ・ブリュッセルLeon de Bruxellesを地図で確認して、反対側に渡って、少し戻る。青いテントの店だ。

 

12時開店で5分ほどまって、一番で店内へ。

 

 

メニューを見てもよくわからず、それほどおなかも空いていないので、お得意の人差し指でフランス人と会話。

メニューの写真のバケツのムール貝とポテトチップスを指して、シェアーと注文。ジュースはメニュー、確か英語だったと思う、で注文。

 

ムール貝はパセリと、おそらくオリーブオイルなどでも味がつけてあって美味しい。深いバケツ状の入れ物にいっぱいで、味も、量もご満足。チップ含めて35€は、いいんじゃない!

ムール貝って、貝柱と反対側が少し殻に引っ付いているので食べやすいし、実だけがほとんど落ちていないのに気が付いた。

 

食べ終わるころにはほぼ満員になっている店を後に、シャンゼリゼに出る。遠くに小さく見える凱旋門。けっこう歩いて来た。

 

 

Metroのフランクリン・ルーズベルト駅近くでタクシースタンドを見つけて、午後2時ごろにはホテルに帰る。

明日、4日目はエッフェル塔だ。

 

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パリ旅行(3)凱旋門

2018年08月07日 | 海外

 

MetroのCharles de Gaulle Etoileで降りて地下のまま凱旋門Arc de Triompheへ向かい、地上に出て、凱旋門への出入り口を潜る。凱旋門を中心とするシャルルドゴール広場は円形のロータリーになっていて周囲からの横断は禁止なので、凱旋門には地下から行くしかない。

 

 

将軍たち558名の名前の刻まれた下に見える黒いドアがエレベータの入口だ。ただし、階段が困難な人専用。

 

この扉に気づかず、左下にかすかに見えるチケット売場に並び、買って、そのまま進んだら、ほぼ一人しか通れない狭い螺旋階段に入っていき、後ろから次々来る人にあおられて、結局234段の階段を登らされた。

 

たどり着いた屋上下の階には、真下が見えるガラス板があり、さそくパチリ。

 

 

何やらの像なども。

 

 

 

屋上からは大通りが放射状に広がり、パリの街が一望だ。12本の放射状の通りが光り輝く「星=étoile」のようなので、この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」とかって呼ばれていた。

 

左がAv. Hoche で、右がAv.Friedland。真ん中遠くにサクレ・クール大聖堂Basilique Sacre Coeurが見える。

 

 

 

 

結局、サクレ・クール大聖堂を遠望しただけで、今回も行けなかった。

  

真ん中がシャンゼリゼ大通りで、右はマルソー大通りで、ノッポビルはモンパルナス・タワー。

 

 

左がAve. Mac Mahonで、右がAve. de Wagramか?

 


 左がシャンゼリゼ大通りの反対側の Ave. de la Grande Armeeグラン・ダルメ大通りで、遠くに見える高層ビル群は再開発されたパリ近郊のラ・デファンス地区だ。道の奥、高層ビルの間にかすかに新凱旋門が見える。途中に国際会議場や劇場などがあるパレ・デ・コングレ・ド・パリ(Palais des congrès de Paris)が見えるはずなのだが?

 

左がイエナ大通りAve. d’lenaでエッフェル塔を挟んで右がクレベール大通りAve. Kleberか?

以上、通りの名前は地図を見ての推測でした。

 

階段で疲れ切ったので、お土産売場の女性に、エレベータに乗りたいのだがというと、係の人が一緒に地上まで降りてくれた。白髪のひよひよ頭が役立った。

 

エレベータから外に出ると、看板に“RESTRICTED ACCESS”と書いてあり、車いすと杖を突いた絵が書いてある。杖はないが、この頭なら、登りも利用できたのだろうか。

 

シャンゼリゼ大通りを横断歩道で渡る。

 

途中でコンコルド広場方向をパチリ。

 

シャンゼリゼをぶらぶらした3日目の残りは次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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パリ旅行(2)オペラ・ガルニエ

2018年08月06日 | 海外

 

2日目の午後は、ギャラリー・ラファイエットの隣のオペラ・ガルニエを見学。

 

当時無名のガルニエGarnierによって設計され、1875年完成し、のちにナポレオン三世様式と呼ばれるようになった華やかな建物だ。

 

 

ホテルからは歩いて数分。Metroなら、M3, 7,8のOpera駅だが、複雑で出口はいっぱいある。

 

見学者はここから入り、左手の

 

ここが入口。

 

 

12€だが、豪華絢爛さに建築費を思えば納得だ。

まず正面に口を開いたオペラ座の怪人?

  

ピュテイアの泉は、天井のレリーフ?だけでも手が込みすぎ。

 

30mの吹き抜けの間の大階段の周囲で、キョロキョロするばかり。

 

 

天井の絵もよく見ると、壮麗。

 

 

説明を聞く見学者達もオペラ座の怪人。

 

 

舞台は広々。

 

 

観客席は舞台だけでなく、客席側も見ることができるようになっているそうだ。

客席も貴婦人に似合いそう。

 

天井画はシャガール。

 

大広間に出る。

 

 

ここも「これでもか!」の世界。

 

 

鏡2つ対抗するところがあったので、70年を経て、子供心に帰って、いたずら。

 

フルートの男性とドレス姿の女性が歩いてサービス。

 

 

回廊からオペラ座広場を見下ろす。

 

 

さあ、明日3日目は凱旋門へ行こう。

 

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