hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

スイス旅行へ出発

2008年06月30日 | スイス


今日から14日までスイスへ旅行する。スイスははじめてなので、個人旅行でなくツアーにした。といっても、年寄り向きのゆっくりツアーで、今晩は成田で泊り、グリンデルワルドとツェルマットに5泊づつと、スイス内の移動が少なく、ほとんど毎日自由行動だ。

物価が高いし、言葉はドイツ語ではロングステイすることは難しいが、ツアー名称は、一応「暮らすように旅する・・・」となっている。

七夕あたりまでは多分インターネット環境がないので、ブログ更新はできないだろう。パソコンを持参するので、その後、何日か遅れで、写真などアップするつもりだ。

では、これから成田へ向かうので、しばしのお休みを。






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昔の子どものお手伝い

2008年06月29日 | 昔の話2

もう50年以上昔になってしまった私の子どもの頃の話だ。

雨戸閉め
子供のころの借家には長い廊下があって、雨戸が 8 枚以上あった。この雨戸の開け閉めが私の役目だった。
雨戸はもちろん木製で、戸袋から引っ張り出して、木の溝の上を滑らせる。良くすべるように、溝にはローソクを塗っておくのだが、それでも 8 枚の雨戸を一遍には押すことはできない。最初の何枚かは、勢いをつけて遠くへ押し出す。それでも 5,6 枚目で押し切れなくなり、先のほうへ行って、2, 3 枚だけ、最後まで押していく。最後の雨戸の下の棒を溝の穴に刺し、上の棒を溝に押し上げ、落ちてこないように止めの棒を横に引いておしまいになる。
外が暗くなると、ヨッシャとばかり立ち上がり雨戸を閉める。ちょっとした力仕事なので、男の子の私には好きなお手伝いだった。

縁側の廊下の雑巾がけ
だいたいは母が廊下の雑巾がけしていたが、ときどきお手伝いした。端から端まで両手を雑巾の上に乗せて腰を立てて足で廊下をけって進む。行って、雑巾を裏返して、戻って、バケツで雑巾を濯ぐ。これも結構きつい。ときどき、オカラを入れた袋で磨いた。廊下が黒光りする茶色に、ピカピカになって気持ちよいのだが、よく滑るようになって危なかった。

靴磨き
お小遣いをもらうわけでもなく命じられて、父親の靴を磨く。2足磨き、なんだか物足りなくなり、棚の中の靴も取り出してくる。だんだん熱中してきて、靴がピカピカになると、じっと眺めて、なんだか満足する。気がつくと、手はもちろん、顔まで墨がついてしまっていた。「靴磨き」については、2007年1月11日のブログに書いた。


鰹節削り
大工道具のカンナをひっくり返したような箱の上で鰹節を滑らして削る。小さくなってもう削れなくなったのを食べるのだけが楽しみだった。口に入れてしばらく舐めて多少柔らかくなったのを噛むと、ジワッと味が出てくる。そのまんま噛んで、どんどん味が濃くなってきて、幸せ!


毛糸巻き
買ってきたままの大きなループ状の新しい毛糸をボール状に巻き取る。片方の人が両手をループに入れて、スムーズにほどけるように左右にゆっくりゆする。少し離れて座ったもう一方の人がほどけてきた毛糸をボール状に巻き取る。私は多分ループを持ったと思うが、ほどけぐわいを見ながら、手を左右にゆするのだが、ときどき2つほどけてしまい、オットトトとなる。
奥さんの話だと、今は、毛糸は楕円形に巻かれた状態で売っているという。このお手伝いは時間がかかるので、母と私で何か話しながらしたのだろう。どんな話だったか、遠すぎて覚えていない。

精米
一升瓶に精米していない米を入れて、棒でつついて精米する。一升瓶を両足で押さえ、少し斜めにして、棒をザクリ、ザクリと突く。
これは主に父の役目で、私はときどきしかやらなかった。かすかに覚えているだけなので、まだ幼いときだったのだろう。2007年9月3日のブログ「米穀通帳」に当時の米事情を書いた。



また、お茶ガラや濡らしてちぎった新聞紙を撒いて箒で掃くのも手伝った。そのほか、ポストから新聞を取ってくるなど、いくつか私のお決まりの役目があった。



あの頃の子どもは、お小遣いももらわず、当然のようにお手伝いをした。子どもの世界も今よりもっと生活に密着していた。洗濯機も電気釜もなく、主婦は家事で多忙だった。そんな親を見て、お手伝いで親子のコミュニケーションがとれていたのだろう。
今の娘さんみたいな母親と異なり、当時の母親は割烹着を着て、髪に手ぬぐいを巻いて、お母さんはお母さんとすぐ判った。「おはぐろ」はしていなかったが。








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NHK科学環境番組部「病気のしくみがわかる事典」を読む

2008年06月27日 | 健康

NHK科学・環境番組部編「-NHKためしてガッテン-病気のしくみがわかる事典」2008年3月大泉書店発行を読んだ。

NHK TVの「ためしてガッテン」は、病気、健康、生活に関する新常識を分かりやすく教えてくれる番組で、多少ばかばかしいところはあるが、私は時々見ている。「○○はがんに効く」などワンポイントのデータで結論づけるいいかげんな健康番組が多いなかで、「ためしてガッテン」はまともな番組だと思う。

この本は、番組スタッフが病気に関する調査結果をまとめて豊富なイラストで解説していて、番組同様極めてわかりやすい。
身体の仕組み、病気になるメカニズム、回復や予防の仕組みが、バカにされているくらいわかりやすいイラストで説明される。ただ、内容は最新の研究成果を反映しているようで、他のTV番組のように偏った一方的説明ではなく、公平で科学的だ(と思う)。


目次は以下だ。

第一章 生活習慣病を知って健康になる(高血圧、糖尿病、動脈硬化、肥満、血液ドロドロ、骨粗しょう症、がん、脳卒中、脂肪肝、歯周病)
第二章 身近なカラダの悩みを知って健康になる(五十肩、ひざ痛、ぎっくり腰、むくみ、睡眠障害、肺炎)
第三章 もっと健康になるための予備知識



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

一度、身体の仕組みをきちんと理解しておくことをお勧めしたい。あらためて人間の身体は本当によくできていると思う。しかし、精巧なだけに微妙なバランスが崩れると、防御のための仕組みが自らを攻撃することになってしまう。
現在、克服されていない病気の多くは、免疫に関連する病気なのではないだろうか。免疫が誤って自分の身体を攻撃してしまうことがあるが、何をもって自己と認識しているのだろう。興味ある点である。






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和田秀樹「精神科医は信用できるか」を読む

2008年06月25日 | 読書2

和田秀樹著「精神科医は信用できるか-心のかかりつけ医の見つけ方-」2008年2月 祥伝社新書を読んだ。

宣伝文句は、以下のとおりだ。
精神科と心療内科の違い、精神安定剤、抗うつ剤や睡眠導入剤は安全か、いい医者の見つけ方はなど、精神医療へのそれらの疑問に答える。自分自身や大切な人を「心の病」から救うために、医者に行く前に読んでおきたい1冊。「全国優良病院66」「精神科で処方される主な薬の特徴・副作用」といった情報が添付されている。



著者は、東京大学医学部卒。精神科医。専門は老年精神医学。国際医療福祉大学で臨床心理学の教授でもある著者は、薬物医療中心の日本の精神医療ではアウトサイダーのようで、カウンセリングの必要性などいくつかの日本の精神医療の問題点を指摘している。



いくつか、ご紹介。

自殺者は年間約3万人。うち40代、50代が38%で、良くマスコミで問題になる19歳以下は2%、800人たらずだ。子どもより大人の方が、心が壊れやすいのだ。

社会をアメリカ型競争社会に変えるというなら、精神医療もアメリカ型にする必要がある。

安部晋太郎前首相は突然の辞任前にうつ病であったと十分推定できる。うつ病で倒れた首相をマスコミは、「責任感がたりない」などと叩いた。もし、安部さんが勇気をもってうつ病であることを認めれば,うつ病患者の精神科受診率を向上させ,ひいては高止まり状態の日本の自殺者数を低減させることにつながっただろうと著者は主張する。

日本では、多くの精神科医が十分な臨床訓練、経験を経ずに精神科医になる。したがって、マニュアル頼みの薬物療法が中心になる。

朝青龍に三人の医師が三者三様の病名をつけたのは、診断基準のあいまいさもあるが、社会的影響も勘案した上で患者本人のためになる病名をつけたのではないか。少なくとも治療方針は三者とも一致していた。

自殺願望を打ち明ける相手は、誰でもよいのではなく、特定の誰かを選んで絶望的な心情をぶつけている。ほとんどの人は死にたいと、生きたい、の間で揺れ動いている。思いとどませる努力をするのではなく、ひたすら相手の言葉に耳を傾ける。十分に話を聞いてから、「でもやっぱりいつもの君とは違うように感じるから、一度、医者に行ってみようよ」といった形で自分の意見を伝えたほうがいい。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
精神病院といった暗いイメージと、分からない精神医療という世界を分かりやすく解説し、問題点も、おそらく的確に、指摘している本書は一読に値する。

「教授になれるかどうかは、臨床の実績ではなく「論文の数」で決まる。したがって、動物実験だけを行った博士ばかりが教授になる。臨床結果は日本独特の状況もあり海外論文になりにくい」といった趣旨の記述がある。このあたりを捉え、「著者は東大教授になれなかった不満を言っているだけだ」とネットでこの本の著者に噛み付いた医師がいた。

いま、勤務医は過酷な勤務や医療ミスの裁判で厳しい環境にある。不満がたまった医師たちが、医師批判をするブログなどに大勢で感情的に噛み付き炎上させる現象がある。一方では、冷静にたしなめる医師もいるのだが、お勉強はできるだろうに、極めて感情的で、厳しい状況に自棄になっているような人もけっこういるようだ。
確かに、厳しい受験を経て、地位と高給を期待したのに、ミスすれば、いや場合によっては結果が悪いだけで逮捕され、勤務医の給料は激務なのに平均1400万円程度では、自棄にもなろうというものだ。
精神医療をテーマとする本書では、この問題に対しては、「手術ミスは訴えられ、薬の副作用で患者を死なせた医師は訴えられないので、外科医は損で、内科医は得」と簡単に触れられているだけだ。







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レイモンド・カーヴァー「必要になったら電話をかけて」を読む

2008年06月23日 | 読書2
レイモンド・カーヴァー Raymond Caver著、村上春樹訳「必要になったら電話をかけて」2000年9月 中央公論社発行を読んだ。

レイモンド・カーヴァーは、1988年、肺がんで50歳の若さで亡くなった。10年後、机の中にしまわれていた短編3つが発表された。新しく発見された2編とあわせて5編の短編がこの訳本に載せられている。

最初の話、「薪割り」だけあらすじを書く。アルコール依存症回復施設に入っているあいだに彼の奥さんは別の男と家を出て行ってしまう。彼は旅に出て、気の良さそうだが、知りたがりの夫婦の家の部屋を借りる。何日か経って、亭主が休みの合間に冬に備え薪割りをするための山のような材木が運ばれてくる。彼は頼んで薪割りをさせてもらう。すべての薪を割ってしまって、彼はその家を出る。ただ、それだけ。

いずれの話も、とくに何と言うことはない寂しい話なのだが、アルコール依存症、離婚など不幸を背中にして、棘が刺さったままで、淡々とした生活が描かれる。相変わらず、かみ合っているようで、すれ違う男と女の会話は見事。会話からその奥が覗けてしまう。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

なにしろ、村上春樹の「訳者あとがき」が面白い。
カーヴァーはアルコール依存で一時大変苦しんだようで、どの話にも、依存症の背景がある。
春樹さんは、一遍づつ、こまかく分析、批評している。作家として、小説のつくり方からの批評が面白い。米国の大学での講義でもこんな調子で話しているのだろうか。

なかには、どういう点が「ゆるい」のか、具体的に指摘し、なぜ未発表だったかを推定しているものもある。
また、いずれの短編にも独特のカーヴァーの小説世界の魅力があるとし、それを、「読んでいると、光景がいきいきと目の前に立ち上がって浮かんでくるし、抑制された不思議な静けさが漂っている。匂いがあり、温もりがあり、肌触りがあり、息づかいがある。世界を見つめる一対のたしかな目があり、それを文章に的確に移し換えていく熟練した技量がある。」 さすが世界に誇る小説家! 批評も芸術的!


―――
ここで、脱線。
村上春樹が米国の大学での講義のはじめに、質問をする。「たまねぎを、涙をださないで切る方法は?」 答えは、涙が出る前に切ってしまうこと。彼は、大学を出て会社勤めはいやだったので、喫茶店をやっていた。毎朝大量のたまねぎを切っていて、今でもすばやく切れるそうだ。
また、日本文学を教える講義で、日本の小説の英語の翻訳文を渡し、それを日本語に翻訳する演習もやったことがあるという。そして、原日本語文と二重翻訳日本語文を比較して、日本語の表現方法を講義するという。なんだか、おもしろそうだ。
―――



春樹さんは、奥さんの陽子さんとともに、死後、カーヴァーの家を訪れたときのことをこの訳者あとがぎで述べている。未亡人でもあり作家でもあるテスから、「そのうちに一緒にレイの遺稿を整理しないか」と持ちかけられた。それらの作業は小説家より有能な編集者がやるべきものだと述べながら、「それでも、その中にある書きかけの原稿のいくつかを、もし僕が引き継いで、最後まで書き上げることができたらどんなに素晴らしいだろうと想像しないわけにはいかなかった。もちろんそんなことは見果てぬ夢に過ぎないわけだが・・・」と言っている。想像しただけで、ウンー、面白そう!






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青山七恵「やさしいため息」を読む

2008年06月22日 | 読書2
青山七恵「やさしいため息」2008年5月 河出書房新社発行を読んだ。

2007年「ひとり日和」で第136回芥川賞を受賞した青山七恵の受賞後第一作だ。「ひとり日和」については、このブログでも、青山七恵「ひとり日和」を読む に感想を書いた。



OLのまどかは恋人と別れたばかりで、職場ではランチも、飲み会にも出ず、人付き合いを避けている。4年前に姿を消した弟が突然現れ、部屋に転がり込む。弟は、姉のその日の出来事を聞いて日記をつける。あまりにも変化のない日記に自分でもあきれ、見栄から小さな嘘を交える。
飄々とした弟に対し、イライラし、妬ましくも思う。その弟の日記の効果と、誘いにより、小心なまどかは、おどおどと行動を始める。しかし、・・・

この本にはこの他、「松かさ拾い」という、これまた何と言うことないと言えば言える作品が収められている。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

内容も、文章も、さらりとしていて、するりと読めてしまう。登場人物は変わっていると言えるが、魅力的なほどキャラがたっているわけでもない。このような小説を好ましく思う人もいるのだろう。

最近の若い人の書く小説には「脱力系」とも言うべき主人公が出てくることが多い。いじましく、やる気がなく怠惰で、しかしのんびりとして焦りもなく、何を考えているか、私には理解できない人が出てくる。
この本の主人公は、きちんと働いてもいるし、現状に焦りもあるのだが、弟やその友達に対しては、おじいさんからは、「おまえさん、そんなことで老後はどうするの?」とよけいなこと言いたくなってしまう。
と言うか、こんな本ばかり読んでいると、とくにやることもなく、日がな一日ブラブラしているカツカツ自適の退職者としては、うつってしまいそうで、僕怖い!






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イアン・マキューアン「アムステルダム」を読む

2008年06月21日 | 読書2

イアン・マキューアンIan McEwan著、小山太一訳「アムステルダム Amsterdam」1999年5月、新潮社発行を読んだ。1998年度のブッカー賞受賞作だ。

プレイガールだったモリーが40代で亡くなり、葬式の場面から始まる。この場面は映画の1シーンが目に浮かぶ鮮やかな記述だ。二人の元恋人、高級紙の編集長ヴァーノンと、有名作曲家クライヴは、どちらかが自分の意思で動けない状態になったら、もう1人が死なせる安楽死協定を結ぶ。

題名のアムステルダムは、オランダで1994年に安楽死容認法が施行されたことから来ているのだろう。

ヴァーノンは、モリーの元恋人の外務大臣ガーモニーのスキャンダラスな写真を入手し、社内での支配力確立に利用しようとするが、・・・。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

イアン・マキューアン「最初の恋、最後の儀式」を読む」、「イアン・マキューアン「セメント・ガーデン」を読む」で述べたように、初期のマキューアンは、子どもの視点からの記述は見事だが、グロテスクな題材の残酷な小説が多かった。

50歳になったマキューアンの小説は、計算しつくされたプロットを、洗練された職人芸で構成し、理知的で端正な、研ぎ澄ました文で語る。
音楽家が交響楽を作曲するシーンなど、音楽に詳しい人には垂涎ものなのではないだろうか。

登場人物は知的で、成功者であるが、どこかゆがんでおり、互いに策略を凝らすうちに、内面から崩壊していく。


いかにも知的な、イギリスらしい、小説らしい小説と言える。









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赤毛のアン展を見る

2008年06月19日 | カナダ東部

日本橋三越本店で6月10日―22日開かれている「赤毛のアン展」を見た。出版100周年記念企画で、「モンゴメリーが愛したプリンス・エドワード島」とのサブタイトルもある。一般・大学生900円だが、アンの本を持参してみせると700円になる。


「あの日のあなたのアンがここにいます」のうたい文句でわかるように、平日の15時でもあり、99%が女性で、まるで女性専用車に乗ってしまった気分だった。それにしても、夢見る頃はとっくに過ぎたはずの女性達が、目をキラキラさせていて、カワイイ。

プリンス・エドワード島の100年前の生活器具、服装、モンゴメリー家の調度品、作者モンゴメリーの直筆原稿(日本初公開)、再現したアンの部屋、ダイニングルームなどの展示がある。
アンの部屋の台に乗った洗面器と水差しの下は、布で覆われておらず、この16日のブログ赤毛のアン・夢紀行を読んだに書いたように、まさにアン・ファンの建築家の指摘とおり、その下にはpottyと呼ばれる「おまる」があった。


村岡花子関連の展示品も多い。戦争が始まり日本を去る宣教師のミス・ショーは、愛読書の「赤毛のアン」の原書Anne of Green Gablesを「この本を訳して、いずれ平和な時代になったら日本の子どもたちに読ませてください」と彼女に渡した。
村岡花子さんは、日本とカナダの友情の証として戦争中薄暗い電燈の下で翻訳を続け、戦後1954年になってようやく出版することができた。

赤毛のアンは、世界名作劇場の一つとして、1979年1月から12月50話でテレビアニメ化された。高畑勲が演出・監督し、作画スタッフに宮崎駿が加わった。このアニメのセル画、下絵が展示されているが、なかなか見ものだ。

美しいプリンス・エドワード島の紹介のビデオが流され、特産の見事というしかないキルトが壁に掛けられている。

出口にはアン関連グッズを販売しており、小物が多いせいなのだろう、女性陣、大張り切りでレジは行列。ただし、私がプリンスエドワード島で見た品物はほとんどなかった。多分、日本製なのだろう。


「少女時代のあの気持ちをもう一度をテーマに全ての女性に捧ぐ展示会」だそうだ。アン・ファンの方は是非ごらんあれ。



かく言う私めも、14日のブログにあるように、「赤毛のアン・夢紀行」を読んだばかりだった。

また、17日にBS11の「大人の自由時間」で「赤毛のアンとシェークスピア」をたまたま見たばかりだ。アンの本を100回読んだという檀ふみと、アーサー王研究の高宮利行教授を相手にしての、作家松本侑子のアン・フリークぶりにあきれて、また、赤毛のアンの注釈が豊富な松本さんの訳本と原書を取り出して再び読み始めた。


そんなわけで、頭がアンになっていたので、と言っても髪は白いおじいさんだが、この展示会、たいへん面白く見られた。







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映画館の暗闇で

2008年06月17日 | 個人的記録
もう40年以上前、新宿の某名画座に良く通った。
3本たてで200円くらいだっただろうか。よく古い名画がかかっていた。「戦艦ポチョムキン」を見たのもあそこだったと思う。
わけのわからない、わざとわからなくした芸術的映画もときどきやっていた。日本アート・シアター・ギルドATGの作品で、松本俊夫監督の「薔薇の葬列」の中で、いまでもはっきりと思い出す衝撃的場面があった。映画の冒頭シーンで、美人ですらりとした女性がさっとうと歩いている。部屋に入り、シャワーを浴びる。カメラは顔から胸に移る。ナナント!胸がマッタイラだ。それが、当時16歳のピーターだった。



ゲイといえば、私が痴漢にあったのもこの映画館だった。(この話、以前ブログに書いたような気がするが、そうなら年寄りの繰言です、お許しを)

席が満杯なので、後ろの手すりに捕まって映画を見ていた。なんだかお尻がムズムズする。振り返ると、左となりの男が右手を伸ばし、私のお尻をなでている。このときは、ただびっくりして相手の顔も見ずに飛びのいた。

別の日に、席に座って肘置きに両手を置いて、のんびり映画を見ていた。左となりの席の男が右手を伸ばし、そっと私の左ひざの上に置く。見事になにげなく、静に、そっと置く。「何?」と一瞬信じられず、相手の顔を見る。まっすぐ前を向いたままの横顔は、角刈りで、キリリとしていかにもいい男。こんなことするのは、なよなよした男だけかと思っていたので、唖然とした。あまりにも平然としているので、だんだん腹が立ってきて、相手の腕をつかんで、ドッコイショと隣の席に移した。しばらくして気がつくと、また相手の手が太ももの上にある。今度は相手の顔を見ながら、手をつかんで隣の席に移す。その後は、何事もなかったが、終始緊張したままの映画鑑賞だった。

当時、この映画館はその種の人の出会いの場になっていたのだろうか。


昨年亡くなった指揮者の岩城宏之が語っていた。アメリカの某超有名指揮者はゲイで、その相手をした人を引き立てて、有名指揮者にするという噂があった。岩城氏がその指揮者の屋敷に招待されて、風呂に入っているときに、彼が近づいてくる足音がした。岩城氏は、「ああ、俺もついに、世界的有名指揮者になるのか」と思ったという。しかし、彼は、結局風呂に入って来なかった。



もし、あの映画館であのとき、私が応じていたら、今頃は? お金持ちとしてまったく違った人生を歩んでいたか、それとも、シワの上におしろいを塗りたくって、ゲイバーにでも出入りしていたのだろうか。







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「性犯罪被害にあうということ」を読む

2008年06月16日 | 読書2

小林美佳「性犯罪被害にあうということ」2008年4月 朝日新聞出版 発行を読んだ。

性犯罪被害にあった女性の実名手記。被害者は、心身が深く傷つき、自分を汚いものと考えてしまう。そして、恋人、友、家族との関係が損なわれる。

痴漢もセクハラも、「被害者にも落度がある」と考える周りの人がいて、警察関係者も含め、二次被害がさらに悲惨さを増加させがちだ。



いくつか引用する。
――――
食べることも忘れてしまう日々が続いた。ひと月で十三キロも体重が落ちた。・・・取り憑かれたようにいつも事件のことばかり考え、汚らわしいと感じる自分をどうしたらよいのか解らなかった。

引き金となるのは、事件を連想させる状況である。・・・再び襲われているかのように、身体が硬直し、あの大きな音楽や男の声が聞こえたりする。フラッシュバックと呼ばれる現象がこれ。

事件の後、数ヶ月経ったころだったか・・。仕事帰りの電車で痴漢にあい、アパート近くのバス停まで男に尾けられたことがあった。・・・気持ちが悪くなって吐き、身体が震え、大声で泣いているところに彼が来てくれた。
しかし、夜も遅くなり、彼が帰ろうとすると、私は、「一人にして心配じゃないの!?」と、大声で泣き出す。・・彼の困った顔が許せなかったのだ。・・・「私がこんな思いをしているのは、あなたのせいでしょ・・・」
―――



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
とくに相手の気持ちを汲み取ることが苦手な男性は読んでもらいたい。奥様もそう思って、私に勧めたのでしょう。

この著者はTVや講演会に出ているようで、それは良いとしても、本の表紙にも顔写真が載っている。何故と思い、表紙を見たときにいやな感じがした。しかし、中を読んで、著者の良いも悪いもすべて率直に書いている態度に触れ、何とか理解しようという気になった。

著者が、「当事者と周りの人間の苦しみは違う!」と、自分のことで精一杯になり、家族や恋人といった身近な人たちへ怒りをぶつける過程が正直見苦しいが、痛ましい。
著者はあくまで頑固で、父親も母親も強烈な個性で、まったく妥協をしらず、いいかげんな私には本当のところ事件後の対人関係は理解できなかった。
しかし、この本の最後の方で、絶縁状態だった母親の気持ちをようやく察することができるようになったとあり、めでたし、めでたし。親子の関係をも破壊するほど性犯罪は深い傷を残すということなのだろう。


痴漢を含めれば、大なり小なり、このような過去と向き合いながら生きている女性は多いのだろう。どうして女性はこれほど深い傷をおうのだろうか。なぜ、自分を汚らわしいと考え、自分を許すことができなくなるのだろうか。
著者と異なり、ただ閉じこもるだけなど色々な女性がいるのだろう。一人の男性としてこのような女性に何か一瞬でもほっとさせることはできないだろうか。せめて痛みを理解しようという気持ちだけでも持ち、何らかの形で伝えたいと思う。








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「赤毛のアン・夢紀行」を読む

2008年06月14日 | 読書2

NHK取材班ほか「新装版 赤毛のアン・夢紀行 魅惑のプリンス・エドワード島」2008年3月、日本放送出版協会発行を読んだ。


NHKで1989年に4時間番組として放送された「赤毛のアン・夢紀行」の取材内容をまとめた本が出版されていた。そして、赤毛のアン出版100周年を記念して今年、約20年ぶりに新装して復刊されたのがこの本だ。

毎年6千人の日本人女性が赤毛のアンの舞台、プリンスエドワード島を訪れるという。かくいう私めも、昨年9月の奥様のお供でプリンスエドワード島に行ったが、直前にはじめて「赤毛のアン」を読み、アン・ファンにお仲間入りした。当地の様子は、 プリンスエドワード島(2007年10日-17日)をご覧あれ。




この本には、アンの物語の引用、各界のファンのアンへの思いをつづったエッセイ、物語に登場する料理のレシピ、当時(19世紀後半)の島の政治経済や暮らしぶり、著者モンゴメリーの生涯などが紹介され、アンの世界をより広く、深く楽しめる。
なによりも、プリンス・エドワード島の多くの写真が、ため息がでるほど美しい。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
アンの本を一度でも読んだ人=アンのファンにとっては、★★★★☆(四つ星:お勧め)だ。当時の社会風俗などの背景を知り、より深く、より豊かにアンの本を楽しめるだろう。しかし、本を読んでいることが前提なので、一度もアンの本を読んでいない人、そんな不幸な人には面白みが分からないだろう。



以下、この本からいくつかエピソードをご紹介。

キャベンディッシュのグリーンゲイブルスのアンの部屋には、台に乗った洗面器と水差しがあったが、布で覆われたその下にはpottyと呼ばれる「おまる」が隠してあるはずと建築家のアン・ファンは書いている。

アンの本にはシェークスピアなどからの引用が多く見られる。松本侑子さんが新しく翻訳した本には引用原典が詳しく解説されている。中世英文学者のアン・ファンによると、世界大戦前の欧米の家庭では文学作品、とくに詩を朗読、鑑賞することが日常的だったとある。そういえば、日本でも明治以前の知識人には漢詩は常識であったろう。

アンの本を日本に紹介した村岡花子さんは、戦争中の灯火管制の中、外に光がもれないように薄暗い電燈の下で翻訳し、空襲警報が鳴ると、アンの本と書きかけの原稿用紙を風呂敷に包み防空壕に入ったという。鬼畜米英の時代の中で、あの名翻訳が生まれたのだ。

赤毛のアンの著者モンゴメリーは、幼くして母をなくし、学校にあがるまで同世代の遊び友達がいないという暗い子ども時代を過ごした。やがてめぐり合った最愛の人との別れ、そして死という不幸の中で、アンの本が書かれた。モンゴメリーは、作品を通して、希望と光の使いになりたいと日記に書いたという。そのことを考えると、あのアンの明るさと活発さがよりいっそう身にしみる。









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渡辺淳一「熟年革命」を読む

2008年06月13日 | 読書2

渡辺淳一「熟年革命」2008年4月講談社発行を読んだ。

本のカバーには、「もっと輝く 自分のために 年甲斐のない 不良(ワル)になろう!」とある。

本文には、「プラチナ世代の誓い」として、「われわれは世間体にこだわらず常に好奇心いっぱいに好きなものを追いかけ相手と自分を誉めてお洒落で素敵なワルになることを誓います」とある。

世間体にこだわらず、相手を誉めて、お洒落する。年相応に老いず、年甲斐のない人になる。



以下、いくつか拾い出してみる(文章は簡単化した)。

使わないと筋肉などが衰えることを医学用語で「廃用性萎縮」という。やる気を出さないでいると脳にも「廃用性萎縮」が起こる。

60歳過ぎたら、内面より外見。美しく装い、お洒落で明るく暮らすこと。家にこもらずもっと外へ出て、自由に勝手気ままに自分の時間を楽しむ。

組織の上司ならたとえ部下がどうのこうのと言ってきても、受け付けなくても、とあえずかまわない。しかし、彼女が「このようにして欲しいの」と言えば、妥協が必要だ。人間は恋愛で変わることが一番易しく、自分でも納得できる。

最初の5章は年取ってからの心得じみた話だが、後半5章は渡辺さんらしく、老いらくの恋の勧めだ。

男は昔の恋人のラブレターを取っておくなど、過去に甘え、過去を振り返る性だ。女性は次に進むにはすべてを切り捨てないと前に進めない。律儀で潔癖な性だ。

釣った魚に餌をやらないのは男の本性だ。しかし、「今日はきれいだよ」とか、せめて、「ありがとう」とか言おう。変にマジメに、深刻に考えず、心を入れずに言うのがコツだ。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)



熟年革命とは言い過ぎ。「年寄りらしくなるな。楽しめ」とは最近ではどこでも言っていることだ。後半は渡辺淳一の得意分野で「そうそう」と思うところもあるが、買って読むほどの本ではない。







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アジサイの名所と、ご近所のアジサイ

2008年06月11日 | リタイヤ生活
奥様がTVを見て、鎌倉の極楽寺にある成就院のアジサイが見ごろだと言っていた。案内書には「山門に至る参道に般若心経と同じ262株のアジサイがある」と書いてある。2007年はがけ崩れでほとんど咲かなかったようだが、今年は回復したようだ。

鎌倉と言えば長谷寺や、アジサイ寺の明月院が有名だが、三ヶ岡山北麓に広がる葉山あじさい公園には約3,000株のアジサイと、葉山海岸、江の島や富士山が見える絶景がある。

神奈川県のアジサイの名所は、この他いくつかある。

横浜・八景島シーパラダイスには22種、2万株のアジサイがあるそうだ。

箱根湯本―強羅間では1万本のアジサイを見ることができ、6月21日―7月13日は夜間ライトアップも行われるという。

観音崎公園の「うみの子とりで」、海岸線沿いが見所で、三渓園には珍しい斑入り葉のアジサイがあるという。


このところの雨で出不精しているが、今日は雨でないので買物に。途中で気がついたご近所の庭に咲くアジサイをご紹介。雨の季節に似合いなのはやはりアジサイ。
古い携帯電話の写真なので発色が悪いが、土のpH濃度、アルミニウムイオン量によって色の7変化が楽しめた。

まずは濃い青色。アジサイと言えば青という感じがするが、原産の色が青だという。




薄紫も鮮やかだ。




白もあるが清潔だがちょっと寂しい。



ガクアジサイも中心が青で周辺が白と、けっこう派手なものがある。



普通のアジサイは、日本原産のガクアジサイを改良したものだ。


帰って我家の庭のガクアジサイを見ると、ちょっと哀れ。



おまけで、ホタルブクロなど道路際の花の写真を3枚だけ。












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諏訪哲史「アサッテの人」を読む

2008年06月10日 | 読書2

群像新人文学賞と第137回芥川賞を受賞した諏訪哲史「アサッテの人」2007年7月 講談社発行を読んだ。

叔父は、成人するまで吃音で悩んだ。吃音から開放されると、とんでもないときに「ポンパ」、「チリパッハ」、「ホエミャウ」、「タポンテュー」とわけの分からない言葉を叫ぶようになる。妻との心地良い生活が妻の死によって壊れ、やがて叔父は失踪する。

叔父の荷物を引き取りに行った私は、日記を見つける。わけの分からない言葉がどのような状況で発せられるかの分析からその意図を推測する。
幼年時代の記憶、叔父をモデルにした小説の草稿、亡くなった妻の話、そして叔父の日記をからめてこの小説は構成されており、言葉から叔父に迫る実験的小説だ。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

なぜという疑問が読むにしたがい膨らむが、それには応えることなく、しりつぼみに終わる。ストーリー展開はほとんどなく、楽しみで読む人のための小説ではない。小説を書く人、書こうと言う人には、凝った構成と、言葉へのこだわりが面白いのかもしれない。それで、芥川賞を受賞したのだろう。

この小説が一般に向けた価値を持つとは思えないが、もはや小説を読む人より、書く人の方が多いという昨今では、このような小説もありなのだろう。











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湯葉と豆腐の店

2008年06月09日 | 食べ物
フラワーセンターの帰り道、立場にある「梅の花」に寄った。


入口の前に、茶室手前の待合にあるような腰掛があった。




入口右手に「ヒイラギ」植えられている。子供の頃、借家の庭にあったのは、ヒイラギ、アオキ、ヤツデなどで、近年のはやりでないのだろう。ヒイラギにもめったにお目にかからなくなった。



今回は昼飯時、予約無しなので椅子席に案内された。




テーブルには季節の花、向こうの壁には半月状の障子。




天井からはちょうちん?が下がり、




大空は梅のにほいにかすみつつ
曇りも果てぬ 春の夜の月
   藤原定家

とあった。


頼んだ料理は、一番安いみちくさランチ1900円。八女茶に続いて出てきたのは、茶碗蒸しと「おから」。終戦直後にさんざん「おから」を食べさせられてトラウマになっているのだが、とても同じ「おから」とは思えない味付けで、おいしくごちそうさま。




メインは千両箱風の三段の重箱に入った煮物やいなりなどだが、食い気に走り、写真を撮るのを忘れた。



最後は湯葉の入った冷麺。



いずれも大変おいしくいただきました。









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