目を細めて子供時代の遠い日を想うと、あの頃は、いつでも何かしら待ち遠しい気持ちで過ごしていたような気がする。
そもそも、毎日何かしら小さなことでもワクワクと過ごしていて、明日はもっと楽しいことが待ち受けているような気がしていた。
よそ行きを着て母に連れられて、新宿のデパートにお出かけするのはまさにハレの日だった。とくに何か買ってもらうわけでもないのだが、時として食堂で旗の立ったお子様ランチを食べるのはワクワクだった。
時々は銀座にも私の手を引いて出かけたらしい。突然、進駐軍の兵隊さんが「おお、ベイビー!」とか言って、私を抱き上げて高い高いをしたという。母は焦ってただオロオロするだけだったと聞いた。
小学校の遠足も楽しみだった。前の晩、母が苦労して手に入れたお菓子を詰めたバッグを枕元に置いて、少し早めに布団に入らされた。隣の居間の大人達の会話が聞こえ、いつもと違いなかなか寝付けなかった。行き先は新宿御苑、浜離宮など代々木上原の自宅から近く、とても遠足とは言えなかったのだが。
叔母さんに連れられて、いとこ達との海水浴はなによりの楽しみだった。小学校の夏休みの恒例で鎌倉由比ガ浜近くの叔母さんの知人宅へ泊りがけで出かけるのだ。
砂浜に大きなヤマを作り、周囲にらせん状の道を巡らせ、ボールを転がす。夜は、蚊帳の中でいとこ達とふざけっこをする。なんでもないことも一人っ子の私にはとくに楽しみだった。
帰りがけにお世話になったおばさんから「坊や、また来年来てね」と言われて、しばらく考えてから「僕、わかんない」と答えた。「普通、ウンでしょう」といまだにいとこ達にからかわれる。
今後に期待することもほとんど無くなった現在、もはや待ち遠しいことはない。このまま少しでも長く、この何事もない平穏な生活が続くことを願うばかりだ。
はるか昔の幼い頃の思い出を、牛の反芻のように時々呼び出しては、しみじみと懐かしんでいる。