hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

ヘイト(?)デモ

2021年12月05日 | 日本

 

井の頭公園駅近くの三角公園でヘイト(?)デモがあり、大量に警官が動員されているという情報があり、おっとりスマホで取材に(?)駆け付けた。

50人足らずの人が集まっているが、柵が置かれていて近寄りがたい。遠くから警戒する警察の人の方が多い。

マイクで皆に話しかけている。

武蔵野市が、住民投票に外国籍の人も投票できるようにする条例案を議会に提出したことに対する抗議のデモのようだ。話し方は激烈ではなく、穏やかに話している。周りを囲む警察官のことも、我々のファンですからなどと笑い、井之頭通りに出るまでは住宅街なので静にしてください、などと注意する。

 

参考(東京新聞より

松下玲子(武蔵野)市長は12日の定例記者会見で「市民参加を進める手段の1つに住民投票制度を加えるのが目的で、外国籍の人を排除する合理的理由は見いだせない」と説明。外国人参政権につながるとの批判には「代表者を選ぶ選挙権とは違うので論理の飛躍だ。住民投票に法的拘束力はない」と反論した。

 

この角から井の頭通り。警官がずらり。

 

デモ隊がやって来た。

 

井の頭通りに入ると、声をあげだす。

 

日の丸がはためくが、あまり意気は上がっていない。沿道から「帰れ! 恥ずかしくないのか!」の声が一つだけ。そんなこと言ったって、信じ込んでデモしている人が大半なのだろうから、無意味だと思う。

 

日本第一党」と書いてある小型トラックが2台ほどある。検索すると、あの桜井誠氏の団体のようだ。これが多分主催者なのだろう。スタート直後しか見てないが、ヘイトデモというより、意見表明というおとなしい感じだった。 下の写真で、子供が加わっているが、いいの?と思う。

 

私は、外国籍の人でも税金を納めていれば、自分が住む地域の問題に意見する権利はあると思う。国政となると限定的にすべきだと思うが。

 

日本人だってそもそもはよその国から来た人がけっこういると思うし、最近まで外国の文化を見事に取り込んで日本文化を作り上げてきたのだから、かたくなにならず、もっとオープンマインドになったらいかが?

 

 

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「サヨナラ」「いただきます」 日本人の心

2020年10月27日 | 日本

 

「サヨナラ」

「さよなら」の語源は、「左様であるならば、(これでお別れいたしましょう)」だろう。

女性飛行家の草分けであったアン・モロー・リンドバーグの日本への別れの挨拶。

「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…… 言葉にしないGood-byであり、心をこめて手を握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。

(与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』p305、2019年11月中央公論新社発行より、原著は『翼よ、北に』)

 

「いただきます」

多くの家庭と同じように、子供の頃私の両親は「お百姓さんが苦労して作ってくれたお米を一粒でも残してはだめだ。感謝して食べなさい」と言っていた。今でも食後の私の茶碗には一粒の米粒も残っていない。

永六輔はこう言っていた。

食べるものは、魚でも野菜でも、ほぼすべてが「いのち」だ。私たちは、その「いのち」を食べて、あなたの「いのち」を私の「いのち」にさせていただくのだ。あなたの命を私の命として、いただきますという気持ちで「いただきます」と言うのだ。

(永六輔『あなたの「いのち」をいただきます』ヴィレッジブックス2007年11月発行より)

 

自然、生命への謙虚な畏敬の念こそ日本人の失って欲しくない心だと思う。

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憲法を学ぶ

2009年04月16日 | 日本

たまには真面目な話しをと、今回は、憲法9条の政府解釈の話。

友人の誘いを受けて、「憲法を学ぶ会」の講演を聞いた。浦田一郎、明治大学法科大学院教授が「政府の憲法解釈の変更と安保法制懇報告」と題し1時間半講演し、若干の質問を受けた。約20名の出席者だが、この種の会合ではほとんどが60歳以上なのだが、20代とおぼしき人が3,4人いた。
私にとって、40年ぶりの法律の話だったが、わかりやすく話されたので、集中して聞けた。

浦田一郎さんは、1972年3月、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。山形大学教養部助教授、一橋大学大学院法学研究科教授を経て明治大学法科大学院教授。


1.政府の平和主義解釈の変化
1980年代までは、護憲派が自衛隊や安保を合憲とするのはおかしいと批判していた。現在では、改憲派が、集団的自衛権がないのはおかしいと批判している。

日本国憲法は、軍隊を持ち、戦争をすることを想定していない。なぜなら、明治憲法にあった誰が軍隊の統制権者か、戦争開始決定規定に触れていないからである。
そもそも憲法制定時には、自衛のためでも戦争しないとの解釈だった(吉田首相)。

1950年に警察予備隊、1954年に自衛隊ができると、自衛のための必要最低限度の戦力は違憲でないとの政府解釈になった。しかし、この解釈は、逆に、自衛力を超える軍事力は持てないということであり、集団的自衛権は認められないという解釈になっている。

現在の政府の解釈は、「憲法9条はすべての軍事力を否定しているようにも読めるが、個別的自衛権だけは認められている」というものである。

個別的自衛権:自分の国が攻撃されれば、反撃する権利
集団的自衛権:仲間の国が攻撃されれば、自国が攻撃されなくても戦う権利
両権利とも国際法上では認められている。つまり、反撃するかどうかはその国の判断で、反撃したとしても、国際的に非難されることはないという意味だ。

2.安保体制と集団的自衛権
安保条約5条に、日本が攻撃されたら米国は共同で反撃するとある。日本には集団的自衛権がないので逆はないが、代わりに6条に基づき、日本は米国に基地を提供していることでバランスをとっている。日本が集団的自衛権を持つと、現状のバランスが崩れるので、安保体制も見直さなくてはならない。

3.改憲の動き
国会の議事録では、政府解釈を変えない内閣法制局長官を罷免して集団的自衛権を認める憲法解釈をとらせるとか、憲法とは別に集団的自衛権を認める安全保障基本法を作るなどの議論がなされている。

安部元首相は、設置した「安保法制懇」に、(1)公海における米艦の護衛、(2)米国に向かう弾道ミサイルの迎撃、(3)国際平和活動における武器使用、(4)国際平和活動に参加する他国への後方支援について諮問した。2008年6月に福田前首相に提出された答申は、国際法(国連規則51条)を重視し、憲法でも集団的自衛権を認めていると解釈すべきというものだった。
しかし、国際法上の集団的自衛権は各国の義務ではなく、権利である。したがって、国内法の憲法で集団的自衛権を放棄し、行使しなくても国際法上の問題はないのだ。

民主党が政権交代優先で、自民党と違いを明確にするため、改憲に反対しているため、現状で自民党は、実質困難な改憲でなく政府解釈変更で集団的自衛権を獲得しようとしている。

ソマリア沖の海賊対処法案では、海賊対策は国際間の問題でなく、警察的行動と解釈している。北朝鮮ミサイル破片迎撃も北朝鮮と戦争するわけではなく、落ちてくるものを迎撃するのは警察活動としている。

4.質疑
集団的自衛権は国際法上では自然権、固有の権利と国連憲章に書いてあるのでは?
国際法としての権利ではあるが、国内法で認めるかどうかはその国の判断。つまり、反撃するかどうかはその国の判断で、反撃したとしても、国際的に非難されることはないという意味だ。

個別自衛権も自然権ではない。まず、戦争は禁止されている。これが大原則。しかし、例外としてルール違反する国があって、戦争を起こし攻めてこられたので、反撃したとしても、それは非難されることはないというのが個別自衛権。
ルール違反の国には、国連軍(未だ出来ていない)による集団安全保障が原則で、それまでの措置として個別自衛権がある。

集団的自衛権の行使を認めることは、実質的には改憲であり、解釈変更の閣議決定などで行うことは憲法上認められないと考えている。

内閣法制局は各省庁で法律に秀でている人の中から出向させて構成している。出向期間は通常より長めで約70名。

5.雑感
私は、最小限の軍備を持つのはやむをえないと考えている。そして軍備を持つことは厳密に言えば現憲法に違反するのだろう。しかし、この国のあり方について国論が一致しておらず、議論も十分でない現状で、憲法を改正するのには反対である。自衛隊の方には申し訳ないが、ありていに言えば、気持ち悪いから憲法を改正しましょうなんて硬いことを言うなということだ。大多数の日本人は私のように考えているのではないだろうか。

冷戦時代に自分で国を守れない小国が一方の大国と協定を結び、基地を提供などの見返りに、守ってもらうというのが、集団的自衛権の始まりではないだろうか。現在では、近いところに仮想敵国がいる小国がこれにあたるだろう。

日本は核こそ持っていないが、その軍事力は世界でも大きい方で、最近は不明だが、中国に匹敵すると読んだことがある。軍事情勢に疎いのに乱暴なことを言うと、そろそろ安保解消の努力を始めても良いのではないか。そもそも日本に米軍基地がある方が危険だ。
国際貢献はかって進めたことがない積極的な平和外交によるべきであり、国内向けポーズだけで、利益のない北朝鮮への強行姿勢などを改め、なにより、中国、韓国、北朝鮮、ロシアと友好関係を築くことに努力すべきだ。そして、それこそが最大の安全保障だ。






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「天皇家の誕生(帝と女帝の系譜)」(遊子館発行)を読んで

2006年05月05日 | 日本
今、世情でかしましく、場合により極論が、声だかに横行する皇位継承問題の根本を知ってみたいと読んでみた。著者は筑波大教授などを歴任した歴史学者井上辰雄氏であるが、平易で冷静な語り口で、考古学や文学など幅広い資料を用いて、天皇家の誕生から、古代天皇継承の実情を探求し、解説している。260ページほどで、丁寧な解説があり知識のないものにも容易に読め、いかに天皇家が誕生し、その後多くの皇統継承の危機があったが理解できる。

内容を語る前に、終章の皇室継承に関する著者の考えを紹介する。
天皇家は幾度かの継承の危機を日本独特な方法、政治的解決で乗り切って、世界史でも珍しい1,500年以上にもわたる継承を続けてきた。これは、天皇家が政治の主催者としてではなく、日本文化発信の中心として日本人の精神の源泉であったためである。過去、天皇が政治の前面に出たり、政治家の野心に利用されたりしたときに皇統の危機に見舞われてきた、との著者の意見は説得力がある。なお、著者は女帝の夫君の実家の影響力を懸念して現状で男系での継承を考慮するよう提案している。この点には私は異論がある。現在では諸外国の王家を見ても、外戚の問題より、心配すべきは週刊誌などによるスキャンダル報道での国民の敬意喪失であろう。

以下、内容を皇位継承の部分を主に要約するが、卑弥呼や大和朝廷誕生の話も面白い。
弥生時代、西暦1世紀に既に日本には、王、官僚、軍事力と徴税体系を持つ百あまりの国があった。3世紀中ごろ、邪馬台連合国が強国に対抗するために利害が対立する男王でなく宗教的カリスマである霊媒者卑弥呼を統合者として担ぎ上げた。卑弥呼は祭り(マツリ)を行い、男弟が執政官として政(マツリゴト)を行った。政治上、外交上の失敗があれば、執政官が辞職する。これが古代日本の統治の原型になった。

天皇家の祖先は、北九州の勢力や朝鮮の騎馬民族による征服王朝ではなく、大和の豪族達に擁立された宗教的な王であると、著者はさまざまな間接的事柄から推測する。そして、宗教的王という性格が一貫して天皇家を規制していった。天皇家誕生時期は、文献史料からは4世紀末から5世紀にかけてで、考古学では3世紀中葉と分かれているが、著者は4世紀初頭と推定している

5世紀の中国の宋書には倭の5王が使節を派遣したことが書かれている。現在では、この5王は16代仁徳天皇から21代雄略天皇までであろうとされている。倭国、ヤマト王権は大陸の先進文化を独占的に手に入れ、利用して国内支配を進めていった。5世紀後半、雄略天皇の時代には北は北武蔵から南は肥後北部まで支配下におさめていた。

皇統継承の危機は何度となくあった。
22代清寧天皇は病弱で子がなく、父雄略天皇が3人の皇子を殺して天皇になったため有力な皇位継承者がいなかった。しかし、隠されていた2人の皇子が見つかり、23代顯宗天皇、24代仁賢天皇となる。

25代武烈天皇は女性不信、暴虐で皇子を持たなかった。既に57歳になっていた15代応神天皇の5代孫を連れ出し仁賢天皇の皇女を皇后に迎え26代継体天皇となった。

31代用明天皇崩御後、蘇我馬子が穴穂部皇子、さらには32代崇峻天皇まで殺し、天皇空位という事態になった。この時代の皇后は天皇とともに共治しており、先代天皇の皇后が一時的に即位し推古女帝となった。

外戚の地位を得ようとする蘇我氏の強行策で35代、37代の皇極(斉明)女帝が即位した。

40代天武天皇が崩御されると、皇后は謀反を口実に大津皇子を殺した。しかし、息子は病弱であるため、自ら持統女帝となり、孫が42代文武天皇となるまで在位した。

42代文武天皇崩御時に首皇子(おびとのみこ、後の45代聖武天皇)はまだ7歳だった。そこで、皇子の祖母にあたる43代元明女帝から伯母にあたる44代元正女帝と引継いだ。

藤原氏の圧力で聖武天皇の娘安倍内親王がはじめて女性で皇太子となる。46代孝謙女帝となるが、47代淳仁天皇に実権を譲らず孝謙上皇となり僧道鏡を法王に任ずるなど寵愛した。さらに淳仁天皇を廃し、自ら称徳女帝となり、皇統の危機をもたらした。結果的には藤原氏の逆襲もあって、称徳女帝崩御後は志貴皇子の子が49代光仁天皇となり、皇統は天武系から天智系へ移行した。

このように女帝の歴史は皇統の断絶を回避するためでもあるが、同時に女帝の恣意があらわになると、皇統が他家に移行する可能性もはらむものである。

以上
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イチローのイメチェン?

2006年03月30日 | 日本

オーストラリア・パースでのアパ-トメント生活で、日本のニュースは、夕方にネットでニュースのタイトルを見ながら目に付いたものだけ詳細を知るのがほとんどである。しかも、ダイアルアップの3.1Kb/s環境であり、動画どころか、写真もじっくり表示される途中で切り替えてしますこともある。また、前日のNHKニュースが朝5時半からTV放送されるので、ときどき見るのだが、放送権の関係で、WBCの野球をしている映像は写らず、音声のみである。

もともとひねくれ者の私はアンチ巨人がアンチ野球になっているし、メジャーリーグがとって付けたように始めたWBCにも関心がなかった。しかも、きれぎれの情報環境では、号外も出たと言うWBCでの日本の逆転優勝にも、のりきれない。

ましてやイチローが、チームを引っ張ってとか、自棄酒を飲んだとか、聞くと、勝手に、宮本武蔵ばりの、孤高の求道者のイメージで捉えていたのに、オヤオヤと思ってしまう。

イチローは日本でもオリックスの主力打者ではあったが、チームをまとめていく役割だったというイメージは私にはない。また、メジャーでのすばらしい活躍にもかかわらず、2年続けて所属チームのマリナーズがボロボロの状態であり、WBC日本チームのまとまりに気分を良くし、優勝で一気に弾けたのか?

こうなれば、私の多少の違和感は別にして、明るくはしゃぐイチローが、もっと米国マスコミに積極的に登場し、いっそう人気を盛り上げて欲しい。そして、将来の帰国後、監督になるなどして日本の野球界を明るく、伸びやかなものに変えて欲しい。

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連邦制と道州制

2006年03月21日 | 日本
3月16日に「コモンウェルス大会に見る英国の外交」として、英連邦
Commonwealthについて、53もの国や属領が今も英連邦に属し、
歴史と政治的遺産を共有したゆるい結合を保っており、英帝国は
これらの国に対し、かなりひどいことをしたに違いないのに、脱退した
り、参加しなかったのは7カ国に過ぎない。英国の外交力に比べ、
日本の外交は過去の負の遺産を後世に持ち越そうとする、なんという
テイタラク」と嘆いてみせた。

コモンウェルス大会は53カ国で、72チームである。 例えば英国は
イングランドとスコットランドが別チームとなっている。そういえば、以前
英国の人に「英国は----」と話していたら、英国とは、“the United
Kingdom of Great Britain and Northern Ireland”で、イングランド
とは別だとむきになって言われたことがある。一国の中で、昔は血なまぐ
さい戦争をし、今は互いに競争している。それでいて昔は、英国として
他国を侵略し、今は緩やかに53もの国をまとめている。まとまりの良い、
金太郎飴の日本からみるとおかしな国だ。
しかしながら、そういえば、米国もロシアも、独立性の高い州、連邦制
だし、このオーストラリアも正式名はオーストラリア連邦
Commonwealth of Australiaだ。

日本でも道州制の議論が始まった。確かに狭い日本で46分割は
多すぎる。日本では、関西が東京に対抗意識を見せるくらいで、地域
間の対立はほとんどない。人種的にも南方系と北方系、少数民族の
アイヌなどいるのだが、ほぼ対立はなく、仲良しこよしをしている。
道州制になり、首長の政策による地方同士の格差が明確になれば、
地方が互いに切磋琢磨し、東京一極集中を避けられる可能性はある。

まず、軍事と外交だけに絞るなど日本国として最低限何をすべきか、
を議論してから、地方に何を移すかを決めるべきである。まず、自ら
を律せよ。

小泉さんの競争唯一政策と、ぶん投げ体質に負けず意味ある議論、
結論を期待したい。と、御体裁だけのまとめで、とってつけた朝日新聞
並み結論になってしまった。
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社会と個人

2006年03月06日 | 日本

「第11次 日本人の国民性調査」結果概要が、統計数理研究所から発表されている。 
 http://www.ism.ac.jp/~maeda/KSJapan/index.htm 

前半は日本の女性はますます自信を増しているとの結果であり、前回ブログに書いた。ここでは後半の話をしたい。

後で概要を示すが、日本人はますます、家族第一で国家・社会は二の次三の次、個人主義、生活水準悪化でも暮らし向き普通と評価し、だが将来は暗いと考えている。恥ずかしながらすべて私の考え方通りである。

しかし、そんな平凡な私が言うのもなんだが、日本人の大多数が平和的なのは大歓迎だが、一方、これほど見事につつましく、小市民的、軟弱であって良いのだろうか。日本人全体が良い意味でも、悪い意味でも女性化している。

皇室典範ではしゃぎまくる口先だけ勇ましいネット右翼は問題外として、苦しむ人々のためになる解決策を冷静に判断し、役に立たない個人の主義にはこだわらず、民族主義の悪癖には染まらす、苦境を人知れず凛として耐え、パフォーマンスせず、少しずつでも前進しようとする微力の多数はどこに行ってしまったのか。でも、これって今時の政治家と反対の人ですね。

以下、「第11次 日本人の国民性調査」の私のまとめです。

(1)一番大切なものは家族
一番大切なものとしては、1968年まではわずか13%に過ぎなかった“家族”が,1970年代以降増えつづけ,2003年には45%に達した。2番目に大切なものとして挙げた人も合わせると,“家族”は,ほぼ3人に2人,64%の人が挙げていることになり,ダントツの一位となる。生命・健康・自分が20%、愛情・精神が約12%、以下、子供、金・財産と続き、仕事・信用と国家・社会は1958年の約6%から年々低下し、2003年には約2%となってしまった。

(2)職場でも個人主義 
家族的な雰囲気の職場、上役との仕事以外のつきあいは1973年の70%から、2003年は50%へ低下し、職場での濃厚な人間関係は敬遠される。“時には規則をまげて,無理な仕事をさせることもあるが,仕事のこと以外でもめんどうをよく見る”人情課長は,2003年の調査でも77%の支持を得てはいるものの,ピーク時より12ポイント減少した。

(3)生活水準は悪化と考えるが、くらしむきの満足感は横ばいと評価
この10年間に自分の生活水準がよくなったと考える人は1983年50%だったのが、2003年は20%に激減している。しかしながら、自分のくらしむきの現況を「ふつう」と評価する人がずっと7割を超えたまま変化が見られない。生活水準が落ちたからといって,貧困感が強くなったり,くらしむきへの不満が強まるほどではないようだ。

(4)回復しきれない日本の現状評価と将来の見通し 
科学技術80%,芸術65%は1973年以来大きな変化はない。生活水準50%,経済力30%,心の豊かさ25%,は5年前(1998年)の調査で大きく落ち込み、2003年も評価が回復したとは言いがたい状態だ。
将来の見通しとして,“人間の自由”、 “生活の豊かさ”、“健康”、“幸福”、“やすらかさ”が良くなるに対しては、いずれも1978年をピークとして1998年の調査で大幅に悪化し、2003年には健康以外はさらに落ちていて、見通しは暗くなっている。

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男と女

2006年03月05日 | 日本
「第11次 日本人の国民性調査」結果概要が、統計数理研究所から発表されている。 
 http://www.ism.ac.jp/~maeda/KSJapan/index.htm 

――「生まれかわるとしたら男か女か?」という質問に対し、 男性は,1958(昭和33)年以降,いつの調査でも約90%が“男に生まれかわりたい”と答えるのに対して,女性は,“女に”という答えが,1958年の27%から増え続け,45年後の2003年は69%に達しました。――
日本の女性はますます自信を深めているようです。男性は意地でも女性に生まれた方が良かったとは言えないのでしょう。

――「男と女のどちらに楽しみが多いか?」 という質問に対し、1970年代までは,男性も女性も“いまの日本では楽しみは男が多い”という答えが60-70%だったのですが,2003年には,女性の56%が“楽しみは女性の方が多い”に逆転しました。――
男性がコーヒー含んでなんとか1000円で昼飯を済まそうとしているとき、奥様は美術館鑑賞の後、ホテルのレストランでお仲間と食事したりして。
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