伊与原新著『藍を継ぐ海』(2024年9月25日新潮社発行)を読んだ。
今、書いていて、直木賞受賞の報が! やはり、思った通りだ、
新潮社の内容紹介
なんとかウミガメの卵を孵化させ、自力で育てようとする徳島の中学生の女の子。老いた父親のために隕石を拾った場所を偽る北海道の身重の女性。山口の島で、萩焼に絶妙な色味を出すという伝説の土を探す元カメラマンの男――。人間の生をはるかに超える時の流れを見据えた、科学だけが気づかせてくれる大切な未来。きらめく全五篇
地球惑星科学の博士でもある伊与原さんは「孤島で千二百万年を思う」でこう語っている。
『藍を継ぐ海』では、見島での他に、奈良の東吉野村、長崎の長与町、北海道の遠軽町、徳島の海辺の町を舞台にしたが、この五編に通奏低音として響かせようと試みたのは、それぞれの土地に固有の「継承」である。
……
科学が世界を味気ないものにしているのではない。科学の知識が積み上がるにつれ、世界の時空はむしろ拡大し、その細部も豊かなものになっているのだ。列島の各地で営まれてきた「継承」を科学の光で照らしたとき、その像はよりくっきりと浮かび上がり、また新たな輝きを放ち始める。
「夢化けの島」
舞台は山口県萩市の北西、約45㎞、日本海の孤島・見島。久保歩美は山口県内の国立大学の助教で専門は火成岩岩石学。学部卒論で見島を訪れて以来、年2回は通い続けて10年になる。任期付き研究者なので、研究費を稼げる目立つ研究をしなくてはいけないのだが、融通がきかず、笑顔を作るのが下手だ。
歩美は、元カメラマンだという三浦光平と知り合い、萩焼に使う見島土の採掘現場を探すことになる。
「狼犬ダイアリー」
午前二時、瞬時に目が覚めてしまった。遠吠えを、オオカミのそれを聞いたような気がして玄関を出ると、紀州犬のギンタも興奮している。数日前、大家の盛田家の息子、小3の拓己君が神社の前でオオカミを見かけたと騒いだのだ。私・まひろは、30歳を節目に奈良の山奥に移住してフリ―ランスのWebデザイナーになったが、貯金を切り崩すだけで、拓己にだけは「わたし、負け犬やねん」と呟く。
近隣でも何かに襲われて飼っている柴犬が怪我をした。ギンタを連れた拓己に引っ張られて、私もオオカミ探しに出かけ、神社の前にやっていたとき、一頭の獣が姿を現す。……
動物病院の先生は、かって吉野には狼混(ロウコン、近い世代でニホンオオカミと交配し、その血を受け継いでいる犬)が居たという伝承があるという。
「祈りの破片」
原爆で被爆しながら大混乱の長崎で黙々と岩石を収集し、その溶けた様子、方向などから、爆心地を推定し、被害の凄まじさを調査していた男がいた(ここまでは史実)。彼は被爆後1年で亡くなったが、膨大な収集物・資料をそのまま残していたボロ屋が発見された。
「星隕(お)つ駅逓」
アマチュアの団体「日本流星ネットワーク」の掲示板が北海道内で大火球と衝撃波を確認したと騒がしい。生まれも育ちも遠軽町の信吾は白滝郵便局長で配達員でもある。妻の涼子は10年目で初めての妊娠中であるが、父を心配している。父・公雄はまだ65歳なのに、妻が亡くなり、局長だった野知内(やちない)郵便局(かっての野知内駅逓)の名消えたので、元気がない。涼子は落下した隕石を発見したのだが、……。
「藍を継ぐ海」
両端を岬ではさまれた500mほどの姫ケ浦海岸はアカウミガメの産卵地として知られていたが、巨大な堤防の影響もあって、近年は亀がやってきていない。沙月は1歳半のときに母が亡くなり、姉妹ともに祖父・義雄に育てられた。
久しぶりに産卵のあった浜に、中二の沙月は深夜に忍び込み、卵を5個盗み出した。納屋で孵化させるつもりなのだ。ウミガメ監視員の70歳になる佐和は、沙月の仕業と気づいていたが、町役場の職員には黙っていた。4,5年前、東京へ出ていき、連絡もない8歳上の姉・未月に置いて行かれた沙月が、浜に1匹だけ残って弱っていた子亀を見つけた。「この子亀だけ置いて行かれたと」泣いて佐和に訴え、二人で育ててタグを付けて海にかえしたことがあったのだ。その……
初出:「小説新潮」「週刊新潮」2021年11月号~2023年1月号
私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)
第172回直木三十五賞候補作であるが、私としては是非受賞して欲しい。
どれも驚きで、感動の話だ。そしてその感動はあくまで静かにさわやかなのだ。
地球物理学者の伊与原さんだけあって、いつものように地球物理をネタにした話が興味をそそる。私はもともと物理的な話が好きなのだが、物理の中のロマンを、ギクシャクせずに巧みに物語の中に取り入れて、さわやかな話の中に溶け込ませている。
出会う人物も魅力的で、透明感ある文章に魅了される。派手さ、迫力、執念はないが、爽やかに引き込まれてしまう話しぶりが私の好みだ。
巻末には60以上の参考文献が並ぶ。各話は、物理現象の丹念な調べ、学びの結果として、自然に生活の中に取り込まれているのだろう。
伊与原新(いよはら・しん)の略歴と既読本リスト
メモ
萩焼の歴史:萩焼の開祖・李勺光(しゃくこう)は、弟・李敬と共に朝鮮出兵で日本に連れてこられ、納得がいく粘土が見つかるまで何カ月も毛利輝元の領内を探し回ったという。
毛利藩の御用窯は、李の流れをくむ坂家と、三輪家、林家。林家6代目の林泥平は名工だが素行が悪く、早々に引退した。(以下は創作)家督を譲った7代目の良平も不品行で出奔、窯は断絶。泥平は萩沖合数キロの大島へ、さらに見島に流され、焼物作りを命ぜられた。計画は頓挫したが、泥平は見島の土を本土に持ち帰った。一説には、萩焼に見島土が広く用いられるようになったにはそれがきっかけだと言う。
三浦光平はこの林家13代になるという。
萩の七化け:貫入という釉薬のひびから茶が器に沁み込み、長く使いこむうちに様々に風情が化けて味わいが増す。ガスや電気の窯でなく、登り窯で低温でゆっくり焼け上げるので焼き締めが弱く、吸水性に富む萩焼の特徴。
隕石:百万個以上の小惑星が回っている小惑星帯が火星と木星の間にある。互いに衝突しバラバラになって小惑星帯から飛び出た破片の一部が、太陽の周りを巡りながらやがて地球にぶつかる、それがほとんどの隕石。見た目はその辺の石とほとんで変わらない。
ビーチコーミング:海岸や浜辺に打ち上げられた漂着物を収集したり観察したりする遊び(Beach combing(櫛けずる)
黒潮:沖に出ると、潮の境目がはっきりわかって、向こう側が濃い藍色だった。黒潮だった。親潮は栄養分が多く、プランクトンが繁殖して、緑とか茶色がかった色だが、黒潮は栄養分が少なく、透明度が高く、青黒く見える。深い深い藍色だ。