乙川優三郎著『トワイライト・シャッフル』(2014年6月20日新潮社発行)を読んだ。
三浦しをんが朝日新聞の書評で本書を推薦していた。
喪失でも選択でもない観点から見事に恋愛を描いた「サヤンテラス」、創作物が人間にもたらす豊饒について、これ以上なく考えさせられる「ビア・ジン・コーク」、この町と、町に住む多様な人々の魅力、生と死から迸(ほとばし)る力と崇高さを活写した「私のために生まれた街」が大好きだ!
読書とは、本を媒介に自分の心の奥底を知り、登場人物とともに生き、語らいあうことなのだ。改めてそう感じる、至福の時間を味わった。
房総半島のおそらく御宿とその周辺の漁港。気づいた時にはもう十分年齢を重ねてしまっていて、小さなさびれた街で自分に自信を持てず、疑問を持ち、焦っている人々。そこに住む人、そこを訪れた人、元海女、落ちぶれたジャズピアニスト、旅行者、女性郵便配達人、異国の女など。
「イン・ザ・ムーンライト」
脳梗塞で倒れた夫の安治を介護する絹江には昔の海女仲間に聡子がいた。さびれた海辺の街を訪れる若い旅行客がいる一方で、かっては年間数百万円も稼いだ海女はもう誰もいない。苦労だらけだった二人。無性に腹が立った絹江は聡子に言う。「海、行くべ、おれ用意すっから」「もう、あきらめるのはやめるべ」
「サヤンテラス」
イギリスの養護施設で育ったオリーは、日本人と結婚して房総の海辺の街に落ち着いたが、研究所勤めの夫の吉野哲夫が亡くなってしまう。教会で声を掛けられた品の良い老人が・・・。オリーは一人異郷に残されたが、居心地のよい家と困ったときには哲夫が語り掛けてくれるテラスがあった。
「オ・グランジ・アモール」
かって繊細なジャズピアノでならした生島健二は、夏の3か月だけ房総半島の小さなホテルで演奏するようになって8年になる。・・・美しい女性が時々バーを訪れ、ピアノを聴きながら、視線を夜の波間に漂わせる。彼は女性のために、ボサノバとジャズが絶妙に溶け合った「オ・グランジ・アモール」を弾きだす。女性の目がうっとりとし、この儚い瞬間の喜びに、彼の人生は輝きを取り戻す。
「ビア・ジン・コーク」
スーパー勤めの早苗は、日曜の昼下がりの休みになると、氷を入れた大ぶりのピッチャーにビールと小瓶のジンとコーラを注いでかき混ぜるだけのビア・ジン・コークを飲みながら本を読む。
夫が失踪した年はそんなこともできなかったが、彼女は不測の日々を読書と酒で乗り越えてきた。何か信じられる時間を持たなければ自分が壊れる気がしたし、寄り添えるもののないことほど恐ろしいこともなかった。佳い本は彼女を抱き寄せて、温かい海のように優しかった。
読むことで人間も人生も膨らむ気がするし、自分にはない物の考え方や苦悩や人のありようを知るのが愉しかった。他人の人生に触れていると自分の人生を客観視できるようになって、重たい現実は軽くなり、生きている空間が色づく。そんなありがたいものは他に見当たらないので、日曜の午後から火曜の朝まで彼女は読書に明け暮れるのであった。
メモを入れる靴箱の中には十年の走り書きが詰まっている。彼女はその一枚を手にとって眺めた。
「煎じつめればこの世のことは何もかも美しいのであり、美しくないのは生きることの気高い目的や自分の人間的価値を忘れたときの私たちの考えや行為だけである」
もう忘れることのない、チェーホフの言葉であった。時間も空間も飛び越えて、それは縁もゆかりもない女の心を支えようとしている。
「私のために生まれた街」
交通遺児の隆は、18歳のときから30年、海沿いの街で、誠実に小さな土建仕事を積み重ねて来た。ずさんな工事で困っている婦人の広い敷地のやり直し工事を引き受ける。国際機関で世界を飛び回っていたという彼女は癌にかかっていた。しかし、フェンス沿いにブルーカーペットの細長い花壇を作るのが最終目的だという。
婦人は、ジュンパ・ラヒリの本をくれて、彼女の目を通すと世界が違って見えるという。彼は仕事か私情かわからない時間を過ごす。
初出:「小説新潮」2013年7月号~2014年4月号、「366日」「私のために生まれた街」「月を取ってきてなんて言わない」は書下ろし
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
斬新さはないが、しみじみとさせる味わいがある。さすが、ベテラン時代小説家。
海辺の観光地には、地元を出たことがない人も、移って来た人も、異国からの人もいる。さまざまな人の、さまざまな人生を、土地を共通項として描いた短編集だ。
新しい道に進むことを考えている人も、今までの道を見つめ直して進む人も、遠くにかすかな希望が見えるラストに救われる。
私は学生時代に御宿に行ったことがあって、もう最盛期は過ぎていたが、海女小屋もあり数人の海女がいた。ある若い海女に話しかけられた思い出もある。ちょうど、小説の中の絹江と聡子が海女になった昭和30年代だ。当時の私には、御宿はただただ日に焼けあせた街に思えたのだが。
乙川優三郎(おとかわ・ゆうざぶろう)
1953年東京都生まれ、すぐに千葉県へ。千葉県立国府台高校卒業、ホテル・観光業の専門学校卒業後、国内外のホテルに勤務。会社経営や機械翻訳の下請を経て、
1996年『藪燕』でオール讀物新人賞を受賞し作家デビュー
1997年『霧の橋』時代小説大賞
2001年『五年の梅』山本周五郎賞、
2002年『生きる』直木賞、
2004年『武家用心集』中山義秀文学賞
2013年『脊梁山脈』で大佛次郎賞 を受賞。
他の著書に『むこうだんばら亭』『露の玉垣』『逍遥の季節』『さざなみ情話』などがある。
「ウォーカーズ」
夫に充(みつる)は新築の家の庭作りを妻の良子に頼んで、新工場建設のため張り切って中国へ単身赴任した。
「フォトグラフ」
由季子は同棲している三野和明と外房線の小さな駅に降り立つ。母の双子の姉で、作家だった叔母の遺産の別荘を見に来たのだ。白い額に入れられた50点ほどの写真が飾られた小部屋があって、・・・。
「ミラー」
54歳の香織は協議離婚を終えたところで、癌が見つかり実家のある房総の病院で手術した。・・・しまりのない人生に気づいた彼女はまだ生き足りないと思った。
「トワイライト・シャッフル」
文芸出版部の美夏子は40人ほどの作家を受け持っていた。久しぶりの休暇で房総半島の海辺の街へ行く。
「ムーンライター」
難病の弟千秋がいて、郵便配達で一家を支える真弓は、海辺の街の瀟洒な洋館に住む画家・馬淵から裸婦のモデルに誘われる。
「サンダルズ・アンド・ビーズ」
広告代理店に12年勤める翔子は、5歳年下の後輩の内海をときどきマンションに泊める。翔子は、別れたはずの外部デザイナーの荻原正明と年に一度、房総の海に臨む小さなホテルで会っていた。5年続き、・・・。
「366日目」
一生のうちの長い時間を分け合いながら肝腎なことは何も知らない、そんな友人や知人のなんと多いことか。 なおざりにしてきた未知の部分にこそ本当の姿があることに貴美子は気づいたが、相手は夫の泰之であった。
40代になってようやく泰之の離婚が成立したが、彼は早期退職し、房総半島で貴美子と正道との生活を始めた。彼は、新築の庭に大きな岩を持ち込んで・・・。
「月を取ってきてなんて言わない」
外資系企業の日本支社の社長秘書でブラジルのリオっ子のナオミ・テリスは、営業部長の長谷とホテルで待合せるようになって2年になる。彼女は夏休みとも言えない短い休暇を房総半島の小さな町の産院で過ごした。
避けようのない破局が見えてくると、未練と闘いながら終わり方を考えるしかなかった。長谷がなんと言うかわからなかったが、同じことなら憎しみ合う静かな別れがよかった。