hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「夢タージ・マハル」でランチ

2015年09月30日 | 食べ物

 

吉祥寺のドン・キホーテ裏にあるインド料理の専門店「夢タージ・マハル」でランチした。


カレーの辛さを5段階で選択できるので、カレーが2種選べるレディースセット 1,050円を注文。


飲み物はマンゴーラッシー 450円とした。小さな野菜サラダが付くが、撮影より先に食べてしまった。


選べるカレー2種は、キーマエッグカレーを「4辛」で、野菜カレーを「3中辛」とした。
思ったよりはるかに大きなチーズナンに小さなサフランライスと、タントリーチキンティッカ(鶏のから揚げ)が付く。

隣の女性二人組もどんどんナンを食べているので、負けじと完食し、夕飯はパス。
ご飯を茶碗に3杯平らげたのは今は昔。

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吉祥寺駅南口すぐの蕎麦屋「ほさか」

2015年09月28日 | 食べ物

駅近くで昼飯をすませたいと、吉祥寺駅南口を出てちょっと右へ10mほど行く。

地下へ降りると、ちょっと雰囲気がわるいが、「ほさか」の看板がある。

奥様は一色盛り(多分)。普通の人は3色盛りを頼むようです。

私めは、ソバ団子。

これだけ少食なのに、お腹は???

店の雰囲気はひどかったが、味は結構でした。

 

 

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鳥越俊太郎『祖父の流儀』を読む

2015年09月26日 | 読書2

 

鳥越俊太郎著『祖父の流儀(ダンディズム)』(2014年7月31日徳間書店発行)を読んだ。

 

鳥越さんは、2009年2月21日に4度目のガンの手術を終えて退院。翌3月21日に次女に男の子“りう”が生まれた。鳥越さんの長女はあすか(言語聴覚士)、次女はさやか(歌手)。

 

孫をまっとうに育てるのは親の役目で、祖父は、孫育てに関しては親のポリシーに従い、そして無責任に愛し、親ができないことやる役目だ。そこで、鳥越流の孫とつきあう3原則は、

「祖父は孫に毒を与える存在である」

潔癖すぎる環境で育つ子どもたちは弱くなっていきます。少しばい菌が入っただけでやられてしまう。免疫力が弱いのです。

「祖父と孫は人間同士のつきあいをすべきである」

どんなに小さな子どもでも人間ですから、相手から低く見られていると知ったら心は開きません。

「孫は祖父のオモチャである」

 

 

反抗期は子どもの独立に必要なプロセスですから、親は何か言いたい、世話したい、干渉したいという気持ちをグッと抑え、自立しようとしている子どもを見守ればよいのです。

(「反抗期とは、親が成長する子どもに反抗する期間のことである」と言った男の子がいました。)

 

 

戦争は死と永遠に消えない憎しみを生むだけです。

中国や韓国の人たちが日本人に抱いた半世紀以上前の戦争の憎しみは、いまも消えていません。日本が戦争をできる国になるということは、これからさらなる死と憎しみを生み出すということです。

 

実は、2014年の都知事選と、その前の都知事選でも、私に立候補の依頼がありました。・・・私と舛添氏が五分五分の勝負で、「浮動票を取込めば勝てます」と、某党の幹部が依頼に来ました。

しかし、今回も私はお断りしました。・・・外側から権力を監視し真実を伝えていくことが、ジャーナリストとしての私の役割だと考えているからです。

 

次女に、

「パパはどうしてそんなに強いの?」と聞かれて答えた言葉はこうだった。
「他者(ひと)には優しさ、自分には覚悟だよ」

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

祖父のあり方についての話は、私もまったく同感だ。だから、本に書くほどのことではなく、多分普通ということなのだろう。

 

そもそも、鳥越さんは、見た目も、男としての生き方もかっこ良いし、かっこ付けてるとも言える。それだけに、現代では考えが古く、時代遅れの感がある。

 

 

鳥越俊太郎(とりごえ・しゅんたろう)
1940年生れ。福岡県出身。京都大学文学部卒。

1965年毎日新聞社入社。『サンデー毎日』編集部、」外信部テヘラン特派員、『サンデー毎日』編集長

1989年毎日新聞社を退社し、テレビ朝日『ザ・スクープ』キャスター。

著書『ニュースの職人』『親父の出番』(娘二人の育て方を披露)、他。

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ふくろうのいるカフェ

2015年09月24日 | 食べ物

吉祥寺大通りをヨドバシカメラの南側で東に入り、2本目の道の四つ角に「武蔵野カフェ&バーふくろうの里がある。

看板をつらつら眺めると、

「昼 Cafeコース 一人 2,500円、夜 Barコース  一人 3,000円、えさやり体験 500円」と書いてある。

とてもフクロウのために二人で5千円も払えないと思い、さらによく見れば、今日(旧聞になりました)

「8月29日(土) 14時~満席」とあるではないか。

残念! 5千円もものともせずに入ろうと思ったのにと、「どうせブドウは酸っぱいに違いない」とつぶやいたキツネみたいなことを思う。

名残おしげに上を見上げると、フクロウが2匹。

タダで拝見しました


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岩城けい 『 Masato 』 を読む

2015年09月22日 | 読書2

 

岩城けい著『Masato』(2015年9月10日集英社発行)を読んだ。

 

自動車会社に勤める父親は初の海外勤務を命じられ、家族4人でオーストラリアにやってきた。妻は仕事を辞め、中学生の姉は日本での進学に備えて日本人学校に行く。小学6年に進学予定だった真人は英語が喋れるようになるからと公立小学校の5年生に転入させられた。

 

真人はクラスメイトが何を話しているのかわからない。からかわれては、いじめっ子のエイダンとケンカをくり返し、校長室に呼ばれ、英語で弁解できず悔しい思いをする。

勉強ができ、ピアノも弾けるがクールな台湾系のケルヴィンと、のろまでデブなノアだけが友達といえば友達だ。そんなある日、人気者のジェイクにサッカークラブに誘われ、日本でサッカーをやっていた真人は、ようやく自分の居場所を見つけ、徐々に英語が分かるようになってくる。

 

一方、英語を拒否し、不満を口にし、家に閉じこもる母親は、真人に英語でまくし立てられると恐くなり、日本語でしゃべりなさいと叱りつけてしまう。

自信を無くした真人にキャンベル先生は言う。「ぼくはだめだなんて二度と口にしないこと。だめな人間なんて、私の知る限り、この世にひとりもいない」。

母親は日本への帰国を強要してくるが、真人は現地の高校への進学を強く主張し、自立し始める。

 

 

異文化圏でのコミュニケーションの難しさに悩み苦しむ母親について、著者は、ダヴィンチ・ニュースのMasato』刊行記念 岩城けいインタビュー」で、こう語っている。

彼女は、日本を離れたがゆえに慣れ親しんだ母語や文化が奪われた上、職業までも失ってしまったわけです。娘は受験を機に日本に帰ってしまったし、息子はどんどん自分の知らない人間になっていく。ものすごく『自分』が不安になってしまったのでしょう。だから、夫にかみつくように物を言ったり、真人に当たったりもします。私だけひとり取り残されて、一体どうすればいいの、とパニックに陥るわけです。

 

 

初出:「すばる」2014年9月号

 

 

岩城けい(いわき・けい)
1971年大阪生まれ。学生時代に3ヶ月語学留学、社会人で半年間渡豪。ホスト・ファミリーの経営する会社で社内業務翻訳業経験ののち、日本人と結婚。オーストラリア南東のヴィクトリア州に住む。
2013年、「さようなら、オレンジ」で太宰治賞・大江健三郎賞受賞、芥川龍之介賞候補

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

異文化圏で暮らす人々の、いつまでたっても何かぴったりこない感じを、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』のようにしっかり実感させてくれる。こんな小説は日本では珍しい。主な登場人物がアフリカ系の女性という前作「さよなら、オレンジ」のほど衝撃的ではないが、この作品も言語の壁に挑み、克服していく少年と、異国人になってしまう少年に怯える母を丁寧に描いている。

アラスカでの話を描いた大庭みな子の『三匹の蟹』も衝撃的だったが(集英社文庫WEBコラムの植島啓司の紹介が素晴らしい)、もっと地味で地に着いた小説だ。異国に22年暮らすという著者は日本文学にとって貴重な存在だと思う。

 

 

白と黒のマグパイに頭を突かれる話があるが、私もオーストラリアのパースで同じ経験をしていて「マグパイに襲われる」「Willy Wagtailにも襲われる」に書いた。ワライカワセミも隣の家の屋根で、うるさいほどの大声で、まるで人が笑っているように鳴いていたのを思い出した。

パートナーのほかは誰も頼れる人がおらず、すべてが敵とも思える海外での生活、その環境の大きな変化は人に何かを考えさせる大きなきっかけになると思った。

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カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』を読む

2015年09月20日 | 読書2

 

カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』(2015年4月25日早川書房発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

『わたしを離さないで』から十年。待望の最新長篇!
アクセルとベアトリスの老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村を後にする。若い戦士、鬼に襲われた少年、老騎士……さまざまな人々に出会いながら、雨が降る荒れ野を渡り、森を抜け、謎の霧に満ちた大地を旅するふたりを待つものとは――。
失われた記憶や愛、戦いと復讐のこだまを静謐に描く、ブッカー賞作家の傑作長篇。

 

舞台の説明

6世紀、あるいは7世紀の伝説のアーサー王亡き後のブリテン島(現グレート・ブリテン島)。ケルト系のブリトン人のアーサー王はローマ人やゲルマン系のサクソン人を撃退したと伝わる。

 

人口60人ほどの小さな集落で差別を受けて暮らすブリトン人のアクセルとベアトリスの老夫婦は、ブリテン島の岩だらけの丘、荒れた野超えて、別の村に住むという息子を探す旅に出る。

何か大事なことが過去に起きたはずなのに、記憶にモヤがかかっているようで思い出せない。老夫婦も住人もみな、クエリグという雌竜の吐く息のせいで、奇妙な記憶喪失に取り憑かれている。

 

旅の途中で、竜退治に向かうサクソン人の戦士ウィスタンと、呪いの傷を持つ少年エドウィンと出会う。アーサー王の甥である老騎士ガウェインは老いた身に甲冑をまとい、老馬ホレスにまたがり、ドン・キホーテを思わせる。旅の途中でサクソン人の集落や修道院を通過し、竜や鬼、妖精に悩まされる。

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

カズオ・イシグロには毎回驚かされる。カフカなみの不条理小説、SF風、と毎回がらりと作風、いや舞台が変わる。そうそう、格式ある家の執事の話などもあった。そして今回はファンタジー小説の趣。

しかし、私は夢想的なファンタジーにはなじめないので、三つ星。

 

舞台はファンタジーだが、テーマは夫婦愛や、負の記憶を消し去るのがよいか、とどめるべきかなのだ。

 

老夫婦は、愛し合い、互いに助け合っているのだが、互いに問題のある記憶が浮かんでは消えていき、不安に駆られる。

在来のブリトン人と東から来たサクソン人の悲惨な戦いが終わり、表面的な平和がもたらされたのは、忘却の力といえる。しかし、雌竜の吐く息が消えると、憎悪と怨恨が姿を現すのだろうか。

カズオ・イシグロが、日本は過去の過ちを忘れ去ろうとしていると感じたことも、この小説を書くきっかけになったと、何かに語っていたような記憶が私にはあるのだが。

 

 

土屋政雄は、英米文学翻訳家。訳書は、カズオ・イシグロの「日の名残り」「わたしを離さないで」、ジョン・スタインベック「エデンの東」など。

 

カズオ・イシグロの略歴と既読本リスト

 

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下重暁子『家族という病』を読む

2015年09月17日 | 読書2

 

下重暁子『家族という病』(幻冬舎新書375、2015年3月25日発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げればキリがない。それなのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。一方で、「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。そんな人たちを著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する一冊。

 

 

同じ家で長年一緒に暮らしたからといって、いったい家族の何がわかるのだろうか。

(私もその通りだと思うが、それが何か?と言いたい。人はさまざまな顔を持っていて、家での父親としての顔と会社での顔は違う。学校の同じ運動部で、同じ寄宿舎で同じ釜の飯を食ったからなんでも通じ合うのではない。それは同じ時代に同じ場所で経験をした点に限られる。著者がたびたび強調するように、家族だからすべてわかっているとは、ほとんどの人は考えていないと思うのだが)

 

息子の不始末を安易に補おうと簡単に振込詐欺に騙される母親たちが多いのは、日本の家族の在り方がおかしい。

(この著者の指摘はもっともだ。恥を世間の知られるのを極度に恐れる考えも、毅然とした態度とは正反対だ)

 

 

下重暁子(しもじゅう・あきこ)

1936年宇都宮市生まれ。作家・評論家・エッセイスト。日本ペンクラブ副会長。

1959年、早稲田大学教育学部卒、NHK入局。NHKアナウンサー

1968年、フリー。民放キャスターを経て、文筆活動へ。

財団法人JKA(旧日本自転車振興会)会長。

著書『持たない暮らし』『老いの戒め』『老いの覚悟』など。

 

 

私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

 

ネットで皆さんが言うほどの悪書ではない。

しかし、私に言わせれば、この本は家族嫌いという病にかかってしまった女性のおはなしに過ぎない。

 

「家族のことしか話題がない人はつまらない」とは私も思う。しかし、「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」とまでは思わない。まったく、親ばかでどうしようもないなと、ニヤッとはするが。

著者が多く指摘するベタベタした家族の在りようは確かにみっともないが、いざというときに現れて、支えてくれる家族は頼りになる。親友でもそれは同じなのだが、家族の方がより深く踏み込みやすい。

 

絆、絆の風潮や、家族がすべてとの安易な考えには、私も反感を覚えるのだが、家族への屈折した思いから家族と向き合ってこなかった著者が家族という病”というタイトルの本を書くのはいかがかと思う。その論旨も自分の家族と周囲の人の話からの展開だけで、社会的考察もない。まあ、幻冬舎のあくどい宣伝勝ちなのだろうが。

 

著者は“戦前うまれ”で、戦後育ちの私とは時代が違い(?)、現代の多くの人からすると、古すぎる考え方にとらわれていると見えるだろう

 

それにしても、職業軍人だった父が2・26事件の青年将校と行動を共にしなかったことに反発し、著者は血に塗られた強い意志を期待したという。軍国少女の時の考えならわかるが、今振り返って父への反抗の始まりがそこだったというのは理解できない。

 

父親の主治医から「あなたは・・・なんと冷たい女なのだ。結核病棟に老いの身を横たえている父親を一度も見舞いに来たこともないではないか」という手紙にも、反感を持ち、見舞いに行かないとはどういう了見なのだろう。

 

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有働由美子『ウドウロク』を読む

2015年09月15日 | 読書2

 

有働由美子著『ウドウロク』(2014年10月30日新潮社発行)を読んだ。

 

「自他ともに認めるクロい部分も、ちょっとだけあるシロい部分も、包み隠さず書いてみました。初めての本!  書き下ろし。」

 

ところどころに有働さん撮影の写真が挿入されている。

 

 

はじめに

きっと、男性が読んだら中年女が怖くなり、順風満帆に幸せになった女性が読めば、軽蔑するでしょう。

 

1 いろんな人から、いろんなことを言われました

 

わき汗

わき汗が忌み嫌われているものだと思わなかった有働さん。

結局、“わき汗の”アナウンサーという、ちょっとイタい、かわいそうな形容に耐えている感じが好感を持ってとらえられるらしく、放送でちょっとくらいクロいことを述べても、苦情がこなくなった。

 

スーパーマーケット

かごに一人分で少量の品物を入れてレジに並んでいた有働さん。後ろに並んでいた小学生の女の子が言った。

「おかあさん、この人のかごはさびしいね」

・・・

お母さんが言った。

「そんなかわいそうな人のかごの中とか、見てはだめ」

と。

・・・お母さんが返す時には「かわいそうな人」に自動変換されている・・・・・。

 

男社会で長く生き過ぎ

好きだった人「このモデルさん、清楚でいいよね」

私「でもさ、実は意外に奔放だったりするのよ~。たぶん。いや、きっと。・・・」

好きだった人「前から言おうと思ってたけど、有働さん、発言が、男社会で長く生き過ぎ」

 

2 一生懸命生きてきました。ええ、仕事に

3 酒がなかったら、この人がいなかったら……


4 黒ウドウ

私の個性、私が思う個性

・・・他人が、私のことをどんな個性の人間だとおもっているのか。

それさえ掴めていれば、あとは楽になる。仮にそれが、自分が思う本当の自分とは少々ずれていても、それは自分の素を理解されていない、ことにはならない。

逆に、なぜ私はこう受け止められているのかと考えると、自分には見えていなかった自分の個性が見えてきたりする。

 


5 白ウドウ

小心者シリーズ1 お見合い編

恋愛は、目の前の幸福と不服に、大いに振り回されるもの。

がお見合いは違う。目の前ではなく、長い目で見た幸福を考えるわけです。

・・・

・洋服がダサい→私が好みの服を揃えて着せてあげればいい。

 

小心者シリーズ2 昔の恋の捨て方編

 

「あさイチ」の本番中に、ゲストのタレントさんから、

「えっ! 昔の彼氏の写真とか思い出の品とか、捨ててないの? あり得ない!」

とご指摘を受けたことがある。


「デート中に指の皮がめくれたとき、一緒にむいたその皮」まで保存していたとは・・・

 

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

自分でクロとかおばさんとか言って凹んでみせている。傷つかないための防衛策でもあるのだろうが、結局自分に自信があるから言えるのだろう。

いずれにしても、すべてに真剣で、一生懸命で、そして明るいゆえに広く愛されるのだろう。

中年を過ぎた有名NHKアナウンサーの、新しいありようを作っていってほしい。(突き放した言い方しましたが、ファンです。それに46歳といっても我が子みたいな歳ですし)

 

 

有働由美子(うどう・ゆみこ)
1969年鹿児島県生まれ、兵庫県、大阪府育ち。神戸女学院大学卒業後、1991年NHK入局。「NHKニュースおはよう日本」「サタデースポーツ」「サンデースポーツ」「NHKニュース10」「スタジオパークからこんにちは」などの番組を担当し、紅白歌合戦の司会も務める。2007年~2010年ニューヨーク特派員。2010年3月より「あさイチ」のキャスター。

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宮崎揚弘『ペストの歴史』を読む

2015年09月13日 | 読書2

 

 

宮崎揚弘著『ペストの歴史』(2015年5月10日山川出版社発行)を読んだ。

 

14世紀のペストはヨーロッパを壊滅させた。日本では1899年に上陸したが、2420人と世界に比べ軽微な被害に終わったことから、ペストはただ恐ろしい病というだけで実状は良く知られていない。

この本は、ペストがどこから起こり、どう流行し、どれほどの被害で、医学が進歩していない中での必死の対策などが説明されている。

 

前半は、黒死病(ペスト)の説明と、14世紀のヨーロッパを襲い、終息までの約6年間の経過を詳細に述べる。

後半は、近世のヨーロッパが、繰り返して襲ってくるペストと、悲惨な経験の中から克服策を探り、公衆衛生の観念や危機管理のしくみを発展させていく様子が語られる。今日のパンデミック対策の基本が、ペストでの考えられないほど多くの犠牲者の屍を乗り越えて確立されていったことが理解できる。

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

たしかにヨーロッパでのペストの流行については、その詳細までよく解る。

流行の広がりや、日常生活の中でどのようにペストがうつっていったのか、そして、徐々に効果ある対策が取られ、何回もの失敗を経て、対策が確立していく様子が語られる。しかし、私の様に一般人にはあまりにも詳細すぎる。

 

 

宮崎揚弘(みやざき あきひろ)

1940年東京生まれ。本名・宮崎洋。

慶應義塾大学文学部卒、同大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学。

北海道教育大学釧路分校講師、助教授、慶應義塾大学商学部助教授、教授、2006年定年、名誉教授、帝京大学文学部教授。2011年退職。近世フランス史専攻。

主な著書、『フランスの法服貴族 18世紀トゥルーズの社会史』、『災害都市、トゥルーズ 17世紀フランスの地方名望家政治』

編著、『ヨーロッパ世界と旅』

 

 

以下、私のメモ

 

ペストとは何か

ペスト菌は本来リスやネズミなどげっ歯類の体内にあってペストを発症させる感染源であるが、それが人間の近くに住むクマネズミ、ドブネズミなどに広まり、人に感染させるものとみられる。・・・ネズミからヒトへの感染メカニズムは・・・ノミを媒介する。・・・ヒトからヒトへは空気(飛沫)感染である。

 

病態からみると、腺ペストによる死亡率は比較的低く、肺ペストによるそれは高く、敗血症性ペストのそれはほぼ100%であった、とされている。

 

ペスト菌は湿った地中にある死体のような組織のなかでは、七ヵ月以上も生き続け、・・・。

 

ペスト菌のさらなる特性は比較的熱に弱いことにある。・・・(北欧では流行しなかったし)、春から秋にかけて隆盛を極め、寒い冬を迎えると、鈍化するか、消滅することにある。

 

初めてのパンデミックであるユスティニアヌスの大疫は、541年エジプトで始まり、542年春にコンスタンティノーブルに入った。膨大な死者に墓場は満杯となり、死体は山積みされ、ペスト菌は拡散した。544年終息し人口30万人の20%が死んだと推定され、やがてヨーロッパの各都市に広がっていった。

 

1346年、ジェノヴァ人の東方の商業の拠点カッファがタタール人の包囲攻撃を受けた時、タタール人の間に疫病が蔓延し、一日数千人の病死者が出た。これに絶望したタタール人は、ジェノヴァ人のいる都市のなかへ疫病死した仲間の遺体を投石機で次々と投げ入れた―――キリスト教徒における疫病はここに始まる。

 

英仏間の百年戦争、イタリア戦争、三十年戦争などでの軍隊の移動、死者の埋葬によりペストが拡散した。飢饉による大量の死者は浅い埋葬を生み、これもペスト流行をもたらした。

 

トゥルーズでは、ペスト接近の情報から危機管理体制をとり、市門を閉じて健康通行証を持たない者を通さないようにした。漏れた侵入者がペストで死亡し、搬送中の遺体の頭巾が風雨で飛ばされ、拾った女性が発病し、隔離策は失敗して市全体にペストが蔓延した。

 

西ヨーロッパでの近世ペストは1720年のマルセイユの大流行を最後に姿を消した。これは防疫線による隔離が効果的であったものと言われる。1984年から92年までに主にアジアで1万件生じて、1200人死亡した。

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Ryumon coffee stand (リュモン コーヒー スタンド)

2015年09月11日 | 食べ物

 

吉祥寺 末広通りの「リュモン コーヒースタンド」へ寄った。

 

シングルオリジン(単一農園もしくは地域の、ブレンドされていない)コーヒーを提供する店だ。

一階は腰掛け2つほどの小さなスタンドだが、2階へ上がると、
椅子、ソファが並ぶ、落ち着いた喫茶店。

窓から末広通りが良く見える。

我々も、きっと上から眺められていた? 自意識過剰。

向いのビルの壁の穴は何? 下を通りときには気づかなかった。

ホットコーヒー 500円
(コスタリカ チスピタ農園)
ラテ 600円

さすが美味しいコーヒーだ。香りたち、心地よい酸味がまろやか。



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玉村豊男『旅の流儀』を読む

2015年09月09日 | 読書2

 

 

玉村豊男著『旅の流儀』(中公新書2326、2015年6月25日中央公論新社発行)を読んだ。

 

表紙裏にはこうある。

旅立ちにはしばしば憂鬱さが付きまとう。遭遇するトラブルを思うと尻込みしたくなる。だが、どんなに辛い旅であれ、得られる収穫は計り知れない。ひとつの出会いがかけがえのない人生の財産にもなる。若き日の海外放浪以来、数え切れない旅を経験してきた著者が、独自のノウハウやためになる失敗談を惜しげもなく披露。「自分の鞄は自分で持つ」「旅先で本を読む」「なんでもない風景」ほか39章で綴る、大人の旅への招待。

 

どんな旅行のときも、まずはパンクツ(パンツ+靴下)から始まるという旅支度の話、唯一の自慢というヒッチハイクの極意、旅先でテニス・水泳といったトレーニングなどの旅の楽しみ、注意点などを語る。

一方で、加齢に伴い、目が疲れるので読書も、機内での映画も見なくなったが、一方ではただぼんやりとして時を過ごせるようになったと述べる。

1テーマごと4ページの文章と1枚の写真。全部で39。

 

 

自分の鞄は自分で持つ

いくら裕福になっても自分の荷物を他人に運ばせるような人間にはなりたくない・・・と、青年らしい潔癖さで考えたことを覚えている。

 

散髪の楽しみ

行きつけの店は、東京駅構内の「QBハウス」。十分で千円のクイックバーバーだ。髭剃りも洗髪もしてくれないが、とにかく早く済むので重宝している。

・・・

言葉の通じない国で散髪をするのは実害の少ない旅の楽しみである。

(千円床屋、私も愛用しています。早くて安い。良いことずくめです。50年以上前、新宿南口を出たところに100円床屋がありました。客はホームレスが多く、使用済みの湿ったタオルを襟元に巻くので閉口しました。始まったなと思ったら、背中を叩かれてもう終わりでした。頭からボタボタ水を垂らしながら新宿を歩きながら、いくらなんでも、ここまでは落ちたくない、もう二度と行くまいと思いました。

 

オーストラリアに2か月滞在したときには、さすがに途中で床屋へ行かざるを得ず、不安いっぱいでしたが、えいやと、たまたま見かけた床屋に飛び込みました。耳にかからないくらいに切ってくれと言ったつもりでしたが、バリカンにはめるプラスティックのカバーみたいなものを持ち出してきて、自信満々な様子で「AとBがあるが、あなたにはBが最適だ」らしきことを言う。純粋日本男児の私は、OK、OKと曖昧に微笑するしかありませんでした。鏡は見ないようにして店をでました)

 

モバイルマニアだった頃

(これにも共感しました。私もモデム通信しかできなかった頃から外国でのインターネット接続に苦労したことを思い出しました。ホテルで、机をずらしてカバーを外し、電話線の差込口(FCCタイプ?)を取り出して、持ち込んだモデムをつないで、電話局への接続をあれこれトライし、時間・料金を気にしながらメールや情報収集したものでした)

 

雪の東北温泉旅行

(酸ヶ湯の千人風呂が出てきて、これも懐かしかったです。「山スキーと温泉」に書きました)

 

 

金魚鉢の水

著者が新米のツアーコンダクターだったとき、ベテランの一言。

団体旅行を成功させるということは、金魚鉢の水をこぼさず運ぶことである

 

 

能登半島を歩いて考えたこ

寒天で有名な茅野市で聞いた。2月16日は「寒天の日」。NHKの『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられ、全国のスーパーから寒天が姿を消した日だから。

 

部屋にいながら世界一周

長くクルーズ船に乗っていると、船に帰ることは家に帰るとこと同じという感覚になる。朝起きるとそこに違う国の違う町がある。

世界遺産が向こうからやってくる、海外クルーズは究極の贅沢旅行

 

 

「旅行読売」に毎月連載されていたもの+若干の書き下ろし。

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

一見たわいもない話だが、気取らず、気楽な語り口で、楽しめる。世代的に共感できる話も多い。ただ、強力に推薦したいという本ではなく、「いいね」程度なので、三つ星。

 

玉村さんの本は久しぶりだが、大変なことをやっているのにご本人はまったく自慢しない。ご本人の人柄が出ていて、好ましい本になっている。

ワイナリーの話もでてくるが、開設から3年目に洞爺湖サミットで提供されるワインを作り、5年目で国内コンクール金賞を受賞したのに、それをうかがわせる自慢話はまったく出てこない。

玉村さんの絵も、箱根にあった美術館を見に行ったことがあったが、なかなか美しい花や植物の絵が並んでいた。素人芸ではなかった。もっとも、お父さんが日本画家だったからその影響もあるのだろう。

 

 

玉村豊男(たまむら・とよお)

1945年東京都杉並区西荻窪生まれ。東京大学文学部仏文学科卒。在学中パリ大学言語学研究所留学。

通訳、翻訳業などを経て文筆業へ。

1991年より長野県小県郡東部町(現東御市)在住。

絵画制作のほか、西洋野菜やワイン用ブドウを栽培し、ワインの醸造を営む。

『パリ・旅の雑学ノート』『料理の四面体』『食客旅行』『晴耕雨読ときどきワイン』他多数

作家であり、長野でワインづくり

 

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雨の井の頭公園

2015年09月08日 | 散歩

雨の井の頭公園。火曜日の朝10時。犬の散歩もすでに終えたのだろうか、人影はなし。

湖面が2色に分かれている。

手前で鳥が羽繕い。

七井橋も人影なし。

池にもボートがなく、雨が細かい模様をつくるのみ。

ボートもすべて停泊

ずらりと並んだ白鳥も全鳥眉毛なし。

眉毛を持つ雄の白鳥は何処。

三角公園へのなんでもない道も、雨が降るとなにかしっとりと趣がある。

傍らの小さなお地蔵さんもいとおしい。

三角公園から井の頭線のガードを振り返る。

人っ子ひとりいない光景に寂寞感が募る。

ナンジャモンジャの木も、まだ花一つない。

玄関前に大木がでんと、まします。さすが、南町のお屋敷町。

でも、こんな見栄っ張りな家もあって、ほっとする。

雨の日の散歩もおつなものだ。

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井の頭公園西園あたりを散策

2015年09月07日 | 行楽

 

井の頭通りから水門通りを北へ入り、井の頭線の踏切へ。


丁度、渋谷からの電車が来て、


吉祥寺駅からの登り電車も来た。


井の頭公園の池の傍を過ぎて、井の頭公園通りを渡ると雑木林になる。
あちこちに赤い旗を持つ棒が刺ささっている。


ユリかなにかを草刈の際に刈ってしまわないような目印らしい。


セミの抜け殻が付いた棒があった。


何かの罠?


御殿山の玉川上水の傍らの塚の上に「松本訓導殉職の碑」がある。


看板の説明


現在の玉川上水はこの程度のサラサラとして流れだが、

 


大正時代に水流が激しく「人喰い川」といわれていた。
戦後でも近くの小学生は川に入らないように厳しく言われていたという。

さらに進むと人も少なく静かな雑木林になる。


ほたる橋を渡ると、道標があり、


西園の競技場となる。


傍らにはつつましいトレーニングコーナーがあり、


雲梯や、


腕立て棒、j腹筋台


ストレッチベンチ


がある。
文化交流広場を過ぎて、


三鷹の森ジブリ美術館が見えてくる。屋上にあのロボット。


館内には多くの建物があるようだ。


金曜日の9時40分、開館前で、入口は長蛇の列。
未だ予約が必要で、歩いても行けるのに私も入館したことがない。

 


あちらもこちらも中国語が飛び交う。
吉祥寺通りからの入口の一つ。

道路向いの鷹匠茶屋がまだ開いていなかったので、そのまま帰った。

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夏川草介『神様のカルテ0』を読む

2015年09月05日 | 読書2

 

 

夏川草介著『神様のカルテ0』(2015年3月1日小学館発行)を読んだ。

 

シリーズ200万部のベストセラーの2年ぶり第3作。

神様のカルテ』、『神様のカルテ2』、『神様のカルテ3』の前の話になるので「0」なのだ。ヒットすると、後から「0」が出る、最近よくあるパターンだ。

 

話は、主人公・栗原一止(いちと)が信濃大学医学部6年生で、国家試験勉強まっさかりから始まる。同じく有明寮の住人で、秀才の新藤辰也、その恋人の如月千夏、巨漢の砂山次郎などおなじみのメンバーが登場する。

 

次に栗原が研修医として飛び込んだ地域医療の本庄病院での話に移り、大狸先生こと板垣内科部長、古狐先生こと内藤鴨一、金山事務長や、外村看護師、東西看護師も登場する。

 

さらに、栗原が下宿する「御嶽荘」の住人、学士殿、男爵などが登場し、

 

最後に冬山の場面で、栗原の妻となるハル、片島榛名がカッコ良く登場する。

 

 

高校の国語教師で癌患者の国枝さんが言う。

“本にはね、先生。「正しい答え」が書いてあるわけではありません。本が教えてくれるのはもっと別のことですよ”・・・“ヒトは、一生のうちで一個の人生しか生きられない。しかし、本は、また別の人生があることを我々に教えてくれる。たくさんの小説を読めばたくさんの人生を体験できる。そうするとたくさんの人の気持ちもわかるようになる”

 

大狸先生が言う。

「神様がそれぞれの人間に書いたカルテってもんがある。俺たち医者はその神様のカルテをなぞっているだけの存在なんだ」

 

 

私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

 

要するに、本書はこの後に登場するさまざまな人の紹介で終わる。というのは言い過ぎで、研修医として初めての病院勤務での患者対応や、冬山でのハルの活躍はなかなかのものだ。

 

「1」「2」「3」を既に読んだ人は、なるほどなるほどとあらためて確認することができるが、初めて読んだ人は物足りないだろう。

  

 

夏川草介(なつかわ・そうすけ)の略歴と既読本リスト

 

  

栗原一止(いちと):信濃大学医学部6年生、有明寮の住人、高知生まれ、夏目漱石の『草枕』を全文暗唱できる。地域を支えてきた松本の本庄病院を受けるつもり。

新藤辰也:信濃大学医学部6年生、有明寮の住人、松本の実家は蕎麦屋、秀才、帝都大学研修コースに合格

砂山次郎:信濃大学医学部6年生、有明寮の住人、北海道酪農家出身、巨漢

草木まどか:信濃大学医学部6年生、有明寮の住人、岡山出身、元テニス部部長、有明寮の住人、口は悪いが明朗、追試の常連

如月千夏:信濃大学医学部5年生、将棋部でテニス部、新藤辰也と付き合っている

楠田重正:信濃大学医学部6年生、有明寮の住人、52歳。酒におぼれる。留年決定。

小野寺誠:飯田の病院から大学に戻った。かって、まどかと付き合っていた2年先輩。女の子との付き合いは“広く、深く、楽しく”がモットー。

 

本庄忠一:松本駅近く300床超の総合病院で、「24事件365日対応」の看板を掲げる本庄病院の院長

板垣源蔵:本庄病院内科部長、栗原一止は大狸先生と名付けた

内藤鴨一:本庄病院内科副部長、栗原一止は古狐先生と名付けた

乾:本庄病院外科部長、来年退職し、「乾診療所」を開業予定

金山弁次:本庄病院事務長、赤字の病院を建て直しのために官僚からヘッドハンティングされた。

外村看護師:救急部副師長

東西直美:看護師

 

栗原一止は本庄病院の研修医となり「御嶽荘」の「桜の間」に下宿する

学士殿:「御嶽荘」の「野菊の間」の住人。信濃大学哲学科専攻の大学院生。

男爵:「御嶽荘」の「桔梗の間」の住人。自称絵描き。

専務:「御嶽荘」の「椿の間」の住人。金融機関に勤める新人OL。会社の専務に一目ぼれ。

 

健三:常念岳に30年ぶりに登る50歳。

布山浩二郎:那智子の夫。30歳過ぎ。

布山那智子:浩二郎の妻。30歳過ぎ。

片島榛名:著名な山岳写真家。栗原の妻となるハル(榛名)で、最後に少しだけカッコ良く登場する。

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川村裕子『図説 王朝生活が見えてくる 枕草子』を読む

2015年09月03日 | 読書2

 

 

川村裕子監修『図説 王朝生活が見えてくる! 枕草子』(青春新書、2015年7月15日青春出版社発行)を読んだ。

 

『枕草子』の紹介というよりは、宮仕え・物忌・後朝の歌・噂話など平安貴族の日々の暮らしぶりと、清少納言の心うちを描き出す。『枕草子』は日本初のエッセイであるが、著者によれば、手紙の書き方、ファッション、恋の作法など王朝のマナー集でもあるという。

 

巻頭のカラー口絵4ページと、随所に挿入された図版、そして挿入されたマンガで、王朝の生活が目に浮かぶ。

 

 

序章 『枕草子』とは何か

 

1001(長保3)年頃成立。著者は一条天皇の中宮定子(ていし)(藤原定子)に仕えた女房・清少納言。

 

第一章 四季折々の華やかな暮らし

「二つ三つばかりなるちごの、いそぎて這ひ来る道に、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指(および)にとれへて、大人ごとに見せたる」(第145段)

(ハイハイする赤ん坊が、大人が気がつかない床の小さなゴミを見つけ、摘み上げて大人に示す。今でもあるある! 1000年前も人間なんて変わらないね)

 

清少納言は歌が苦手であり、約50首と少ない。しかし、百人一首の歌「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」など伝統的な形にのっとった和歌とは異なる洒脱なものが多い。

 

第二章 宮中のマナーとしきたり

「人の悪口を怒る人は、本当に困ってしまう。どうして言わないでいられようか」

「たまたま他人の噂話などをして悪口を言ったのを、幼い子が耳にしていて、その人も前で口に出す」

(清少納言は噂好きであったらしい。いかにも)

 

第三章 色鮮やかに描かれた恋模様
第四章 清少納言をめぐる人々

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

「枕草子」の引用部は少なく、王朝生活の紹介が多い。「枕草子」を一部でも、概要でも知りたいとこの本を手に取った人は(それは私です)、がっかりだ。

 

しかし、王朝での女性の生活の実態は、解りやすい図版も多く実感しやすい。千年も前の人の人柄まで浮かび上がってくるなんて、何か不思議。

 

 

 

川村裕子(かわむら・ゆうこ)

1956年2月東京生まれ。国文学者、武蔵野大学教授。

1978年立教大学日本文学科卒、85年同大学院博士課程後期課程修了

1988年活水女子大学助教授、92年新潟産業大学教授、2009年武蔵野大学教授。

2005年「蜻蛉日記の表現と和歌」で立大文学博士。

主な著書、『平安女子の楽しい!生活』『王朝文学入門』『王朝生活の基礎知識―古典のなかの女性たち』

 

 

 

 

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