hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

荻野アンナ「働くアンナの一人っ子介護」を読む

2009年01月29日 | 読書2

荻野(おぎの)アンナ著「働くアンナの一人っ子介護」2009年1月グラフ社発行を読んだ。

「嫁入り前」の働く一人っ子・荻野アンナが、自己流の介護三原則で、父94歳、母85歳、2人とも要介護4の介護ジャングルを乗り切ってきた実体験記。

アンナさんは、長年のパートナーの闘病を支え、見送ったあと、高齢の日本語を話せない米国人父親、さらに画家で自立心の強い母親の介護を、病院や、ケアマネージャーなどの助けを得ながらとはいえ、たった一人で仕事をしながら続けている。



アンナさんによる、介護の三原則は、「失敗は許されない」「失敗したら後悔しない」「とっとと気分転換する」だそうで、完璧にやるぞと思ってもいろいろあって成功率は7割、後悔を溜め込まないで、少しでも心身のバランスを回復することが必要だと考える。介護者が「すべてを捧げたわよ」と思っていると気づいた相手にとっては重過ぎるし、捧げた方も抜け殻になってしまう。

アンナさんは30代から40代にかけてうつ病になった。52歳のアンナさんと、39歳のアンナさんとの仮想対話している記述があるが、過ぎてみれば、年を経てみれば、より離れた立場からみれば、楽になることが良く解る。

75歳以上はもう小児科と同じだと医者の世界では言われているようだ。わかりやすく説明が必要だが、大人として敬意を持って接する必要がある。
米国人の父親に病状説明するときに、医者の正統派英語での説明よりも、アンナさんの「悪いの、食道。口と胃の間。わかった?」という簡潔・大声の植民地英語の方が伝わるという。

今の80代と90代は頑張り屋で、ケアを受けることを申し訳ないと思い、抵抗もある。世代が下がるとケアへの抵抗が減り、権利意識が強くなる。今は「言いたいことは言わせてもらうね」が主流。しかし、中には、ヘルパーを家政婦と勘違いし「奥さまとお呼び」と迫った人がいたという。



著者は、1956年横浜生まれ。父はフランス系米国人、母は画家。慶應義塾大学文学部フランス文学科教授。1991年「背負い水」で第105回芥川賞、2001年「ホラ吹きアンリの冒険」で第53回讀賣文学賞受賞。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

90台の超わがまま、頑固な父親が、3 回死にかけては回復するなど厳しい話を、極めて明るく語り、介護の「手抜き」指南など、介護する人が読めば、ほっとする本だ。



以下、蛇足で、「『英語 ジョークの教科書』を読む」のつづきのジョークを若干。

What’s the best thing about being over seventy ?
No more calls from life insurance salesmen.

70歳をこえるといちばんいいことはなにか? 生命保険の外交員から一切の勧誘がなくなることである。
(確かに。あらほどうるさかった保険のおばちゃんの姿を見なくなって久しい)

丸山孝男「英語 ジョークの教科書」2002年3月、大修館書店発行より。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「英語 ジョークの教科書」を読む

2009年01月28日 | 読書2
丸山孝男「英語 ジョークの教科書」2002年3月、大修館書店発行を読んだ。

英語の本や、英語の学習本をとっかえ、ひっかえ読み始めるが、1/3も読みすすめたことがない。ジョークの本なら、話は細切れだし、最後まで面白く読めるだろうと思い、そのとおりになった。

英語のジョークは背景の歴史、文化の違いで理解できないあるいは面白くないことがある。おまけにTVや会話でのジョークはとくにテンポのよい早口になり、まったく意味がわからず、むなしくあいまいな笑顔をつくるしかない。ネイティブがあまりに大うけして笑っていると、そのうちこちらはしらけてしまう。

この本は、5つの話題別にいくつものジョークを並べている。簡単な背景説明のあとに、英語、そしてその翻訳文がつづく。難しい英単語はほとんどないし、日本語訳がすぐ続くので辞書なして、寝転がって読める。



著者の丸山孝男は、北海道生まれ。ニューヨーク大学大学院修了。英語学・社会言語学専攻。明治大学教授。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

私がウケタジョークをいくつか紹介するが、残りのものは次回以降の記事の最後に付け足すことにする。

( )は私のコメント

There are more important things in our life than a little money - lots of money !

人生には少々のお金よりも、もっと大事なことがある。それは大金である!



A bank is a place that will always lend you money if you can prove that you don’t need it.

銀行というのは、お金を必要としていないことを証明できる人に、いつでもお金を貸してくれるところである。
(実際、中小企業の人が言っていた。「バブルのときは銀行の人が、必要もないのにお金を借りてくれとしょっちゅう頼みに来た。不景気になると、コロット変わり、資金繰りに困っても我々中小にはまったく金を貸してくれない」)



Teller : What sort of savings account would you like to open, Mr. and Mrs. Ray ?
Mrs.Ray : A Joint account, please.  Mr.Ray deposits and I draw out.

「レイさんのお宅は、どんな預金口座を開きたいのでしょうか」
「共同預金口座をお願いしますわ。夫のレイが預金して、妻の私が引き出すの」



A door-to-door salesman knocked at the door of a suburban house in London.
Salesman : Good afternoon, would you care to buy a copy of “One Hundred Excuses To Give Your Wife For Staying Out Late” ?
Madam : Why on earth do I have to buy a book like that ?
Salesman : Because I sold a copy to your husband at his office this morning.

戸別訪問のセールスマンが、ロンドン郊外にある家をたずねてドアをノックした。
「こんにちは、“夜遅く帰宅したときの妻への言い訳100例集”という本はいかがでしょうか」
「いったい妻の私が、なぜそんな本を買わなくてはいけないのよ」
「じつは、今朝、会社でお宅のご主人さまにこの本を買ってもらったからであります」



続きは次回以降に少しずつ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「年齢(よわい)は財産」を読む

2009年01月23日 | 読書2

日本ペンクラブ編「年齢(よわい)は財産」2008年11月、光文社発行を読んだ。

年をとることとは何かについて、日本ペンクラブの会員31名による全編書下ろしの随筆集。

収録されている多くの随筆が、年を取るよろこび、年齢を重ねることで見えてきたこと、気付いたこと、年取ってもまだまだやりたいことなどを述べている。しかし、必ずしもタイトルのように年取ることを良いこともあるとして肯定的にとらえた話だけではない。やはり衰えていくことへのぼやきもあるし、単に自分史を述べているものもある。
全体的に玉石混交で、書き下ろしのものをそのまま載せたようで、何らかの選定がされていないように感じる。

目次
言葉遊び(土居伸光、私の九十代・長命の哲学(伊藤桂一)、できなくなる、ばかりじゃない(角田光代)、衰えを知らない文学への熱情(梁石日)、骨を洗う(川浪春香)、三代目の弁(長部日出雄)、年齢と財産(瀬戸内寂聴)、悪魔と私(ドナルド・キーン)、長生きするのも芸のうち(有馬敲)、過去の多さは作家の財産(阿刀田高)、新しい獲得―わたしの中の小さな湖(落合恵子)、年上の友人と師に恵まれて(C・W・ニコル)、点の仲の年月(眉村卓)、老境になぜ道元か(倉橋羊村)、人に会う(夏樹静子)、人脈の話(佐高信)、年齢を想う(愛川欽也)、見えてきたもの(下重暁子)、それは、本当に財産なのか。(佐野洋)、辛い試練の向こう側(湯川れい子)、ダウト「年齢は財産」(五十嵐二葉)、複眼で生きる(三田誠広)、「姥捨駅」にて(野村正樹)、高齢化へのワープ(もえぎゆう)、役者の齢(松本幸四郎)、私の幸せ財産探しマニュアル(バーバラ寺岡)、「小さな物語」の向こうに(吉岡忍)、夢の最終便は華やかに(今田美奈子)、豊穣なる晩年(梅原猛)、野暮な婆さん(阿川佐和子)、楽隠居(浅田次郎)




角田光代さんは、27歳で精神的成長を止め、その後はとくに意識しないと自分を27歳と思ってしまう。具体的に年齢を意識させられて始めて、「ああ40歳なんだ」と思う。
若い頃読んだ本を30代半ばになってから再読し、気づかなかった魅力がわかる年齢になったと実感したと語る。
(これは共感できる。私も今66歳であることが信じられない。肉体的なことを除けば、意識は40代だ。内面が豊かになったとも思わないが、物事を多面的に見ることができるようにはなっているだろう。)

阿刀田高は、「50代、60代は10年まとめて考えられても、70代は前半と後半、80代は前、中、後と3つに分かれ、90代は多分毎年違う」と先輩に言われたと書く。
(確かに、離れて暮す母親に久しぶりに会うと、いつものようにいそいそと出迎えてくれるのだが、見ると急にがっくり年取ったなと思った。肉体的老いは年取るほど急激になる。しかし、逆に、頭の動きは、年取ると体内の時計がゆっくり進むようになるため、外界の動きが早く感じられる。)

40も半ば過ぎてから時代小説を書き始めた浅田次郎が書いている。武士の給与は個人に対するものでなく、家に対するものであり、原則として昇進も昇給もなかった。給料が家禄で昇進、昇給がないなら、さっさと倅にバトンタッチして悠々自適の隠居をしたくなる。寿命もほぼ50歳であるから、ほぼ40歳で隠居となる。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)


私は、今、身体も心も20代に戻れるとしても、御免こうむりたい。やらなかったことで後悔していることは確かにあるが、20代のほとんどの季節を、望むこととやれることのギャップにイライラし、不満だらけで過ごしたような気がする。ますます束縛多い管理社会へ進む中で苦しい20代、頑張った30代があったから、おだやかな今、60代があるのに、なんで若いころに戻りたいと思うだろう。
もっとも、気力も穏やかに(?)なった今だからそう考えるので、現在、身体も心も若ければ、もう一度やり直したいと思うのかもしれない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡野弘彦「万葉の歌人たち」を読む

2009年01月22日 | 読書2

岡野弘彦著「万葉の歌人たち」NHKライブラリー192、2005年2月発行を読んだ。

裏表紙にはこうある。

万葉人たちは、都でも地方でも、濃密な共同体の中に生き、共同の場での共同の感動を歌に歌った。額田王、柿本人麻呂、大伴旅人・家持父子、大伴坂上郎女ら代表的歌人だけでなく、名前も残らない東人、防人らの歌もとりあげて、今なお生命力を保ちつづける「万葉集」のしらべの美しさと言葉の持つ力強さを味わいながら、その時代と人々の暮らし、歌人たちの実像に迫る。


この本は、「NHKカルチャーアワー・東西傑物伝」で放送された「万葉の歌人たち」のガイドブックをもとに作成された。高校で古文をまじめに勉強しなかったので基礎知識のない私にもわかりやすかった。


代表的な万葉の歌人8人と、東人・防人の歌のうち、著者が好きな歌をいくつか取り上げ、言葉の解説、歌の現代語訳、そして著者がすばらしいと思う点を熱っぽく語っている。
また、各歌人の特長を具体的にわかりやすく解説している。


個別の歌の解説についても、なるほどと思うことが多かったし、私が始めて知るすばらしい歌もあったが、この場に引用するとあまりのも長くなるので、具体的歌は省略する。

以下、万葉集に惚れぬいた著者が特長としてあげる点をいくつか抜き出してみる。(文章は簡易化した)


歌は祝福、歌は祈り、歌は魂の鎮め。万葉人にとって、歌とは単にあるものをあるがままに描写するものではなく、現実はこうだから、それよりもっとすばらしくあれ、もっと清らかであれと思いを込めて、言葉の力により現実の世界を変えようと思って歌を歌った

万葉集は、必ず声に出して自分なりの好きなしらべで歌ってみるのが良い。言葉のしらべを大切にしたい。

中世あたりから、謡曲、流行歌、浪花節も七五調になってしまったので、万葉集の長歌などをよんでもついつい途中から七五調になるが、五七調で読むこと。

挽歌というのは、形式的なお悔やみの歌ではない。恨みをもって非業の死をとげた鎮まらざる魂、鎮まりえない魂を、言葉の力によって鎮めようとするものだ。



どうしても、防人の歌を二つだけご紹介したい。

「霰(あられ)ふり鹿島の神を祈りつつ すめら御軍(みくさ)にわらは来にしを」

(鹿島の神に祈りをささげて、天皇の軍隊の兵士として、私はやってきたことだ)


「筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹ぞ 昼もかなしけ」

(筑波嶺の百合の花のように、夜の床の中でもあんなにいとしかったわが妻よ。こうして旅してしる昼間もいとしくてならぬ)

前の歌は戦争中、「日本の国を守るためにお前たちも潔く命を捧げてこい」と、学生たちが暗記させられた歌だ。
しかし、教えられなかったが、後の歌も、万葉集にある同じ作者の歌なのだ。
著者は言う。「勇ましいばかりではない、こまやかな愛情、いたましいほどに美しい心というものも持っている。それが人間の姿というものだ。その人間の本当の姿を忘れてしまうから、非常に極端な戦争に引きずりこまれていくことになってしまう」



著者の岡野弘彦は、1924年三重県生まれ。國學院大學文学部卒。1946~1953年折口信夫に師事。1991年まで國學院大學教授。歌会始詠進歌選者。日本芸術院会員。現代歌人協会賞等多数受賞。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

万葉集に興味のある方は是非読んでみることをお勧めする。万葉集の一般的解説書とも違う著者独自の視点も含まれているので、万葉集中級者の方も面白いのではないかと、初級者の私は思った。

私は万葉集が好きだ。古今和歌集、新古今和歌集に比べ、素朴でつたない歌もあるが、自然、生活と密着し、おおらかで雄大な歌が多い。詠み人も天皇から名も知らぬ民衆までさまざまな身分の人がいて、まさに国民歌謡集であるのも良い。

また、現代のように、生活とは別の次元で和歌を詠むのではなく、万葉の時代は、生活の中で実際の対話として歌を詠み、宴会では歌で盛り上げ、悲しみの心を歌にして悼んでいたことを知った。しかも、教養ある貴族だけでなく、一部だとしても民衆も歌を詠んでいる。1200年以上前であることを考えると、日本人の歌ごころはすばらしいと思う。


以下、和歌以外の形式についての蛇足。

長い長歌があってそのあとに反歌(和歌)がつづく形式もあるが、私は長歌は反歌のための説明ぐらいにしか考えていなかった。この本を読んで、いろいろな形式から和歌へ収斂していく過程がわかった。著者はそれを惜しんでいるのであるが。

また、旋頭歌(せどうか)という五七七 五七七の形の歌がある。

「みなとの葦の末葉を 誰か手折りし わが背子が振る手を見むと 我ぞ手折りし」

(あの河口の葦の葉先をあんなに手折ったのは誰だろう 私のいとしい人が別れの手を振るのをよく見ることができるように、私が折ったのよ)
こんな自問自答の形も実現でき、和歌だけでなく、さまざまな形式があると、より豊かな歌が作れると著者は言う。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林真理子「綺麗な生活」を読む

2009年01月19日 | 読書2


林真理子著「綺麗な生活」2008年10月、マガジンハウス発行を読んだ。

美容整形クリニックに勤める30歳の港子(みなこ)が主人公。絶世の美しさが一気に下り坂になった女優、デザイナーなど有名人がシミやたるみを消しに来る。微妙な年齢の港子は、外見の美しさが心や周囲の人に影響を及ぼすのを認めながらも、冷静に眺めている。

林真理子さんは美へこだわりを持っている人で、美を失って行く焦り、そして、美容整形の詳細な描写がリアルに表現される。つくづく、彼女の筆力はずばらしいと思う。


一方、美のほかに、真理子さんのお得意分野、恋愛。お金持ちの中年との不倫と、売れない作家志望の青年とのふたまたの恋愛にそろそろ限界を感じ始めた港子。そのとき、モデルで芸大建築科大学院生の男が港子の前に現れる。母親の恋人に唇がそっくり。警戒し、あきらめの心が、やがて美しい男の威力を思い知るようになる。そして、その恋の先には悲劇が・・。



「外見の美しさは、ゴチャゴチャ言ったってやっぱり基本じゃない」という林真理子さんらしいお話。筋立てはどこにでもある話だし、あっさりと短時間で抵抗なく読めてしまう。BOAOという雑誌の2006年4月号から2007年7月号まで連載されたものの単行本化で、いかにも雑誌の連載小説だ。

といっても、はじめの方に出てくる女優、デザイナー、モデルなど華やかな女性たちの話がいかにも興味を引くように描かれる。また、30歳の港子の周りの女性たちは、派手な恋愛から次々と抜けていき、キャリアウーマンでもない港子は取り残されていく。彼女たちの会話は生き生きと、現実感をもって描かれる。
林真理子さんの小説は、「テーマなんて当たり前でいいの。皆が興味を持つ上流生活の内情や、そうそうと思わせる会話を私の描写筆力で描けば売れのよ」と言っているようだ。

著者の林真理子は、1954年山梨県生まれ。コピーライターを経て執筆活動を始め、1982年「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がベストセラー。1986年「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞、1995年「白蓮れんれん」で柴田錬三郎賞、1998年「みんなの秘密」で吉川英治文学賞を受賞。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

読んだ後、何が残るわけでもないが、ともかく気楽に、面白く読める。




この本の最後の著者紹介には、このほか、「エッセイ集に『美女入門』シリーズ、『美女は何でも知っている』、『美か、さもなくば死を』などがある」と紹介されている。

これほど正直に「美」へのあこがれを語る林真理子さんは、自虐的?(失礼しました)

林真理子の略歴と既読本リスト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔々の映画の思い出

2009年01月18日 | 個人的記録
明治生まれの亡き母は映画好きだった。母親は幼い私を映画館に良く連れて行ったが、ぐずりもせず、膝の上で眠っていたと話していた。そういえば、下北沢の映画館で、コートを着て帽子をかぶった外国の男性と、つばの広い帽子をかぶったはなやかなこれも外国人の女性が寄り添うのを母の膝に寝転んで見ていたような気がする。

前回の「『木曜日だった男』を読む」で、「目玉のまっちゃん」と書いた。
「目玉のまっちゃん」は、尾上松之助といって1000本を超えるトーキー(無声映画)に出演した日本最古の映画スターだ。1875年生まれ、1926年死亡だから、私は彼の映画を見た記憶はない。昔々の映画を特集していたTVでチラリと見ただけだ。しかし、もしかしたら、幼いころ母親の膝の上で眠りながら見ていたかもしれないが。



人気の絶頂でジェームスディーンが突然事故死したとき、母親が言った。
「ジェームスディーンがすごい人気だって言うけれど、ルドルフ・バレンチノはそんなものじゃなかったわよ。ダンス教師だったのだけど、それは、それはステキだったのよ。死んだときは大変だったのだから」
まじめでなかなか教養もあり、そして私にとっては母親そのものだった母にも、そんないかにも女の子というような面がかってあり、あるいは今もあることに驚き、複雑な思いがしたものだった。

ルドルフ・バレンチノは無声映画時代の人気スターで、「ウィキペディア」*1によれば、

当時、劇場に出かける女性のほとんどが「彼がスクリーンから見つめる」という理由で綺麗に化粧をしていったという。
・・・
・・わずか31歳の若さで亡くなる。葬儀の際には10万人のファンがあつまり、後追い自殺するものまで出たという。

ということだから、確かに絶大な人気があったのだろう。TVで彼の出た映画を数分だけ紹介したことがあったが、「ただ単にニヤケタ兄ちゃん」という雰囲気だったので、なんだかちょっとがっかりした。

考えてみれば、1909年生まれの母は、バレンチノが死んだ1926年には、17歳だったのだから、その死に衝撃を受けたのも無理はない。あの母にも、花の乙女の時代はあったのだ。

*1)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィキペディアの運営主体は非営利団体ウィキメディア財団です。ウィキペディアの運営に必要なコンピュータ機器などは、皆様の寄付によって購入されています。ウィキペディアの運営をサポートしたいと思われたならば、どうか寄付をお願いします。寄付はウィキメディア財団の寄付のページで受け付けています。

いつもお世話になっているので、ほんの少額ですが寄付しました。便利に使っている方は応援してください。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェスタトン「木曜日だった男」を読む

2009年01月17日 | 読書2

チェスタトン著、南條竹則訳「木曜日だった男 一つの悪夢」2008年5月、光文社古典新訳文庫を読んだ。


裏表紙にはこうある。
この世の終わりが来たようなある奇妙な夕焼けの晩、十九世紀ロンドンの一画サフラン・パークに、一人の詩人が姿をあらわした。それは、幾重にも張りめぐらされた陰謀、壮大な冒険活劇の始まりだった。日曜日から土曜日まで、七曜を名乗る男たちが巣くう秘密結社とは。



無政府主義者、テロリストの秘密結社「七曜評議会」で、謎の議長・日曜におびえる月曜から土曜の男達の戦いを描く、なんとも不思議で、奇怪な冒険物語だ。
原作から100年経っているので無理ないが、いかにもオドロオドロとし、子供のころの「少年倶楽部」を思い出す。南條竹則氏の新訳は、意識的に古めかしい雰囲気を出している。

登場人物はいかにも時代がかった人物で(100年前なので当たり前)、舞台も暗く幻想的な昔のロンドン。決闘や馬での追跡などまさに時代物だ。バカバカしいほどの漫画チックな行動と語り。しかも、そこにやけに哲学的な話が挿入される。ナンセンス文学、ドタバタ喜劇とも言える。
女性がまったく登場しない(多分)のも、現在では特異な小説だ。



著者のギルバート・キース・チェスタトンGilbert Keith Chestertonは、1874‐1936。ギルバート・ケース・チェスタートンの方が正確らしい。ロンドン生まれのジャーナリスト、詩人。名門パブリック・スクールを出たあと、一時、画家をこころざす。出版社に勤めながら、詩、書評などを書く。江戸川乱歩が賞賛した名高い探偵小説「ブラウン神父シリーズ」短編集全5作の著者。

吉田健一の旧訳があるが、その題名は「木曜の男」。原題「The Man Who Was Thursday」からすると、本書の南條竹則訳の「木曜日だった男」の方が意味がわかる適訳と思う。

訳者の南條竹則は、1958年東京生まれ。英文学者で電気通信大学助教授だったが辞職し、作家、翻訳に専念。小説「酒仙」で第5回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞を受賞した。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

私は、筋につられ、「目玉のまっちゃん」が活躍した活動写真のようにそれなりに面白く読んだが、この手のものが好きと言う人は少ないだろう。チェスタトンのファンか、100年前あたりの古典が好きな人ならば、ハマルかも。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武蔵野八幡宮へ

2009年01月16日 | その他
正月は奥さまの風邪のため、初詣に行かなかった。今になって武蔵野八幡宮へお参りした。



11月には交差点にあるイチョウは見事に色づいていた。



しかし、今はすっかり葉が落ちている。



一月なかばともなると、境内は人影まばらで静まっている。



めずらしいものを見つけた。最近の東京の子供は何だかわかるのだろうか。



シモだ。



私の子供の頃は、東京でも舗装されていない道が多く、畑など土の見えるところも多かった。冬は霜柱をサクサクと踏みつけて歩くことがごく普通だった。



吉祥寺、武蔵野八幡宮の由来

そもそも、吉祥寺というお寺は、徳川四代将軍家綱の頃江戸小石川水道橋にあった。振袖火事などとよばれる明暦の大火で焼け出された吉祥寺門前町の住民は、1659年に五日市街道沿いに短冊状に与えられた原野を開発、移住し、その集落を吉祥寺村と名づけた。これが、吉祥寺の由来だ。なお、お寺の吉祥寺は現在文京区の本駒込にあるらしい。

武蔵野八幡宮は、桓武天皇の御代延暦八年坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられている。そして、吉祥寺村開村により村民の氏神様となった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木登り

2009年01月15日 | 個人的記録
最近は木登りしている子供を見かけない。もっとも、子供たちの身近には登る木も無くなっているのだが。
私が子供のころ住んでいた家には何本かの高い木があって、木登りが大好きだった。木の上にお気に入りの定位置があって、腕やお尻が痛くなるまで遠くを眺めていたものだった。
そう、数メートルの高さから落ちて、腰を打ってしばらく立ち上がれなくなったこともあった。



オーストラリアの南西の Pemberton に行ったとき、巨木登りに挑戦した。
前回ご報告の「世界一高い木」にある100 m を超えるセコイアには及ばないが、高さ58 m の巨木 Gloucester Tree に登ったことがある。60歳過ぎて一体なにやっているんだという気持ちもあったが、木登り好きが目を覚まし、奥さまの制止もものともせずに登り始めた。

50 cm くらいの長さの鉄棒が木の周りにらせん状に打ち込まれていて、それに手足をかけて登っていく。写真にあるように、下の方には鉄棒間の網があるのだが、10 m も登ると鉄棒だけになり、落ちたらそのままだ。



高いところが好きな私だが、鉄棒だけが頼りで、どうしても緊張し、鉄棒を強く握り締めてしまうので、手のひらが痛い。鉄棒の間隔がオージー向けに広いので、片手を離して、上の鉄棒を掴むまでの間がたまらなく不安定でゾクゾクする。
途中で、このまま登って動けなくならないか、心配になる。下を見ると、足元がスウスウする。手のひらが汗で滑るようになったころ頂上に着いた。頂上には簡単な見張り台があり、見渡すすべての木が目の下にあり、樹冠が見える。
これが証拠だ!



木に差し込まれた鉄棒だけをたよりに58m登ったご褒美にしては少し物足りない。



以上、2006年4月19日のこのブログ「Pembertonで巨木に登る」参照。




この旅行で、同じオーストラリアの南西にTree Top Walkという場所にも行った。
ここには、木々の頭部を渡る橋がかけられていて、鉄製の坂を登り、橋を歩けば、木の上を散歩できる。高さは最大40mあるので、直ぐそばの大木を上から見ることができ、自分が鳥になったような奇妙な感じがする。
こちらの方は、木々を上から安全に眺められ、高所恐怖症の人にはお勧めだ。ただし、足元は網になっていて、40m下がはっきり見えるのだが。



2006年4月18日の「AlbanyからDenmarkを経てTree Top Walk へ」参照





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リチャード・プレストン「世界一高い木」を読む

2009年01月14日 | 読書2
リチャード・プレストン著、渡会圭子訳「世界一高い木」2008年7月、日経BP社発行を読んだ。

米カリフォルニア州のセコイアの森林で世界一高い115.5メートルの木を探し当てた森林学研究者とクライマー2人を中心とした森林探検家たちのネイチャー・ノンフィクション。

深い森林の中で困難を物ともせずに、とくに高い巨大なセコイアを見つけては、頂上に登り、そして高さを測定し、ついに世界一高い木を見つけ、征服するノンフィクション探検ストーリーがメイン。
しかし、個性的な木登りオタク達の生きざま、森林の樹冠(=林冠:太陽光を直接受ける木々の先端部分)のコケなどの植物学の話などをからめた、392ページの大部。

100メートル以上ある木々の頂上部を調査するためには、さまざまな工夫を凝らして木に登る。著者自身、この危険なツリー・クライミングを経験しているので、その解説は詳しく、具体的だ。
100メートル以上あるセコイアは地上75mぐらいまでは枝がない。木を傷つけずにどう登るのか、いろいろな人がさまざまな道具とテクニックに工夫を重ねてより危険性が少ない方法を見つけるまでが語られる。

本の表紙の写真を良く見ると、真ん中の木に取り付いている二人が見える。木の高さが実感できる。



森は500年に一度くらい大火事があるが、焦げた部分を修復し生長を続けるなどセコイアの生態解説も私には詳細すぎるくらいだった。

さらに、巨大な木々に取り付かれ多くのものを投げ打ってしまう研究者、木登りオタクに密着インタビューしているので、その人間像も面白い。


題名の「世界一高い木」より、原題「THE WILD TREES ?A Story of Passion and Daring」(=未開の木々 -情熱と大胆の物語)の方が良く内容をあらわしている。



著者のリチャード・プレストンは、1954年米国マサチューセッツ州生まれの作家、ジャーナリスト。著書には、エボラ・ウィルスの脅威を描いたノンフィクション、世界的なベストセラー「ホット・ゾーン」や、「コブラの眼」「デーモンズ・アイ」「夢のボート」などがある。

訳者の渡会(わたらい)圭子は、上智大学文学部卒。翻訳家。訳書に「岩石から読み取る地球の自叙伝」「樹木と文明」「大気の海」などがある。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

不運にも落下して死亡した状況の記述もあり、また身体をひねって手から落下し、下が運よく厚いコケだったことからひどい骨折だけであやうく命をとりとめた場面もある。100mとはいかないが、50mの高さの木に登ったことがある木登り好きな私は、読んでいるだけで、自分が危ないような気になってヒヤヒヤした。
木登り愛好家にはお勧めの本だが、一体どのくらいの人数が・・・。

私の木登りの話は次回。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リチャード・プライス「聖者は口を閉ざす」を読む

2009年01月12日 | 読書2
リチャード・プライス著 , 白石朗訳「聖者は口を閉ざす」(原題:Samaritan)、2008年3月、文藝春秋発行を読んだ。

表紙の裏の要旨は以下だ。

レイは故郷に戻ってきた。TV脚本家としての名声を捨て、生まれ育った団地の町に貢献するために。貧困と荒廃に覆われた町のハイスクールで、レイは講師をはじめる。少しずつ生徒たちとの交流も深まってきた頃―何者かが彼の頭を殴打し、瀕死の重傷を負わせた。
だがレイは警察に犯人の名を明かさない。
捜査を担当することになった刑事ネリーズは、レイの幼なじみだった。献身的に町のために尽くしてきたレイは何を隠しているのか?ネリーズの捜査が、レイに関わった人びとそれぞれの物語を引き出してゆく…それはひとつひとつが悲しく、あるいは暖かく、そして何より彼らにとってかけがえのない物語だ。
その果てに明かされる真相。善行をなそうとした男を見舞った悲劇の理由。
スティーブン・キング、エルモア・レナードら、小説巧者たちが絶賛の声を惜しまない感動の大作。痛ましい現実に満ちた世界のなかで、しかし希望の光が最後に灯される。




善行がもたらす、癒しと傷。とくに、自分の弱さのための善行と、愛にもとづく善行の境目はあいまいだが、その影響は大きく異なる。

子供のころに過ごした荒れ果てた団地に戻り、今も住む人達と交流するうちに、昔の出来事を思い出しながら、その裏の事情を始めて知る。
事件の起こる前と後が交互に語られる。そして、それらの中で、昔の出来事がはさまる。たいした混乱もなく読めるのは、著者の力量だろう。



著者のリチャード・プライスは、24歳で「ワンダラーズ」を書いて大成功の作家デビューを果たし、10年たらずで4作を書いた。しかし、壁にぶちあたった彼はシナリオ作家に転換してトップクラスになる。さらに10年ぶりに長編第5作「クロッカーズ」、6年後に「フリーダムランド」、そして本書でも、ニュージャージの低所得者向けの郊外団地を舞台とする小説を書いた。
書く力がある作家であることは間違いない。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

貧富の差が米国ほどあからさまでなく、慈善の文化もささやかな日本に住む私には、だまされるとわかっていても頼まれたら断れないレイにはイライラいして、ついていけない。
なにより、犯人は誰かという疑問も558ページも読みすすめるうちに、どうでも良くなってくる。
それにしても、サイドストーリーをこれほどまで積み重ね、濃厚な話をつむぎだす著者のプライス氏には敬意を表する。外国にはどうしてこうエネルギッシュな作家が多いのだろうか。日本では数少ない宮部みゆきさんや、高村薫さんは肉食?

しかし、対岸にニューヨークを見るスラムの様子、変化、そこに住む人達の絶望と達観はよく書けていて、読み続けていると、その中にすっぽり入ってしまったように感じる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禁煙

2009年01月06日 | 個人的記録

「新年の目標に禁煙を選ぶ人が多いが、その成功率は非常に低く、約90%の人が24時間~1カ月以内に喫煙を再開する。むしろ、結婚、新しい交際、子供を持つなど、人生において大きな変化があるときに禁煙に成功する可能性が高い」ことが調査の結果明らかになったという。ただし、これはオーストラリアでの話(Australia NEWS 2009年1月6日, http://news.jams.tv )であるが、日本でもほぼ同じではないだろうか。

ちなみに、私も若い頃は喫煙していた。自分で自分がコントロールできないのがいやなので、ときどき1、2ヶ月禁煙して、禁煙できることを確かめてから、また喫煙していた。そのころは、「趣味は禁煙」と言っていた。
しかし、社会が現在ほどタバコに厳しくなく、しかも、いつでも禁煙できると思うと、すぐまた喫煙し完全な禁煙はできなかった。

私がきっぱり禁煙しようと思い、実行したのは、やはり子供が生まれたときだった。子供の誕生を機会に、と思ったし、幼児にタバコの煙やニオイをかがせたくなかったためだ。
最初のうちは、宴会で友達から、「まあ、一本」とタバコを差し出され、ついうっかり、「サンキュー」と受取ってしまう。口にくわえて、火をつけて、「しまった!」と驚き、目が覚める。良く夢でタバコを吸った夢を見たものだった。
実際は、息子の誕生以来、タバコは一本も吸っていない。

ところがなんと、成人したその息子が、いつのまにかタバコを吸っていた。何回も身体に悪いからと注意したのだが、やめない。勤めるようになって、ストレス解消にタバコを吸わざるを得ないと言われると、それ以上は言えなかった。

なんとなんと、その息子がタバコをやめたという。どうも彼女との結婚が決まった時期と重なる。
それにしても、女子供の力は偉大だ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川上弘美「どこから行っても遠い町」を読む

2009年01月04日 | 読書2


川上弘美著「どこから行っても遠い町」2008年11月、新潮社発行を読んだ。
一つ一つは完結した11の短編でなる連作短編集だ。



男二人が奇妙な仲のよさで同居する魚屋の話「小屋のある屋上」で始まり、入れ替わり立ち代り違う相手を連れてくる父親の話「午前六時のバケツ」が続く。
そして、美人で上品で静かなお母さんの話「夕つかたの水」、「蛇は穴に入る」,「長い夜の紅茶」,「四度めの浪花節」,「急降下するエレベーター」,「濡れたおんなの慕情」,「貝殻のある飾り窓」,「どこから行っても遠い町」と続く。 最後の、裸足で男のもとへ駆けていった魚屋の死んだ女房の話「ゆるく巻くかたつむりの殻」が、最初の「小屋のある屋上」につながる。


東京の小さな町の商店街、一見、穏やかに見える小さな昔ながらの商店街に暮らす人々。その平穏な日々の奥にあるあたりまえではない人生の数々。あやうさと小さな幸福。川上さんの文章は、透明感あり、すっきりとして、さわやかだ。つくづく、川上さんは短篇の名手だと思う。


川上弘美の略歴と既読本リスト


私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

川上さんはお茶大のSF研究会に属していたことがあり、初期の小説には跳んだSF的な話が多い。一方で、幻想的世界と日常が混じりあう話がよく出てくる。この本は、昔ながらの商店街で平凡な日常を送る人々の話だが、現実的情景の具体的描写の中、謎めいた過去を持つ人が浮かび上がる。そして、いつの間にか摩訶不思議な川上ワールドに引き込まれてしまう。
例えば、最後の話で、主人公の女性が、「子供って、なんだかこわい」と言う。私は読んでいて、「え!なに!どういうこと」と思う。すこし後で、「好きな人が死ぬと、すこし、自分も死ぬのよ」と言うセリフなどを読み進めていくうちに、なんとなく、「こんなこともあるかもね」と思ってしまう自分がいる。

哀しい話が多いが、最後が、「生きているのは、おもしろかったです。・・・捨てたものでなかったです、あたしの人生も」で終わるので救われる。

もう少し、川上さんの本を読んでみたいと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我家の2008年の重大ニュース

2009年01月03日 | 個人的記録
昨年末にアップしようと思ったのに、新年になってしまった我家の2008年の重大ニュース。

第一位 なんとか健康で一年過ごせた
  風邪引いたり、調子を崩したりしたこともあったが、なんとか無事一年を過ごせた。何と言っても健康が一番。

第二位と三位は、子供のことだが、プライベートなことで略

第四位は、横浜の一軒家から東京のマンションへ引越したこと。今度の家は市のいろいろな公共施設が歩いていける近くにあり、図書館で本を借りて、二人で読書三昧だ。また、小さなコミュニティーハウスがあり、4,5人参加の講座などに参加し、逆に講師など頼まれてしまった。そのうち、温水プールや、文化会館でのリサイタルなどに参加したい。

第五位は、引越しにより居住面積が半分になるので、荷物を大処分した。荷物を増やすのは簡単だが、減らすのには大変なエネルギーが必要と再認識。

第六位は、スイスで10日間山歩き。一日だけ、ベルン市内散策の日以外は、天気に恵まれ、楽しい思い出になった。

第七位は、オーストラリアのパースに2週間滞在し、オージーの二組の夫婦をレストランに招待した。

第八位は、かねて奥さまご希望の知床旅行。北海道の東の方は広々として気分がよい。しかし、住むにはちょっと。

第九位は、結婚35周年記念諏訪旅行。しょぼすぎたが、ガレは堪能した。

第十位は、カナダから来日した一家をみなとみらい、鎌倉に案内。知っているようで、いざ案内するとなると、いろいろなことを知らないことにきづいた。英会話よりそちらか問題だった。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹賀新年

2009年01月02日 | その他

あけましておめでとうございます。

出来が悪いが、版画年賀状の画像をアップします。夏に行ったスイスの逆さマッターホルンです。



毎年の事ながら、一年に一度のことで、版画作成の手順を思い出せず、いつもにも増して失敗を重ねました。

例えば、この絵で右上が空いているのに、左上も白抜きになっています。これは、絵を裏側にして掘り込むことを忘れて、見当の位置をこの絵の左上にあとから追加したためです。また、4枚、4色の版板を使っているにもかかわらず、色使いも今ひとつ、ふたつです。多少のかすれは版画の趣ですが、刷りも今ひとつです。

このままではなんなので、元にした写真を添付しちゃいます。



こう見ると、もう版画なんてやめたくなります。写真をまねては写真に勝てないということでしょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする