hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

東京駅ステーションギャラリーでフォロンの「空想旅行案内人」を観る

2024年09月16日 | 美術

 

皇居三の丸尚蔵館を観たあと、東京駅丸の内北口ドームの改札口を見て左手から東京ステーションギャラリーに入り、エレベーターで3階に登る。

 

ここでは、「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展が開催されている。

当日券が1500円、前売りは1300円

 

ジャン= ミッシェル・フォロン (Jean-Michel Folon, 1934-2005)

20世紀後半のベルギーを代表するアーティストのひとり。

1960年代初頭、アメリカの『ザ・ニューヨーカー』や『タイム』などの有力誌の表紙を飾るようになり、その後、各国で高く評価され、世界中の美術館で個展が開催される。

色彩豊かで詩情あふれ、一見美しく爽やかな作品だが、環境破壊や人権問題など厳しい現実への告発が隠れていると同時に、孤独や不安の感情が通奏低音のように流れている。

 

展覧会は撮影禁止のため、撮った写真はこの1枚だけ。

 

その他の絵は、例えば「東京ステーションギャラリー開催案内」を見ていただく方がきれいな絵なのだが、そこまでするほどでもないという方は、以下のパンフレットから私が撮影した以下の絵をご覧あれ。

 

フォロンさんの顔

 

当初の色なしの、お得意のドローイング作品(入場券より)

 

同上

 

奥さんの影響で、色が登場。3点だけご紹介。

青い帽子が鏡の中では赤い帽子に変わっている。

 

矢印シリーズ

 

『世界人権宣言』表紙 原画

 

なるほど、なるほどと思ったのは、「世界人権宣言」のいくつかの条文についてその心や、皮肉な現実を描いた作品の数々。(人権パスポート

 

 

フォロンの絵は、シンプルなホルム、淡い、夢見るような色彩と、ボ~~と見ているだけでゆったりできる。

しかし、残念なことに東京ステーションギャラリーは狭いうえに、人が多く、しかも休むところが少なく、たいてい先人がいる。その上、これでもかと、同じような作品が続き、集中力もなくなり、くたびれてしまった。夢見がちな作品は、ゆったり観たかった。

 

 

最期にもう一枚だけ。

「上昇」2004年 水彩

本展巡回最後の来年4月の大阪展が行われるあべのハルカス美術館の浅川真紀・上席学芸員による記事「私たちのフォロン」を読んで、是非このブログに追加したくなった。(上記の絵は記事にあったものを無断借用しました)

 

余命宣告もされていたが、それでも前向きに仕事に取り組んでいたフォロンが71歳で亡くなる前年に描いた絵だ。

「上昇」の仏語原題は“ASCENSION”。キリスト教では、主の昇天を意味する言葉でもある。浅川さんは、「世を去る前のフォロンの思いは想像しかできませんが、切なさや希望も含めて、みなさんと共有したかった」と書いていました。

 

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皇居三の丸尚蔵館で工芸品、日本画を楽しんだ

2024年09月15日 | 美術

 

皇居三の丸尚蔵館

平成元年(1989)に上皇陛下と香淳皇后(上皇の母)により、皇室に代々受け継がれた美術品が国に寄贈された。令和5年(2023)には「皇居三の丸尚蔵館」の名称で一部を開館し、令和8年(2026)度に全館開館を予定している。
場所は東京駅丸の内北口から皇居・大手門を経て、徒歩約15分。

 

開館記念展 第1期」、「開館記念展 第2期」と2回訪れたが、その後はパスした。

 

今回の9月10日~10月20日の「水の情景・月の風景」では、帝室技芸員の工芸品と、川合玉堂、橋本関雪園らの日本画、特に伊藤若冲の国宝「動植綵絵」、上村松園「雪月花」など近代日本美術の粋が公開される。

 

朝10時開門前に大手門へ着く。

 

左が江戸時代、右が現代

 

簡単な手荷物検査を受けて、見るからに頑丈そうな大手門をくぐる

それにしても、こんな大きな石を削って、人力だけできちんとくみ上げるのは大変そう。

 

 

直ぐに尚蔵館。右手が工事中の新館部分。

一般は1000円だが、70歳以上は無料なのがうれしい。

大手町駅から15分程度歩いて汗だらけなので、むかいのお土産小屋に入って、しばらく涼む。日本人は誰もおらず、欧米系の観光客が一杯で、彼らも思いは同じで、ベンチに座って水を飲むなど一休み。厳しい香水の香りが充満。

 

 

最初の展示は「近江八景蒔絵棚」。

蒔絵で、棚上部引戸には「満月と石山寺」の光景、写真では見えない上部には「三井晩鐘」「堅田落雁」など。

 

 

「塩瀬友禅に刺繍嵐山渡月橋図掛副」

木の幹などは刺繍で、友禅染と自然に合わさっている染織。

木の根元に見える人力車には傘をさした人がいて、遠く渡月橋の上にも人が見える。

 

 

「石山寺蒔絵文台・硯箱」

石山寺で琵琶湖に浮かぶ月を見て「源氏物語・須磨の帖」の着想を得た紫式部(真ん中の黒い点が髪の毛)を硯箱に、

 

湖面に映る月を文台に表した。パリ万国博覧会へ出品。

 

「夕月」藤井浩祐 大正11年

古代風の薄衣を身に着けた女性が、長柄の団扇を持ってたたずむ。視線の先を見ると、

壁に月が映し出されていました。

 

「雨後」 川合玉堂 大正13年

雨上がりの、移り行く大気を捉えている。

 

「夏山蒼翠・寒山一路・霜崖飛瀑」 佐川華谷 大正9年

我家には飾りようがない高さのある作品

 

「国宝 動植綵絵 梅花皓月図」 伊藤若冲 江戸時代18世紀

伊藤若冲が10年をかけて制作した動植綵絵30編のうちの1幅

(現場で撮った写真が酷かったので、パンフレットから写しました)

 

「朝露」6曲1双 平福百穂 大正4年

 

 

「暮韻」 橋本関雪 昭和9年

叢(くさむら)に立つ水牛。日暮れ時。

 

「雪月花」 上村松園 昭和12年

春の桜、秋の月、冬の雪の3幅。作者が20年以上かけて完成させた。

       

「冬の雪」の捧げ持つ御簾の細竹(?)も見事に描かれていた。

 

 

「近江八景和歌」 近衛家煕 江戸時代

琵琶湖南岸の景勝地を題として詠まれた和歌を、江戸中期に能書で知られた近衛家煕が色とりどりの料紙に端正な字で書写した1巻。以下の写真は解説のある部分のみ。

 

 

 

このあと、東京駅まで歩いて、「東京ステーションギャラリー」でジャン=ミシェル・フォロンの「空想旅行案内人」展を観た。次回報告

 

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いわさきちひろ展を観る

2024年06月03日 | 美術

 

といっても、図書館の展示場での「岩崎ちひろ複製画展」。

 

「ちひろは、えんぴつの持ち方や、力の入れ方などを工夫していました。この絵をよく見てみましょう。」

「顔は細いていねいな線、かみの毛やぼうしは、勢いのある太い線でかかれています。」

「「雪のなかで」 1972年」

 

 

 

「ちひろは、あかちゃんを産んでお母さんになると、子どもの絵がどんどん上手になりました。
そばにいる息子をたくさんスケッチしたからです。花も大好きで、庭には季節ごとに色とりどりの花をさかせていました。」 「チューリップのなかのあかちゃん 1901年」

 

デッサン、上手ですね。お母さんのやさしそうな目線、子どもの安心。濃い線と薄く太い線を使って描き分けています。

 

3姉妹。さっと描かれた髪の毛がいいね! なんと言ってもただの点なのに目が生きている。

 

絵具をわざとにじませるテクニック、いい味出してます。

 

わざわざ「1946年に日本共産党に入党」と書いてあります。もっとも共産党の衆議院議員を長く務めた松本善明の奥さんなのですが。

 

ちひろ美術館のパンフレット

 

 

 

このパンフレットの内側にあった絵。「立てひざの少年 1970年」と、「チューリップとあかちゃん 1971年」。

この少年の絵は、黒柳徹子『続 窓ぎわのトットちゃん』の表紙になっている。

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出久根育展を観る

2024年03月06日 | 美術

 

コピス吉祥寺 A館の7階にある「武蔵野市立吉祥寺美術館」をご存じだろうか?

アーティストの小さな企画展示と、常設の、独特な銅版画の技法を開拓した浜口陽三記念室、世界的な木版画家荻原英雄記念室がある。

入館料は常設展が100円、企画展(含常設展)300円で、65歳以上は無料と、極めて安い。

開館時間:10時~19時30分、休館日:毎月最終水曜日、年末年始(12月29日~1月3日)

 

ここでは、2024年3月3日まで開催していた「出久根育展 チェコからの風 静寂のあと、光のあさ」をご紹介。展示終了と共に、紹介は削除されたようなので、代わりに「美術展ナビ」をご覧あれ。

 

 

出久根育(でくね・いく)は東京都生まれ、1992年武蔵野美術大学卒。

1994年絵本「おふろ」を発表。2002年よりプラハ在住。

グリム童話「あめふらし」、ロシア民話「マーシャと白い鳥」「もりのおとぶくろ」などで各賞受賞。

 

コピスの南側の「元町通り」を歩いていて、そう言えば、見たい展示があったのだと吉祥寺美術館へ入ってみたら、出久根育展の最終日だった。

 

 

 

展示室前のロビーの絵だけは撮影可だったので、いくつかご紹介。

 

 

 

 

 

 

 

 

絵本の絵や童話の絵なので、やさしく、メルヘンチックで夢を誘う絵が多い。近づいて観ると驚くほど精緻に描かれていたりして驚く。ただ伸び伸びと楽しく描いているだけでなく、真剣勝負なのだと思う。

 

10時開店と同時に入ったのだが、すでに10人ほど居て、直ぐに各部屋の絵の前に人が居る状況になった。最終日のせいでもあるだろうが、皆さん熱心に鑑賞。なんといっても若い女性が多く、ついで(ただの)女性が続き、近づいてしげしげ絵を覗き込む芸術家風のおじさんがちらほら、さらにただわけもわからずボーと眺めるおじいさん若干1名。

 

期待以上に愉しめた展示だった。

 

 

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マリー・ローランサン展を観る

2024年02月11日 | 美術

 

ARTIZON美術館で2024年3月3日まで開かれている「マリー・ローランサン――時代をうつす眼」を観た。

マリー・ローランサン(1883-1956)は、20世紀前半に活躍した女性画家で、……パステルカラーの独自の画風を生み出しました。参考:『もっと知りたい ローランサン 生涯と作品』)

 

本展では石橋財団コレクションや国内外の美術館から、ローランサンの作品約40点、挿絵本等の資料約25点に加えて、ローランサンと同時代に活躍した画家たちの作品約25点、合計約90点を展示。

 

主な出展作品8点が美術館HPで見られる。

 

 

東京駅八重洲中央口を出て、八重洲通りを行く。

 

見たことないビルがズラズラ。過ぎて来た年月の重みを味わう。

 

中央通りとの交差点に「Artizon Museum」が見える。旧ブリヂストン美術館だ。

 

ビルに入ると正面に大きなディスプレイ。

 

アーティゾン美術館(Museum)は、ブリヂストン美術館を前身として、2020年1月同じ場所に開館した。「Artizon」は、「ART」(アート)と「HORIZON」(地平)を組み合わせた造語。

 

エレベーターで6階に登り、展示室を観ながら、5階、4階とエスカレーターで降りる。2階にミュージアム・ショップ、1階にミュージアムカフェがある。

 

撮影は、禁止のマークのあるもの以外は自由。

 

 

入ると、まず4つの自画像が並ぶ。初期のものは目つきも鋭く、暗い顔だ。

 

つづいてピカソやブラックの影響を受けた「キュビズムの時代」に入るが、絵が暗いのでパス。

次の「文学」も混みあっている。「椿姫」シリーズも撮影は飛ばす。

 

ようやく人物画に入り、「女と犬 1923年頃」をパチリ。淡い色彩、柔らかなタッチ、白肌に寂しげな眼、間違いなくこれぞローランサン。

 

パブロ・ピカソ「女の顔 1923年 油彩、砂、キャンバス」

頬のあたりにマチエール(筆跡)が目立つが、砂を使っているのだろう。

 

 

東郷青児の絵も3点並んでいた。あの量産体制に入る前の作品だ。

そういえば、母が東郷青児の奥さんと女学校の同級生で、クラスの写真を見たことがあったが、あの絵のモデルの女性そっくりな顔だった。跳んでいた人だったし、喉に心中未遂の傷がくっきりと残っていたという。東郷青児には数多くの女性がいたが、どうも、東郷たまみの母で、西崎盈子(みつこ)(1909-1980)らしい。

 

 

ローランサン「シェシア帽を被った女 1938年」

 

ラウル・デュフィ「ポワレの服を着たモデルたち1923年の競技場 1943年」

 

ローランサン「手鏡を持つ女 1937年」

 

アメデオ・モディリアーニ「若い農夫 1918年頃」

 

藤田嗣治「少女像 1927年」  目つきが素敵。あったり前だけど、デッサンが上手。

 

ローランサン「牡鹿と二人の女 1923年」

 

ローランサン「花を生けた花瓶 1950年頃」。 もっと花を描いていそうだが。

 

ローランサン絵付「椅子2脚

 

アポリネールの詩「ミラボー橋」。「ミラボー橋の下をセーヌが流れ われ等の恋が流れる ……」

ピカソはローランサンを、シュールレアリズムの詩人・アポリネールに「君の奥さんだ」と紹介し、そのとおり彼らは恋人になる。やがて、彼は、モナリザ盗難事件の容疑者として誤認逮捕されたことがきっかけで二人は別れた。彼はこの別れを代表作『ミラボー橋』に謳いあげた。

 

 

オーギュスト・ルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢 1876年」

 

ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1904-06年頃」

 

パブロ・ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク 1923年」

 

アンリ・マティス「石膏のある静物 1927年」

 

パウル・クレー「双子 1930年」。近づいてよく見たら、結構繊細に書き込まれた絵だった。

 

ジョアン・ミロ「絵画 1952年」 ミロの絵って、なんとなく可愛い。

 

マーク・ロスコ「無題 1969年」。私は、抽象画はどうもこれと言って好きになれないが、味わいが感じられるのがロスコの絵だ。この絵は面白味がないが。

 

草間彌生「無題(無限の網) 1962年頃」

 

安井曾太郎「F婦人像 1939年」。 いかにもお金持ちの御婦人。

 

青木繁「わだつみのいろこの宮 1907年」

 

中村彜「自画像 1909-10年」

この絵も良いが、中村彜の作品では、国立近代美術館にある「エロシェンコ氏の像」がもっとも好きだ。

 

 

青木繁 海の幸 1904年」

 

「ビューコーナー」で一休みと思ったら、すぐ目の前が工事中のビル。

 

ベルナール・ビュッフェ「アナベル夫人像 1960年」

 

藤田嗣治「横たわる女と猫 1932年」。原画も濃淡がなくなっているが、写真は一層!

 

1階のカフェレストランに満席で断られて、八重洲の地下道をブルブラしてランチ処を探す。

 

 

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「ゴッホと静物画」を観る

2024年01月17日 | 美術

 

「SOMPO美術館」で1月21日まで開催の「ゴッホと静物画 伝統と革新」を観た。

ゴッホの《ひまわり》がある「東郷青児美術館」は、2020年7月、西新宿の損保ジャパン本社ビル42階から本社ビル敷地内の新たな美術館棟へ移転し、「SOMPO美術館」となっている。

 

 

久しぶりの西新宿。あの末広がりの「損保ジャパン本社ビル」を目当てに行けばわかるはずと新宿駅西口地下のロータリーから都庁方面へ、地下の「中央通り」の動く歩道をスイスイと歩き出し、地上へ出たところが「新宿三井ビル」。この辺りだと周りを見渡すが、あの「損保ジャパン本社ビル」が見当たらず。どうも行き過ぎたらしいと、地図を見て、階段を登って「東通り」を北へ進み、「北通り」との交差点で「損保ジャパン本社ビル」を発見し、新宿駅方面へ戻る。ようやく横断歩道を渡れば「SOMPO美術館」だ。

若い頃はこの辺りは俺の縄張りだったし、そもそも小学校の遠足で淀橋浄水場見学に来たのに、と嘆く。

 

 

この末広がりで、地震が来て上階の窓が割れたらどうなるのか?

 

隣の「SOMPO美術館」。美術館らしい変な建物。

 

看板をパチリ、

パチリ。なんと言っても売り物はゴッホのひまわり。

 

予約時間前に着いたので、2階のミュージアムショップをブラブラ。

 

立体複製画「アルゴグラフ」を「名画の感動を是非ご自宅で!」と売り込んでいた。

 

さすがゴッホのひまわり、¥39,800がなんと249人が買っていた。貴女、いかがですか250人目は!

 

見た目は今一つだが、刺繍(クロスステッチ)も並んでいた。

 

予約時間となり、1階に降りて、ネット予約時にメールで送られてきたスマホのQRコードを見せて入館。どこでもこの予約・入館方法だが、便利なようで、スマホがおかしくなったりしたらと、不安が残る。

 

鑑賞順番は、5階から徐々に降りてくるのだが、年寄りに階段を次々と降りさせるのは酷だ。

 

本展覧会の趣旨

17世紀オランダから20世紀初頭まで、ヨーロッパの静物画の流れの中にゴッホを位置づけ、ゴッホが先人達から何を学び、それをいかに自らの作品に反映させ、さらに次世代の画家たちにどのような影響をあたえたかを探ります。……また本展覧会では「ひまわり」に焦点をあてたコーナーを設け、……

 

出展69点のうち、25点がゴッホの油彩画。

 

 

最初は、1600年~1800年頃の伝統的静物画と、ゴッホの初期の作品。

ゴッホの「コウモリ」

コウモリの剥製なのだが、テーマも色も暗い。

 

 

ゴッホの「野菜と果物のある静物」

 

ゴッホの「鳥の巣」

何で鳥の巣なの? ゴッホは「自然を良く知っている人たち」に売れるのではないか、という希望を持っていたと書いてあったが、「君は売れる物と思うものを描いちゃだめでしょ」って言いたい。

 

 

ドラクロア「花瓶の花」

ゴッホはドラクロアの色彩に感銘を受けたという。気づきがあった?

 

ピサロ「丸太作りの植木鉢と花」

 

ルノアール「アネモネ」。

 

 

暗い絵が多い当時でも、ルノアールは明るく楽しい絵。

 

ゴッホ「青い花瓶にいけた花」。 ようやく鮮やかになりました「」。

 

ゴッホ「バラとシャクヤク」。 全体が明るくなりました「」。

 

肝心の、ゴッホの「ひまわり」と「アイリス」はこの状態で、後ろから眺めるだけ。じっと待つのもいやだし。

SOMPO美術館の「ひまわり」

ゴッホは南フランスのアルルで画家仲間との共同生活を計画し、ポール・ゴーギャンらを招きました。《ひまわり》の連作は1888年8月、ゴーギャンの部屋を飾るために描かれました。出品作品の《ひまわり》は、この時描いた「黄色い背景のひまわり」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)をもとに、1888年11月下旬から12月上旬に描かれたと考えられています。ロンドン版の色彩や構図をそのまま用いた「模写」ですが、筆遣いや色調に微妙な変化を加えています。

 

 

ゴッホ「水差し、柑橘類のある静物」

 

ゴッホ「ヴィーナスのトルソ」

説明にはこうあった。「弟テオに宛てた手紙の中で「僕はパリでは自分の信念から離れて、少なくとも1年間は裸体や石膏像のデッサンの費やすつもりでいる」と語っている。」

ゴッホもデッサン!

 

 

ゴッホ「靴」

「ゴッホは蚤の市で古靴を買い、雨の日にそれを履いて歩き回り、泥だらけになった靴を忠実に写し描いたという。」

相方にそう伝えたら、渋い顔をされた。

 

 

ゴッホ「レモンと籠と瓶」

「この頃ゴッホは、同じ系統の色を使いながらタッチの違いだけで対象を描き分けようとしていた。」

 

 

ゴッホ「皿とタマネギのある静物」

ゴッホがゴーギャンとを口論し、自分の耳を傷つけ、入院し、一時的に退院後まもなく描いた作品。

 

 

ポール・セザンヌ「りんごとナプキン」

どうみてもセザンヌ。

 

 

ポール・ゴーギャン「花束」

娘を亡くし、心臓麻痺を繰り返し、金銭問題を抱え、自殺未遂となった前後の作品。

 

 

この後、隣の新宿野村ビルでランチしたのは明日UP。

 

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皇居三の丸尚蔵館(第2期)

2024年01月09日 | 美術

 

尚蔵館は、平成元年、代々皇室に受け継がれてきた美術工芸品類が皇室から国に寄贈されたのを機に建設された。

 

2023年11月3日~12月24日の第1期「三の丸尚蔵館の国宝」は、昨年訪れ、すでにご報告
今回は、第2期:「近代皇室を彩る技と美」2024年1月4日~3月3日で、以後、第3期、第4期と続く。

 

東西線の大手町駅から延々歩いて、大手門の入口へ。皇居東御苑へ入る人と一緒に9時からの開門を待つ。

 

さすがどっしり、立派な大手門。江戸城本丸登城の正門だっただけある。

 

入ってすぐに尚蔵館。

尚蔵館開館記念展の第2期の開始日1月4日、いの一番に駆け付けた。前から4人目だった。残念!

予約済の30分毎の組に分かれて並ぶ。70歳以上(年齢確認して)無料がうれしい。写真手前がさらに拡張工事中。

 

今回は空いていたので、写真とりまくり。

以下の収蔵品の説明は会場の案内を元にしている。

なお、尚蔵館の収蔵品の内容はネットから検索できる。

 

 

「金魚」(明治時代、瑪瑙(メノウ))と、「ジャボン製蒔絵菓子器」(明治時代、乾燥させた果物のジャボンの皮や、ガチョウの卵などに蒔絵を施し、菓子器や盃にしたもの)

 

「菊に小葵蒔絵手焙(てあぶり)」

 

「仁徳天皇難波宮居之図、中将試木本末之図」(明治時代、瀧和亭(たき・かてい))。

 

「赤枝珊瑚樹置物」(明治時代) 貴重なモモイロサンゴ

 

「銀製御髪ブラッシ」(鴻池美術店、明治~大正時代)。本当にこんなもの使っていたのだろうか。

 

「七宝藤図花瓶」(明治~大正時代、並河靖之) 珍しく地味。

 

「金製ケース付き鉛筆」 鉛筆も金のケースとはさすが皇室。

 

「杜若(カキツバタ)に白鷺」

 

「雪の日」(昭和時代、川合玉堂)。

昔昔、JR青梅線御嶽駅から徒歩5分の玉堂美術館に行ったとき、川合玉堂が小学生の頃に書いた絵があって、その完成度に、間違いなく天才だなと驚いた。

 

 

初日だからか、正月4日だからか、前回より空いていて、第二室もこの程度。

 

「熊坂長範」奈良一刀彫の名工・森川杜園作。杜園は、絵師、奈良人形師、狂言師の三職を生業とした。

木彫りの上に日本画絵具で彩色し、すべて木製。ただし、一刀一刀魂を込めて彫るという意味の「一刀彫」で多種多様なノミを使い分ける。

 

 

「宮城二重橋の絵」 遠く二重橋右側の「中門(西の丸玄関門跡)」や、手前の「正門石橋(眼鏡橋)」の右が立派に見える。

 

「青山練兵場の絵」 (現在の明治神宮外苑、代々木公園など)。日本軍は都心にこんなに広い軍用用地を確保していたのだ。

 

「色絵薔薇に鸚鵡(オウム)図花瓶」 (江戸時代後期~明治時代初期、薩摩焼)

 

「蘭陵王置物」 (雅楽「蘭陵王」の舞姿、海野勝珉作)

高度な金属の着色加工や、象嵌、打ち出しなど多彩な金工技法を駆使。

面を取り外すと

 

「唐花唐草文象嵌(ぞうがん)花盛器」(明治24年、金沢銅器会社)

口縁の表裏には平象嵌の文様、胴部には黄や赤、緑の色金を象嵌。

 

「色絵金彩菊貼付香炉/花瓶」(陶磁器、薩摩焼の十二代沈壽官)

 

「日出処(ひいずるところ)日本」(1940年、横山大観)。幅5mはあろうかという大作。

 

「猿置物」(1923年、高村光雲、サクラ材:木彫)。猿が雅楽の祝言曲・三番叟を舞う。

 

「大正度 悠紀地方風俗歌屏風」(1915年、野口小蘋)

悠紀屏風は新天皇即位の儀式で用いられる屏風。大正度の悠紀地方には愛知県が占いによって選ばれた。

 

ゆっくり、椅子に座りながら見て、30分。

この後、前回回らなかった「皇居東御苑」の「二の丸庭園」を訪れた。

 

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マチス展に行って、ついでにパンダを拝んで来た

2023年08月07日 | 美術

 

ネットで予約して上野の東京都美術館でのマチス展を見に行った。

これほどマチスの生涯の作品が一度に見られる機会はもうないだろうと言われている。

8月20日までだそうだから、まだ間に合う。

上野駅の公園口に出て、動物園の方向に進むと、変わった建物のスタバがあった。ちょっと覗いてみたかったのだが、先を急ぐ。

 

9時半開館で、20分ほど前に着いたが、既に結構ならんでいる。

 

地下には若いころの作品が並ぶ。センスの塊のようなマチスも、色彩感覚は優れているがごく普通の作品を描いていた。

 

1階はフラッシュなしなら撮影可能。スマホを構える人が目立つ。へそ曲がりな私は、ごく好きな作品だけにする。

 

 

手前の右手の大きなこと。のびやかに、いかにも心地よい眠り。

 

私でも描けそうな気がするが、マチスは10回以上描いては消しているそうだ。

 

ゴタゴタいろんなものが描かれていて、どうかなと思うのだが、窓(額?)もあって、マチスらしく思えて好きな絵のひとつだ。

 

3階は老年期で身体が不自由になり、切り絵に変えてからの作品が並ぶ。ピントくるのも、こないのもあるが、ともかくマチスなのだとマチス信者の私は思う。

 

ヴァンスにあるマチスが作ったロザリオ礼拝堂の紹介コーナー、上映があった。

私は2014年に南仏に旅行したときに、この礼拝堂に入ったが、内部は撮影禁止でまともな写真がない。

代わりに(?)、その前日に訪れたニースにあるマチスの墓の写真を載せる。

いかにも重い墓石。後で亡くなったマチスの奥さんを埋葬するために、クレーンで墓石を持ち上げたそうだ。

 

東京都美術館を出て上野駅に向かう途中、隣の上野動物園の正門を見ると、11時前のせいか、列ができていない。「入って、パンダだけ見てみる? 子供のパンダがもうすぐ中国へ帰っちゃうじゃない?」と聞くと、暑さで元気のない相方も、「行ってみる?」と疑問形で返してきた。

 

公園口、正門から並ばずに入る。小学生の遠足以来だから70年ぶりだろうか。

65歳以上は300円と異常に安い。年間パスポートでも一般2,400円、65歳以上なら1,200円と安すぎる。

入ったところは東園で、パンダは西園と聞いて、そのまま「いそっぷ橋」を渡る。不忍池一杯のハスが見える。

 

西園に入り、橋を渡ってすぐのパンダの森に並ばずに入る。ガラスの向こうのパンダを見る。

初めて見るパンダはでかい! 確か、ジャイアントパンダという名だ。

ムシャムシャと笹の葉っぱなんか食べてる。ドレッシングもかけずに。

 

もう一匹はと見ると、木の陰ですねてる。

こちらも食事中。やはり、でかい! 熊ぐらいある。これが可愛いか?

どちらがどちらかわからないが、リーリーの体重は138.4kg、シンシンの体重は125.3kgだそうだ。

 

これで満足と、帰ろうと思ったら、行列が見えた。係りの人に聞くと、双子の子供パンダは約30分の行列だという。

せっかく70年ぶりに来たのだからと30分並んだ。周りで常連のマニア達が「今日は何時に来たの」「昨日はいなかったじゃないの」などあいさつしていた。いったい何している人達なのだ。

 

20人ほどの人数に分けられて、建物の中に入って、5分位観覧させていただく。

監視カメラの映像で個体を明確に識別するため背中に緑の印をつけているのがオスで、2歳(約762日歳)のシャオシャオで、それでも私とほぼ同じ体重の62.2㎏。

 

メス2歳(約762日歳)のレイレイは68.2㎏。

 

枝に腰かけていたのだった。

こちらが上野動物園提供のYouTub動画

 

 

あとは、アフリカのケープ地方に生息する体長約70㎝の中型ペンギン、ケープペンギンの傍を通り過ぎて、

 

ともかく、お気に入りのハシビロコウだけは見たい。

チョコマカしていて、「君! イメージが違う!」

 

そうそう、そのポーズで停まって! そう、その陰険な目つきのままで、しばらくお願い!

満足して、そのまま池之端門から出て、千代田線根津駅、このあたりで生まれたはずだが、から帰った。

 

 

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あこがれのガレ

2020年08月23日 | 美術

 

「200万円!」思わず口に出てしまった。

 

ふらりと入ったアンティークショップ。見入っている彼女は、1個のランプをそんな大金出して本当に買う気なのだろうか。

「まずこの値段では手に入らない」とますます話に力がこもる店主。憧れのガレ制作のバラのランプに囚われてしまった奥さんは、すっかり買う気になっている。確かに淡い朱色のバラがほんのり輝くランプは上品で手元に置きたくなる品だ。良く行くガラス工芸美術館のショップにある鮮やかすぎる商品とは違う。

大変なことになってしまった。定期を解約して、そしてさらに……。「う~ん」何とかなると言えば言えるのだが、それにしても。

 

「ねえ、買いたいんだけど」と言われて、弱みを握られた私が拒否できるわけがない。「え? 弱みといっても何かいけない事したわけではありませんよ。惚れた弱みということです」

「そこのデパートで今、ランプ展をやっているから、それを見てから決めようよ」と言うのが精一杯だった。

 

そして今、ベッドの脇には、いかにも品の良いガレの「ばら文(もん)ランプ」がある。

 

写真になってしまったのだが。

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恵比寿のギャラリー・マールへ

2020年06月24日 | 美術

今年で10回目となる「東日本大震災被災地支援・チャリティー展 X思い出」が行われている恵比寿駅東口すぐのGALERIE Malleへ行った。

6月20日(土)13時頃のことだが、渋谷駅の込んでいること。井の頭線渋谷駅改札からの通路。人波が途絶えるのを待ってパチリ。

何か月か、久しぶりの電車、駅、通勤していた数年前にくらべれば半分ほどだが、近づいて来る人が皆コロナに見えて、身体に力が入る。

 

東急方面へまっすぐ進み、突き当たってちょっと右に折れて、JRの改札を見たので、思わず入ってしまった。

ここ玉川改札は新宿方面の山手線外回り(上り下り2本ある線路を電車は必ず左側通行する)だ。恵比寿へ行くのには改札を入ってからホームを歩き、階段を登って反対のホームへ行かなければならない。もう完全にお上りさんだ。

ちなみに、この改札名は、昔昔「玉電」の渋谷駅があったことに因むものだ。「お若いの、「玉電」を知らない? 東急玉川線と言って、路面電車が走っていたんですよ、ここにも。いまでも世田谷線が残ってるでしょう」

 

本題は2,3行で済むのに、話がなかなか進まない。恵比寿駅東口で幼馴染と待ち合わせて、数分歩きギャラリー・マールGALERIE Malleへ。

写真で見ると雰囲気ある画廊だが、ごく小さくて8畳間ぐらいだろうか。数組の人が鑑賞中。

 

数十の特徴ある作品の中に、お目当ての作品があった。イラストレーター・中村豪志氏の作品だ。

右下には「中村豪志 今頃どうしておいでだろうか   」とある。月から、かぐや姫が地球を眺め、想いを馳せている。いつものウサギも2匹。

 

焼きおにぎりに塗って食べたらおいしかろうと、宮城県で一番の唐辛子農家という「よっちゃん農場」の自然発酵調味料をご購入。

 

駅近くに戻りスタバへ。向かいのビルの壁にごひいきの伊坂幸太郎の本「逆ソクラテス」の看板が。

小学生の話らしいので、遠慮していたが、集英社の特設サイトを今覗いたら、短編5編のうちの1編「逆ソクラテス」がまるまる読めた。「やっぱ、伊坂幸太郎じゃあーりませんか」。オモロイ、読みたいと今頃図書館へ予約したら約300人待ち。「アジャパー」。

 

スタバはばっちり感染症対策。高齢者は外の席へ。

一つ置きの席しか空いていないので、L字のコーナーに座って暫し歓談。

これだけの話を引っ張って来て、ゴムも伸びきって、「ハイそれまでョ」。

 

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マティスに感謝

2020年05月04日 | 美術

絵画を見ることが好きだ。

印象派の父とも呼ばれるマネが好きだ。初期の挑戦的な作品も良いが、絵の具をポンと置いただけなのに離れてみるといかにも人影に見えるなど荒いタッチの晩年の枯れた絵も良い。

また、抽象画は夢中にはなれないが、印象派や、後期印象派の個性的な絵はじっと見ていて飽きない。眠れない夜は画集を眺めて静かな気持ちになってから寝入る。

 

どうしても一人選ぶということになると、マティスになる。
簡潔な表現で色彩のセンスが抜群だ。

中学の図工の時間に教師がマティスの絵を掲げどう思うかと聞いた。私が「立体感がない」というと教師が渋い顔をした。他の人が「影がない」と答えると、教師は笑みを浮かべ、「そうです。影がないが立体的に見えるでしょう」と言った。私は“影がない”イコール“立体感がない”と思い込んでいたのだが、確かに教師が正しかった。

 

マティスの野獣派時代の乱暴とも言える鮮やかな色彩の夫人の絵。中期の、窓と鮮やかな模様の壁を持ち、植物が配置された粧飾的な絵。華やかさ、楽しさ溢れるセンスの良いこれらの絵は魅惑的だ。

 

さらに1作品だけと言われると、エルミタージュ美術館にある「ダンス(Ⅱ)」ということになる。

五人の女性が裸で手をつなぎ、うねるように輪になって踊っている。背景は緑の大地と青い空のみ。人物も縁取りされた褐色一色。単純そのものの絵だが、躍動感いっぱいだ。互いにしっかり手を取り合っているが、手前では少し離れている手をいっぱい伸ばしてつなごうとしている。単純で伸びやかで力強く、人生の喜びに溢れる絵だ。

ニューヨーク近代美術館にも同様な「ダンス(Ⅰ)」があるが、(Ⅱ)より淡い色で描かれている。

 

さらさらと描いたようだが、充分な計算、繰返す修正、微妙な調整の成果なのだろう。

こんな絵を見ることが出来る幸せに、そして、創りだしたマティスの努力に、さらにその才能を産み出したものに感謝したくなる。

マティスの墓を訪れた時、感謝をささげた。

 

                                             

 

 

 

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マリー・ローランサン展を見る

2014年06月18日 | 美術

「三鷹市美術ギャラリー」で4月12日(土)~6月22日(日)まで
行われている「マリー・ローランサン展」を見に行った。

いつも会期末ギリギリに行くので、このブログに書くころにはほとんど会期が残っていないことが多い。

パリ生まれのマリー・ローランサン(1883-1956)は、
つかの間の爛熟した平和のひととき、「狂乱の1920年代」の
パリで有名になった女性画家の先駆者だ。
パステルカラーの簡潔で優雅な色使いで、夢見る乙女を
淡く柔らかく描き、日本でも、特に女性に人気だ。






本展では、初期の自画像から始まり、独自の作風を確立後の
優雅な女性像を中心に約70点を展示している。
数としては、デッサン(リトグラフ)など小品が多いが、
ため息がでそうな色使いの少女像も並ぶ。


私は今回初めて知ったが、、長野県茅野市の蓼科湖畔の
マリー・ローランサン美術館は、観光客減少のため2011年
9月30日閉館したそうだ。問題もあったようだが、作品に罪はない。
残念!
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静嘉堂文庫美術館で松浦武四郎展を見る

2013年12月05日 | 美術
幕末の北方探検家・松浦武四郎の生涯紹介と蒐集品の展示が行われている(12月8日まで)、
静嘉堂文庫美術館へ行った。

今年の3月にも茶道具を見にいったのだが、あの時は成城学園前駅からけっこう長くタクシーに乗った。

今回は、二子玉川駅からタクシーで10分ほど、こちらの方が近い。

松浦武四郎は、北海道の名付け親でもあり、1845(弘化2)年から1858(安政5)年まで6回、東西北蝦夷、クナシリ、エトロフ、樺太までを探査した。また、全国を旅して考古遺物を蒐集した。
今回の展示は、彼の生涯と蒐集物が展示されている。絵を描くことに巧みであって、珍しい物やアイヌなどの細密な描写絵も多く展示されていた。
それにしても、貴重な物を一人でよく集めたものだ。また、68歳で奈良県の大台ケ原lを探検するなど驚異的なエネルギーだ。

市街地に囲まれた広大な敷地には樹木がいっぱい。



帰りは美術館を出て、



振り返ると、



右手には文庫があり、



円池の周りが駐車場



門までは木々に囲まれた道を歩く



上を見上げれば、イチョウがまぶしい



久しぶりにのんびりした時を過ごしました。




























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曜変・油滴天目茶碗を拝みに

2013年03月23日 | 美術
3月20日、下北沢駅の小田急線下りホーム。各駅の次に「通過」とある。



下り方向を見ると、歩道橋の上にカメラを構える人が。



はたと気がついた。24日から下北沢駅は地下ホームになるのだ。通過するロマンスカーを待ち構えているのだ。
途中追いぬかれたロマンスカーは、古い型だった。子供の頃、線路脇に住んでいて、ピー、ポーと聞こえると見に走っていった私も、鉄爺とはならなかったので、興味なし。

成城学園で降りて、タクシーで静嘉堂文庫美術館へ。敷地内に入ってからも林の中を通って、入口へ。



休憩所から庭をパチリ。



館内撮影禁止。今回は茶道具がメインで、目玉は「曜変天目」。なにしろ、世界に4点しかなく、中国で作られたのに、4点とも何故か日本にある。そして、もっとも見事に虹色に輝く曜変天目が、ここ静嘉堂文庫美術館にある。
だいぶ前にも見たこと有り、感激した。そして、大阪の藤田美術館に出張の合間に行ったのだが、休館日で、曜変天目を見られなかったことを思い出した。

今回、曜変に次ぐといわれる油滴天目も展示されていたが、これがまた良い。茶碗の外側にも油滴があり、光があたって碗が透き通ったように見えて、見事だった。

もう一つ、ご機嫌だったのは、付藻茄子(つくもなす)と松本茄子(紹鷗茄子)。大阪夏の陣で大阪城と共に消失したと見られたが、焼け跡から探しだされ、破片から見事に修復されたものだ。家康が修復の見事さを讃えて、塗師に下賜した書状と共に展示されていた。破片がわかるX線写真もあったが、粉々の破片を、こんなにも見事な形に修復した腕に5つ星。

建物を出て、左手に、



大木に傍を通って、





え! こんな所をくぐるの? と思う狭い通路を通って、裏庭へ。



都内とは思えない木々。



階段を降りて、



林の中を散策。





結構敷地は広く、



岩﨑家廟もある。



上の道から下の道に出る坂道は、ハイヒールの人には大不興をかうので注意。





川を渡って、



正門を出てバスで二子玉川の高島屋へ。



レストランはどこも満員で、最上階11階へ行くが、高すぎる(何が?)ので、10階へ降りる。





なんと読むかわからないところに入り、



マルゲリータとボンゴレを2人でシェアー





ジュースと合わせて、4500円。二子玉の高島屋で上の方に行くと、美味しいが高い。

田園都市線の二子玉川駅からご帰宅。



以上、長々でした。



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日本橋の三井記念美術館へ

2011年06月20日 | 美術
日本橋の三井記念美術館の所蔵品展を見に行った。
本来は「特別展 ホノルル美術館所蔵『北斎展』」であったが、東日本大震災によってホノルル美術館が中止を申し入れたため、所蔵品展に変わったのだ。こんなところにも、東日本大震災の影響があった。

国の重要文化財でもある三井本館の7階にある。場所は江戸時代の越後屋跡地だ。



入口は隣接する日本橋三井タワーから入る。



左手に曲がると三井本館に入る。



エレベータはじめ内装は重厚。




入場券は入館料1,000円(70歳以上800円)。



展示室1から3とため息の出るような茶道具が並ぶ。長次郎の「重要文化財 黒楽茶碗 銘 俊寛」が展示されていて、他にも楽茶碗が多い。茶室「如庵」の壁には細筆で細かく書かれた書が一面に貼ってあり、面白い壁模様になっていた。霊元天皇の書や、「赤楽茶碗 銘 鵺」が改まった気持ちにさせる。

展示室4、5,7は絵画だ。重要文化財「日月松鶴図屏風」や、重要文化財「東福門院入内図屏風」がある。
沈南蘋(しんなんぴん)による「花鳥動物図筆」が十一幅並んでいるが、極彩色で好みではない。猫の顔がつぶれてブサイクで笑える。土佐光起の「女房三十六歌仙帖」は、細密過ぎてついそのことに目がいってしまう。

展示室6には切手が少々展示されていた。何でも30万点の収集品を所蔵しているという。

人影まばらだろうと思ったのに最終日のためか、展示品の前には必ず人がいるといった程度に混んでいた。帰り道にあった古い金庫の扉。



付属のミュージアムカフェで昼飯。うどんがなかなか上品で美味。コーヒー付きで各1030円。







美術館付属のレストランは少々高めだがきれいで美味しいところが多い。


一階に降りたら、千疋屋があった。千疋屋といえば銀座だと思っていたが、本家は「千疋屋総本店」で日本橋本店が三井タワー内にあるのだ。明治14年にのれんわけしたのが銀座千疋屋とのことだ。



マンゴー2個、26,250円をパチリ。オーストラリアでよく食べたマンゴーは確か100円ちょっとほどだと思った。向こうの知人にこの写真を送ってやろう。



この後、貨幣博物館に寄ったが、この話は次回。


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