今日は(も)内容がないので、長さで頑張ります。
East PerthのWellington Squareの北側に“FLEX in the city ”と書いた看板があり、”outdoor GYM”と銘打って、スリムで、健康になろうとある。そばに、シンプルな木製の柵状のものが5,6個並んでいる。ときどき、子供が遊んでいるだけで、大人が使っているのは見たことが無い。
看板には、”Stretching”と”Strengthening”についてそれぞれ、見事なスタイルの女性が遊具の使い方を示す写真と簡単な説明がある。ただそれだけである。
TV通販でのエキササイズ器具デモに出てくる人もそうだが、どうしてエキササイズの必要ないスリムな女性や、ムキムキマンが登場するのだろうか?
そういえば、日本で2年ほどフィットネスクラブに通ったが、オーストラリア・パースで見られるようなご立派な体格の女性は見かけなかった。大部分はどうしてもそれほどエキササイズが必要とは見えない標準的な人と、時間をもてあましているお年寄りで、私は両方に該当するが、これらの人は、ときどき現れて、まもなく消えていく。いつ行っても、熱心に鍛えているのは、粘着質的ムキムキマンや、健康オタクの抜群体型の女性だった。彼らはおそらく、2,3日休むと身体の調子が悪くなるのだろう。健康地獄と言える。
昼と夕方にレンタカーを借りに行ったが、いずれも1台もないと断られ、明日の正午前の予約が精一杯だった。イースターを来週に控えた土日だからだろうか。そのまま、帰るのもしゃくで、造幣所MINTと、Gloucesterへ寄った。
パース造幣所Perth Mintは、 1899年にロンドンのRoyal Mintの支局として、設立された造幣所で、現在ではオーストラリアの特別な金貨、銀貨、プラチナ貨を製造している。博物館には、コイン、金産業関する歴史的展示があり、20万ドルする金塊を実際に触り持ち上げることができる。ただし、どうしても持ち去ることはできないようになっています。また、実際に溶かした金を型にいれて金の延べ棒を作る鋳造工程を目の前で見ることができます。
入り口の左手には各種金貨、金製品や宝石などを売る店も併設していて日本人の店員の方もいて、日本語のガイドを頼むこともできます。何回も行っているので、顔を覚えられてしまいました。
27日に書いたTrotting Race繋駕(けいが)競馬と呼ばれる、人が乗った簡単な二輪の馬具を馬に引かせ競争するグローセスター Gloucester Parkの入口にも寄ってみた。先日の写真では馬車が良く分らなかったとの話があったので、一枚写真を追加する。もう一枚は今日、金曜の夕方の入口。、昼間の閑散さはなく、人々が三々五々集まってき始めていた。
オーストラリア・パースでのアパ-トメント生活で、日本のニュースは、夕方にネットでニュースのタイトルを見ながら目に付いたものだけ詳細を知るのがほとんどである。しかも、ダイアルアップの3.1Kb/s環境であり、動画どころか、写真もじっくり表示される途中で切り替えてしますこともある。また、前日のNHKニュースが朝5時半からTV放送されるので、ときどき見るのだが、放送権の関係で、WBCの野球をしている映像は写らず、音声のみである。
もともとひねくれ者の私はアンチ巨人がアンチ野球になっているし、メジャーリーグがとって付けたように始めたWBCにも関心がなかった。しかも、きれぎれの情報環境では、号外も出たと言うWBCでの日本の逆転優勝にも、のりきれない。
ましてやイチローが、チームを引っ張ってとか、自棄酒を飲んだとか、聞くと、勝手に、宮本武蔵ばりの、孤高の求道者のイメージで捉えていたのに、オヤオヤと思ってしまう。
イチローは日本でもオリックスの主力打者ではあったが、チームをまとめていく役割だったというイメージは私にはない。また、メジャーでのすばらしい活躍にもかかわらず、2年続けて所属チームのマリナーズがボロボロの状態であり、WBC日本チームのまとまりに気分を良くし、優勝で一気に弾けたのか?
こうなれば、私の多少の違和感は別にして、明るくはしゃぐイチローが、もっと米国マスコミに積極的に登場し、いっそう人気を盛り上げて欲しい。そして、将来の帰国後、監督になるなどして日本の野球界を明るく、伸びやかなものに変えて欲しい。
Indian PacificはアデレードAderaleを経由してシドニーSydneyへ行く大陸横断鉄道でパースからシドニーまで4,352km、飛行機なら4時間ぐらいのところを3泊4日の寝台列車で行きます。ナラボー平原には、478kmの世界一の直線距離があることでも有名です。途中、ブロークンヒル駅、アデレード駅、そして金鉱山で有名なカルグーリー駅では列車が駅に止まっている間を利用してオプションの観光ツアーが出来ます。
Gold Kangaroo Class(写真右側)と Red Kangaroo Class(左側)の2クラスあって、食事や飲み物付きのGoldでシドニー、パース間で$1690です。日本人の若い女性が何人も荷物のチェックインに並んでいました。しかも、Goldです。
http://www.ats.co.jp/index.php?cPath=81(旅行会社 Australian Tour Specialists、日本語)
East Perth駅前には542の銘板のある機関車と、SPRIT OF WESTと書かれた客車(レストラン)が展示されていました。
余談ですが、パースからメルボルン経由でシドニーまで走破する世界記録は、4大陸を横断し、ユーラシア大陸を横断しようとしている Sergeさんが持っていましたが、2005年5月にドイツのAchim Heukenesさんが4,568kmを43日13時間8分で走破し、新記録を作りました。
わき道ついでに、駅に置いてあったパンフレット情報をご紹介。
パースからMandurahへ行く新線 New MetroRail は、11の新しい駅、 Narrow Bridgeの新しい鉄道橋、パース市内にEsplanade駅、William ST Platform, Perth Stationを地下につくり、2007年に開通予定。Mandurahまでパースからピーク時間帯で48分、10分間隔。
YUKIさんの3月26日の「パース好日」(http://homepage2.nifty.com/oneyearinperth/)に、「オーストラリアは、野菜は大きいが、なぜかリンゴや洋なしは小さい。パイナップルも小さい」とある。
私の推測だけだが、オーストラリアでは、リンゴや洋なしの間引きをやらないで、そのまま全部実らせるので、数は多いが、一つ一つは小さいのではないかと思う。日本では、これも推測だが、間引いて大きく育て、袋までかぶせたりして高く売るため手間隙かけるのではないか。
だいぶ前なので記憶が定かではないが、同じ「パース好日」に牧羊について以下のような記述があったと思う。 羊を餌の少ない冬の間もとくに羊小屋などに入れず、そのまま野外に出したままにしておくので、すっかりやせてしまう。しかし、このような飼育方法がオーストラリアの羊を安く供給できることにつながる。
オーストラリアの牛の飼育に関する日本のTV放送があった。米国のような穀物飼料、人工飼料はやらず、牧草地を4つ(2つだったかも)に分け、1つを食べ終わったら次に移す方法で1年を自然の牧草だけを食料にして過ごすとの趣旨であった。ビールまで飲ませる日本の飼育方法とは大違いである。ただし、パース在住の日本の方に聞いた話では、オーストラリアでも日本向けの牛肉は、国内向けとは別に日本人好み(霜降り?)になるように、飼育方法を分けているとの話だった。
豊かな国土のない日本ではあるが、農作物、牛・豚・鳥などに付加価値を付けたり、大量生産してどんどん自然から離れて育てていくのはどうかと思う。鶏舎でほとんど動くことも無く一生を終える鶏、初めて日の光を見たときが、終末のときとなる牛。
動物愛護と言われると、アフリカの飢えた人は?、と反論したくなる私ではあるが、捕鯨なんかより、こちらが問題ではないか。
日本では有機農法か、そうでないかがようやく選択できるようになってきたが、小さくて安いリンゴと大きくて高いリンゴ、安くて柔らかい鶏肉と歯ごたえがある鶏肉など、消費者の選択の余地が今後広がってくることを期待したい。
特に今回偉そうなことを書いた割りに、推測、ぼけ記憶ばかりで申し訳なし。なにしろ当方3.1Kb/sのダイヤルアップ環境なので正確な情報えを調べる気になれません。
East PerthのWACA Ovalの北側にあるグローセスター Gloucester Parkは、オーストラリア第一の馬車競争場です。Trotting Race繋駕(けいが)競馬と呼ばれる、人が乗った簡単な二輪の馬具を馬に引かせ競争するレースです。昔の方はベンハーでチャールトン・ヘストンが乗って悪役と戦ったのを思い出してください。
しかし、昨日のピーナッツといい、今日のベンハーといい、我ながら出る話は大昔のことばかりで情けなや。
金曜の夜、開催ですが、ホームページで見て、臨時の週日の昼から行われることを知って出かけました。入場無料でした。
競馬の発走ゲートのようなものを両側に持つ車が、向こう正面からスタートし、馬車はゲートに接触するようにして後を追います。馬車を引き連れたゲート車は、手前第一コーナーあたりで、両側のゲートをたたみ、各馬車が一斉スタートとなります。1周して2周目の正面がゴールとなります。
今日は昼間でしたから、観客はごく少なく、盛り上がるのは実況放送だけでした。馬券は複雑そうで買えませんでしたが、珍しいものを見て奥様もご満悦の様子で、ほっと一息です。
大晦日の夜、ここでカウント・ダウンの花火が上がるようです。
www.gloucesterpark.com.au
午前中には、Melthamに用事があったので、ついでと足を伸ばし、炎天下を一時間近く迷いながら歩いて、スワン川を眺め、渡り、Grandstand Roadのアスコット競馬場Ascot Racecourse にも行きました。レースはやっていなかったので入口までです。
ここは、Australian Turf Club(WATC)の経営する10月から5月まで夏の間のレース場です。 www.waturf.org.au
East PerthのVictoria GardensでFeast Perth 2006が行われたので寄ってみた。ワイン、オリーブ油、ジャム、植木、はちみつなどの出店が20ほど、食べ物屋や、ABCの移動放送施設などがあり、楽しい催しでした。日曜なのにやって来たYellow CATでパース駅に出てBarrack Street Jettyまで歩き、フェリーでSouth Perthへ行った。
水かき汽船Paddle Steamer ”DECOY”で、ジャズバンドを聞きながらスワン川をクルーズした。
Paddle Steamer外輪船とは写真のように、船の外側に回転するカイを付けた汽船のこと。
日曜日の1pmにSouth PerthのMends Jettyを出発し、4pmに帰ってきます。
最初、Mends Jettyからパース市のBarrack Street Jettyの方向へ向かい、Narrows Bridgeをくぐり、スワン川の最も広くなった Melville Water を周回して戻ります。
途中、いくつものクルーザーやヨットとすれ違いました。
Kings Parkの下を通ったとき、Walkwayの途中の木々の上にかかる橋が見えました。
ジャズバンド、と言っても3名でしたが、お客さんの間を周り、なかなかご機嫌な演奏をしてくれました。ピーナッツ、知っていますか?、が歌っていた曲などが出て、お年寄りが多い船内が沸き、私も思わずリズムと取ったりして、楽しみました。船内はワインを何本も空けて盛り上がります。船長さんまで舵をあやつりながらビールを飲んでいました。
予約が必要で、TEL:9581 2383、一人$25です。
私たちの滞在するアパートメントはCATのバス停まで1分、無料区間FTZの電車の駅まで徒歩10分なので、基本的にどこに行くにもバスと電車で出かける。パースからの小旅行に出かけるときにレンタカーを借りるので、電車やバスでは無理なところは、その前後3,4日で回る。
ようやく涼しくなってきたので(??)コテスロー・ビーチCottesloe beachへ出かけた。土曜日になのにたまたまCATが来て、Wellingtonのバスステーションの11番ターミナルからの102番、12時発にぎりぎり間にあった。 と言っても、すこしはなれた場所に止めてある102番バスの中でサンドイッチを食べている運転手が見え、結局12時15分発になった。
バスの運転手に「コテスロー・ビーチ、ツーパースン」と言うと、何かゴチャゴチャ言う。私は日本人らしく、あいまいに笑いながら、ともかく「イエス、イエス」と答える。なおも、運転手は、「7.6ドル」に続いていろいろ言っていたが、ついにあきらめ、「しっかり持っていろ」らしきことを言って、印刷してチケットを渡してくれた。席について見ると、Family DayRiderと書いてある。二人以上でTransperthの一日券のようだ。CottesloeはZONE2だから、一人3.1ドル、二人往復で12.4ドル。2時間以内に戻っても、6.2ドルだから、かなりお得だ。15分の遅れ? OK,OK。ここはオーストラリア、しかもパース。ずぼらだが、親切。
知らないところに行くのにいやなのは、降りるべきバス亭がどこにあるか、次のバス停がどこなのか、時刻表など見てもまったくわからないこと。そもそもバス停が、目立たない細い棒一本のところもあるのだから通過してもわからない。コテスロー・ビーチは去年3回来たが、いずれもレンタカーだった。目標のThe Indiana Tea Houseという建物の先にある突堤が見えたが、バスが海岸線から内陸へ入ったので、あわてて次のバス停で降りてしまった。
そのまま海岸線を歩く。海岸は切れ切れに泳げる場所と禁止の場所が続き、赤と黄色の旗が次々と並ぶ。数分歩き、瀟洒な白亜の建物The Indiana Tea House前に無事ご到着。ホテルのレストランで昼飯とする。
海は紺碧と、あくまで青が混じり、ため息をつく。空も空気も、そして海も澄んでいるからこの色なのだろう。突堤の向こう側には遠く、フリーマントルのロブスターのような形をした海事博物館WA Maritime Museumが見える。芝生でぼんやり海を見てのんびりする。もう秋、泳いでいる人はさすがに少ない。
砂浜ではビーチバレーの大会が開催されていた。さすがに体格の立派なご婦人はいらっしゃらない。
帰りは、フリーマントル線のCottesloe駅まで12,3分歩き、電車で帰る。
フリーマントルへ出かけ、駅から金網の間の踏切を越えてイーシェド・マーケットE-Shed Marketsに行った。お土産、特製ヌガー、美術工芸などいろいろな店があり、Fremantle Marketより楽しめた。
お定まりの、South Terrace、通称 カプチーノ通りCappuccino Stripで昼飯。天井に団扇が動いていた。
Fremantle Marketをぶらつき、だらしない格好の犬にご対面。
オレンジCATの15番South Terrace Charles STで降りて南に(先へ)行き、Lefroy RDとの角のどう見てもガソリンスタンドに見えるのが、チョコレート工場 Fremantle Chocolate Factoryです。
写真の出来が悪くて恐縮ですが、ガラスの向側で溶けたチョコレートを形に流し込んで、余分な分をこそぎ取る、まさに手作りの工程が見られます。純粋のチョコレートはなく、中にいろいろなものが入った商品が多く販売されています。残念ながら試食はできません。
10pm-5pmで7days/week.です。
クイーンズランド州北部を20日に襲ったサイクロン・ラリーの被害は甚大で、イニスフェイルの町の完全な回復までには数年かかるとの報道があり、台風のメッカ日本に住む者として他人事ではない。また、オーストラリアで生産されているバナナの80%が被害を受けたとなると、毎朝のようにバナナを食べるこちらでの生活に影響は必至だ。
果物好きの私は日本に無い果物を見ると、パートナーの冷ややかな視線にもかかわらず、つい手が伸びる。しかし、残念ながら常に失敗に終わる。
去年はココナツを割る大きな包丁がなく30分以上苦心した上に、臭くて飲めずあっさり捨てた。
小さなマーケットで買ったつぼみのようなものは、名前も食べ方も聞いたが理解できず、食べる決心がつかないまま、放置した。しなびる直前で決断し、売っていた人の動作を思い出し、むしってしゃぶってみたが、苦いばかりでゴミ箱へ行った。果たして食べられるものだったかも疑問だ。
日本でも売っているが、子供の頃、塀の外からよだれをたらすばかりであったザクロを見つけて飛びつき買った。これも熟れ頃がわからず、種の周りのかすかな甘みを味わっただけで、ほとんどそのまま、これもゴミ箱行きになった。
ドラゴン・フルーツと言う名前だけは聞いていて、半分中味が見えるものをスーパーで見つけ挑戦した。周りが黄色くなり始めたので、あわててスプーンですくって食べたが、ゴマ状のものの食感と、多少の苦味があるだけで、これもほとんど行くべきところへ。どうも冷やして氷菓のように食べるものらしい。
最近、ついにスターフルーツを買ったが、決心がつかないまま気が付くと、茶色になってヘニャヘニャになっていて、つまむとドロリとして舐めると酸っぱいので、これも宿命の場所へ。
納豆を発見した先人の偉業に感謝しつつ、虎視眈々と次の獲物を狙っているが、珍味発見の道は遠い。
ハイドパークHyde Parkと言うとロンドンを思い出しますが、あんなに広々としている公園ではなく、湖の周りをぐるりとゆっくりまわっても30分程度でしょう。二つの湖があり、数多くの水鳥が居て、湖畔の大木もなかなかの見ものです。
ご幼少のころならさっそくとびついて木登りしているでしょう。そういえば、こちらでは木登りする子供を見かけません。禁止でしょうか。時代でしょうか。
観光的なものは何もありませんが、ベンチも数多くあるのでのんびりと鳥をながめたり、日陰で涼むのには最適です。
数多くの鴨と2羽の黒鳥と何種類かの鳥がいましたが、重たい図鑑を日本に置いてきたので名前がわかりません。この周辺では見かけないくちばしが長いとりを見ました。また頭部が赤いにわとりのような鳥は昨年も居て、写真を見た友人は食用の鳥ではないかと言っていました。
パース駅からWilliam Streetを北に1.5kmほど行ったWilliam StreetとVincent Streetにはさまれたところにあります。Blue CATの9番のTAFEで降りてWilliam Streetを歩いて行きましたが、中国語の看板が並び、町並みははっきり言って整頓されておらず、散歩にお勧めのコースではありません。ハイドパークHyde Park の東側のWilliam Streetから300mほど東を南北に走るBeaufort STにはいくつかのカフェなどが立ち並んでいます。こちらから行くのが良いでしょう。
帰りはハイドパーク前からバスに乗ってパース駅西口まで出ました。2 Sectionで$1.3でした。
パースでは、歴史ある建物の一部を削ってそこに高層ビルを建てたり、建物の一部を残したり、建設中のビルのように古い建物の玄関部分だけ残したり、建築物の外観の保存には工夫をこらしているようです。ごまかしのような気もしますが、町並み全体としてみると、これにより雰囲気は保たれていると思います。
フリーマントル西地区の町並みは歴史的建物群として見ごたえあります。1987年にアメリカーズ・カップ防衛レースがフリーマントル近海で開催されるのを機会に、数百万ドルもかけて歴史ある老朽建造物を少なくとも外観はそのままに修復し、博物館、美術館、税関や船会社のオフィスに生まれ変えました。オーストラリアでは、シドニーの町並みも古い建物の壁だけを残し、中は新しい建物にするなど外観を歴史ある雰囲気に保つ工夫をしていました。
日本の表参道ヒルズが今年オープンしましたが、歴史的な同潤会アパートの保存が問題となり、ごく一部を残すことになりました。日本でも、経済効率第一から、ゆとりある豊かさへ変換するためにも、明治村のような特別地域に建物移設でなく、現地で何らかの形で歴史的建造物を残していく工夫が必要と思いました。
さらに、町並み全体としての調和、電柱が無いことなど直接的経済効果は少なくとも、まだまだ日本には金をかけるべきことがあり、そして地域の話し合い、コンセンサスが必要なのではないでしょうか。
Commonwealthについて、53もの国や属領が今も英連邦に属し、
歴史と政治的遺産を共有したゆるい結合を保っており、英帝国は
これらの国に対し、かなりひどいことをしたに違いないのに、脱退した
り、参加しなかったのは7カ国に過ぎない。英国の外交力に比べ、
日本の外交は過去の負の遺産を後世に持ち越そうとする、なんという
テイタラク」と嘆いてみせた。
コモンウェルス大会は53カ国で、72チームである。 例えば英国は
イングランドとスコットランドが別チームとなっている。そういえば、以前
英国の人に「英国は----」と話していたら、英国とは、“the United
Kingdom of Great Britain and Northern Ireland”で、イングランド
とは別だとむきになって言われたことがある。一国の中で、昔は血なまぐ
さい戦争をし、今は互いに競争している。それでいて昔は、英国として
他国を侵略し、今は緩やかに53もの国をまとめている。まとまりの良い、
金太郎飴の日本からみるとおかしな国だ。
しかしながら、そういえば、米国もロシアも、独立性の高い州、連邦制
だし、このオーストラリアも正式名はオーストラリア連邦
Commonwealth of Australiaだ。
日本でも道州制の議論が始まった。確かに狭い日本で46分割は
多すぎる。日本では、関西が東京に対抗意識を見せるくらいで、地域
間の対立はほとんどない。人種的にも南方系と北方系、少数民族の
アイヌなどいるのだが、ほぼ対立はなく、仲良しこよしをしている。
道州制になり、首長の政策による地方同士の格差が明確になれば、
地方が互いに切磋琢磨し、東京一極集中を避けられる可能性はある。
まず、軍事と外交だけに絞るなど日本国として最低限何をすべきか、
を議論してから、地方に何を移すかを決めるべきである。まず、自ら
を律せよ。
小泉さんの競争唯一政策と、ぶん投げ体質に負けず意味ある議論、
結論を期待したい。と、御体裁だけのまとめで、とってつけた朝日新聞
並み結論になってしまった。
“bloody”を辞書で引くと、「血に汚れた」、「どえらい(しばしばb-dyと伏字にする)」などとある。もともとは汚い言葉らしい。しかし、どの程度なのかは、英語に弱い私にはまったくわからない。
豪政府観光局は新しいオーストラリアのキャンペーン用スローガンに、"So where the bloody hell are you? ( ところで今、一体どこにいやがるんだい?) " を使い始めた。
これに対し、イギリスのテレビ広告監査機関Broadcast Advertising Clearance Centre (BACC)はテレビでの宣伝に"bloody”を使用することを禁止した。
豪政府観光局はこれにより宣伝効果はますますパワーアップし、印刷物やネットでの宣伝は可能なことから、www.wherethebloodyhellareyou.comウェブサイトのアクセス数はうなぎのぼりだと述べた。
さらに続きとして、オーストラリア政府観光局からの抗議を受けたBACCは、禁止措置を見直すことで合意した。放映禁止撤回を働きかけるためロンドン入りしているオーストラリアのベイリー観光相は、英当局の禁止見直し決定を受けて、「bloody good result」と、問題となっている言葉を使って歓迎の意を示した。(ロイター) - 3月15日
Commonwealth Gameの開会式を報じるThe Australian紙の一面も“A fun-bloody-time was”で始まっていた。
John Howard豪首相には、小泉さんにもまけじとの米国追従姿勢が感じられるが、それでもオーストラリアの旧主国のイギリスに対する感情には微妙なものがあるのかもしれない。
駅前のJames StreetはJames Street Antique Stripと言ってアンティークの店が数軒並んでいる。各店舗特徴があり、丁寧にのぞいて行くが大枚叩くほどのものは見つからない。
道端に籠に花を活けた自転車が置いてある。ヤルジャナイ。
Meadow Streetとの角を曲がり、Town Hallの前の踏切を渡ると、左手にスターリング公園Stirling Squareが見える。まさかと思ったが、木工置物、ジャム、ネックレス、アロマ石鹸などどこにでもある出店10軒ほどがならぶ規模のものだった。はっきり言ってショボイ。何でこれでHeritageなの??
このマーケットは2月、3月はStirling Squre Gardenで、4月から12月はTown Hallで開かれる。きっとTown Hallでの時はすばらしい物が並ぶのだろうと思い込みたい。
Visitor Centreを過ぎて、
Meadow Streetをさらに北へ進むと、Swan Riverにかかる古い木のベーカーズ橋Barker's Bridgeがある。上をガンガン車が通るが大丈夫なのだろうか。この先がSwan Valleyだ。
このままでもなんだと思い、Bassendean駅で降りてみるが、日曜日で店は閉店だし、すぐ商店街の終わりになるわで、途中下車することはなかった。
はずれも楽しむのが効率から開放されたリタイヤーの特権とつぶやきつつ。
Joondarup線のLeederville駅から15分程度北へ歩いて
芝生の広がるLake Monger Reserveを通ると向こうに湖が
見えてくる。黒鳥で有名なモンガー湖Lake Mongerは
Mitchell FreewayとLake Monger Driveに挟まれたところ
にある。
周囲3.5kmにはぐるりと歩道が整備されている。昨年は禁止され
ているのもかかわらず、岸辺で黒鳥に餌やりしている人々が
いて、おかげさまで多くの鳥達を身近で見られた。今回はふとどき
ものが居なかったし、なるのもためらわれたので、黒鳥は遠くを
泳いでいた。それでも、水辺まで行くと、遠くから近づいてくる
が、手元を見て、そのまま立ち去る。
静かできれいな湖だが、こうなるにはそれなりの努力があった
ようだ。以下、看板の説明をイイカゲンに訳す。
モンガー湖は過去にはレクレーションや、町の排水とごみ埋
立地として使われていた。湖が夏に干上がり、もともとあった
植物は無くなってしまった。
近隣の住宅地から湖に流れ込んだ肥沃物と、他の栄養分が、
藻の繁殖とユスリカの異常発生をもたらした。湖の土には、
埋め立てたごみと、道路から流れた高濃度な重金属が混じって
いた。
最近のモンガー湖では、エコシステムが修復し、水質が改善し、
自然の状態に回復しつつある。堆積物の池や、栄養素を取り
除く水路を組み込むことにより、水辺は造り直されつつある。
栄養素が湖に入り、藻の生育を促進する前に、この地方原
産の植物が吸収してしまうし、植物の陰が水を冷やし、ユス
リカの幼虫を食べる無脊椎動物に住処を提供する。
今ではモンガー湖は、水鳥や、他の湿地帯の生き物が生きる
ための大いに多様性ある生息地となっている。