hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

今、旬のタンカンが届く

2008年01月29日 | 食べ物
昨年4月、沖縄の伊江島に行ったとき知人の紹介で宿泊した「会員制の素泊まりの宿 飛龍庵」が気に入って機会を見てまた行きたいと思い会員になった。

今日、飛龍庵から会員に送られる地元産物が届いた。山のようなタンカン、パパイヤ(野菜)、ゴーヤ、キューリだ。感激!



ゴーヤもつやつやだし、キューリも巨大だ。これも楽しみだが、熟す前のパパイヤは初めてだ。パパイヤを野菜として食べるのは、もったいないような気がする。中に入っていたレシピもご紹介。



タンカンはミカン類で、中国最南部から台湾を経て、国内では、奄美や屋久島・沖縄などが主な産地だ。沖縄では本島北部の本部町の伊豆見が本場で、1月中旬から2月中旬が旬だ。

タンカンを山にして撮影。すぐ転がるので後ろをゴーヤで抑えてようやく撮影に成功。



タンカンの皮は厚く、でこぼこで、見た目は良くないが、ほどよい甘さと酸味で味が濃く、ジューシーだ。ビタミンCは温州みかんの約2倍だそうだ。


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下を向いて歩こう

2008年01月27日 | その他
横浜駅から1 kmくらい離れた環状1号の楠町交差点あたりを歩いていたら、歩道に埋め込まれたプレートに、「旧東海道」とあった。




ニューヨークの歩道を、マンホールを眺めながら歩いたエッセイがあったような気がした。真似して横浜駅まで歩道のマンホールを探しながら歩いた。
まずは、平凡なマンホール。消火栓と書いてないものは下水道なのだろうか?
真ん中のマークは、横浜市のき章で、ハマの2字を上下にくっつけたデザインだ。





ちょいとシャレたものもある。最初のものはベイブリッジだろう。
マンホールについて横浜市の水道局のHPを調べてみたが、みあたらない。下水道で検索すると、担当局は「横浜市環境創造局」とある。最近のお役所は名前だけは前向きだ。

FAQを見ると、「本市ではマンホール蓋のデザインを平成9年10月1日から横浜のシンボルの一つ「ベイブリッジ」に変更しました。」とあった。







歩道の敷石とあわせてあるものもある。



黄色の部分が合わせられなかったものもある。



古いものもまだ残っている。




仕切り弁も3種






排水室と書いたものもあった。



長方形の大きいものはNTTの電話ケーブル用のマンホールだ。
蓋が丸ければ穴に蓋が落ち込むことがないが、長方形では落ちることがあるのだが、大きくしないといけないので長方形になったのだろう。
最初のものはNTTとあるが、最後のものはTとT(Telegram & Telephone)を組み合わせた電電公社のマークになっている。




たまには下を向いて歩くのも面白いかも。






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ヴェルディ「椿姫」を聞く

2008年01月24日 | その他

スロバキア国立オペラによるヴェルディ「椿姫」を聞いた。といっても、300席ほどの小さな劇場で、伴奏はピアノのみ、舞台装置はなし、歌手は同時に2名、計5名のみの出場。

「オペラシティ横浜への挑戦」という団体が主催する「横浜オペラ週間2008」の一環で、
ご近所の小ホールに飛切り上等の一流のオペラを出前し、オペラを好きになってもらおうという趣旨だ。

大ホールでの豪華な舞台、きらびやかな衣装のオペラは当然すばらしいものだが、私には多少抵抗があった。オペラ歌手の細かな肉声、息づかいまで聞こえる小ホールで歌だけに集中してじっくり鑑賞したら、あらためてオペラも良いものだと思えた。近所の身近なホール、全自由席3,500円という安価な値段で、簡易形とはいえ本場のオペラを楽しめるとは、最高に贅沢な夕べだった。


第一部は、ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」から9曲。内容を詳しく書いたプログラムと、曲のはじめのナレーションで椿姫の内容がはじめて理解できた。
第二部は、オペラ座の怪人、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」などから12曲のミュージカル、オペレッタ名歌集。

椿姫の冒頭は、乾杯の歌。名調子のこの歌を久しぶりに聞いて、身体の芯のところで、こみ上げてくるものがあった。小学生の頃、我家に下宿していた大学生がオペラ好きで、ラジオから流れてきたり、よく自分で大声で歌っていた。当時、とくにオペラに興味はなかったが、いつの間にこの歌が身体に染み付いていたらしい。

すさまじいばかりの声量、まったく乱れなくコントロールされた歌声、とつぜん限界を突き抜ける高音。人間というすばらしい楽器に圧倒された。同時に、力みなく、楽しげにのびやかに歌う歌手。あらかじめ状況の説明があるのもありがたく、リラックスして十二分に楽しめたオペラだった。
また、第二部の歌も、声量に余裕があるためか、ゆったりと、のびやかで、なじみある歌の違った味わいを楽しめた。

最後にミュージカル映画「天使にラブソングを!」(原題:SISTER ACT)から“I will follow him ”を全員、と言っても5人だが、舞台に出てきて歌った。場内は手拍子で大盛り上がり。

アンコールで、さらに、プリマドンナが紙を持ってひとり舞台に上ってきて静に歌いだした。会場から静かなどよめきが起きる。「見上げてごらん夜の星を」だった。
次は、バリトンの人の歌。何かなと思ったら「いとしのエリー」。オペラ歌手による桑田佳祐もまた味なものだった。



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運転免許更新と国際免許証の取得

2008年01月22日 | 個人的記録
二俣川の運転免許試験場に行って運転免許証の更新をし、ついでの国際免許証を取得した。

普通免許
2800円(優良運転者)の証書を購入し、視力検査と写真撮影をして、30分の講習を受けて、新しい免許証を受取った。

5年前にはなかったが、車両重量5トンから11トンの中型自動車という区分ができ、大型免許と普通免許の中間に中型免許というものが出来ていた。ただし、従来の普通免許取得者は、8トン、乗車人員10名までに限定される中型車も運転できる。

また、75歳以上は認知症検査を受ける必要があるが、私はまだまだ。ただし、3時間、6,150円の高齢者講習は70歳以上の更新時に必要なので、次回更新には必要になる。「高齢者講習のお知らせ」(ハガキ)が到着したら指定自動車教習所に電話で予約をして講習を受講するようだ。
そろそろ、高齢運転者標識、枯葉マークでも付けて、おとなしい運転に心がけましょうか。

神奈川県の2006年の年齢別交通事故死亡者のうち、24歳以下が17%と第二位で、65歳以上の高齢者が31%で最大だそうだ。しかし、そもそも75歳以上の後期高齢者とそれ以下の前期高齢者を一緒にしないで欲しい。前者だけが危ないのに絶対間違いない、と思う。

48歳の年男のお祝いをされたとき、次回の年男は赤いチャンチャンコを着る還暦と気づいて唖然としたことを思い出す。しかし、そんなことで驚いていた私は若かった。先日は「介護保険被保険者証」、「健康手帳 長寿のしおり」が送られてきた。次々と「ありがたや、ありがたや」。


国際免許証
3月にオーストラリアのパースに行くので、ついでに国際免許証もとることにした。窓口で、国外免許証交付申請書に記入して、2650円の証書を購入した。
免許証用写真を撮ってこなかったので試験場内で撮影したら600円もとられた。外の店なら350円くらいなのだが。
外国に渡航することを証明する書類として、パスポート、航空券、旅行会社などの日程表のいずれかが必要だが、持参してこなかった。自宅に電話して神奈川県運転免許試験場(045-361-4568国際免許宛)にパスポートのコピーをFAXしてもらった。
新しい免許証とともに窓口に提出し、10分たらずで大判の国際免許証を受取った。
手数料 900円で郵送交付も出来るらしい。

運転できる国は、道路交通に関する条約(ジュネーブ条約)加盟国に限られるが、約90国ほどあり、主な国は加盟している。スイス、ドイツ、フランスでは日本の免許証も同時携帯する必要がある。

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「セキュリティはなぜやぶられたのか」を読む

2008年01月21日 | 読書

「セキュリティはなぜやぶられたのか」ブルース・シュナイアー著、井口耕二訳、日経BP、2007年2月発行、原題:“Beyond Fear”、原副題:”Thinking Sensibly about Security in an Uncertain World” を読んだ

セキュリティという言葉は広い概念なので、巷にはセキュリティと銘打ったいい加減な本が多い。この本は、セキュリティ対策を合理的に立案する方法論として、また豊富な実例がセキュリティ対策のノウハウとして有効に使える良書だ。

著者は、コンピュータセキュリティの世界的権威で、「暗号の秘密とウソ」(原題:Secrets and Lies)(翔泳社)の著者でもある。
著者が、収集した多くの事件、テロ、ハイジャック、カード詐欺、ネット犯罪、内部犯罪、窃盗など日々の生活にかかわるセキュリティからIT関連の出来事まで多くの実例をあげ、攻撃者の手口を解説する。そして、セキュリティ技術の応用は有効だが、実際は「人」の問題が一番大きいと指摘する。

セキュリティとは、リスクの軽減と、お金・利便性などのコストとのトレードオフであることを、おそらく1000近くの実例を紹介して具体的に説明している。そして、そのトレードオフを判断するため5段階評価法を提示している。

1.守るべき資産は何か
2.その資産はどのようなリスクにさらされているのか
3.セキュリティ対策によって、リスクはどれだけ低下するのか
4.セキュリティ対策によって、どのようなリスクがもたらされるのか
5.対策にはどれほどのコストとどのようなトレードオフが付随するか

「Beyond Fear (恐怖を超えて)」という原題は、2001年9月11日の同時多発テロのおそれを乗り越えないとセキュリティは実現できないという思いから本書が書かれたようだ。冒頭から、同時多発テロがいかに過去になく驚異的だったかを力説しながら、それを受けて同時多発テロで人々が恐れにとらわれ、ヒステリックに効果に比べ失うものがあまりにも多い過剰テロ対策を強引に実施してしまったことを容赦なく冷静に指摘している。


笑えて笑えない話をひとつ。2002年1月にフィラデルフィア空港の持ち物検査で「僕なら飛行機を墜落させるのだってわけないんだから、毛抜きなんかどうでもいいじゃないか」と言ったUSエアウェイズのパイロットが手錠をかけられ、留置場へ入れられた。ブッシュの米国ではジョークも言えないのだ。



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「眼科110番-第2版-」を読む

2008年01月19日 | 雑学
「眼科110番-第2版-」日刊工業新聞社2007年11月発行を読んだ。
社会保険中京病院の眼科医師の中村友昭氏が編者で多くの専門医が執筆している。2002年発行の改版であり、全面見直しとともに話題の近視矯正手術レーシックなど「眼科治療最前線」が追加されている。

副題に「目のトラブル・・・そんなとき、まず開く本」とあるように、各眼病について症状と簡単な診断結果が要領よく解説されていて分かりやすい。最近は医者の書いた本でも売らんかなの、まゆつば物の本が多いが、この本は患者の立場に配慮してバランスのとれた記述であり、また文章もわかりやすい。目に問題ある人、疑問のある人にはお勧めだ。

私も、近視、老眼で、飛蚊症があり、そろそろ白内障を心配する年頃である。LASIKレーシック「生体内レーザー角膜切開手術」にも興味があったが、既に適用年齢は過ぎていた。

それにしても、近年の眼科手術の進歩には驚かされる。昔、RK手術(放射状角膜切開手術)というダイヤモンドメスで角膜に放射状に切れ目を入れる手術がロシアで開発され、この手術を受けた人の体験談をネットで読んだことがある。目を開いたまま手術するので、メスが近づいてくるのが見え、角膜が切られると、視界が切られた線に沿ってビヨーンとゆがむのだそうだ。いかにもシュールだ。
この手術の難点を改良したのが、レーシックだ。


私が興味を持ったところをご紹介。

なぜ近視になるのか?
乳幼児は眼球が小さいので焦点が網膜の奥にあり遠視状態にあることが多い。多くの人は成長とともに眼球が大きくなり網膜上に焦点がくるようになる。遺伝的要因や環境要因でさらに眼球が大きく伸びてしまうと近視の原因になる。

なぜ写真を撮ると赤目になるのか
網膜の裏に血管の集まる脈絡膜というものがある。フラッシュ光は網膜をほとんど通過して脈絡膜で反射して帰ってくる。このとき血管の反射で赤色になる。
視線が完全にカメラの方向を見ていなければ赤目にならない。また、カメラからの距離が、コンタクトレンズの焦点距離5mにあると赤目になりやすい。

老眼用のコンタクトはあるのか
遠近両用のコンタクトレンズが開発され50歳以上のコンタクト使用者の5 % が使用している。しかし、いまのところ中期までの老眼にしか対処できない。
また、白内障手術のとき、現在注目されている「多焦点眼内レンズ」を入れると、眼鏡なしで遠くも近くも見えるようになる。今後普及が期待されている。

レーシックでどのくらい見えるようになるか
社会保険中京病院では術後の裸眼視力が0.7以上になった人が98 %、1.0以上になった人が94 %。視力が極端に低下する合併症の発生率は0.2 %以下。

レーシックで近視を矯正すると客室乗務員(スチュワーデス)になれるか
認められることが多く、資格試験のためにレーシックを受ける人が多い。ただし、パイロットは認められない場合がある。

以上

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年間20億円の年金

2008年01月17日 | 世の動向

米ゴルフツアーで活躍すると、巨額な年金が与えられる。タイガー・ウッズの年金は総額220億円という。

以下、「清水満のSPORTSマインド 丸山茂の年金は20億円? 」2008年1月16日(水)を基に簡略化しました。
――――――――
米ゴルフツアーの年金算定は、基本的に予選を通過した試合数が支給額の基礎となる。仮に年間30試合出場し、予選通過が20試合とした場合には年間基礎額は8万7500ドルになる。
これに米プロゴルフ協会が放映権などを一括管理し、ファンド投資などで大きくした金額を加える。この額は、優勝ボーナス、年間ランキングやツアー貢献度によって配分される。シード5年以上が受給資格者で、10年以上だと“エリート受給者”となる。

丸山茂樹は38歳、左ひざ痛などけがに悩まされた昨年は31試合、95万ドル余(約1億円)のランク105位でようやくシード権(賞金ランク125位以内)を確保し、今年で9年連続となった。
ツアー3勝を挙げている丸山も10年以上のシード権を保持すれば総額2000万ドル(約22億円)超という。過去の米ツアーでの獲得賞金総額、約1323万ドル(約14億円)を上回る。40年分割で年1億円の年金となる。

2、3年前、米国のゴルフ雑誌がタイガー・ウッズの年金を試算したところ総額2億ドル(約220億円)以上とはじき出した。
――――――――


あれだけ稼いでいるウッズに、さらに20年*20億円など年金の意味があるのだろうか。
他のスポーツで、かって活躍したスポーツ選手が身を持ち崩し、麻薬や無銭飲食で捕まったなどのニュースがときどきあるが、米国のゴルフ界は恵まれているらしい。しかし、結果的に十分活躍できず引退後苦しい生活を送る人のためにこそ年金があると思うのだが、さすが米国。強く、運に恵まれたものはますます強くなる。

大体、毎年20億円も使えるだろうかとよけいなことを考えてしまう。家を買うとしても私に考えられるのは最大数億円。一番大きくイメージできる金額は宝くじだが、3億円の一等が毎年7枚当たることになる。300円なら毎回当たるのだが、これが毎年700万枚当たることになる。だめだ、やっぱりイメージできない。




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現代学生百人一首

2008年01月15日 | 読書
東洋大学「現代学生百人一首」に募集した60,735首の中から選ばれた中高生の
入選作品100首が発表されている。

このうち、1月15日の朝日新聞の天声人語に紹介されているものから一部をご紹介。

 
ほうれん草のおひたし最近水っぽい握力落ちた母の細腕  高3・千葉幸
両親の働く姿に胸打たれそっと終わらすマイ反抗期    中3・樋口絢美(あやみ)
仲間とのそば打ち語る父の顔白髪頭の少年がいる     高3・馬場史織

(子どもはけっこう親を見ているものだと思う。ただし、男の子は駄目ですね)


帰るねと言ったら急に話し出す祖母の顔見てまだいようかな  高2・内田菜月
おじいちゃんみんなの話題と違うけど私はちゃんと聞いてるよ 高3・岸友佳里
おばあちゃんさっきも言ったよその話忍びよる影そっと肩抱く 高3・関口亜沙実

(かって、可愛がってくれて、そして今は・・・。子どもにとって祖父母との
ふれあいは心を豊かにしてくれる現代では貴重なものなのでしょう。
それにしても、女の子はやさしい)


そのほか、いくつか。

だんだんと母になりゆく姉がいておなかに話すやさしい笑顔 高2・村上真紀

(昔、私は妊婦がおなかをやさしくなでて話しかけているのを見て、生まれても
いないのになんで?と思っていました。今では胎児がちゃんと音をききわけて
いると確認されているようですが。ともかく、このように、女の子は若いうち
から徐々に母親になる準備をしているのでしょう)

初任給で何か送ると電話した頑固な祖母が静かに泣いた 工高3・辻畑真太郎

(私は親にお金を渡す以外にプレゼントなど贈った覚えはありません。しかし、
自分の子どもからプレゼントともらってみて初めてトテモトテモ嬉しいものだと
わかりました。幼稚園で作ってくれたメガネ袋を20年近く使っていました。
それにしても、最近は父母ものより、祖父母ものにホロリとくるのは何故?)

無言館絵のうったえに答え出ず何をすべきかたたずむ私 中2・ 松原瀬奈

(中学二年でこのような問題で考え込むとは。私の中2は?と思ってしまった。
無言館は上田市にある戦没画学生慰霊美術館です)

鏡の前で十回練習したけれどあなたの前だと言えない二文字 高2・宇佐美静香

(私はこんな思いを多くの女の子にさせていたのだろうと、罪に悩むこのごろ
 です???)


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管理職のつぶやき、部下のささやき

2008年01月14日 | 会社生活
ネタ探しでパソコンの中をあさっていたら、2007年5月4日朝日新聞(朝)の アスパラクラブ2万人アンケートで、「管理職のつぶやき、部下のささやき」がありました。
会社勤めの頃を思い出しながら、(  )で、一言づつコメントを追加します。

管理職のつぶやき

? 上からはオレに従え、下からは上の方針を変えさせろ、取引先からは君なら社内を説得できるだろうと言われる。そのうち取引先の中間管理職と仲良くなり、2人でしょぼしょぼ安酒を飲む(60代男性)
(上の言うことをアンプ(増大)して下に伝える中間管理職にだけにはなって欲しくありません。大きなことは上の指示を下にも従わせるが、小さな身近なことは下に従い、上をごまかしたいものです)

? 高評価で引っ張りあげた後輩が上司で戻ってきた(50代男性)
(同じような経験があります。私はもちろん先輩の立場ですが()。自分が高評価をつけなくても、いずれ抜かれる運命にあったとあきらめましょう。
必死に仕事しないでも能力は十分あるので一定の成果を上げる部下と、能力には問題あるが、いろいろ相談に来て頑張ってなんとか成果を上げる部下がいるとします。後者に良い評価を付けたくなりませんか?幹部には前者が適しているのでしょう。負け惜しみで言うと、会社の幹部なんてそんな人が最適なんです)

? 外資系。男性管理職と部下の若手女性が人事異動で入れ替わったときはさすがに怖くなった。(40代女性)
(大昔ですが、勤めていた会社ではこんなことはときどきですが、ありました。今ではびっくりすることでもないのでは?当時でも管理職なんてなりたくないと拒否する人もチラホラいました。管理職なんて、専門職の一種に過ぎません)

? 課長なのに100円のボールペンを買う買わないで上司ともめた時、オレってなんなんだと思った(40代男性)
(課長が決裁できる金額などの社内規定が決まっているところが多いと思いますが、実際は金額にかかわらず、自分の好みで細かいことにあれこれイチャモンつける上司はどこにでもいるものです。例えば、「俺はO型で奴はA型だからまあしかたないか」と思い込むしかありませんね)

? 部下の勤務評定で美辞麗句を並べる自分に腹が立つ(50代男性)
(個人個人に鮮明な旗を立ててやろうと思うのですが、平凡な人が多いので、どうしても決まり文句がならんでしまいますね。会社なんて平凡な多くの人に支えられていると思うのですが)

? 役員へのグッドニュースは部長が持っていき、バッドニュースは課長の私が持っていかされる(40代男性)
(悪い話は急いで上にあげろと私は教育されました。確かに悪い話にはすぐアクションをとらなければならない場合が多いですから。良い話があったら、先手をうって部長に「役員に早く報告してください」と言ったらいかがですか。まず、直接の上司の部長に可愛がられる部下になりましょう)

? 中間管理職のうちどれだけ人間関係で苦労したかが、先の人生を豊かにしてくれる鍵だったと、今になって思っている(50代男性)
(トラブル処理の連続で人並み以上に苦労した会社人生でしたが、そのことで人間ができたり、人生が豊かになったりした感じはありません。まあ、もともとが、もともとのせいもありますが。
ただ、いろいろな思い出は増えましたし、危機のときに周りの人の地が見えたことはありました)

部下のささやき

? あこがれの有能社員だったのに。昔のあなたになってと願うばかり(40代女性)
(今は平凡にみえる大体の課長さんも昔は有能社員だったのでは?サラリーマン人生の中で、どの職位で輝くかはひとそれぞれですが、上に上るほど輝きを増す人はあまりいません。当然ですが平社員で輝かない人が一番多く、ヒラのときが一番だったという人が次に多いでしょう。人に仕事を押し付けるのがうまくて課長になってから成果を挙げる人もたまにはいます)

? 研修に参加した上司が、やたらほめるようになった。やる気にさせるにはほめろ、みたいな型通りのことを言われたと簡単に予想できる(30代女性)
(まあ、分かりやすい人は対処しやすいので話の種にでもすれば良いのでは)

? トップより中間管理職の人格次第でヒラ社員の会社人生が変わる。トップが嫌なやつでも、中間管理職が良ければ、一緒にがんばろうと思える(30代女性)
(中間管理職の唯一といってよい楽しみは一体化したチームで燃えて仕事することでしょう。一生のうちでそう何回もあることではありませんが。また、たとえ、運よく上に登っても仕事自体は自分の思うようにはいかないことが多いので、そんな面白いものでもないという話はよく聞きます)


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五木寛之「人間の関係」を読む

2008年01月11日 | 読書
五木寛之「人間の関係」を読んだ。ポプラ社の創立60周年記念として全編書下ろしで、2007年11月に出版された。
なぜ、「ズッコケ三人組」で有名な児童書出版社ポプラ社なのか分からなかったが、ポプラ社は大人向け本へも展開を図っているのだろう。

本の表紙の裏には、「変わる時代に変わらないものを考えてきて、他人同士からはじまる「人間の関係」、それが「生きるヒント」の先に見つけた五木さんの答えなのだ」とある。


昔、五木寛之の小説はちょっとだけ時代の先のほうを行っていてカッコいいのでいろいろ面白く読んだ。しかし、エッセイは1、2読んだだけだし、とくに最近の仏教に基づく人生ものは、なんだかあの「五木寛之」が普通のおじいさんになったようで、過去のイメージを壊してしまうのが嫌で、読んでいなかった。


このエッセイ集には著者の体験に基づいた人生訓が書かれている。大部分は素直に共感できるが、特別に驚いて感心するようなことが書かれているわけではない。しかし、五木さんらしく極めて分かりやすい文章で、抵抗もなくさらりと読めてしまう。
読んでいて、一方では、あのダンデイな五木さんもここまで達観して好々爺になってしまったかと思う哀しみも伴う。

私自身は、五木さんの奥さんが同級生でかつ医者であるとの謎が解けたことや、珍しく奥さんとの暮らしなどに触れていること、あるいは亡くなった弟さんについて話などプライベートにも興味を持って読んでしまった。

少しだけ、どんなことが書いてあるか、ご紹介。

40代には毎日うれしかったことを書く「歓びノート」 、60代では「悲しみノート」をつけてなんとか鬱から抜け出した。70歳を過ぎてからの三回目の鬱には、ひねくれものの自分でも苦笑するとあるが、日々の感謝を一行書いた「あんがとノート」が有効だったとある。
リタイアーし3年になる私も、毎日寝る前に今日も何もなかったと思うかわりに、何か一つでもよい事、悪いことをひねり出してみるのも良いかなと思った。

「自分の好意はけしてむくわれない、そう思いながらも一生懸命尽くし、見返りをもとめない。すべて裏切られても仕方ないし、ひょっとしてほんの少しでも相手がそれに対して好意をしめしてくれたなら、飛び上がって喜べばいい」という人生を達観したことを述べている。
つねづね私も、そんなふうに考えているくらいで世の中ちょうど良いし、当方の精神衛生のためにも安全だと考えていた。
さらに、そこで五木さんは次のように述べている。「たとえば、革命家というのは、世のため、人のために革命に身をささげても、最後には民衆から裏切られ、追放され、処刑される。これが正しい革命家のあり方だと、ぼくはずっと思ってきました」とある。ここで、最近再流行のチェ・ゲバラを思い出して、この本で唯一ようやく昔の五木さんらしいと思った。






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「自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門」を読む

2008年01月06日 | 政治
森村進「自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門」講談社現代新書を読んだ。リバタリアニズムについてご存知ない方は是非一読されて、その極端な考え方に触れ、あらためて社会、国家のあり方について考えてみるのも良いと思う。
2001年発行と少し古い本だが、理論的(仮想的)本だから、今でも十分読める。

私はかねてより、国家に何かして欲しいなどと期待してはいけない、それどころか、国家などというものは放って置けば悪いことをするものなので、国民は常に監視していなければいけないと思っている。国家など本来的にはなくても良いと思うが、しかし、いきなりそうもいかないので、徐々に国防、治安、福祉など最小限の機能に絞るべきと思う。そして、黙っていると、例えば国防も、国民を脅してどんどん肥大化しようとするので、常に監視し、制約を与えなくてはいけないと考えている。

私はこの本を読むまで、リバタリアニズムなる思想をまったく知らなかったが、基本的には私の考え方に極めて近い。現実を無視した理想論ではあるが、基本的考え方、今後の方向性としてもっと議論されるべきだと思う。

リバタリアニズムには、極端から現実的などいろいろな考え方があるようで、この本には極めて簡潔に種々の主張と、その差が要領よくまとめられている。
ただし、多種類のリバタリアニズムの分類に主体が置かれており、リバタリアニズム全体像がつかみにくい。記述の仕方も、あるテーマについて、リバタリアニズムの中のいろいろな考え方を述べ、最後に著者自身の考えを述べてから、また次のテーマに移ることが多い。代表的な、あるいは著者自身の考えで、全体を述べてから、各テーマごとに異なる立場を説明した方が分かりやすかったのではないかと思う。



リバタリアニズム(libertarianism、形容詞はリバタリアンlibertarian)とは、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきで、経済や社会に対する国家の介入を否定もしくは最小限にすることを主張する政治思想だ。
ただし、国家権力をどこまで認めるか(無政府主義、国防・裁判・治安維持のみ、極最低限の行政サービスのみ)、市場重視か、社会連帯重視かなどによって各々のリバタリアンの主張には大きな幅がある。

よくあるリバタリアニズムの説明としてこの本にも、あげられているのが下図だ。




図にあるように、個人的自由を尊重するが、経済活動への介入や財の再配分を援護するのが「リベラル」、とくに「福祉国家リベラル」であり、個人的自由への介入を認めるが、経済的自由は尊重するのが「保守」である。いずれも尊重しないのが権威主義(極端となると全体主義)と分類できる。著者は、日本の保守者は規制緩和に反対する傾向があるので、「保守派」というより「権威主義者」と書いており、同感だ。

リバタリアニズムは国家への人々の心情的・規範的同一化に徹底して反対する。国家や政府は諸個人の基本的権利を保護するといった道具的役割しか持たない。民族的アイデンティティの価値を認めるのは個人の自由だが、国家の介入は不当である。国家が教育の場で特定のライフスタイル(禁煙運動、一夫一婦制など)、歴史観を押し付けることを排除する。

経済学、哲学、法理論など幅広い立場からリバタリアニズムに関する議論がもっと盛んになされるべきと思う。


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自薦の版画年賀状

2008年01月05日 | 美術
昨日、「版画の年賀状」について書き、何枚も紹介したが、調べてみたら一昨年2006年12月24日にも、「年賀状を彫り、刷り、書く」に同じようなことを書いていた。
 

自作の版画の年賀状で、手元に残っていた21枚のうち、自薦の第一位から第六位までをご紹介。

第一位は、1996年製の沖縄の正装の女性。どこかの本から写したものだが、黒一色なのにあでやかな感じがして自分で気に入っている。



第二位は、1985年の丑年のもの。初期のものだが、簡潔な表現がシャレていてお気に入り。



第三位は、2002年の東山魁夷の絵を真似て簡易化したもの。青が美しい。



第四位は、初めて詩を彫りこんだ2004年の作。三好達二の、私の大好きな詩「甃(いし)のうへ」は、以下。

あはれ花びらながれ        をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ  うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて       翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ 廂(ひさし)々に風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなるわが身の影をあゆまする  甃(いし)のうへ



第五位は、2007年の三渓園の聴秋閣。2006年12月8日の2番目の横浜・三渓園へ紅葉狩りににある写真から写したものであることはバレバレ。
 



第六位は、元自宅の二階の窓から見た東京湾。土日の朝、遅く起きると、一面の釣り船が見えることがあった。釣り好きは大変だなと思ったものだ。




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版画の年賀状

2008年01月04日 | 美術

私は結婚以来、喪中の年を除いて毎年版画の年賀状を出してきた。おそらく30種類にはなっているだろう。

今年はどんな版画にするか、考えるのは楽しい。しかし、年の暮れ、追い詰められてから、版木を彫り始める。多色刷りがほとんどなので、2枚から5枚の版木を彫り、2回から5回、刷る。一時は200枚も出していたので、会社から帰って10時頃から刷りはじめて夜中の2時、3時になることもあった。

刷ったものをスキャナーで読み取ってからパソコンで印刷すれば楽なのだが、今のところはあくまで手刷りにこだわっている。
題材は本などの絵を基にすることもあるが、自分で適当に書いたり、撮った写真をもとにしたりする。
最初は住所、氏名も彫りこんでいたが、途中から、宛名と自分の住所、氏名はパソコンで印刷するようになった。一言、二言なにか自筆で書くので、そのスペースも空けておく。


わざわざご披露するほどのものでもないが、残っていた21枚を大公開。あまりに多いので、自薦の第一位から第六位までは次回に別途ご紹介。

最初の4枚はかわいくて、恥ずかしい。まだ若かった30年近く前のものなのでご容赦を。

                        

この頃からは少し工夫するようになった。90年は失敗作。93年はなかなかの出来。

                        

94年は版木をベニヤにしてみた。95年は上高地。だんだん、要領良くなり、色数をやたら増やすことをしなくなった。

                        

2006年はオーストラリア・パースのキングスパークからの眺め。ここから景色シリーズになる。今年、2008年は京都旅行の写真から。

                

 
こう見てくると、年1回、しかも時間に追われてでは、技術や美意識の進歩は期待できないことが歴然だ。
次回、少しはましなものと言うよりお気に入りをご紹介。



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