hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

川上未映子『世界クッキー』を読む

2010年01月31日 | 読書2


川上未映子著『世界クッキー』2009年11月、文藝春秋発行を読んだ。

才気にあふれ、今をときめく新進作家のエッセイ集だ。

川上未映子さんのブログ「未映子の純粋悲性批判」の2009年11月9日にはこうある。

2007年から2009年まで色々なところで発表したエッセイがきゅっとまとめあげられ、一冊の本になりました。
この二年間は尋常じゃない数のエッセイを寄稿してきた記憶がありますが、こうしてひとつになると「あ、ひさしぶり!」みたいな感じで、
でもいまのムードとも合わないものもあることはあるので、選りすぐって、チームに分けて、編集しました。
名前を「世界クッキー」といいます。11月13日発売です。
全般にわたって東ちなつさんのおきゃんな絵を拝借して(もともとあった絵だから知ってる方もいるのでは。わたしもはがきで拝見して一目惚れしました)、
中身にもとってもかわいらしいドローイングがちりばめられていてうきうきします。
そして装丁は「乳と卵」でもお世話になった大久保明子さんが担当してくれました。
「ヘヴン」が非常にクールなぱきっとした顔であるので好対照で、いいねいいね。
とても明るくかわいらしくてすこぶるに気に入っています。



また、あとがきで著者は言う。

色々な文章があるけれど、とくに詩をかいているときはうれしくて、くすくすと笑ってしまう。たとえば世界クッキー、なはんて書いてみると「うふふ、世界のほうも、クッキーのほうも、ここで隣りあわせになるなんてことは、夢にも思ってなかったはず」とたまらない喜びがこみあげて、えいえいと、何度だって書いてしまう。



いろいろな媒体に書かれたエッセイを集め、以下の8つのグループにまとめている。
からだのひみつ/ことばのふしぎ/ありがとうございました/きせつもめぐる/たび、けものたち/ほんよみあれこれ/まいにちいきてる/ときがみえます


「境目が気になって」

唾とか・・・なぜいったん口外に放出され、外気に触れた途端に極めて汚物と認定されてしまうのか。・・・すべての料理だってそう。・・・ゴミ箱に入った瞬間、それはまったくのゴミになってしまう。



「母とクリスマス」
未映子風でなくごく普通のエッセイだが、しみじみとした話だ。
貧しい家庭に育ち、未映子さんはそのことを良くわかっていた。母がスーパーの食品売場に行ったとき、未映子さんはワゴンの上の小さなフリルがいっぱいの服に夢中になる。ずーと握りしめたまま手を放せずにいたが、母がこんな私をみたら買ってあげられないことをつらく思うだろうと、母の姿が見えたとき手を放す。母は疲れた顔をして、はよ行くでとひとこと言ってその場をあとにした。
それから数日後、枕元にそのトレーナーがあった。お母さんが無理をしたのではと思い泣けてきたが、うれしくて、それから毎日そのトレーナーを着た。

わたしのたったひとつのクリスマスの思い出は、喜んだ私を見て、本当に本当に嬉しそうだった、母の顔。





私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)


才気ばしり、感性豊かな女性が、日常のどんなことが気になっているかがわかる。そう言われてみればそうかもしれないけどと、ちょっと変わった未映子さんにおじいさんはオタオタしてしまう。

詩人でもあり、女性である川上さんの感性、興味対象には、私はなかなかついていけない。しかし、大阪弁まじりの巧みな文章でついつい引き込まれてしまう。

それにしても、私には、詩は意味不明物以外の何者でもない。たとえば、この本の最後の方にある以下の詩を読んで、「解釈はやめよう。イメージを」と思っても、私には何の感慨もわかない。個人的な好き嫌いだけでなく、なんらかのある程度公認の評価基準があるからこそ、詩にも賞があって、川上さんは中原中也賞を受賞したのだろうが。
この詩にあなたは感じるものありますか?

深緑、その他のロマンス
1 薄す闇の、あの日における署名です
  特定の、その特有の感情は、直立不動って小うそつき
  マフラーのこと
  2分で渡った橋のこと
  ぜんぶ覚えているんだったのに



文章と音について、以下のように書いている。

わたしの文章は、たぶん大阪弁を使ってることから「耳にきこえてくるような文章」とか「音読したい文章ね」という感触があるそうで、最初はこれにもびっくりした。わたしは文字というものはほとんど目で見て目で意味を汲み読み、そして目で書いているつもりだったので、・・・



そして、文章(文字)と朗読(音)との関係は、楽譜と音楽の関係に似ていると書いている。確かに、人は単なる記号の文字の羅列である文書を読んで、心の中で自分流に音読したり、自分自身のイメージを作り上げたりする。人に音読させたり、イメージを膨らませたりするのが優れた文章なのかもしれない。


川上未映子の略歴と既読本リスト



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楡周平「Cの福音」を読む

2010年01月30日 | 読書2

楡周平著「Cの福音」角川文庫、2008年10月、角川書店発行を読んだ。

1996年2月宝島社から出版され、2005年5月に宝島社文庫から刊行された。

裏表紙にはこうある。
父の転勤に伴い渡米し、フィラデルフィアのミリタリースクールで聡明な頭脳と強靭な肉体を造り上げた朝倉恭介。その彼を悲劇が見舞う。航空機事故で両親が他界したのだ。さらに正当防衛で暴漢二人を殺害。以来、恭介は、全身全霊を賭して「悪」の世界で生きていくことを決意する。彼が創出したのはコンピュータ・ネットワークを駆使したコカイン密輸の完璧なシステムだった。「朝倉恭介VS川瀬雅彦」シリーズ第1弾!


両親を失い、異郷アメリカで天涯孤独となった朝倉恭介は、NYマフィアのボスの後ろ盾を得て、おのれの全知力と肉体を賭けて「悪」の世界に生きることを決心する。大手商社の日本人駐在員の稲田は、ある目的をもって、麻薬に溺れさせられる。



楡周平は、1957年東京生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、米国企業日本法人に入社。本書犯罪小説「Cの福音」を書き、30万部を売り上げる。作家専業となり悪のヒーロー・朝倉恭介ものなど、スリラーとハードボイルドとアクションを取り入れた作品を出版する。現在は経済小説を主に執筆。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

ベストセラーになったのは、感情もなく人を殺す、冷徹な悪人を主人公とする目新しい小説ということなのだろう。気楽に寝転がって読むにはよいかも。

それほど深くはないが、米国事情、銃や麻薬の知識などを散りばめた冷酷な悪のヒーローを主人公とする徹底したエンタテーメント小説。巻頭の謝辞に、米国の更生施設にいる麻薬中毒患者たちへの取材、銃に関する情報収集へ協力してくれた友人に感謝している。そんなことまでしないと、リアルぽさが出ない種類の小説なのだ。

文章もハードボイルドのような突き放した簡潔なものでなく、著者自身が入れ込んでおり、説明が多く、すっきりしない。

初出が1996年とはいえ、ニフティのパソコン通信があたらしげなものとして出てくるには笑えた。当時、日本でも大手の会社ではインターネットや、E-mailは使っていたと思うが。


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サバの刺身

2010年01月28日 | 食べ物
吉祥寺の繁華街のはずれ、「ハンモックがゆらゆら」で紹介した「Hammock 2000」の向かいにある魚屋さんに寄った。



吉祥寺の魚菜屋(さかななや)は新鮮な“朝獲れ地魚”を売っている店だ。店先にイカや魚が干してある。店の中にはイケスで見慣れない魚、多分アンコウが泳いでいる。



店主のおすすめは、刺身で食べられるというサバ。普通の店は、港から築地へ行ってから店にでる。一日置くと、サバは刺身では食べられない。港から直接この店に届けられるこのサバは、臭みがまったくなく、刺身で食べればいわゆるサバのイメージが変わるという。



サバにはアニサキスという寄生虫がいて、確か森繁久彌が釣ったサバを刺身で食べて大騒ぎになったことがあった。寄生虫が胃壁に食いついて激痛が起こるのではなかったろうか。新鮮なうちに内臓を処理するなど、専門家に調理してもらうに限る。
下の写真のように、3枚ににおろし、さらに真ん中の小骨が生だととげ抜きでも抜けないというので、包丁で切り取ってもらった。



帰宅して、本当は、生姜を千切りにするとよいらしいが、練生姜と醤油でいただいた。臭みはまったくなく、コリコリして美味。確かに、サバのイメージ一新。

これに味をしめて、2、3日後にまた出かけて、ホウボウを注文。



ぶつ切りにしてもらって、ネギと焼き豆腐を買って、鍋にした。



汁の味は絶妙になったが、身は小骨が多くて閉口した。ならばと、またまた出かけたが、火曜日は市場が休みで水曜日には朝とれの魚はないとのことで、引き返した。
よーし、また行って、こんどは、何をたべてやろうか!



先日、スーパーの裏側とかいう本に書いてあった。
「朝とれ」野菜のコーナーに、一昨日の朝とれた野菜を並べる。確かに「朝とれ」だが。しおれたホウレンソウを水につけてみずみずしくして店頭に出すのは常識という。こんな本、読まなければよかった。
確かに、活き造りとかいって、ピチピチと跳ねている魚を喜ぶ日本人はおかしい。断末魔をニコニコ見ているなんて。目が青いから生きが良いなどと言わず、死にたてのピチピチと言うべきだ。





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毎日新聞夕刊編集部「女はトイレで何をしているのか?」を読む

2010年01月26日 | 読書2

毎日新聞夕刊編集部「女はトイレで何をしているのか?」講談社文庫、2009年10月発行を読んだ。

宣伝文句はこうだ。
毎日新聞夕刊で連載された人気コーナーから面白いものを厳選。表題のほか「東京に美人が多いというのは本当か」「あなたの枕、間違ってませんか」など、現代社会に生きる人間をさまざまな角度から描き出します。驚いてしまうことや納得すること―楽しみながら、ちょっと勉強になってしまう。


毎日新聞夕刊編集部の8人の記者が見聞きした現代日本人の身近な生態学が描かれている。

女はトイレで何をしているのか
トイレの落書は、男女で書き方が違うという。男性は、読む人を意識してウケを狙って書いているのに対して、女性は独白、つぶやきが多いのだという、テーマも、男性は下ネタ中心だが、女性は「○○君、好き」などの告白が多い。・・・最近、トイレの落書が減ったのは、かっては匿名で自己表現できる場がトイレしかなかったのが、今はネットがあるからではないでしょうか。


「生存婚」に群がる女たち
女性が男性に求める結婚の条件について、こう説明している。
「女性の学歴に応じて『生存』→『依存』→『保存』と変化する」・・・高卒者はまず食べていけるということを優先して相手を選ぶ傾向が強いという、つまり「生存」だ。短大卒者は専業主婦となり夫の収入で養ってもらおうとして相手を選んでいるという、これは夫に対する「依存」ということか。大卒で専門職に就いた女性は、結婚を機に自分の生活が変化しないことを望んでいるという。つまり、自分自身の仕事や生活を「保存」できる相手を選んでいるということだろう。


東京に美人が多いというのは本当か
経済力ある男性が東京に集まり、その男性に選ばれた女性も東京に集まる。才能、その一つが美貌、ある女性は東京に集まる。したがって、東京には美人が多い。

子供の婚活をする親たち
親の婚活の流れを作ったのは、オフィス・アンで、同業他社はなかなか成功しないという。
「申し込み時点でも親の愚痴を聞くのに1時間くらいかかるので、人件費がかかり、商売としては割に合わないのです。」


スーパーの国産野菜は安全か?
しおれたほうれん草を水に浸して店頭に並べることがある。

その他、カレ親父がモテモテ/なぜヒトはダジャレを言うのか/ギスギスした職場/あなたの枕、間違ってませんか/「おたんこなす」はどこへ行った/売れる本屋はここが違う
など



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

それぞれに掲げられている表題は面白いのに、中身は当たり前のことが並んでいる場合が多い。さすが新聞記者。
もとが新聞なので、ネットや雑誌のようにごく最近の若者の流行が出てくるわけでもない。ちょっとだけ最近の、ナウイねたに留まっている。


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香山リカ「おとなの男の心理学」を読む

2010年01月24日 | 読書2
香山リカ著「おとなの男の心理学」ベスト新書、2007年12月、KKベストセラーズ発行を読んだ。

表紙裏にはこうある。
「おとなの男」が精神医学の対象として浮上したのは、ごく最近のことである。平均寿命が伸び、定年後の人生が長くなるにつれて、これまで成熟や達観の年代とされていた「老年期」に、中年期の危機(ミッドライフ・クライシス)がずれ込んできた。目まぐるしい社会の変化と、日進月歩のテクノロジーがそれに拍車をかけ、かつてなら人生の完成期に権威顔をしていた男たちが、実は、いちばん変化に弱い心性の持ち主であることがわかってきたのだ。老いを愉しむ男(フィロバット)になれるか、反対に、恐れる男(オクノフィル)にしかなれないか、それは日々の暮らしの中の、ちょっとした気のもち方にかかっている。


定年後自室にこもり、いつまでも会社時代の書類などを整理していて、一向に気持ちの切り替えが出来ぬ夫。「同じ部屋にいたら寒気がする」、「夜、寝たらそのまま起きて来なきゃいいのに、と毎晩、思う」。
熟年妻の訴えは強烈だ。暴力や不貞といった明確な理由というより、ひたすら夫が「生理的にイヤでたまらない」ために、こころに変調を来す例が多い。

男と女の違いはどこにあるのか。
自分で自分を評価し、その価値を認めること、これを心理学では「自尊感情」と呼ぶ。男性の場合は、肩書きや収入がそのまま自尊感情につながるが、女性の場合は、逆に肩書きや収入が高ければ高いほど、この自尊感情が目減りする、というおかしな現象が起こることがある。


キャリアのシングル女性は、自分の肩書きや仕事での成果ではなくて、「存在そのもの」が必要とされていないと嘆く事が多い。
妻は、これまでの、そしてこれからの人生を真剣に見つめ、自分らしい人生をまっとうしたいと考える。対して夫は、仕事し家族を養ったという自負から人生の達成感に浸りがちだ。夫のリタイア後、「完成途上の人生」と.「完成済みの人生」が衝突する。

専業主婦は、夫からのサポートがほとんど唯一の情緒的ケアとなる。・・・それにもかかわらず、夫たちは自分の妻が専業主婦だからとくに気づかい、繊細にケアする、ということはないだろう。・・・「妻の話なんか聞けるか」と言っている夫たちも、実は自分の仕事の話はけっこう妻に聞いてもらったり、落ち込んでいるときは妻に慰めてもらったりしているのだ。・・・夫が「おい、あれ」と言ったときにそれが何を指しているか妻がわかるのは、・・・以心伝心というより、妻の努力です。


年間3万人もが自ら命を絶つ日本人のうち、50代以上の男性は約半数強を占める。老年期が「長老」だった時代から、どこにでもいる単なる年配者になって、熟年男とは、じつは人生の危うい時間を生きているのだ。

第1章 おとなの男の心理学
第2章 壊れる自尊心
第3章 ちょいモテオヤジか更年期男性か
第4章 なぜ妻に逃げられるのか
第5章 親を"卒業"できない
第6章 老い方を知らない男たち
第7章 健康との上手なつきあい方



香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。
私が読んで、感想を書いた著書は、「女はみんな『うつ』になる」、「精神科医ですがわりと人間が苦手です」「親子という病」、「弱い自分を好きになる本」「いまどきの常識」だ。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

男性は仕事や生活の面では「変わりたくない。変わったらおしまい」とこだわっているのに、外見的な若さや美しさにはあまりこだわろうとしない。男性の美容整形もそれほど普及していないし、年をとってから服装や小物に気をつけるようになった男性の話もまずきかない。体重のコントロールについても無頓着な人が多い。
ただ、ひとつだけ例外がある。それは、「毛髪が薄くなること」、つまりハゲを防ぐことに対する異常なまでのこだわりだ。


毛髪が不自由な人」に書いたように、この話は禁句だ。

「会話が少ないから夫が嫌い」なのではない。「中身がないから嫌い」なのだ。
話せばかえってボロが出る場合もある。
もうだいぶ前の私事だが、会社で「日本人ももう少し奥さんを褒めたりした方がよい」という話で盛り上がった。車で5分位の距離の自宅について、玄関に出てきた奥さんを見て、何か違うと気づいた。ここだ!と思い言った。
「美容院行ったね」
プイと横向いて奥さんが言った。
「もう、一週間も前です!」



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ハンモックがゆらゆら

2010年01月23日 | 日記
ちょっと前、吉祥寺の繁華街のはずれにへんな店を見つけた。窓からのぞくと、ハンモックにくるまれた人がゆらゆらしている。どうもカフェらしいが、「なんでハンモックなの?」と思ったがそのまま通り過ぎた。



先日、昼に時間があったので、もう一度行ってみた。「Hammock 2000」とあり、ハンモックが店の外にぶら下がっている。中をのぞくと、店の中にもハンモックがいっぱいぶら下がっている。





看板には、「Hammock Show Room + cafe Mahika mano 」とあり、メニューが並んでいる。



入口から覗いたところだけパチリ。



店の中は撮影禁止なので、写真なし。靴を脱いで入ると、手前に通常の2本つりのハンモックが試用のためあるが、あとはすべて1本つりのチェアーハンモック。お尻をすっぽりハンモックに包まれて快適。お尻全体がやわらかく包まれ痛いところがない。ゆらゆらと揺れながら眠ってしまいそうになる。美味しいカレーやリゾットをいただき、コーヒー、紅茶でのんびり過ごした。

ハンモックのショールームを兼ねていて、 客席がハンモックのカフェなのだ。
興味ある方は、マヒカマノのHPを。ハンモックについては、HAMMOCKSのHPをご覧あれ。
 

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熱海のMOA美術館へ

2010年01月22日 | 美術
伊豆ガラスと工芸美術館から熱海のMOA美術館へ行った。
何回も行っているのだが、国宝の尾形光琳の紅白梅図屏風が3月8日まで公開されているのだ。
伊豆山神社の方から行けば多少広い道なのだろうが、ナビのままに走ると、狭い市街地から熱海駅前を通り、すれ違えないガードをくぐり、狭い急坂をくるくる周り、MOA美術館の一番上の駐車場に着く。本館3Fから入ると、黒く大きなレリーフが迎えてくれる。



階段を降りて、ムア広場から建物を振り返る。






沖には初島が浮かび、



熱海の町の向こうの丘の上に熱海城が見える。



エスカレーターを1段降りると、



円形ホールがあり、児童作品展が開かれていた。



本館2Fには黄金の茶室がある。1586年正月、豊臣秀吉が宮中小御所に黄金の茶室を運び、黄金の台子を飾って、正親町(おおぎまち)天皇に自ら茶を献じたという。この禁裏茶会の情景を諸資料に基づき復元したのがこの黄金の茶室だ。



展示室は撮影禁止なので写真がないが、野々村仁清の色絵藤花文茶壷、伝だが本阿弥光悦の樵夫蒔絵硯箱、仏像、書跡などたっぷり堪能した。
一泊だけで伊豆半島を一周したので、くたびれて夕方帰宅すると、シクラメンがぐったり。



たっぷり水をやると翌日にはすっきり立ち上がった。よかった、よかった。すべて世はこともなし。

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伊豆ガラスと工芸美術館

2010年01月21日 | 美術

伊豆東海岸を走る135号線を数々の美術館が連なる伊豆高原を過ぎようとするグランパル入口を山の方に入る。すぐのところに伊豆ガラスと工芸美術館がある。



まずは大好きなガレの作品をご紹介。
エミール・ガレ(1846年―1904年)は、フランス東部ロレーヌ地方のナンシー生れ。ガレはガラス工芸が有名だが、陶器や家具にも優れた作品を作った。もともと父がガラスと陶器の製造・販売業を営んでいたため、19歳から父の工房でガラスと陶器作品を20年以上制作した。その頃は、ジャポニズム全盛で、「日本写し」という日本の絵柄をそのまま写した作品が多く制作されていた。

「しゃくなげ文花瓶」



「やぶ蘭文花瓶」



「あじさい文花瓶」。淡くていい色。



北斎漫画の魚を写したガラス瓶



ヨーロッパでは珍しいひょうたん形の「レースフラワー文花瓶」



ガレは陶器も優れた作品を残している。「ボケに小鳥文花瓶一対」



暖炉の置物の「猫」



ガレは家具も作っていた。寄木細工の家具。



ドーム作のランプ。良い夢がみられそう。



エルテは、1892年―1990年、ロシア・サンクトペテルブルグ生れ、フランスで活躍した服飾デザイナー。モード雑誌の表紙や挿絵で人気を博した。鮮やかな色彩感覚とオリエント風の豪奢な衣装で評判の衣装を2万着もデザインした。

「ヴィーナス」



さすが手だれのデザイナー



エルテは絵もお手の物。ピロースイング。



「太陽」



ルイス・C・ティファニー作「花のいざないー女神フローラー」は、アメリカの邸宅で使われていたステンドグラス。



1940年頃、高価な新素材だったプラスチックのバッグ。



ヴィトンのモノグラムは日本の家紋を基にしている。



2階のカフェからは伊豆七島が良く見える。


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伊豆へ・爪木崎

2010年01月20日 | 行楽

伊豆・西海岸の恋人岬から南端の下田、さらにその突端の野水仙の群生地、爪木崎へ行った。



ゲートをくぐると、看板には、「静岡の自然百選第三位当選」とある。それはそれはすばらしいことで、おめでとうございます。



わずかに盛を過ぎて寂しげだが、一面の水仙、なかなかのものだ。順路を逆に降りて行くと、水仙が一列に並んでいるところがある。群生地?



石碑があり、「抱かねば 水仙の揺れ やまざるよ 岡本眸 昭和59年1月作」とある。



素養のない私は存じ上げなかったが、岡本眸(ひとみ)は、東京生まれの俳人で現在82歳と高齢のご婦人だ。ウィキペディアには以下のようにあり、権威ある方のようだ。
句集『朝』で俳人協会賞、『母系』で現代俳句女流賞受賞、1994年紫綬褒章受章、2007年、『午後の椅子』で第41回蛇笏賞受賞、2008年、『午後の椅子』で毎日芸術賞受賞。

さらに進むと灯台がある。灯台の土台に「海の『もしも』は118番 海上保安庁」との看板があった。118番は知らなかった。もっとも119番もかけたのは1回だけだから、まあ、縁がないか。
灯台の右手に見える島は、伊豆七島の1つ、利島だ。



ここからは、大島、利島、(鵜渡根島)、新島、三宅島、御蔵島、(式根島)、神津島と伊豆七島のうち、八丈島以外が見える。なお、( )は伊豆七島に含まれないらしい。

一番西側に灯台のある島が見える。南10kmの沖合にある神子元島(みこもとじま)で、日本最古の洋式石造り灯台だ。



沈む太陽を背に、北川(ほっかわ)温泉の宿に向かった。







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伊豆へ・恋人岬

2010年01月19日 | 行楽

レンタカーを借りて伊豆へ一泊旅行に出かけた。10時出発し、東名・沼津から修善寺へ出て昼飯をとり、土肥(とい)から西海岸を南へ走り、恋人岬に行った。漁師の福太郎が廻り崎沖の船から、恋人のおよねが岬の上からそれぞれ鐘を鳴らして名前を呼び続け、のちに結ばれたという民話があり、男女の観光客が増加した廻り崎の地名を1983年に改称して恋人岬としたのだ。
第ニ駐車場にある駅標看板。



第一駐車場には、絵馬のような愛情設置場所?が。恋人宣言証明書も交付されるそうで、何から何までご苦労様。



はるか先の下の方に愛の鐘が見える。約700mの遊歩道は登ったり、降りたり、年寄りには多少キツイ。



途中、右に分かれ道があり、すぐ突き当たりに、鳴らした者は愛がかなう、または幸せになれるという金の鐘(幸せの鐘)がある。この金の鐘は1989年、土肥の恋人岬がグアムの恋人岬と提携関係を結んだ際に土肥にゴールドベルをグアムにシルバーベルを設置したものだ。



「鐘は3回鳴らします」との看板があった。



さらに、板張りのボードウォークを降りていくと、愛の鐘(ラブコールベル)がある。こちらも名前を呼びながら3回鳴らすと恋が成就するという。





AMORE 1997 C.Shigeokaとの銘板のあるブロンズ像が富士山を背景に立っている。



ここからの富士山の眺めはすばらしい。



この後、野水仙の群生地、下田の先の爪木崎に向かった。



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マンホールを訪ねて

2010年01月17日 | 日記

ブログ・ネタを探し都内を散歩した。どこにでもありそうな家々が並んでいて、写真を撮る気にならない。「困ったときには今一度足元を見つめよう」とばかり、散歩道にあるマンホールの写真を撮った。

中心に東京都のマークがあり、周辺に180度離れて蓋を開けるための穴がある。もはや都内では少なくなった古いタイプの下水道のマンホールだ。



鉄蓋はすべらないように表面の模様、文字、溝の深さなどを工夫しているそうで、もう少し新しくなったのがこれだ。開けるための穴がもう二つ増えていて、違うタイプの工具でも開けられるようになっている。



「東京・下水道」「合流」の文字が読み取れる。桜(?)の花びらと4枚のイチョウの葉の模様がある新しいタイプだ。東京都下水道局が1992年度から取替中の新しいデザインのマンホールの蓋だろう。鍵穴のような穴と、120度離れた3つの穴が周辺に空いている。



ほぼ、上記と同じタイプだが、中央に二桁の4つの数字があり、年の文字が見える。



「水道」「消火栓」の文字が見える長方形のマンホール。



上記と同じタイプだが、穴が二つあり、左下に「T-14」の番号が追加されている。



円形の「水道」「消火栓」もある。周辺には12個のイチョウが並ぶ。



以上は東京都下水道局の設置だが、「東京消防庁」の「防火水槽」もある。



マンホールには、上記の上下水道、消防用の他に、通信、ガス、電気用などがある。
NTTと東京ガスのものを見かけた。いずれも、設置許可、管理は東京都建設局のようで、さすが縦割り、横割りのお役所だ。





その他、マンホールではないだろうが、側溝にもマーク入りのものを見かけた。



真ん中のマークが、何か「ゆるキャラ」みたいだ。マークだけ?のものもある。






水道制御弁とある小さいものも見かけた。



久我山近辺を1、2km歩いただけで、これだけの種類があるのだ。



横浜駅周辺のマンホールについては「下を向いて歩こう」でご報告済。



蛇足として、ウィキペディアから。
通常50kg以上の重量があるが、レーシングカーが走ると、車の下面がマイナスの気圧となり、マンホールの蓋が地面から持ち上げられ、車と衝突することがあったという。このため、都市部でのレース中、マンホールの蓋は溶接されるらしい。


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初笑い武蔵野寄席を聞く

2010年01月15日 | 趣味

今年は、国民読書年でもあり、暮の31日から連続で続けてきた読書感想も、木、金と伊豆に出かけたので、14日間で種切れ。夕方帰宅した今日は、11日武蔵野公会堂で聞いた寄席の話。
101回と歴史ある武蔵野寄席で、350席の小さな公会堂が満席だった。

前座は「昔昔亭A太朗(せきせきていえーたろう)」による「たらちね
大家の紹介で妻をもらった八五郎だが、漢学者の父に育てられた彼女のバカ丁寧でむずかしい言葉づかいに往生する話。名前を聞かれた彼女は、「自らことの姓名は、・・・たらちねの胎内を出でしときは鶴女(つるじょ)と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女(きよじょ)と申し侍るなり」と答える。つい先日聞いた噺だったが、前座とはいえ劣らず、大声で立派に話し終えた。

講談「神田京子」
700人も落語家がいるのに、講談師は今や30人(?)で、絶滅危惧種で、しかも、女性がほとんど。講談を海外にも普及と、浦島太郎の話を見事なカナカタ英語でやった。その後は、ながーい、ながーい四十七士の討ち入りの話をさわりだけ1分でやり、アンコールと称して拍手も待たずにカッポレを踊った。
慌ただしい昨今、講談が生き抜くのは大変だ。

古今亭寿輔(ここんていじゅすけ)」の「死神
禿げ上がったちょび髭のオヤジが、派手な模様の衣装で出てきた。噺家700人の中でテトロンの着物は私だけと嘆いてみせて、「正月らしくめでたく・・・「死神」を」と始めた。
この話、名人三遊亭円朝がグリム童話をもとに作ったという。円朝は傍らの茶碗ととってお茶を飲むのも絶妙に自然なタイミングであったのに、自分は、さっきから、お茶碗ばかり気になって、注意の9割はお茶碗で、1割で落語をやっていると笑わせた。さすが、ボヤキの寿輔さん。そして、最後に座布団の上にばたりと伏せて死んでしまうという珍しい噺。

仲入りには、ロビーで甘酒をいただく。

「林家今丸」の「紙切り」
会場が大きいからと、OHPプロジェクターで作品を見せる。見事な恵比寿様で始まり、会場からのお題で、石川遼くん、加藤清正の虎退治、宝船。そして、紙切りの場合はシワはでませんからと、会場の男女ひとりずつを募集して、横顔を紙で描ききった。
昔の正楽そっくりに体をゆらし、しゃべりながら、紙を切るのだが、難しいお題をいただくと無口になると笑わせる。このセリフも正楽ゆずり。

最後が、「春風亭一朝」の「井戸の茶碗」まくらは、86歳まで元気だった師匠の彦六の話。「餅になぜカビが生えるのか」と訳を聞かれて、「早く食わないからだ」。右膝が痛くなり医者に行ったら、「老化ですね」と言われて、「左足も同い年なんですが」。アーモンドチョコをもらって、モゴモゴやった後、ポイと口から出して、「種があった」。
噺は、正直者のくず屋の清兵衛、金に困る頑固な浪人者と、若侍との3者で、仏像から出た50両と、井戸茶碗を売った300両をそれぞれ受け取る道理がないと押し付けあう噺。さすが古典落語の名人、渋く、しっかりと語る。

子供の頃から聞きなじんだ落語はいい。同じ噺を何回聞いても面白いのはなぜだろう。





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ポール・オースター「幻影の書」を読む

2010年01月14日 | 読書2

ポール・オースター著、柴田元幸訳「幻影の書」(THE BOOK OF ILLUSIONS)2008年10月、新潮社発行を読んだ。

宣伝文句は以下。
救いとなる幻影を求めて――人生の危機のただ中で、生きる気力を引き起こさせてくれたある映画。主人公は、その監督の消息を追う旅へ出る。失踪して死んだと思われていた彼の意外な生涯。オースターの魅力の全てが詰め込まれた長編。オースター最高傑作!


主人公の作家は、妻と息子を飛行機事故で亡くし立ち直れないとき、今では忘れ去られた1920年代のサイレント映画に見入ってしまう。今ではすっかり失われてしまったヘクター・マン主演、監督の喜劇映画をいくつか探し出して紹介する本を書く。、ヘクターが事故を起こし、突然失踪してその後行方知れずになったことを知り、主人公はヘクターの消息を追う旅に出る。
心の痛手をおったこの二人の男と複数の女性の数奇な人生模様が交錯し、その上さらに、ヘクターのいくつかの無声映画や、隠遁生活の中で制作した未公開の映画がくわしくリアルに描写されるという寄り道を繰り返す複雑な構成で、まさに幻影の書だ。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

ポール・オースターのファンは別として、この種の複雑な構成で、しつこいほど映画の内容を描写する文章を読む続けることのできる人は少ないと思う。

柴田さんの訳者あとがきを読むと、私の読んだ「ガラスの街(シティ・オヴ・グラス)」では、ポール・オースターはポストモダンの旗手だったが、この一作から、超一流のストーリー・テラーへ成長し、この後も次々と傑作を書いたらしい。(私はもう結構ですが)


話が幾重にも重なっていく構成、ユニークな登場人物、西洋文学の造詣を基に、饒舌に語るさまざまなエピソード、そして、映画製作の経験のある作者らしい映像描写の見事さ、あるいはしつこさが特徴だ。こんな小説を書くポール・オースターはたしかに怪物だ。


ポール・オースター Paul Austerは、1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。1970年に コロンビア大学大学院修了後、メキシコで石油タンカーの乗組員、フランスで農業等様々な仕事につく。1974年にアメリカに帰国後、詩、戯曲、評論の執筆、フランス文学の翻訳などに携わる。1985年から1986年にかけて、「ガラスの街(シティ・オヴ・グラス)」、「幽霊たち」、「鍵のかかった部屋」の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表し、一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。以来、無類のストーリーテラーとして現代アメリカを代表する作家でありつづけている。他の作品に「ムーン・パレス」、「偶然の音楽」、「リヴァイアサン」、「ティンブクトゥ」、2002年本書「幻影の書」が刊行された。

柴田元幸(しばた もとゆき)は、1954年東京生まれ。東京大学大学院教授、専攻現代アメリカ文学。翻訳者。訳書は、ポール・オースターの主要作品、レベッカ・ブラウン「体の贈り物」など多数。著書に「アメリカン・ナルシス」「それは私です」など。村上春樹さんと翻訳を通してお友達でもある。




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楡周平「外資な人たち」を読む

2010年01月13日 | 読書2
楡周平著「外資な人たち ある日外国人上司がやってくる」1999年3月、中央公論新社発行を読んだ。

ある日突然、自分の会社が外資系企業に買われ、オフィスのレイアウトから社内ルールに至るまでがらりと変わってしまう。そして、やって来るのは日本市場についてまったく知らない外国人上司。10年前の本だが、こんな話はますます身近で起こっているだろう。

米国では普通でも日本ではありえない条件で家探しする上司につきあう外資系秘書のマキ。日本女性あこがれの外資系秘書も苦労が多い。諸外国を渡り歩き数々の言語をものにして、郷に入らば郷に従えとの実績を誇る外資の人が、3か月で日本語をマスターして会議に出席すると豪語した。しかし、日本語の壁は厚く、結局すべてアメリカ流で押し通そうとする。



楡周平は、1957年東京生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、米国企業日本法人に入社。犯罪小説「Cの福音」を書き、30万部を売り上げる。作家専業となり悪のヒーロー・朝倉恭介ものなど、スリラーとハードボイルドとアクションを取り入れた作品を出版する。現在は経済小説を主に執筆。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

米国企業に11年勤務した著者が、日常の実態、具体的エピソードを通して、華やかな外資系企業の裏の日本人社員の苦労、あるいは外資な人たちの日本社会での奮闘と摩擦がユーモラスに語られる。10年前の本だが、事情は基本的には変っていない。

笑いながら読む本だが、私のようにローカルな人間から見るとトンチンカン(死語?)な外資の人の行動も、彼らの立場からの見方が書かれていて、「ウーン、確かにそれも無理ないか」と思わされた。日本は先進国でありながら、アジアでも独特の文化が残っている変な国なのだとあらためて思わされた。



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江國香織「ウエハースの椅子」を読む

2010年01月12日 | 読書2
江國香織著「ウエハースの椅子」新潮文庫、2009年11月新潮社発行を読んだ。
2001年角川春樹事務所から刊行され、2004年にハルキ文庫に収録された。

裏表紙にはこうある。
あなたに出会ったとき、私はもう恋をしていた。出会ったとき、あなたはすでに幸福な家庭を持っていた―。私は38歳の画家、中庭のある古いマンションに一人で住んでいる。絶望と記憶に親しみながら。恋人といるとき、私はみちたりていた。二人でいるときの私がすべてだと感じるほどに。やがて私は世界からはぐれる。彼の心の中に閉じ込められてしまう。恋することの孤独と絶望を描く傑作。


とくにストーリーがあるわけではないので、あらすじとしては以上で十分。38歳の女性が、お定まりの妻子がいる人を深く愛している。彼はあくまでやさしく、その恋は幸福に満ちているが、それ以上はない行き止まりで、絶望と共にある。しかし、愛の名文家、江國香織にかかると、絶望がテーマの小説もかくも美しく哀しくなる。

出だしはこうだ。
かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。
 だから、いまでも私たちは親しい。
 やあ。 
 それはときどきそう言って、旧友を訪ねるみたいに私に会いにくる。やあ、ただいま」




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

皮肉でなく、甘く切なく美しく、そして上品な悲恋を楽しみたい方にはおすすめだ。繊細さを持ち合わせていない私は、巧みな文と淡い雰囲気だけ楽しんだ。

題名「ウエハースの椅子」:主人公は簡単に砕けてしまうウエハースで椅子を作るが、やわらかで、甘い椅子には、けして座ることが出来ない。

新潮文庫の淡い花の咲く寂しげな庭の絵が気に入った。下半分は白紙で、白黒が基調の鉛筆画で、何色か花だけ淡く色つけてある。カバー装画は、須藤由希子とある。1978年神奈川県生まれで、2001年多摩美大デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業の方だ。HPにもいくつも絵があるが、この表紙の絵がいちばん寂しげでこの本にぴったりだ。



江国香織(えくにかおり)は、1964年東京生まれ。父はエッセイストの江國滋。目白学園女子短大卒。アテネ・フランセを経て、デラウェア大学に留学。
1987年「草之丞の話」で小さな童話大賞、89年「409ラドクリフ」でフェミナ賞受賞。小説は、1992年「こうばしい日々」で産経児童出版文化賞、坪田譲治文学賞、「きらきらひかる」で紫式部文学賞、1999年「ぼくの小鳥ちゃん」で路傍の石文学賞、2002年「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」で山本周五郎賞、2004年「号泣する準備はできていた」で直木賞、2007年「がらくた」で島清(しませ)恋愛文学賞を受賞。


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