hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

鎌倉恵子『一冊でわかる 歌舞伎名作ガイド50選』を読む

2019年10月31日 | 読書2

 

鎌倉恵子監修『一冊でわかる 歌舞伎名作ガイド50選』(2006年2月10日成美堂出版発行)を読んだ。

 

表紙裏にはこうある。

四百年の歴史をもつ歌舞伎

◎歌舞伎は、いつの時代もその舞台美と独特の型、ストーリー性、そして作品によっては荒唐無稽とも思われるおもしろすぎる「すじがき」で、日本人の心に訴える伝統芸能として君臨してきました。二十一世紀の今日も、現代を生きる役者が「見得」を切り、踊り、名台詞で私たちを酔わせてくれます。

◎本書は、上演頻度の高い名作、傑作を中心に五十演目を選び、歌舞伎デビューしたいあなたのためにわかりやすく解説しました。舞台写真は、今日活躍の現役役者で構成、ほかにも観劇に必要な基礎知識やうんちくがいっぱいのコラムと、歌舞伎の楽しさが存分に伝わる内容となっています。

 

歌舞伎は出演者は男性のみ(子役は例外)だが、1603年京都に現れた出雲の阿国(おくに)という女性が始めた。色っぽい出し物「かぶき踊り」が人気だった。

やがて本物の遊女たちによる「遊女歌舞伎」へ発展し、客引きと結びつき、幕府から禁止された。

そこで、見目麗しき美少年が白粉はたいて舞い踊る倒錯的な「若衆歌舞伎」に変わったが、これも禁止。

媚を売る姿態を止め、踊りよりも芝居を重視した「野郎歌舞伎」の形が定着し、歌舞伎の原形となり、女形の芸が磨かれ、発展した。

 

名台詞

「人間わずか50年‥‥同じことならあのように騒いで暮らすが人の徳、一人殺すも千人殺すも取られる首はたった一つ。……こいつは滅多にしなれんわい。」(求女を殺し、ワルに目覚める清心の台詞)十六夜清心(いざよいせいしん)

 

しがねい恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から、めぐる月日も三年(みとせ)越し、江戸の親にゃあ勘当受け、よんどころなく鎌倉の、谷七郷(たにしちごう)は食いつめても、面に受けたる看板の、傷がもっけの幸いに、切られの与三と異名を取り、押し借り強請りは習おうより、なれた時代の源氏店、その白化けが黒塀の、格子作りの囲い者、死んだと思ったお富たあ、お釈迦様でも気がつくめえ。(与三郎の超有名な名台詞)切られ与三 源氏店 与話情浮名横櫛

 

 

鎌倉恵子(かまくら・けいこ)

元・東京文化財研究所・芸能部演劇研究室長

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

読み終わってブログ書きのために奥付を見ると、発行が2006年。どうりで写真に登場の役者が亡くなった人や襲名前の名前が多かった。

 

 

 

目次 歌舞伎の世界へようこそ

 

華・粋・美

凡例(本書を読む前に)

 

第1場 三大名作

菅原伝授手習鑑(“車引”に“寺子屋”、屈指の一幕ものもある通し狂言)

忠臣蔵=仮名手本忠臣蔵(歌舞伎のなかでもっとも人気があって有名な傑作)

義経千本桜(滅びゆく者の悲哀、怨念と恩愛、全編にあふれるロマン)

第2場 歌舞伎十八番

勧進帳(ドラマ性と様式美で人気の十八番)

毛抜=雷神不動北山桜(姫の病気は磁石が原因だったという、奇想天外なお話)

暫(市川團十郎家代々がつくりあげてきた荒事芸がたっぷり)

助六

鳴神

矢の根

第3場 世話物・時代物

十六夜清心=花街模様薊色縫/小袖曽我薊色縫(心中場面から始まるどんでん返しが醍醐味の悲劇)

伊勢音頭=伊勢音頭恋寝刃(十人斬りで白い浴衣に血汐が飛ぶ、夏狂言の代表作)

第4場 舞踊・新歌舞伎

鏡獅子=春興鏡獅子(可憐な女小姓から勇壮な獅子の精へ、至芸に酔う)

藤娘=歌へすがへす余波大津絵(可憐な藤の精の踊りを楽しむ、人気舞踊)

 

資料編

年表、歌舞伎用語、全国劇場案内、家系図、屋号一覧など

 

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酒井順子『センス・オブ・シェイム 恥の感覚』を読む

2019年10月29日 | 読書2

酒井順子『センス・オブ・シェイム 恥の感覚』(2019年8月5日文藝春秋発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。

あの人といる時の居心地の悪さ。原因は「恥の感覚」の違いにあった!
食べ放題での「元取り」食い。「お母さんに感謝」からのハグ。ブックカバーをしないで本を読むこと。SNSでの手作り料理自慢……
本来恥ずかしがり屋だった日本人に、今、何が起こっているのか。
フェイスブックでの自慢バブルを斬った「中年とSNS」が大反響!!
共感の嵐を巻き起こす傑作エッセイ集。

 

「恥の感覚」

古来、日本には「自慢」を恥じ、嫌う文化があった。一方で井上ひさしはすべてのエッセイは自慢話である」と言った。皆がしたい、自慢。しかし、していることがばれると相当恥ずかしい。プロの文筆家は「一見、自慢っぽくないけれど、実は自慢」というテクニックを磨いてきた。

最近は自慢に対する感覚がかなり、違ってきたように思う。

 

「中年とSNS」

フェイスブックなどのSNSでは、アマチュアによるむきだしの「自慢」があふれ出す。そんな状況について書いた連載第2回の「中年とSNS」がオンラインに転載されるや、またたくまにシェアされ大反響を呼んだ。

 

「感謝にテレない世代」

 現代の若い男子にとって、「マザコン」は揶揄(やゆ)されない。大学生の子供を持つ親はバブル世代で、「子供は貴重品」と意識している。
13頁にわたる部分が(文春オンライン)に『人前で大学4年生の息子が母親にハグ……もはや「マザコン」は恥ずかしくないのか』として特別公開されている。

 

「結婚相手」

誰が見ても百点満点の美人以外にも、八十点くらいの「そこそこ美人」、五十点くらいの「よくみりゃ美人」、三十点くらいの「通好み」など、カオ指数も様々なのです。

 

 

初出「オール読物」2017年4月号~2018年12月号

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

確かに我々昭和世代(乱暴な言い方だが)からみると、恥ずかしげもない若者の行為が近年見受けられる。YouTubeでの半分金目当ての、臆面もない話題作りや、人前での両親、とくに母親への親しみ表現などを見ると、確かにSNSの普及や少子化が大きく日本の恥の文化を変えてきているとの実感はある。

微妙な時代の変化をいち早く感じ取り、分析し、具体的身近な例を挙げて語る酒井さんの才能には恐れ入る。

 

ただし、2年近くに渡る雑誌への19編の連載エッセイなので、繰り返しも多く、パラパラ読む分には差し支えないが、全体を見直して感想をまとめようとすると、冗長な部分が多い。論文ではなく、エッセイ集なのでとくに問題とするほどではないのだが。

 

 

酒井順子の経歴と既読本リスト

 

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朝倉かすみ『田村はまだか』を読む

2019年10月27日 | 読書2

 

朝倉かすみ著『田村はまだか』(光文社文庫あ53-1、2010年11月20日発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

深夜のバー。小学校のクラス会三次会。男女五人が、大雪で列車が遅れてクラス会に間に合わなかった同級生「田村」を待つ。各人の脳裏に浮かぶのは、過去に触れ合った印象深き人物たちのこと。それにつけても田村はまだか。来いよ、田村。そしてラストには怒涛の感動が待ち受ける。’09年、第30回吉川英治文学新人賞受賞作。傑作短編「おまえ、井上鏡子だろう」を特別収録。

 

札幌ススキノのスナック「チャオ!」で田村を待つ5名の同級生の会話。全6話の連作短編集と追加の短編。

 

第一話、第二話は、「田村はまだか」、第三話は「それにつけても田村はまだか」で終る。

 

小学校の同級生

エビス、班長:伊吹祥子。離婚したて。

加持千夏:ちなっちゃん。いいちこを飲む。男子校の保健室の先生。昨年離婚。

コルレオーネ:マーロンブランドの矮小版。坪田隼雄。生命保険会社営業所長。童貞

永田一太:腕白男、営業。

池内暁:化粧品等の卸会社の営業。

田村久志:「チャオ!」でのクラス会に遅れている。現在豆腐屋のあるじ。女房は中村理香で、こども二人。

中村理香:小6の時、問題児。

 

花輪春彦:札幌ススキノのスナック「チャオ!」のマスター。46歳。一昨年離婚、退社し開店。

二瓶正克:池内暁の指導係。42歳。

石田康夫:池内暁の上司。

キッド:島村裕樹。千夏34歳の時の高校1年の生徒。

 

(特別収録作品)

おまえ、井上鏡子だろう

小野垣ハジメは小学校のクラス会があった居酒屋を出て来て、酔っぱらった女に出合う。通りすぎてから、同じ中学だった井上鏡子だと気付く。彼女は親友の山田真人と同じクラスだった。

 

 

単行本は2008年光文社刊。短編「おまえ、井上鏡子だろう」は2008年柏艪社のアンソロジーより。

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

クラス会の3次会で田村を待ちながら、訳ありの5人が語り合う芝居を観ているような構成と、互いの関係が微妙で、会話内容が面白い。

ベケットの「ゴドーを待ちながら」は不条理劇で「意味わかんない!」そうだが、この作品での各人の会話は意味深で、小学校の時の話と、現在の男女間の関係が絡まり、複雑だ。

 

これだけ待たれて、ようやく登場の田村の魅力と、なぜ皆が待っているのかが、いまひとつ伝わらない。

 

 

朝倉かすみ(あさくら・かすみ)の略歴と既読本リスト

 

  

小6の田村が中村理香に言った。

「どうせ死ぬから、今、生きてるんじゃないのか」……

「どうせ小便するからって、おまえ、水、のまないか? どうせうんこになるからって、おまえ、もの、くわないか? …」……

「でも、今は生きてるんだ」……

おれは、今、ここにいる。それでいいんじゃないか、という。

‥‥

「好きだよ」

 

妻は離婚届を出して夫に言った。

「お友だちとミドリ同盟をつくってたのよ」……

「だんなが定年になったら別れましょうね、って同盟」……

たしかに、離婚届けの罫線の色はみどりだ。

 

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朝倉かすみ『平場の月』を読む

2019年10月25日 | 読書2

朝倉かすみ著『平場の月』(2018年12月20日光文社発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。

「おまえ、あのとき、なに考えていたの?」
「夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね。ちょっと」
朝霞、新座、志木――。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。
50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる――。心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。

 

光文社の特設サイト

「ちょうどよく幸せなんだ」

もう若くはない

男と女の、静かに滾(たぎ)る

リアルな恋。

山本周五郎賞受賞、直木賞候補作品

 

平場とは、

ヤッソさんと話をしていると、ここは平場だ、と強く感じる。おれら、ひらたい地面でもぞもど動くザッツ・庶民。空すら見なかったりの。

 

各章での須藤の“つぶやき”が章の名前になっている。

一「夢みたいなことをね。ちょっと」(p12)

二「ちょうどよくしあわせなんだ」(p30)

三「話しておきたい相手として、青砥はもってこいだ」(p66)

四「青砥はさ、なんでわたしを『おまえ』って言うの?」(p95)

五「痛恨だなぁ」(p117)

六「日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ」(p156)

七「それ言っちゃああかんやつ」(p203)

八「青砥、意外としつこいな」(p208“七”の終わりから2頁目と、p213)

九「合わせる顔がないんだよ」(p243)

 

 

青砥が胃の調子が悪く内視鏡検査を受診したら生検になり、落ち込んでいるときに、中三で告白し断られた須藤に会った。須藤は青砥に提案する。「景気づけ合いっこしない?」「どうということない話をして、そのとき、その場しのぎでも『ちょうどよくしあわせ』になって、おたがいの屈託をこっそり逃すやつ‥‥」

 

青砥健将:50歳。6年前地元に戻り、寡婦になった母の近くに住んだが、妻子に出て行かれた。息子は26歳と24歳で独立している。

須藤葉子:ハコ。青砥の中学の同級生。良い大学出て一流企業に勤め、親友をDV夫と別れさせて結婚。41歳で夫に先立たれ、地元に戻った。内視鏡検査を受ける。

ウミちゃん:ウミウシ似。中央病院の売店でパート。

安西知恵:旧姓橋本。青砥の勤める印刷会社のパートタイマー。青砥と小中同窓。

 

 

朝倉かすみ(あさくら・かすみ)の略歴と既読本リスト

 

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

どうということない日常の会話が続き、読ませていく。これってかなりな文才、文章力を要求されるような気がする。

率直な青砥と、意地っ張りでこだわりのある須藤。不運の中、生きてきた中年同士、長らくの無沙汰を経た中学の同級生同士が、少しずつ距離を縮めていく過程が、実にこまやかに描かれている。同級生で中年の好き同士の微妙な距離感がある二人の、現実感あるリアルな会話がこの作品のポイントだと思う。

 

しかし、平場とあるのに、最後の方では、がん、闘病、‥‥と多くの小説のようにドラマチックになってしまうのは残念。

1年も会わないことにするのが不自然。何故、妹に連絡しないのか不可解。

 

読みはじめが分かりにくかった。いつ頃の話なのか、誰の話なのか、分かりにくい描写だと思った。また、「元男子」、「元女子」という言葉に、「LGBT?」と惑わされた。

 

 

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遠藤周作『反逆』を読む

2019年10月23日 | 読書2

遠藤周作著『反逆(上)、(下)』(講談社文庫え1、1991年11月15日講談社発行)を読んだ。

 

上巻の裏表紙にはこうある。

1度でもいい。上さまの……あの顔に……怯えの影を見たい――己れの力に寸分の疑いをもたぬ信長の自信、神をも畏れぬ信長への憎しみ、恐れ、コンプレックス、嫉妬、そして強い執着……村重、光秀、秀吉の心に揺らめく反逆の光を、克明に追う。強き者に翻弄される弱き者たちの論理と心理を描ききった歴史大作。

 

下巻の裏表紙にはこうある。

なんたる上さまの冷酷――命乞いをする幼な子の首を刎ねた信長、秀吉と光秀、2人の心理的競い合いを楽しむ信長。信長を討つことは天の道!光秀は長い間心に沈澱していた反逆の囁きから解き放たれた……。戦いの果てにみた人間の弱さ、悲哀、寂しさを、そして生き残った村重、右近らの落魄の人生を描く。

 

 

『反逆』は織田信長を軸に、彼に謀叛を起こそうとの気持ちを抱く戦国武将たちを描いている。上巻は荒木村重を中心に、下巻は明智光秀を中心に松永弾正久秀、高山右近、羽柴秀吉、架空の人物竹井藤蔵などが登場する。

 

『反逆』に続き、若き信長を描く『決戦の時』と、秀吉に見いだされ滅ぼされた前野将右衛門を描く『男の一生』は戦国三部作といわれる。

 

巻末に、遠藤周作自身による解説・取材感想「取材の滴」と、解説、13頁にわたる遠藤周作の年譜がある。

 

 

織田信長:長男は信忠、甥は信澄(のぶずみ)。義理の娘・だしは村重に嫁ぐ。

 

荒木村重:土豪だったが、摂津の茨木城を攻め取り、より大きな有岡城とした。

竹井藤蔵:磯見重左エ門と共に村重のために敵情を偵察。岡山県美星町出身。創造の人物。

中川清秀:村重の従兄弟。

 

羽柴秀吉:旧名は藤吉郎。

細川藤孝:後の幽斎。若い頃、明智光秀と共に足利将軍に仕える。

高山右近:旧名彦五郎。父は飛騨守。父子で切支丹。

松永久秀:弾正。三好長慶の家臣で、一族を謀殺してのし上がる。信長に降伏して家臣となるも反逆し敗れ自害。

 

 

初出:1988年1月~1989年2月読売新聞連載

本書は1998年7月講談社より刊行。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

何を描いている小説かといえば、織田信長を描いているのだと思う。ただし、侮辱され、抑えつかられ、神かとも思う信長にいつかは恐怖を味あわせたいと思う家臣たちの心の動きにより描いているのだが。

 

信長は利用できる者はいかなる手段をとってでも利用しつくし、不要となった者は躊躇なく切り捨てる。刃向かった者は、坊主、女、子どもにかかわらず残忍に殺す。怖れを感じることもなく、自分の判断には迷いはなく、自らを神とも思うと描かれている。恐怖によって家臣、民を支配した。

 

一方で反逆した荒木村重、明智光秀などは、ずたずたにされた自尊心、強制された残忍な仕打ちへの嫌悪、恨み心の一方で、信長の強靭な自信、的確な判断、強運におののいている。この本によれば秀吉さえ、内府さまの敵は外にはない。お心のなかにあると結論し、いつかは自分も戦うか、転ぶのを待つが、今ではない、今は早すぎると考えていた。

 

おおよそは歴史的事実の基づいていると思われるが、登場人物の心の動きなど歴史家からは決めつけと異論があると思う。しかし、小説では流れを明快にするためキャラクターは単純化せざるを得ない。遠藤周作は十分楽しんで書いていると思える。ただし、膨大な資料を読んだうえで。

 

遠藤周作(えんどう・しゅうさく)
1923年(大正12年)東京生まれ。1996年死去。慶應義塾大学仏文科卒。フランス留学
芥川賞(1955年)、新潮社文学賞(1958年)、毎日出版文化賞(1958年)、谷崎潤一郎賞(1966年)、読売文学賞(1979年)、日本芸術院賞(1979年)、野間文芸賞(1980年)、毎日芸術賞(1994年)、文化勲章(1995
代表作『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』

40代からは、いわゆるぐーたら物を中心とした身辺雑記等を書き連ねる随筆作家「狐狸庵」の顔も持った。

眠れぬ夜に読む本

 

 

一所懸命:地侍は先祖伝来の土地を守ることが一番大切。一生懸命は誤用。

 

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京都 (7) 豆寅

2019年10月21日 | 旅行

 今回が京都の旅の最終回。

祇園甲部歌舞練場の真向いにある「豆皿懐石 祇をん 豆寅」で昼飯とした。

まず出て来たのが豆皿12。少しずつ、多くという日本的、女子好みな提供形態。どれももう少し食べたいと思わせる美味。

 

 京都で祇園だからか、上品な味。

 

 

大根は擦ったのでなく、小粒に叩いて(?)、薄味がついていた。魚は何か講釈があったが忘れた。

 

 

シャリが固く握ってあって、けっこうお腹一杯。でも、食べてしまう。

 

 くず餅

 

たいへんおいしゅうございました。 


京都駅への帰り道、南座が見えた。

 

 

これで、7回に渡った京都の旅は終った。

 

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京都 (6) 高台寺

2019年10月20日 | 旅行

豊臣秀吉の正室である北政所(ねね)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院。寺号は北政所の落飾後の院号・高台院にちなむ。造営には徳川家康が多大な財政的援助を行った。

 

入口の脇のポスターが目を引く。ロボットがお経を唱えるらしい。

 

 

楼船廊の中央の観月台は檜皮葺の四本柱の建物で、三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物。

 

 

小堀遠州作で、桃山時代を代表する庭園。

 

 

開山堂

 

 

時雨亭

 

 

竹が放射状に組まれカラ傘を広げたよにみえることから傘亭の名がある。

 

 

傘亭と時雨亭は土間廊下でつながっている。両者は利休の意匠といわれ、伏見から移建した。

 

 

 

マニ車

「マニとは宝石のことで、チベットの寺院に多く見られる。一度回すと大蔵経を読むのと同じ功徳があるとされる。筒の中には般若心経の写経が入っていて、時計回りに回すと、身体、言葉、思考を清め、災いを取り除くことができる」と説明にあった。

 

 

このあと祇園の「豆寅」に行って夕飯。

 

次回は「京都 (7) 豆寅」。

 

 

 

 

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京都 (5) 広隆寺&北野天満宮

2019年10月19日 | 旅行

東映太秦映画村で知られる太秦にある広隆寺へ行った。昔々の渡来の秦氏の氏寺だ。

広隆寺には、国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟(はんかしい)像がある。中学の修学旅行以来だから、60年ぶりだろう。

 

駐車場からまずは、写真右手の参拝受付へ。

 

 

お像の並ぶ新霊宝館へ。

 

 

館内には、弥勒菩薩半跏像だけでなく、多数の仏像が展示されている。ショーケースなしに生身での展示はありがたいのだが、館内は非常に暗くかなり見えにくいのが残念。中央に座る所があり、ゆっくりできる。

 

上宮王院太子殿

 

 

楼門から出て、太秦広隆寺駅近くでタクシーを拾い、北野天満宮へ。

ここを訪れるのは初めて。秀吉の大茶会の絵図を観たことがあるだけだ。

大鳥居の前に停車。

 

 北野天満宮は、菅原道真を祭神とする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。

 境内にはそこかしこに牛の像。なでると願いが叶うらしいが、触る気になれない。

 

 色とりどりの石でできた牛の像。

 


三光門

日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれるが、実際は星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」になっているという。

 

 

国宝の本殿

 

 

本殿の右に松、左に梅がある。梅には「樹齢400年以上とみられ、各地の「飛梅伝説」の原種であることがあきらかになっている」とあった。DNAでも調べたのだろうか?

 

 

このあとさらに高台寺へ行った。

次回、「京都 (6) 高台寺」。

 

 

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京都 (4) 渡月橋

2019年10月18日 | 旅行

朝7時、宿「らんざん」を出て正面の宝巌院を覗き込む。

 

 

道路の反対側には石の仏像が並ぶ。宝巌院に奉納した石像だ。足元に奉納した名前がある。

 

 

川べりの絵にかいたような見越しの松、思わず振り返ってパチリ。

 

 

「らんざん」と似たような名の「嵐月」という割烹旅館?

 

 

渡月橋のすぐ手前にある水量調節などのための「井堰」(多分?)

 

 

上流側からみた渡月橋

 

 

渡月橋は、大堰川の修築を行った836年に架設された。渡月橋という名は、後に亀山上皇が東から西へ月が渡る様子を見て名付けたと言われている。1606年角倉了似が開削工事を行った際に、上流100mほどから現在の位置に架け替えた。と、立て看板にあった。

朝7時半、渋滞の渡月橋がうそのよう。

 

 

やはり下流側から見た渡月橋が一番美しい。

 

 

久しぶりのマンホールの写真

各地で町おこしのためマンホールの派手さ競争が始まってからご無沙汰になっている。

 

 

宿に戻り、朝食後、広隆寺へ行った。

 

次回「京都 (5) 広隆寺」。

 

 

 

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京都 (3) 京都「らんざん」

2019年10月17日 | 旅行

 

天龍寺から南に5分ほど歩き桂川(大堰川)に出た。

 

 

川べりをぶらついてから嵐山の宿「らんざん」に入った。

 

 

 

ひと風呂浴びてから夕飯(精進会席)だ。

 

先附(柿、しめじ、水菜、松の実)と前菜(薩摩芋クリームチーズ和え)

 

焜炉(こんろ)(松茸入り土瓶蒸し)

 

 

お造り(刺身湯葉、黒胡麻麩)

 

焼物(朴葉焼き)

 

 

炊合せ(野菜飛龍頭)

 

 

合肴(じゃが芋饅頭)

 

 

留肴(焼き松茸)

 

 

お食事、香の物、留め椀

 

 

水物(オレンジ、巨峰)、白胡麻わらび餅、黄粉)

本当にご馳走様でした。

 

翌朝、朝食後も時間があるので、お庭をぶらぶら

 

 

 

くるりと回って2,3分とそんなに広くはないのだが、趣ある静かな景色。

 

まだまだ時間があり、渡月橋まで散歩する。

 

次回は「京都 (4) 渡月橋」。

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京都 (2) 大河内山荘

2019年10月16日 | 旅行

 

天龍寺北門を出て、左手のあまりにも有名で人一杯の竹林。

 

 

                                               

突き当り、トロッコ嵐山駅の近くに大河内山荘がある。

時代劇の大スター・大河内傅次郎(1898~1962)が、小倉山の南面に30年に渡りこつこつと作り上げた庭園だ。

菓子付き抹茶を含めて入園料は1000円。

 

入って右手がお茶をふるまわれる所。

 

 左手の丘を登って、回遊式借景庭園を巡る。

 

 

持仏堂

31歳ですでに大スターだった傅次郎は、撮影の合間にここで念仏・瞑想により静寂を得た。この持仏堂から64歳で逝去するまで絶えることない30年間の庭作りが始まった。

 

 


嵐峡展望台からの眺め

遠く一番高い山が比叡山。山頂の真下あたり、二つの山の間によく見ると仁和寺の塔が見える。

 


市内展望台(月香という名の休憩所だったかも?)からは京都市内が一望。

 

 

入口近くに戻り、お抹茶席で頂く。

 

回廊風に傅次郎の写真などが並ぶ記念館。

 

 大河内山荘を出て、常寂光寺方向に行くと、小倉池に一面のハス。

 

 

このあと、天龍寺の西側の亀山公園を経て大堤川(桂川)近くの「らんざん」で一泊。

京都 (3) 京都らんざん」に続く。

 

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京都 (1) 天龍寺

2019年10月15日 | 旅行

 

所要があり、のぞみ号で京都駅へ。

 

 

山陽本線で嵯峨嵐山駅で下車。

駅を降りると、渡月橋、天龍寺あたりに向かう中国人などが列を作っている。道沿いの店、家々は観光客向けの店に取ってつけたように変更。着物のレンタルも多い。

 

 

まず向かうのは天龍寺。

東の御門から入る。

 

 

弘源寺

いくつも並ぶ塔頭(たっちゅう)の一つ弘源寺に入る。

永享元年(1429)室町幕府の管領・細川持之が、天龍寺開山・夢窓国師の法孫である玉岫禅師を開山に迎え創建。持之公の院号をもって弘源寺とした。

 

 

虎嘯(こしょう)の庭

嵐山を借景にした枯山水庭園で。小さいが静かに眺めるには良いお庭だ。

 

虎嘯(こしょう)とは、「龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず」と言う語句から名付けられて、「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表しているという。

 

長州藩 幕末の刀傷

池田屋事件がきっかけで、その後起こって蛤御門の変(1864年)の時、長州藩士が天龍寺、弘源寺などへ逗留した。その際の長州藩士の試し切り跡だが、血気にはやる尊王の志士が目に見えるようだ。

 


竹内栖鳳(せいほう)の絵画

栖鳳(1864年~1942年)は、近代日本画の先駆者で、戦前の京都画壇を代表する大家。ずらりと並ぶ上村松園など一門の作品が傷み始めているように見える。撮影禁止、画像なしもやむなし。

 

天龍寺 

いくつかの塔頭を過ぎて天龍寺の参拝受付へ。本堂+庭園の800円は避け、庭園のみの500円を選択。

ともかく大きい「大方丈」の裏を進み、

 

横からパチリ。

 

 

再現された龍門亭は篩月(しげつ)となっている。2007年、紅葉の季節にここで精進料理をいただいた

 

 

「人里離れて深山幽谷へ」はオーバーだが、気分は一人寂しく山道歩き。

 

 

けっこう登って「望京の丘」?

 

 

さくらの季節は見事だろう「枝垂桜」(しだれさくら)。

 

 

降りると小さな池。

 

ユーモラスなカエルがいた。

 

 

大方丈の前に広がる夢想国師作庭の曹源池(そうげんち)

 

かなり人が多くなってシャッターチャンスを逃し勝ち。

 

偶然入ってしまった和服のお嬢さん。

 

 

このあと、北門を出て竹林のあたりをぶらぶらし、大河内山荘を巡ったが、それは次回「京都 (2) 大河内山荘」。

 

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東野圭吾『希望の糸』を読む

2019年10月14日 | 読書2

東野圭吾著『希望の糸』(2019年7月5日講談社発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。(講談社BOOK倶楽部

東野圭吾の最新長編書き下ろしは、「家族」の物語。

「死んだ人のことなんか知らない。
あたしは、誰かの代わりに生まれてきたんじゃない」
ある殺人事件で絡み合う、容疑者そして若き刑事の苦悩。
どうしたら、本当の家族になれるのだろうか。

閑静な住宅街で小さな喫茶店を営む女性が殺された。
捜査線上に浮上した常連客だったひとりの男性。
災害で二人の子供を失った彼は、深い悩みを抱えていた。
容疑者たちの複雑な運命に、若き刑事が挑む。

 

加賀恭一郎シリーズということになるのだろうが、本人の登場はわずかで、従兄弟の松宮脩平が主人公。

 

汐見行伸:長女・絵麻(小6)と長男・尚人(小4)は新潟地震で死亡。立ち直れない行伸と妻・怜子は妊活で体外受精を試み、萌奈が生まれる。やがて、怜子も不治の病に。現在62歳。年頃に近づく萌奈とのコミュニケーションに悩む。

 

芳原亜矢子:金沢の料亭旅館「たつ芳」の女将。40歳独身。父の遺言状の最後に聞いたことのない「松宮脩平」の名を見る。

芳原真次(まさつぐ)亜矢子の父。妻・正美の婿養子で、東京へ料理修業中、正美の事故で「たつ芳」に戻り料理長。正美の交通事故死後、経営者へ。現在死の床にある。

脇坂:真次の友人で弁護士。

 

松宮脩平:加賀恭一郎の従兄弟。相棒は所轄の若手の長谷部。母親は館山に住む克子で、恭一郎の父・隆正の妹。

加賀恭一郎:3年前に日本橋署から捜査一課に復帰。

 

花塚弥生:刺殺される。自由が丘の喫茶店「弥生茶屋」経営。51歳。40歳で離婚。ひと月前にジムとエステに入会。顧客に汐見行伸がいた。

綿貫哲彦:弥生の元夫。55歳。製薬会社の営業部長。

中屋多由子:綿貫の内縁の妻。介護施設勤務。

 

真次はかって言ったという。「たとえ会えなくても、自分にとって大切な人間と見えない糸で繋がっていると思えたら、それだけで幸せだって。その糸がどんなに長くても希望を持てるって。だから死ぬまで、その糸ははなさない」

 

本書は書き下ろし

 

東野圭吾の略歴&既読本リスト

  

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

東野さんには珍しい親子の愛をめぐる感動もの。いつものように面白く一気読みできるのだが、後には何も残らない。それが東野さんの良い所。

 犯人推理は物足りないし、犯人探索より親子の関係をたぐっていくのが話の流れ。加賀恭一郎の活躍の場はほとんどなく松宮を指導する態度がやたら偉そう。

良い女・芳原亜矢子を登場させたのだから、色っぽい話が出てこないのは肩透かし。

 

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忘れ物注意報

2019年10月12日 | 老後

京都観光で高台寺の駐車場にタクシーで着いたときのこと。

 

知人たちとタクシーを降りると、待っていた客がすぐに乗り込んだ。車はそのまま走り出したので、私が知人の荷物がトランクに入ったままなのにすぐに気づき、窓を叩いて運転手に知らせた。

車は止まり、荷物は戻ったのだが、今度は知人が日傘がないと騒いでいる。私が、後部座席の客に聞くと、傘を差しだしてくれた。さらに、知人は脱いだ背広がないという。これも訊ねると、しばらく探してくれて、尻の下から取り出して渡してくれた。高齢者にはよくあることではあるが、世話が焼ける。

 

高台寺見て回ったあと、昼飯を予約してある店までタクシーで行った。2階に上がり、一息つくと、知人がまたまた傘がない、高額な品なのだと騒ぐ。私が「京都のタクシーで忘れもの」で検索して「タクシー会社が特定できない場合の忘れ物」から、「タクシー業務センタ」に電話した。運転手さんのお名前が「知念さん」であることを伝えると、調べて「一人いるから連絡してみます」という。話しているうちに店の人が「タクシーの運転手さんが届けてくれました」と傘を持ってきてくれた。

 

「知念さん、ありがとうございました」 この場を借りてお礼申し上げます。

 

2回連続タクシーの中に忘れものとは世話のやけることだ。

しかし、タフでなければ生きていけないが信条の私も、既に時々は忘れ物すること(『「奥様」と呼ばれて』)があるので、度重なる失敗を笑ったりはせず、心優しく接したのでした。

 

 

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「奥様、‥‥」と呼ばれて

2019年10月10日 | リタイヤ生活

『マジェルカでお買い物』で一輪挿しを購入した時、カウンタの手前の台に晴雨兼用傘を置き、そのまま傘を置いて店を出てしまった。

数歩歩いた時、後ろから声がかかった。カウンターの女性でなく、店内にいた女性だろう、忘れた傘を持って駆け付けてくれたのだ。

私は間違いなくおじいさんだが、後ろ姿の見事なくびれを見て、晴れ上がった日の傘なので、当然女性と思ったのだろう。

「奥様! 傘を」と声がかかった。

振り返った私の玉三郎なみの顔を見て、ニコット微笑んだが、顔に生えた見事な髭に気づいて固まり、

「奥様! 傘を、‥ ‥ ‥」となった。

固まった女性から傘を奪うように受け取って、ありがとうの言葉を残して、玉三郎は去って行った。



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