hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

三浦しをん「三四郎はそれから門を出た」を読む

2010年08月29日 | 読書2

三浦しをん著「三四郎はそれから門を出た」ポプラ文庫、2010年4月、ポプラ社発行、を読んだ。

「オシャレの追求に励むのは来世にまわし、今世では思うぞんぶん読書しようと思う。」

という「三浦しをん」さんの、ブックガイドが2/3、残りがエッセイだ。

雑誌、新聞に書いた書評などを集め、2006年にポプラ社から出版された本の文庫版だ。
著者は、文芸書はもちろん、専門とも言える漫画からあやしげな本まであらゆるジャンルの本を読んでいる。買った本を、待ちきれずに道で読みはじめて、路上駐車の車に激突したり、食事のメニューより先に食事中に読む本を吟味する著者は筋金入りの本好きだ。

題名は、著者が文学史の授業で夏目漱石の代表作を覚えるように言われたことから、それらを羅列したもの。

著者と中田英寿を崇拝する弟とのやりとり

「あんたはそうやって、いつも私のことを『ブタさん』呼ばわりで馬鹿になさいますけどさ。もし私が中田と結婚することになったら、どうするつもり?」
「絶対ありえねえ」


とさんざんやりとりしてから、そばにいた母に話を振る。

「いい加減、この家から出ていくように、よくいいきかせてやってくれ」
「辛抱してちょうだい。家に憑く妖怪みたいなもんだと思って、たわごとは聞き流してればいいんだから」


仲のよろしいことで。ちなみに、写真を見ると、著者は(微妙に)美人で、けっして太っていない(ように見える)。

運動会で私が走る姿と目撃した友人たちは、みな一様に口をそろえて言った。「え、いま、走っていたの!? ペンギンの形態模写かと思った」と。

 

三浦しをんの略歴と既読本リスト




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

本の紹介は行数が少なく、著者が面白がっているのは分かるが、読みたくなるほど内容が書いてあるわけではない。ただ、著者の考え方、人柄がにじみ出ている、というより湧き出しているのが面白い。まあ、笑いながら、ツッコミをいれながら楽しく読みたい本だ。

先日、『にっぽん 奇行・奇才逸話事典』で、古今亭志ん生が、
「関東大震災の折、グラッときたとたん、彼は「東京中の酒が地下に吸い込まれる!」と思い、あわてて酒屋へとびこんだ。酒屋のほうは逃げ支度に懸命で「いくらでも持ってってくれ!」という。そこで、ちゃっかり2升も飲み、ついでに両手に1本ずつぶらさげて外に出ると、地面は揺れているわ、酔いはまわるわで、もうフラフラ。」
との話を引用した。

志ん生の娘、美濃部美津子の『おしまいの噺』には、

志ん生は、・・・極度の恐がりで、関東大震災や空襲のときには家族をかえりみずに我先に逃げだしたりと、・・・


とこの本にはあるという。まあ、いまさらどちらでも良いのだが。

著者が古本屋で働いていたとき、こんなものを本の“しおり”がわりにする人がいるのかと驚いた。
本の帯や、挟まれていた新刊などの広告が多い。(これはわかる)

それらを細かく裂いては、読み止めるたびに挟む人がいる。10数ページごとに点々と挟まっている。(不精しないで、前に挟んだものは取れ!)

事務用クリップ、ティッシュペーパー、お札。
(何で? あきれる)

ページの端を折る人もいる。
(私はこれが嫌いで、図書館の本でも神経質にいちいち延ばしている)

ひどいのは、猫の毛、爪、陰毛、鼻くそがあったという。
(考えられない。本がなければ生きていけない。しかし、こんな人に本を読む資格はない。)

私は、ポストイット(付せん)を横にして貼って、読み進めるとずらして行く。注目したところには縦に貼っておいて、読み終わったあとに、もう一度読み返し、このブログを書く。
ちなみに、剥がしたポストイットは付かなくなるまで再使用する。計算してみたら、1枚約1円、結構高い。安売りで買うテッシュは1枚0.13円だから、私もテッシュを裂いて使おうかな。もちろん、再利用して??


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道尾秀介『光媒の花』を読む

2010年08月27日 | 読書2

道尾秀介著『光媒の花』2010年3月、集英社発行、を読んだ。
ごく普通に見えるが、心に闇を抱えて生きる人たちの6つの連作短編集で、山本周五郎賞を受賞し、直木賞の有力候補になった作品だ。

第1章 隠れ鬼
認知症の母とひっそり暮らす判子屋の店主の封印された過去、30年に一度という笹が花を咲かせたあの日。
第2章 虫送り
こっそりと川の土手に虫捕りに行く兄と妹は、ホームレス殺害がバレることに怯える。もう一人の昆虫学者になるのが夢だったというホームレスが言う。「死んでいい人間なんて、この世にいないんだよ」
第3章 冬に蝶
今はホームレスとなった彼は、昔を思い出す。少年は虫取りに通う河原で少女サチに会うようになり、悲惨な状況にある彼女を絶対に助けると言ったのだが。
第4章 春の蝶
ファミリーレストランで働く一人暮らしの女幸(さち)の住むアパートの隣には、離婚した両親の原因となったと思い込み耳が聴こえなくなった少女がいた。
第5章 風媒花
小さな運送会社に勤めるドライバーの亮は、仲の良い小学校教師の姉を病院へ見舞う。姉は亮が母を避けているのをなんとかしたいと思っている。
第6章 遠い光
自信を失った新米女性教師は、孤独な教え子朝代に拒否され、なにもかもうまく行かず絶望する。朝代の起こした事件の処理に飛びまわるうちに、景色のなかに光を見るようになる。

主役たちに深いつながりはないが、前の作品の脇役が次の作品の主役になったりする。一匹の白い蝶が物語をつないでいく。



初出:「小説すばる」2007年4月号~2009年3月号



道尾秀介の略歴と既読本リスト



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

あらたにす」の「著者に聞」のコーナーで、著者がこの本について語っている。


前半は、いつもの道尾作品で、子供の頃の悲惨な体験で一生をだめにするといった、暗くいやな話だ。しかし、後半はその中から希望の光が見えてくる。

「虫媒花」は虫に花粉を運ばせるために匂いや色などの工夫を凝らす花で、「風媒花」はただじっと風を待ち、風に花粉を運ばせる花だ。人は、虫や風に頼らず、光によって自分の花を咲かせることができる。そして、人は、存在するだけで他人に光をもたらすことができるとして、著者は「光媒の花」と造語した。


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「福澤諭吉」を読む

2010年08月26日 | 読書2

桑原三郎「福澤諭吉 その重層的人間観と人間愛」丸善ライブラリー048、1993年5月丸善発行を読んだ。

福澤諭吉に関する著書も多い著者が、彼の足跡をたどりながら、合理主義者でかつすべての人に優しい福澤諭吉の考え方を明らかにしている。

福澤諭吉が、緒方洪庵の適塾で蘭学を学んでいたことは知っていたが、学んだ本の中に、ファラデーの電気説など物理学の本があったことは知らなかった。江戸時代に今の理工系の合理的考え方を学んで、これが福澤の論理的、客観的な考え方を生み出したのだろう。

共感した(私などが恐縮だが)箇所を2つだけ挙げる。

福澤のよく使用した言葉に、「徳教は目より入りて耳より入らず」があります。道徳の教は、教える者が、先ず実践躬行(じせんきゅうこう=自ら実際に行うこと)、以って子弟にその手本を示すことが大事だということであります。

(偉そうなことをいう政治家に聞かせたいですね)

ある漢学の先生が生徒に“忍”という言葉の意味を教えていたところが、ある生徒は、先生がどんなに手をつくしても、さっぱりこれを理解しない。とうとう頭にきた先生は傍らにあった木片で生徒を打ったという話です。生徒に忍耐を教えていながら、先生自身、忍という言葉の意味を身につけていなかったということです。




桑原三郎は、1926年群馬県沼田市生れ。教育者、児童文学者、文学博士。
1948年慶応義塾大学文学部卒業。慶應義塾幼稚舎諭、慶応義塾大学文学部講師
1990年白百合女子大学児童文学学科教授
2009年1月死去
著書
1988年『福沢先生百話』(福沢諭吉協会)
2002年『児童文学の心』(慶應義塾大学出版会)
2003年『徹底大研究 日本の歴史人物シリーズ〈7〉福沢諭吉』(ポプラ社)
他、『汽車のえほん』全26冊、ポプラ社など



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

とくにこの本でなくても良いのだが、福澤諭吉の人となりに関する本は一度読んでおくべきと思った。私も、本来はまず原点の『福翁自伝』を読むべきだと思うのだが、当然のことながら表現が古いので決心がつかない。

福澤諭吉は人を呼び捨てにしない人でした。その夫人も、その子女も、慶応義塾の若い塾生も、一様に「さん」づけで呼んだのです。

この点は私と同じで、「職場での呼び方」に経緯を書いた。ただし、私の場合、息子だけは、「くん」づけなのだが。


門閥制度は親の敵(かたき)と記し福澤諭吉ではありますが、明治以降も(元中津藩主の)奥平家のために尽くした筆頭の礼儀に人でもあったのであります。

福澤が、当主奥平九八郎宛に明治21年に出した手紙の最後の宛名の所に、「殿様」とある。私には、そんな福澤諭吉が、封建制を脱しきれなかった人ではなく、とても温かく、心の広い人で、好ましく思える。

福澤が朝鮮からの留学生を支援した関係で、第7章で、33ページを使って、大院君、閔妃(びんひ)など朝鮮の近代史を語っている。私は、もっとも近い国のことなのに、朝鮮の歴史にはほとんど無知だったので、おおいに参考になった。このあたりは、よって立つ立場により評価が180度違うのだろうが、私には著者はきわめて公正に語っていると思える。






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不精で意地汚い蚊

2010年08月24日 | 日記
あまりにも暑いのでパンツ一枚で寝て、足の付根を蚊に刺された。
写真は、・・・、遠慮しておきます。

三角形に3箇所刺されたが、互いに1センチも離れていない。飛ぶこともなくその場で120度回転して3箇所刺しやがった。不精な蚊め! 

なんで一度に3箇所も刺されたのか。血の気が少ないとはいえ、蚊にばかにされるほど少ないとは思えない。それが証拠に奴はたっぷり血を吸っていたのだ。

翌日、テーブルの上をバタバタしていうものがいた。よく見ると蚊だ。反射的に手が出て、見事叩き潰した。仇討ち成就!

見るとテーブルにベッタリと血糊がついた。飛べないほど、たっぷりと血を吸ったのだ。意地汚い蚊め!

それにしても、ああ、かゆい!


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紀田順一郎「にっぽん 奇行・奇才逸話事典」を読む

2010年08月21日 | 読書2

紀田順一郎編「にっぽん 奇行・奇才逸話事典」1992年6月、東京堂出版発行、を読んだ。

明治から昭和にかけての作家を中心とする有名人77名(多分)の逸話を集めている。一人当たり3,4ページで、5、6のエピソードを紹介する。だから、その人のある面、とくに変わった点だけに注目したちょっとした話が多く、人となりの全体的描写にはなっていない。しかし、こだわりや癖の強い人が多いので、トンデモ話が多く、面白く読める。

いくつか、あげる。

稲垣足穂はゲイだった。
ある文学賞の選考会で、彼はキッスの達人だと威張りだし、隣に座っていた椎名麟三をつかまえて、しみじみと10秒ほど“接触”した。見ていたものは,ハゲ頭が2つもくっついているのを見て、フランスパンを連想した。


古今亭志ん朝
関東大震災の折、グラッときたとたん、彼は「東京中の酒が地下に吸い込まれる!」と思い、あわてて酒屋へとびこんだ。酒屋のほうは逃げ支度に懸命で「いくらでも持ってってくれ!」という。そこで、ちゃっかり2升も飲み、ついでに両手に1本ずつぶらさげて外に出ると、地面は揺れているわ、酔いはまわるわで、もうフラフラ。このときばかりは、ふだんおとなしい女房にどなりつけられた。


永井荷風
荷風は二度ばかり焼け出され、そのたびに丸裸になったのにこりて、晩年はフロに入るにも(行くにも)全財産を入れた鞄から、コウモリ傘や靴までかかえていた。

(私もこの話は子供の頃聞いていて、へんなオジサンだなと思っていた)

中江兆民
親友が死んだとき、兆民はさっそく黒水引と白紙一枚をふところにして、友人の家に駆けつけ、未亡人にあいさつしたあと、「いま急に金が必要なのだが、2円ばかり貸してくださらんか」と頼んだ。未亡人は、こんなときにと腹を立てたが、やむなく貸してやった。すると兆民は別間にひっこんで、例の水引にその2円を包み、再び霊前へ戻ると「これはほんのおしるしで」と差しだした。




紀田順一郎は、1935年横浜市生れ。慶応大学経済学部卒。商社を退職後、近代史を中心とする評論活動、怪奇小説翻訳などを行う。
『東京の下層社会』『日本の書物』『古本屋探偵登場』など



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

著者あとがきにはこうある。
人となりを手っ取り早く知るのは、エピソードを知るに越したことはない。すぐれた人物は、印象深い逸話の持ち主であることが多い。


人となりは奇行というエピソードでは知ることはできない、その人のある面がわかるだけである。しかし、意外な面が見えて3次元的にその人を知るための手段の一つではあろう。

寝転んで、あきれながら面白く読む本だ。



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「日本の大名家はいま」を読む

2010年08月19日 | 読書2

中嶋繁雄著「日本の大名家はいま」1995年11月、学習研究社発行、を読んだ。

いつも図書館のHPから人気の本や、新刊を予約して読んでいる。先日図書館に本を返しに行ったついでに、古めかしい本が並ぶ架をさまよい、小説のところはパスして、伝記、新書をあさった。ワイドショー的興味から選んだのがこの本「日本の大名家はいま」だ。といっても、狙いははずれていたし、またそれほどの本ではなかった。

公卿・大名は明治2年の版籍奉還で華族となり、17年に華族・維新の功臣・官僚・軍人・僧侶・神官らに公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の爵位が授与されて、総称して華族となった。そして、昭和22年の新憲法発布により消滅した。

18の大名家と華族のこの激動期の変遷、話題の人について記述するとともに、そもそもの大名家興隆の事情を述べている。また、現在、といっても20年程前、の現当主に触れている。

昭和初期、軍部が戦争に傾斜していく時代、多くの華族の子弟が左翼に走っていって、悲劇の結末を迎えた。

大名家の系譜を見ていると、あらためて互いに複雑に、密接に縁戚関係にあることがわかる。

近衛文麿は華族の星として45歳の若さで首相となるが、東条英機内閣に代わり、太平洋戦争に突入する。このとき、近衛を支えたのが、細川護貞で、やがて、その子細川護熙が日本新党を結成して首相となる。これは記憶に新しいのだが、はや16年前のこととなった。

もう亡くなったが、女優の河内桃子は、豊橋7万石の大河内家の人で、ご主人は今治3万5千石の現当主、TVプロデューサー久松定隆氏だった。

昭和5年、前田家は敷地1万3千坪、建物9百坪の豪邸を駒場に建てた。家族6人に使用人が130名いたという。「一時連合軍の公邸となり、東京都近代文学博物館に変わった。」と本書にあり、私もそう思っていたが、調べてみると、現在、閉館し、土日祝日のみ見学できる旧前田邸洋館として公開されている。



中嶋繁雄は、1929年福井市生まれ。福井新聞記者から、『歴史読本』創刊スタッフ、2代目編集長。著書に、『諸藩騒動記』『日本の名門200』など。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

とくにこの関係に興味のある人以外、読むほどのものではない。18の家系について触れているので、総花的になっている。元新聞記者だけあって、簡潔にポイントはまとまっているのだが。


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磯崎憲一郎『終の住処』を読む

2010年08月16日 | 読書2
磯崎憲一郎著『終の住処』2009年7月、新潮社発行、を読んだ。

芥川賞を受賞した「終の住処」と書き下ろしの「ペナント」が収められている。

「終の住処」
お互い、別の相手との20代の長く続いた恋愛に敗れた後、30過ぎてから出逢った男女が結婚する。妻は常に不機嫌で、楽しいことは何も無い夫婦の生活を描く。子どもが産まれ、遊園地へ行って、なぜか突然、妻は11年間何も話さなくなる。彼は家で食事しなくなる。

男はしずかに淡々と語っていくが、妻自身の思いはまったく描かれず、不気味で謎の存在のままだ。主な舞台は家庭なのに、いっさい詳細は描かれない。
男の会社は製薬会社で、彼が発案したコンタクトレンズ使用者に絞った目薬が大ヒットする。メインテーマに無関係なこの話だけがやけに具体的でアンバランスだ。会社では活躍する男性が家庭では無力な典型なのだろうか。



「ペナント」
ペナントが壁一面に貼られた部屋に忍びこむ少年の話と、まったく関係がないと思われるボタンをなくした男が探し歩く話が続く。



初出:「終の住処」新潮2009年6月号、「ペナント」書き下ろし



磯崎憲一郎は、1965年千葉県我孫子市生れ。早稲田大学商学部卒。
2007年「肝心の子供」で文藝賞受賞、
2008年「眼と太陽」で芥川賞候補、
2009年本書「終の住処」で芥川賞受賞。
三井物産の人事総務部部長代理。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

芥川賞を受賞するくらいだから面白くない小説だろうと思っていたが、予想を裏切らなかった。当然、ストーリーに意味はなく、主人公の感じる情景の描写には、なるほどと思う上手さがある。物言わぬ奥さんが不気味で、どこにでもある家庭を誇張してうまく表現している。
よく理解できないが、著者が描きたいのは“時間”だそうで、芥川賞受賞後のインタビューでこう答えている。

デビューの時から小説で何ができるかを考えていて、それは時間を描くことではないかと考えていた。時間というのは、とらえどころがないもの。時計の針が進んだという時間はわかるが、実際に自分たちがその中にいるところの時間は、直線的な時間とは別のところにある。それを言葉で表すとしたら、それが唯一、小説にできることなのではないか。



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林真理子「下流の宴」を読む

2010年08月14日 | 読書2

林真理子著「下流の宴(うたげ)」2010年3月毎日新聞社発行、を読んだ。

福原由美子は、若くして亡くなった父が医者で、自分も地元の国立大学を出て、わが家は品の良い中流家庭で、けして下流ではないと思っていた。
娘の可奈は見栄つぱりで、お嬢様大学を出てエリートとの結婚を目指し計算高く行動する。
悩みの種は息子の翔で、高校を中退し、フリーターで、上昇志向ゼロのプータロウ。由美子は表面的に理解を示し、あの手この手でともかく大学に行かせようとするが、まったくヤル気がない。そんな翔が突然「結婚する」と言う。相手は沖縄の離島出身のフリーター宮城珠緒だ。

中学入学時の高価なカバンを買いたいという珠緒に、その母が言う。「たった3年使うだけなのに値段は倍する。そんなことにこだわると、どうでもいい違いのために、倍働かなきゃいけない生き方になるよ」
沖縄の宮城家は、福原家とはまったく価値観が違う。

前半は由美子の学歴偏重、“下流”の人への差別感丸出しの言動のオンパレード。そして、娘の加奈の自分の限界をしっかり知った上での、ちゃっかりした上昇計画のいやらしさ。おもわず、あのセレブ生活を誇る林さんの本音だなどと思ってしまうほど、見事に反感を買うように書けている。

後半、珠緒が医大受験を目指すという現実にはありそうもない話になる。そこで、「6x2+11xy+4」の因数分解、SVOCだの、前置詞+関係詞など、受験というより高校1年?程度の勉強の話が出てきて、笑える。



そうそうと思った点を2つだけ。

・・・同級生と結ばれた女というのは、すぐに“女”を怠けるようだ。若い時からの仲間で、お互いを知り抜いているという安心感からか、身のまわりをぞんざいにしている女のなんと多いことだろう。

「あなたっていつも、他人ごとのように言うのね」
こういう時の女の習性として、過去に記録されていることが、パソコンなみの速さで由美子の脳に甦る。しかも十倍の恨みと怒りを帯びて。
「翔のときもそうだったわ。あの子が・・・」



謝辞に、林さんのお友達で精神科医の和田秀樹さんに受験のアドバイスをもらったこと、同じく作曲家の三枝成彰さんに沖縄のことを聞いたことに感謝している。そして、実際に受験通信教育を必死に受けた毎日新聞社記者の方にお礼を書いている。なにかで読んだ(ブログ?)のだが、この通信教育は最初、林さんが受けたのだが、数学?に歯が立たず、担当の方に押し付けたと記憶している。有名作家のお世話もつらい。

初出:毎日新聞連載 2009年3月1日~12月31日



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

426ページもある長編だが、文章は平易だし、飽きさせない話題や、反感を刺激する差別的言動がちりばめなれ、すらすら読める。

福原家の、母由美子、翔や可奈の性格、行動は、極端に書かれていて、いささか漫画チックで、さめて見てしまう。
共感するとすれば、翔だろうか。翔は言う。「オレ、頑張っている人たち見て、すごい、とは思うけど、憧れたり、そうなりたいって思ったことはないワケ。」「努力する人って、重苦しいんだ。」
こんな言葉に、「俺にもそんな傾向あるな」と思ってしまう私がなさけない。「頑張る」という言葉が昔から嫌いで、珠緒みたいに何かに一生懸命になったことがないまま一生を終わりそうなのだ。


林真理子の略歴と既読本リスト









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葉室麟「柚子の花咲く」を読む

2010年08月12日 | 読書2
葉室麟著「柚子の花咲く」2010年6月、朝日新聞出版発行、を読んだ。

瀬戸内の日坂藩、鵜ノ島藩の干拓地を巡る境界争いに絡んで武士、町人、農民が一緒に勉強する郷学の教師である梶与五郎が殺される。梶は酌婦を連れて遊び歩きやくざ者と揉め事を起こして殺されたという噂になっていた。恩師の名誉を挽回し、この謎を解くために、少年時代に梶の薫陶を受けた筒井恭平、穴見孫六が危険を犯し鵜ノ島藩に潜入する。

殺された梶は、「戦場においては相手など選べぬのだぞ」と武士の子も百姓の子にも関係なく相撲を取らせ、遊ばせ、愛情あふれ、親しめる教師だった。梶は、けして成績が良くなかった恭平を「身を捨てて仁をなす奴」と評価し、「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」と言っていた。

師の名誉回復と、悪への戦いに武士と農民の違いを超えて、昔の郷学仲間が協力し、幼い時からの愛が花咲く。



葉室麟(はむろ・りん)は、1951年生まれ。作家。『銀漢の賦』『いのちなりけり』『秋月記』など。
西南学院大学文学部外国語学科フランス語専攻卒業。
地方紙記者、ラジオニュースデスク等を経て50歳から創作活動に入り4年で文壇デビュー。
2005年「乾山晩愁」で歴史文学賞受賞
2007年「銀漢の賦」で松本清張賞受賞
2009年「いのちなりけり」で直木賞候補。「秋月記」で山本周五郎賞および直木賞候補。
2010年「花や散るらん」で直木賞候補。

本書は「小説トリッパー」2009年秋季号~2010年春季号の連載に加筆訂正したものだ。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

殺された梶に荒れていた過去があるとの噂、埋立地をめぐる陰謀などミステリー仕立てで、正義感の強い若手下級武士の活躍が面白く一気に読んだ。
ただ、ひねりがなく、登場人物はみな一様に“良い人”で、書き方も真っ正直、ストレートで余韻がない。
物語の舞台も展開も藤沢周平ものを思わせる正攻法の歴史小説だ。



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大岡信ことば館

2010年08月10日 | 行楽
8月10日朝日新聞朝刊に「『折々のうた』テーマ 大岡信さんの企画展 静岡・三島」の記事が載っていた。

この「大岡信ことば館」に今年6月28日に行った。4回に分けて開催される開館記念特別展の3回目だった。(現在開催は4回目)


場所は、新幹線の三島駅徒歩1分のZ会文京ビルの1,2Fにある。



入口を入ると、著書が並ぶ棚があり、



周囲と中央のガラスケースにはさまざまな資料が並ぶ。写真には、瀧口修造、加納光於、武満徹、辻井喬、谷川俊太郎などが登場し、アート界の華麗なセレブとの感がある。家族も、夫人が劇作家深瀬サキ、長男が大岡玲(あきら)で作家、長女が大岡亜紀で詩人・美術作家だ。

私が大岡さんを知ったのは朝日新聞に連載された「折々のうた」だ。この「折々のうた」は1979年からなんと、29年間、6762回掲載された。

資料には、第一回の新聞記事もあった。



「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと 高村光太郎」
これは、美校生だった高村が、彫刻修行のため当時男子一生の大事業というべき洋行途中の船中で作ったものと解説にある。この歌を選んだことに、大岡さんの意気込みが思われる。

一階にはシャレた椅子ある。穴から私がお見苦しい顔を出した写真はカット。



壁面には「わたしは月にはいかないだろう」という詩が浮かんでいる。



階段を登った大岡さんの詩をモチーフにしたオブジェが大きな部屋の中央にズラリと並ぶ。2Fは撮影禁止が残念。その他、資料・映像コーナー、詩10篇、三鷹・調布時代(1963年~1979年)の写真が展示されている。
また、膨大な大岡信コレクションのうち、この回は、その3(作家名:す~と)で、菅井汲、瀧口修造、谷川晃一、丹阿弥丹波子、多田美波などの作品が展示されていた。

休憩コーナーからは三島駅が目の前に見える。



駅弁の港あじ鮨を食べながら東京に帰った。



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香山リカ『しがみつかない生き方』を読む

2010年08月09日 | 読書2

香山リカ著『しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』幻冬舎新書132、2009年7月、幻冬舎発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
平凡で穏やかに暮らせる「ふつうの幸せ」こそ最大の幸福だと、今、人々はやっと気がついた。雇用、医療、介護など社会のセーフティネットは重要だけれど、自分の外に求めるだけでは、人生はいつまでも満たされない。「ふつうの幸せ」を手に入れるには、「私が私が」という自慢競争をやめること。お金、恋愛、子どもにしがみつかないこと。物事の曖昧さ、ムダ、非効率を楽しむこと。そして他人の弱さを受け入れること―脱ひとり勝ち時代の生き方のルールを精神科医が提案。


「勝間和代を目指さない。」、このオビで約30万部も売ったという本だ。
しかし、前半は、「恋愛」「つらい過去の記憶」、「夢」、「仕事」、「子ども」、「お金」にしがみついてはいけないと、当たり前といえばいえる内容をさらりと書いている。たしかに、これまであまりに前向きなメッセージばかりに囲まれていて、自分自身を追い詰めている人が多かった。しかし、草食系男子が話題になる現在ではある意味当然の考え方で、多くの人は納得するだろうが、インパクトはない。

最後の第10章「<勝間和代>を目指さない」があからさまに、今売れっ子の<勝間和代>という実名(<>付きだが)をあげて、普通の人には不可能とも思われる自己啓発メソッドを提案し、若者たちに対して「頑張れば自分も成功者になれる」という幻想をまき散らしていると非難している。

香山の診察室を訪れる人は年代により変化してきた。
2000年代以前:高望みをしてそれが入手できないことに満たされない。
2000年代: ふつうの幸せにはあるのだが、「これがいつまで続くのか」「これで満足してよいのか」と自問しているうちに、何が幸せかわからなくなってしまう。
最近:「何かあっても何とかなるだろう」という仮定が成り立たなくなっている。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

本書に書かれていることの大半は、もともとあっさり系の私には納得でき、当然と思うことだらけだ。そして、多くの若者に厳しい社会となった現在では当たり前の考え方で、わざわざ教えてもらう話ではない。ただ、まだまだ頑張っている、頑張ろうとしている人には、もう一度落ち着いて考えてみる契機にはなるかもしれない。

第9章の「生まれた意味を問わない」には、「なぜ生まれたかなどという問いにはあまり深く立ち入らない方が身のためだ。」とある。
「本当に答えが出ることはない。逆に、これだ、という答えが出たときは危険なのだ」ということは、頭の片隅にとどめながら悩むべきだ,ということはつけ加えておきたい。

これには全面的に賛成だ。カルト的宗教にとりつかれた人を、私が不気味に感じるのは、まさにその点からなのだから。

香山さんが、診察室から見ていると、「なぜこの人がこんな不幸な目にあわなければならないのか」と神に抗議したくなるような人に、毎日のように出会う。努力したくても、そもそもそうできない状況に人がいると、第10章では、勝間さんを批判する。
しかし、勝間さんは、努力できるはずの人に対して語りかけているはずで、議論はすれ違っている。

10のルールは以下。
第1章 恋愛にすべてを捧げない
第2章 自慢・自己PRをしない
第3章 すぐに白黒つけない
第4章 老・病・死で落ち込まない
第5章 すぐに水に流さない
第6章 仕事に夢をもとめない
第7章 子どもにしがみつかない
第8章 お金にしがみつかない
第9章 生まれた意味を問わない
第10章 <勝間和代>を目指さない

 
香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。

私が読んで、感想を書いた著書は、以下8冊だ。もう飽きた。
おとなの男の心理学』 
<雅子さま>はあなたと一緒に泣いている
雅子さまと新型うつ
女はみんな『うつ』になる
精神科医ですがわりと人間が苦手です
親子という病
弱い自分を好きになる本
いまどきの常識




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前田司郎『逆に14歳』を読む

2010年08月06日 | 読書2

前田司郎著『逆に14歳』2010年2月、新潮社発行、を読んだ。

この本には小説「逆に14歳」と、NHKで放映された老夫婦ドラマ「お買い物」の戯曲が載っている。

「逆に14歳」の主人公の丸田史郎(著者の40年後?)は若い頃は小説を書きながら戯曲なども作っていたのだが、70歳を超えた(?)現在はさっぱり書けないし、書く気もない。
大学時代の演劇仲間で元役者の白田がひとり者の彼の家に転がり込んで来る。そして、自分たちはあと14年は生きられるのではないか、つまり逆から数えると今14歳なんじゃないかと話しあい、やりたいことをやろうとの話になる。
死に向けて坂を転がっていく彼ら2人は、逆にデート、同棲、演劇、トキメキなど若者の特権を再体験していく。



戯曲「お買い物」は、年寄夫婦が、夫の昔からの趣味のアンティークカメラ展のために、こわごわ田舎から渋谷に出てくる。高額のカメラを買うことになり、ホテルでなく、東京に住む孫(娘さん)のところに泊まることになる。TV放送は、ギャラクシー賞などを受賞した秀作だ。

初出:逆に14歳「新潮」2009年10月号、お買い物「ドラマ」2009年3月号



前田司郎は1977年東京生れ。
1997年五反田団を旗揚げし、作、演出、出演
2004年、『家が遠い』で京都芸術センター舞台芸術賞受賞
2005年、『愛でもない青春でもない旅立たない』で小説家デビュー
2008年、『生きてるものはいないのか』で岸田國士戯曲賞受賞
2009年、『夏の水の半魚人』で三島由紀夫賞受賞、本書の脚本によるNHKドラマ『お買い物』はギャラクシー賞と放送基金文化賞、ソウル国際ドラマ賞などを受賞
他に『恋愛の解体と北区の滅亡』『グレート生活アドベンチャー』『誰かが手を、握っているような気がしてならない』『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

「逆に14歳」も笑っているうちに元気をもらったが、老夫婦ドラマ「お買い物」も夫婦のひっそりとした愛情がほのぼのとして良かった。

「逆に14歳」出だしはこうだ。
一番そういうのの進行を感じるのは意外と二の腕の内側である。
ここがそうなってくるともうあれだ。つい10年くらい前までは、この辺はけっこうあれだったが最近はもうあれな感じになってしまった。あれ、シミだらけ。

あれだの、これだの代名詞の連発や、話が途中で横にずれ、そのうち何の話だったかわからなくなってしまう。「私だって、これほどひどくないぞ。でも、あるある」と安心して笑える。



戯曲「お買い物」は、2009年2月14日21時からNHK総合TVで放映された。私もみたのだが、めずらしく今でも憶えていて、静かだが印象深いドラマだった。脚本というものを、私はほとんど読んだことが無いのだが、TVでは何気ない仕草も、ト書きなどではっきり書いてある部分もあり著者の意図がはっきりとしていた。
田舎の年寄夫婦がこわごわ渋谷に出てくるところがよく書けているし、高額なカメラ購入に迷う夫と、過去の事情からすんなりお金を出す妻。夫婦の思いやり、年寄が何事にもとまどうところ、そして、東京に住む孫の娘さんとのやりとりもほのぼのとしている。


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福岡伸一「生物と無生物のあいだ」を読む

2010年08月03日 | 読書2

福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書1891、2007年5月、講談社発行を読んだ。

講談社のHPで本書について、かの茂木さんはこう言っている。

「福岡伸一さんほど生物のことを熟知し、文章がうまい人は希有である。サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが、生命の奇跡を照らし出す。」――茂木健一郎氏


生物とは自己複製するシステムだとよく言われる。ウイルス自体は無機的で単独ではなにもできないが、細胞にとりつくことにより自己複製できる。しかし、著者はウイルスを生物とは考えない。生物とは、自己複製するシステムというだけでなく、“動的平衡にある流れである”と主張する。

ウイルス、DNAの発見など分子生物学の黎明期から米国の最先端研究現場の日常、そしてノーベル賞を逃した地味な研究者の業績・人物像、さらに米国東部での研究生活がすばらしい文章で語られる。エピローグには、昆虫少年だった著者の生命というものとの出会いが語られるが、これがまた見事なできばえだ。

科学の新発見にはドラマがある。時代を画す新発見ほどあざやかなドラマがあり、優れた学者ほど意外性のあるドラマチックな発見をするように感じる。イワノフスキーによる顕微鏡では見えないウイルスの発見、エイブリーのDNA発見、シュレーディンガーの生命に関する予言などだ。これらが生き生きと語られる。

以下、ポイントの「動的平衡」についてだけ触れる。

シェーンハイマーの実験が、生物が動的平衡にある流れであることに導いた。ネズミに重質素で標識されたアミノ酸を含む餌を与える。このアミノ酸の約30%だけが排出され、半分以上が体の中の蛋白質に取り込まれた。ネズミの体重は変わらないので、取り込まれたのと同量の古いタンパク質が排出されたのだ。つまり、ネズミを構成していたタンパク質はたった3日のうちに、食べたアミノ酸の半数で置き換わった。脂肪組織でさえ、食べた脂肪は蓄積され、蓄えていた脂肪が消費される。貯蔵物と考えられていた脂肪でさえ流れの中にあるのだ。

「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」
エントロピー増大の法則は生体を構成する成分にも降りかかる。これに抗する唯一の方法はシステムの耐久性と構造を強化することではなく、あえて先回りして自らを分解し、常に再構築して流れの中に置くことだ。“生命とは動的平衡にある流れである”
「生命形態の情報だけはDNAという形で正確に引渡しつづけ、生体物質自体は絶えず作り直す、それが生命維持の仕組みだ」と、私は単純に理解した。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

生物、無生物についての深い分析がなされるわけではない。DNAなど知らない人にも、複雑な話を分かりやすく説明している。具体的分子生物学の実験方法も語られて、最新研究現場の臨場感もある。著者の身近にいた科学者の逸話も多く、文章が上手いのでワクワクしながら読んでしまう。

米国での生活風景の描写も見事だ。ボストンに比べてニューヨークの何が違うか。それは、振動だというところなど、科学者というより文学者だ。この本は、ベストセラーになっただけに、科学解説書であり、文学書なのだ。



福岡伸一は、1959年東京生まれ。
1982年京都大学農学部食品工学科卒。
1988年ロックフェラー大学ポストドク(ポストドクトラル・フェロー)
1989年ハーバード大学医学部ポストドク
1991年京都大学講師、
1994年京都大学助教授
2004年青山学院大学理工学部化学・生命科学教授。
2006年科学ジャーナリスト賞受賞。『プリオン説はほんとうか?』で講談社出版文化賞科学出版賞受賞
2007年本書は65万部を超えるベストセラーとなりサントリー学芸賞<社会・風俗部門>受賞。
2009年『動的平衡



目次
第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダークサイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム

初出:「本」2005年7月号、2006年3月号―2007年6月号



以下、私のメモ。

ワトソンとクリックがDNAの構造を明らかにしてノーベル賞を受賞したことは有名だが、DNAが遺伝子だと明らかにしたのは縁の下の力持ち “an unsung hero” ともいえるオズワルド・エイブリーだ。肺炎双球菌に強い病原性を持つS型ともたないR型がある。死んでいるS型菌と生きているR型菌を混ぜて実験動物に注射すると、肺炎が起こり、動物の体内からは生きているS型菌が発見された。彼はR型菌をS型菌に変化させた物質が核酸、つまりDNAであることを明らかにした。DNAが当時考えられていた複雑なタンパク質でなく、単純な核酸であるという発見があってはじめてワトソンとクリックのノーベル賞受賞があったのだ。

DNAをわずか2時間足らずで10億倍に複製させるPCRマシンは遺伝子研究の強力な装置だ。この機械をドライブデート中にひらめき、発明したのが、ポスドクを渡り歩くキャリー・B・マリスだ。マリスはサーファーであり、あらゆる職場で女性問題を起こし辞め、PCRの発明でノーベル賞を受賞した科学界随一の一発屋だ。

量子力学の波動方程式で有名なシュレーディンガーの書いた『生命とは何か』という本の中で「なぜ原子はそんなに小さいか?」と言う疑問を提示している。彼の答えは、生物体の大きさが原子に比べて充分大きくないと、原子の無秩序な熱運動に翻弄されてしまうためだと推測している。


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