バンクーバー・ダウンタウンのコンドミニアムからBurrard St.を下り、イングリッシュ・べイへ向かう。シェラトンを見上げ、
ゲイパレードが行われるDavie St.との交差点を過ぎるとまもなくBurrard ST Bridge だ。
橋のたもとの階段を降りて抜け道を行くと、橋の下にでる。
このあたりは、Sunset Beach というらしい。小さなフェリーの乗り場がある。
ここから対岸の Vancouver Maritime Museum や、橋をくぐってGranville Island に行くことができる。目をこらすと、GRANVILLE ISLAND PUBLIC MARCKET の文字が見える。
水辺の道は、歩道と自転車やローラスケート(古い!インラインなんとか?)がはっきり別になっている。
しばらく行くと、芝生の中に Vancouver AIDS Memorial があり、亡くなった方の刻まれた名前の溝に花が差し込まれている。
歩道沿いにならぶベンチには、ベンチを寄付すれば銘板にどなたかを記念する言葉を刻めるらしい。文字が読み取れないので(??)、英語がよく読めない。以前、犬の絵と愛犬への感謝を刻んだベンチを見たことがある。
水辺のカフェのテーブルには、夕日見物の予約の札が置いてあった。しかし、日が落ちるのは9時過ぎになるだろう。傍らには、ラベンダーに似た花と、小さな松が。
ふたり乗りの自転車で、大好きなお父さんと一緒。しかも目の前にはお気に入りのお人形。
女の子はいいなあ。と思ったら、こんな小さな男の子もじっと彼方の海を眺めていた。久しぶりに見る足の短さにほっとする。
そして、これが、男の子が物思いにふけって眺めていた English Bay 。
さあ、もう少しだ。
水鳥もいて、
石を重ねたイヌイットのシンボルINUKSHUKがある。EXPO86のパビリオンにあったものを移設したと書いてあった気がする。
ここからが、English Bay Beachで、花火のときは、バンクーバーにこんなに人がいたかと思うくらいこの砂浜一杯の人になるらしい。
トイレの脇には、変な花が。
ビルの屋上には、木が。
バンクーバーの砂浜にはベンチかわりの丸太が置いてある。昨日5月24日(月)がヴィクトリア・デイのロング・ウイークエンドで休日だったので、今日は人が少なく閑散としている。
English Bayは名所のひとつだが、とくに何もないといえば、ない。
Davie St.の始まる三角地帯には、変な挨拶をするおじさんたちが。
Denman St.から帰途についた。
村山由佳著「ダブルファンタジー」2009年1月、文藝春秋発行を読んだ。
人気の脚本家、奈津は三十五歳。10年ほど成功へのマネージをしてくれていた夫は支配的、抑圧的でセックスレス。家を飛び出し、デビューから敬愛していた演出家との支配的で圧倒的な性愛に溺れる。さらに、もう後戻りはしないとばかり、やさしい先輩や、役者、精神科医で僧侶などと情事を重ねていく。
中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞の受賞作品だ。
村山由佳というとお嬢様、アイドル作家、房総の牧場で暮らす自然派作家のイメージがあったが、「週刊文春」(2007年6月~2008年8月)連載中から濃厚なベットシーンが評判になった作品だ。
文藝春秋のダブルファンタジー特設サイトの著者インタビューにはこうある。
まず、自分の殻を破りたいということがありました。小説家として、私はどこに向かっていくのだろう。どういう小説を書いていきたいんだろう、と自問した時に、このままずっと同じテイストのものだけ書いていたら駄目になってしまう、と感じて。一度思いっきり突き抜けたものが書きたかったし、今まで遠慮していたものをとことん突き詰めてみたかったんです。
・・・
この小説はあえてラストを決めずに書いたので、どんな風に物語がうねっていってくれるかは、私自身にも分からなかったし、半ば賭けのようなものでした。奈津をめぐる男たちと奈津の関係を書きすすめていくうちに、それぞれの男が自分の役割を果たしていって、結果的に奈津を成長させてくれた。
・・・
女性は永遠に母親から支配を受ける対象であるという宿命がある。意識しているかどうかにかかわらず、多くの女性が大なり小なり母親への複雑な愛憎を抱えているんじゃないでしょうか。
・・・
実を言うと、小説の中で「乳首」って書いたのは生まれて初めてなんです。もう、崖から飛び込むような気持でした。
(インタビューア:向田邦子さんが親が生きている間は「ケツ」とはどうしても書けなかったと書かれていたことを思い出します。作家それぞれに使えないことばってあるんですね。)
私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)
494ページもあり、そのベッドシーンが延々と続く。私もキライじゃないけど、ウンザリだ。女性の女としての成長小説なのだろう。村山由佳さんとどうしても重なって読んでしまう。
村山由佳(むらやま・ゆか)は、1964年、東京都生まれ。
大学卒業後、会社勤務、塾講師などを経て、1993年「天使の卵~エンジェルス・エッグ」で小説すばる新人賞受賞。2003年、『星々の舟』で第129回直木三十五賞を受賞。
公式ホームページ www.yuka-murayama.com
前述の著者インタビューの中で、「奈津と関係する主な男性キャラクターについて村山さんの寸評をつけていただきたいのですが」という問いに対して村山さんはこう答えている。(こんなことまで著者自身が語っていいのだろうか?)
岩井先輩は、これまで私が書いてきた男性の中で最も人間くさい。ものすごく優しくて、同時にものすごく弱い。奈津とは友情や信頼があった上での性的パートナーであり、一番の理解者だけど、その反面とてもずるいところもある。書いていて面白い人物でした。
年下の大林については、作者が言うのも変ですが、かなり未知数な男なんです。奈津も彼が自分を幸せにしてくれるとは思っていない。見るからに怪しいし、どちらかというとろくでもない男。それでいて意外と純情だったりする。ただ、彼女にとっては今、この刹那(せつな)を燃やしてくれる花火みたいな男、なんですかね
ダウンタウンの南、フォールス・クリークFalse Creek まで散歩した。False Creekは、English Bayから長く川のように内陸に食い込んだ入江で、まるで小川のように見えることから名付けられた。creekを辞書で引くと、入江とあるが、「(米・豪・英植民地など)支流、小川、クリーク」ともある。ややこしい。
屋根付きの競技場BC Placeは普段フットボールの会場だが、今年のオリンピックの閉会式会場だった。
2007年6月のブログ「B.C. Place 周辺散策と、ポトラック・パーテイー」を見ると、下の写真が載っていて、以下のようにある、
そして完成した現在は、以下のように一見、丈夫に見える。
さらに入江に近づくと、Edgewater Casinoが見える。バンクーバーには何箇所かのカジノがあり、統合してより大きなカジノを作ろうと市長さんがはりきっているらしい。
その左には、Vancouver Expo Garden (花博覧会?)と垂幕のかかった建物がある。
False Creekの行き止まりに丸屋根のScience World at Telus World of Scienceが見える。エキスポ86の際に建設された子供向けに科学を楽しく体験させる博物館だ。
ここには、ポンポン船のFalse Creek Ferryが走っていて、Science Worldや、Granville Islandに行ける。
カモメはきれいな鳥だが、
正面から見ると、けっこうキツイ顔をしている。
海や河が見えるところは極端に住宅価格が上がるので、水際にはガラス張りの高層ビルが乱立することになる。
Cambie St Bridgeの下にあるCooper’s Parkには昔、大規模な製材所があり、目の前のFalse Creek には材木が一杯だったという。今はただ芝生があるだけの公園だが、犬を放し飼いしてよいエリアがあり、犬たちが興奮して走りまわっていた。
昨日夕方にバンクーバーから帰宅したが、現地でインターネットが使用できない場所もあり、また情報整理も遅れたので、しばらくバンクーバー・ネタを続ける。
ダウンタウンのWaterfrontを歩いていたら、“JAPADOG”というホットドック屋を見かけた。
2007年に来たとき、泊まっていたコンドミニアムのベッドの上から見えたホットドック屋と同じ名前だ。
当時のブログ「バンクーバー・ダウンタウンのコンドミニアム」にはこうある。
今回、Burrard St.とSmithe St.との角に行って見ると、いたいた“JAPADOG”。すごい行列で相変わらず繁盛で嬉しい限りだ。
こちらの人に聞いたら、彼は成功して、今では市内に何店も持っていて、起業家として表彰もされたという。最近、海外へ行くと、中国人はもとより、今では韓国人の若い人が大勢いて、日本人の若い人は内向きになっているような気がする。そんな中で、苦労して成功、おめでとうございます。
バンクーバーの33rd Ave.と Cambie St.の交差点からクイーン・エリザベス公園 Queen Elizabeth Park に入った。広い芝生に大きな木々が植えられたアプローチを歩いて、公園に入る。木製の橋からよく手入れされた庭園を見下ろす。
降りて行くと、滝があり、さっき通った橋が上に見える。
フキのおばけのような植物や、
しだれなんとかがあり、
そこかしこのツツジは大きな花が一面に咲き、派手一点張りだが、わずかに盛を過ぎている。
庭園から階段を登ると、ツツジの後ろの木に白い葉が混じっている。
近づいて見ると、あざやかな白い葉がちらほら。
足元には白い葉だけが落ちているので、枯葉が白くなるらしい。
先の方を見ると、白いモコモコが。
近づいてみると、白い花が満開だ。
さらに近づくと、小菊よりもっともっと小さな花の集合だ。
以前入ってそれほどでもなかった丸いドームの熱帯植物園をパスして進むと、人気のない広場があり、
脇を通り過ぎて、見晴らしの良いところへ行くと、3年前から、もっと左に寄ってと言っているカメラおじさんがいて、
何年もなかなか言う事をきかない3人組がダウンタウンを背景に立っている。
同じ方向を向く小さな釣鐘状の花を見て、脇道を進むと、
Seasons in the parkというレストランがある。
ここは眺めと味が評判で、かってクリントン、エリツィンの両大統領が会談したことで有名だ。昼飯にはまだ早いので、手前のカフェラウンジでコーヒーを頼む。
まだ人が少なく空いているので、奥まで行ってガラス越しに写真を撮る。ダウンタウンが一望できる。新しいコンパクトカメラの10倍ズーム、手ぶれ補正の威力だ。
帰りは、Cambie St. を公園に沿って北へ歩く。スカートをひきずったような木があり、
民家の庭にキバナフジがある。この近くのバン・ドゥーセン植物園はきっと見事だろう。
10分ほど歩いて、カナダ・ラインのKing Edward駅からRichmondに帰った。
今年の冬季オリンピックのアルペンなどのメイン会場となったウイスラーも、今は閑散としている。
Main Village の Village Square 当たりで昼食をとり、当たりをブラブラ。スキーを担いだ人を何人か見かけた。上の写真の右端がそうだ。
山の上の方では滑れるのだろう。マスコット人形も大幅に売れ残り大安売り。売り切れたら大変と、日本から電話して知人に買ってもらった人がいたかどうかは不明。
Upper village にまわり、3年前の7月に来たとき動いていなかったブラックコム Blackcomb のリフト乗り場へ行ったが、やはり動いていなかった。
さらばと、近辺にいくつもある湖のうちもっとも近くのLost Lake に行った。湖の入口近くにあるバス停は屋根もある立派なものだが、特定の名前がついていない。どんな小さな道路にも名前をつけるくせに、何故か?
林のなかを数分あるいて、Lost Lakeに着く。Rainbow Troutニジマスや、 Bull Troutが釣れるが、ライセンスが必要で、50cm以上の魚を一日4匹までという制約があると看板に書いてあった。
中央に伸びた桟橋が無くなった以外は3年前とあまり変っていない光景に安心しながら、湖畔を10分ほどブラブラして、
くつろぐ若者を背にUpper villageに戻り、知人の車でバンクーバーへ戻る。
途中Squamish のTantalus Lockout で休憩して山々を眺める。
緑のなだらかな山の向こうに雪を抱く青く見える高い山3つ。
下を覗き込むと、深い木々の間を流れる川も見える。心落ち着く光景だ。
当地では年に一度あるかないかという豪雨の中をバンクーバーへひた走る。どうやら小ぶりになったとき、北米一の一枚岩という岸壁の傍を通る。
Howe Sound(入江)は美しいが、上流のパルプ工場の排水で飲んではいけない水になってしまったという。
バンクーバーのリッチモンドに戻り、地元の人しかしらない小さな中華料理店で、おいしいおかゆなど夕食とした。
夕方、といっても夜の8時だが、リッチモンド Richmond の知人宅からオリンピックのアイススケートが行われた競技場へ。
華やかだった聖火台が孤独に耐えている。
翌日、ウイスラーへ。まず、ライオンゲートを通り、ウエスト・バンクーバーへ。
毎回感心するのだが、車線の上に赤や青の矢印があり、3車線の真ん中を混んでいる車線に切り替えるようになっている。この写真は午前10時頃だから、ダウンタウンへの登りは2車線で、我々の下りは1車線だ。◯から×に切り替えるときは、両方×にしてしばらく置いてから切り替える。
Howe Sound(入江)を左に見て、サイプラス山Cypressの西を回り込んで国道1号(州道99号)線をしばらく北走ると、雪が残る山が見えてくる。
さらに進むと、山々の頂がくっきり見えてくる。
途中の駐車場に車を止めて、シャノン滝を見物する。道端にゴミ箱がある。良くみかける形だが、指を差し込まないと開けられないようになっている。熊のゴミあさり防止のためと聞いた。
立て看板に「SHANNON FALLS PROVINCIAL PARk Value : $325,000」とある。32.5万ドルの価値とは、一体どんな計算方法なのか。
数分ほど歩くと木々の間に豪快な滝が見える。
上部から既に霧になっていて、すさまじい水量だ。
再び国道1号に戻り、ウイスラー Wistlerを目指す。
ようやくインターネットにつながり、アップできるようになった。成田から始める。
成田に向かう途中、遠くに日本一の高さになったという東京スカイツリーが見えた。学校の2階から見た徐々に高さを増す建設途中の東京タワーを思い出す。
成田に着くと、出発ロビーには対のゲイジュツが。座った熊と、立ち上がった熊?
約10時間の飛行中は、まったく眠らず、4本の映画を見る。エアカナダは、着陸後も飛行機を離れるまで映画を見られるのですばらしい。見た映画は日本語の吹き替えのあるもので、 “Transformers : Revenge of ・・・“、“ The lovely Bones” 、“ The Hangover” の3本。
吹き替えなしで見たのは、話題の “Avator” 。二次元では見る価値がない映画。
“Transformers・・・” はわざわざ大人が見るような映画ではなかったが、最後まで見てしまった。
“The lovely Bones”は、主人公がまっさきに死んでしまいこの世と天国の間に留まるという変な映画。
“ The Hangover” は、「二日酔い」の意味で、結婚前夜に新郎と友人が集まってバカ騒ぎをするバチェラーパーティの後の話。ラスベガスで目を覚ますと、ホテルの部屋に鶏、トラ、赤ん坊がいて、厳しい婚約者のいる男は前夜ストリッパーと結婚してしまったらしい。ドタバタだが、これが一番面白かった。
バンクーバー空港は、オリンピック前と変わらず(もとに戻った?)。
外に出ると、新しくできたCanada line の空港駅があり、けっこう電車も来る。
お世話になる知人宅のブーゲンビリアが色鮮やか。
三浦しをん著「ビロウな話で恐縮です日記」2009年2月、太田出版発行を読んだ。
著者が2007年1月1日から2008年8月30日まで続けたブログ「ビロウな話で恐縮です日記」を取捨選択し、脚注をつけたものだ。
太田出版という会社はお笑い系芸能事務所の太田プロダクション出版部から独立した会社で、サブカルチャー系の出版が多いようだ。この本も変な人、三浦しをんがオフザケ・テクニックを駆使して書いた日記だ。
そうか、だから仕事がはかどれないのか。
幸せだと感じた瞬間に不幸になることを思い、不幸なときにはとことん不幸について考える。根がネガ。シャレかよ、やめろよ。
このたぐいの「自分ツッコミ」が多い。
私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)
ブログでざっと眺める内容で、三浦さんのプライバシーに興味ある人以外は本で読むほどのものでもない。しかし、この人、大変ユニークで、読むと興味が湧いて、著書も読みたいし、本当の人柄なども知りたくなってしまった。
18日昼過ぎに成田へ行き、久しぶりにバンクーバーへ発つ。26日帰国予定で、パソコン持参してあちらからも写真をアップするつもりだ。
今日朝から午前中に荷造りしなければいけないので、今日は簡単に済ませた。
桐島洋子著「未来のおとなへ語る わたしが家族について語るなら」2010年3月、ポプラ社発行を読んだ。
各界の著名人が小学校高学年から中学生に向けて語る「未来のおとなへ語るシリーズ」のうちの一つだ。
冒頭に子どもの頃の家族写真から、現在の3人の子どもとの写真まで14枚並んでいる。内容も戦前の上海での生活から、現在の子どもたちとの生活、関係まで自分の人生の中で家族について語っている。
『マザー・グースと三匹の子豚たち』や、『ガールイエスタデイ -わたしはこんな少女だった-』(1999年2月フェリシモ出版(絶版))で読んだ話が多いが、相変わらず桐島さんのあっぱれな決断力、行動力に驚く。
胸にパッドを入れて、ハイヒールを履いて前傾になり、膨らんだお腹を隠して予定日の2ヶ月前まで勤務していた。第二子は、お金がないので、船上の医療行為は当時船賃に含まれていたことを利用して、ソ連からヨーロッパへ、そしてマルセイユから船に乗り、予定通り船上で出産した。
3人の子どもを抱えて外資系に就職したとき、子ども3人を引き連れてホテル・オークラへ行き、ロビーに放牧して自分は会社へ出勤。数時間おきに見に行った。
アメリカの親は子どもについて、”get rid” (片付ける=厄介払いのニュアンス)と良く言っていた。もう親のコントロールが効かない高校生が16歳で車の免許をとる。そこで、親は嘆く。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
大人では、よほどの桐島ファンでなければ、読むような本ではない。ただし、一頁に385字と大きな字がスカスカで、ちょっとした漢字にはふりがな付き、ややこしい表現なしと、年寄り向きでもある。
桐島さんにお会いしたとき、「私は子どもたちを放任していたから、娘のかれんは反発もあって、朝早く起きて子どもたちの弁当を作るなどこどもべったりの生活をしている」というようなことを話していた。
桐島洋子
1937年東京生まれ。作家。1972年『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。以来著作・テレビ・講演などで活躍しながら、かれん(モデル)、ノエル(エッセイスト)、ローランド(カメラマン)の3児を育て上げる。50代で子育てを了えてからは、“林住期”を宣言。仕事を絞り、年の数カ月はカナダで人生の成熟の秋を穏やかに愉しむ。70代からは日本で、マスコミよりミニコミを選び、東京の自宅にオトナの寺子屋「森羅塾」を主催している。
はじめに ―自立して生きるということ
第1章 私はこんな家庭で育った
私のルーツ―多国籍、多民族の上海
父母が熱中していた芸術三昧の日々
学校になじめない中学生活
第2章 親という巣から羽ばたく
とんでもない冒険―仕事も子どもも持つという選択
仕事に復帰、そして第二子出産へ
フリーランス記者としてベトナム取材
子どもたちの父との決別
第3章 家族がいて、一緒に暮らす楽しみ
職業人としての責任、親としての責任
私の恋、そして別離
子どもと存分につき合いたい!―一年間のアメリカ暮らし
家事能力、生活能力を身につけさせる
日本に帰りたくない!
第4章 私が考えるこれからの家族
親と子の距離―子どもの親を見る眼
私の結婚、そして親子生活卒業
元親子の友だちづき合い
これからの理想の住まい方
ベイツは難聴のため早期退職したさえない言語学の元大学教授。自由きままな生活を楽しむつもりが、難聴の悪化、ボケだした父親宅訪問が重なり、ぼやくことが多くなる。しょっちゅう補聴器を忘れたり、壊したり、聞こえたふりしてまずい立場になるドジが多い。おまけに、ベイツが再婚した妻のフレッドは趣味のインテリア事業で成功し、妻の社交のお供も辛い。
そこに「遺書の文体分析」という博士論文の指導を求めるセクシーで虚言癖のある女学生が現れ、余計混乱する。そして、最後の方は、アウシュヴィッツ訪問や先妻死という深刻な話になる。
一つだけ、引用する。
デイヴィッド・ロッジ David Lodge
1935年ロンドン生まれ。「コミック・ノヴェル」の大家であり、世界中に多くの愛読者を持つ、英国を代表する作家。バーミンガム大学英文学名誉教授。
邦訳小説作品『大英博物館が倒れる』、『交換教授』、『どこまで行けるか』、『小さな世界』、『楽園ニュース』、『恋愛療法』、『胸にこたえる真実』、『考える…』、『作者を出せ!』(以上、白水社)、『素敵な仕事』(大和書房) 邦訳研究書『フィクションの言語 イギリス小説の言語分析批評』(松柏社)、『バフチン以後 〈ポリフォニー〉としての小説』(法政大学出版局)、『小説の技巧』(白水社)
訳者:高儀進(たかぎ すすむ)
1935年生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。翻訳家。日本文藝家協会会員。主要訳書~D・ロッジ『大英博物館が倒れる』、『交換教授』、『どこまで行けるか』、『小さな世界』、『楽園ニュース』、『恋愛療法』、『胸にこたえる真実』、『考える…』、『作者を出せ!』(以上、白水社)、『素敵な仕事』(大和書房)
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
英米文学には「キャンパス・ノベル」というジャンルがあるらしいが、著者は本作を「リタイヤメント・キャンパス・ノベル」と呼んでいる。確かに、大学内の話も出てくるが、キャンパスものというより、退職後の、体に不便を覚え始める高齢者の話の方にウエイトがある。
難聴による行き違いから生ずるとんでもない誤解やストレス、さらに老いて頑固な父親をめぐる哀しい物語だが、同時にユーモラスに「老い」、「死」を語っている。落ち込んでいく自分に比べ、平凡な主婦から成功した実業家になった元気な妻が、変わらずやさしいので救われる。
380ページは長すぎる。若干の謎、愉快なボヤキ、行き違いもあるが、どうして欧米の作家はこんな長い小説を書くのだろう。くたびれてついて行けない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2d/8f27b32881a304ef51440339173f72a2.jpg)
まだ、たっぷりと雪をかぶっている。富士山を見ると、汚れた心も洗われるような気分になれる。
しかし、上の写真は、画像ソフトで電線やTVアンテナを消したものでした。実際に10倍のズームで撮れた写真は、これだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/62/3f51ec077a9b3dbce54c73ea9fa60a35.jpg)
インチキではありません。最初の写真は私の心象風景なのですから。
角田光代、井上荒野、栗田有起、唯野未歩子、川上弘美著「女ともだち」2010年3月、小学館発行を読んだ。
女性作家5人が、派遣社員の女ともだちを描く。唯野未歩子の「握られたくて」(「きらら」2009年9月、10月号)以外はこの本のために書かれた書下ろしだから、なかなか面白い企画だ。
主人公は誰もが「派遣」。仕事や恋をからめた「友だち模様」が、じんわりとくっきりと描かれた魅力たっぷりの小説集。
「海まであとどのくらい?」角田光代
派遣先でお昼を一緒に食べていた仲間が5年ぶりに集まる。5年前はそれぞれ思うところあり、派遣である今の状態は仮の姿だと思っていたが。
「野江さんと蒟蒻」井上荒野
職場に派遣されてきた野江さんのお弁当の蒟蒻(こんにゃく)がおいしそうで、彼はつい声をかける。婚約者は、ビーフストロガノフ、ミートローフなどばかりを作る。彼は家庭ではもっと単純なものが食べたいのだが、口に出せない。彼の家の近くで偶然野江さんに会い、怖ろしいことになる。
この作品だけが、男性目線で描かれている。
「その角を左に曲がって」栗田有起
最下層の総務の片隅にいる派遣の私が、最上階の海外事業部で働く絵に書いたようなキャリアのひとみさんとトイレで偶然に知り合う。体の左側ばかり怪我をするというひとみさんとときどき食事をするようになり、厳しい現実を知る。
「握られたくて」唯野未歩子
30歳が近づく私は焦り、幼馴染の旦那の親友を紹介してもらう。しかし、彼は鮨屋で私は刺身が食べられない。4人で釣りに行くことになり、ますます悲惨な状況になっていく。主人公の女性のしゃべりが面白い。やはり女性でなければ書けないしゃべりだ。一方、女性陣の意向を考えもしない男たち。奥様にいつもそう言われている私には心強い話だったのだが。
「エイコちゃんのしっぽ」川上弘美
私は、同じ派遣会社に属するエイコちゃんのしっぽに触らしてもらう。私が派遣先の男性からセクハラを受けたときに・・・。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
15行×40字のスカスカで、153ページ。しかも、会話、改行が多い。数時間でさらりと読める。図書館から借りた本が溜まっている私にはありがたい本。もちろん、気楽に楽しめる。角田さん、川上さんはいつものように良いのだが、井上さんの話は本当に怖いし、私は初めての栗田さん、唯野さんも、それぞれいい味を出している。
派遣の女ともだちというとおおよそ想像できるような内容だが、イジメなどの暗い話はあまりなく、つきつめた深い話も、大感動もないが、著者が楽しんで書いているからだろうか、ネアカに女性たちの話が楽しめる。男性からみても女性間のさっぱりした友情は良いものだ。
角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞、1996年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、1998年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、1999年「キッド・ナップ・ツアー」で産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年路傍の石賞、2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞、2005年「対岸の彼女」で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞を受賞。2005年作家の伊藤たかみさん結婚後、離婚し、2009年ミュージシャン河野丈洋と再婚。
井上荒野(いのうえ・あれの)
1961年生れ。1989年「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞、2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、『切羽』で直木賞を受賞。
栗田有起(くりた・ゆき)
1972年生れ。2002年『ハミザベス』ですばる文学賞受賞。
唯野未歩子(ただの・みあこ)
1973年生れ。2005年初の監督映画「三年身籠る」の原作を執筆し小説家デビュー。
川上弘美の略歴と既読本リスト
山崎ナオコーラ著「この世は二人組ではできあがらない」2010年2月、新潮社発行、を読んだ。
主人公は失われた世代の1978年生まれの女性。大学を出て、専門学校に通い、本屋のアルバイトや契約社員として働きながら、小説を書いて賞に応募する。一学年上の、つかず離れずの恋人がいて、彼との関係が淡々と語られ、ドキュメンタリー風に話は進む。
彼が「つき合って」と言い、彼女が「はい」と返事するところで、解説がある。
彼女は彼を好きなのは間違いないのだが、その距離感、自立心が微妙だ。
私は自分のことを家庭的だとは言われたくなかった。
恋人というのは運命の結びつきというようなものでは決してなく、お互いがそれぞれに生きているだけで、ただ寄り添うということに過ぎないのだ。
つき合っているときにこう考えていては恋愛はできない。結婚してからこう考えることは必須なのだが。
初出:「新潮」2009年12月号
表紙の絵が奇妙だ。表紙が草原での爆発、裏が海での爆発の絵だ。「装画 会田誠 『たまゆら(戦争画 RETURNS)』とある。何で戦争画なのか?
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
なんということも無く、これで恋愛?と思うような恋愛小説だ。まだ今の日本では、独立心の強い女性の恋愛は困難な点が多いと思う。そして、結局、以下ネタバレなので、白文字で書く。
「J-POPの世界に生きているわけじゃない、二人ぽっちじゃなかった。みんなでいきているのだ。私は凛とし始めた」と割り切り、ついに新人賞を受賞して、「二人の間の愛情よりも、自分の社会的使命を選ぶ人もいる」と踏み切ることになる。
山崎さんの自伝じゃないかと思われるほどで、大学はたまプラーザと渋谷といえば、山崎さんの出身大学、国学院だろうし、心当たりの場所がでてくる。特に、彼氏の住むアパートが「美しが丘」で、グランドが見えるなどと言うと、知人の家のすぐ近くかと変な興味で読んでしまった。
山崎ナオコーラは、「微炭酸ホームページ」(本人のHP)によると、
埼玉県で育ち、
東京都に在住。
國學院大學文学部日本文学科卒業後、
会社員をしながら書いた「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を受賞し、2004年から作家活動を始める。
ちなみに「山崎ナオコーラ」は本名であり、ラテン語で「人生は無駄ばかり」という意味。
というのは冗談で、本当の本名は山崎直子。
2004年「人のセックスを笑うな」で芥川賞、2006年『浮世でランチ』で野間文芸新人賞、2008年「カツラ美容室別室」で芥川賞、『論理と感性は相反しない』で野間文芸新人賞、2009年「手」で芥川賞候補、『男と点と線』で野間文芸新人賞、2010年『この世は二人組ではできあがらない』で三島由紀夫賞のいずれも候補で、「無冠の帝王」とも呼ばれる。
石原慎太郎は、「名前を何とかしないと。ふざけている」というような批判をしていた。なら、二葉亭四迷はどうなんだと言いたい。
帯にはこうある。
あなたは何を失いましたか?
喪失の悲しみの胸に、さしてくる希望の光。あなたにわきあがる優しい愛、せつない涙。
夜間飛行
都合のよいときだけ黙って訪れる歳下の男性。職場でも居心地悪くなる44歳の満たされない想い。
最後のシーンが良い。以下、白字(読みたい人はマウスなどで選択すると読める)
高いわりにはしおれかかったバラの花束を買って帰り、自宅のマンションの外廊下から見上げると赤い灯を点滅させる小さな飛行機が見える。「夜間飛行」とつぶやいて見えない闇を進む飛行機に花束を高々と掲げる。
風変りな女の子
大学卒業後、20年目の集まりに九州から上京する男性。かって密かに恋した風変わりな女性は、今は華やかに活躍している。再会への期待、希望に落ち着かない4人の子持ちの電気店店主。彼女の方は?
人なつこい
恋人が去り、寂しさはないと思っていた男性が、野良猫を飼うはめになって、愛が見えてくる。
夜ごとの美女
パリの裏通りに夜毎に現れる古めかしい衣装をまとった美しい女性。思い続けて年老いた男性は・・・というメルヘン。
春の小夜
商店街で小さな本屋を営む中年男は、万引きしようとした高校生の少女の境遇を知る。妻と離婚間近な男性と女子高校生の交流の行方は?
「春の小夜」は書下ろし、他は「小説宝石」などの掲載作を改題。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
暮れようとする人生が切ないが、かすかに希望の光がみえるような気がする。ささやかだが、しんみりした話で、光には陰があり、陰には遠くに灯火が見える。いや、見えるはずなのだと著者は書き、人生の秋を迎えている私達もそう信じたい。
冒頭が、「目ざめると、ベッドに英二がいなかった。脱がされたまま眠った実咲の体が冷えていた」だった。「性愛論」などもある松本侑子さんの本だから、「これはヤバイ、止めなきゃ」と思いつつ、期待は高まりつつ、念のため読み進めると、あとは普通。いやもちろん、安心しました。
松本侑子(まつもと・ゆうこ)は、1963年出雲市生まれ。筑波大学卒、政治学専攻。テレビ朝日系列「ニュースステーション」出演をへて、1987年に『巨食症の明けない夜明け』(集英社文庫)ですばる文学賞、2010年、評伝小説『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』で新田次郎文学賞受賞。英検1級。
松本さんがニュースステーションのお天気お姉さんとして出演していたとき、スバル文学賞を受賞した。久米さんが、「プロデューサーが、『彼女の原稿をチェックしずらくなった』とぼやいている」と言ったのを思い出す。もう、23年前のことになるのか・・・。
日本とカナダの友情の証として戦争中薄暗い電燈の下で翻訳を続けたという村岡花子訳の『赤毛のアン』は名訳として知られるが、省略箇所などがある。松本侑子さんは、英米文学からの引用を詳解した全文訳『赤毛のアン』の翻訳本を出した。彼女は翻訳家といえるが、この文庫本を読もうとした私には、彼女は英米文学者にも思える。
この項の参考:「赤毛のアン展を見る」
離婚経験があり、今はパートナーと事実婚をしている松本さんは、「恋愛と自立の幸福論 松本侑子さんンインタビュー」で、こう言っている。