hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

朝吹真理子『流跡』を読む

2011年06月30日 | 読書2
朝吹真理子著『流跡(りゅうせき)』2010年10月新潮社発行、を読んだ。

堀江敏幸氏選考のBunkamuraドゥマゴ文学賞(文末に注)の受賞作。100ページほどの中編。

はっきりした筋はない。主人公は闇夜の川で「よからぬもの」を運ぶ舟頭だったのが、いつのまにか雨あがりを家路につく会社員、さらに波止場に立ちつくし船を待つ女になる。瑞々しく流れる言葉に乗って行くうちに、流転する人の命がイメージされる。

「・・・結局一頁として読みすすめられないまま、もう何日も何日も、同じ本を目が追う。」
と、本を目で追う話から書き出され、最後は最終頁の最終行に句点を打つところで終わる。

本を読むところから、急に、
もののけになるか、おにになるか、不定形の渦から目をはやし、足をはやし、はじめはくにゃくにゃしていた身体がしっかりとした顔をつくって歩きはじめる。角ははやさなかった。ひとになった。

と、誰か分からぬ主人公は春の門をくぐり、祭の日の神社に至る。突然、装束までつけていて、とうとう舞台に出されてしまう。そして、一艘の小舟に乗り、主人公は妻と幼児のあるサラリーマンに変化し、製煉所や火力発電所で働いていたらしい人にも変化すると言ったぐあいに、筋を追っていても仕方がない。

主人公の変化の中で目立つのが、舟頭だ。夜が仕事で、乗せるのは、たいていよからぬもので、突然消えてしまうこともある。

題名の『流跡』のように、主人公はどんどん流れ、話全体がみずみずしい言葉に乗ってさらりと流れていく。

初出:「新潮」2009年10月号



朝吹真理子
1984年東京生れ。慶応大学前期博士課程在籍(近世歌舞伎)。
2009年9月発表のデビュー作『流跡』でドゥマゴ文学賞受賞
2010年8月発表の『きことわ』で芥川賞受賞。
慶大教授で詩人の亮二さんは父。翻訳家の朝吹登水子とシャンソン歌手の石井好子は大叔母。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

私の感じでは、小説というより、詩に近い。筋はないに等しいが、流れに乗って気楽に読み進められる。言葉への感性が感じられる文章には好感が持てる。

なにしろ作者は1984年生まれだ。私とすれば、「おととい」だ。写真を見ると、気品のある美人で、文章がよけい美しく感じられる。これをミックスメディアという。
土瀝青(アスファルト)、叮嚀(ていねい)、錫杖(しゃくじょう)、昏黒(こんこく)、冷(きよ)いなど読み慣れないことばが混じり、ルビが必須だ。さすが、近世歌舞伎の博士課程。



Bunkamuraドゥマゴ文学賞
フランス本国でゴンクール賞の結果に異を唱えて始まったパリの「ドゥ マゴ文学賞」の精神を受け継ぎ、1990年に創設された。権威主義に陥らず、既成の概念にとらわれることなく、先進性と独創性、アクチュアリティーのある新しい才能の発掘を目指すこの賞は、毎年ただひとりの選考委員によって選ばれるというユニークな賞だ。
(最大公約数でなく、一人の選考委員によって選ばれるというのはすばらしい)

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大前研一、柳井正『この国を出よ』を読む

2011年06月28日 | 読書2
大前研一、柳井正著『この国を出よ』2010年10月、小学館発行、を読んだ。

著名経営コンサルタントの大前研一氏とユニクロの柳井正氏の対談集だが、両氏が節ごとに交代して語る形式で進む。このままでは日本は沈没したままになる。日本人よ、野心を持って海外に出て、強くなって日本に戻れと熱烈に語る。

第1章 現状分析―絶望的状況なのに能天気な日本人
第2章 政治家と官僚の罪―誰がこの国をダメにしたのか?
第3章 企業と個人の“失敗”―変化を嫌う若者だらけの国を「日本病」と呼ぶ
第4章 ビジネスマンの「稼ぐ力」―「理想の仕事」探しより「自力で食える」人間になれ
第5章 企業の「稼ぐ力」―21世紀のビジネスに「ホーム」も「アウェー」もない
第6章 国家の「稼ぐ力」―日本再生のための“経営改革案”を提示する

柳井氏

例えば、900兆円を超える世界一の残高に膨れ上がった公的債務です。その対GDP比は約200%に達し、・・・「国家の滅亡」が危惧される状況であり、・・・
年収が370万円なのに、920万円も使って・・・しかも、この家庭には、1億円近くの借金があるのです。
・・・
自分に不都合な情報には耳をふさぎ、戦後日本が世界に躍り出て急成長した過去の栄光を飽きることなくリプレイして自己満足し、それがこれからも続いていくと勝手に思い込んでいる滑稽な国民・・・驚くほど能天気


大前氏

今の日本は「ミッドウェー後」とそっくりです。冷静に考えれば負けるとわかって
いるのに、それを認めようとせず、「まだ大丈夫」「最終的には神風が吹いて勝て
るだろう」と思い込んでいる。・・・今が最後の分岐点であり、剣が峰だという危機感で、勇気ある一歩を踏み出さなければなりません。

新卒の就職率が92%に低下したと大騒ぎし、残る8%に補助金をつけて就職支援をするというのが民主党の「成長戦略」の目玉です。しかし、会社をいくつ受けても落ちるような人を税金で助けるという発想自体がナンセンスです。
・・・
自分に投資して「稼ぐ力」を強化しようとは考えず、安定した大企業に勤めて・・・国内安定志向の人間は、これからの時代は“不良在庫”でしかありません。




私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

日本国民の多くが、日本は危ないと解っているのでしょう。しかし、一方ではまだ大丈夫と思い込もうとしていて、政治の悪口を言って済ませています。

3・11以前の半年以上前のベストセラーですが、哀しいことにますます現在の状況に適合しています。ひねくれ者の私も、日本が沈没への道をまっしぐらに落ちているという、ご両人の主張にはまったく反対する気はありません。
ただ一つ、大前さんの言うように、このための一策として、所得税、法人税、さらには相続税も廃止して、外国からの投資(金持ち)を呼び込めという主張には違和感があります。
「富を生み出す人々が元気でいて初めて、バラ撒く資金が出てくるのです」との主張なのですが。

本当にそうでしょうか。たしかに経済は活性化するでしょうが、所得格差が拡大します。経済活性化により格差が拡大しても、所得が低い人が以前より豊かになったと実感出来れば文句は言いません。しかし、大きな利益を上げた企業が、資本への配当を増加させても、海外との競争激化などを理由に、社員への給与増額を控える現状を見ると、これ以上企業が儲かるようにしても社会の全体的底上げにはつながらないと思えてなりません。社長が企業は人なりなどおためごかしを言ったにしても、なにしろグローバル経済論理では、企業は資本のためだけのものなのですから。

つけくわえるなら、3・11東日本大震災以降、すべての声を「かんばろう日本」に収斂さす目に見えぬ力が働き、さらに政治の混乱をあざ笑う風潮の中から強力で有無を言わせぬ政治家を求める声が多くなり、私には、今更ありえないと思う反面、なにやら、全体主義的雰囲気が満ちてきているという不安に襲われてしまうのです。


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井形慶子『よみがえれ!老朽家屋』を読む

2011年06月26日 | 読書2
井形慶子著『よみがえれ!老朽家屋』2011年4月新潮社発行、を読んだ。

東京・吉祥寺の商店街にほど近い15坪の古家付き売り地を購入し、「取り壊しが前提」と言われた築31年の建て売り住宅を、さまざまな問題を乗り越えてリホームする。英国での住宅売買、リホーム事情と比較し、日本の住まいのあり方、リホームの問題を問う。

著者は小さな住宅兼お店が出来る場所として、吉祥寺あたりを物色していたが、通常は一戸建てなら7000万円ととても手が出なかった。さまざまに手を尽くすうちに、井の頭公園にもほど近い人気のある商店街の裏手で、隠れ家的小さな店が点在する最も所望していたエリアに出物があった。2980万円、南道路、築31年、15坪の敷地に立つ2階建ての建売住宅だ。まずここまでですでに大変な苦労をしている。

そして、リホームが始まる。
一階の和室を店舗スペースに、庭をウッドデッキに、2階に屋根裏部屋を作るなどの要求を出して、すべて350万円の条件で業者を探し、小さな工務店と契約する。これからが、地獄。部材が届かなかったり、間違ったものが届いたり、工期は遅れに遅れ、あげくは、業者と連絡がとれなくなったりする。著者は毎日のように現場を訪れ、社員と工事を手伝ったりする。そのなかでも、英国で気に入った白いブリック(レンガを白く塗ったもの?)や、お気に入りのシャンデリア、模様入りの白レンガ、絵入りレンガなどにこだわる。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

しょせん、小さな家をリホームしただけで書いた本だ。「吉祥寺」ということで読んだのだが、まあ、著者の気に入ったものへのこだわりとあきらめない情熱には感心する。そして、現在、リホームというものはあやしげで信頼できず、業者まかせで、依頼者への情報開示、選択の自由がない。もっと明快で、自由になるべきとの著者の主張には賛成だ。



井形慶子
長崎県生まれ。19歳の時、旅したことがきっかけでイギリスに魅了される。
大学を中退後、出版社に勤務。28歳で出版社を立ち上げ、英国の生活をテーマにした情報誌『ミスター・パートナー』を発刊。
『古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家』『突撃! ロンドンに家を買う』『老朽マンションの奇跡』など、イギリス関係の著書や家のリフォーム、インテリア関係などの著書多数。



その他

おうちショップ情報
薄利少売で儲けは出にくい、雑貨や服は3割が利益(1000円のストールなら利益は300円)

リホーム
開放感求める30代と区切りたがる中高年
定年後は夫婦の寝室は別が多い

欧米では、リホームのための材料が豊富に手に入るし、工事道具もレンタル品などが手軽の手に入る。日本ではリホーム業界が開放的でなく、小規模事業者が多いせいもあって、正常な業界ができあがっていない。

バリアフリー
すべて真平らにするより家の中で段差をつける方が良い。そもそも狭い廊下がある家では曲がることもできず、実際に車椅子の生活は無理。和室は30cm位高くし、洋間と段差がある方がよい。和室で立ち上がらず、段差のところまでずれていって、足を降ろし、洋間で立ち上がる方が楽。
(我が家もほとんど段差のない玄関で身体を屈めて靴紐を結ぶのが苦しく、椅子がほしい)

コンセントの位置
パソコン、テレビなどすべての電気製品の配置を考えてコンセントの位置を決めるべき。
(2回家を建てたが、2回とも途中で面倒になって、結局タコ足配線になった)



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三浦しをん『木暮荘物語』を読む

2011年06月23日 | 読書2

三浦しをん著『木暮荘物語』2010年11月祥伝社発行、を読んだ。

小田急線・世田谷代田駅から徒歩5分、おんぼろ木暮荘は、6室中、4室に人が住んでいる。
1階に住む大屋の木暮さんは70歳過ぎのおじいさんだが、死ぬ前にもう一度セックスがしたいと願いながら愛犬ジョンと暮す。隣の女子大生、光子の部屋には複数の男友達が出入りする。光子の生活を2階から覗くサラリーマンの神崎。そして、2階には彼氏と元カレと3人で暮らす羽目に陥っている花屋店員の繭がいる。
その他、繭の働く花屋のオーナー佐伯夫婦、白いバラを毎週買いにくる謎の客ニジコ、木暮荘の庭の犬ジョンにシャンプーしたいと思っているトリマーの美禰。美禰と心を通わすヤクザの前田。

初出:「Feel Love Vol.11-Vol.17」2007年夏から2009年夏



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

それぞれ問題を抱えながら誠実に生きたいと思う彼らが愛おしい。それぞれのダメキャラぶりが三浦さんらしく、楽しく、ちょっと切なく読める。今はほとんど無くなってしまったが、昔はアパートといえば、木造の床がキイキイ音がするようなボロ屋が普通だった。もっとも私の”昔”は50年ほど前のことだが。


三浦しをんの略歴と既読本リスト



以下、あらすじ

シンプリーヘブン
木暮荘203号室に住む、坂田繭は、フラワーショップにと勤める地味な女の子。彼氏の晃生としゃべっているところに元カレの瀬戸並木が現れる。並木は3年前、別れを告げることもなく、写真をとるため海外に旅立っていたのだ。繭と、気持ちのはっきりしない晃生、ぷいといなくなる並木の三人暮らしが始まる。

心身
犬のジョンとともに、家を出て、木暮荘に引っ越してきた大家の木暮は70歳(?)程。セックスしたく、悶々として、高齢者専門のデリヘルに電話をかけたが、・・・。

柱の実り
トリマーの峰岸美禰(みね)は、通りかかるたびに、木暮荘で飼われているジョンをシャンプーしたいと思る。そして、世田谷代田駅のホームの柱に異様な水色の突起を発見する。
異常な突起に誰も気づくことはない。ある日、カタギには見えない男が美禰に声をかけた。
「お嬢さん。そいつはいったいなんだ?」

黒い飲み物
繭が勤める「フラワーショップさえき」の店長、佐伯さんは、併設された喫茶店のマスター、旦那さんの入れるコーヒーが泥の味がする、と最近感じていた。そして夫が夜中にこっそりと家を抜け出すようになっていた。店の常連客がいう。「泥みたいな味がするときは、私の経験上、浮気をしています」


201号室に住む神埼は、畳を持ち上げ、節穴から下の女子大生光子の102号室を覗き、木暮荘に響き渡る「ああん、ああん」の発生源を知ることになる。神崎は覗きに熱中し、男3人と付き合い自堕落な生活を続ける彼女の姿に、異性に対する幻想が打ち砕かれる。しかし、そのうち一人で逞しく生きる彼女の姿に憧れすら抱くようになっていく。

ピース
女子大生光子は子どもを生むことができない。そんな光子が、「はるか」と名付けた赤ん坊を育てるはめになる。「はるか」は木暮荘のアイドルになるが・・・。

嘘の味
繭のことを諦め切れなかった元カレの並木は「フラワーショップさえき」を遠くから覗きみる。毎週火曜日にシンプリーヘブンを5本買っていく髪の長い女性ニジコは、そんな彼に自分の住所を教える。
ニジコには特殊な才能があり、料理を一口食べると、「嘘をついているときは、砂の味。浮気をしていたら、泥の味」と解るのだった。自分で作る料理まで砂や泥の味になったら、ニジコは食べるものがなくなってしまう。嘘をつかず、浮気をせずにすむように、ニジコはひととの接触を極力避けていた。そして、並木は繭をあきらめ、ニジコは、・・・。



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貨幣博物館へ

2011年06月21日 | 行楽
日本橋へ行ったついでに、日本銀行の付属の金融研究所に属している貨幣博物館へ寄った。



日本銀行は我が家のメインバンクなので、我々はお金を払わずに入場。ふとみると、ほかの人も払っていなかった。



パンフレットの真ん中の枝銭は、下から型に溶けた鉄を流しこみ、多数の貨幣を作る過程の産物だ。左端の紙切れは紙幣の基になった山田羽書で端数貨幣の預り証だ。
入口前のコーナーには、どでかい石の通貨や、手で持てる一億円がある。





一億円は約10kgあり、とても6億円持って走って逃げるわけにはいかない。

中に入ると、和同開珎はじめ古銭や、大判小判がぞろぞろ並んでいる。一定量の金貨や銀貨を和紙でパッケージし、額面表示・署名・封印したものを包金銀(つつみきんぎん)と言う。信用維持のため封印を崩すことは禁止され、崩すと咎を受けたという。

ずらりと並んだ紙幣の棚の前で、若い人が端の方の千円札などを見て、「あっ!これ知ってる」などと騒いでいる。そんなもの、ついおとといの紙幣だと、私は壱円や五円札をなつかしく眺める。50銭札も知っているのは何故なのか。なんだか悲しくなる。
この貨幣博物館、お金に関する意外な発見もあり、なつかしくもあり、お勧めだ。

隣の三井本館(昔の越後屋跡)から来たためもあり、どうしても、小判の束を見るたびに「越後屋、お主も悪よのう、フフフフフ」とつぶやいてしまい、奥様にTVの見過ぎと笑われる。

その越後屋、今の三越に寄る。

ロンドンのトラファルガー広場のライオンによじ登って落ちて怪我する人がときどきいると聞いたが、
このライオンなら簡単に登れそうだ。ぐっとこらえて、御用達の日本橋三越に数年ぶりに入る。



ティファニー、ルイ・ヴィトンなどを丁寧に品定めし、通り抜けて、帰宅。


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日本橋の三井記念美術館へ

2011年06月20日 | 美術
日本橋の三井記念美術館の所蔵品展を見に行った。
本来は「特別展 ホノルル美術館所蔵『北斎展』」であったが、東日本大震災によってホノルル美術館が中止を申し入れたため、所蔵品展に変わったのだ。こんなところにも、東日本大震災の影響があった。

国の重要文化財でもある三井本館の7階にある。場所は江戸時代の越後屋跡地だ。



入口は隣接する日本橋三井タワーから入る。



左手に曲がると三井本館に入る。



エレベータはじめ内装は重厚。




入場券は入館料1,000円(70歳以上800円)。



展示室1から3とため息の出るような茶道具が並ぶ。長次郎の「重要文化財 黒楽茶碗 銘 俊寛」が展示されていて、他にも楽茶碗が多い。茶室「如庵」の壁には細筆で細かく書かれた書が一面に貼ってあり、面白い壁模様になっていた。霊元天皇の書や、「赤楽茶碗 銘 鵺」が改まった気持ちにさせる。

展示室4、5,7は絵画だ。重要文化財「日月松鶴図屏風」や、重要文化財「東福門院入内図屏風」がある。
沈南蘋(しんなんぴん)による「花鳥動物図筆」が十一幅並んでいるが、極彩色で好みではない。猫の顔がつぶれてブサイクで笑える。土佐光起の「女房三十六歌仙帖」は、細密過ぎてついそのことに目がいってしまう。

展示室6には切手が少々展示されていた。何でも30万点の収集品を所蔵しているという。

人影まばらだろうと思ったのに最終日のためか、展示品の前には必ず人がいるといった程度に混んでいた。帰り道にあった古い金庫の扉。



付属のミュージアムカフェで昼飯。うどんがなかなか上品で美味。コーヒー付きで各1030円。







美術館付属のレストランは少々高めだがきれいで美味しいところが多い。


一階に降りたら、千疋屋があった。千疋屋といえば銀座だと思っていたが、本家は「千疋屋総本店」で日本橋本店が三井タワー内にあるのだ。明治14年にのれんわけしたのが銀座千疋屋とのことだ。



マンゴー2個、26,250円をパチリ。オーストラリアでよく食べたマンゴーは確か100円ちょっとほどだと思った。向こうの知人にこの写真を送ってやろう。



この後、貨幣博物館に寄ったが、この話は次回。


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筒井泉『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』を読む

2011年06月18日 | 読書2
筒井泉著『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』岩波科学ライブラリー179、2011年4月、岩波書店発行、を読んだ。

アインシュタインは,量子力学が生まれたとき,その根本の考え方に疑問を持ち、EPR論文を書いた。彼の言葉は、「君が今見ている月は、君が見ている間だけ実在しているなんて信じているの?」と言うものだった。
(私が覚えているのは「神がサイコロを振るはずない」といった主旨の発言だ)

しかし、その非常識な量子力学の理論結果が実験結果等の現実ときちんと対応することから、このアインシュタインの疑問は「触らぬ神に祟りなし」、過去の遺物と無視されてきた。
1964年のベルの定理、1967年のコッヘン-スペッカー定理、2008年のコンウェイ-コッヘンの自由意志定理により、近年、物理専門誌におけるEPR論文の引用数は著しく伸び、再注目されている(らしい)。
そして今でも、
量子力学の反常識的世界像が自然界の究極の姿かどうかはまだわからない。またその意味解釈について、現在でも物理学者の間で議論が続いていることも確かである。


本書は、EPR論文でアインシュタインらが指摘した「実在」概念の問題点とは何かを説明し、その反証であるコッヘン-スペッカーらによる実在性の議論を紹介する。さらに、時代の寵児「量子もつれ」の説明から、実在性と因果律の意味を読み解く。



筒井 泉(つつい・いずみ)
1982年東京大学教養学部基礎科学科卒。1988年東京工業大学大学院博士課程了(物理学、理学博士。ハンブルク大学、ダブリン高等学術研究所を経て、1994年東京大学原子核研究所助手に着任。
1998年より高エネルギー加速器研究機構(KEK)准教授
「個人的には、自由意志は(特に家庭内では)存在しないと感じている」と書いている。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

量子力学の数学をきちんと理解できる人は少ないだろうが、そんな人でもこの本のような根底的哲学的論議は好まないだろう。量子力学自体は分からないのに雰囲気が好きだという変わり者でも(それは私です)、学者が議論中で結論が得られていない哲学的な話、実在性や因果律といった話にはついて行きにくい。


以下、私のメモ。

ハイゼンベルクの不確定原理によれば、
測定した結果を確率的にしか予言できないとする確率性を基本とし、測定によって位置や運動量などの物理量のすべてを同時に正確に決めることは原理的に不可能だ。

その理解の仕方として、「人間は測定のためどうしても物理量に影響を与えてしまうので正確な値を知ることができないが、神ならば、その値を知ることができるはずだ」というのは間違いで、神でさえ本当の値を知ることはできない。つまり、量子力学的ミクロの世界では、本当の値自体も確率的なのだ。量子力学の結果を統計的に説明するような実在論に基づく理論は存在しないというのがボーア達のコペンハーゲン解釈だ。
ここまでは大学の時にも聞いたことがある(もちろん表層だけだが)。



アインシュタインと同僚のポドルスキー、ローゼンの共著のEPR論文は、
量子力学の深奥に、非実在性や確率性とともに非局所性と呼ばれる、測定によって瞬間的に互いに遠く離れた二つの対象に関係が生ずるという、きわめて常識に反する性質が潜んでいる可能性を見抜いた・・・。

まるでテレパシーのようだ。

そして、その議論の鍵となったのが、後に量子のもつれ(エンタルグルメント)と呼ばれる量子状態の不思議な性質であった。

量子もつれとは、二つ以上の部分からなる物理系があったとき、全体の系の状態が量子力学的には確定しているにも拘らず、それぞれの部分系の状態は確定していない状態を指す。


ベルの定理では、ERP論文の議論が、自然観のあり方に関する哲学的議論などではなく、実験的検証によって白黒をつける問題であることを示したのである。


2006年(2009年改定版)のコンウェイとコッヘンによる「自由意志定理」は、素粒子は自由意志を持つというものだ。つまり、世界は非決定論的だと主張する。自由意志とは、その発現に先立ついかなる出来事によっても決められないものという(非決定論)意味だ。


目次
1 量子力学とは――スピンの世界
2 EPRパラドックス――量子力学は不完全か?
3 ベルの定理――局所性・実在性との矛盾
4 コッヘン-スペッカーの定理――状況に依存する実在
5 自由意志定理――素粒子は自由意志を持つか?



















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筒井泉『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』を読む

2011年06月18日 | 読書2
筒井泉著『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』岩波科学ライブラリー179、2011年4月、岩波書店発行、を読んだ。

アインシュタインは,量子力学が生まれたとき,その根本の考え方に疑問を持ち、EPR論文を書いた。彼の言葉は、「君が今見ている月は、君が見ている間だけ実在しているなんて信じているの?」と言うものだった。
(私が覚えているのは「神がサイコロを振るはずない」といった主旨の発言だ)

しかし、その非常識な量子力学の理論結果が実験結果等の現実ときちんと対応することから、このアインシュタインの疑問は「触らぬ神に祟りなし」、過去の遺物と無視されてきた。
1964年のベルの定理、1967年のコッヘン-スペッカー定理、2008年のコンウェイ-コッヘンの自由意志定理により、近年、物理専門誌におけるEPR論文の引用数は著しく伸び、再注目されている(らしい)。
そして今でも、
量子力学の反常識的世界像が自然界の究極の姿かどうかはまだわからない。またその意味解釈について、現在でも物理学者の間で議論が続いていることも確かである。


本書は、EPR論文でアインシュタインらが指摘した「実在」概念の問題点とは何かを説明し、その反証であるコッヘン-スペッカーらによる実在性の議論を紹介する。さらに、時代の寵児「量子もつれ」の説明から、実在性と因果律の意味を読み解く。



筒井 泉(つつい・いずみ)
1982年東京大学教養学部基礎科学科卒。1988年東京工業大学大学院博士課程了(物理学、理学博士。ハンブルク大学、ダブリン高等学術研究所を経て、1994年東京大学原子核研究所助手に着任。
1998年より高エネルギー加速器研究機構(KEK)准教授
「個人的には、自由意志は(特に家庭内では)存在しないと感じている」と書いている。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

量子力学の数学をきちんと理解できる人は少ないだろうが、そんな人でもこの本のような根底的哲学的論議は好まないだろう。量子力学自体は分からないのに雰囲気が好きだという変わり者でも(それは私です)、学者が議論中で結論が得られていない哲学的な話、実在性や因果律といった話にはついて行きにくい。


以下、私のメモ。

ハイゼンベルクの不確定原理によれば、
測定した結果を確率的にしか予言できないとする確率性を基本とし、測定によって位置や運動量などの物理量のすべてを同時に正確に決めることは原理的に不可能だ。

その理解の仕方として、「人間は測定のためどうしても物理量に影響を与えてしまうので正確な値を知ることができないが、神ならば、その値を知ることができるはずだ」というのは間違いで、神でさえ本当の値を知ることはできない。つまり、量子力学的ミクロの世界では、本当の値自体も確率的なのだ。量子力学の結果を統計的に説明するような実在論に基づく理論は存在しないというのがボーア達のコペンハーゲン解釈だ。
ここまでは大学の時にも聞いたことがある(もちろん表層だけだが)。



アインシュタインと同僚のポドルスキー、ローゼンの共著のEPR論文は、
量子力学の深奥に、非実在性や確率性とともに非局所性と呼ばれる、測定によって瞬間的に互いに遠く離れた二つの対象に関係が生ずるという、きわめて常識に反する性質が潜んでいる可能性を見抜いた・・・。

まるでテレパシーのようだ。

そして、その議論の鍵となったのが、後に量子のもつれ(エンタルグルメント)と呼ばれる量子状態の不思議な性質であった。

量子もつれとは、二つ以上の部分からなる物理系があったとき、全体の系の状態が量子力学的には確定しているにも拘らず、それぞれの部分系の状態は確定していない状態を指す。


ベルの定理では、ERP論文の議論が、自然観のあり方に関する哲学的議論などではなく、実験的検証によって白黒をつける問題であることを示したのである。


2006年(2009年改定版)のコンウェイとコッヘンによる「自由意志定理」は、素粒子は自由意志を持つというものだ。つまり、世界は非決定論的だと主張する。自由意志とは、その発現に先立ついかなる出来事によっても決められないものという(非決定論)意味だ。


目次
1 量子力学とは――スピンの世界
2 EPRパラドックス――量子力学は不完全か?
3 ベルの定理――局所性・実在性との矛盾
4 コッヘン-スペッカーの定理――状況に依存する実在
5 自由意志定理――素粒子は自由意志を持つか?



















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田中冨久子『女の老い・男の老い』を読む

2011年06月16日 | 読書2
田中冨久子著『女の老い・男の老い 性差医学の視点から探る』NHKブックス1177、2011年4月NHK出版発行、を読んだ。

表紙裏にはこうある。
ヒトだけが迎える特別な時間「老年期」。その姿は、女性と男性で大きく異なっていた。私たちの悩や心臓、骨、筋肉はどのように保たれ、認知症や心筋梗塞、骨折などにはどのような性差があるのか。その謎を明らかにするため、エストロジェンなど性ステロイドホルモンに注目。
日本の性差医学の第一人者が、進化史的な視点もふまえ、長寿遺伝子など最新の研究成果をふんだんに盛り込みながら、ヒトという生物の老いの姿に迫る。


体の構造、機能、仕組み、病気の症状・原因、加齢による変化、性ホルモンの働きといったことを説明しないと、女と男の老いの差は説明できない。複雑で細かいことを要領よく説明しているが、やはり真剣に読まないと理解できない。しかも近年明らかになったことが多く、研究成果の紹介もあるのだから、話はややこしい。



田中冨久子(たなか・ふくこ)
1964年 横浜市立大学医学部卒業、1969年横浜市立大学大学院修了、医学博士
1985年 横浜市立大学医学部教授(生理学
2011年 田中クリニック横浜公園(更年期女性外来/生活習慣病外来)院長
著書:「女の脳/男の脳」、「脳の進化学」、「とことんやさしい脳の本」、「面白いほどよくわかる!脳とこころのしくみ」、「がんで男は女の2倍死ぬ」、訳書に、「性差医学入門」



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

加齢による病気、具体的老化現象を、まず医学的に説明し、その後、その現象の僅かな男女差を説明するので、どうしても詳しく、細かい話になる。元々、老化現象自体が明快にはなっていない現状で、その男女差を明らかにすることは、研究は必要でも、一般向け解説は困難だと思った。
読んでいて、途中で、要するに結論は何なの?と聞きたくなる。一般向けなら、データ、根拠など示さずに概要だけ説明すべきだと思う。
巻末には、120程の欧文文献と、70程の和文文献が掲載されている。一般向けの解説本を読む人が参考にするだろうか?



以下、私のメモ

序章  老いを知る
「老化」の定義にも、病気との関係で、以下の4つある。
「人が生殖機能を失ったあとに(50歳前後)加齢とともに起こるさまざまな衰退現象」
「30歳までは正常老化、超えると病的老化が加わる」
「恒常的維持機能や予備力の低下」
「加齢自体が進行を遅らせることができる病気の一つ(加齢は誰もが罹患している死亡率100%の病気)」

人間以外の哺乳類は、生殖期が終わると同時に死ぬ。

女性は、卵巣ホルモンであるエストロジェンに守られているが、閉経後は骨粗しょう症、高コレステロール症、認知症などエストロジェン欠乏症により、「不健康寿命」を40年近く生きる。

男性の生殖機能は50歳を過ぎると半分になるが完全にはなくならない。
男性は、精巣ホルモンであるテストステロンに駆られ競争社会を過ごし、タバコ、酒、ストレスにより、生活習慣病にかかり、後生殖期にがん、脳血管疾患、心疾患により女性より7歳以上早く死ぬ。

第1章 女の更年期・男の更年期
「ヒトは子どもの類人猿」。ヒトは前頭連合野を発達させ、いい年をして遊ぶ動物になった。したがって、後生殖期を楽しく生きたい。

第2章 脳の老化に性差はあるか
アルツハイマー型認知症の女性発症率は男性の2倍~3倍(女性の寿命が長いためとの反論もある)。

第3章 血管と骨の老化
血管、骨、関節、筋肉の老化とエストロジェン、アンドロジェンの関係

第4章 性ステロイドホルモンの知識

終章  長寿遺伝子と性ステロイドホルモン
「カロリス」とは ”caloric restriction” で、カロリー制限のこと。栄養不足に注意しながらカロリー摂取を減らすと、原生生物から哺乳類まで多くの種で寿命が大幅に延びる。カロリー制限により、インスリン/IGFシグナル伝達系の活動を抑制することによって長寿遺伝子を活性化し、寿命を延長する。
(最も私は、今のところとくに長生きするつもりはないし、ましてやそのための厳しいカロリー制限はごめんこうむる)

著者は、女性にホルモン補充療法を勧めている。



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吉祥寺で美術展

2011年06月12日 | 美術
まず、前進座近くの井の頭通り沿いのケーキ店Chez tora シェ・トラ(水・木休み)で腹ごしらえ。
キッシュと、



米粉のケーキ、コーヒー



で1100円(税別)。若い男性には物足りないだろうが、美味。

まずは、吉祥寺伊勢丹あとのコピスで開かれている「ぱらぱらマンガ喫茶展」へ。昔、教科書の隅に書いて、パラパラめくって動画を楽しんだあの「ぱらぱらマンガ」だ。英語ではflipbookというらしい。



壁に幾つもの単語帳のようなものがぶら下がっている。さすが、プロ。枚数があり、しかも趣向を凝らしているで見事な動画になっている。
知人の息子さんのものは、お得意の宇宙もので、ウサギも出てくる夢のある絵だった。ウサギがタクシースタンドで待っていると、宇宙船タクシーがやってきて、光の束に照らされ、宇宙船に吸い込まれていく。そして、宇宙船は身を翻して空の彼方に飛び去り、真っ暗な空の遠くに光がピカッと光る。これだけの画面がぱらぱらマンガで無理なく表現されている。
手書きだと大変だろうが、今はパソコンがあるのでつくること自体は簡単になったのだろう。

コピス吉祥寺A館7階の「武蔵野市吉祥寺美術館」へ寄った。13日(月)まで、「上條信山 書の世界展」が開催されている。100円で、65歳以上は無料だ。



書には興味がなく、文化功労者である上條信山という方も知らなかった。



パンフレットの裏の書を見ると、大きな字はなかなか良いが、



2,3人が熱心に見入っていたのだが、小さな字は悪筆の私が言うのも変だが、上手とは思えないのだが??? あらためて、私には書を見る目のないことを実感させられた。







次回は、7月9日から「古川タク展 『あそびココロ』という楽しそうな企画だ。


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ジェーイムズ・P・ホーガン『巨人たちの星』を読む

2011年06月10日 | 読書2
ジェーイムズ・P・ホーガン著、池央耿訳『巨人たちの星』創元推理文庫1983年5月、東京創元社発行、を読んだ。

星を継ぐもの』、『ガニメデの優しい巨人たち』につぐ、シリーズ最終作。『星を継ぐもの』が科学知識を駆使したハードSFで、ミステリーだったのに対し、本作は、ヴァーチャルリアリティ、スーパーコンピューターがSF的ではあるが、主体は宇宙の2国家と地球の国連、米国、ソヴィエトなどがからむ政治サスペンスだ。

ガニメアンの子孫であるテューリアン人は、旧作の人工知能コンピューター・ゾラックを大きく発展させたヴィザーを持っていた。ヴィザーは、離れた場所に何の違和感もなく存在するようなヴァーチャルリアリティを実現し、交通、知識、個人生活などすべて管理する社会だった。テューリアン人の住む星系には、彼らの他に、5万年前のミネルヴァの崩壊時に助けられたジェヴレン人がテューリアン人の優れた技術を教えられ、自立と勢力拡大していた。



ジェイムズ・パトリック・ホーガン(James Patrick Hogan、1941年 - 2010年)
イギリス、ロンドン生まれ。
デビュー作『星を継ぐもの(Inherit the Stars) 』、続編『ガニメデの優しい巨人たち(The Gentle Giants of Ganymede) 』の完結が編本作『巨人たちの星(Giants’ Star) 』だ。
『造物主の掟』『造物主の選択』などハードSFの巨匠。
1983年に『断絶への航海』、1993年に『マルチプレックス・マン』でプロメテウス賞を受賞。日本でもSF作品を対象に送られる星雲賞を(1981年『星を継ぐもの』、1982年『創世紀機械』、1994年『内なる宇宙』)と3度受賞。

池央耿(いけ・ひろあき)
1940年生れ。国際基督教大学教養学部卒。翻訳家。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

第一作『星を継ぐもの』での科学技術マニアぶりが本作では見られず、遙かなる大宇宙を舞台とするスケールの大きさも二番煎じで色あせている。なつかしい感じがする昔の技術が登場したり、米国とソヴィエトとの駆け引きもはるかな昔となってしまい、時代を経たSFが感動を与えるのは難しい。

著者の科学技術万能の考え方は、脳天気で小説としては楽しく読めるのだが、行き過ぎも幾つか見え、全体がすばらしかった前作では「まあ、良い、良い」だったのが、この作品では「ちょっとどうかな」と思ってしまう。
長期間科学技術の進歩が止まった理由として、遺伝子操作して老化を防止したら、創造性が失われて技術進歩が止まったという話が出てくるのだが、「そんな簡単な問題か?」という気がする。未来の話なので仕方ない面はあるが、この種の完全に納得できない話が多い。


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平野啓一郎『かたちだけの愛』を読む

2011年06月06日 | 読書2
平野啓一郎著『かたちだけの愛』2010年12月中央公論新社発行、を読んだ。

「美脚の女王」と呼ばれ、すべて美しく特徴がない女優、叶世(かなせ)久美子。離婚したばかりで、一部で高い評価を受けるインダストリアル・デザイナー、相良(あいら)郁哉。会社の前で交通事故が起き、相良は叶世を助けだすが、彼女は片足を失う。相良は人も羨むような彼女の義足を作ろうとする。彼女は絶望の中で、元の恋人の強引さに振り回され、やがて二人は・・・。

たちの悪い恋人から自分を奪ってくれることで愛を確かめようとする彼女。彼女と居るときの自分が好きだと気づき愛を確認する彼。愛の形を求め合う恋愛小説だ。

「『恋』は刹那(せつな)的に相手を求めること。でも『愛』はいったん結ばれた関係を持続させることで、時間的な長さが求められる」
「人のおかげで自分を好きになるし、自分を好きにさせてくれる相手をまた好きになる。他者との関係が循環的に持続していくから、夫婦愛だけじゃなく親子愛や師弟愛にも適用できる。人が亡くなるときの悲しさも、その人と一緒にいるときの“好きな自分”をもう生きられないことから来ているのだと思う」

産経のインタビューに著者平野啓一郎は、こう語っている。

この作品は、「読売新聞」夕刊2009年7月から2010年7月連載に加筆修正したものだ。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)


新聞小説だからだろうか、平野啓一郎らしからぬ風俗小説だ。
スキャンダルまみれの女優、愛人はガラの悪い道楽息子。写真家やファッション・デザイナーも登場し、車は大蛇、ハマー、ホテルはコンラッド東京、クライマックスがパリコレ。インダストリアル・デザインや義足に関してウンチクはあるが、どこにでもある小説になっている。
愛の形についても、特に深い考察や、なるほどと思う出来事、会話があるわけではない。


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沖方丁『天地明察』を読む

2011年06月04日 | 読書2
冲方丁著『天地明察』2009年11月角川書店発行、を読んだ。

江戸時代、四代将軍家綱の頃、碁打ちの渋川春海(はるみ)が日本独自の太陰暦を作り上げるまでの20年の奮闘、挫折、成功、恋。

渋川春海の本来の名は安井算哲で、将軍家お抱えの碁打ち4家の一つ安井家の跡取り。ライバルに本因坊道策がいる。道策との碁では第一手、天元の碁が有名。
しかし、春海は将軍に前であらかじめ決まった手を打つお城碁に飽きたらず、数理(数学、和算)に情熱を燃やす。しかし、天才、関孝和との力の差に圧倒される。

当時日本では800年以上昔に伝来した宣明暦という暦を使用していたが、天体とのズレが丸一日にもなり、月触予測がずれていた。春海は、老中酒井から、日本各地の緯度計測(北極出地)を命じられ、建部、伊藤らと観測隊を作り、各地に出かけ天体観測、距離計測の技を磨く。そして、苦労、失敗の末、日本の経度に適合した暦を作りあげる。

本屋大賞1位、吉川英治文学新人賞受賞、直木賞候補
題名は、算術の解答が正しかった場合に「ご明察」と言うが、天と地の観測が一致して初めて、経度、緯度の測定、そして、正しい暦が作られるとの意。

初出:「野性時代」2009年1月号-7月号を加筆、訂正



冲方丁(うぶかた とう)
14歳まで、シンガポール、ネパールに在住。
1996年早稲田大学在学中に『黒い季節』で第1回スニーカー大賞 金賞を受賞しデビュー
1997年ゲーム制作者としてデビュー。先鋭的なゲーム開発に多数関わる。
2003年小説『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞受賞



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

さすがベストセラー、面白い。いきなり和算の問題図が出てきて、時間をとられてしまった。しかし、和算もそうだが、暦の話も意外と複雑で、女性や、理工系でない人は面白いのだろうか?
歴史上の人物が多く出てきて、それだけでも興味をつないでいくのだが。

主人公の春海は圧倒的天才でなく、明るくドジで、囲碁では本因坊道策に敗れ、和算で関孝和に敗れる。そして、暦同士の戦いでの月蝕予測でも敗れながら、最後に勝利する。この流れは良いのだが、題材の面白さに頼っていて、小説としての出来、深みは今ひとつ。



エピソードを一つだけ。
観測隊の建部、伊藤は60歳前後。春海が関孝和の書いた本を読んでいると二人は興味を示し、ぜひ弟子入りしたいと言う。
「だいたいにして若い師というのは実によろしい」
「ええ、ええ。教えの途中で、ぽっくり逝かれてしまうということがありませんから」
確か、日本地図を作った伊能忠敬も、引退後自分の息子のような人に測量術を習ったはずだ。





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Shaun Tan “THE ARRIVAL”を読む

2011年06月01日 | 読書2
Shaun Tan ショーン・タン著“THE ARRIVAL”2007年10月Arther A Levine Books発行、を読んだ、というか見た。

革表紙のような古書風の装幀の大判の本で、中味には、コマ割り小分けにされたり、ページ一杯だったりの細密なセピア調の単色画が並ぶ。まったく文字のないグラフィック・ノベルだ。

著者のホームページでのこの本の紹介にはこんなことが書いてある(らしい)。
“The Arrival”は、文字のないイメージ・シリーズの移住物語で、忘れ去られた昔の話だ。妻と子供と貧しい街に住む男は、家族と別れ希望を求めて広大な海を渡って未知の国へ旅立つ。そこで彼は、異国の習慣、一風変わった動物、奇妙な浮遊体、そして分からない言語に困ってしまう。移民である彼は、スーツケースとわずかな金以外何も持たないで、住む場所、食べ物、仕事を見つけなければならない。彼は同情した人々に助けられる。彼らは、かって自身が話せなかった過去を持っていて、不可解な暴力、激変そして希望の世界の中で、もがき、生き抜いたのだった。

「アライバル」という翻訳書もあるようだが、なにしろ文字は巻末の作者あとがきのみ。しかも、ほとんど謝辞を捧げる人の名前の羅列。原書の方が良いのでは?



Shaun Tan(ショーン・タン)
以下、彼のHPより、 
父親がマレーシアからオーストラリアにやってきた移民。西オーストラリア州Perthパースの北の郊外で育つ。学校ではいつも最も背の低い生徒だったが、絵の巧い子として知られていた。UWA(西オーストラリア州立大学)を1995年に卒業。現在メルボルンでフリーランスのアーチスト、作家として働いている。本書については、「喝采して迎えられた“The Arrival”は広く翻訳され(?)あらゆる年代の読者に喜ばれている」と書いている。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

まったく文字のないグラフィック・ノベルというのはユニークだ。想像力で話をたどって、自分なりに膨らませていくのは楽しい。なにしろ英語の原書(?)を最後まで読みきったのは初めてで、うれしい。

古めかしいセピア色の絵が昔の時代の雰囲気を出している。絵は、人間がリアルに描かれているのに、都市、建物の外観はSF的、幻想的で、風変わりな動物や謎の食べ物に溢れている。未知の国にただ一人でたどり着いた主人公の心持ちを現しているのだろう。
人一人に必ず付いている不思議な生物が、愛嬌があり可愛い。

主人公に親切にしてくれた人も移民であり、かって自分の国で悲惨な経験をした人が多い。主人公の話の外に、彼らの辛い経験もこの本に描かれており、移民達には実にさまざまな悲惨な背景を背負っていることがわかる。そして希望にもえた新世界でゼロからスタートしたのだ。これらが米国、オーストラリアなど移民国の強さのひとつになっているのだろう。

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