堀江敏幸氏選考のBunkamuraドゥマゴ文学賞(文末に注)の受賞作。100ページほどの中編。
はっきりした筋はない。主人公は闇夜の川で「よからぬもの」を運ぶ舟頭だったのが、いつのまにか雨あがりを家路につく会社員、さらに波止場に立ちつくし船を待つ女になる。瑞々しく流れる言葉に乗って行くうちに、流転する人の命がイメージされる。
「・・・結局一頁として読みすすめられないまま、もう何日も何日も、同じ本を目が追う。」
と、本を目で追う話から書き出され、最後は最終頁の最終行に句点を打つところで終わる。
本を読むところから、急に、
と、誰か分からぬ主人公は春の門をくぐり、祭の日の神社に至る。突然、装束までつけていて、とうとう舞台に出されてしまう。そして、一艘の小舟に乗り、主人公は妻と幼児のあるサラリーマンに変化し、製煉所や火力発電所で働いていたらしい人にも変化すると言ったぐあいに、筋を追っていても仕方がない。
主人公の変化の中で目立つのが、舟頭だ。夜が仕事で、乗せるのは、たいていよからぬもので、突然消えてしまうこともある。
題名の『流跡』のように、主人公はどんどん流れ、話全体がみずみずしい言葉に乗ってさらりと流れていく。
初出:「新潮」2009年10月号
朝吹真理子
1984年東京生れ。慶応大学前期博士課程在籍(近世歌舞伎)。
2009年9月発表のデビュー作『流跡』でドゥマゴ文学賞受賞
2010年8月発表の『きことわ』で芥川賞受賞。
慶大教授で詩人の亮二さんは父。翻訳家の朝吹登水子とシャンソン歌手の石井好子は大叔母。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
私の感じでは、小説というより、詩に近い。筋はないに等しいが、流れに乗って気楽に読み進められる。言葉への感性が感じられる文章には好感が持てる。
なにしろ作者は1984年生まれだ。私とすれば、「おととい」だ。写真を見ると、気品のある美人で、文章がよけい美しく感じられる。これをミックスメディアという。
土瀝青(アスファルト)、叮嚀(ていねい)、錫杖(しゃくじょう)、昏黒(こんこく)、冷(きよ)いなど読み慣れないことばが混じり、ルビが必須だ。さすが、近世歌舞伎の博士課程。
注
Bunkamuraドゥマゴ文学賞
フランス本国でゴンクール賞の結果に異を唱えて始まったパリの「ドゥ マゴ文学賞」の精神を受け継ぎ、1990年に創設された。権威主義に陥らず、既成の概念にとらわれることなく、先進性と独創性、アクチュアリティーのある新しい才能の発掘を目指すこの賞は、毎年ただひとりの選考委員によって選ばれるというユニークな賞だ。
(最大公約数でなく、一人の選考委員によって選ばれるというのはすばらしい)