hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 上下』を読む

2014年01月30日 | 読書2

ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄 上下』(草思社文庫2012年2月発行)を読んだ。

本書は「なぜ人類には民族によって文明格差があるのか?」「なぜ人類は五つの大陸で異なる発展をとげたのか?」という疑問に対し、考古学など歴史考察や、分子生物学、言語学など科学的調査結果から、人種や民族に優劣は無い。地形や動植物相を含めた「環境」が格差を作っただけだ、と結論している。
著者による一文要約は、「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」
ピュリッツァー賞受賞作。

密林で狩猟・採集生活をしている人々は、そこで生きるための豊かな知恵をもっている。だが、これは外の世界では通用しない。他文明を征服できるような技術が発達する条件は定住生活にある。植物栽培や家畜の飼育で人口は増加し、余剰生産物が生まれる。その結果、役人や軍人、技術者といった専門職が発生し、情報を伝達するための文字も発達していく。

4万年前、オーストラリア先住民たちは、その他の大陸の居住民たちを、大きく一歩リードしていた。しかし、農地に適さない土地で、彼らはその後も狩猟民族であったため、技術が発展しなかった。また、地理的孤立が発展を阻害した。

アメリカ、オーストラリア、アフリカと決定的に違い、ユーラシア大陸(ヨーロッパを含む)は栽培可能な植物、家畜化できる動物にもともと恵まれ、さらに、地形的にも、他文明の技術を取り入れて利用できる交易路も確保されていたというわけだ。また、家畜と接することで動物がもたらす伝染病に対する免疫力も発達していた。

過去の戦争で勝利したのは、かならずしももっとも優れた将軍や武器を持った側ではなかった。過去の戦争において勝利できたのは、たちの悪い病原菌に対して免疫を持っていて、免疫のない相手側にその病気をうつすことができた側である。

アフリカ大陸は南北に長く、気候・生態系などが異なるため技術拡散が困難であり、東西に長く交流容易なユーラシア大陸に遅れをとり、ヨーロッパ人に植民地化されることになった。

肥沃三日月地帯や中国は、ヨーロッパの数千年先を行っていた。肥沃三日月地帯は、森林を伐採し農地化したが、降雨量が少ないので砂漠化、灌木化してしまった。中国は、船団派遣を中止し外洋航海を禁じた。政治的に統一されていて国内の競争もないため技術開発から手を引いてしまった。

タイトルは、ヨーロッパ人が他民族と接触したときに「武器」になったものを表している。

初出:2000年発行本の文庫化、原題:GUNS, GERMS, AND STEEL The Fates of Human Societies



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

読了しての率直な感想として、評判ほどの本ではなかったな、という感じ。
地理的、環境的な差異が、文明・技術の発達の差の原因であるとの結論が強引で、単純過ぎる。主張には基本的に納得できるのだが、他の説との比較検討などがなく、あまりにも一方的だ。
そして、同じような論調が延々と続く。このブログに感想を書く本は飛ばし読みしないのだが、正直この本は飛ばしながら斜め読みしてしまった。

この本には、単行本刊行後、文庫本発行後に原書2005年版に追加された 「日本人とは何者だろう?」 という章が追加されていない。しかし、以下で全翻訳を読むことができる。
山形浩生氏「ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』2005年版追加章




ジャレド・メイスン・ダイアモンド Jared Mason Diamond
1937年ボストン生まれ。進化生物学者。カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。ノンフィクション作家。ニューギニアを中心に長年フィールドワークを行っている。
本書『銃・病原菌・鉄』で1998年度のピューリッツァー賞(一般ノンフィクション部門)、他に『人間はどこまでチンパンジーか』(新曜社)、『セックスはなぜ楽しいか』(草思社)など

倉骨彰
早稲田大学卒業。テキサス大学オースチン校大学院言語学研究科博士課程修了。数理言語博士。同校で自然言語処理等を研究。訳書に、デビッド・セダリス『すっぱだか』のほか、アーサー・ブロック『マーフィーの法則―現代アメリカの知性』、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』『昨日までの世界』ダニエル・ヒリス『思考する機械コンピュータ』など多数。著書には『ビジネス英文メールの鉄則』『怪我と病気の英語力』など。




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Cafe Fredy でランチ

2014年01月28日 | 食べ物
吉祥寺・東急の3Fで早めのランチと一休み。

Cafe Fredyは銀座が本店で、吉祥寺、立川に店がある。
カフェとグッズを売る店が隣接している。



3種ベリーのフレンチトーストは、吉祥寺店のみの限定メニューだ。



「苺・ラズベリー・ブルーベリーで作ったジャムをフレンチトーストにたっぷりふりかけました。
 温めたホワイトチョコレートのソースをお好みでかけてお召し上がりください。」        とある。
いかにも女性好みで、店内唯一の男性が私め。



¥1,050で、飲み物とセットで¥1,350
セットの飲み物で注文したのは、




フルーツティーのフルーツガーデン(赤色)と、



エキナセアジンジャー(多分)



とくに、フルーツティーが好評で、再度来店が御下命されました。

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奥田英朗『噂の女』を読む

2014年01月26日 | 読書2

奥田英朗著『噂の女』(2012年11月新潮社発行)を読んだ。

中古車店に毎日クレームをつけに来る中途半端な3人組、
仕事後の麻雀と図書館でのさぼりで憂さ晴らしの営業マン、
料理教室の食材の品質の悪さに陰で不満を言う女たち、
老いた父が若い女と結婚し財産とられると画策する子供たち、
失業保険で暮らしながらパチンコで時間をつぶす女、
母から家に入れる金を増やせと言われる保育士、
改革を目指す青年副社長を抑え込む談合・癒着の弱小建設会社組合、
寺から突如高額の寄進依頼にあわてる檀家たち、
悪い女を立件できそうなのに上司に待ったを食らう刑事、
再来週のスカイツリー入場券入手という無理な要求を受ける県会議員秘書。

鬱屈した日々を送る彼らの前に現れた黒い噂が流れるちょっと艶っぽいイイ女・糸井美幸。
恵まれない家庭で、目立たない子だったが、短大で急に色っぽくなり、男あしらいに天性の巧みさを発揮。
中古車の販売店の事務員で社長の愛人、雀荘のバイトで金持ち老人をコロがして年の差婚、料理教室では姐御肌で交渉役。建築会社社長の愛人、ダンナの保険金で柳ケ瀬の高級バーのママ、そして由緒ある寺の檀家(だんか)総代へと、
次々に姿を変える美幸って、いったい何者?

「噂の女」糸井美幸で繋がる10篇の物語。
初出:「yom yom」13・16・18~23号、「小説新潮」2012年5月号・7月号



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

内容としては、すべてトントン拍子にうまく行き過ぎるので三つ星だが、著者が悪女ぶりを楽しんで書いているのに乗って調子良く読み進められる。

平凡な結婚をして、子供を二人産んで、小さな建売住宅を買って、家事と育児とローンに追われて、田舎の女はそういう人生の船にしか乗れんやん。でも糸井さんは、女の細腕で自分の船を漕ぎ出し、大海原を航行しとるんやもん。金持ちの愛人を一人殺すぐらい、女には正当防衛やと思う。

まわりの男女がしょぼいだけに、彼女の気持ち良いくらいの悪女ぶり。具体的描写ではなく、周辺の噂話が悪女ぶりを肥大化させる趣向だ。何人もの男をだまし、殺し、報道された悪女を思い出して、糸井美幸像を読者が作り上げてしまう。

地方都市のしがらみ、いやなところだけが満載されていて、どうなの?
人物もわざとえげつなく描写している。
北島雄一は・・・わざわざ三流の烙印を捺されに入ったような名もない私大の経済学部で/後藤は生来のかめつい男だった。私腹を肥やすことに余念がなく、偽の経費を計上しては千円単位の金を懐に入れていた。・・・何かを得たときは、狐のように目を細め、イヒヒと笑った。



奥田英朗(おくだ・ひでお)
1959年岐阜市出身。雑誌編集者、プランナー、コピーライターを経て、
1997年「ウランバーナの森」で作家デビュー。第2作の「最悪」がベストセラーになる。
2002年「邪魔」で大藪春彦賞
2004年「空中ブランコ」で直木賞
2007年「家日和で柴田錬三郎賞
2009年「「オリンピックの身代金」で吉川英治文学賞受賞
その他、「イン・ザ・プール」「町長選挙」「マドンナ」「ガール」「サウスバウンド」など。



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津村紀久子・深澤真紀『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』を読む

2014年01月20日 | 読書2

津村紀久子・深澤真紀著『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』(2013年4月紀伊國屋書店発行)を読んだ。

派遣やニートを代弁し、ロスジェネ世代の作家と言われ、最初の会社をパワハラで退社した芥川賞作家津村記久子さんと、
「草食男子」の名付け親のコラムニストで、バブル世代の剛腕マスコミ人だが、虚弱体質な深澤真紀さんが、
女子力無・世間知らず・不器用・KYなままでも、何か一つの取り柄だけでなんとか社会で生き延びていくための技術を語り尽くす。
世間が押しつけてくる価値観に過剰に反応して、適応できず、世の中を上手に渡っていけない女性に捧げる「ダメ道」推奨対談集。

日経ウーマンオンライン人気連載に、未公開対談を大幅に加え単行本化。

仕事編(大人だから耐えてやってるんだよ、調子のんなよ!;女子力のなさを商品価値にできてありがたいです;すみません、バブル世代がご迷惑おかけして;これはもう、とにかく逃げるしかない ほか)
生活編(血縁ってそんなにありがたいですかね;うまくいかない家族関係は諦めたほうがいい;家族の呪いから解放されるためには;娘へのアドバイスという名の呪い ほか)

女子たちを理不尽に苦しめる、さまざまな呪縛として挙げられているのは、
普通の人と普通の結婚がしたい/パーフェクトな女子であるべき/娘へのアドバイス/子供がいないからわからない/女とは面倒な生き物である/前から歩いてくる女全員を値踏みする女/おもろい女はモテない/私のこと好きな男なんて、すてきな人じゃない/ という呪い



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

お二人の極端に個性的な話はおもろいのだが、250頁も延々とおしゃべりが続くとうんざり。

津村 「いつもありがとうございます」って気に入っていたビビンパ屋で言われて、もう行かなくなった。・・・
深澤 私も自意識過剰で人見知りなので、常連扱いされると、すぐ心のブラインドがパサッと下ります(苦笑)。

深澤 味方をつくろうとするんじゃなくて、私のことを見てくれてる人がなんとなくいるというゆるいままの状態が大事。仲良くなろうとしてお掃除のおばさんにおみやげを買う、みたいなことになると、お掃除のおばさんに逆に支配されたりするからね。仲良くなるのと「支配・被支配の関係」は紙一重だから。

まあ、わかるような気がするが、ちょっと極端じゃない?

通帳に記帳すると安心する深澤さん、洗濯していると自分の人生でいちばんマシなことしていると思う津村さん。女子力ないというが、やはり女性らしいところあるなと思う。

「私に直してほしいところある?」と、学生時代から20年も一緒にいる夫に聞いたら、「ん?・・・性格?」って言われた深澤さん。性格って!

パソコンのフォント(字体)で盛りあがる二人。
津村 私、MSゴシックからメイリオに変えたときめっちゃ仕事すんの楽しかったですもん。
深澤 メイリオ! 私もメイリオについては一家言ある。すべてのパソコンをメイリオに変えてます(笑)。

やっぱ、この二人、普通じゃない。でもわかるけど。



津村記久子(つむら・きくこ)
1978年大阪府生まれ。小説家。大谷大学文学部国際文化学科卒業。
会社勤め→失業→会社勤めを経て、
2005年『マンイーター』(改題『君は永遠にそいつらより若い』)で太宰治賞
2008年『ミュージック・プレス・ユー!!』で野間文芸新人賞
2009年『ポトスライムの舟』で芥川賞
2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞受賞

深澤真紀(ふかさわ・まき)
1967年東京都生まれ。コラムニスト・編集者。企画会社タクト・プランニング代表取締役社長。
早稲田大学第二文学部社会専修卒業後、複数の会社で編集者を務め、
1998年企画会社タクト・プランニングを設立
「とくダネ!」(フジテレビ系列)にコメンテイターとしてレギュラー出演。
「草食男子」を命名し、2009年新語・流行語大賞トップテンを受賞

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藤野恵美『ハルさん』を読む

2014年01月18日 | 読書2

藤野恵美著『ハルさん』(創元推理文庫Mふ51、2013年3月東京創元社発行)を読んだ。

裏表紙にはこうある。
(瑠璃子さん……今日はね、ふうちゃんの結婚式なんだよ。まさか、この僕が「花嫁の父」になるなんて……)結婚式の日、ハルさんは思い出す、娘の成長を柔らかく彩った五つの謎を。心底困り果てたハルさんのためにいつも謎を解き明かしてくれるのは、天国にいる奥さんの瑠璃子さんだった──児童文学の気鋭が、頼りない人形作家の父と、日々成長する娘の姿を優しく綴った快作!


冒頭は、ハルさん(春日部晴彦)が亡き妻瑠璃子さんの墓参りを終えて、一人娘ふうちゃん(風里)の結婚式に向かうシーンで始まり、タクシーの中でふうちゃんが幼稚園のときのお天気雨(狐の嫁入り)に驚いたときの回想シーンとなる。そして、そのまま幼稚園時代の第1章「消えた卵焼き事件」が始まる。
以下、章の終わりで結婚式直前のシーンに戻り、回想シーンから次の章では、ふうちゃんが小学生、中学生と章を追う毎に成長し、次の章に入っていく。そして最終章では、ふうちゃんは大学生で、やがて結婚式の場面で最後になる。



第一話 消えた卵焼き事件
幼稚園生のふうちゃんは、探偵の衣装を作ってと言う。仲良しの隆君のお弁当の中の卵焼きがなくなり、ふうちゃんが疑われているという。ハルさんは、瑠璃子さんの天の声に導かれて、事件を解決す。

第二話 夏休みの失踪
小四のふうちゃんは、植物図鑑を欲しがったり、植物や自然に関心があるようだ。「自分に合わない場所にいるのは、大変?」とつぶやき、しばらく後に、ふうちゃんは突然いなくなってしまった。

以下、第三話「涙の理由」では、ふうちゃんのいじめ疑惑が、第四話「サンタが指輪を持ってくる」では高校生のふうちゃんが花屋のバイトし、怪我して入院し、その病院の消灯時間の謎が明かされる。第五話「人形の家」ではハルさんの作った人形の取り換え事件が起こる。

2007年発行の単行本の文庫化



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

高校生向けのようで、気楽に軽く楽しく読める。殺人などもなく、悪人の登場せず、謎も些細な日常ミステリーで、良い意味で“ゆるい”小説だ。
主体は、人付き合いが苦手で人形作りに熱中する父と、歳と共に父と距離を置く娘との愛情物語で、このあたりの気持ちと言葉のやりとりは良く書けていて心が温かくなる。



藤野恵美(ふじの・めぐみ )
1978年大阪府生まれ。児童文学界注目の俊英だそうだ。
2004年に『ねこまた妖怪伝』でジュニア冒険小説大賞を受賞しデビュー。
主な作品は、〈怪盗ファントム&ダークネス〉シリーズ、『ゲームの魔法』
その他、『紫鳳伝 王殺しの刀』『七時間目の怪談授業』『七時間目の占い入門』『妖怪サーカス団がやってくる!』など。

本書のあとがきで語っている。
度重なる夫のDVに耐えかねたのだろう、著者の母親が子供たちの眠る家に火をつける事件を起こした。父親が暴力をふるう人だったからこそ、その反動として、ハルさんというキャラクターを設定し、有り得たかもしれない幸福な子供時代を描いた。子供時代の家庭環境からまっとうに子育てできる自信がなく、子供を持つことなどないだろうと思っていたが、この作品を書いたことで心境に変化があり、今、3歳の息子がいるという。


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島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』を読む

2014年01月16日 | 読書2

島田裕巳著『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書326、2013年11月発行)を読んだ。

裏表紙にはこうある。
日本全国の神社の数は約8万社。初詣、宮参り、七五三、合格祈願、神前結婚……と日本人の生活には切っても切り離せない。また伊勢神宮や出雲大社などの有名神社ばかりでなく、多くの旅程には神社めぐりが組み込まれている。かように私たちは神社が大好きだが、そこで祀られる多種多様な神々について意外なほど知らない。数において上位の神社の中から11系統を選び出し、その祭神について個別に歴史と由緒、特徴、信仰の広がりを解説した画期的な書。


全国の神社数 平成22(2010)年版『宗教年鑑』文化庁宗務課による
 86,440社   Cf. 仏教寺院は82,346寺
街角にひっそり、あるいは企業などが屋上に祀るなど、宗教法人として認証を受けていない「小祠」を加えると14万から15万社という人もいる。
明治時代に「神社整理」が行われ、複数の神社を一つに合祀し、19万3千社が11万余りに減った。

八幡信仰 7817社 八幡神社、八幡宮、若宮神社
八幡神は「古事記」「日本書紀」といった日本神話には登場しないで、歴史の舞台に忽然と登場する。八幡神はもともと新羅の神であった可能性が高い。
その後、八幡神は応神天皇と集合し、皇祖神となった。8世紀の初めの時点で宇佐に祀られた八幡神が朝廷にとってかなり重要な存在になっていた。宇佐八幡宮、そして岩清水八幡宮と八幡信仰が広がり、源氏、足利氏、徳川氏の氏神として武士の崇敬を集めた。
八幡神は八幡大菩薩となり仏教の仏ともなり、近世まで続く神仏習合の時代の象徴となった。そして、各地で一般民衆が八幡神を勧請して、地域の氏神として祀った。

伊勢信仰 4425社 神明社、神明宮、皇大神社、伊勢神宮
伊勢神宮(正式には「宗教法人神宮」)は、皇室の祖先とされる天照大御神を祀る内宮(「皇大神宮」)と、豊受大御神を祀る外宮(「豊受大神宮」)と、別宮、摂社、末社、所管社など125社からなる。
伊勢神宮の原型にあたるものは、当初は大和にあり、近江国、美濃国を経て現在の伊勢国に移った。

天神信仰3953社 天満宮、天神社、北野神社
歴史上の人物、菅原道真を神とする。人を神として祀るのは、生前の偉大な働きを顕彰する場合と、恨みを持って亡くなった人物の祟りを鎮める場合がある。道真は異例ともいえる大出世し、突然左遷された。そして死後、災厄が続き、祟り神、怨霊神となったが、のち生前の行いの評価から、学問の神、書道の神となった。

稲荷信仰 2790社 稲荷神社、宇賀神社、稲荷社
摂社、末社や街中の小詞を数えれば膨大となり、稲荷社が一番多くなる。
渡来人の秦氏が伊奈利と呼ばれる穀物の神を祀っていた。当初は本殿がなく、「神体山」と呼ばれる山や、神が鎮座する場所「磐(いわ)座(くら)」が御神体だった。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

さらっと読んで、神社の種類、由来や、祭神について一応頭に入れるには適当な本だと思う。そのために、もう少し簡潔に書いて欲しかったが。

タイトルの「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」という疑問に明確には答えていない。上に書いたように複合的原因なのだからしかたないのだが。この例のように、不明快な話、諸説併記が続くので、くたびれてしまう。長い時間の中で、神仏習合、離合、合祀を繰り返し神社の歴史は複雑だ。大きな流れだけとらえようとする著者に試みは評価できるのだが。

この本では、祭神、古事記、日本書紀などは比較的要領よく説明している。しかし、私もそうだが、多くの人は、祭神が誰かなど意識しないで神社をお参りしているのだろう。大多数は縁結び、合格などのご利益だけを意識して神社を選んでいると思う。しかも、古事記などに登場する神の名前は長ったらしく、複数あったりしてわかりにくい。



島田裕巳 (しまだ・ひろみ)
1953年東京都生まれ。宗教学者、文筆家、東京女子大学非常勤講師。
東京大学文学部卒業、同大学大学院人文科学研究会博士課程修了(専攻は宗教学)。日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。
おもな著作に、『葬式は、要らない』、『日本の10大新宗教』、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』、『創価学会』などがある。


目次
日本の神々と神社
八幡―日本神話に登場しない外来の荒ぶる神
天神―菅原道真を祀った「受験の神様」の謎
稲荷―絶えず変化する膨大な信仰のネットワーク
伊勢―皇室の祖先神・天照大御神を祀る
出雲―国造という名の現人神神主の圧倒的存在感
春日―権勢をほしいままにした藤原氏の氏神
熊野―浄土や観音信仰との濃厚な融合
祇園―祭で拡大した信仰
諏訪―古代から続くさまざまな信仰世界
白山―仏教と深くかかわる修験道系「山の神」
住吉―四方を海に囲まれた島国の多士済々の「海の神」



系統別神社数 全国神社祭祀祭礼総合調査 平成2年~7年 神社本庁

1. 八幡信仰 7817社 八幡神社、八幡宮、若宮神社など
2. 伊勢信仰 4425社 神明者、神明宮、皇大神社、伊勢神宮など
3. 天神信仰 3953社 天満宮、天神社、北野神社など
4. 稲荷信仰 2790社 稲荷神社、宇賀神社、稲荷社など
5. 熊野信仰 2693社 熊野神社、王子神社、十二所神社、若(にゃく)一王子神社など
6. 諏訪信仰 2616社 諏訪神社、諏訪社、南方神社など
7. 祇園信仰 2299社 八坂神社、須賀神社、八雲神社、津島神社、須佐神社など
8. 白山信仰 1893社 白山神社、白山社、白(しら)山比咩(め)神社、白川姫神社など
9. 日吉信仰 1724社 日吉神社、日枝神社、山王社など
10. 山神信仰 1571社 山神社など
11. 春日信仰、12. 三島・大山祗(づみ)信仰、13. 鹿島信仰、14. 金毘羅信仰




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八戸えんぶり

2014年01月13日 | 日記
先日久しぶりに通った中道通り、前から異彩を放つ古い家があって、手前は駐車場になっていたが、
その奥は大きな木が生えていたりして何かごたごたしていたようだったが、今回すっかり平地になっていた。
まあ、家が無事で、良かった。おじいさんとおばあさんも元気だと良いが。



東急百貨店で買物して南口が騒がしい。笛、太鼓の音がする。



ノートパソコンを持ち上げて撮影している人もいる。



東急8階で15日まで開かれている東北物産展のために来店した「八戸えんぶり」だ。



配っていたパンフレットを見ると、八戸えんぶりは、八戸地方の代表的民族芸能で、
毎年2月17日から4日間八戸市を中心に行われる豊年祈願のお祭りで、
国の重要無形民俗文化財に指定されている。
勇壮活発な「どうさいえんぶり」の方でなく、唄やしぐさのゆっくりした古来からの「ながえんぶり」らしい。

後ろに子供たちが出て来た。



それにしても、派手な帽子?










まだまだ続いていたが、失礼した。








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年末恒例の餅つき

2014年01月12日 | 個人的記録
もう何十年と続く年末恒例の餅つき。

東京駅からの高速バス乗り場。運転手さんが言うには、隣のバスは日本初のJR高速バスの外観コピーだそうだ。「あのバスはエンジンが強力で・・・」と興奮して話していた。



南総里見八犬伝の里見氏の館山城、といっても犬山城のコピーだそうだが、を見て、



しばらく行ってから、丘に登り、上からの眺め、



電線の間からの富士山



まず、小さな杵で、ふかしたもち米をつぶす。何事も最初の工程が一番大切で。米が冷えないように手早くつぶす必要があるのだが。



次に、3,4人で交互につく。



力よりも心地よいタイミングが必要なのだが。お嬢様方は笑ったりして、なかなか。まあ、これも良し。



あとは、1、2人で強くつく。といっても、杵を落とす気持ちでつくとよい。







意外と力がいるのが、杵をくっついた餅から離すときだ。





相方が餅をひっくり返すが、餅が熱いので餅が臼にくっついて手早くできないと閉口する。



そして、これを繰り返す。





肌理が細かくなったら、仕上げで10回ほど軽くついて終わりだ。







































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宮下奈都『はじめからその話をすればよかった』を読む

2014年01月08日 | 読書2

宮下奈都著『はじめからその話をすればよかった』(2013年10月実業之日本社発行)を読んだ。

著者初のエッセイ集と言っても、エッセイ43編と、掌編小説4編、気に入った本について27、自書の解説10、人様の本の解説6からなる。
「日々つれづれ」と題するエッセイは、三人の子供たちとの出来事、旦那さんとの出会い、故郷福井についての話題が多い。創作をめぐる苦労話もある。

冒頭の「ひよこ豆、おはじき、蝉の抜け殻」は本当にあったの? 小さな兄と弟、そして赤ん坊の娘と出かけ、路地で拾ってきた題名の物がなくなったと息子たちが騒ぐ。その晩、娘がお腹を下した。おむつの中には、題名の3つがあった。

表紙の写真と、中の口絵がまったく同じなのはなぜ? 口絵は写真が透明な紙で、下の別紙の題字が透けて見えるようになっているから? それだけ?



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

なんという事ないと言えば言える内容だが、宮下さんの小説をいくつか読んだ人なら興味を持って読むかも。旦那さんとの出会いにも触れている。なにしろ初のエッセイ集だ。
3人の子育てをして、地に足が付いた生活からのエッセイだから、とくに感心することも、びっくりすることもない。しかし、地元の福井に住んでいたと思ったら、北海道へ移ったという。しかも、辺鄙そう。なぜ?

いまだかって私の本がすごく売れたという事実はないが、たまにぴょんと売れることがある。・・・ただ、気になるのは、その本がなぜ売れたのかよくわからない点だ。・・・
問題なのはその逆の場合だ。要するに、こんなにいい小説なのになぜ売れないのか、と作者が思っている場合である。・・・
「窓の向こうのガーシュウィン」は、さいわいなことに、少数の人には愛された。・・・でも、売れなかった。・・・ああ、私はこの物語を愛している。

ここまで言われたら、読んでみるしかないでしょう。



宮下奈都(みやした・なつ)
1967年福井県生れ。 上智大学文学部哲学科卒。
2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選、デビュー。
2007年『スコーレNo.4
その他、『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『 誰かが足りない』、『メロディ・フェア』。
参考「作家の読書道


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角田光代『私のなかの彼女』を読む

2014年01月05日 | 読書2
角田光代著『私のなかの彼女』(2013年11月新潮社発行)を読んだ。

80年代後半、バブル期に向かうとき、本田和歌は冴えない大学生だったが、ハンサムで気の利いた先輩の内村仙太郎と付き合っていた。在学中からアーティストとして活躍する彼に連れられて都会的なことをいろいろ初経験する。彼と結婚し暮らすことが、その頃、和歌の唯一やりたいことだった。

この本は、「祖母は醜女だった」と母が祖母タエを辛辣に語ることで始まる。そして、和歌が自宅の蔵からタエがかつて出版した本を見つけたことから、作家人生へのきっかけとなっていく。
和歌は就職し、祖母の過去を調べながら、仙太郎の背中を追いかけるように小説らしきものを書く。やがて新人賞への投稿小説が認められ、わき目も振らず小説書きに熱中するようになると、一緒に暮らすようになった仙太郎と家事の分担などで気持ちのすれ違いが起こる。
「もしかして、別れようって言ってる?」ごくふつうに恋愛をしていたはずなのに、そして、全力を注げる仕事を見つけ、ようやく彼に近づけたと思ったのに、どこかで二人の関係はねじ曲がってしまった。

初出:「新潮」2010年2月号~2011年7月号のタイトル「空に椅子」を改題、大幅加筆、修正



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

角田さんの本を読み過ぎたので、点が辛くなった。面白くないわけではない。
まるで自叙伝かと思うぐらい若き日の角田さんを思わせる話が続く。角田ファンには興味深々だろう。
賞を受賞することによってどんな風に仕事が増えていくのか、対談や、エッセイ、雑誌のコラムの依頼など小説以外の仕事が増えていく様子など新人作家の状況はリアルっぽい。

東京で暮らしはじめて三年弱、和歌はずっと、世のなかというものは自分を含まないところで成り立っているように感じることが、よくあった。
和歌にとって、自分がいる場所が東京なのではなく、自分が遠くから眺めているのが東京だった。
私は生まれも育ちも東京だが、華やかな場所はほとんど知らない。学生時代も、田舎から出て来た友人は華やかな場所で派手に遊んでいたが、私は東京といっても西のはずれをウロチョロしていただけだった。ましてや年とった今は、TVなどで見る東京は眺めるところそのものだ。



角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。
96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、
98年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、
「キッドナップ・ツアー」で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、
2000年路傍の石文学賞を受賞。
2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞を受賞。
2005年「対岸の彼女」で第132回直木賞。
2006年「ロック母」で川端康成文学賞を受賞。
2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞をいずれも受賞
2009年ミュージシャン河野丈洋と再婚。習い事は英会話とボクシング。趣味は旅行で30ヶ国以上に行った。
その他、「水曜日の神さま」「森に眠る魚」「何も持たず存在するということ」「マザコン」「予定日はジミーペイジ」「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」「私たちには物語がある 」「 愛がなんだ 」「 ひそやかな花園 」「 よなかの散歩園 」「 さがしもの 」「 彼女のこんだて帖 」「 かなたの子 」「 幾千の夜、昨日の月 」「 口紅のとき 」「 曽根崎心中 」「 紙の月 それもまたちいさな光
その他、穂村弘との共著「 異性





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帚木蓬生『生きる力』を読む

2014年01月02日 | 読書2

帚木蓬生著『生きる力 森田正馬の15の提言』(朝日選書90、2013年6月朝日新聞出版)を読んだ。

作家で、臨床の現場にも立ち続ける精神科医でもある著者が、森田療法の素晴らしさを15のポイントから説明している。

20世紀の初頭、フロイト流の精神分析が主流の時代に、薬を用いず、自らを見つめて自助する「森田療法」が日本で旗揚げした。森田療法は、頭で考え、悩み、解決しない精神の問題を、あるがままを肯定し無理なく生きることにより解決していくことを説く。複雑化する現代の人間関係のなかで、ますます注目すべき療法だ。その独特の治療法と先進性を、森田正馬の15の言葉から著者が読み解き、解説する。

【外相整えば内相自(おの)ずから熟す】。
心の深層がどうのこうのと悩むより、生活を規則的にしたり、外相を整えることから始めるべきだ。

はじめに 森田正馬の人生
森田正馬(しょうま)(1874-1938)の生涯と、1週間から10日の3期(絶対臥褥(がじょく)、軽作業、重作業)と社会復帰期からなる彼の具体的療法が概説される。

1 一瞬一生
種々の悩みはある。しかしそれはさておいて、生きている現時点の瞬間瞬間に、自分の一生をつぎ込んで進んでいく。

2 見つめる
正馬不眠を訴える患者にも、悩まず、不眠を「見つめよ」と言います。悶々とするかわり、不眠そのものを見つめているうち、いつの間にか眠りについている自分がいます。

3 休息は仕事の転換にあり
悩みと無用な心配は、身体を休めてじっとしている間に、背後からとりつきます。・・・悩みや心配は、五分以上頭のなかでひねりまわしてはいけません。五分たったら、身体を動かし、何でもいいですから、手を出すのが一番です。

4外相整えば内相自ずから熟す
外相まで悲しくしていて、いつの日か内相が自ずと悲しくなくなるなど、考えられません。逆に外相を明るく振る舞い続けておれば、内なる相もいつの間にか明るさを帯びてくるのが道理ではないでしょうか。

5 いいわけ

6 目的本位
この「目的本位」の日々の生き方のほうが、千変変化する気分や感情に基づいて生きる「気分本位」の日常より、よほど利点があります。・・・気分が乗らない、不安がある、・・・、そうした気分はそのままに、心配する気力と体力をとりあえず行動のほうに向けてみる。そのうち、嫌な気分を持ちながら、物事に取り組む技術が見につきます。

7無所住心 /8 即

9 なりきる
子規は『病牀六尺』で言う。
「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きる事であった」・・・こうなってしまうと、痛みは痛みのままであり、それ以外の影響力はもたなくなります。痛いのは痛いけれど、目の前の藤の花は美しいと思い、歌を詠みます、・・・痛みになりきったうえで、目の前の一瞬一瞬を子規は懸命に生きたのでした。

10 自然服従 /11 生の欲望 /12 不安常住 /13 事実唯真 /14 あるがまま /15 生きつくす

おわりに  私(著者)と森田療法の出会い
・・・いたずらに人為的な「悪智」の努力で症状を克服せず、「自然服従」で眼前の急がれる仕事に打ち込むという治療法・・・



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

森田療法そのものの紹介というより、その考え方の根本を、帚木さんがどうとらえたかが書かれている。著者のいうように、神経症の患者だけでなく、一般の人に有効な療法であるらしい。しかし、新書版の〇〇な力シリーズにしては、複雑でわかりにくい。ハウツー本ならもっとストレートに書いた方が良いし、森田療法の紹介なら直接関係ない話はカットした方がよい。

森田は、東大医学部卒だが、病弱で24歳で入学するなど、典型的エリートではなく、自らも神経症であった。また、慈恵医大で講義していたが、学会での活躍はなく、自宅で患者を治療するなど在野の医者だった。これらの環境にあったことが、ヨーロッパで主流の療法とまったく異なる療法を編み出すことができた原因なのだろう。
それにしても、インチキ療法と思われやすい森田療法が、多くの臨床精神科医に支持されているのは、東洋的文化が背景にあると思われる。



帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)
1947年1月福岡県小郡市生まれ。日本の小説家、精神科医。
東京大学文学部仏文科卒後、TBS勤務。2年後退職し九州大学医学部へ。
ペンネームは、『源氏物語』の巻名「帚木(ははきぎ)」と「蓬生(よもぎう)」から。
1992年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞
1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞
1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞
2010年『水神』で新田次郎文学賞



森田療法について、
北西憲二著「中年期うつと森田療法」pub.ne.jp/hiyamizu/?daily_id=20090403
森田療法研究所 www.neomorita.com/

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