hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

中島京子『小さいおうち』を読む

2011年02月28日 | 読書2


中島京子著『小さいおうち』2010年5月文藝春秋発行、を読んだ。143回直木賞受賞作。

戦前の東京市西部の中産階級家庭、赤い三角屋根の洋風の小さい家で、美しい奥様と過ごした住み込みの女中タキが、60年以上の時を超えてかっての日々を振り返る。
奥様は再婚でぼっちゃんが一人、やさしい旦那様と3人家族。2畳しかないがタキの部屋もあり、 この家に最後まで仕えるつもりのタキ。
しかし、戦争が激しくなってタキが郷里山形へ帰り、やがて戦争が終わるまでがタキの口で語られる。最終章では、健司が大叔母タキの過去を訪ね、秘密を問いかけることになる。



中島京子の略歴と既読本リスト



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

特に何がおこるでもない。丹念に戦前の生活を描いていく手作りの小説だ。戦争になだれ込んでいく時代にも庶民は楽しみを、美しい物を求める生活があった。とくに奥様はきれいなものが好きで、自分もきれいで、人を好きにしてしまう人だった。
奥さん、旦那さん、部下の青年、タキの恋愛模様が暗示されるが、今時の“驚愕”“感動”の小説と比べると驚くほどのものでもない。つまり、この家の3人家族とタキの物語であるが、主役は戦前の中産階級の暮らしぶり、生活感覚の歴史そのものだ。



楽天ブックス著者インタビューで中島さんはこう語っている。

構想を練り始めてから執筆にかかるまでに約2年ありましたので、その間に神田の古本屋や国会図書館、ネット書店などで、その時代のものを探したりしました。女中さんが出てくる話、という構想は割と早くから決まっていたため、有力な情報源となったのはやっぱり当時の婦人誌ですが、当時のレストランガイドや旅行案内なども読みました。・・・とにかく登場人物が本当に読んでいただろう資料を使って書きたい、と思ったので。
歴史の年表のような大枠だけが後に残り、後世に伝えるほどのことじゃない小さなことは押し流されてしまう。でも、小さいところにむしろ、時局の雰囲気がよく表れていると思います。物語には出てこない、こうした市井の人々のエピソードに多く触れたことで、戦時中とはいえ、私たちとは一線を画した人々が眉間にシワを寄せてストイックに生きていた、というわけではなく、今と同じように笑ったり喜んだりして生きていたことが実感できて、知ってよかったなと思います。



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お蕎麦の名店?へ

2011年02月26日 | 食べ物
JR荻窪駅から歩いて10分ほどの「本むら庵」へ行った。このあたりでは(どのあたり??)お蕎麦がおいしいと評判の店だ。


外観はなかなか立派。



中も広々としていて、70名は入れるようだ。席が開くのをいろりに座りながら、ソバを打つところが見られるようになっている。月曜日の昼頃で、店は空いていたし、そば打ちはやっていなかった。



私は山菜ぞば



奥さんは山かけそば、いずれも997円。



山菜はたっぷり入っていたし、味も結構。ソバは腰がなく(?)箸で簡単に切れるのだが、そば粉の塊(?)がブツブツしてなかなか美味だった。



いつもは余りが回ってくる相方を見ると、そば湯を入れて飲み干して、底が見えていたので、山かけもおいしかったようだ。


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村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を読む

2011年02月24日 | 読書2
村上春樹著『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』2010年9月文藝春秋発行、を読んだ。

1997年から2009年にかけて(『アンダーグラウンド』刊行直後から『IQ84』のBOOK1,2を書き終えた時期)の、村上春樹へのインタビューを18本集めたものだ。村上春樹は国内ではインタビューしないと思っていたが、内7本は国内でのものだ。
作品そのものについては読者に任せ、著者自身の解説を語ることはないのだが、創作の背景、その思いなどを少しでも正確に伝えようと誠実に対応している。村上春樹、その者、その生活もかなりはっきり浮かび出て、愛読者には見逃せない本だ。

あとがきで村上春樹は語る。
小説家になって三十年以上経つが、これは僕にとって最初のインタビュー集になる。・・・新刊が出てから数カ月は、その本については何も語らないということも、僕のひとつの基本方針になっている。

あるいはまたその物語が生まれた事情や経緯に、多くの読者は興味を抱かれるかもしれない。執筆に関わるちょっとしてエピソードを披露して、それなりに楽しんでいただけるかもしれない。・・・僕は創作のプロセスや、執筆の技法のようなものを秘密にしようというようなつもりはないので、そういうテクニカルなものごとについて語ることには、まったく抵抗はない。尋ねられれば、そしてもしそれがうまく言語化できるものごとであるなら、なんでも正直にありのまま答える。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

村上春樹がどのようにして小説を書くのか、どんなふうに考えて次々と違うタイプの小説を産み出してきたのかを率直に、なんとか言葉で説明しようと誠実に努力している。

夜10時には寝て、5時に起きて、午前中は小説を書いて、午後からは本を読んだり、身体を鍛えたり、極めてストイックな生活を送っている。

「小説を書いているときは特殊な人かもしれないが、普段の時はごく普通の人だと自分では思っているので、街を歩いていて突然『村上さんですか?』などと言われると、一瞬変な気がする」などと語っている。

ファンにはお勧めだ。小説というものは、それを読むだけでも充分なのだろうが、たまには横から見てみると、その深さがよくわかるような気がして、味わいが増す。



以下、私のメモ

スプートニクの恋人
小説はどう読んでもいいものだけど、僕から見ると多くの人はこの『スプートニクの恋人』という小説をストーリー中心に読もうとしすぎているんじゃないかという気がします。
・・・
「ぼく」と「すみれ」と「ミュウ」とにかくこの三人だけ設定して、何がどんなふうになるかはわからないけれど、ともかく文章コンシャスでもっていく。・・・一種の文体のショーケースみたいなものですね。
・・・
僕は徹底的に書き直します。『スプートニクの恋人』だって、書き上げてから一年以上かけて、何十回か書き直している。


海辺のカフカ
人間の存在というのは二階建ての家だと僕は思ってるわけです。一階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話たりするところです。二階は個室や寝室があって、そこに行って一人になって本読んだり、一人で音楽聴いたりする。そして、地下室というのがあって、ここは特別な場所でいろんなものが置いてある、日常的に使うことはないけれど、ときどき入っていって、なんかぼんやりするんだけど、その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんです。・・・ただ何かの拍子にフット中に入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。

(外国の人の質問は)「謎が謎として残っていくというのは、それは日本的なことか」という質問が多いです。


カーヴァーについて
小さなフラグメントから始めて、それをどんどん自由に膨らませていって、ひとつの物語にする。第一稿はほとんど一息で書いてしまう。書き終えてから何度も何度も書き直す。情景をなるたけヴィジュアルに書き込む。文章を必要以上に重くしないで、物語のフットワークを快活に保っておく。説明しすぎない。物語にすべてを語らせる、はっきりとした起承転結はつけないけれど、物語が始まって終わったという感覚がそこにはなくてはいけない。そういうようなところでは、僕とカーヴァーの書き方の姿勢は基本的に似ているんじゃないかと思います。出来上がったものはとても似ていませんが。


妻の陽子さんについて
僕らはもう三十年以上夫婦として暮らしているし、お互いのことをよく知っています。そして彼女の批評はきわめて的確だし、フェアーです。それは僕にとって幸運なことだったと思います。もちろん夫婦だから、基本的に僕のサイドにたってはいるんだけど、読者としての彼女はあくまで中立的であり、自立的です。・・・あるときはとんでもなく辛辣になる。僕がそれで不快な気持ちになることもあります。というか、頭に来ることだってある。
・・・
・・・日本においては・・・編集者は専門職ではなく、あくまでサラリーマンだからです。しかし、彼女は・・・どこにも異動しない。ずっとそこにいます。よくも悪くも(笑い)。・・・


その他
―村上さんを見ていると、作家でいちばん大事なのは、やっぱり健全な肉体だなと思いますね。(古川日出男)
村上 そうですね、健全な肉体に宿る不健全な魂(笑い)。
・・・
人の精神というのは地表の部分をたかくしようとすればするほど、地下の部分も同じだけ呼応して深くなるわけです。つまり人が善を目指そうとすれば、悪というのは補償作用として必ずその人の中で、同じぶん伸びていきます。




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ブリジストン美術館へ

2011年02月22日 | 美術
「なぜ、これが傑作なの?」というコレクション展示が行われている(4/16まで)ブリジストン美術館へ行った。所蔵する作品のうち代表的な12点をとりあげ、なぜ多くの人に愛されてきたかを紹介するものだ。

入場料は800円だが、私は65歳以上なので、600円。さらにインターネットでブリジストン美術館へアクセスしクーポンを携帯に転送して持参したので奥さんともども100円引き。合計1600円のところが1200円。

今回取り上げた12点は、順路の中に他の作品と並んでいるのだが、作品の脇に詳しい説明板が掲げられている。

印象派、ポスト印象派は、マネ「自画像」、モネ「黄昏、ヴェネツィア」、ルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」、セザンヌ「帽子をかぶった自画像」「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」

その他、マティス「縞ジャケット」、ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」、クレー「島」、ジャクソン・ポロック「Number 2, 1951」

日本人の作品は、岡 鹿之助「雪の発電所」、藤島 武二「黒扇」、小出 楢重「帽子をかぶった自画像」

ブリジストン美術館は小さな美術館だが有名な作品がそろっている。ロダンなどの彫刻、エジプト・ギリシャ石像、印象派・後期印象派の絵画、マティス、ピカソ、抽象絵画、日本の近代絵画など美術史を教科書的にざっと短時間で眺めるには最適だ。私は多分3、4回行っているが、いつも空いていてゆっくり鑑賞できる。
他の美術館では、ひざ掛けして椅子に座ってほとんど寝ている女性がところどころで監視しているだけのところが多いが、ここには、入場者と同じくらいの数の監視人のオジサン、オジイさんがいて、真面目にウロウロしている。ブリジストンの退職者ではないかと思われる。



美術館付属のティールーム「ジョルジェット」に入った。ジョルジェットは、ルノワールの絵のモデルの可愛い女の子の名前。

最近、紅茶に凝っていて、というより凝り始めようとしていて、「カイラベッタ農園のニルギル・シーズナル・ウインタースペシャル」とかいう茶葉を購入した。紅茶のメニューを見ると、アッサムとニルギリがある。味比べるために、両方注文した。



スコーンとセットで800円。



両者の味は、真剣に飲み比べているうちに、どちらがどちらだか分からなくなった。詳しい人に笑われると嫌なので、感想はここに書かない。


壁にはフレスコ画がかかっていた。



ただし、壁に直接書かれた通常のフレスコ画ではなく、壁から剥がされてキャンバスに貼付けられたものだ。石橋正二郎に依頼された長谷川路可(るか)という画家がヴァチカン美術館のフレスコ画を模写したものだ。そして彼はフレスコ画を剥ぎ取る「ストラッポ技法」を習得して、自らの絵を剥ぎとって日本に持ち帰った。このティールームにはその内4点が飾られている。

ストラッポ技法というのは、フレスコの表面にニカワを塗り、ガーゼ布を貼り、乾いたら壁ごと薄く剥ぎとり、裏から削って、カンヴァスに貼り付け、あとはゆっくりガーゼやニカワを剥ぎ取るという方法だ。興味ある方は、画質が悪いが、最後の写真をご覧あれ。

絵の隅を見ると、カンヴァス地が見える。






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雪の勲章

2011年02月20日 | 日記
これが雪の勲章です。




15日(火)は東京でも雪が結構積もりました。久しぶりにはりきって歩道の雪かきをしました。車の通る道路はすでに雪はなく、歩道も翌日にはほぼ乾いていました。
上の写真は17日のものですが、歩道の隅にまだ雪が残っています。散歩すると道には雪がまったくないのに玄関脇などに雪の山が見える家があります。これはほっておけばすぐ溶けてしまう雪を、その家の人が朝早く雪かきした証拠、雪の勲章です。
それにしても、三日たっても足と腰が。 豪雪地帯! 考えられません。

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金井美恵子『猫の一年』を読む

2011年02月18日 | 読書2
金井美恵子著『猫の一年』2011年1月文藝春秋発行、を読んだ。

題名に反し猫の話よりサッカーの話が多い。なかでもサッカーの中田は、というより彼を賛美する人はボロクソに言われっぱなし。その他の有名人、マスコミも辛口批判、というよりほとんど悪口で、当たるを幸いにバッタバッタとなぎ倒す。一方で、飼っている老猫には高額治療も厭わないと自慢する。多分、猫にやさしさを使いきってしまったのだろう。

あまりにもえげつないので、その他の例を二つだけ。
そして、もともと文章の下品な卑しさ加減で知られているとはいえ、『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝が・・・

カルガモの10羽いたヒナのうち2羽が猫に殺されたという立て札を見て、金井さんは「10個も卵を生む動物は無事に1、2羽が育てば大成功じゃないの」と開き直る。


沢田研二も血祭りにあがる。
デビュー当時から、変テコなみっともない衣装をつけて変テコな歌詞と野暮ったい振付で、ポップスというより阿波踊りなのだった。短足で、・・・「イモ・ジュリー」・・・
野暮ったくて田舎臭く洗練を欠いたものについて、「イモ」という言葉は普通使用される。・・・


あとがきで金井さんはこう書いている。
行きつけの美容院の女子は、ヒデさんのことを「金井さんの天敵」というのですが、私が苛立つのはメディアの中で肥大したイメージ(マスコミの作り出した虚像、などという昔風の言葉を思い出しました)で商売しようとするスポーツ関係者なのかもしれませんし、たかだかW杯の16強に残ってPK戦で敗退しただけの結果を、世界的に注目された出来事であるかのように語る、ウソつきの言説に対してなのかもしれません。
ほっておけばいいんですけどね。


20枚ほどの猫の絵が挿入されているが、「装幀・装画・ブックデザイン 金井久美子」とあり、多分美恵子さんのお姉さんによるものだろう。ちょっと好みの絵だ。

初出は「別冊文藝春秋」2006年9月号~2010年11月号



金井美恵子
1947年高崎市生れ。群馬県立高崎女子高校卒。詩人、小説家
1967年「愛の生活」が現代詩手帖賞受賞
1979年『プラトン的恋愛』で泉鏡花文学賞受賞
1988年『タマや』で女流文学賞受賞
著書多数



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

たしかに中田は世界で一流でもないだろうし、あれほどの賞賛を浴びせるのもどうかと思うが、マスコミのいつものやり方に過ぎない。ジュリーも洗練されているとは言いがたいが、一体、洗練された歌手が日本にいるのか? 金井さんがほめる人を教えてほしい。言っていることに大筋では納得しても、その言い方はないだろうと思う。他人の悪口でお金を稼ぐのはいかがかと思う。


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山田風太郎『人間万事嘘ばっかり』(2)に思う

2011年02月16日 | 読書2
山田風太郎著、日下三蔵編『人間万事嘘ばっかり 山田風太郎エッセイ集成』2010年7月筑摩書房発行、の感想は、前日の(1)に書いた。
今回はその(2)として、この本を読んで思ったことを書く。

山田風太郎はこう考えた。
「やりたいことをやる」という人々のまねはとうていできないから、「せめてやりたくないことはやらない」という最低防衛策を考えたにすぎない。
これで無用のストレスからだいぶ逃れることができたと思うが、しかし横着は相当横着である。この横着を通させてくれた人生に私は感謝する。
しかしこの方針をつらぬいてゆくと、私など世にやることが何もなくなる、と七十歳を超えてはじめて私は気がついた。
これは、「したくないこと」をできるだけ、へらさなければならない。
かくて私は女房にくっついて、阿呆面をして花見や紅葉見物に歩くことになったのだ。


私めも、会社務めの間は、多少のことはあきらめて、やりたくないことは出来る限りしない生き方で通してきた。それでもお金をいただき、曲がりなりにもプロであれば、我慢できる限りのことはしてきた。退職すると、寸暇を惜しんでやっていた趣味も、まったく自由な時間だけの中では、熱中できないことが解った。そして、社会とつながりが希薄な日常生活の中では、女房に教えられ、身近な小さな世界の微妙な変化に興味が湧くようになっていった。


山田さんの計算だと、人生65年とすると、
22年間は寝ていて、3年間食い続け、218日トイレにいることになる。
私もまったく同じこと計算したことがある。山田さんに似ているとすると、嬉しくもあり、恐ろしくもある。

戦中派の考える「侵略発言」 山田風太郎の太平洋戦争評価

南京大虐殺
たとえ数千人でも虐殺はあっただろう。(しかし、30万人もの犠牲者があったとは思えない)。誇大と思われる数字でもひたすら受け入れざるを得ないというのがいまの「生きる道」のようである。


私も30万人という数字は根拠薄弱だと思うが、数字については日中の学者間の議論にまかせておけばよい。虐殺があったことは事実なのだろうから、日本の政治家は、数字が違うなどと細かいことを言わず、責務の外交努力をすべき。選挙めあてで日本の聴衆のウケを狙う言動はつつしむべきだ。政治家は結果責任を負う。国会議員は個人の意見よりも国益第一の行動をとるべき。

太平洋戦争
太平洋戦争が侵略戦争だったから悪いと断定することは、すなわち明治以降の日本の歴史をすべて否定することを意味する。(欧米も侵略戦争中だった)
・・・
教科書問題を見ていると、やがて日本は自分たちの国は「恥ずべき」戦争をしたと子供たちに教えかねないと感じている。そんな国がどこにあろうか。繰り返すが戦争そのものは悪であることに異論はない。しかし「恥ずべき」ものであったかどうか、誰が判断できるというのか。
・・・
戦死者は死んでも死に切れないではないか。


あの戦争が悪であったかという判断はまだ私にはできない。しかしただひとついえることは、日本には侵略戦争をする資格はなかったのではないかということだ。・・・それは占領地の民衆を心服させる宗教なり文化なりを日本は持っていなかったからだ。(欧米は街づくりという文化を残している。)(日本には統治能力がなかった。)


私は、まったく無謀な戦争をしたと思う。ノモンハンでソ連の機械化部隊に一方的に負け、中国でも勝利への道が見いだせなかったのに、こともあろうに圧倒的な物量を誇る米国に戦争をしかけるとは、正気の沙汰でない。情報がなく、騙されていた国民は仕方なかっただろうが、恥ずべき国家指導者達であったことは間違いない。死ねば神だからといって、何百万もの人を死に追いやった指導者を祭る靖国神社にもうでる気にはならない。インパール作戦などの本を読んでも、当時の指導者の馬鹿さ加減には腹がたつ。
大東亜共栄圏の名のもとに、アジアを開放しようという考えはあったにしても、山田さんが言うように、日本にその実力はなかったし、それ以上に石油などを手に入れる侵略が目的であったと思える。

ここで、最近の人(?)には誤解があるといけないので説明すると、「戦中派」というのは、太平洋戦争中に10代から20代だった人のことだ。山田さんは終戦の昭和20年に23歳だったから戦中派なのだ。ちなみに、私は終戦時2歳であるから、立派に戦後派なのだ。戦後の自虐的国家観教育を受けた世代なのだ。




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山田風太郎『人間万事嘘ばっかり』を読む(1)

2011年02月13日 | 読書2
山田風太郎著、日下三蔵編『人間万事嘘ばっかり 山田風太郎エッセイ集成』2010年7月筑摩書房発行、を読んだ。忍法シリーズで知られる作家山田風太郎の嘘のような、諧謔に満ちたエッセイ集の最後の5冊目。
今回は、その(1)

字に自信のない山田さんは、色紙に何か書くことはない。たまたまホロ酔い機嫌のときに、出された色紙をおもわす手に取り、金粉の方に何か書いた。どうもおかしいと、裏の白い方にも悪筆をふるった。あとから調べると、ふつうは白い方に書き、目上の貴人などに書いて差し上げるときは金粉のほうに書くということを知った。
(私も知らなかったが、普通の人は、寄せ書きなども白い方に書きますね。)

新進作家に囲まれていた江戸川乱歩が山田さんのところへ来て、
「君はほかの連中と少し変っている。僕はそういう眼で君を見ているからね」と言った。・・・
のちに、自分に推理作家の才能がないと自覚するまで約十年間、若い私を推理小説の世界に縛っていたのは、大乱歩のこの言葉にあったと思う。
さらにあとになって、乱歩没後、いろいろな作家の回想録に、乱歩から私と同じような言葉をかけられたことがしるされているのを読んで、私は唖然としたのだが。・・・


巨人が大好きな山田さんは、布団に入ってラジオで野球中継を聞く。
巨人戦の場合、相手チームが攻撃に回ると、ラジオを切ってしまうのである。そして大体時間を見はからって、巨人の攻撃がはじまったころ、またスイッチをいれる。いっそ、表、裏、ぜんぶ巨人が攻撃ばかりしていたら、負ける心配はないのだが、などと考える。


本屋に行くと、本が読んでくれと叫んでいるような気がする。
自分の本を読んでくれた人に感謝しなければならない。私は、そのうち小説などは、読んでくれた人に著者の方が金を払う時代が来ると思っている。

(まったく。本を読む人より、書く人の方が多いのではと言われる時代なのだから。)

嘘だろうと思う出来事がこれでもかと並んでいるが、最後の自筆死亡記事に驚かされる。
作家の山田風太郎氏が・・・脳溢血のため・・・自宅で死去した。七十五歳だった。(パーキンソン病と糖尿病を患いながら、毎晩オンザロックを欠かさなかったが、)コップを飲み干したあと、バサリと食卓に伏した。夫人が声をかけると、「死んだ・・・」と呟いたという。(週刊朝日1996年8月、本人筆)

実際死去したのはこの4年後。

1 人間万事嘘ばっかり
2 かんちがいもおっかない
3 私の発想法
4 わかっちゃいるけどやめられない
5 風山房日記
6 終りの始まり



山田 風太郎
1922(大正11)年1月、兵庫県養父郡関宮の医家に生れる。
5歳で父を12歳で母を亡くす。
1949年、「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で第二回探偵作家クラブ賞を受賞
1950年、東京医科大学を卒業するが、作家として身を立てる決心をする。
『甲賀忍法帖』『くノ一忍法帖』を初めとする、風太郎忍法を生み出し、忍法ブームをまきおこす。
1973年より『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』『明治波涛歌』など、独自の手法による“明治もの”を発表、ファンをうならせる
2001年7月28日尊敬する江戸川乱歩と同じ日に死去。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

皮肉な見方で世の中を見たり、驚くほどの自虐ネタを打ち出したり、私はかなり面白く読んだ。しかし、真面目な人、というより真面目過ぎる人には反感を買うかもしれない。
まあ、ともかく貴重で絶滅品種の奇人だ。

自宅でコマーシャルの撮影をさせてくれという依頼があったが、山田風太郎はにべもなく断った。しかし、「モデルは扇千景さんですが」との言葉にあっさり前言を翻し了承する。昭和42年、扇千景、花のさかりのときだ。撮影が終わり、スタッフからの声で2階から駆け下りて、おもわず着替え室になっていた応接間のドアを開けた。ちょうど、扇さんが着替え中だった。

私も似たような経験がある。小学校低学年の頃のことだ。自宅の門のところで映画を撮影するので、ロケ隊に一部屋貸すことになった。十朱幸雄(とあけ ひさお、十朱幸代のお父さん)と、名前がわからないが、ものすごく美人の女優さんがいて、子供心にもドキドキした。廊下の端から顔を出したら、ドアが開いていて女優さんのいる部屋が見えた。着替え中だった美人女優は、ちらりと私の方を見て、「なんだ子どもだ」と思ったのだろう、そのままスカートをめくって、着替えを続けた。私は雷に打たれたようにびっくりして、思わず顔を引っ込めてしまった。私は一人っ子で、母親も子どもの前では着替えないような人だったから、「あんなにきれいな人がドアを開けたまま着替え、人前でスカートを平気でめくるのだ」とショックだった。思えば女性不信に陥ったきっかけになった事件だった。

長くなったので、その(2)に続く。


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白石一文『砂の上のあなた』を読む

2011年02月11日 | 読書2
白石一文著『砂の上のあなた』2010年9月新潮社発行、を読んだ。

『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞した白石一文の受賞後第一作の書下ろし。

主人公の美砂子は、結婚後も仕事が面白く、子どもをほしがる夫には、「こんな時代に子どもを産むなんて」と言って拒否していた。3姉妹でもっとも愛された末娘、35歳の美砂子は、父の死後、どうしても子どもが欲しくなる。仕事もやめ、基礎体温を測り、体調やスケジュールの管理をし、この日という日を指定する。夫婦に微妙な溝が生じる。
そんな時、突然、父が遺した手紙を渡したいと見知らぬ男から電話があり、平凡な日常は波乱に飲み込まれていく。

ミステリータッチで進む前半が、様々な人々が入れ替わり立ち代わり登場し、そのすべてが、実はという形で、網の目のように繋がっている。相関図でも書かないと混乱する。

白石一文『砂の上のあなた』刊行記念インタビューで著者は語っている。
ですから、この小説自体も、一度読んだだけでは分からない部分が残るように、とにかくごちゃごちゃした感じを出したいと思って構成しました。読んだ後、何が書いてあったかはよく分からないけど、すごく強いイメージだけが残るような、そんな小説にしたかったんです。




白石一文(しらいし・かずふみ)
1958年福岡県生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。
文藝春秋勤務を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー。
2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞
2010年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。
他に『不自由な心』『すぐそばの彼方』『僕のなかの壊れていない部分』『私という運命について』『どれくらいの愛情』『この世の全部を敵に回して』『砂の上のあなた』など。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

何しろ登場人物が次々出てきて、それが互いに何らかの関係で結ばれている。記憶力をテストされているようだ。

魅入られたように子作りに励む彼女が自分の体調に神経を尖らしたり、相手の言い方にその感情の揺れを汲み取ったりと、女性でないと分かりそうもないことを描いている。(巧みなのかどうか、私には評価する力はないのだが)。しかし、女性心理をメインにするなら、なにも男性作家が書くことないのにと思ってしまう。現在は、優れた女性作家(昔は閨秀作家とか言っていた)は山ほどいる。

描かれる男性は勝手で弱さを持ち、女性は危うさもあるが、生命力に溢れている。そこかしこに、男女や、人生に関する思索的な文章が挿入されるが、本文の筋道にはぴったりしていないように思う。


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カフカ『万里の長城』を読む

2011年02月08日 | 読書2

カフカ著、池内紀訳『カフカ・コレクション ノート1 万里の長城』白水Uブックス、2006年9月、白水社発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。

カフカ・コレクションの「ノート」は、作者自身が書いたときの姿に限りなく近い形で再現されている。したがって作品の成立過程がはっきりと見てとれる。読者は小説家カフカの秘密、未知の面白さを発見することができる。「ノート1」は、手稿の前半部分から16篇を収録。



内容は、いつものように夢の中のような話が多く、55ページの「ある戦いの記録」をはじめ、ショートショートのような極短いものも多い。2ページほどで中断されている「屋根裏部屋で」や、「鉱山本部」、「雑種」、「隣人」、1ページちょっとの「橋」や、半ページほどの「小ねずみ」「だだっこ」「蛇」などだ。

池内さんの解説から引用する。

(万里の長城は、)全労働者が約二十名からなる班を組み、各班がほぼ五百メートルの城壁を担当する。べつの班が同じく五百メートルを受けもって、反対側から工事を進めてくる。担当分が完了したのち、各作業班はできあがった千メートルの城壁に引きつづいて次の工事に入るのではなく、全然別の地へと送られた。
・・・大工事はいつまでつづくかわからない。何か月、何年にもわたって石を積み続ける。・・・工区完成の高揚した気分のままに、別の地に移る。・・・
ここに語られていることは、実を言うと、そっくりそのまま長編『審判』の書かれた過程にあてはまる。・・・工区分割方式によって終わりが先に書かれていたが、にもかかわらず小説は「手つかず」の個所を残したまま放棄された。



カフカが生前発表した作品は短編集二冊分にすぎず、『アメリカ』、『城』、『審判』の3大長編、短編、厖大なメモなどが残されていた。親友のマックス・ブロートは困難を乗り越え、全集を無報酬で刊行した。
作家でもあったブロートは、自ら「書き間違い」として様々な訂正、修正を加えた。カフカの原著は、順番通りに書かれていないので、自分で章の順番を決定したり、日記の中のエピソードから短編を作ったりした。
そこで、近年、この本のように原著作に近い形での再構成がさまざまに行われている。



カフカ Franz Kafka
1883年―1924年。チェコのプラハ生れ。両親ともドイツ系ユダヤ人。
プラハ大学で法学を専攻。卒業後は労働者障害保険協会に勤めながら執筆に励む。
結核で41歳で死去。

代表作『変身』、『審判』、『城』、

その他、『絶望名人カフの人生論

池内紀(いけうち・おさむ)
1940年、姫路市生れ。ドイツ文学者、エッセイスト。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

訳者の池内さんが、最後に書いている。

仕事場にしたのはプラハ市中を流れるモルダウ川を渡った先、・・・およそ寒々しく、使い勝手が悪いので、借り手がいなかったしろものである。
勤めからかえると二時間ばかり仮眠をとり、夕食のあと、小さな包みをもって両親の家を出る。橋を渡り、何百もの石段を上がっていく、包みには、ちょっとした夜食と小型ノートが入っていた。夜ふけまで小説を書き、また翌日の出勤にそなえて市中の家にもどってくる。凍りつくようなプラハの冬に、どのような気持ちで執筆に励んでいたのか、感慨めいたことは一切述べていない。いずれにせよ、コッペパンに小さなノートの包みをぶら下げ、長い石段をのぼっていく姿は、二十世紀の文学的風景のなかで、もっとも美しい一つではなかろうか。



現代は純文学の危機と言われて久しい。危機とは何だ? 本が売れないことか? 純文学とは? 革命的、画期的文学がそうそう出現するものだろうか? 
膨大な数の似たような小説のクズ山のなかで、もしかしたら既にもう、人知れず密かに純文学は生まれて、そして埋もれたままになっているかもしれない。そんなことをカフカは思わせてくれる。
若い美男、美女が華やかにデビューするのでは、純文学ではない(?)。さて、私も、暖房を切った4畳半の裸電球の下にみかん箱を置いて、鉛筆なめなめ、白髪頭を掻きむしって読まれるあてもない原稿用紙を埋めていくとするか??



目次
「ある戦いの記録」/「村の教師」/「中年のひとり者ブルーム」/「屋根裏部屋で」/「墓守り」/「橋」/「狩人グラフス」/「小ネズミ」/「万里の長城」/「中庭の門をたたく」/「こうのとり」/「だだっ子」/「隣人」/「雑種」/「鉱山本部」/「舵」/『万里の長城』の読者のために


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『数学トレッキングツアー』を読む

2011年02月06日 | 読書2
東京理科大数学教育研究所編『数学トレッキングツアー』2006年7月、教育出版株式会社発行、を読んだ。

高校生・大学生向けに東京理科大学がおくる数学を楽しむ講座だ。大学で学ぶ数学の内容に直接つながる3つの話題をできるだけ丁寧に解説している。
東京理科大学の生涯学習センター主催の講演をもとに、それぞれの講演者が再構成、加筆したものだ。

第1章 無限をたずねて(集合論)、 執筆者池田文男
第2章 お見合いパーティを主催してカップルをつくろう (離散数学)、 執筆者小谷佳子
第3章 相加平均≧相乗平均(不等式論)、執筆者岡田紀夫
数学とノーベル賞(ノーベル賞にはどうして数学賞がないのか?その他,フィールズ賞,アーベル賞) 執筆者澤田利夫
編集者眞田克典



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

さすがに文化系の人にはお勧めできないが、理工系大学生なら堅苦しい教科書とは違って、数学の面白さを味わえるだろう。遠い彼方の大学生の私でも、あまりにシツッコイところ以外は、楽しみながら読めた。

アーベルについて少々。
2002年、ノルウェー政府が、賞金1億円、年齢制限なしで、毎年選定されるアーベル賞を創設した。アーベルは5次以上の代数方程式にはベキ根による解の公式が存在しないことを証明するが、論文はガウスに無視される。さらに、楕円関数論を完成させるが、コーシーは机に入れたままで、その間にヤコビが解決し発表してしまう。アーベルは貧困と研究で体力を消耗し、27才で亡くなる。その2日後にベルリン工科大学教授の招聘状が届く。
ノルウェーのオスロの王宮公園には、2人の老人を踏みつけたアーベル銅像がある。この2人はガウスとコーシーだと言われる。



以下、いいかげんな理解に基づく私のメモ。

可付番集合のところを読むと、稠密性(密に詰まっている)有理数が、スカスカの自然数と濃度が同じであることが出てくる。これが私がかねから、理論は解っていても納得できなかったことのひとつだ。今回も説明は理解できても、本書が言うとおり、「大変不思議な結果を導いています」ということに終わった。
この本にはさらに、平面上のすべての点の集合の濃度は実数の集合の濃度と同じである、つまり、一次元空間と2次元空間の点が同じだけあることになると示している。無限といっても、可付番濃度と連続体濃度の2種類ある(どこかで聞いたような気がする)。後者が前者より大きく、中間の大きさはないというのがカントールの連続体仮説だ(われながら大胆な決めつけ)。

連続体仮説を証明しよう苦労したカントールは、師のクロネッカーからいじめられたこともあって精神を病んで行った。
結局、ゲーデルやコーエンによって、連続体仮説は正しいことも、正しくないことも、現在の公理的集合論の中では証明できないということが証明された。
つまり、現在の集合論の公理系から連続体仮説は独立であり、現在の集合論の公理系とは異なる連続体仮説を仮定した数学が矛盾なく作りうるということなのだ。ユークリッドの第5公準(平行線は交わらない)が証明できず、非ユークリッド幾何学を作ったように。


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桐島洋子『聡明な女たちへ』を読む

2011年02月04日 | 読書2
桐島洋子著『聡明な女たちへ しなやかに生きる37章』2010年12月大和書房発行、を読んだ。

1 人生の窓を開ける
2 上質に暮らす
3 華麗にプロエイジング
4 自分を愛しむ健康法
5 年齢を重ねてわかったこと

著者の言う聡明な女とは、頭のいい女、利口な女ではない。
「悪賢い」とか「小利口」とか「頭のいい詐欺師」とか言われる人はいても、「聡明な泥棒」や「聡明な悪者」はいない。「聡明」は頭の中身だけではなく心のありようも含めた評価であり、知情意のバランスが絶妙で、人柄品格も申し分ない人を聡明というのであり、これこそまず最上の褒め言葉だと言っていいだろう。

(自分の意見を持ち主張できないと聡明とは言えないらしい。桐島さんのように)

ファッションやコスメに関する知識は凄いのに、その主役であるべき自分の身体については驚くほど無知で、当然健康の本質も病気の正体もしらない女性が多いのだ。


そもそも美意識とは嫌悪感の堆積なのだ。・・・


スピリチュアルに昔から凝っている桐島さんだが、のめり込まず、距離を置き、冷静に霊媒の品格を定める。ロンドンはスピリチュアルの本場だそうだが、そこではいい加減な霊媒師が多い日本とは違い、霊媒が厳しい試練にさらされ、磨かれているという。

本書は小学館Precious 2007年1月~2010年10月に連載されたものに加筆、編集した。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

7冊も桐島さんの本を読んだ私にとっては、いつもの桐島節だが、馴染みのない人にはお勧めだ。あらゆることに、歯切れの良く、辛口で批評する態度は小気味よい。世の中の(マスコミの)動向に反対して、そこまで言うかという部分もあるが、大部分は考えて見ればそれが本筋だと思えることばかりだ。

私の知らないことで、ひとつ教えてもらった。これは良い。私自身も調べて考えてみたい。それは、「献体」だ。

(叔母の)残された部屋は見事に整理整頓され、正式な遺書をはじめ、入院時の連絡先や死亡時の通知先リスト、延命治療拒否の書類、献体登録証、各種支払いリスト、通帳、印鑑などが一目瞭然に用意されていた。


私には、高齢で入院していたとはいえ突然の母の死で、遺憾ながら葬儀屋の言うままになってしまったことがあり(母(7)死)、この献体というものの進め方に興味がある。
深夜、大学病院へ電話すると、2時間後には迎えの車が遺体を引きとってくれる。
「ご遺灰をお返しするのは一年くらい先になると思いますが、これから三日いないならご遺体とのお別れも可能です」ということで急遽翌日に東海大学病院で身内だけの送別会をすることになった。

年取った身体の方が献体に適しているという。桐島さんは言う。「献体、お勧めです。」

本書に「バンクーバーの友人が集まって私の古希を祝ってくれた。」とあったが、私も参加した。「Capilano Golf Clubでパーティ



桐島洋子
1937年東京生まれ。作家。
1972年『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
以来著作・テレビ・講演などで活躍しながら、かれん(モデル)、ノエル(エッセイスト)、ローランド(カメラマン)の3児を育て上げる。
50代で子育てを了えてからは、“林住期”を宣言。仕事を絞り、年の数カ月はカナダで人生の成熟の秋を穏やかに愉しむ。
70代からは日本で、マスコミよりミニコミを選び、東京の自宅にオトナの寺子屋「森羅塾」を主催している(桐島洋子の森羅塾へ)。
その他、『マザー・グースと三匹の子豚たち』『ガールイエスタデイ -わたしはこんな少女だった-』(絶版)『わたしが家族について語るなら』『バンクーバーに恋する林住期ノート』、『刻(とき)のしずく 続・林住期ノート』と、『林住期を愉しむ 水のように風のように』
林住期が始まる








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宮本輝『三千枚の金貨』を読む

2011年02月02日 | 読書2
宮本輝著『三千枚の金貨 上下』2010年7月光文社発行、を読んだ。

桜の根元に三千枚のメープルリーフ金貨が埋めた。場所は和歌山県のどこか。「みつけたら、あんたにあげるよ」病院で見知らぬ男性患者から告げられる。43歳の主人公と、会社で3銃士と呼ばれる2人の同僚と、その病院の看護師だったバーのマダムの4人は、患者に関する調査会社の報告書を手がかりに、宝探しを始める。

宝探しがメインなのだが、祇園の芸舞妓の暮らしぶり、シャンパン、サバの焼き方などに関するうんちくが語られる。なかでも、ゴルフの話は、あらゆるところで長々と出てくる。そのうちいつの間にか、宝探しはサイドストーリーとなり、主人公のシルクロードの旅の思い出、中年サラリーマンの暮らしぶり、幼児虐待、政財界のフィクサーとなったファイナンス会社、18年間ゴルフの練習場しか行かないバーテンダーの話、実家のおばあさんの蕎麦の作り方などが自在に展開する。

BRIO2006年4月号~2009年8月号連載+書下ろし



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

上巻は宝探しで引っ張り、後半は謎の患者の過去と、さまざまの話で読者を飽きさせない。部分部分では手練の技を見せるが、全体のまとまり、ダイナミズムはない。長期に渡る雑誌連載のためだろうか。



宮本輝
1947年、神戸市生まれ。追手門学院大学文学部卒。
1977年、「泥の河」で太宰治賞を受賞し、文壇デビュー。
翌年、「螢川」で芥川龍之介賞受賞。
1987年、『優駿』で吉川英治文学賞受賞。
2010年、『骸骨ビルの庭』で司馬遼太郎賞受賞


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